2008年11月28日 14:07
裁判員になると、原告、被告、それぞれの弁護士(あるいは検察)、裁判官に加えて、双方から登場する「証人」とも関わる事になります。それぞれの主張を裏付け、自分を有利に導いていくために証言をしてもらうのですが、相手から見ると、有利な証言をさせないようにすることが必要で、そこにせめぎ合いが出てきます。証人の証言は、基本は、事実を正確に証言する、ウソや不確かなことを言わない、事実にいい意味で固執する、ことに尽きるのですが、難しい面があるのです。
それは、複合尋問や誘導尋問といわれているものなのですが、質問の順序や聞き方によって、事実をいっているにもかかわらず相手に有利な証言になってしまうことがあるのです。たとえば・・・ 私が証人だった時のことです。
そのケースでは、お互いがお互いを訴えていました。相手は、「自分の経営が破綻したのは、お前が支払いを遅らせたからだ。契約違反だ」という主張。こちらは「破綻は経営の失敗だ。ちゃんとした製品がないから支払おうにも購入できないだろう。契約違反はそっちだ。」
という主張。
ここで彼らが僕にした尋問は、(※・・・()内が応えです)
「あなたは彼らが契約違反をしたといっていますね?」 (はい)
「その理由はA,とBだといっていますね?」 (はい)
「ほかにはありませんか?」 (ほかにもあります)
(ここで僕の注意は、他の理由を探すことに逸れてしまった)
「ほかはなんですか?」 (C,とDとEです。)
「ほうほう、CとDとE。詳しく聞かせてください・・・」
(詳しく話す)
「ところで、もう一度、確認のためにききます」
「あなたが契約をやぶったのは、彼らが、A,B、C,D、Eなど
の契約違反をしたと思ったからですね?」 ( はい。)
!!ここで、相手の弁護士がニヤリと笑った!
(ゲ!?何かまずいこと言った?)
いったい何を間違えたんだ?
その時は全く気がつきませんでしたが、あとで味方の弁護士からの直接の証人喚問で気がつきました。
相手弁護士の質問には、2つの質問が入っていました。
(1)あなたが契約をやぶったのは という質問と
(2)彼らの違反はA,B,C,D,Eだと「思った」のか? という質問。
僕はこれに「はい」と答えた。ということは、(1)(2)とも
肯定したことになり、「あなたが契約をやぶった」ことも肯定してしまったことになるのです。すなわち、自分が契約違反をしたと肯定してしまったということです。
この件は、なんとか取り返せたのですが、なんとも事実のみを
伝えているつもりでも、怖い落とし穴があるようです。このあとも、証言にはより慎重になって、なんと僕への尋問は3日も続いてしまったのでした。
こんなケースは、裁判員が関わる裁判では行われないかもしれませんが、一応アタマに入れておいてもいいかなと思います。
2008年11月28日 10:48
いよいよ今日から発送されます。あなたのところには?
2008年11月25日 00:29
裁判員に選ばれた場合の手続き上のことや、心構えは既に色々な情報が提供されていますが、実際の法廷や審議の場で、どのようなことが起こるのでしょうか。裁判員制度自体がこれから始まるわけですから、事例などもちろんあるはずもないので、ここでは筆者が証人として関わった海外企業との仲裁の様子をご紹介します。陪審はいませんでしたが、証人がどんな心理状態になるのかは、おわかりいただけるのではないかと思います。
裁判というとドラマでしか見た事ないという場合が殆どでしょう。そこでよく出てくるのは偽証のシーンです。裁判員としては、偽証していないかという点を見抜く必要はないのかもしれませんが、どうも気になってしまうのではないでしょうか。
TVドラマなどの法廷での弁護士による尋問のシーンは、自分が証人となった日々を思い出します。
ドラマでは被告側が口裏を合わせて偽証するのですが、「偽証」をする
のは経験上、ものすごく難しいと思っています。
いや・・・実際に証人となるまでは、できると思っていたのですが。。。。国会議員が偽証罪に問われることがあるが、なぜ、偽証がばれるのかとも思っていました。自分ならうまくウソ突き通せるかな、と。 ところが。
まず最初に宣誓をします。イスラエルでは神の名において、日本では良心に基づいてウソをつかないことを誓います。これ、意外と心に重くのしかかるのです。
ウソをついたら罰せられることにも同意します。(海外の場合、その国の法律で罰せられるし、そこで禁固刑にでもなったらどうなるかわからないので怖さが増します。)
いずれにしても、改めて「宣誓」することで普通の精神ならウソがつきにくくなるのです。「宣誓」は予想以上に重いのです。
弁護士はその道のプロですから、よく人間心理も読んでいます。事実関係を
洗い出す過程で、証人たちの心の葛藤を推測し、質問の順番をよく考え
ているのですね。聞かれた順番に答えていくと矛盾が出てくるようになっているような気さえします。例えば、
弁護士「あなたは全力を尽くしましたか?」
証人「もちろん全力を尽くしました」
弁護士「それを示す証拠はありますか?」
証人「毎日10時過ぎまで勤務しました。タイムカードがあります」
弁護士「なるほど。ここに一通のメールのコピーがあります。証人はこれを見てください。これは誰に誰が送ったものですか」
証人「これは私が友人に送ったものです」
弁護士「時刻を見てください。これは勤務時間中ではありませんか」
「あなたは全力を尽くしたといいましたが、勤務中に私用メールを書いている。全力を尽くしたというのはウソですね!」
「あなたは私用メールを時々送りましたね!」
もちろん私用メールの一通や2通は現実的にはあるでしょう。本質は、業務に差し障ったかどうかなのですが、弁護士は
「あなたは一度も私用メール
を送ったことがないのですか?」
「私用メールは業務ですか?」
「全力とはどういうことですか?全部の力ではないのですか?」
「私用メールを書いた時間は業務でしたか?」。。。
と畳み掛けられると、
段々おかしくなってきます。
一度でもこんな場面があると、証言が極端に慎重になってしまいます。
自信のない証言をすると弁護士に見抜かれる。
そこをつかれて核心に迫る質問でドキっとする。
経験からいうならば、偽証することは実際には難しいし、すぐに暴かれる
とではないかと思うのです。
2008年11月18日 11:32
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裁判員候補者が通知される時期が近づいてきて、自分が選ばれた時のことをアレコレ想像し、改めて考えています。
「判決に関わって恨まれたらコワい」
ということの他に、
"誤って無実の市民に刑罰を科してしまったら、その市民の自由や権利は不当に奪われてしまい、その打撃は本人のみならずその家族にまでも及びます。"(
日弁連のサイトより )
そう、自分としてはこっちのほうに怖さを感じるのです。
それは、裁判員となった自分が、そうしてしまった場合と、もしも自分が裁かれる側になってしまった場合に、そうされてしまった時の両方に。。。。
「推定無罪」
「疑わしきは罰せず」という言葉を聞いたことがあるでしょうか。これは、
"有罪確定までは「罪を犯していない人」と扱わなければならない"
という、刑事裁判の原則です。
裁判員になった人は、「裁判官」、「被告人」、「被告側弁護人」、そして「検察」という人々と接する事になります。推定無罪の原則では、このうちの「検察」に有罪の立証義務があり、裁判員は、検察の立証に対して、
"さまざまな経験や知識を持った市民が、その良識に照らして「疑問の余地はない」と確信してはじめて、有罪とする。"(日弁連のサイトより)
という役割をすることになります。
私もそうでしたが、ある事件の「容疑者として逮捕された人」に対して、ついつい「犯人扱い」してしまいがちです。それは、
日本は刑事裁判での有罪率99%といわれており、マスコミの報道などからも、逮捕されたら有罪という印象を、どうしても抱き勝ちだからかもしれません。前述のリンクで識者の方々が述べているのは、1)検察が完璧に証拠を集めてから起訴するからだ、2)冤罪が多く含まれているのではないか(推定無罪が、有罪になっているのではないか)、ということですが、その答えをここで議論するつもりはありません。
しかし、裁判員になる可能性のある我々としては、「推定無罪」の判断をしっかりと行えるかと心配になってきます。つまり、
有罪の判断を正しくできるか?という心配と、あるいは反対に、
(有罪なのに)無罪にしてしまうのではないか、という心配です。
その道のプロである弁護人または検察の説明(プレゼン)の上手下手で左右されてしまわないか?、マスコミの犯人扱い的報道に影響を受けてしまわないか?、同情や偏見など心証による予断を入れてしまうのではないか?、有罪にして量刑で重い刑を出すのは忍びないと思ってしまうかもしれない、自分が有罪と決める重圧に耐えらないかもしれないということです。
このように考えるとこの制度、思惑として、1勝99敗の弁護側としては期待感がありますよね。もしかすると、裁判員の判断が推定無罪によりそうかもしれない。でも逆も当然あります。有罪率は限りなく100%に近づくかもしれません。