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地域の元気講座~NPOフュージョン研究所所長日記~

2009年3月

2009年3月30日 09:48

縁(えにし)の糸

■多摩NPOセンター

 3月28日(土)、NPOフュージョンの理事懇談会に出席してきた。私は理事ではないのだけれど、空気のごとく出席している。ただ、この日は特別だった。
会場は多摩NPOセンター。
 NPOフュージョンが2005 年4 月より多摩市から管理運営を任されてきた「多摩NPOセンター」の契約が切れ、来月1 日から同じく多摩市のNPOである「アート多摩」に運営をバトンタッチするのだ。だから、ここで開く理事懇談会は最後。いわば節目の会議だったのだ。
 センター長を務めてこられた御舩哲さん、事務を支え続けてきた井元和美さん、松尾惠美さん。一時副センター長を務めていた同僚の松本祐一さん。他にもフュージョンの活動初期から関わり続けている山本さん、新川さん、本間さん、そして理事長の富永さん。いつものメンバーではあるのだが、最後は釜飯を食べ、散会となった。


■グループが変わるということの意味

 それにしても、このグループの活動を1998 年からヨソモノとして見続けている私としては、「大きく変わったな」と思う。
 変わったのは、この人々が背負っているネットワーク。
 かつて私は、NPOフュージョン長池草創期を社会ネットワーク分析の手法で特徴を描いたことがある。人間は、ついつい自分の属しているグループの中で自分を評価する。だから、このNPOフュージョン長池+NPOフュージョンのグループがどのように変化してきたかを問われると、この内部の人々の人間関係に着目するのが、生活者の目線といってもいい。
 ところが、実際には、一人ひとりが本人はあまり自覚していない「自分の特徴」をもっており、自分の能力や魅力から生まれる人脈をもっている。そして、この10 年あまりの時は、そうした一人ひとりの成長と人脈がどんどん変化しつつ、そこで生まれた成果を「NPOフュージョン長池+NPOフュージョンのグループ」という場に持ち寄ってきたダイナミックな歴史でもあった。
 一見すると、参加しているメンバーの関係は変わっていないように見えるかもしれないけれど、メンバーが背負っている力と外へのネットワークは大きく変わった。
 それがヨソモノ中庭の印象だ。


■縁の糸をマネージする車の両輪

 社会関係資本(ソーシャルキャピタル)という言葉が、以前から使われているわけだが、もともとは「人的資本」同士の「関係」という意味だ。異業種交流パーティーがあまり役に立たないことからわかるように、顔が広いことと、一人ひとりが能力や魅力をもつことは「ある程度」別のこと。だから「個の力・魅力」と、それらの「連携力」は、何事かをなし得るための車の両輪なのだ。
 組織内の連携だけを見ていると変わっていないように見えても、個の魅力が増すと明らかに組織外の連携先は異なってくる。だから、私は、その人が組織・グループの外で、どんな人々とつきあっているのか、よく尋ねる。その人のもつ目線や可能性が何となく推測できるからだ。
 自分を中心とした内と外のネットワークのダイナミズム。これがどのように成長し、活動の局面をいかにして変えていくのか。そのプロセスは大きな研究テーマではあるのだけれど、先日理事懇談会に集まった人たちは、みな意図せざる結果として新たなスタートを切ろうとしており、新たな局面をむかえている。不確実な縁の糸の不思議な同調現象なのだけれども、たいへんに興味をそそられる。ここに地域の元気づくりの本質があると思うからだ。
 かくいう私も、4月からは多摩大学で地域観光マネジメントの研究・普及を本格的に進めることになっている。縁の糸のマネジメントは、そこでも大きな課題であり続ける。

※これまで週2回のペースで書いてきたこのブログ。4月からは週1回になります。ほっとするのもつかのまで、新たに多摩大学総合研究所のブログ「地域観光マネジメント研究室」も始まります。両方とも引き続き御贔屓のほどを!

2009年3月27日 14:12

コンベンション都市横浜と東京の差

■人が集まればコンベンション都市?

 コンベンション都市という呼び方で、都市を印象づけることがある。この場合の意味は、都市内に大規模コンベンション施設があり、そこに多数の人が集まることで宿泊・飲食・交通費など波及効果を狙おうというのが常識的に意味する所だろう。だから、政令指定都市規模の都市はどこもコンベンション都市を謳うし、富士吉田市や別府などの観光地もそう呼んでいた。
 そんな中、2000 年頃、私は横浜市をコンベンション都市とするための調査提案事業に関わっていた。横浜市といえば340 万人も人口を擁する国のような都市。その時は、国内外からの訪問者と地域の人材が交流することで、都市の人的資本や社会関係資本が蓄積され、コンベンションが都市の成長に寄与するというモデルを提案したのだが、タイミングが合わなかったのか、あまり相手にされなかったのを覚えている。


■施設は遜色ない?横浜

 その時に、横浜市や地元の方々が口々に東京と横浜との違いを申し立てていた。確かに、コンベンション開催件数は東京都と比べ横浜は少ない。それでも5000 人収用ホールをもつパシフィコ横浜があるためにその差はだいぶ縮まってきた。ただ、横浜でコンベンションが開かれても、宿泊は東京のホテルにする方が多い。
 またたとえば有名なミュージシャンの大規模海外公演などを企画すると、プロモーターは東京、名古屋、大阪、福岡とスケジュールを組む。なぜか。天候に左右されないドーム球場があるからだ。横浜には横浜アリーナがあるが、収容人数が球場に比べれば落ちる。


■PCOはリスクを怖れる

 コンベンションの開催地を選定するのは主催者だが、主催者に影響をおよぼすのが以前にも書いたプロフェッショナル・コングレス・オーガナイザー(PCO)だ。特にアメリカなどでは、団体の年間予算を預かり、主催者の代理としてすべてを取り仕切ることも多い。
 そのPCOが気にするのは、開催地が安心できるかどうかということだ。
例えば、事務局サービスを安心して任せられる現地プロダクションがあるかどうか。あるいは質の高い通訳や速記者がいるかどうか。参加者を満足させる旅行企画ができるかどうか、等々多々ある。
東京と横浜。どちらもコンベンション施設ではひけをとらない。しかし、もし私が大事なコンベンションを任されたPCOなら、おそらく東京を選ぶ可能性が高い。東京なら、通訳者が足りなくなってもすぐに手配できるなど「質の高いサービス供給力の遊び(slack)」がある。しかし、横浜は「遊び」までいっていない。
 会場収容力という必要条件が同じなら、あとはリスクの低い方を選ぶ。


■コンベンションを開くことは都市の力をつけること

 実はコンベンション都市たりえるかどうかというのは、この「質の高いサービス供給力の遊び(slack)」にかかっている。だから、本当にその都市をコンベンション都市にするということは、都市の知的成長基盤をつくることと何ら変わりはないことになる。都市成長の手段としてのコンベンションは、高度のサービス人材を育て取引する場をつくる産業政策手段としての一面ももっている。
このことを意識しているPCOはまだまだ少ないし、そもそも日本ではPCOの存在そのものが見過ごされていると私には思える。
 いま観光庁では、国際会議誘致件数を5割増やそうとしている。2007 年、日本で開催された国際会議は1858 件。(国際会議の統計は、日本政府観光局:JNTOがとっている
http://www.jnto.go.jp/info/conventions/
 これを増やすことは、都市の力をつけることと同じだということを、多くの人に知ってもらいたい。

2009年3月25日 13:25

リメーク版「黒部の太陽」は職人仕事のドラマだった

■オリジナル黒部の太陽

3/21、22とフジテレビ系でリメーク版「黒部の太陽」が放映されていた。トンネル堀職人の親方を香取慎吾が、意外なことに結構いい味を出していた。
元の映画を私は通っていた小学校で見た記憶がある。三船敏郎、石原裕次郎、辰巳柳太郎しか覚えていないし記憶もおぼろげなのだが、出水した破砕帯にコンクリートを注入し難関を突破する姿に、興奮したのを覚えている。
まさに自然に対する技術の勝利。
その後、NHK「プロジェクトX」でも同じトーンで黒部が取り上げられており、私のような40歳代以上の人間は、こういうのにワクワクしたのだ。


■人口減少期の黒部の太陽

ところが、リメーク版「黒部の太陽」では、あるべきシーンが無いのである。
そう。破砕帯にコンクリートを注入する場面。
あるのは職人達が出水に耐えている内に、冬になり出水が減り、淡々と掘削を再開していくシーン。貫通場面も「当然の仕事をした結果」と抑えた描かれ方をしていた。
これでは、まるでお白砂で櫻吹雪を見せない遠山の金さんではないか。
高度成長期に子ども時代を送った私は、そう感じた。ものたりない、と。


■リメークは難しい

でも、なぜこの時期にフジテレビは「黒部の太陽」をリメークしたのだろうか。この映画は石原プロが再映しないし、DVDでも売り出さない幻の大作として有名だ。昔の映画をただリメークしてもうまくいくわけはない。し、評判が良かったリメーク版は現代流にアレンジしたものだ。例えば、同じフジテレビがかつて「白い巨塔」をリメークした時は、原作の「医療ミス裁判と医学界のドロドロ」を、脚本家井上由美子は「インフォームドコンセントをめぐり対立する医師」という骨太のドラマに仕立て直し、好評を得た。
同じ事が、この「黒部の太陽」にも言える。これは「自然に技術が勝利する映画」ではなく、「弱い人間達が自然と共に生き、自分の仕事を続ける映画」なのだ。


■国や会社に期待しない

大出水事故が起きた時、「ここでこのダムの理念を忘れてはならない」と言う小林薫演じる関西電力の現場事務所長に対し、脚本家の大森寿美男は香取慎吾演じる熊谷組倉松親方にこう言わせている。
「国とか会社のために掘ろうとは思わない。おれはおれのできることだけをする」(正確ではないけど)
だから、このリメーク版は、その後も、出水が止まらずに士気が衰えてゆく弱き人間を描き、困難に踏みとどまる職人たちを淡々と描く。まるで「やまない雨は無い」とでも言うように。
技術で克服する成功物語にすれば、話は簡単。でも、あえてそうせずに、簡単に答えが見つからない中で踏みとどまる人間達のドラマとした所に、この「黒部の太陽」のすがすがしさがある。
リメークもメッセージ次第で元気を呼び起こせるのだ。


20090325.jpg                   大町トンネル出口に導かれた、破砕対からの湧き水

2009年3月20日 12:49

使うとはソフト(暮らし)をつくること

■暮らすとは場所を使うこと

 前回は、「使いながら守る」ということを書いた。具体的に言って!という声が聞こえてきそうなので、気楽に写真で説明してみたい。といっても、写真に映っているのは、気楽とは正反対のものなの だけれど。


20090320.jpg これ、一見すると普通の何の変哲もない喫茶店の入り口の写真。場所は高田馬場。
 ここからが問題。
 扉の両脇に白い棒が立っています。これ何でしょう?
 わかりません?
 では、この写真。

 


20090320a.jpg ここにも扉の横に白い棒。そこに板がはめ込まれている。ちなみにこの写真は、先ほどの場所のすぐ裏手。そしてバイクが並んでいる左側は神田川。
 そう。この当たりの家や事務所では、防水板をはめ込めるようにしているのだ。


■人はなかなか動かない

 この写真を撮ったのは2005 年6 月29 日。ちょっと前に大雨が降り神田川が増水した後。
川のそばは地価は安い。リスクがある土地なら、値段にも反映して人はもっと安全な所に住み替えているはず。というのが、経済学の考え方だ。でも、実際にはかなり悪条件の所と思われる所でも、人はそこを動かないということがよくある。
 もちろん、懐の具合で、動きたくても動けないの!という人もいるだろう。でも、暮らしているうちに、その場所の使い勝手が良くなってくる人も多いのではないかと私は思っている。この「使う」というのは、場所に適応しようとしていろいろな「出来事」(コスト)を投入していくうちに、その人にとっては場所の価値が高くなっていくということ。まるで包丁が手に馴染むのと同じように、場所が身体に馴染んでいくのだ。


■暮らすためのソフトウェア

 さて、よく水害などがあると「こんな低地で、水害が起こりそうなことぐらいわかっていたでしょう。そこに住んだ人の責任です」などと当事者責任論を言う方がいる。その気持ちはわからないでもないけれど、一方では、住民は暮らすために、場所を使うためのソフトウェアを自ら作り続けてきたわけだ。そのソフトをたかが年1、2回の水害ぐらいで捨てることができるか、と言われれば、それには反論できないだろう。
 このソフトって、いくらするのだろう。それとも、その都度言葉で評価しないとわからない多元的な価値をもつその人の無形資産というべきものなのかな。

2009年3月17日 12:40

使いながら守る開発を考えよう

■なぜ開発という言葉を人々はいやがるのか

先週、国土交通省の地域経営研究会という会合の外部講師として「水文化と地域振興から見る地域経営ビジョン」という話をしてきた。
 この集まり。昔の全総(全国総合開発計画)が役割を終え、これからは市民のボトムアップで国土計画をつくらねばならないということで、「全国総合開発」という言葉を削除し、新たに「国土形成計画」と名を変えた計画について討議しようというのだ。
 私は郊外論を開拓している若林幹夫さん(早稲田大学)から推薦いただいたのだが、委員には多摩ニュータウン学会で一緒の西浦定継さん(明星大学)、同じく多摩ニュータウンの諏訪名店街活性化に力を入れている保井美樹さん(法政大学)、それにこのブログの看板元でもあるNPOフュージョン長池の富永一夫さん、外部講師には日本政策投資銀行の藻谷さんも来ている。みんな面識があり、座長も中央大学の山崎朗先生で、ホームグラウンドで話をしている感じだった。この時期に多摩ニュータウンのような郊外居住地に縁のあるこうした人々が集うのも、あるニーズの反映であろう。
 今日書こうと思うのは、そこで話している時にぼんやりと思ったこと。それは、なぜ「開発」という言葉を人は嫌がるのか?ということだ。


■「悪い開発」はやめて「いい開発」へ

 いま「開発はやめよう」と言う場合、多くは昭和30年代以降の都市・住宅・土木開発を指している。まぁ確かに増える人口を養うために国土を造り変えるようなことが、今求められているわけではない。  ただ、やっぱり、川にはもっと生きものがいた方がいいし、都市計画地域でも農園があったほうがいいし、都市のある部分は舗装を剥がした方がいいし、できれば不燃の木製住宅も安い価格で建てられるようになればいいし、公園で太陽光発電や小水力発電したものは自分たちのために共有した・・・、などなど想像すると、いまの都市環境や住環境、ライフスタイルを変更しなくてはならない。人間が自然のキャパシティの中で暮らしていかなくてはならない以上、こうした変え方は、あえて「いい開発」と呼んで、その方策を真剣に考えなくてはならないのではないか。
 放っておけば自然と人間は共生できるというほど、自然は生やさしいものではない。
開発が悪いのではない。元に戻せない開発が悪いのだ。


■使いながら守る開発

 開発とは、資源の使い方を発見し、人間が利用できるようにすることだ。商品開発、人材開発、ソフト開発、プログラム開発、森林開発・・・
 どれも「発見」という意味を含んでいるのだけれど、なぜか「森林開発」という言葉だけ暴力的な意味を感じてしまう。自然の循環サイクルを無視して人間の手を入れすぎて、もはや元に戻らないようにしてしまう。そんな意味が感じられてしまう。高度成長期の悲劇ではある。
 ならば、「使いながら守る」という、自然の枠内での開発というものを具体的に考えてみたい。それを行うのは、計画経済的な古い官僚とは無縁の、現場の人たちの利用組織に違いない。

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プロフィール
中庭光彦
中庭光彦 NPOフュージョン研究所所長・多摩大学総合研究所准教授
1962年生まれ。大田区居住ながら、1998年から多摩ニュータウンに通い続けている。経営の視点から、全国の地域づくりケースを収集。「コミュニティはツールだ」「水文化を知るとコミュニティがわかる」が持論。
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