(2015年1月13日筆)
1月6日の日経新聞の有名コラム「大気小機」に「三剣(筆名)」氏が「政府、日銀、共産党」と題して警句に富んだ文章を寄せている。
「政府、日銀、共産党」が賃上げ要請でそろい踏み
麻生副総理は勢い余って「守銭奴」と企業批判
三剣氏は「安部晋三首相、黒田東彦日銀総裁は『物価も給料も上がる好循環』に期待する。共産党もお金をため込む大企業を批判しているから、イデオロギーの違いを超え『政府、日銀、共産党』そろい踏みの感がある」と書いた。
そのうえで、「賃上げは私企業の判断にかかわる重大事項である。『余計なお世話だ』と反発する経営者が一人ぐらいいてもいいようなものだが、経団連も『がんばります』と従順だ。右から左まで同じ事を求める時代に、正論を振りかざしても大人げないということか」と皮肉っている。
この前日の1月5日、麻生太郎財務大臣(副総理)が信託協会賀詞交歓会でのあいさつで、企業の内部留保蓄積が328兆円にまで膨らんでいることを指摘し、「まだ金をためたいなんて、ただの守銭奴にすぎない」「ある程度カネを持ったら、その金を使って何をするかを考えるのが当たり前。いまの企業は間違いなくおかしい」と言い放ったという(時事通信1月6日配信)。
漢字が読めない?元首相の放言癖はなおご健在のようだが、麻生財務相が持ち出した「内部留保蓄積328兆円」は、財務省しか知り得ない未発表の平成25年度「法人企業統計年報」の利益剰余金総額だと推察される。ちなみに発表済みの平成24年度の利益剰余金総額は304兆円だったから、企業はアベノミクスの初年度で24兆円(7.3%増)内部留保を積み上げたことになる。
共産党も麻生副総理も「内部留保を賃上げに回せ」と言っているようにも聞こえるが、「内部留保」について少し誤解があるようなので説明しておきたい。
「内部留保(利益剰余金)を賃上げに回せ」という変な議論
「現預金を取り崩して賃金支払いに回す」のならわかるが...
内部留保とされるのは貸借対照表の「純資産」の項目に計上される「利益剰余金」をさす。利益剰余金は毎期発生する当期純利益から配当、税負担など差し引いたものを積み上げた過去利益の蓄積だ。当期純利益がマイナス(当期純損失=赤字)の場合、利益剰余金は減少することになる。
利益剰余金(内部留保)は、資本金などと合わせ自己資本の一部を形成しており、企業はこの自己資本と他人資本(銀行借り入れ、社債など)を使って事業を行っている。したがって利益剰余金は在庫資産、工場や営業所の設備、子会社の持ち株など事業資産に化けており、これら以外では現預金などに化けている。利益剰余金(内部留保)はすべて貸借対照表上の「総資産」(事業資産)に変わっており、「賃上げに回す」という性質のものではない。
ただ、事業資産のうち「現預金」を取り崩して賃金支払いに回すというのであれば説明に少しは合理性がある。
「法人企業統計年報」によると平成24年度の「現預金残高」は168兆円ある。しかし、このうち資本金1億円未満の中小企業が持つ「現預金残高」が101兆円と全体の6割を占める。これら中小企業の「現預金残高」は銀行融資の担保や支払い準備になっており、取り崩すのは難しいと思われる。さすがに共産党も支持基盤の一つである中小企業に対し「現預金を取り崩して賃金支払いに回せ」とは言わないだろう。
正確にいえば、企業は賃上げで人件費を膨らまして当期純利益を圧縮することはできる。賃上げで当期純利益が圧縮されれば利益剰余金(内部留保)の積み上げが圧縮されることになる。当期純利益分すべてを人件費(賃上げ)に回し当期純利益をゼロにすれば利益剰余金(内部留保)は積み上がらない。
さらに進めば、「内部留保を取り崩して賃上げに回せ」と主張する共産党のような論者も出てくる。確かに大幅賃上げによって当期純利益が赤字に転落すれば利益剰余金(内部留保)は減少、内部留保を取り崩したことになる。しかし、赤字転落となれば株価は急落、「株価連動」の安倍内閣には痛手だ。赤字転落で大企業より蓄えが乏しい中小企業に労務倒産の危機が迫れば、自民党も共産党も放ってはおけないだろう。
政府、日銀の賃上げ要請はアベノミクス行き詰まりの帰結
物価上昇率の低下がもたらす実質賃金回復という道もある
そもそも、政府、日銀による企業に対する「賃上げ要請」は、自らの政策の行き詰まりの帰結という側面もある。異次元緩和が始まった2013年7月から円安に伴う輸入物価上昇で消費者物価が上昇、賃上げが追い付かず実質賃金は17カ月もの長期間にわたってマイナスを続けている。
2014年11月、景気鈍化によって名目賃金(現金給与総額)も前年比マイナス1.5%に転じ、実質賃金は最悪のマイナス4.3%になった。1月13日、政府は2014年度実質成長率見通しを昨年7月のプラス1.2%からマイナス0.5%に引き下げた。消費増税に伴う駆け込み需要の反動減だけでなく実質賃金低下による消費減退がマイナス成長の重要な原因になった。
マイナス成長の原因になった実質賃金の低下を食い止めるには、賃上げによって名目賃金を消費者物価上昇以上に引き上げるか、消費者物価上昇率を名目賃金上昇以下に引き下げるしかない。しかし、「デフレからの脱却=2%物価目標の達成」に固執するアベノミクスには、消費者物価上昇率の引き下げは許されない。したがって物価上昇率を上回る賃金引き上げしか方法はなく、賃金引き上げに安倍政権とアベノミクスの命運がかかっているというほかないのだ。
政府も日銀も、円安による物価上昇には目をつむり、昨年来の賃上げ(特にベースアップ)不足を憂い、共産党にならって、会計上、賃上げ原資としての実態がない「内部留保蓄積」(麻生副総理)に言及してまで企業に賃上げを迫っているのだ。しかし、我が国は企業行動を政府や日銀、政治家の賃上げ指令で縛る統制経済ではない。「大機小機」が言うように政府が賃上げに介入するなど本来なら「余計なお世話」なのだ。安倍総理や経団連の指示に従って企業収益を無視して大幅賃上げ、ベースアップを実施すれば、業績は悪化、株価が下落、果ては労務倒産だ。
だがちょっと見方を変えれば、違う道も見えてくる。すべてを賃上げの結果に委ねるのではなく、いまは消費者物価上昇率の低下によって生じる実質賃金の回復を待つという道もある。幸い、ドル建て原油価格が1バレル40ドル台(昨年6月高値比で約60%下落)まで急落、国民はガソリン価格や電力・ガス料金の将来の値下がり大きな期待を寄せている。
その国民の期待の障害になるのが「2%物価目標」への黒田日銀の強いこだわりだ。すでに円安は実質実効レート、購買力平価などから見た適正水準を上回り「行き過ぎた円安」となっている。これ以上の円安は食料品など輸入原料依存の生活必需品の値上がりをもたらし円換算の国内エネルギー下落を妨げるだけだ。
市場は、「2%物価目標」達成のため日銀は春先にも再度の「追加緩和」に踏み切ると予想している。しかし、そもそも海外要因の原油下落による物価低迷を「日銀追加緩和」で押しとどめるというのがおかしい。それ以上に、原油価格下落という国民と消費経済にとっての朗報を「追加緩和」による行き過ぎた円安で帳消しにすることのおかしさに安倍総理、黒田総裁は気付くべきだろう。