(2012年2月10日筆)
2011年の貿易収支が48年ぶりに赤字に転落しました。この報道に接して米国の経済学者キンドルバーガーの国際収支の発展段階説を思い出しました。
この説によれば日本経済は第4段階の「貿易収支は赤字に転落するが、過去の対外資産の蓄積が大きく所得収支が黒字であるため経常収支は黒字を維持する」という「成熟した債権国」になったことになります。
下表をご覧下さい。日本の貿易収支はじわじわ黒字幅を縮小、ついに昨年、赤字に転落しました。一方、海外からの配当や利子収入からなる所得収支の黒字は依然大きく貿易収支の縮小を補って経常収支は黒字を維持しています。ちなみに所得収支の黒字が貿易収支の黒字を上回ったのは2005年でした。

市場の専門家の中には経常収支が赤字に転落する日も近いとする見方もあります。クレディ・スイス証券の白川浩道氏は2014年度、JPモルガン証券の菅野雅明氏は2015年、RBS証券の西岡純子氏は2017年か18年には日本は経常赤字に転落すると予測しています。いずれも日銀に籍を置いたことがあるチーフ・エコノミストです。日銀の見方が入っているかもしれません。
輸出は産業空洞化で伸び悩み、
輸入は原燃料増などで構造的に増加 その第1の根拠は、今後、輸出が伸び悩む(あるいは減少する)一方、輸入の増勢が続き貿易収支の赤字がさらに拡大するという点です。
小生の観察では、輸出については生産の海外移転(産業空洞化)が大いに気掛かりです。日産は人気の小型車「マーチ」の生産を日本からタイへ移転しました。発表当時も驚きましたが、大洪水の発生でタイが日本の自動車や電機・精密産業の一大生産拠点になっていることを知りさらに驚かされました。
つい最近もトヨタが、トヨタ九州が福岡県で生産するスポーツタイプ多目的車「ハイランダー」の生産を米インディアナ州に移管すると発表、米国からロシアや豪州にも輸出することになります。すでにトヨタは「カムリ」「シエナ」などの韓国向け輸出を日本産から米国産に振り替えました。米韓FTA(自由貿易協定)や円高ウォン安に対応するためです。トヨタは「300万台の国内生産台数を石にかじりついても守り抜く」と宣言していますが、いつまでその宣言が守られるか、大きな不安を感ぜざるを得ません。
ちなみに、2010年の自動車産業(部品、二輪車を含む)の輸出総額は約12.6兆円、日本の輸出総額約67.3兆円の13%を占めます。11年の自動車関連輸出は9694億円減少しました。震災やタイの洪水による生産減が響きましたが、回復しても日本からの輸出が回復するとは限りません。自動車産業の輸出生産の海外移転は日本全体の輸出に大きな影響を与えます。
一方、輸入には今後も増加を続ける要因がたくさんあります。まず最大の輸入品目である原燃料ですが、原油価格の高止まりによる原油輸入の増加が続いています、11年の原油輸入額は値上がりで約2兆円増加しました。原子力発電の操業低下によって火力発電用の液化天然ガス(LNG)の輸入量も増加しました。LNGの輸入額は値上がりと数量増で約1.3兆円増加しました。化石燃料の輸入増加は構造的なものになりそうです。
円高によるライバル韓国などからの輸入増(鋼材、石油化学製品など) や日本企業の海外拠点からの逆輸入、さらにユニクロやABCマート、ニトリなど製造小売業者の開発輸入の増加が加わります。
低金利が常態化し対外証券投資の黒字が頭打ち、
所得収支の黒字は縮小も 第2の根拠は、所得収支の黒字が頭打ちになるという点です。上表に戻ってください。11年の所得収支の黒字14兆円のうち海外債券の利子や海外株式の配当などから得られる対外証券投資収支の黒字(表の証券投資収益)が6.9兆円です、所得収支黒字の73%を占めます。
特に海外債券からの利子収入が多いのですが、米国をはじめ世界的に債券利回りが低下する低金利が常態化しており、債券利子収入は減少傾向にあります。円高の進行で手取り利子収入の目減りや保有債券の減価も生じています。
以上の結果、貿易収支の赤字がさらに拡大し、その赤字を所得収支の黒字では補えず経常収支も赤字に転落する。そうなると対外資産が減少し始め、日本はキンドルバーガーがいう発展段階説の最終段階である「債権取崩国」に転ずることになります。
日銀出身アナリストの数年後の
経常赤字転落の予想だけで円安に転ずる? 日本の経常収支が赤字に転じ「債権取崩国」になれば、市場では円が売られ円安が進行します。経常赤字転落のずっと前段階の、貿易収支が小幅だが赤字に転落したというだけで円は対ドルでも対ユーロでも下落しているように見えます。
米FRB(連邦準備制度理事会)は消費者物価上昇率2%というインフレ目標を設定、2014年末まで実質ゼロ金利状態を続けることを決めました。これで米国の長期金利がさらに低下し日米の金利差が縮小、対ドル75円台へ円高が進む恐れがあると叫ばれました。しかし、貿易赤字転落が発表されたあと円は78円をうかがう円安に転じています。
安住淳財務大臣は、昨年11月、約9兆円の為替介入を実施した為替を75年代から一時79円台まで押し戻しました。しかし、一銭の為替介入も行わず、貿易赤字に転落したという数字発表だけで78円台が展望できたのです。市場は、一時的な為替介入などより、貿易赤字への転落のほうが将来の円ドル需給に影響を与え、円レートに変更を迫る基礎的要素だと考えているのです。
しかも、複数の日銀出身の有力アナリストが「経常収支が数年以内に赤字に転落する」と主張しているのです。為替レートへの影響は貿易収支の赤字転落より経常収支の赤字転落のほうがはるかに大きいのです。その可能性を民間のアナリストとはいえ日銀出身者が述べることの意味は大きいでしょう。
市場はその見方に反応してすかさず円を売ったのではないかと思います。震災からの復興期に入るこの時期の円安は日本経済にとって恵みの雨です。日銀出身者の経常赤字転落への警告にも感謝しなければと思います。
対外直接投資収益を増やして
経常収支の黒字を維持するという方法もある しかし、菅野氏らが言うように、本当に経常収支赤字に転落するとなると大変な事態が発生しかねません。経常収支の黒字、つまり海外で稼いで貯めたカネ(企業貯蓄)で銀行が日本国債を買っていたのですが、経常収支が赤字になれば日本国債の買い余力が失われるからです。さらに円安が進行していれば輸入インフレを招き入れ日本国債の価値がインフレで減価するという予測から日本国債が売られる契機になります。
こうした事態を避けるには、対外証券投資などよりもっと利益率の高い直接投資を強め、所得収支のうちの対外直接投資収支の黒字(上表の直接投資収益)を大きくする必要があります。2011年の直接投資収益は3.8兆円で所得収支黒字の27%を占めるに止まっています。

直接投資とは、海外での日本企業の工場建設や子会社設立による投資、あるいは海外企業のM&A(買収)を指します。上表は、国際貿易投資研究所調べのデータですが、日本の対外直接投資は米英独に比べ収益率、残高でも大きく見劣りします。もっと直接投資を増やしそれで稼ぎ出した直接投資収益によって所得収支の黒字を維持する一方、その海外からの配当収入を国内での新製品・新事業の開発や生産性引き上げ、研究開発など高度化投資に回す努力を企業はすべきでしょう。