2011年12月16日筆
60歳の定年後、年金がもらえず無収入になることほど不安なことはありません。その不安な現実になります。その不安を解消してくれる「65歳までの希望者全員の再雇用義務化」案が政府から提案されています。
厚生年金の基礎部分の支給開始年齢の引き上げはすでに始まっていますが、これに続いて報酬比例部分の支給開始年齢が2014年度から61歳に引き上げられます。その後、報酬比例部分の支給開始年齢は3年ごとに1歳ずつ引き上げられ2026年度には65歳になることが決まっています。
60歳定年後、働く場がなければ5年間は無収入状態になる
2026年度からは定年の60歳から65歳の5年間、厚生年金すべてがもらえず無収入状態になります。働かなければ退職金や貯金を取り崩して生活することになります。このままだと1966年以降に生まれたサラリーマンがそういう状態に陥ります。
現状でも継続雇用制度(再雇用、勤務延長)の導入によって65歳までの雇用確保が義務付けられていますが、希望者のすべてが再雇用されるわけではありません。労使協定によって継続雇用制度を適用する選定基準を定め、その選定基準に達している人だけ再雇用される仕組みです。
どのような選定基準になっているか労使協定を確認する必要があります。働く意欲、必要とされる能力など客観的に測れる基準を示すことになっています。「会社が認めるもの」と「上司が推薦するもの」というような恣意的な基準は認められません。しかし、会社や上司が再雇用したくない「怠惰、無能、反抗的な人物」もいるでしょう。実際には、希望するすべての定年退職者が再雇用されているわけではありません。
今回の政府提案は、労使協定や選定基準などまったく関係なく、希望するすべての定年退職者を再雇用(継続雇用)することを義務付けるというものです。これによって65歳まで年金支給開始年齢を引き上げられても、希望するすべての定年退職者が定年後5年間の無収入状態を避けられることになります。
「人は城、人は石垣」というが社員の1割は「お辞めいただきたい社員」
「全員再雇用義務化」は定年退職者には朗報ですが、使用者側、会社側は「義務化」が経営の重荷になると考えているようです。米倉弘昌経団連会長は、「高齢者になるほど健康に個人差が出てくる。義務化するのではなく会社側と話をしながら働く場をつくっていくことが大事だ」と語っています。日本商工会議所の岡村正会頭は「義務化の必要はない。中小企業には60歳すぎの人の職域を開発するのが難しい」とはっきり「義務化」に反対しています。
武田信玄の「人は城、人は石垣、人は堀」ではありませんが、会社が浮かぶか沈むか、経営にとって人材、従業員がすべてです。会社はベストの人材をベストの職場に自由に置きたいのです(実施できているかどうかは疑わしいのですが...)。ですから従業員の採否を国の制度によって「義務化」されることを民間企業は本能的に嫌います。
若いからといって「ベストな人材」であるとは限りません。「会社がご不満ならいますぐにでもお辞めいただきたい」といいたくなるような若い従業員もいます。逆に高齢社員でも、技術の熟練度が高い、長い経験で培われた人的ネットワーク網を持つ、若い人が嫌がる仕事も厭わずこなす優れた社員はたくさんいます。社員の能力は年齢によって決まるわけではありません。
一方、高齢社員が優れた社員ばかりではないことも事実です。中には60歳定年を機に「何としてもお辞めいただきたい退職予定者」がいることも事実です。
ちょっと不遜な言い方で申し訳ないのですが、組織は「1対8対1」の法則で成り立っているように感じます。会社経営で言えば、会社に欠かせない優秀な稼ぎを生む社員が1割、平凡だが会社を下支えしてくれる社員が8割、箸にも棒にもならずお引取りいただきたい社員が1割いるという法則です。
厚労省の調査によりますと、65歳まで希望者が働ける制度を持つ企業の割合は全体の48%にとどまりますが、制度を持つ企業で実際に再雇用された人は7割以上にのぼり、希望しながら雇用されなかった人はわずか2%だといいます(残りの2割超は再雇用を望んでいない人です)。「1対8対1」の法則が観察されるにも関わらず、会社が再雇用を拒んだのがたった2%の希望者でしかないという事実は驚きです。日本の会社は社会保障の代行機関だという説がまだ生きているのです。
こういう数字を見るにつけ継続雇用制度を導入している会社の手足を「義務化」によってさらに縛る前にやることがあると思えてきます。政府は、「高年齢者の雇用確保措置」が法律で義務付けられているのにまだ継続雇用制度を導入していない残り52%の会社に制度の導入を急がせることのほうが先決ではないでしょうか。
会社が成長しなければ父親・母親が息子や娘の職場を奪うことになる
「全員再雇用義務化」に疑問を呈しているのは経営者だけではありません。これから就職しようとする若い学生たち、転職しようとする若いサラリーマンたちも「義務化」に不安を感じています。「義務化」によって定年退職者が65歳まで職場に居座れば、それだけ新卒採用枠や中途採用枠が狭くなり若者の職場が奪われることになるという不安です。
これは悲しい不安というべきです。父親・母親が定年退職後も再雇用されれば未就労の息子や娘の生活費、学費を稼げます。しかしその父母の再雇用が就職活動を始める息子や娘の職場を奪うことになるのですから。
会社が成長せず従業員数も年功賃金体系も一定だとすれば、居座る父親が就職を希望する息子の職場を奪うことになります。しかし「会社が成長せず従業員が一定」「年功賃金体系も一定」という前提を変えれば、父と息子は職場を奪い合うことはありません。
もう経済成長など必要はないとのたまう知識人もいます。経済が成長しなければ職場は増えず失業問題は解決しません。日本経済が成長すれば会社も成長し従業員数が増えます。そうすれば父親も息子も共に職場を得られます。職場を提供するのは会社(大企業、中小企業に差はありません)です。日本にはそんな当たり前のことが理解できないアンチビジネス、反成長主義の識者、政治家がいるのがとても残念です。
日本が低成長でも会社は国境を越えて成長します。アジアには会社成長のチャンスが転がっています。アジアで成長しアジアに職場が増える会社に新たに就職する若者は、内弁慶を捨て現地語を身に付け現地に職場を求める必要があります。それを記憶力が衰えた再雇用の高齢社員に求めるのは無理だからです。
戦後、日本の会社は従業員に投資してスキルを高め成長してきました。いまこそその成功体験を思い出すべきです。社員のスキルアップに投資すべきです。
日本経済が低成長にとどまる場合、つまりは低成長で総人件費が増やせない場合は、父親と息子は職場を奪い合うことになります。それを避け、新卒を採用して活力を高め、再雇用も実現して高齢者を活用するとすれば、その結果は従業員総数の増加です。
総人件費が一定で従業員数が増えれば一人当たりの人件費は減ります。低成長下で会社が新卒にも定年退職者にも報いるとすれば、一人当たり人件費を引き下げて職場を分け合う(ワークシェア)しかありません。その場合、すでにだいぶ崩れているとは思いますが、「年功序列賃金体系」を再修正する必要が出てきます。
成果主義の失敗に懲りて賃金体系を修正しなければ、会社は無収入になる定年退職者も職場を求める新卒者の期待にも応えられないのです。