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大西良雄ニュースの背後を読む

2007年11月

2007年11月22日 11:32

50年前の善人ワールド・「続・三丁目の夕日」

(07年11月22日筆)
 
我が家の近くにある所沢パルコの4階に3つの映画館を持つシネマ・パークがあります。60歳を超えると老人割引があり、一人1000円です。少し時間ができましたので、朝一番、歯医者に行ったついでに、「ALWAYS 続・三丁目の夕日」を見ました。家内は59歳ですが、老人ですと偽り、合わせ2000円を払って一緒に入館しました。

この映画館、いつもは閑古鳥が鳴いています。ことし、この映画館で家内と一緒に見た映画は、フランス革命で処刑されたルイ16世のお后の物語「マリー・アントワネット」、スパルタ戦士のすさまじい戦闘力を描いた「300(スリーハンドレッド)」、それにピーター・ラビットの原作者の青春を描いた「ミス・ポター」の3作です。300席はあると思われる映画館ですが、この洋画3作、見ていたのは私たちを含め10名ぐらい、いつも二人で映画館を独占した気分でした。

「三丁目の夕日」の初回作もここで見たのですが、初回作は、さほど観客が多くはありませんでしたので、今回も観客は少なく二人でまた映画館を独占できると思って入館したのですが、とんでもない。座席の半分はすでに埋まっていました。そのほとんどは私たちと同じ年頃、ウイークデイでしたから今年から定年を迎えた団塊の世代と思われる夫婦連れです。公開の前週に初回作がテレビで放映されたのが効いたのでしょうか。

「三丁目の夕日」の時代設定は、映画風景の主役である東京タワーが出来上がった昭和33年(1958年)頃から、東京・日本橋を高速道路が覆いかぶさる少し前の間です。ちょうど団塊の世代が小学校の4年生から6年生ぐらいだった時代です。家内がその年代に当たります。映画は、当時の東京の風俗や暮らしぶりや隣近所の風景を丹念に描き出しています。子供といっても分別もつき始めた頃ですから、団塊の世代の観客たちは、それらを自分たちの子供の頃の記憶と重ね合わせて、ひとつひとつ確かめながら見ているようでした。

東京近郊で育った家内は、出来上がったばかりの東京タワーに父親に連れられた何回か登ったそうです。小生は、当時、大分県の別府で暮らし、修学旅行で福岡に行ったほかはほとんど別府から外へ出ることはありませんでした。ですから、東京に都電が縦横に走っていたこと、日本橋の傍に三越があったこと、東京タワーが出来上がったことなど知りませんでした。小生の目には、日本中の田舎ものが憧れたと同じように、東京は華やかで豊かな都会にしか映っていなかったのです。小生は、東京タワーに登ったことがある家内に気恥ずかしい思いを抱きつづけていたのです。

しかし、「三丁目の夕日」では、都電の走る大きな道路から一歩入った路地裏の東京の小さな町の暮らしぶりが、遠く離れた田舎町・別府の貧しい暮らしぶりと変わりがないことを映し出していました。給食費が払えず、コッペパンと脱し粉乳の給食すら口にすることをためらう子供がいたのは、東京も別府も同じでした。ランニングシャツに短パン、煤だらけの顔をした子供たちが棒切れを振り回して駈けずり回って遊んでいた風景、それを楽しげに見守っていた隣近所のおじさんやおばさんの目線も同じでした。どうやら小生は東京を誤解していたようです。東京も立派に田舎だったのです。

駄菓子屋を営みながら芥川賞を狙っている貧乏な小説家とそれを慕い同居している家なき子・淳之介、親の借金を払うためにストリップ劇場の踊り子をしている小説家の恋人、その向かいで小さな自動車修理工場を開き生計を立てている「鈴木オート」の家族、そこで働いている青森から集団就職列車で上京した六子(むつこ。この女優が六子役を好演しています)、おせっかいなタバコ屋のおばさん、妻と娘を戦災で失った町医者……。映画の主人公たちは、それぞれ貧しく、それぞれつらい過去を抱えているのですが、他人の不幸を見過ごすことができず、他人が幸せになることを自分のことのように喜ぶ「善人」揃いです。

詳しいストーリーは、これから映画を見たいと思っている人の邪魔になるので省きますが、コメディタッチでありながら、なぜか涙が出て止まらない映画です。年をとって涙腺がゆるくなっているだけではないのか。そう自分に問い返しながら涙をこらえて見ていたのですが、やっぱり止まりません。しょせん映画だ、作り話だ、と知りながら、50年前にはあったかもしれない他人を思いやる「善人ワールド」が繰り広げられるたびに涙が出てくるのです。家内も横で泣いているに違いないと思いたいのですが、涙を流しているジジイ(小生のこと)の姿を知られたくないものですから、最後まで家内の表情を伺うことはできませんでした。

映画が終わって、場外に出ると次の観客が長蛇の列をなして並んでいました。やはり団塊の世代とおぼしき夫婦連れでした。ふと思ったのですが、こういう行列の中に、出入り業者の元専務から300回以上もゴルフ接待を受けた前防衛事務次官・守屋武昌さんご夫妻もいらっしゃるのではないかと。守屋さんは1944年生まれ、東北大学法学部を1969年に卒業したといいますから、私と大学は同年、もしかすると奥さんは家内と同じ団塊の世代かもしれません。

ご夫妻は、初回作はご覧になったかもしれません。もしご覧になっていたら、ご自分の子供の頃を思い出しながら、「三丁目の夕日」で繰り広げられた「善人ワールド」に涙を止めることができなくなったでしょう。それとも、しょせん架空の話として斬って捨ててしまわれたのでしょうか。あるいは、夫婦ぐるみの接待ゴルフや高級料亭に慣れきってしまい、単純な「善人ワールド」映画を見る暇などなかったのでしょうか。

2007年11月15日 15:01

いつもニコニコ・稲尾和久の本懐

(07年11月15日筆)

鉄腕は鉄人ではありませんでした。平均寿命80歳になろうとする時代、70歳の若さで鉄腕・稲尾和久は、天に召されたのです。完投そして連投、ピッチャーとして身体を酷使し続けたことが寿命を短くしたのかもしれません。

私は、いま、半世紀前、中学2年生(13歳)の頃の記憶を一生懸命呼び起こしているところです。念ずれば通じる、古いブラウン管テレビの小さな画面から50年前の、球場内アナウンス・ウグイス嬢(いま生きておられれば75歳になりますか)の澄んだ張りのある声が聞こえてきました。

「1番センター高倉、2番セカンド仰木、3番ショート豊田、4番サード中西太、5番ファースト大下、6番ライト関口、7番レフト?(誰だった名前が聞き取れません)、8番キャッチャー和田、9番ピッチャー稲尾」

昭和33年、巨人との日本シリーズ、1勝3敗と崖っぷちに立たされた西鉄ライオンズに奇跡が起こりました。初戦から西鉄3連敗のあと、完投で1勝を上げた稲尾が第五戦もリリーフで登板、好投したのですが、それより鮮烈に記憶に残ったのはバッター稲尾和久の一振りでした。その一振りがサヨナラホームランになったのです。

いまは、ピッチャーは投げるのが仕事という分業主義の監督が跋扈している時代です。ノーアウトでピッチャーに打順が回ってきてもなるべくバットは振らせない、一塁に前打者が出ていればバントをさせるのが、普通です。しかし、投手の多くは高校野球をやっているときには4番を打っていたはずです。稲尾もそうだったといいます。しかし、管理野球が主流のプロになると投手は打ちたい気持ちを殺して打席に棒のように立っているだけです。なかには三振するのが当然だという態度で打席から去る投手も少なくありません。彼らに稲尾のサヨナラホームランを思い出してもらいたいと私はいつも思っています。

私は稲尾和久投手と西鉄ライオンズには特別な感情を持っています。西鉄ライオンズが、にっくき読売巨人軍(私は読売新聞だけはとったことがありません。いまもナベツネが支配するこの新聞を読む気がしません)を日本シリーズで打ち砕き、3年連続日本一になった頃、私は、稲尾和久のふるさと大分県別府市に住んでいました。

稲尾と私の兄は別府緑ヶ丘高校で席も近い級友でした。兄から高校生の稲尾のことをよく聞いたものです。兄はいつもこういっていました。「稲尾クンは、同級生の中でもひときわ背が高く目立つ存在だったが、いつも隅っこにいてでしゃばらず、ニコニコ笑っていた」と。実家は別府湾の漁師、父親が獲ってきた魚を母親が行商して売って生計を立てていたといいます。稲尾は、小さい頃から父親を手伝って和船を漕ぐうちに足腰が鍛えられ、連投がきく身体になっていったそうです。

当時の西鉄ライオンズは、豊田、中西太、大下と、前日大酒を飲み二日酔いでふらつきながら打席に立ってホームランをかっ飛ばすという豪傑ぞろいでした。そんな豪傑の中にあって、稲尾は高校生のときと同じように細い目をさらに細めてニコニコ静かに笑っていたのです。豊田も中西も大下も九州出身ではありません。骨の髄からの九州男児は稲尾でした。しかし稲尾和久は、いつもニコニコ、喧嘩などめったにしなかったそうです。

ライオンズで稲尾につづく大投手になるといわれていたのが池永正明投手でした。池永は残念ながら野球賭博に絡んで球界を永久追放されてしまいます。追放後は福岡で居酒屋の親父になって人生終えようとしていたのですが、その居酒屋に先輩の稲尾がしばしば訪れ、元気を与えつつづけたといいます。稲尾はこれだけではなく、池永の永久追放解除に奔走し、最後はこれを勝ち取ったといいます。池永は、稲尾和久のおかげで「博多ドンタクズ」(シニアリーグ)で再び投げられるようになったそうです。

この世の中、堕ちたら最後です。友人だと思っていた人ほど早く去り、巻き添えを食いたくないといって誰も近づかなくなります。成功している時は褒めちぎっていたジャーナリストムも、池に落ちた犬に石を投げるごとく書き散らし、死に至らしめるのが常です。しかし、稲尾は、池に落ちたからこそ手を差し伸べ、堕ちた人間に再び明るい陽の目をあびさせたのです。

激しやすくて冷めやすい、人情豊かで思い切りがよいというのが九州男児の性格だいわれています。しかし、稲尾は、喧嘩せずいつもニコニコ、誰も知らないところで堕ちた人間に手を差し伸べる。私は、稲尾和久に九州男児の本懐を垣い間見たように思います。

稲尾和久がふるさとに残した別府市民球場(この10月にオープン)が、私が高校2年生まで自転車を漕いで通った別府鶴見が丘高校の裏手、実相寺公園にあるといいます。少し時間ができたら、別府に帰り、別府市民球場内にある「稲尾記念館」に立ち寄って、九州男児の本懐を噛みしめてみたいと思っているところです。

2007年11月 8日 15:58

小沢藩主の切腹未遂騒動・異聞

(07年11月8日筆)
 
小沢一郎兵衛は、自民藩の筆頭家老でしたが謀反を起こし、こともあろうに敵の民主藩藩主におさまっています。先の戦(いくさ)では、戦さ相手の自民藩藩主・安倍晋太夫が家来たちの不始末から気勢をそがれて討ち死に、小沢一郎兵衛は敵の支配下にあった参議院城を奪い取ってしまいました。

討ち死にした若い藩主に代わって新たに自民藩藩主についたのは、秘かに出番をうかがっていた老獪な、かつての若年寄・福田康家でした。しかし、新藩主について喜んでいたのも束の間、福田康家のもとには、跋扈する「ならず者」を成敗するといきりたつ合衆藩藩主・藪(ブッシュ)戦之介から、戦さ場(いくさば)にはやく兵糧をよこせとやいのやいのの催促です。

合衆国藩は、多くの藩がひれ伏す、戦さに強い雄藩です。その藩主である藪殿に忠誠を誓わなければ、近くにいる「ならず者」の攻撃から守ってもらえないかもしれません。他藩は藪殿に従って兵糧どころか兵隊まで出している。「なのにわが藩は…」と福田康家は、この藪殿の催促に困り切っていました。兵糧は、小沢一郎兵衛に奪われた参議院城主の承諾を得なければ出せないからです。
 
この事態に「すわ天下の一大事」と自分の瓦版でまず騒ぎ立て、そのあとで秘かに動いたのが瓦版屋社主・渡邊屋恒助でした。恒助は人気の「球投げ棒振り演技団」も抱えていました。この演技団の人気にあやかり恒助の瓦版は部数を伸ばしてきたのですが、このところ「演技団」の人気も下降気味でした。これに代わって何か人目を引く方法はないかと考えていたところに、福田康家の困惑が伝わってきたのです。この機を逃してなるものか、よしよしと恒助はひざを打ったのです。

恒助には、長く瓦版の「まつりごと」(政)担当記者でした。「まつりごと」担当記者の得意技は、瓦版に書くことそっちのけで、次の自民藩藩主をねらう元藩主の息子たち、それを支える家老たちの間を飛びまわって、根回しをすることです。この得意技が生かせると思ったのでしょう。

相手は、一郎兵衛と康家です。自民藩駆け出しの「洟垂れ侍」だった頃から裏も表も知り抜いています。渡邊屋恒助が小沢一郎兵衛を料亭に呼び出したのは、夏の終わり、参議院城の奪い合いが終わった後でした。
一郎兵衛が座に着くまもなく、恒助が「まあ一献」と口火を切りました。
恒助の話は、たかが瓦版屋にしては、自分がまるで藩主であるかな熱弁でした。恒助のはなしはずいぶん長かったのですが、かいつまんで言えば、
「藪殿の催促などもあって康家が困っておる。ここは戦さをしている場合ではござらん。貧しい民百姓どものためにも、敵の大将・康家と手を組まんか」
というものでした。
熱弁にあおられ、一郎兵衛は、重い口を開き、
「わしは次の戦さで康家が差配する衆議院城をも奪い取る、天下は戦さによって奪い取るものじゃ、藪殿にも唯々諾々従うことはない、と常々家来どもに申してきた、のじゃが……。」
と語尾を濁してつぶやいたのです。
そのあいまいな語尾を恒助が聞き逃すはずはありません。
「のじゃが……、何でござるか」
「うぬ…。家来どもは、戦さを支援してくれる民の機嫌をうかがわず、武器・兵糧の準備もせず、次の戦さも勝ち戦さとやすやす考えておる。わしに"おんぶに抱っこ"されておる体たらくでは、この天下分け目の一戦、勝てぬと踏んでおる」
恒助はここぞと切り替えしました。
「ならばこそ、いまは火急の折、ひとまず康家とむすび、藪殿の催促に応える算段、民百姓の懐を暖める算段をされたらいかがか。戦さはそのあとでも遅くはありますまい」
敵の懐に飛び込み、最後は敵将の寝首をかく――。天下分け目の戦いに勝てぬなら、それも一法と、一郎兵衛には思えたのでしょうか。
一郎兵衛は、
「この話、康家殿もご承知か」
といってしまったのです。
そこからは一瀉千里、最後は一郎兵衛の藩主会談がもたれ、自民藩と民主藩が手を結ぶ寸前までいくのです。

しかし、先の戦さを勝利に導いたわしの言うことであれば、家来はみんな従うはずじゃ、と思い込んでいたのが一郎兵衛の間違いでした。一郎兵衛が、藩に持ち帰り「手を結ぶ」話を諮ったところ、すべての家老たちが怪訝な顔して反対にまわったのです。目算がまったく狂ってしまいました。従わぬ家来の首をはねるか、脱藩して自民藩にもどるか、自ら腹を掻っ捌くか。剛の者だからこそ壁にぶち当たると折れやすい一郎兵衛の性格です。彼が選ぶ道は、自ら腹を掻っ捌く道しかありませんでした。

民主藩藩主・小沢一郎兵衛の切腹未遂騒動はまだまだつづくのですが、本筋に至る前に紙幅が尽きました。時間切れです。本当は瓦版屋・渡邊屋恒助の、瓦版屋(ジャーナリスト)にあるまじき、不遜な政治介入について書こうと思っていたのですが、書ききれませんでした。

歴史漫談小説仕立てで書き始めたのが間違いでした。小説仕立てのエッセイなど、よほど力量がないことには、話がどこへ行くのか皆目検討がつかなくなるものですね。力量不足でした。家来の引止めによって切腹を思いとどまった小沢一郎兵衛ではありませんが、小生も切腹を思いとどまり、本文の下手な小説仕立てを深く反省し、一致団結(といっても私には家内しかいませんが)、次の戦さ(このブログ原稿)での勝利を期します。

2007年11月 1日 14:31

「途上国・資源国リーグ」の盛り上がり

(07.11.1筆)

今朝、アメリカのFRB(連邦準備制度)が、FFレートを何%引き下げたか確認しようと思ってNHKのニュース番組「おはよう日本」を見ていたら、FFレートに勝るとも劣らない、興味深い「特集」に出くわしました。

「特集」では、国内の建設業者がパワーショベルなどの重機械を盗まれる事件が多発しているというものです。なんでも、大規模の窃盗団がアジア人を使って、工事現場などに置かれているパワーショベルなどをトラックに積んで解体工場に運び込み、部分ごとに解体してコンテナに積み込んで海外に持ち出しているそうです。

盗難台数は全国津々浦々、600台以上にものぼるといいます。中古車、銅電線、ステンレス鋼材に始まってついにパワーショベルにまで盗難が拡大しているわけですが、これらの盗難品は中国、ロシア、ベトナムなど途上国に「輸出」されているようです。現地では、中古でも品質の高く、高性能の日本製の人気が高いそうです。けしからん話ですが、なんとなく面映い感じもします。

「必要は発明の母」といいますが、パワーショベル窃盗団は途上国の切実な必要(ニーズ)が産み落とした悪賢い「発明の母」であるといえそうです。窃盗団を「発明の母」と賛美しては不謹慎のそしりは免れません。ここで申し上げたいのは、窃盗団を必要とするほど盛り上がっている途上国の「必要」のほうです。

ブラジル、ロシア、インド、中国の成長途上4カ国をまとめてBRICsと読んでいることはすでにご存知のことと思います。中国のGDPの増加率、つまり経済成長率はこの10年間で平均9.2%、この5年間だけで見ると平均11%を上回り成長が加速しています。インドの10年間の平均成長率は6.6%になります。ロシアやブラジルも高成長国の仲間入りをしました。

実は、これら4カ国のGDP(国内総生産)の年間増加額は、世界最大のGDPを誇るアメリカの増加額を05年、06年と2年連続で上回っています。BRICs4カ国のGDPの増加額は,韓国1国のGDPに相当するといいます(日経新聞「けいざい解読」07年10月14日付)から、大変な勢いです。

このBRICsの高成長が、世界最大の輸入国アメリカへの輸出に依存して達成されたものであれば、サブプライムローン焦げ付きをきっかけに生じるアメリカの消費減、景気後退、輸入減のあおりを受けて頓挫するのは目に見えています。しかし、そうではない状況が生まれてきつつあるように思えるのです。

中国を例に挙げると、高成長のきっかけは確かにアメリカを筆頭にした先進国向け輸出でした。改革開放政策で外資を導入し工場を作り、そこで生産された製品を輸出、それが牽引して第1段階の成長を果たしました。しかし、第2段階では、輸出で稼いだドルでさらに生産設備を買い入れ、設備投資を拡大する一方、道路や鉄道、港湾などの社会インフラ投資、ビルや住宅など都市開発投資を進め、輸出に依存しない内需拡大型の自律成長に転じています。

インドもIT外資の導入から成長の火がつきましたし、ロシアは原油など資源輸出が成長のきっかけになりました。ブラジルは鉄鉱石や穀物の輸出が最初は成長をリードしました。しかし、第2段階では、国内の設備投資、インフラ投資が活発化し、外需依存ではない内需拡大型の自律成長段階に入っています。

サウジアラビアやアラブ首長国連邦、南アフリカ、インドネシア、チリ、ペルーなど資源輸出国は、中国などの旺盛な原油や鉄鉱石、非鉄金属などの資源需要の発生による資源価格高騰で外貨をしこたま稼いでいます。しかし、これまでのように稼いだ外貨をぜいたく品輸入などで消費するのではなく、国内のインフラ投資や設備投資に回してはじめ、これも自律成長をはじめています。

私は、BRICsなど途上国とサウジや南ア、インドネシアなど資源国を合わせて「途上国・資源国リーグ」と呼んでいます。このリーグが内需拡大型の自律成長を始めたとすれば、世界経済に新たな成長エンジンが備わったことになります。このリーグには、製造設備や建設機械、プラント建設の技術がありません。したがって、彼らの設備投資や社会インフラ投資は必ず日本をはじめ先進国からの輸入を誘発します。冒頭で紹介したパワーショベル窃盗団は、この「必要」から生まれたものです。

しかし、その途上国の輸入が世界経済のあらたな成長エンジンになるのです。これまで世界の輸入の多くはアメリカの旺盛な消費に依存してきました。アメリカがくしゃみをすれば、日本をはじめ輸出国は風邪をひくといわれてきました。今、アメリカは住宅バブルの崩壊によってくしゃみ(景気後退が来るぞ)を連発しています。しかし、輸出国はあまりひどい風邪をひかないですむかもしれません。「途上国・資源国リーグ」への輸出が期待できるからです。

アメリカの多国籍企業も「途上国・資源国リーグ」への輸出で稼ぎ、株価を維持しています。日本株の年初からの主役は、建機、海運、商社、鉄・非鉄などでした。彼らも「途上国・資源国」リーグへの輸出で大きな利益を上げ、株価を上昇させてきました。

ウォール街では、この「途上国・資源国リーグ」の自律成長による世界景気のアメリカ離れを「デカップリング(分離)」と呼んでいるそうです。この「デカップリング」相場が今後も続くのか、つまり世界景気のアメリカ離れが本物なのか、アメリカの景気後退が進展するこの秋以降に本格的に試されることになります。

プロフィール
ニックネームさん
大西良雄(経済ジャーナリスト)
上智大学卒業後、東洋経済新報社に入社。記者を経て「月刊金融ビジネス」、「週刊東洋経済」編集長を歴任。出版局長、営業局長の後、常務第1編集局長を最後に独立。早稲田大学オープンカレッジ講師のほか講演・執筆活動。
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