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大西良雄ニュースの背後を読む

2007年7月

2007年7月26日 11:37

参議院選挙の勝者は誰か

(07年7月27日筆)
 
新聞・テレビ、おおかたの世論調査では、明後日29日の参議院選挙では、自民党が記録的な敗北を喫し、自公合わせても参議院での過半数割れが必死の情勢になっています。まだ態度を決めかねている無党派層(私もそうです)もかなりいますので、過半数割れが確かかどうか、票を開けてみないと分からないところがあります。
 
かりに自公が負け過半数割れが実現すれば、この参議院選挙の勝者は、労働組合だったという皮肉な結果になります。

国民の激しい怒りを買っている年金記録消失問題は社会保険庁の職員によって引き起こされたものです。職員の怠慢を正当化したのは、自治労に属する労働組合です。彼らの怠慢が、自公敗北の引き金を引くことになります。

勝利が予定されている民主党・比例区の名簿上位候補者をごらんください。民間労組、官公労など労働組合の幹部がズラリ、並んでいます。これらの労働組合の幹部は、傘下の正規社員の権利確保を優先して、パートや日雇い派遣などワーキングプアといわれる非正規社員の無権利状態に目を瞑ってきました。選挙のもうひとつの争点である格差問題は政権与党だけが責められるものではありません。非正規社員を放置した労働組合幹部にも責任があります。

私は、従業員組合の委員長経験があります。ジャーナリストとして他の労働組合の研修会の講師をなんども務めました。ですから、組合活動に理解がないわけではありません。しかし、昔でいえば貴族院、いまは良識の府とされる参議院の議員として労組の幹部がふさわしいとはとても思えません。彼らに労働組合という一部の利権を超えた公の利益を議論する良識があるとは思えませんし、彼らにとっては参議院議員が労組幹部リタイヤー後の天下り先のようなものなのですから。

もうひとつ敗北原因は、事務所経費をめぐる二人の農水大臣問題ということになります。
国会議員の事務所経費のごまかしなど、清潔が売り物の一部の組織政党議員を除き、ほとんどの国会議員に共通する疑惑だと推察されます。これも政権与党や大臣だけが責められるものではないでしょう。何より政治と金の問題がいまだに選挙の争点になるという日本の政治の後進性と品格のなさに唖然とするほかありません。

これとは直接関係はありませんが、野党のマニフェストでは、内容に少しずつ違いはありますが、農家への所得補償制度の導入が謳われています。これは、農水大臣の不祥事の悪乗りした噴飯ものの提案です。わずかな所得保障をしてみたところで農産物の自給率が高められることなどありえません。農業後継者の減少に歯止めをかけるには、農業で暮らしていけるだけの収入、競争力がある農業をつくり出すことです。産業としての農業の最大の阻害要因が、農協組織と農地法にあることは明らかです。この改革なしに、選挙目当ての掴みガネをぶら下げて、野党が勝利してもむなしさが残るだけです。

ついでに言いますが、所得保障は国民全体に公平に行われるべきです。同じ国民でありながら農家だけが所得保障を受けるとすれば、都市の資産をもたない低所得高齢者、老人、ワーキングプアにも所得保障をすべきです。そうしなければ、同じ日本人としての公平性は確保できません。政党は、社会保障や医療保障、生活保護、最低賃金の引き上げなど、どの国民にも、どの職業者にも共通して平等に与えられる「所得保障」を設計すべきです。

選挙民はいま、社会保険庁職員の不始末やワーキングプアに代表される格差問題に感情的になり、その問題発生の背後にいる労働組合幹部を参議院議員にしようとしています。そして、膨大な農協職員の給料を稼ぐため働いているような農業者である現実に目を背け、地方格差の解消に名を借りた国民に差別的な農業者保護を導入しようとしている野党に投票するには、躊躇するものがあります。

かといって、「戦後レジュームからの脱却」などと言って、戦後の発展をもたらした平和や民主主義を否定し、いたずらにナショナリズムを高揚する自民党に投票するなど私にはとうていできないことです。そんな自民党に、国民は参議院選挙敗北というお灸をすえるのは、国民の絶妙なバランス感覚とも思えます。

民主党代表の小沢一郎氏は、自民党を脱党したとき、たしか、規制緩和を激しく主張する新自由主義者だったはずです。それが、選挙目当てなのか、格差是正論者、農業者、中小企業保護論者に変質してしまっています。

そんな、こんなを考えていると、29日に投票場に足を運ぶのが億劫になります。私は、まだ投票先を決めていない無党派層であることを、痛感しながら、この文章を終えます。

2007年7月19日 15:16

宮沢喜一元総理の死と保守本流の死(3)

(07年7月19日筆)
 
1992年夏、宮沢総理は経団連の軽井沢セミナーで政府の最高責任者として初めて銀行への公的資金の投入に言及しました。当時、銀行への辛らつな批判を展開していた佐高信さんから「大西さんは銀行に公的資金を入れるべきかどうか、どう思うか」という電話があったことを記憶しています。

私はもちろん「即座に投入すべきだ」と応えました。これより前、週刊東洋経済では「銀行は大丈夫か」と題した特集を組み、銀行の不良債権は29兆円に達するという内部資料をすっぱ抜き、このまま放置すると大変な事態を招くと警告していたからです。

宮沢総理は蛮勇を奮って銀行に公的資金を投入するべきでした。そうすれば、こんなに長期間、平成大不況が続くことはなかったと思います。しかし、宮沢総理は、世論の激しい銀行批判に身がすくんだのか、投入に踏み切らなかったのです。知性派の気弱さが出たといえます。

私は、このときの宮沢総理を悪くはいえません。編集長だった私も、社内の正義派記者たちの風圧を感じて「銀行は自立できる」(不良債権を銀行は自力で処理できるという内容)でという巻頭特集を組んでしまったからです。

石橋湛山は、昭和金融恐慌に際して、不良債権を抱え込んで行き詰まった台湾銀行を「救済せよ」と主張しています。世論のきびしい財界批判をものともしない孤高の論説でした。企業や財界の不正などという「小さな社会的不正義」を糾すことより、銀行救済によって不況の深化や金融システム不安という「大きな社会的不正義」を取り除くことのほうがいまは大切だ、と湛山は言っているのです。私は平成金融恐慌を前に、「小さな正義」を振りかざすジャーナリズムの空気、風圧に負けて、「公的資金投入論」を退けたのです。

実は、宮沢さんは平成バブル発生の遠因を自ら作り、その責任感から「公的資金の投入」によってバブル崩壊の事後処理をしようとしたともいえます。

バブル発生の遠因(種)は、彼が、竹下登内閣で副総理兼蔵相として経済政策の実権を握っていた時に撒かれました。86年のプラザ合意後、急激な円高によって日本経済は後に「円高不況」と名付けられた深刻な不況に遭遇します。この不況の処方箋として宮沢蔵相は、典型的なケインズ政策である大幅な金融緩和と財政支出を行い、それが行過ぎて平成バブル発生の遠因になったといわれています。

前川春雄・日銀前総裁がまとめた「前川レポート」が、円高の原因を内需の不足に求めたことも拡張政策に論拠を与えました。前川レポートは、「円高の犯人は日本にある」と思わせるものでした。日本が、内需を拡大し輸入を増やして貿易収支の大幅な黒字を解消し、円高を抑制するという議論です。しかし、宮沢さんのかつての盟友だった下村治博士は、貿易不均衡は日本だけにあるのではなく、貿易赤字を垂れ流す相手国アメリカにもあると指摘していました。

下村博士は、貯蓄不足なのに消費過剰、そのうえ財政赤字を垂れ流し、輸入を拡大しつづけドル安を放置している「アメリカが悪い」と断じたこともあります。国際派の宮沢さんは、財政赤字と貿易赤字の双子の赤字を垂れ流すアメリカに注文をつけるべきだったのではないでしょうか。

ケインジアン宮沢喜一氏は、この後もう一度間違いを犯すことになります。総理を退陣して五年後、小渕内閣で蔵相に就任します。このとき宮沢さんは、元総理で蔵相として再登場したのですが、昭和恐慌からの脱出のため請われて蔵相に就任した高橋是清・元首相になぞらえて、「平成の是清」と呼ばれました。
是清は、ケインズが「一般理論」で不況対策としての有効需要論を展開する前に、赤字国債の発行を財源として多額の財政出動を行なって需要不足を補うというケインズ政策を断行、恐慌からの脱出に見事に成功します。小渕内閣は、平成不況からの脱出をケインジアンの宮沢氏にゆだねたのだと思います。

宮沢さんは、小渕、森の2内閣で3年間蔵相を務め、期待どおり伝統的なケインズ政策を駆使し、減税や公共投資などの財政出動によって経済にカンフル注射を打ち続けました。注射が効いているうちは、日本経済は何とかプラス成長に転じたのですが、注射をきらすとすぐにまた悪くなるのです。ケインズ政策は、注射しているうちに経済が自立的に上昇していくことを予定したあくまで呼び水にとどまります。注射をきらすとまた悪くなるというのでは、呼び水とはいえません。

この効かないカンフル注射は、後世代に大きなツケを残しました。宮沢さんは是清に習って赤字国債を出しつづけましたが、景気回復による税収増、赤字国債の償還をもたらさないまま、それは結果として日本を世界最悪の赤字国債累積国にしてしまったといえます。この赤字国債つまり国民の借金は、私たちの息子や娘、孫たちが支払わなければなければならないのです。

宮沢さんは、日本経済の陥った病いの原因を需要不足に求めケインズ的な拡張政策を断行したのですが、戦前の昭和恐慌時のように総需要はそれほど大きな落ち込みを見せてはいませんでした。平成デフレ不況といっても、物価や賃金が戦前のように30%も40%も下落するといった恐慌ではありません。不況の原因は、需要側ではなく過剰雇用、過剰設備、過剰債務という供給側が抱える「三つの過剰」にあったといえます(この不況の原因については学者の間でも議論が対立しているところですが)。

平成不況からの脱出は、「財政出動をしない」と宣言した小泉内閣になって初めて実現したといえます。民間は、政府がカンフル注射をもう打ってくれないのですから、自分で自分の経営上の不始末(「三つの過剰」)を解消して立ち直ることしかなかったのです。「もうお上には頼らない」と経営者が考え、自らも従業員も血を流すことを覚悟してから、日本経済は平成不況にピリオドを打つことができたといえます。

宮沢喜一氏は、すばらしい経済通でしたが、「遅れてきたケインジアン」だったのではないでしょうか。湛山も是清と並ぶ元祖ケインジアンですが、いま湛山が生きていれば、昭和恐慌と平成不況の差を見極めて新たな処方箋を書いたに違いありません。処方箋を取り違った結果、膨大な赤字国債が残りました。企業が「三つの過剰」を解消した結果、格差社会が生じてしまったといえます。
 
格差社会については、今後も折に触れ書きたいと思います。最後に、保守本流の死は、「古き良きケインジアンの死」であったとしても、「軽武装・国際主義の死」であってはならないとするのが筆者の立場であることを付記しておきます。

2007年7月12日 14:14

宮沢喜一元総理の死と保守本流の死(2)

(07年7月12日筆)

 田中秀征さんは前日の論考「保守本流枯渇でいいのか」に中で、「宮沢氏は吉田茂、池田勇人両元首相のいわゆる『保守本流』の嫡流だが、同時に石橋湛山元首相の系譜にも属しており、本人もそれを自覚していた」と書いています。

 池田元首相から発する宏池会は、加藤紘一の乱以降、いまは3グループに分裂し見る影もありませんが、戦後の日本を発展させた「軽武装、経済成長重視・国際主義」の牙城でした。大蔵省の傍流に位置していたその池田勇人を事務次官に抜擢したのが、第一次吉田内閣の蔵相に起用された石橋湛山(当時は民間人)でした。

 蔵相としての石橋湛山の活躍は、目を見張るものでした。そのひとつが、昭和21年7月に行った財政演説です。湛山は、自分で書き下ろしたこの演説で生産復興を第一とする積極財政論を展開します。当時、経済学者やジャーナリズムの大勢は、積極財政は通貨の増発を招き、ハイパーインフレをもたらす、インフレを防ぐためにむしろ緊縮財政で行くべきだというものでした。

 これに対して湛山は、ケインズの『一般理論』を援用して、「かつて英国のケインズ卿は、真の意味のインフレなるものを定義し、経済がすでにフル・エンプロイメント(完全雇用)の状態を示し、あらゆる生産要素、すなわち人も設備もすでにフルに稼働している場合において、なおその上に購買力が注入されるときに起こる現象であるといった」と演説したのです。

 そして湛山は、「終戦以来の日本は、はなはだしいアンダー・エンプロイメント(不完全雇用)の状態にあり、現在の物価騰貴は、完全雇用状態の元で発生する真の意味のインフレではない」と主張しました。不完全雇用状態にありながら、インフレが続いているのは、戦争によって生産設備が破壊され供給力が極端に不足しているためであり、積極財政によって需要不足を補い、生産力の回復を誘導すること、つまり供給を増加させることがインフレを抑圧することになる、と湛山は力説したのです。

 この湛山の生産力・成長力重視の考え方は、緊縮財政によってもたらされたドッジデフレを経て、石炭やセメントの増産に資源を重点配分する傾斜生産方式、その後の池田内閣の所得倍増計画に受け継がれて、花開きます。池田を師と仰ぐ大蔵官僚・宮沢喜一(池田総理当時は経済企画庁長官)は、下村治博士と一緒になって所得倍増計画の立案に力を注ぐのです。宮沢元総理が、彼のブレーンでもあった田中秀征さんに「湛山の系譜にも属している」と伝えたのは当然だといえます。師の池田が湛山の申し子だったのですから。

 実は、宮沢元総理は第1次吉田内閣の時、湛山蔵相がホイットニーGHQ民政局長などと交渉する際の通訳をかねた随行員でもありました。湛山は、GHQに対して、終戦処理費をめぐる進駐軍の乱費などに抗議しながら、厳しく終戦処理費の削減を訴えました。湛山は、その占領軍権力にもひるまない姿勢があだとなり、まったく故ない理由で公職追放の憂き目を見ることになります(湛山の公職追放の背後には湛山の台頭を嫌った吉田首相がいたという説もあります)。

 その湛山の通訳・随行員であった若き宮沢喜一氏ですから、経済政策ではケインジアン(あるいは経済成長派)、外交では軽武装・国際主義(護憲、最小限の自衛力、国連重視、外交による紛争解決の考え方)の湛山思想に共鳴したに違いありません。宮沢氏は、独学で英語力を磨きその会話力でアメリカの枢要に食い込んだといわれています。日本の知性として海外に信頼された背後には、占領軍との交渉で一歩も引かなかった湛山の影響もあったのでしょう。

 ちなみに宮沢さんは死の床でも英字紙を読んでいたといいます。湛山は静岡2区での選挙活動中も英字紙を読んでいたと、早稲田の学生の頃湛山の選挙を手伝ったという渡部恒三(衆議院元副議長、民主党)さんから聞かされたことがあります。英語力も国際外交感覚も湛山から学んだのではないでしょうか。

 私は、湛山の4年間もの公職追放がなければ、池田勇人も宮沢喜一も、吉田茂ではなく石橋湛山を担いで「保守本流」を形成していたのではないだろうかとさえ、空想します。もちろん、官僚上がりの池田・宮沢が民間ジャーナリスト出身の湛山を担ぐかどうか、疑問のあるところですが、彼らが湛山を担げば、宏池会ではなく「宏湛会」とでも言うべきもっと骨太の「保守本流」が形成されていたに違いありません。秀征さんが「枯渇した」と嘆くような保守本流にはならなったはずです。

 話を戻しますが、宮沢氏は、その前半、池田総理の高度成長路線を成功させるのに大きな功績があったことは間違いないところです。しかし、その後半、竹下内閣の副総理兼蔵相になった頃から、その経済政策に誤りが目立ち始めます。あまりにもケインズ政策・積極財政を墨守しすぎたからです。紙幅が尽きました。その誤りのツケを現在の国民が背負わされていることを次回述べます。


2007年7月 5日 17:48

宮沢喜一元総理の死と保守本流の死(1)

(07年7月5日筆)

このブログで私は、宮沢元総理の死に絡めて、宮沢さんが吉田茂、池田勇人以来の自民党の本流思想である「軽武装、経済成長重視・国際主義」の政策系譜が失われ、「重武装、経済無知・民族主義」の自民党亜流思想が台頭していることに苦言を呈しようと思っていました。

ところが本日(7月5日)の朝日新聞の朝刊「オピニオン」の欄に田中秀征(元経済企画庁長官)さんが「宮沢氏死去―保守本流 枯渇でいいのか」と題して論文を書かれていました。先を越されたと臍をかんだのですが、秀征さんと私は石橋湛山思想を媒介に考えが似ていることもあり、親しくお付き合いしたこともありました。その秀征さんを通じて「保守本流の思想が日本から枯渇してはならない」ことを述べたいと思います。

秀征さんは、宮沢派の理論派議員として宮沢総理の側近でしたが、武村正義さんとともに「新党さきがけ」を起こして自民党を離脱、細川護熙氏(日本新党)と連携、小沢一郎氏の協力を得て、細川政権を誕生させた立役者です。

秀征さんの選挙戦(選挙区は長野県)は一風変わったものでした。選挙では、候補者は、選挙民に金を渡して演説会に来てもらうか、ただで選挙民に来て貰うかというのが普通ですが、彼は、選挙民から自分の立会演説会で木戸銭を取った唯一の自民党候補でした。貧乏な政治家ですから、当選回数よりも落選回数のほうが多い政治家で、それを恬として恥じない、選挙民に媚を売らない政治家でした。

このブログを運営している早稲田大学の大先輩・石橋湛山(元総理)は、静岡・沼津近辺が選挙区でした。彼も選挙中、天下国家や政策は盛んに論じましたが、ついぞ地元に利益を誘導するような演説をしたことがなく、地元の選挙参謀をやきもきさせたといいます。秀征さんも石橋湛山のようだなと思っていました。

私が秀征さんの「木戸銭」の話を聞かされたのは、「激辛評論家」で鳴らしていた佐高信さんでした。佐高さんは、名もない経済雑誌編集長だったとき秀征さんと知り合い、長い付き合いになったといいます。当時「週刊東洋経済」の副編集長だった私は、一風変わった田中秀征議員に興味がわき、佐高さんに紹介方お願いしました。お会いして食事をしながらいろいろお尋ねすると秀征さんは「私は石橋湛山の孫弟子です」というではありませんか。政策本位で貧乏な政治家であることを恬として恥じないのは湛山譲り、似ているはずです。

田中秀征さんは、東大教養学部を卒業後、石田博英代議士(早稲田大学出身、日経新聞記者を経て衆議院議員)の政策秘書になったといいます。石田博英(元労相)は後年バラの愛好家、美人コンテスト審査委員と知られていますが、石橋政権誕生の立役者で、総理・湛山の女房役・官房長官になった人物です。湛山の一番弟子を任じる石田の政策秘書をしていた秀征さんが「湛山の孫弟子」というのは当たり前のことです。ついでですが、石田博英のもう一人の秘書が「政界の牛若丸」といわれた山口敏夫(後に労相)ですが、いまスキャンダルを起こし刑事被告人になっています。

石橋湛山は、私の属していた東洋経済の大先輩であり、その直系と自称・自認する私としては、「湛山の孫弟子」と聞いて秀征さんを「週刊東洋経済」の常時執筆者に加えないわけにはゆきません。早速、秀征さんに、佐高信さん、石川好(「ストロベリーロード」を書いた作家)さんらと組んで月一回輪番のコラムを書いてもらうことにしたのです。

私は、そうこうしている内に「週刊東洋経済」の編集長に昇格しました。あるとき、秀征さんから野太い声で「編集長に頼みがあるのだが」という電話がありました。私は、この電話が、その後の宮沢・保守本流政権の崩壊、細川改革政権の誕生の、ひとつの複線になろうとはついぞ思っても見ませんでした。

秀征さんの頼みごととは、「私は日本新党の細川護熙とは面識がない。しかし彼の言っていること、政治姿勢には共感できることがたくさんある。君が仲介してくれれば細川と逢いたい。東洋経済で細川・田中対談を仕掛けてもらえないか」というものでした。私がその当時編集執筆した「週刊東洋経済」の対談記事を、いま読み返してもたいした記事ではないのですが、対談の後がその後の政局に大きな影響を与えたようです。

実は、東洋経済での対談を終えたあと、細川・田中両氏は、場所をパレスホテルに変えて実に3時間、日本の政治の将来を語り合ったといいます。このパレスホテル会談が、さきがけと日本新党連携の基盤になる「制度改革研究会」(細川政権の母体)につながったというのです。この対談後の話は、秀征さんが細川総理の首相補佐になって官邸入りした直後に秀征さんから聞かされました。

聞かされた私は、驚きもしましたが、日本の政治を変えてくれる細川政権が成功してくれることを心から願い、その細川政権の誕生にほんのわずかですが貢献することができた自分に興奮したことを覚えています。
(以下次号につづく)

プロフィール
ニックネームさん
大西良雄(経済ジャーナリスト)
上智大学卒業後、東洋経済新報社に入社。記者を経て「月刊金融ビジネス」、「週刊東洋経済」編集長を歴任。出版局長、営業局長の後、常務第1編集局長を最後に独立。早稲田大学オープンカレッジ講師のほか講演・執筆活動。
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