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大西良雄ニュースの背後を読む

2007年5月

2007年5月31日 09:39

62歳の自死 

(07年5月31日筆)

赤坂の議員宿舎で自死した松岡利勝農水大臣は、終戦の半年前、昭和20年2月生まれでした。私も同じ年の生まれですが、4月生まれですので松岡さんは2ヶ月ほど年上、学年も1年先輩になります。団塊の世代のちょっと前、父親が兵隊に取られていたので、出生数が最も少ない年です。

松岡さんのふるさと熊本県の阿蘇は、「やまなみハイウェー」を通れば、私が育った大分県別府温泉から湯布院を経て久住高原を越えると姿を現します。美しい阿蘇山の広大なカルデラ盆地で彼は育ったのです。私も阿蘇山のふもとへは高校生のころ、美術部の先生に引率されて写生旅行に伺ったことがあります。ふもとからは噴煙よりも阿蘇中岳の荒々しさに圧倒されました。

松岡さんは、同じ62歳。私の育った中九州の隣県・熊本の出身ということですから、その自死はひとごととは思えません。多分、小学生、中学生のときは成績優秀、だから熊本市内にある名門進学高校に通ったのでしょう。ほんらいならばエリートコースの東大、九大、早稲田、慶応に行きたかったに違いありません。しかし、松岡さんは、鳥取大学の農学部に進学せざるを得ませんでした。高校では成績が思ったほど上がらなかったか、あるいは家庭になにか事情があったのでしょう。

彼は、地方大学を出て当時の農林省に採用されました。都会育ちの人には分からないと思いますが、採用されたとき、松岡青年には、東京の、しかも日本の中枢部で仕事をするという高揚感があったと思います。おなじ田舎出の私にはその気持ちがよくわかります。

成績のよい東大卒が採用される大蔵省や通産省は一流官庁でしたが、農林省は二流官庁でした。その二流官庁の子会社のような林野庁が彼の仕事場だったのです。しかも、その林野庁でも鳥取大学農学部出身ですから、キャリア採用であったとしても、先は知れています。同じ官僚であっても、一流官僚と二流官僚、松岡さんのような三流官僚の間には、処遇、権限に大きな格差があります。松岡さんは、官僚生活の中で悔しい思いをしたに違いありません。

負けず嫌いな松岡さんは、その悔しい思いのはけ口を政治家に求めたのかもしれません。政治家が官僚を使っているのか、政治家が官僚に使われているのか、日本ではよく分からないところがあります。しかし、飾りであっても建前上は選挙で選ばれた政治家が官僚の上に位置することは間違いありません。政策に精通してさえいれば官僚に馬鹿にされず、次官であれ、なんであれ、下級官僚の自分を見下していたエリート官僚を怒鳴りつけることもできる。松岡さんは、官僚を怒鳴りつけることのできる政治家、故・中川一郎議員を師と仰ぎ、政治家になることによって官僚生活の悔しい思いを解消する道を選んだのでしょう。しかし、それが彼の自死の始まりだったような気がします。

政治家は、選挙に勝つことがすべてです。選挙に負ければ政治家でもなんでもない、ただの人に過ぎません。松岡さんには地盤も看板もありません。金をばら撒くしか勝つ方法はないのです。どこからカネを調達したのか、初出馬のとき、カネをばら撒き、松岡陣営から選挙違反者を出しています。当選後は地盤を培養するためにせっせと地元に利益を誘導しました。緑資源機構の談合関与(死人に口なしで曖昧になってしまいそうですが)など氷山の一角に過ぎないと思います。その見返りに政治献金を業者から受け、そのカネをまた選挙に勝つためにばら撒く......。松岡さんは、金もかからず、知名度だけで当選する二世議員やタレント議員には思いもよらない「辛酸」をなめていたようです。

松岡さんには、大臣になる前からカネと利権にまつわる黒い噂が飛び交っていました。われわれ記者仲間では「真っ黒な松岡先生」としてよく知られ、どの総理もよもや大臣に登用することはないであろうといわれていたほどでした。そんな風評のもとで松岡さんは念願の農水大臣になったのです。あごで使われていた下級官僚が、エリート官僚を怒鳴りつけることのできる立場にようやくなったのです。本当にうれしかったと思います。

しかし、その有頂天の松岡さんを襲ったのは、「真っ黒な政治家」としての過去を執拗に暴くマスコミでした。「なんとか還元水」なんぞは小さな問題に過ぎません。過去の松岡さんをめぐるカネと利権にまつわるネタは新聞記者のネタ帳にいっぱい眠っていたのです。その突破口が、東京地検特捜部による緑資源機構の談合事件にからんだ松岡さんの地元捜査だったと思います。数々の政治家汚職、「巨悪」解明に力を発揮した東京地検特捜部です。その捜査が自分の選挙区に及べば、松岡さんは、「自分がいずれ逮捕される」と思っても不思議はありません。

大臣の席を奪われるのはまだしも、逮捕されて待っているのは拘置所と取調室、それが終わって裁判所通い、マスコミの悪人報道、考えるだけでいやになることばかりです。松岡さんは、墓穴を掘ったといってしまえばそれまでです。 

松岡さんは、自死を選ぶにあたり、いろんなことを考えたと思います。
「阿蘇の農家、鳥取大学農学部、下級官僚から大臣にまでなった自分のこれまでの努力はいったいなんだったのだろうか、自分と同じようなことをしている政治家は他にもたくさんいるのに、私が狙われたのは成り上がり政治家だったからなのだろうか、これからマスコミに悪人に仕立て上げられ、家族も社会から村八分の扱いを受けるのではないだろうか、私の62歳以降の人生に何か良いことが残されているのだろうか」などなど。

強そうに見える人間は、極限に遭遇すると案外もろいものです。弱そうに見える人ほどいざというときに強いものです。政治家は強く見せなければなりません。自分で間違っていることをわかっていても、間違いを認めれば政治生命を失います。そんな政治家に、下級官僚から転じた松岡さんですが、やはり転じたことが自死の始まりだったとしか思えません。

以上いずれも、同じ歳、隣県出身の田舎者の、私の推測です。失礼の段お許しください。

2007年5月24日 09:57

マスコミの価値と高賃金の関係

(07年5月24日筆)
 
私は8年間、出版社の役員を経験しましたが、一年のうちもっとも憂鬱な季節が、世間では桜の花咲き気分も高まる4月、春闘の頃でした。役員として一番いやな仕事、労働組合との賃金・賞与をめぐる団体交渉(以下 団交)が待っているからでした。

出版界の賃金交渉は、冷静で理屈の通る一般の労使交渉とはやや趣を異にします。団交の席上、組合側から、賃上げできない、賞与を増やせないのは、経営者が無能で業績を上げられないからだ、と罵倒されるはいつものことです。

誤解を招くといけないので付け加えておきますが、賃金交渉時以外の時は、私の属していた会社の組合員諸君は、ジャーナリズム業界でも珍しく「紳士淑女集団」と褒め称えられています。個が組合という場で集団になると、野獣に化けてしまうようです。

「では、君たちは業績を上げるために会社にどの程度貢献したのか」と問い返したい気持ちは山々ですが、業績という結果については経営者に第一義的に責任があるのです。その罵倒は甘受せざるをえません。甘受できないのは、「われわれの賃金はまだ低い」という組合側の主張です。彼らはさらに高賃金の他の一部大手出版社(漫画雑誌の利益が経営を支えていた)と比べて「まだ低い」といっているのです。

私は、取次ぎや書店、印刷会社の取引窓口である営業局の局長もやりましたので、出版界で比較するのなら、われわれ出版社を支えてくれている取次ぎや書店、印刷会社の賃金水準、あるいは安い印税や原稿料で文句も言わず書いてくれているフリーのライターや評論家とも比較すべきだと思っていました。彼らに比べれば、「われわれの賃金は図抜けて高い」のです。製造業など世間一般の賃金水準と比べても「図抜けて高い」ことは言うまでもありません。

役員退職の最大の喜びは、もう団交で罵倒されなくて済む、常識はずれで理不尽な要求にもう反論しなくてもいいということでした。そう思っていたところ、古巣の会社の旗艦雑誌「週刊東洋経済」が私の考えを実証してくれる巻頭特集を組んでくれています。07年5月19日号の「この先、落ちる職業、上がる職業『未来時給』」という特集です。職業選択に役に立つと思いますのでぜひご覧ください。

その巻頭特集に興味深いデータがいくつか載っていました。驚かされたのは、「職業別の世界時給番付」です。21職種を国際比較しているのですが、そのうち日本は11職種で世界トップ3にはいっています。

その11職種中、日本が世界でも断トツに高い職種が「記者」という職種でした。「記者」とは新聞記者、雑誌記者、テレビ局の放送記者(記者の中でももっとも高い)のことを言います。もちろん会社所属の記者でフリーの記者ではありません。私は、なんと世界一高い時給をもらっている「記者」と同列の賃金観を持っている社員たちに「賃金はまだ低い」と罵倒されていたのです。

もう一つ、この特集から興味深いデータを紹介します。「40歳時給ランキング」です。会社員だけではなく医者や弁護士などとも時給を比較しているのが面白いところです。時給番付のトップは医者でも弁護士でもありません。

第1位はフジテレビジョンで、40歳社員の時給はなんと7747円(年収1586万円)です。パート時給の10倍です。テレビ朝日やTBSなど他のキー局の社員時給も同じようなものでしょう。ちなみに2位は7030円の航空機パイロット(JALの経営がうまくいかないのは高賃金、ひいては組合に問題があると思います)、3位が電通の6699円、4位にようやく弁護士の時給6666円となっています。

どのテレビチャンネルをひねっても、出てくるのは、お笑い芸人と元スポーツ選手、役者、役人、政治家、奇妙な評論家たちが騒ぎ立てるバラエティー番組ですし、ジャーナリズムかエンターテイメントか、分かりかねる報道番組ばかりです。そんな番組を作っている放送局の社員が、とてつもない高賃金を食んでいるのです。そのお相伴に預かっているのが電通など広告代理店の社員なのです。こんな民放番組に宣伝効果だけ挙がればよいと、目の飛び出るようなテレビ広告代を支払っているスポンサー会社の良識を疑います。

実はテレビ局も新聞社も出版社も、政府によって保護された産業であることを皆さんご存知ですか。テレビ局は電波法による免許業種(参入障壁がある)、新聞も雑誌も書籍も最後に残された再販価格維持禁止の適用除外業種(価格が守られている)なのです。こうした保護産業には、保護を撤廃したケースに比べ、明らかに超過利得が発生しています。その超過利潤が従業員に分配され、かれらの高賃金に化けていることなるのです。

私も、「記者・編集者」として長年その超過利得の恩恵に浴してきましたので、あまり大きなことは言えません。ただ、その世界一の高賃金が何によって誰の犠牲と支援によってもたらされているか、知っておくべきだと思います。会社所属マスコミ人には、社会へのよい意味のインフルエンス(影響力)を与え続けるために、その高賃金に見合った十分な働きをしてもらいたいと思っています。


 

 

 

2007年5月17日 14:37

トムソン、ロイター買収への感懐

(07年5月17日筆)

つい最近まで経済ジャーナリズム経営の現場にいた私にとって、カナダのトムソンによるロイターの買収ニュースは、ある種の感慨をもって聞くほかありませんでした。

ロイターは、日本で言えば共同通信や時事通信と同じ、多くの記者を世界に配置し世界のジャーナリズムにニュースを配信する名門通信社と知られていました。私は、ロイターは独立性や中立性に神経質なジャーナリズムに本籍を置くことから、それを犯す他人資本の買収からは遠い存在だと思っていました。

しかし、ロイターは、すでにジャーナリズムから離れ、金融機関や機関投資家など法人にネット端末を置いて金融経済情報を配信するネット・ビジネスに転じていました。カナダに本社を置く金融情報サービスのライバル会社トムソンに2兆円強(邦貨換算)で買収されても不思議はないのです。

オーストラリア出身の買収王ルパート・マードックは、ソフトバンクの孫正義社長と組んで日本のテレビ会社を買収しようとしたことがある御仁です。彼は、今度はウォールストリート・ジャーナル紙(日本で言えば日本経済新聞に相当)を擁するダウ・ジョーンズを買収しようと画策しているようですが、彼に言わせると「経済情報の魅力はカネになること」なのだそうです(日経新聞07年5月16日付)。

ロイターは、新たにトムソン・ロイターとして再出発し、金融情報サービスでブルンバーグ社と覇を競うことになりますが、マードック氏のいう「経済情報はカネになる」ことをさらに強めていくことになります。「経済情報はカネになる」のは、経済情報が、世界の株式、為替、債券、資源などの取引を行うマネービジネスに使われるからです。高い情報コストをかけてもマネー取引で大きな利ざやを稼がば、そんなコストは端ガネになるからです。

ロイターやブルンバーグの記者たちは、いまやジャーナリストではなく、マネービジネスの奉仕者の感があります。日銀総裁が講演などをしている場にはもちろんロイターやブルンバーグの日本人記者が詰め掛けています。彼らは、総裁の一言一句を書留め、書きとめた記者からリレー方式によって分刻みで談話を電話送稿するのが仕事です。

金利の予測の元になる日銀総裁の一言一句は、世界の株式や債券、為替のトレーダーの元にインターネットを通じて直ちに届けられます。どんな時間でも世界のどこかの取引所は開いていますから、トレーダーたちは瞬時にそのニュースを咀嚼して株や為替、債券の売り注文、買い注文を出すのです。マネービジネスの世界では、明日の新聞朝刊を待っていられないのです。

日本のロイターやブルンバーグに転職していった新聞・雑誌の記者たちを何人も知っていますが、時間を争う断片情報の絶え間ない垂れ流しという仕事に耐え切れず、再び転職先を探している記者が少なくありません。取材分析そして執筆とそれなりの時間をかけて考えて記事を書くというのが、ジャーナリストの仕事だった、と思っていたところがそうではなかったようです。

のんびり考えて記事を書いていたのでは、マネービジネスの世界では役に立たないのです。その事態を加速したのが、インターネットだったことも確かです。何を隠そう、のんびり考えて人とは違う切り口の記事を書くのを誇りに思っていた私も、いまはインターネットから取り出せる、早くて多様な、そして膨大な無料ネット情報を使って仕事をしています。

ジャーナリスト志望の学生さんたちも多いと思いますので、皆さんが志望している日本の新聞や雑誌、テレビなどジャーナリズムの現場は、インターネット・ビジネスの侵食によっていまや混乱を極めていることをお話しなければなりません。新聞も雑誌も、ネットや携帯で簡単にすばやく情報がとれることから、購読者がだんだん減っています。広告収入も、ネット広告に食われて減少し、とくに一般新聞社、雑誌社の経営は極めて苦しくなっているのです。

新聞社も雑誌社も、この苦境を乗り切るために遅まきながら敵のネット・ビジネスを取り込み、自らのサイトを開き、ニュースや情報を流し始めました。自らのサイトを作るのには億単位のシステム費用がかかります、その維持費用も半端な額ではなく、社内では重要なコンテンツ供給者である記者よりSEのほうがハバをきかすようになっています。

それでも、「金になるのは、経済情報」だけですから、政治ネタや社会ネタでは有料課金することはできないのです。無料でニュースをネットに流すのですから、新聞は購読しないという人がますます増える始末です。自分で自分の首を絞めるようなものです。しかもです。ジャーナリストを志す記者たちは、ロイターやブルンンバーグの記者のように、ネットにすぐ断片記事を書くのを嫌がります。そのうち、記者たちは、産業革命のときに起きた職人たちの機械打ちこわし運動(ラダイット運動)ならぬ、ネット打ちこわし運動を起こしかねないのです。経営者はそれにも悩んでいるのですが、悩んでいるだけではネット革命によってジャーナリズムは死んでいく運命にあるのです。

トムソンのロイター買収を聞いて、日本の新聞社、雑誌社などジャーナリズムの経営者は、私と同じ感懐を持つのでしょうか。

2007年5月10日 13:46

「博士卒」の悲惨

(07年5月10日筆)
 
先週、このブログで「博士卒の半分が就職できない」と少しだけ触れました。偶然の一致でしょうが、今週の朝日新聞5月9日朝刊コラム「ひと」で、就職難の「博士」を支援するベンチャー企業の社長が紹介されていました。

大学院卒は「頭でっかちで学歴に見合った価値がない」と企業が採用を敬遠し、博士のフリーター化が進んでいる。そこで彼は、就職できない大学院生と企業を結ぶ「アカリク」という無料の季刊誌を創刊し、院卒を採用した企業から紹介料を取るというビジネスモデルを生み出したという記事でした。

必要は発明の母、彼はいいところに目をつけたものだ、と感心してばかりはいられません。私の次男坊が、「博士卒」の就職難に直面しているからです。息子から何人かの先輩「博士卒」たちの、研究職を活かせないその後の進路を聞かされ、慄然とせざるをえませんでした。

私の次男は、今年中に博士号をとり、いよいよ就職という段階に差し掛かっています。彼は、私立大学の博士過程にいて脳科学分野の研究をやっています。研究室に連日泊まりこんで実験・研究した結果、何か発見したようです。発見の内容については、文科系頭脳しかない親の私にはよくわかりません。研究成果を書いた論文が海外の学術誌に載り、日本の学会の新人賞をとったそうです。

その新人賞の副賞8万円すべてはたいて、次男坊は、かみさんと私に腕時計をペアで買ってくれました。私も親ばかですから、学士、修士、博士と10年近くの間、学費、下宿代、生活費を何も言わずに負担してきました。その額はいくらになるか計算したこともありませんが、多額の教育投資であったことに変わりはありません。そのリターンが8万円のペアウォッチということになるのですが、息子の気持ちだけでも報われたと思いました。

私は、学会新人賞をとったぐらいなのだから、博士号をとったあと、息子が大学に残り研究職をつづけるか、あるいは企業の研究所で研究をつづけるか、そうでなければ高級技術者として工場で働くか、先は大丈夫だと思い込んでいました。理工系ですから、研究室の教授が、助手に残れといってくれるか、他の大学や研究所を世話してくれるか、企業に推薦状を書いて就職の面倒を見てくれるものと思っていました。
しかし、その期待はみごとに裏切られてしまったのです。教授は息子の将来について何も言ってくれなかったし、何もしてくれなかったのです。研究室は、教授、助教授、助手とすでにいっぱいです。自ら職を失ってまで、息子を助手にすることなどできないのかもしれません。他の大学も同じで、少子化で学生が集まらず大学破産が叫ばれている状態ですので、東大院卒ならまだしも、ちっぽけな他の私立大学出身の「博士卒」など受け入れる余地はありません。教授は、何も言わなかったのではなく、この大学の現状では何も言えなかったのでしょう。

本人はいまのところ企業に就職するつもりはありません。ですから、博士卒の就職事情は一般論になりますが、「博士卒」は企業の側から見て、使いにくいことは事実です。日本の場合、大学の研究室は、教授を頭に助教授、助手からなるほんの小さなピラミッド組織です。このまるで密室のような閉鎖的社会を支配しているのは、社会の常識からかけ離れたきわめて狭い価値観であることも事実です。若い一時期、このような密室の価値観の中に閉じ込められていた「博士卒」に、採用者が社会性や柔軟さ求めるほうが無理というものです。

企業が、「頭でっかちで(使いにくい)学歴に見合った価値(研究開発能力)がない」から「博士卒」は採用しないというのは、もっともな点があります。しかし、ではなぜ、政府は、「科学技術創造立国」の掛け声のもとで、大学院生を1.5倍に増やしたのでしょうか。大学では、研究ポストがなく、企業は「博士卒不要論」を叫ぶのですから、使えない、使わないオーバードクター状態が現出しているとしか言いようがありません。

博士卒が、アルバイト社員であったり、派遣労働者であったり、塾講師であったり、それこそ月収15万円のプアホワイトである現状は、先進国では考えられないことです。博士卒は、本来ならば、企業の経営革新、生産性の向上に役立つ、あるいはノーベル賞受賞者を輩出させるような研究開発国家の基礎人材たちであるはずです。

親の立場から言わせてもらえば、博士号をとらせるのに掛かった費用は半端な額ではありません。労働力不足が叫ばれながら、多大な教育投資が行われた高学歴の人材を社会的に浪費している状態は、泣くに泣けないということになります。古い歌をなぞって恐縮ですが、「こ~んな、博士に、誰がし~た」と思わず口ずさんでしまいます。

大学は、社会に出て使い物にならない博士を育てているのですか。そもそも社会に通用しない、狭い価値観しか持たない教授が教えているから、こんな博士卒になるのでしょうか。多分、社会に「役立たない」とされる「博士卒」の生涯所得は、惨めなものになります。「博士卒」には、生涯所得格差もさることながら、自分がやりたいことができないという「生きがい格差」が付きまとうことになります。

政府の旗振りに従って息子や娘を博士課程にまで行かせた親御さんたちは、その教育投資にリターンのまったくない投資に終わったことに肩を落としておられることでしょう。子から親へのリターンなど実はどうでも良いのです。親は、息子や娘が、社会から「勉強した人間はやっぱり違うね」と評価される人生を送ってくれればと願うだけなのです。

量産した博士を無為にする社会に落胆し、憤るばかりですが、かといっていまの私には何もできません。私は、私の次男坊が誰にも頼らず、自力で研究者としての「生きがい」をどこかで獲得してくれることを、ただ祈るだけです。

2007年5月 2日 16:39

平成版「大学は出たけれど」

(07年5月2日筆)

日本を大恐慌が襲った昭和の初期、当時はほんの一握りのエリートだった大学新卒の3割以上が就職できなかったことがありました。「大学は出たけれど」はそのときはやった言葉ですが、暗い世相を映した、いまで言えば流行語大賞にもなる流行語でした。

いつの時代でも就職難を含めて失業問題は、すぐれて不況、不景気の問題です。バブル崩壊で始まった平成デフレ不況でも、500万人以上にもなる戦後最大の失業者を生み出しましたし、数年前までは就職氷河期といわれました。リストラで大学既卒のベテランが首を切られ、新卒は就職できないという平成の「大学は出たけれど」が再現したことは記憶に新しいところです。

いまは、さしもの平成大不況は去り、景気が回復し、労働力不足を訴える経営者が増えています。内定をたくさんもらってどの会社を選ぶか迷っている大学新卒も少なくないようです。しかし、平成版の「大学は出たけれど」は終わっていません。リストラで職を失ったベテラン大卒たちの再就職は困難を極めています。その証拠に、労働力不足が叫ばれながら、失業率は4%と高止まりしています。バブル前であれば、景気が回復すれば、失業率も1~2%台にもどったものです。

内定をたくさんもらっている学生がたくさんいるとは言うものの、内定を一つももらえない就職学生も多いのではないでしょうか。研究立国の掛け声で量産された博士号のような高い学歴を持つ学生も半分が就職できないといいます。就職氷河期に就職できなかった当時の新卒たちは、緊急避難だったはずの派遣労働者の身分から依然として抜け出ることができないようです。ついでに家庭に入った大卒主婦が、旧職には戻れず月収4、5万円のパートで子供の塾代を稼いでいる姿は、気の毒というほかありません。

何のための大学卒業だったのか、考えさせられます。世界第2位の経済大国、世界最大の債権大国でもある豊かな日本なのに、なぜこんなことになってしまったのでしょうか。

日本の経営者の多くは、雇用について二つの確固たる考え方をもっているように思えます。ひとつは、賃金だけではなく年金や医療、その他従業員福祉を含めたトータルの人件費を国際競争に耐える水準に下げたいと思っていることです。そのためには、もうひとつ、同じスキルであれば、賃金コストの安い労働者を使いたい、そう考えていると思います。ます。

実際のところ、日本のビッグビジネスの経営効率と競争相手である欧米企業のそれを比較すると、日本がまだ大いに見劣りすることは間違いありません。ROE(株主資本利益率)は、企業が1年間に稼いだ純利益を株主の持分である純資産で割って算出された経営効率を図る代表的な指標です。日本の上場企業のROEは9%前後ですが、アメリカ企業のROEは20%、欧州企業でも15%前後になるといいます。日本の企業は、株主の出資金(及び内部留保)を十分活用できていないから、利益が上がらない、効率が悪いということになります。

日本の経営者は、欧米に比べ法人税や社会保険料の企業負担が大きく利益を食われてしまう、さらに労働分配率が高く、人件費に利益が食われてしまうから、ROEが低くなってしまうと言い訳をしています。しかし、利益が少ないからといって株主に配当を出さないわけにはいけません。配当を出して株主に報い、株価を上げて時価総額を大きくしなければ、経営者無能の烙印を押され、いつM&A(企業買収)の対象になるか分からないからです。

経営者に残された手は、当面、政府に向かって法人税を下げろ、社会保険料の企業負担を少なくし国庫負担を増やせと叫ぶか、自社の総人件費を切り詰めて労働分配率を下げて利益を上げるしかないのです。世界でも指折りの財政赤字国になってしまった日本ですから、政府もない袖はふれない。企業もそのことは良く知っていますから、政府に無理は言えません。そこで残る手は、総人件費の切り詰めと言うことになります。

幸い、アジアには優秀で安い賃金で雇える労働力がふんだんにあります。資本の移動、つまり工場の移動は自由になっていますから、日本に立地するよりアジアの低賃金国で生産したほうがはるかに総人件費は低くなります。労働者のスキルが同じなら、総人件費の高い日本人を使うよりアジアの労働力を使うほうが、利益はずっと増えます。

同じことは日本国内でもいえます。同じスキルの労働者なら、社会保険料の企業負担が少なく賞与も出さないで済む、しかもいつでも雇用を打ち切ることができる、パートや派遣、請負などの非正規労働者のほうが、利益の増加に大きく貢献することになります。組合に守られている正規社員にも実はそのほうが都合がよいのです。非正規労働者の賃金を引き上げ社会保険も整備することに賛成すれば、会社の総人件費を増やすことになり、業績が悪化し、自分たち正規社員の待遇を悪化させることになるからです。非正規社員と正規社員は実は敵対関係にあるということですから、従業員組合が非正規労働者の待遇改善要求に本腰が入らないのは、当たり前なのです。

こうして、平成版の「大学は出たけれど」の状態は今後もつづかざるを得ないといえます。しかし、労働力不足といいながら日本の労働者を非正規・低賃金の状態に放置しているのは、いかにももったいないことです。日本の経営者たちが真の経営革新を起こし生産性を大きく上げ、高い総人件費を吸収する経営を行なうことができれば、問題のかなりの部分は解決するのではないでしょうか。(以下次回に続く)

プロフィール
ニックネームさん
大西良雄(経済ジャーナリスト)
上智大学卒業後、東洋経済新報社に入社。記者を経て「月刊金融ビジネス」、「週刊東洋経済」編集長を歴任。出版局長、営業局長の後、常務第1編集局長を最後に独立。早稲田大学オープンカレッジ講師のほか講演・執筆活動。
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