
2011年8月26日 21:52
「あの、写真の女優さんの名前をご存知ですか?」
「知りません!」
注文をとり終えたウェイターさんは、行ってしまいました。
週末の繁華街、友人と二人で食事処を探していました。
どこの店も満員で、店がなかなか見つかりません。
「時間帯も悪いしな~」
といいながら歩いていると、空いているイタリアレストランを
見つけました。
「混雑しているときに、すんなり入れる店はハズレが多いからなー」
などといいながら店に入りました。
お客様はまばらでした。
壁には多くの白黒の写真が飾ってありました。
よく見ると、外国映画のシーンや俳優さんの写真でした。
「カサブランカ」のハンフリー・ボガードとイングリット・
バーグマン、
「ローマの休日」のオードリ・ヘプバーン
:
:
私にとっては懐かしい俳優さんばかりで、昔の友人に会ったような
気分になりました。
おそらく、この店のオーナーが映画ファンなのでしょう。
私と同年代か、もう少し年配かもしれない、などと思いながら写真
を見ていました。
いつの間にか、一緒にいた友人と写真の俳優さんを一人ひとり確認
しあっていました。
そして、一枚の女優さんの写真に目が留まりました。
「誰だっけ?、・・・・・えーと・・・・。思い出せない」
「見たことあるよね・・・」
「ほらほら・・・」
友人も思い出すことができません。
そこに、若いウェイターさんがオーダーをとりにきました。写真に
見惚れて注文する料理の選択がおろそかになっていましたが、
迷わず直ぐに決めました。
注文を終えたときにその若いウェイターさんに尋ねました。
「あの、写真の女優さんは誰ですか? 名前をご存知ですか?」
ウェイターさんはちらりとその写真を見て、
「知りません!」
冷たく言い放って行ってしまいました。
「若いから知らないよね」
私たちは、一生懸命思い出そうとしましたが思い出せませんでした。
間もなく、そのウェイターさんは食事の準備を始めました。
丁寧に、ナプキン、フォーク、スプーンなどをテーブルに並べて
いきました。
暫くして、食事を運んできました。
テーブルに並べ終えると
「注文はこれでよろしいでしょうか?」
「ハイ」
料理を頂きながら、昔の外国映画の話しに花が咲きました。
「カサブランカのラストシーン、自分が彼の立場だったら、
どうする?」
:
:
しかし、二人とも何かスッキリしません。
"何だろう・・・・・・??"
すると、友人が言いました。
「俳優さんの名前を調べてきて欲しかったよな。
オーナの趣味なんだろうから、オーナーは知っていると思うよ。
オーナーがいないときは、
"映画好きのオーナがいなので、わかりませんでした"
くらいは言って欲しかったね」
私も同感でした。
映画の話をしながらも、頭の中では女優さんの名前を探していた
のです。
その店にあるモノはすべて料理を楽しむためにあるのだと思う
のですが・・・・。
お店が空いていた理由もわかりました。
次回は、居酒屋のオーナーの話をしよう。
彼はサラリーマン時代落ちこぼれの営業マン。
解雇されて、居酒屋を始めました。
そして、一年半後、その居酒屋は夕方6時半には満席。
今は予約のみ受け付けます。
しかし、予約用の電話番号はどこを探しても見当たりません。
でも満席なんです。
2011年8月16日 19:52
今、朝日新聞の夕刊に「人生の贈りもの(元巨人監督・長嶋茂雄)」
が連載されています。
早稲田オープンカレッジでNLP講座を受講してくださった朝日新聞の
記者の方が執筆されているので、親しみを感じ毎日読んでいます。
13回の連載だと伺っています。
その第1回目にこんなことが書いてありました。
長嶋氏は今から7年前の2004年に脳梗塞で倒れました。
野球なら「練習はウソをつかない」となるでしょうが、「リハ
ビリはウソをつかない」という言葉通りです。
倒れた当初は「寝たきりも覚悟するほどだ」と医師にいわれまし
たが、治療がうまくいき、倒れて5日後に始めたリハビリを続け
たお陰で、始めは必要だった杖が無くても、歩けるようになり
ました。
リハビリは試合と同じように、小さなことも、おろそかにせず、
攻めていく気持ちが重要なんです。
そうでないと、病気に勝つことはできないのです。
今でも、リハビリは午前8時から45分間のウオーキングで始
まり、雨の日も風の日も、雪が降ったときに休んだくらいで、
ほとんど欠かしません。
この記事を読んだときに、近所で大手企業の社長さんだった男性を
思い出しました。
年齢は70歳半ば、一線を退いていました。自宅にいたときに脳梗塞
で倒れました。
「寝たきりで、歩くことは困難です」と医者からいわれました。
しかし、自宅で療養しているときに、自分の手足で歩くといい始め
ました。
家族が手を貸そうとすると
「手を出すな。自力でやる」
トイレに行く際も、新聞をとりにいくときも自力で床を這い歩って
行きました。
家族は見ているのが辛かったそうです。
そして一年後、杖を突いて外出できるまでになりました。
その後、何度かバスに乗っているのを見かけたことがあります。
病気に勝つには、長嶋氏の言葉にもあるように、小さなことも、
おろそかにせず、攻めていく気持ちが重要なのだなと思いました。
お二人とも病に勝つという執念がこのようにさせたのでしょう。
卓越した人のパワーは、その人の専門分野だけでなく、あらゆる
分野に通用することを感じとりました。
私は何かを成し遂げたいと思ったときに、ここまで攻めている
だろうか?
2011年8月 6日 14:39
50年間持っていた"できない"との思い込みが一瞬で変わりました。
私は"絵を描くことができない"そう思い続けていました。
一生の中で絵を描くことはないと確信を持っていました。
5歳くらいまでは絵を描くことが好きでした。
猫、チューリップ、船が大好きで、広告の裏に描いていた記憶が
あります。
家に猫がいたこと、庭にはチューリップが咲いていてお気に入り
だったのかもしれません。また、海の近くで漁港があり、船が
目に入っていたことが影響していたのかもしれません。
それが、小学生になって間もなく絵を描くのが嫌いになりました。
いまでも、その光景をはっきりと覚えています。
入学して間もなく、絵の時間がありました。そこで描いた絵が
廊下に貼りだされました。
なんの躊躇いも恥ずかしさもなく、船とチューリップを並べて
描きました。自分が好きなモノを描いたのです。
それを見た近所の6年生の女の子が、近所の八百屋さんで
私を見かけると、近くにいる人に向かって言ったのです。
「チャオ君(私のニックネーム)が描いた絵がおもしろいのよ。
船の脇にチューリップなのよ。変だよね~」
描いたときは、好きに描くように先生から言われたので、
ただ好きなチューリップと船を描いたのです。
それを聞いた私は「それって変なんだ」と思い始めました。
そして、私の心の中では、「変だ」→「笑われた」→
「恥ずかしい」→「描かなければよかった」→
「二度と絵を描かない」→「絵が描けない」となったのです。
それ以来、絵が描けなくなりました。
中学生になっても美術の時間が苦痛で仕方ありませんでした。
版画を彫れば100点満点で20点位しか取れません。
あるときは、友達に「お弁当あげるからさ、オレのを描いてよ」
と頼んだりもしました。
中学を卒業して一番ホッとしたのは美術の時間がなくなったこと
でした。
社会人になってからも当然絵を描くことはありませんでした。
それから50年後、知人のアートセラピーの先生の授業を見学する
機会がありました。
教室の後ろで見学していると、突然、その先生が私に言いました。
「絵を描いてください」
「いや描けません」私は断りました。
しかし、他の生徒さんがいるので、いつまでも断り続けることは
できませんでした。
「今の気持ちを色で表現すれば良いのです。
上手下手はありません」
いやいや描きました。
描き終えると、先生は他の生徒の作品と並べて前のホワイト・
ボードに貼ったのです。
恥ずかしくて教室にいるのがいやでした。
すると先生は「それぞれの絵の感想を述べてください」というでは
ありませんか。
小学一年生のときのことが頭に浮かびました。
私の描いた絵の順番が来ました。
ベテランの受講生が私の絵を見ていいました。
「このような発想は、描きなれている私には思いもつきません
でした。 私はまとめようとしてしまい、絵が小さくなって
しまいます。驚きました。凄いですね~」
他の受講生も、異口同音にそう評価してくれました。
先生も褒め上手でした。
「慰めに決まっているさ」私は心のなかでつぶやいていました。
顔を上げることができませんでした。
しかし、何人に言われると、だんだん「下手ではないのかも」
と思い始めました。
30分後「自分にも絵が描けるんだ」と思うよになったのです。
小学生のとき、女の子のちょっとしたひと言で「自分は絵が描け
ない」と思い込んでしまいました。
そして50年間、そう思い続けていました。
しかし、今回「自分にも絵が描ける」と思えるようになりました。
50年間信じ続けていた"できない"との思い込みが"できる"に
変化した瞬間でした。
私にはいくつか"できない"と思い込んでいることがあります。
案外それは、自分が勝手につくりだした"マイナスの思い込み"
すなわち"マイナスのビリーフ(信念)"なのかもしれません。
と同時に、相手に対する言葉使いにも充分配慮したいものです。
ひと言で落ち込ませることもあれば、勇気を与えることもある
のです。
最後に、この夏に描いた絵を披露してしまいます。
テーマは「涼」です。
やはり、少々勇気がいります。
