
2011年5月18日 10:45
松下政経塾 研修塾 塾頭 古山和宏(執筆)
塾設立にあたって、久門泰初代塾頭は松下幸之助塾長(当時)から次のような指示を受けたことを後に語っています。「『カリキュラムも要らない、講師も常勤は置かないし教室も要らない』教室は問題意識に基づき現地現場に行けばいい。経営なら経営者のもと、政治家になりたければ政治家の秘書になるなど、社会を教室にする。講師も必要に応じて依頼する。しかし、教室がないわけにはいかないので、それはつくる。塾には寮をつくり、塾生に宿泊してもらう。塾頭や副塾頭、「国策研究所」の主幹研究員などの職員は塾内に職員住宅を作るので、そこに住んでもらう。私(塾長)も宿泊するので、塾内に宿泊施設をつくる。私一代で終わっては困るので、公益法人として財団法人にしようと思う。学校法人は敷地、建物、蔵書数、講師の人数など制約が多すぎる。」
結局、「カリキュラムなし、講師なし、建物もなし」で文部省に設立許可手続きを開始することになります。当時の文部省に財団設立の申請をするときに、係りの者が申請書類を持って、文部省に説明に伺うわけです。「先生は何人置くのですか?」「いや、先生は置きません」「カリキュラムはどうするのですか?」「いや、カリキュラムも、塾生が入ってから考えようと思います」「教室はどうするのですか?」「教室も、別に要らない」と、こんな説明をしましたら、文部省の担当者は、もう目を白黒させて「そんな学校は認可できません」と。確かに常識的に判断すれば、当然かもわかりません。
結局、20-30回、文部省に通うことになったといいます。それもそうでしょう、前例のない「学校」をつくろうというのですから、担当官もさぞ面食らったことでしょう。学校法人ということであれば、文部省からいろいろな規制が加わります。蔵書は幾つにしないといけないとか、単位は何単位にしないといけない、運動場の広さは、建物は・・・、といわゆる規制というものがあります。
松下政経塾でも、どういう形態で塾を運営するかという議論がありました。学校法人というかたちを取ったほうがいいのか、それとも、別のやり方がいいのかということで、いろいろ議論をした結果、最終的には財団法人に落ち着いたのは、そうした国からの規制から極力自由に運営しようとしたからなのです。フリーハンドで教育ができるような体制をつくらなければ、真の人材育成というものはできないという結論になり、財団法人という形になったわけです。