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グローバル化は足元からやってくる ~国際学で切り取る世界と社会~

ネパール

2015年9月25日 01:32

ネパール滞在記(14):6日目「Till we meet again」

8時に起床。11時にホテルからのリムジンバスを予約しており、3時間、散歩でもしたいと考えていましたが、疲れが蓄積しており、ホテルでゆっくりすることにしました。

最後に2泊しましたホテル・アンナパルナは5つ星であり、歯ブラシも歯磨き粉も、シャンプーもボディーローションも、英字新聞まで毎朝部屋に届きます。映画『ホテル・ルワンダ』に出てくるホテルのように、3階建てでちょっと贅沢な作りになっています。

ただ、水は他のホテル同様、濁っていました。バスタブの排水管から虫(何匹か)も浮き上がってきます。また、この国ではどこのホテルも、ネットが遅く、Wi-Fiは90年代の日本で電線を使っていた頃のスピードしかありません。アンナパルナは、他のホテルよりは良かったように思われますが、日本でほぼサービス提供が終わりましたADSLレベルでもありません。

全くテレビを見ておらず、最後にテレビでも見ておこうと、リモコンをオンにすると画面の上にNHKと出たのですが、ネパール語の番組でした。NHK見られないのかと思ったのですが、もしかしたらNHKのNはNepalだったのかもしれません。「ネパール放送協会」(NHK)ですとおかしいですが、HKが何を意味するかを考えることは止めて、朝食に行くことにしました。

この5つ星が、他と異なるところは朝食がビュフェ形式となっており、英国式のEnglish Breakfastも、ネパール式も選べ、美味しいのです。

昨日の夕飯もホテルのレストランにて軽食で済ましたため、ウェイターと顔なじみになりました。時間もあり、ゆっくりコーヒーを飲んでいると、そのウェイターが、「Let me introduce myself」と言ってきました。「はぁ、どうぞ」と彼の自己紹介を聞くことにしましたが、どうやら、大学生らしく、日本に行った友達が沢山いるということです。「福岡、私も行きたいです」(日本語学校が多いようです)と繰り返し言います。私が大学で教えているというと、目が輝いてきたのですが、運悪く上司に呼ばれてしまい、
中途半端な自己紹介で終わってしまいました。

ウェイターが自己紹介をはじめる5つ星ホテルは世界でも珍しく、カトマンズのホテルは先進国感覚ですと星を2つぐらい落とさないといけないと思います。

ホテル・アンナパルナの名誉のために申し上げれば、近くにホテル・シャングリラがあり1泊1万円ぐらいで宿泊できるのですが、ネットの口コミでは、「disappointed」と酷く書かれています。

先進国のビジネスホテルの料金ですから、そう思えば、文句はないのでしょうが、5つ星の有名ホテルだと思って泊まるのでがっかりするのでしょう。私は、ホテル・アンナパルナに満足しておりました。

この国では、お金で解決できる限界があり、良いホテルに宿泊してもダメなものはダメです。カーストと縁故主義が主な社会原理なので、先進国型の資本主義ではないのです(先進国にも、所得格差という「カースト」と学歴等の社会化された縁故主義がありますが)。

ただ、どこのホテルでも褒めるべきことがありました。どこのホテルでもコーヒーが美味しいのです。コーヒー、紅茶、酒は、それ自体の美味しさだけではなく、水との相性もあります。(スイスのフォンデューが、スイスの山で美味しいことから考えますと)高度も関係あるかもしれません。ですから、カトマンズのヒマラヤコーヒーの味が日本で再現できるか分かりませんが、コーヒー豆をいくつか買って帰ることにしました。

良いことをもう一つ加えれば、治安です。私のネパール人の教え子から、「先生、日本と違いますから財布、気を付けて下さい」と入国前に言われましたが、もちろん、日本よりは悪いでしょうが、1人当たりのGDPが1000ドルを下回っている国としては、信じられないと治安の良さです。震災前は観光立国でしたので、治安を重視していたのでしょうか。

これで、私の約1週間のネパール滞在記が終わります。

いつもと異なる文体にしましたので、違和感を覚えられた方もおられるかもしれません。また、面白おかしく書き過ぎていたかもしれません。

大地震は、1人当たりの年間GDPは約703ドル(2013/2014年度、ネパール中央統計局)、現在、成人識字率が60%(日本ユネスコ協会連盟HP)の途上国・ネパールを襲い、9,000人近い尊い命を奪い、甚大な被害を及ぼしました。

その様な中で、人々は強く、逞しく、時に愉快に(幸せに)生きています。しかし、それは「生きる」ということが本来そうであって、彼らの客観的な困窮状態には変わらないのです。

私は引き続き、何かをしなければいけないと感じました。しかし、それは彼らが被災者であり、貧しいから助けるというのことではなく、何か彼らとすることが、私の幸せに結びつくように思えたのです(結果としての「援助」になればそれで良いのではないでしょうか)。

ネパールを歩いていると、既視感がありました。もう20年前になりますが、私は大学院修士課程の学生だった頃、東欧のルーマニアという国でアカデミーの研究生をしたことがあり、同国の地方をよく歩いていました。すると、なぜか子供の頃を思い出すような「懐かしさ」を感じがしたのです。それと同じような感覚がネパールでもありました。

「懐かしさ」をより具体的に言葉で表すのは難しいのですが、滞在記(9)で紹介しました「ドラえもん」の風船おじさんだったり、以下のラムネおじさんがいる世界です。その「懐かしさ」が発展と共に失われていくとすれば、仕方がないことなのかもしれません。

ラムネ.jpg

ある場所への空間移動が、時間軸をも超えるのでしょうか。しかしながら、実際は「現在」を共有しており、その同時存在性は、「懐かしさ」を感じさせると共に、環境問題や人権など様々な問題を顕在化させます。4月のネパールの大地震は、約9000人の犠牲と共に、同国の社会的タイムラグを改めて知らしめてしまったかのようです。

プラス、マイナス全て込みで、私は1週間の滞在で、多くを学ばせて頂きました。

カトマンズのトリバブン国際空港の出国審査のゲートのところに、「Till we meet again」(写真)と記されていました。確かに「ナマステ」(さよなら)よりもこっちのほうがいいです。また、訪れたいと思います。

「序」も入れて15回連続で、ネパール滞在記を書かせて頂きました。お付き合い下さいまして、有難うございました。

Till we meet again.jpg


2015年9月24日 00:35

ネパール滞在記(13):5日目「自分の娘が神様になったら嬉しいか?」

その後、「砂埃の都市」カトマンズに戻り、世界遺産・ダンバール広場を訪れました。このダンバール広場には、カトマンズ市の中心にあり、宮殿や寺院や集中しているのですが、建物の多くが先の震災で半壊、全壊となり、ニュースでもシンボリックに報じられていました。

まだ、完全には修復は終わっておらず、今にも壊れそうな寺院が多いのですがけれど、棒で支えられただけの寺院の前で、お土産を売っている人が沢山いました。余震が来たら(私の滞在中はありませんでしたが、余震は続いています)、本当に危ないでしょう。

ダンバール広場4.jpg


ダンバール広場1.jpg

ダンバール広場2.jpg

ダンバートン広場3.jpg
残っている建物も「支え棒」によって何とか持ちこたえている


ダンバール広場5.jpg
ダンバール広場は観光客や地元の人々で賑わっている

そのダンバール広場では、少女にして生き神が住む「クマリの館」があり、覗き込んだところ、偶然、現クマリMatina Shakyaさんを拝見することができました。綺麗に化粧をした彼女は、手を振るでもなく、笑うのでもなく、ただ人々を見つめています。

同行していたAさん夫妻は、生まれて初めて見たそうで、「先生、幸運ですよ」と言っていましたが、密教女神ヴァジラ・デーヴィー、ヒンドゥー教の女神ドゥルガーが宿るとされるこの「生き神」様は、3歳から親許を引き離され、初潮を迎えるまで「生き神」として隔離されるそうです。最近は、人権侵害が問われているということでした。

Aさん夫妻が、このクマリに興味があるのは、クマリは夫妻と同じネワール人(民族)の仏教徒からしか選ばれないということで(ヒンドゥー教の「生き神」なのですが)、民族的共通性もあるのでしょう。Aさんに「親は悲しくないですか」と尋ねたところ、「自分の娘が神様になったら嬉しいですよ」と返ってきました。

我が愛する阪神タイガースには生き神様である「代打の神様」がおりますが、代打で打たないと「神失格」になるので、かなり違います。

この滞在記ではあまり言及してきませんでしたが、ネパールはカースト(身分)制があります。公式には廃止させていますが、社会制度としては強固に残存しています。

大枠では、ブラフマン(バフン) 、チェトリ、マトワリ、ワール 、ネチュネの4階級になりますが、この他に上記のネワール人がいます。ネワール人を4階の上から3番目に入れて5階級とすることもあるようですが、私が聞く限り、ネワール人は別枠でカースト制に組みしない独自の存在のようです(しかし、ネワール人同士が平等ではなく、ネワール人の中にまた別のカースト制があり序列化されています)。

私が、今回、あまりカーストに接しなかった(見えなかった)のは、私の学生がネワール人であり、御世話になりましたNational Resource Centre for Non-formal Education(NRC-NFE)もネワール系の人が多かったこともあると考えます。彼らは、ネパールのカースト制度に概して批判的であり(というか気にしておらず)、「識字率向上のために、震災復興のために、やるべきことをやる」という態度(アプローチ)だったからです。ですから、私にカースト的な説明をあまりしなかった(必要だと感じなかった)こともあるかもしれません。

しかし、上記のクマリの伝統のように、ネワール人もカースト制的な慣習から完全に離脱している訳ではなく、複雑に絡み合っているようにも感じました。

更に、グローバル化による市場主義の流入は、経済的秩序によって徐々にカーストが壊される可能性はあるでしょう。ただ、現状で申し上げれば、一つの民族的アイデンティティ(ネパール人としての共通意識)は、盤石ではないように観られました。

North Face.jpg

ナイキ.jpg

ソニー.jpg
カトマンズの中心には外国資本の店が並んでいる 
グローバル化はカトマンズにも来ている?


2015年9月23日 20:40

ネパール滞在記(12):5日目「仏様の経済力と回って回って回る」

黄色のバスクリンを入れなくても、ナチュラルに黄色になるお風呂も慣れれば、入れなくもありません。5星のホテル・アンナパルナで朝風呂に入り、9時にネパール人の教え子のAさんとそのご主人とホテルのロビーで待ち合わせ、観光に行きました。

というのも、その日は土曜日。土曜日は、ネパールの休日でありオフィスが空いておらず、仕事ができないのです。翌日の日曜日は帰国する予定になっていましたが、日曜は通常通りに仕事があるそうです。

「日曜も休めばいいのに」とAさんに言ったところ、「実は、前は土日が休みだったのですが、土日を休むと、月曜も子供たちが学校に来なくなってしまい、政府が休みは1日と決めたんです」と解説してくれました。それは、なかなか説得力のある話だと思わずにはいられませんでした。

ということで、私のネパール滞在の実質の最終日(明日は朝発なので何もできません)は、観光となりました。

Aさん夫妻が連れて行ってくれたのは、カトマンズに隣接しますキルティプルという町のヒンドゥー教の寺院と仏教の寺院です。両宗教の寺院が隣接しているそうです。Aさん曰く、ブッタの両親はヒンデゥー教徒だから矛盾はないとのこと、「しかし、同様の構造のユダヤ教徒、キリスト教徒はなかなか難しいですよ」と突っ込むと、「先生、彼らはネパール人だから気にしないんです」というジョーカーを切られてしまいました。

両寺院に続く道を進みますと、日光同様に多くのサルに迎えられ(ホーリーな場所に、サルが住み着く共通性は何なのでしょうか)、最初に小さな池があり、その中央に仏様がいます。仏様の足元に小さな入れ物があるのですが、そこに参拝者がコインを投げ入れるのです。

もし、その入れ物にコインが入れば、「グッドラック」という日本のお祭りの屋台の的当てのような原理です。これはかなり難しく、稀に入ると投げた人は歓喜の声を上げます。私も、持っていた10円玉、1円玉すべて使ったのですが入りませんでした。Aさん夫妻も、人生で一度も入ったことがないそうですが、誰もが燃えます。もの凄い数のコインが下に落ちており、仏様の経済力はさすがです。

仏様の経済力1.jpg
仏様の足元の銅の箱に入れば「幸運」であるが、極めて難しい

経済力2.jpg
人々は幸運を勝ち取るためにお金を投げ入れる

サル.jpg
サルは人々がお金を投げ入れるのを見つめている

結果的に殆どの人が幸運を逃してしまいますが、コインを外した人は、それゆえにより奥深く丘を登ることで幸運の掴もうとします。

両寺院は沢山の人が訪れており、ヒンドゥー教の3最高神の一柱シヴァ神へ少しでも近付こうして喧嘩も発生しています。私が、「皆、信仰心が篤いですね」と言いますと、Aさんが「先生、皆、自分だけお祈りして、早く帰りたいだけです」と軽蔑した眼差しで見ていました。

仏様のほうは、マニ車と呼ばれる銅で作られた丸くくるくる回る筒のようなものを皆で触っていきます。ネパールでは、マニ車はヒンズー教にも共通するそうですが、一昨日のAさんの故郷のバクタプールで見たヒンズー教の踊り(円広志さんの踊り)の「とんで、とんで、とんで、回って、回って、回って、回る」を思い出しました。

マニ車.jpg

私が担当する「社会学概論」では、ドイツの社会学者マックス・ウェーバーの『音楽社会学』を用いて、多くのヒット曲には近代的法則があると講ずるのですが、今回のネパール訪問によって、ゴールデンボンバーや円広志さんの『夢想花』のアジア的法則性を無視できないようにも感じました。

もう一つ目についたのは、地震の被害です。ヒンズー教、仏教両方の寺院が影響を受けているのですが、放置されている建物もありました。その一つでは、瓦礫を放置した状態でアイスクリームを売っていました。その宣伝文句が「Freeze your moments」と書かれており(写真)、一瞬、冗談なのか本気なのか考えてしまいました。

この訪れた仏様とシヴァ神の丘の上からはカトマンズ市内が一望できるのですが、砂埃で霧の都のようでした。これでは、「マスクの都市」になるのは必然です。

アイス2.jpg

アイス.jpg

砂埃の都市.jpg
キルティプルから見たカトマンズ市内 霧がかかったように砂埃が覆っている



2015年9月22日 03:25

ネパール滞在記(11):4日目「何が白タクで、何が黒タクなのか」

私が日本で教えるネパール人(バクタプール市出身)学生のAさんは、6姉妹の下から2番目でした。凄いことにAさんの6姉妹のうち3人が日本語を話しました。私は、Aさんの知り合いの中では、固有名詞のように「Sensei」と呼ばれ、昨日の小学校でもホテルでも、家族の知り合いのタクシーの運転手まで「Sensei」と言ってきます。

日本語を解さない人まで簡単に「Sensei」と呼ぶので、「Sensei」がきっとネパール語で覚え易い単語なのではないかと思えてきました(一昨日、AさんとAさんの御主人と待ち合わせた王様が建設した給水所が「スンダラ」という名前で、皆が、「スンダラ」、「スンダラ、スンダラ」と話しており、耳に残りました)。

お昼頃、Aさんとホテルのオーナーが呼んでくれた(私のことをSenseiと呼ぶ)タクシーで首都カトマンズに戻りました。

ちなみに、ネパール滞在で料金メーターがあるタクシーに乗ったのは1回しかありませんでした。常に、タクシーに乗る前に料金を交渉しなければなりません。それが、いい加減な「言い値」で、外国人は現地の人がびっくりするような料金を要求されます(先進国の外国人にとっては母国並です)。

しかし、「コネ」を使い、知り合いのタクシー(白タクの場合もあり)をお願いしますと、良心的に安いのです(「黒タク」ではなく、「白タク」です)。市場が機能していない状況下のタクシーは、全てが所謂「白(黒)タク」化してしまい、(おそらく、誰もが多かれ少なかれ)「コネ」を使う「白タク」が市場価格として機能していることを体験しました。

タクシー中.jpg
タクシーの料金メーターは無い(もしくは動かない)

Aさんとホテルのオーナーが呼んでくれたタクシーの運転手は、「Sensei、(この後、片言の英語)このSuzukiの車に外国人乗せるの初めてですよ」、「私、日本大好き。私の妹、東京に住んでいる。経営学勉強している。東京、good, good」と語りかけてきました。

その運転手は、私に気を遣って下さり、「Sensei、カトマンズの空気悪いから、エアコンをつけましょう」と窓を閉めて、エアコンをつけてくれたのです。ネパールで、初めてのエアコンに期待度が高まったのですが、冷房にしているのに、なぜか温かい風しか出てきません。そのうち、私の彼も顔が真っ赤になってしまい、彼が、「Sensei、窓開けてください」と言ってきました。「Sure」と答え、砂埃除けのマスクをして窓を開けました。砂埃は頭痛の元になるのですが、この場合、マスクを選択するほうが正しい行動のように思われました。

お昼過ぎにカトマンズに到着して、何かとお世話になっております日本ユネスコ協会連盟のパートナーでありますNational Resource Centre for Non-formal Education(NRC-NFE)に挨拶に伺いました。

ネパールは、明日、土曜日が休日(欧米日の日曜に相当)で仕事がありません。日曜は出勤するそうですが、私の帰りのフライトが日曜発なので、その日の内にお別れの挨拶をする必要がありました。

NRC-NFEは、古着を各地の「寺子屋ラーニングセンター」に配って下さり、私を現地まで案内してくださいました。日本ユネスコ協会とNRC-NFEの協力がなければ、途方に暮れていたと考えられます。スレスタ所長にもお礼を申し上げて、この4日間、私にお付き合い下さった方々に「ダンニャバード(ありがとう)」と申し上げました。

夕方、最後の2泊を過ごす5つ星のホテル・アンナパルナにチェックインしました。部屋に入ると即、お風呂を入れましたが、残念ながらここも「黄色」でした。「ブルータス、お前もか」。ネパールでは、星に関係なく、黄色いお風呂しか入れませんでした。

ホテル・アンナパルナには大きなプールがありますが、猛暑にもかかわらず誰も泳いでいません。



2015年9月21日 23:40

ネパール滞在記(10):4日目「Before and After」

昨夜の(ゴールデンボンバーと円広志さんの)踊りは、10時頃まで続き、その後、古都バクタプールの中心にある二つ星ホテルに戻りました(そのホテルは地震の影響もあり、現在改装中で、全ての窓を閉めても、どこからか色々な虫が入ってきてしまうのです。最初は叩いたり、追いやったりしましたが、途中で諦めて「共存」することに決めました)。

そうこうしていると、2時ごろになってしまい、翌朝、Aさんと9時に約束していましたので、虫たちと寝ることにしたのですが、朝、鳴り物で目が覚めました。時計を見るとまだ6時でしたので、夢だと思い、もう一度寝に入ったのですが、また、暫くしますと『アンパンマン』に出てきます「てんどんまん自慢歌」のような音がします。

もう寝られなくなり、私に「ニーハオ」と何度も挨拶する食堂のボーイに「あれは何なのか」と聞いたところ、別のお祭りだということでした。「私たちもうるさいと思います。ソーリー」と言っていましたが、後で私の教え子のAさんに確認しましたところ、仏教系の団体の行事だそうです。

夜、10時までヒンズー教の行進で、朝6時から仏教の行進というのは、どうなんでしょうか。両団体が協議する必要があるように思えます。

9時からAさんにバクタプールを案内して頂きました。世界遺産バクタプールは、地震が起こった際、大打撃を受けたと報じられましたが、実際、崩れ落ちた寺院も多く、再建されていないところが殆どです。それらのサイトの前には、地震前の写真が飾ってあり、震災前後の変化が分かるようになっていました。

BA2.jpg

BA1.jpg

ba3.jpg

その街を歩いていると至る所で、「Aさん!」と声をかけられていましたが、ある現地の青年が日本語で「先生、久しぶりです。お元気ですか?」とAさんに挨拶してきました。Aさんも、「本当に久しぶりですね。私は、元気です」と日本語で返していました。Aさんは、故郷の日本語学校を卒業した後、母校で日本語の先生を数年しており、「弟子」がたくさんいるそうです。

その青年についてAさんは「彼は、優秀な生徒だったんですが、他のことが忙しくて、勉強に集中できないことが問題でしたよ」と言っていましたが、いつもAさんに私が言っていることと同じなので、笑ってしまいました。

折角ならAさんが教えていた日本語学校に行こうということで、お邪魔したのですが、学校は午後からだそうで、秘書の女性しかいませんでした。

図書館を見せて頂くことになりました。少し蔵書数が少ないように感じました。Aさんが学生の頃、頑張って集めたそうですが、現在は埃をかぶっていました。日本語を勉強したい人、沢山いるとのことですけれど、環境が整っていないようです。

教室の壁には色々と、「日本の写真」が飾られていましたが、一つはどう見ても中国の寺院の写真でした。教室の黒板には、「日本にいきたいのですが、おかねがありません」と昨日?の猛勉強の後が、残されていました。

バクタプール日本語学校.jpg



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プロフィール
安井裕司
安井裕司
エジンバラ大学、バーミンガム大学博士課程に学ぶ。その間、ルーマニア・アカデミー歴史学研究所研究生。国際政治学博士(PhD)。国連大学国際紛争研究所インターン、夏期講習クラスコーディネーター、法政大学国際日本学研究所客員研究員等を経て、現在、早稲田大学エクステンションセンター講師、日本経済大学神戸三宮キャンパス教授。
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