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グローバル化は足元からやってくる ~国際学で切り取る世界と社会~

留学生日記

2013年7月 7日 20:59

七夕の願い:「先生を愛したい」?

七夕です。

七夕は中国の(女子が裁縫の上達を祈願する)年中行事・乞巧奠が、奈良時代の日本に伝わったものという説が有力なようです。

私の勤務校では、アジアからの留学生が多く「七夕祭り」を行いました。

大学のイベントとしてはどうなのかと思ったりもしましたが、ゼミ生との短冊飾りは、非常に面白い経験になりました。

中国、ベトナム、ネパール等からの留学生は、その大半が家族、特に両親の健康を短冊に記していました。自分の健康ではなく、両親なのです。

同僚の日本語教師が、講義中、ふてぶてしい態度で何だと思っていたけれど、ガタイのよい男の子が「お母さん、お父さんの健康を祈ります」と書いている姿を見ると「正直、感心しますね」と言っていました。

中には、「早く家族ビザが欲しい」というような当校ならではの「ピンポイント願い」を飾っている人もいました。「恋人募集、私は身長185センチ」、「ご縁がありますように」(何の「ご縁」なのかは不明)という短冊もありました。

既に飾ってあったものですので、私の学生ではありませんが、「先生を愛したい」というものがありました。性別は不明ですが、留学生である可能性が高いのです。

同僚教員とこの短冊に関して議論しました。

A:「今は、先生が嫌い」だから「先生を好きになりたい」というと言う意味か、B:「先生を愛している」のに何らかの理由があって、「先生を愛せない」のか。Lost in Translation!

Aは先生が嫌われているので、嫌われている先生にとっては問題です。別に愛して頂かなくても結構ですが、嫌われたくはないのが正直なところです。

Bではセクシャルハラスメントのコードにかかってしまう可能性もあり、より微妙です。ただ、その先生が頑張って拒絶しているとも言えます。

もう一度書きます。私が担当の学生ではありません(私のゼミの学生は私と一緒に短冊を書いたのでだいたい内容を把握しています)。

更に性別不明です。対象の先生が男性か女性か分かりません。

七夕。そもそも、誰が彼・彼女の願いを聞いてくるのでしょうか。日本語、中国語、ハングル語、ベトナム語、英語で書かれた短冊を見ましたが、何語で書いたほうが願いが届くのでしょうか。

以前、人生を冷めて観ることに定評のあった友人から、他人を見る時、「その人が何を願い、何を与えられることによって満足するかで、だいたいの人間が分かるよ」と言われたことがあります。その友人は、平均的には「金か、権力か、名誉か、女か(男か)、その全てか、その幾つかか、そんなもんだろう」とも語っていました。

アジアからの留学生の場合、「家族の健康」も加えたほうがいいかもしれません。

いずれにせよ、私は友人の言葉を思い出し、短冊に何も書けなくなってしまいました。やはり、ここはアジアの規範に従って「両親の健康」でしょうか。

2013年6月23日 13:51

留学生30万人計画と自宅訪問

私の勤務校は多くの留学生が在籍しています。

留学生と申しましても様々で、日本語検定試験1級や簿記検定1級に合格している優秀な学生もいれば、残念ながら一部に、大学に来なくなってしまっている(優秀ではない)学生もいます。それは、日本人学生と同様です。

日本人学生と異なる点は、留学生の場合、除籍や退学となっても日本に居続ければ、不法滞在者になり、犯罪に巻き込まれる危険性も生じることです。

そこで、私たち教員は長期に大学の講義に出席していない学生の自宅を定期的に訪れることになっています。

そのような学生の場合、大学に登録している住所にはいないことも少なくありません。それでも確認のために自宅訪問をしなければならないのです。

私は先日、その自宅訪問を体験しました。正直、楽しい仕事ではありませんでしたが、色々と考えさせられました。

私が担当したのは中国出身の4年生のAさんで、大学から徒歩20分程の繁華街の外れに登録住所がありました。少なくとも昭和の頃に建てられたと思われる至る所にひびの入った鉄筋アパートのポストにはAさんの名前はありませんでした。

念のためにブザーを鳴らすと、外国人の男性が3名出てきて、私が自己紹介しようとすると、何かの集金と間違われたのか、3人が外国語(おそらく中国語)で怒鳴り始めました。もちろん、私は即、退散しましたが、Aさんはどこに行ったのかと考えざるを得ませんでした。

こんなことを書けば、そんな留学生を入学させるなとお叱りを受けるかもしれません(直接、母国から入学するケースは稀で殆どが日本語学校経由です)。

しかしながら、Aさんが最初から不真面目な学生であったかどうかは分からないのです。本当に日本で学びたいと真剣に考え、来日しながら、大学もしくはバイト先のトラブル等に遭遇し、学ぶ意志を失ってしまったかもしれません。反対に、お金儲けを第一に考え、来日しながら、勉強が楽しくなって奨学金を獲得するくらい頑張っている人もいるかもしれません。

それでも、結果としてAさんのケースは私たち教員の力が及ばなかったことを反省しなければなりません(私は、Aさんがどのような経緯で日本に来て、何年あのアパートに住み、どうして大学に来なくなってしまったのか知りたいと思わずにはいられません)。

なぜこのような勤務校の恥部を敢えて書かせていただいたかと言えば、2008年、日本政府はグローバル戦略の一環として2020年迄に留学生を30万人にする計画を打ち上げているからです。

平成23年5月1日の段階では約13万8千人ですので(日本学生支援機構)、今後、2倍以上増える予定です。より(結果として)優秀な留学生だけが2倍に増えるとは限りません。つまり、勤務校の課題は、勤務校だけには限定されないことであると認識できるのです。

もう一度、繰り返しますが、勤務校の多くの留学生は真面目な人たちです。Aさんのような一部の学生の存在によって、大半の学生たちの学び機会が失われて欲しくはないと存じます。

そのためにも、Aさんのような学生を出さないように日々頑張っていかなくてはいけないと肝に銘じています。

2013年6月 5日 23:59

「店長」と呼ばないで

勤務校の先輩教授が、1年生の留学生から「店長!」と呼ばれた、と笑いながら話してくれました。

1年生も入学して2カ月が経ち、バイトも始め、新しい生活に慣れてきた頃です。毎日バイトしていれば、バイト先の「店長」は1週間に1科目か2科目でしか顔を合わせない「教授」よりも偉く見えるでしょうし、実際、残念ながら「教授」よりも彼らの生活に近い存在でしょう。頑張って五分五分であり、「教授」が「店長」と呼ばれることは決して蔑視ではないように思えます。

また、留学生の場合、バイトで日本語を覚え、日本のサービス業の仕組みや商慣行まで学べることもあるかもしれません。社会的包摂という観点からも、バイトとして社会的な成員になることは重要です。ですから、私はバイトを全面否定はしません。

しかしながら、長期的視野に立った場合、過度の長時間バイトは害になり得ます。

先日、ファイナンシャル・プラニング技能士の方が大学にお越しになられ、1年生を対象に家計に関する基本的な説明をして下さいました。

その方の講義によれば、今の価値において大卒者で正規職員として働かれた方の生涯賃金は約2億7千万円だそうです。ところが、正社員ではなく、バイトやパートを続けた場合の生涯賃金は7千万円に過ぎないそうです。

大学を卒業したからと言って自動的に正社員になれる訳ではありません。ただ、中退者が正社員になるのは更に多難でしょう。

つまり、バイトは飽くまでもバイトとして認識して、学業に支障が出るほど働いてはいけないのです。バイト漬けで出席日数も足らなく、成績も悪ければ、目の前の時給数百円に目がくらみ、自分で自分の首を絞めていることになります。

これは別に留学生に限定した話ではありません。当ブログ2013年4月13日に記しました通り、日本人の学生も、仕送りが直近のデータで月平均8万9500円でしかなく、12年連続で過去最低となっています。

仕送りに占める家賃の割合は69.1%で、前年から2.3 ポイント上がり、仕送りから家賃を除いた生活費は2万7700円、1日当たり換算で923円となります(毎日新聞、4月5日)。

バイトなくしては生活できないのが日本の大学生の現状なのです。

大変なのは分かります。分かった上で敢えて言わせて下さい。

確かに「店長」は偉いかもしれません。「教授」を偉いなんて思わなくても結構。ただ、長期的な視野でキャリアビルディングを図り、何が人生にとってより重要なことかを考えて欲しいのです。自分自身のために。

2013年5月11日 14:19

関西とアジアの共通性

留学生が多い(神戸にある)勤務校の同僚教員と、教室内の飲食について話題になりました。同僚教員が御菓子を食べていたアジアからの留学生集団に教室内で食べないように注意したら「先生もどうや」とお菓子を差し出したそうです。

私はあまり厳しく飲食を取り締まってきませんでした。喉が渇くこともあるだろうし、飲み物や飴ぐらいは大目に見てきました。

ただ、同僚にそういわれて昨日の講義中、中国からの留学生が口をくちゃくちゃさせていたので首を傾げながら見つめたところ、「先生もどうぞ」とやはり飴を差し出して来て、(その現象の面白さに)嬉しくなってきました。

法治主義ではないと言えばそれまでです。しかし、それはアジアの一部の国に限定されることではないようです。

以前、ラジオパーソナリティの小島慶子さんが仕事で東京から大阪に行ってタクシーに乗り、運転手から「ここは大阪やから、シートベルトせんでもええよ」と言われたと話していたことを思い出しました。シートベルト着用に厳しい東京との違いを感じたそうです(TBSラジオ『キラキラ オープニングトーク』2012年1月16日)。

2008年6月1日から、改正道路交通法により、マイカーを利用する時だけではなく、バス、タクシーを利用する際にも、シートベルトが義務付けられました。法的には日本全国、シートベルトをしなければならないのです。にもかかわらず、大阪(の一部)ではその法規範が十分に共有されていないのです。

もちろん、上記の留学生の教室内の飲食禁止の例とタクシーは一緒ではありません。飲食の例と同じになれば、警察がシートベルト着用を無視するタクシー運転手になぜシートベルトをしなのかと注意した際、運転手が「お巡りさんもしなくてええからな」と言い、警察が「そうやな」と返事をする話になってしまいます。そんなことはないでしょう。

前出の同僚との会話は、大阪と東京、どちらからよりアジア性を共有しているのかという議題に変わっていきました。法は守らなければいけません。しかしながら、意外に大阪人のマインドはアジア人庶民に近いかもしれません。

もちろん、アジアと言っても広く、アジア各国の大都市は東京により共通性があるかもしれませんし、東京でも交通ルールを守らない人はいるでしょうし、多くの大阪人は交通規範を遵守していることでしょう。地域別に社会を語ることは、グローバル化の時代、あまり意味がありません。地域はよりも(階)層によって生活習慣が異なるのです。

上記の認識を前提とした上で、まだ何か地域性もあるのではないでしょうか。そして、その地域性は、一国の地域性に留まらず、海外の特定の地域にも共通性があるのではないでしょうか。

神戸に赴任して1ヶ月が経ち、留学生の流暢な?関西弁にも慣れてきました。最初は違和感があったのですが、最近は関西弁のほうが感覚的に彼らの話すオリジナル言語の直訳に近いのではないかと思うのです。

これから日本に留学したいと考えている日本語を学ぶアジアの学生たちがこのブログを読んでいるかどうかは分かりませんが、関西から日本に触れるのは結構お勧めできるかもしれません。

ちなみに、誤解のないように強調しますと、私(関東出身)の講義は飲食禁止です。それから、日本国内、どこにいてもタクシーではシートベルトをしましょう。

2013年4月14日 23:59

マージナルであり続けること

先週から縁がありまして、日本経済大学神戸・三宮キャンパスにて国際関係論担当の専任教員として教壇に立っております。

当大学(キャンパス)は非常に留学生が多く、本当に自分が「帰国」したのか疑う程です。ただ、担当の留学生の一人ひとりの話を聞くと、当然、学生たちにはそれぞれのストーリーがあります。

そこで共通していることは、留学生がマージナルであることです。

【当ブログでは2011年3月11日の第一回目に「マージナルライフ」のススメとして、「マージナルマン」について言及しました。「マージナルマン」とは、二つ(以上)の社会集団に属し、一つのアイデンティティに固定されていない人間のことを指した米国の社会学者ロバート・パークが提唱した概念です。】

留学生たちは、日本では、母国であります中国やベトナムやネパールを代表するかのように発言しても、母国に帰れば、日本に留学していた事実から親日派もしくは知日派として認識されることでしょう。

私自身、英国での長い留学生活において、英国人や他の留学生からよく「日本ではどうか」と「日本人としてどう考えるか」と問われてきました。しかし、日本に帰れば、十数年の間に(全てではなくとも少なからず)非日本化してしまった自分自身と直面することになります。

しかしながら、今日、グローバル化と格差化によって、どの国におきましてもその国の固有性が曖昧になっているようにも思えるのです。人々の価値観は多様化しており、何々人と一纏めにすることはできません。

もちろん、上記が日本人の日本人性を全て否定することには繋がらないと考えますが、様々な日本人が出現し、人々は複数のアイデンティティをせざるを得ないようにも思えるのです。

そのような時代において、留学とは人工的に自分のアイデンティティをマージナル化する方法です。語学や生活習慣の違いから苦労もしますし、過剰に思い悩んだりもします。

それでも、グローバリゼーションによってアイデンティティが有無を言わさずに多様化する世界では、マージナルマンである(あった)ことは強みになるのではないでしょうか。

私は日本人の学生の皆さんに留学をお勧めし、外国の学生さんには日本に学ばれることを望みます。

私自身、今まで通り、これからも自分がマージナルであることを自覚しながら神戸で、東京(早稲田)で皆さんと一緒に学び続けたいと願っております。今後とも、どうかよろしくお願い申し上げます。

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プロフィール
安井裕司
安井裕司
エジンバラ大学、バーミンガム大学博士課程に学ぶ。その間、ルーマニア・アカデミー歴史学研究所研究生。国際政治学博士(PhD)。国連大学国際紛争研究所インターン、夏期講習クラスコーディネーター、法政大学国際日本学研究所客員研究員等を経て、現在、早稲田大学エクステンションセンター講師、日本経済大学神戸三宮キャンパス教授。
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