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グローバル化は足元からやってくる ~国際学で切り取る世界と社会~

留学生日記

2018年2月 4日 23:15

なぜ、中国では医学部が人気がないのか?

社会学者は経済が発展すれば、諸社会は、それぞれ異なる文化を基としても次第に類似していく(同様になる)という収斂理論を支持する傾向があります。しかしながら、現実はそう簡単にはいかないようです。

中国では大学で医学を学ぶことは必ずしもエリート証ではないとされます( "China's doctors not part of society's elite", Financial Times, October 6, 2013)。

例えば、2016年の中国の大学入試で、各省の文系と理系それぞれ1位の人の誰もが医学部を志願しなかったとされています(如何评价人民日报发表微博《36 名高考状元竟无一人选择学医》?)。中国では医学部が滑り止めとされ、第一希望の学部に合格せず、医学部に入るというケースもあるそうです(中国網日本語版, 2013年10月8日)。

通常、先進国で医学部は大学でも最難関であり、医師はなりたい職業のトップを争うものです(それが正しいかどうかは別として、ほぼ共通現象でしょう)。

それでは、なぜ中国では医学部が人気がないのか。一つには、医師の収入が高くない、更に社会的地位が相対的に低いということがあるそうです(同上)。収入に関しては、中国において医師の初任給は、大学卒の平均初任給を下回っており、医師になるのが大変な割にはリターンが少ないのです。

更に中国では「治療が悪かった」として、患者の家族が担当医を激しく非難するケースが多く、医師に暴力を振ることさえあり、医師が過度のストレスを感じていることも挙げられています(Searchina, 2016年2月21日)。

私はこのニュースを読んで、英国に留学していた頃の医療サービスの二極化の問題を思い出しました。英国の公共の医療サービス(National Health Service=NHS)は基本無料です。しかし、私立の病院(プライベート医療サービス)もあり、そこは高額な診療費がかかります。

どちらの医者になれば儲かるのかといえば当然、「プライベート」であり、優秀な医者も「プライベート」に流れることが指摘されていました。しかしながら、NHSのお蔭で、お金がない人も、無料で医療が受けられるのも事実です。

中国の場合、この英国の「プライベート医療サービス」がないと考えると分かり易いと思います。全てがNHS型になってしまえば、医学部の人気は残念ながら落ちることでしょう。

そして、中国人富裕層の「プライベート」の役割を担っているのが日本などの外国の医療機関ということになります。実際、私が教える中国からの留学生の中には、親が病気になると日本に呼び寄せて治療を受けさせる人が結構います。

教育についても優秀な中国人留学生は海外の大学の医学部に学ぶこともあるのでしょう(卒業後、帰国する人が少ないことは想像に難くないです)。

今後、中国の医学界や医学部はどうなっていくのでしょうか。日本等の先進国に「プライベート」部門を任せ続けるのでしょうか。

私は遅かれ早かれ、中国の医療も「プライベート」化が進み、「収斂」されていくのではないかと考えます。

2018年2月 1日 23:08

いつも世界のどこかでお正月!

昨日、教壇に立つ大学の定期試験が終わりました。

最終日、ある試験において、私が試験監督をしていたところ、1年生のベトナムからの(男子)留学生が答案を提出すると同時に「これで1年生終わり、これから2年生だ!」と言い放ちました。

まだ、採点していないので、彼が無事、単位を取得して2年生になれるかどうかは未定であり、「君、まだ、分からないよ!」と突っ込もうとしたところ、「来週、ベトナム帰ります」、「先生、良いお年を!」と先に言われてしまい完全に敗北しました。

ベトナムの今年のお正月(旧正月)の元日は、2月16日であり、彼らにとっては暮れも押し迫っているのです。
 
もちろん、日本で生活していますから、彼らが日本の時間を知らないわけではないです。日本のお正月が1月1日だったことも理解しているでしょう(留学生の多くは、時給が高い年末年始はアルバイトをしますが)。でも、彼らは同時にベトナム時間でも生きているのです。

私が教える社会学では、「マージナルマン」という概念があります。このブログでも、何度も言及していますが、「マージナルマン」とは、米国の社会学者ロバート・パークが提唱した二つ(以上)の社会集団に属し、一つのアイデンティティに固定されていない人間のことを指しています。

そして、「マージナルマン」としての留学生は日本と母国の「2つの時間」に生きることになります。

グローバル化というと価値の一元化(フラット化)のように見なされることもありますが、(マスレベルの国境を越えた移動によって)多くの人々のアイデンティティが、マージナル化していくのも事実であるでしょう。

それは多元的な現象でもあります。

私は好きなイラン映画『白い風船』は、イラン暦1373年の大晦日(西暦1995年5月)のテヘランが舞台です。映画は、「現在、5時7分です。新年まで後1時間28分30秒です」というラジオ放送から始まります。

昨年、9月に私が訪れたネパールは、日本と時差が3時間15分あるのですが(日本のほうが進んでいる)、そもそも、ネパールはビクラム暦を採用しており、2018年1月1日は、ビクラム歴2074年9月17日です。そして、ネパールにおいて新年は日本の「4月」に迎えることになります。

つまり、ネパール人の留学生からは、3月に「良いお年を!」と言われることになります。

そう考えると、いつも世界のどこかでお正月なのかもしれません。

それは世界がバラバラなのではなく、グローバル化していることによって、(留)学生が世界に学び、お正月の「違い」が見えてきたのです。

毎月、お正月、悪くはないです。

皆さん、今月も良いお年をお迎えください。

2018年1月 2日 00:32

シグナルとしてのブランド品、シグナルとしての学歴

先日、ゼミ生で中国出身の女子学生が、「GIVENCHY」と記されているバックを持っていました。

高級ブランドらしく、「高そうだね」と言ったところ、「先生、これ、多分、偽物なんです」と答えてきました。

「ネットで買ったんですけど、5,000円ぐらいしかしなかったから、本物ではないと思います」、「本物は、高いんです」と。

【後で、ネットで確認したところ、中古ならば本物でもこの値段で入手できる場合があるようです。】

「本物ではない可能性が高いのに、どうして買うのですか?」、「ブランドではないバックでも、5,000円もだすなら、良いものが買えるのではないでしょうか」と私。

すると、彼女は、「いつか、本物買おうということを忘れないために、これ買ったんです」と続けました。

彼女の意見は理屈としては通っており、それなりに納得してしまいました。

別の場所で、大学院博士課程に学ぶ中国からの留学生が、「私、ブランド物に興味ないんです」、「ブランドが好きな人って、物じゃなくて、ブランドにお金払っているような気がするんです」と言ってきました。

こちらも説得力があります。

個人的には、ブランド品を、(無批判、無条件ではないですが)基本的に肯定しています。

経済学では「シグナリング」と称されますが、ブランドという情報も無意味ではないと考えるからです。

もちろん、自分自身の価値基準(十分な情報)があり、「シグナリング」としてのブランドの必要がなければ、それはそれで結構なことです。でも、基準としてのブランドがあってもいい。

もっとも、社会(市場)においてブランドがブランドである正当な理由がなければ「逆選択」(悪い選択)を誘発してしまうことになります。

ちなみに、大学・大学院は学位(学士、修士、博士)を出す教育機関ですが、その結果としての「学歴」もまた、ある種のブランディグに他なりません。そして、学位取得者は、社会において「シグナリング」化されるのです。

学歴は、努力で後天的に獲得するもので、お金で買えるブランドとは違うと言われるかもしれません。しかし、自分のお金でブランド品を購入する場合、労働=努力の対価としての賃金を得て、それによってブランドを入手するとすれば、ブランド品収集家も、後天的努力によってブランド品を勝ち得ているとも言えます。

ただ、一言付け加えれば、シグナルに(価値基準を)依存する社会も怖いのです。

本当はブランドや学歴の価値を認めながら、人々が、それらにも勝る「個」の魅力を目指すようになれば、一番かっこいいとも思います。

2017年11月 5日 17:36

日本男子は、気持ちを言葉にしない!?

私が勤務する大学に学ぶ中国人の留学生が、「日本人の男性は変です」と言ってきました。

彼女の知人の中国人女性と日本人男性の3組のカップル(学生、独身同士)がいて、共に日本人男性から言葉が足りないことを不満に思っているというのです。

中国では恋人同士は、毎日、「愛している」とか「大好きだよ」とか、SNSでやり取りするのが普通だそうですが、日本人の「彼」はあまり、気持ちを言葉(文字)にしないというのです。

私は、第一に、若者が恋愛を避ける傾向がある今日、外国人女性と(というか女性と)、お付き合いしているだけで十分立派だと思うのですが、それでも、言葉が足りないという「伝統的?」な日本男子の系譜に今の若者(少なくとも何人か)がいることにも興味を抱きました。

まず、私は、言葉は補完的なものに過ぎないと認識します。

毎日、会っているカップルが、毎日、「好きだよ」「愛している」と書いて、愛を確認する必要はないのではないでしょうか(もちろん、そうしても問題はないのですが、そのことで日本男子が責められる必要は無いと感じます)。

ただ、何らかの理由があって、長距離恋愛をしており、週に1回、数週間に1回しか会えないならば、文字化することも求められるかもしれません。

ビートルズの「All My Loving」(1963年)という名曲は、離れている恋人に「僕は、君に手紙を毎日、毎日書くよ」と約束する(正確には、一方的に宣言する)曲です。離れているからこそ、文字化するのです。

【今なら、LineやFacebook, Skypeで気持ちの文字化も簡単ですし、会話することもできますから、もう、この曲も成立しないかもしれません。ただ、「All My Loving」のポールの歌声を聞いていると、手紙のほうが、距離が感じられて趣があります。】

反対に、一緒にいるなら、歯の浮くような(嘘臭い)言葉は要らないのではないでしょうか。時間を共有していることによって、互いの存在が甘い言葉よりも上回るような気がします。逆に遠距離ならば、言葉の嘘臭さを距離が消してくれ、「純粋さ」だけが伝わるのかもしれません。

そんなことを考えて、冒頭の3組カップルは遠距離恋愛なのですか?と尋ねたところ、「はい、そうです。国を跨いだ遠距離です」と答えが返ってきました。

それじゃ、あかん。日本男子。気持ち(All your loving) を言葉にして贈らなくちゃ。

2017年10月31日 20:25

北朝鮮に行っていなければ、北朝鮮を語れないのか?

私は、勤務校(大学)で「社会学」及び「国際関係論」を担当しており、早稲田大学エクステンションセンターでは「国際時事問題」や「映画からみるヨーロッパ社会」等を担当しています。

色々な国や地域の話をします。私は、ヨーロッパの4カ国に長期滞在し、旅行ではヨーロッパ各地に足を運びました。

しかし、それでも行ったことのない国や地域、街があります。会っていない人(々)がいます。

先日、北朝鮮の問題を取り上げたところ、ある留学生から「先生は、北朝鮮に行ったことがあるのですか?」と問われました(「行ったことがないのならば分からないだろう」というニュアンスでした)。

私は、北朝鮮に行ったことはありません。しかしながら、20代前半、ルーマニアという北朝鮮と共通性のある国家を滞在にし、短期間ながら研究対象にしていたことがあります。それ故に、想像力を働かせることはできます。

もちろん、ルーマニアと北朝鮮が同じではあるとは言いませんが、共通性があることも事実です。その共通性がある限り、何かを分析することはできるような気がするのです。

仮に、ルーマニアに行ったことがなかったとしても、それでも、何かを考えることはできると思います。

経験論については、当ブログ2012年3月 3日付でスイスを例に言及していますが(「経験主義を超えて(1):何年スイスに住んだらスイスを理解できるのか?」)、経験をしないと語れないという主張は、思考を失わせてしまうのです。

世界の人口は、約76億人(国連経済社会局)であり、それぞれの経験があります。会ってみなければ、人を語れないとすれば(私たちは一生の間、数千人かせいぜい数万人しか会いえないのですから)何も言えなくなってしまいます。しかし、私たちは自らの経験を持って、人の痛みや喜びを理解することができるのではないでしょうか。

国家についても、世界中の国に行くことはできません。行ったことないから、〇〇国は分からないと言い切ることはできるかもしれません。ただ、私は、人は経験を基に想像することが重要であると思うのです。

もちろん、私は経験を軽視するつもりはありません。行かなければ分からないことは、当然、あります。行ってもいないのに、決めつけてはいけないのです。

経験豊かな(北朝鮮等の)特定地域の専門家は、専門家の見地から社会的な発言をすることを求められるでしょう。

素人はプロではありません。だから、専門家の言葉は、敬意を持って拝聴しなければいけないでしょう。しかし、それでも自分の経験を基に、他国、他者を想像することは無意味ではないと考えます。

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プロフィール
安井裕司
安井裕司
エジンバラ大学、バーミンガム大学博士課程に学ぶ。その間、ルーマニア・アカデミー歴史学研究所研究生。国際政治学博士(PhD)。国連大学国際紛争研究所インターン、夏期講習クラスコーディネーター、法政大学国際日本学研究所客員研究員等を経て、現在、早稲田大学エクステンションセンター講師、日本経済大学神戸三宮キャンパス教授。
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