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グローバル化は足元からやってくる ~国際学で切り取る世界と社会~

国際事情(欧州を除く)

2017年12月 1日 09:22

日本人のサービスとは?:「神様」に仕え、「神様」になること

かつて衣服の販売店でアルバイトをしていた中国からの女子留学生が、「日本人って時々、分からないところがあります」というのです。

当ブログでは何度となく言及していますが、私は、留学生が多い大学に勤務しており、このような話題に事欠かないのですが、今回は非常に興味深く耳を傾けました。

彼女が言うには、勤務前後に私服で自分が店に出入りする際、日本人のお客さんと間違ってぶつかったりすると、お客さんはとても丁寧に「すみません」と謝ってくれるそうです。

しかしながら、一旦、彼女が店の中に入り、「バッジ」(社員証)をしてしまうと、お客さんが間違ってぶつかった時も、お客さん側が謝ることは滅多になく、一方的に社員として謝罪しなければいけないというのです。

彼女は、「仕事中でも仕事外でも私は、同じ人間なのに何か変です」と語っていました。

私は、彼女の言っていることは非常に分かります。ただ、日本のサービス業には(良いお店程)「お客様は神様です」という鉄則があり、お店では、お客は「神様」のような存在として認識されます。そして、それは従業員が、お客様=「神様」に仕えることを意味します。

「おもてなし」という観点から申し上げれば、このサービス精神が日本の「強さ」でもあります。外国人観光客は、概して日本のサービスの素晴らしさに感動して、帰国していきます。

しかし、労働条件として考えれば、非常に厳しいと言わざるを得ません。日本人は、日々、労働者(アルバイトも含め)としてはお客さん(「神様」)に仕え、同時に消費者(「神様」)としては仕えられる存在なのです。

問題は、この「是非」が、コインの「裏表」になっていることです。日本のサービス業の強さ、素晴らしさの裏側が、働く人への厳しい接客ルールとなっているのです。どちらかだけを、褒めたり、批判しても意味がありません。労働慣習を否定してしまえば、「おもてなし」の美学もなくなってしまうのです。

逆に、欧米社会は、一般にサービス業の接客態度は良くなく、閉口することが少なくありません。しかし、働く側がお客に仕える必要もないのです。そこでは、客としても労働者としても、良くも悪くも「人間」であり、「神」の存在はないのです。

それぞれ、日本型のサービスも、欧米型のサービスも一長一短なのですが、残念なことに人は生活環境を選択することができません。日本にいれば日本社会、ヨーロッパにいればヨーロッパ社会の中で生きていかなければいけないのです。

2017年11月29日 00:13

なぜ、つくばエクスプレスの「20秒早発」の謝罪が、国際ニュースになるのか?

面白い情報は、瞬時に国境を越えることを実感させる、大変興味深いニュースがありました。

10月14日、茨城県つくば市と東京・秋葉原を結ぶ「つくばエクスプレス(TX)」が、千葉県流山市の南流山駅において、普通列車(下り)が定刻より約20秒早発してしまいました。9時44分40秒発車予定だったものが、9時44分20秒になってしまったということです。

TXを運営する首都圏新都市鉄道は、乗務員の確認不足が原因として、同社のホームぺージにおいて「お客様には大変ご迷惑をおかけしましたことを、深くお詫び申し上げます」と謝罪を掲示しました。

同社の謝罪文は、現在も以下において公開されています(首都圏新都市鉄道HP)(http://www.mir.co.jp/company/release/2017/post_109.html)。

この「20秒早発」謝罪は、、ソラニュース24(ロケットニュースの英語版)が報じたことを皮切りとなって、海外メディアでも続々と報じられます(The Huffington Post Japan, 11月17日)

2日後の11月16日にはBBCの記事「Apology after Japanese train departs 20 seconds earl」となります(BBC online, 16 November 2017)。

BBCの記事が面白いのは、英国人がTwitterで自分の通勤列車を運営する会社に対して、首都圏新都市鉄道のニュースを訴えていることです。

例えば、英国のAlastair Stewart‏氏は、11月16日の16時25分(現地時間)に、Twitter で以下のように書かれています。

"Apology after Japanese train departs 20 seconds early".Read; weep; read; laugh. そして、@networkrail @SW_Railway @SouthernRailUKと鉄道会社名を列記します。

英国人のWill Forster氏も11月16日の17時16分に以下のように記されています。

Don't think this will be an apology @SW_Railway or any other train company in the UK will ever have to make!

ここでも、イングランドのSouth Western (SW)Railway社等では、こんな謝罪はあり得ないと厳しいコメントです。

英国だけではなく米国でも報道され、そして、日本に跳ね返ってくるのです。10月17日には、世界各地で話題になっていることが、また記事になります(産経ニュース, 11月17日; The Huffington Post Japan, 11月17日; 朝日新聞デジタル,11月20日)。

10月14日の「20秒早発」から3日後、情報が地球を1週して戻ってきたような感覚です。

この記事が世界で耳目を集めた理由は、認識のズレなのです。

海外では、「20秒」の何が問題なのか分からないとしながら(やり過ぎというニュアンスも含みながら)、同時に、あまりにも時間にルーズな自国の鉄道会社を比較しているのです。

昔、英国留学中にみたBBCのドキュメンタリーで、BBCの特派員がJR山手線の運転手に「時間通りに運行するのはストレスではないですか?」と聞いていました。運転手は「時間が守れないことがストレスです」と答えていました。

その時、私は、二つの社会に救いようもないギャップが存在すると痛感しました。

2017年11月22日 23:05

自由ではなければ、人の心を溶かすような音楽は生まれない

今月13日、北朝鮮と韓国の板門店・協同警備区域(JSA)を越えて韓国に亡命しようとして、銃撃を受け重傷を負った北朝鮮軍人が韓国国内で意識を回復し、「韓国の歌が聞きたいです」とコメントしたそうです(中央日報, 11月21日)。

なぜ、重傷の北朝鮮の兵士が「韓国の歌が聞きたい」と言ったのでしょうか。

実は、北朝鮮では、韓国の流行歌(K‐POP)などの歌謡曲や韓流ドラマが人気を博しているそうです。

しかし、それらを視聴したり頒布したりすることは厳禁されており、当局に知られると重罪に問われるため、命がけで密かに楽しむしかないというのです(Daily NK, 2017年11月22日)。

韓国軍は近年、軍事境界線付近における対北宣伝放送で、政治的な内容ばかりではなく、K-POPも流しているそうです(同上)。政治的な美辞麗句ではなく、人間の感覚を刺激する音楽のほうが効果的であると認識していることから始まったとされています(同上)。

このニュースを耳にした時、私は、当ブログ2017年2月23日で紹介したドイツ映画『善き人のためのソナタ』(2006年)を思い出しました。

映画の内容は以下の通りです。
【1984年の東ベルリン。長年、国家保安省(シュタージ)の局員であるヴィースラー大尉は、ある日、上司から劇作家のドライマンと彼の恋人で女優のクリスタが反体制活動家であるという証拠を掴むように命令される。ヴィースラーは、ドライマンの自宅に密かに盗聴器を設置し、屋根裏部屋で監視を始める。最初は、任務として諜報していた彼だったが、ドライマンとクリスタの芸術の世界を知る事で、徐々に彼自身が変化していく。そして、ドライマンが弾くベートーヴェンのピアノソナタ『熱情』を耳にした時、ヴィースラーの心は激しく揺さぶられ、新しい人生に目覚めていく。】

K-POPは北朝鮮の若い兵士の心を溶かしているのかもしれません。ただし、自由なK-POPの魅力は諸刃の剣でもあります。

映画『善き人のソナタ』の中で劇作家のドライマンは恋人クリスタに「レーニンはベートーヴェンの『熱情』が好きだったが、あまり聴かなかったという。なぜならば彼はそうすると革命が成し遂げられなくなってしまうと思ったから」と語ります。

上記は、共産主義国家建設だけには留まらないでしょう。状況によっては、韓国軍にとってもK-POPはプラスになるとは限らないように思えるのです(逆に、体制が音楽をイデオロギー化してしまえば、音楽は敵国の兵士の心には届かないでしょう)。

国歌等、集団的アイデンティティを鼓舞する曲はありますが、音楽は、究極には集団ではなく、個に帰してしまうのでしょうか。

少なくても国が、ある程度「自由な社会」を維持しなければ、人の心を溶かすような音楽が生み出されないことは確かでしょう。

2017年11月 5日 17:36

日本男子は、気持ちを言葉にしない!?

私が勤務する大学に学ぶ中国人の留学生が、「日本人の男性は変です」と言ってきました。

彼女の知人の中国人女性と日本人男性の3組のカップル(学生、独身同士)がいて、共に日本人男性から言葉が足りないことを不満に思っているというのです。

中国では恋人同士は、毎日、「愛している」とか「大好きだよ」とか、SNSでやり取りするのが普通だそうですが、日本人の「彼」はあまり、気持ちを言葉(文字)にしないというのです。

私は、第一に、若者が恋愛を避ける傾向がある今日、外国人女性と(というか女性と)、お付き合いしているだけで十分立派だと思うのですが、それでも、言葉が足りないという「伝統的?」な日本男子の系譜に今の若者(少なくとも何人か)がいることにも興味を抱きました。

まず、私は、言葉は補完的なものに過ぎないと認識します。

毎日、会っているカップルが、毎日、「好きだよ」「愛している」と書いて、愛を確認する必要はないのではないでしょうか(もちろん、そうしても問題はないのですが、そのことで日本男子が責められる必要は無いと感じます)。

ただ、何らかの理由があって、長距離恋愛をしており、週に1回、数週間に1回しか会えないならば、文字化することも求められるかもしれません。

ビートルズの「All My Loving」(1963年)という名曲は、離れている恋人に「僕は、君に手紙を毎日、毎日書くよ」と約束する(正確には、一方的に宣言する)曲です。離れているからこそ、文字化するのです。

【今なら、LineやFacebook, Skypeで気持ちの文字化も簡単ですし、会話することもできますから、もう、この曲も成立しないかもしれません。ただ、「All My Loving」のポールの歌声を聞いていると、手紙のほうが、距離が感じられて趣があります。】

反対に、一緒にいるなら、歯の浮くような(嘘臭い)言葉は要らないのではないでしょうか。時間を共有していることによって、互いの存在が甘い言葉よりも上回るような気がします。逆に遠距離ならば、言葉の嘘臭さを距離が消してくれ、「純粋さ」だけが伝わるのかもしれません。

そんなことを考えて、冒頭の3組カップルは遠距離恋愛なのですか?と尋ねたところ、「はい、そうです。国を跨いだ遠距離です」と答えが返ってきました。

それじゃ、あかん。日本男子。気持ち(All your loving) を言葉にして贈らなくちゃ。

2017年10月31日 20:25

北朝鮮に行っていなければ、北朝鮮を語れないのか?

私は、勤務校(大学)で「社会学」及び「国際関係論」を担当しており、早稲田大学エクステンションセンターでは「国際時事問題」や「映画からみるヨーロッパ社会」等を担当しています。

色々な国や地域の話をします。私は、ヨーロッパの4カ国に長期滞在し、旅行ではヨーロッパ各地に足を運びました。

しかし、それでも行ったことのない国や地域、街があります。会っていない人(々)がいます。

先日、北朝鮮の問題を取り上げたところ、ある留学生から「先生は、北朝鮮に行ったことがあるのですか?」と問われました(「行ったことがないのならば分からないだろう」というニュアンスでした)。

私は、北朝鮮に行ったことはありません。しかしながら、20代前半、ルーマニアという北朝鮮と共通性のある国家を滞在にし、短期間ながら研究対象にしていたことがあります。それ故に、想像力を働かせることはできます。

もちろん、ルーマニアと北朝鮮が同じではあるとは言いませんが、共通性があることも事実です。その共通性がある限り、何かを分析することはできるような気がするのです。

仮に、ルーマニアに行ったことがなかったとしても、それでも、何かを考えることはできると思います。

経験論については、当ブログ2012年3月 3日付でスイスを例に言及していますが(「経験主義を超えて(1):何年スイスに住んだらスイスを理解できるのか?」)、経験をしないと語れないという主張は、思考を失わせてしまうのです。

世界の人口は、約76億人(国連経済社会局)であり、それぞれの経験があります。会ってみなければ、人を語れないとすれば(私たちは一生の間、数千人かせいぜい数万人しか会いえないのですから)何も言えなくなってしまいます。しかし、私たちは自らの経験を持って、人の痛みや喜びを理解することができるのではないでしょうか。

国家についても、世界中の国に行くことはできません。行ったことないから、〇〇国は分からないと言い切ることはできるかもしれません。ただ、私は、人は経験を基に想像することが重要であると思うのです。

もちろん、私は経験を軽視するつもりはありません。行かなければ分からないことは、当然、あります。行ってもいないのに、決めつけてはいけないのです。

経験豊かな(北朝鮮等の)特定地域の専門家は、専門家の見地から社会的な発言をすることを求められるでしょう。

素人はプロではありません。だから、専門家の言葉は、敬意を持って拝聴しなければいけないでしょう。しかし、それでも自分の経験を基に、他国、他者を想像することは無意味ではないと考えます。

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プロフィール
安井裕司
安井裕司
エジンバラ大学、バーミンガム大学博士課程に学ぶ。その間、ルーマニア・アカデミー歴史学研究所研究生。国際政治学博士(PhD)。国連大学国際紛争研究所インターン、夏期講習クラスコーディネーター、法政大学国際日本学研究所客員研究員等を経て、現在、早稲田大学エクステンションセンター講師、日本経済大学神戸三宮キャンパス教授。
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