QuonNet(クオンネット) まなぶ・つながる・はじまる・くおん




グローバル化は足元からやってくる ~国際学で切り取る世界と社会~

日本社会

2017年8月15日 23:49

終戦記念日に「消極的平和」のみならず、「積極的平和」を願う

ネパール、インド、バングラデシュの3カ国で、8月11日から豪雨が広い範囲で降り続き、洪水となっています。ネパールだけで111人が亡くなり、3か国合計では犠牲者は221人に至っていると報じられています(AFP, 15 August)。

私のゼミには、ネパールのチトワン出身の留学生が在籍しており、実家から彼に送られてきた洪水の写真を転送してくれました(以下)。

S_6541195088949.jpg

2015年4月25日のネパール地震から立ち上がり、復興中の同国にとって追い打ちをかけられたような感覚でしょう。

日本では、8月15日は終戦記念日です。

私も参加しております(各地の)ユネスコ協会では、終戦記念日を改めて平和を考える機会にしようと、「平和の鐘を鳴らそう」という活動をしています(当ブログ, 2014年8月17日, 2015年8月19日において紹介しています)。

日本の場合、第一に第二次世界大戦を念頭においています。もちろん、第二次世界大戦を振り返り、平和を願うことは素晴らしいことですが、今日は、それに加えてちょっと異なるアプローチもお考え願いたいです。

ノルウェーの平和学の第一人者ヨハン・ガルトゥング氏は、平和を「消極的平和(Negative Peace)」と「積極的平和(Positive Peace)」の二つに分けて考えました。まず、「消極的平和」とは戦争のない状態を指します。そして、貧困、抑圧、差別などの構造的暴力がない状態を「積極的平和」としたのです。

北朝鮮と米国の緊張関係が続く中、残念なことに「消極的平和」を維持することも難しくなってきていますが、同時に、洪水や地震等、自然災害がもたらす構造的な暴力がないように(軽減するように)対応しなければならないと痛感します。

自然災害は、不可避でもあります。私たちは、自然災害を完全に防ぐことはできませんが、予期し準備することで被害を最小限に留めるように努力することはできるでしょう。

何はともあれ、ネパールの洪水は、現在進行形の出来事です。今は情報をできるだけ集め、私のゼミ生のように家族がネパールにいるなら、外からの情報を現地に送りながら、被害が少しでも小さいことを願うしかありません。

終戦記念日、様々な平和を祈りました。

2017年8月13日 17:58

課題は、東京の大学の「関東ローカル化」なのでは?

文部科学省は8月12日、次年度から東京23区にある私立大学の定員抑制を実施し、既に23区で施設の整備を進めている場合を除き、原則、23区内での定員増は認めないことを決定しました(読売新聞, 8月13日)。

これに先立ち、岩手県盛岡市にて開催された全国知事会議(7月27日、28日)にて、大学の東京一極集中を危惧する地方の知事たちが23区内の大学の「定員増」を抑制する立法措置を国に求めることを決議しています(東京新聞, 7月29日)。

私は、地方でも東京でも大学の教壇に立っていますが、どちらかと申しますと東京の大学の関東ローカル化が進んでいると感じていましたので、正直、このニュースには驚いています。

代々木ゼミナール教育総合研究所の坂口幸世氏も「以前は首都圏の大学に進学したい地方の受験生が自分の学力に合わせて、いろいろな大学を目指しましたが、今は地元志向の高まりで家の近くの旧帝大や地元の国立大を目指すように変わってきました。結果、首都圏の大学の関東ローカル化が進んでいます」と言われています(夕刊フジ, 2017年7月21日)。

全国の学生が来ることで多様性を維持したい首都圏の大学は、危機感を深めており、地方の受験生確保に躍起になっていると報じられています(同上)。

もちろん、関東ローカル化と定員問題は別ではありますが、地方の大学生を東京の大学が一方的に奪っているという認識は間違っているように思えます。23区の定員が増えようと減ろうと、大半の地方の学生は東京には来ないのではないでしょうか。

むしろ、定員という意味ではより留学生の受け入れ問題のほうが大きいように感じます。文科省は2020年までに日本に学ぶ留学生を30万人にする計画を掲げていますが、留学生の多くは東京や大阪等の大都市で学ぶことを希望しています。

平成28年5月1日現在の留学生数は239,287人であり(「平成28年度外国人留学生在籍状況調査結果」日本学生支援機構, 平成29年3月)、2020年までに30万人を突破するのは難しくない状況ですが、それでも先進国の中では日本は留学生受け入れで後塵を拝してします。

近い将来、他の先進国並みに留学生受け入れ50万人、100万人を目指すとすれば、留学生をどこでどのように受け入れると考えているのでしょうか。

もちろん、それが地方であっても何の問題もありません。むしろ、地方の活性化にもそうあるべきです。そのためにも、留学生にとっても魅力ある地方と地方の大学にしていかなければいけないでしょう。そうではなければ、留学生に、(定員規制があり)東京の大学に行き難いなら、日本に行かないというような選択をされてしまうかもしれません。

いずれにせよ、課題は、23区の定員規制ではないように思われます。

2017年8月 8日 17:12

新しい飲料文化になるのか?「茶氷」の挑戦

どこの企業も儲けなければいけなく、自社の商品やサービスの宣伝に努めています。

その中で、KIRINの「生茶」の電車広告が気になりました。

「夏のお茶のお楽しみ」と題して、夏は「お茶氷」とお茶を凍らして味わうことを提言しています。

お茶というものは本来「飲む」ものであり、氷として「食する」ものではありませんが、宣伝は、わざわざ氷にする理由の説明も続きます。

「お茶を凍らせると、水分から先に凍っていきます。溶けるときは、逆に、お茶の成分から溶け込んでいくので、飲んだ瞬間にお茶の旨みをしっかりと感じられます。」

「さらに、お茶氷にお茶を注げば、溶けはじめは濃いお茶を楽しめ、最後まで味が薄くならずに冷たくて美味しいお茶を味わうことができます。」

ということで、早速、1本生茶を購入して凍らして、飲んで(食して)みましたが、宣伝通り、なかなか美味しく感じられました。

この宣伝がなぜ興味深いと申しますと、単に商品を売るのではなく、お茶という日本人の飲料生活に欠かせないアイテム(飲み物)を凍らすというライフスタイルの変化に挑戦しているからです。

日本にお茶が伝わったのは1200年程前と言われていますが、お茶は単なる飲み物ではなく、日本の文化となり茶道という芸術にまで昇華されてきました(「日本人とお茶」伊藤園)。

お茶を凍らす飲み方(食し方)が、この間、皆無だったかは確認できませんが(あったかもしれませんが)、少なくても、いまだに一般的ではなく、今回の「生茶」の挑戦がどれくらい影響を及ぼすのかは注目に値します。

そもそも、近年、日本人は緑茶を以前程、飲まなくなっています。

消費量は、長期にわたって減少傾向で推移しており(茶の需給情報連絡会, 平成26年2月27日)、1世帯当たりの緑茶の年間消費支出金額では、平成13年は平均6,432円だったものが、平成27年には2000円以上も下がり、平均4,096円となっています(「茶をめぐる情勢」農林水産省, 平成28 年5月)。

ペットボトルも含めた茶飲料全体では減少率はそれ程大きくないのですが、それでも、炭酸飲料、ミネラルウォーター類、コーヒーは、消費が拡大しており、お茶は大きく水をあけられています(同上)。

そのような意味では、日本人の飲料文化は既に大きく変化しており、起死回生として「氷のお茶」の登場を位置付けることもできるのかもしれません。

さて、お茶の夏は来ているのでしょうか。

2017年7月16日 01:41

昭和の「味」を失うということ

QuonNet事務局の小生の担当者のSさんから「東京では、あのカールが無くなります」と知らされたのは、2カ月前でした。

事実、カールを生産・販売する明治は、5月25日、8月末を持って西日本地域のみの販売に切り替えると発表していました。

その理由としては、スナック菓子市場はジャガイモを原材料とするポテト系スナックが優位となっていることであり、西日本地域に限定することに関しては、生産拠点を四国にある子会社「四国明治」に集約するために、流通の観点からの経営判断とのことです(HuffPost Japan, 2017年5月25日)。

関西在住の私には無関係かと思いきや、「カールカレーあじ」「大人の贅沢カール」「小つぶカール」については全国的に生産・販売を止めるそうです。

6月、7月と、私はカールをよく口にしています。職場の同僚がそれぞれ購入してきたものをつまむ場合が多いのですが、全国的カールが売れており、品切れのところもあると報じられています(毎日新聞、2017年6月5日)。

実のところ、カールを食べたのは数年ぶりなのです。記憶が曖昧なのですが、10年以上、食べていなかったかもしれません。しかしながら、「カールが好きか?」と聞かれれば、答えは「Yes」なのです。

おそらく、多くの方がそうだからこそ、カールは生産、販売を止めてしまい、そして、今、日本中でカールが売れているのでしょう。

カールを味わいながら『サザエさん』とか『笑点』を思い出しました。『サザエさん』の視聴率が落ちると話題になります。そして、私たちは、『サザエさん』に再会したくなるのです(視聴率は回復します)。

カールはとても昭和な味がします。過去の味とは、日常的なものではないのかもしれません。

カールの販売が始まったのは1968年です。川端康成氏がノーベル文学賞を受賞し、三億円事件が発生し、「週刊少年ジャンプ」創刊された年です(HuffPost Japan, 5月25日)。

2017年では当然、時代が違います。

思い出の味は、日常のドタバタの中で、普段は思い出さないものですが、いざ、それを失うとなると無性に残念なのです。

このところのカールの爆発的な売れ行きにもかかわらず、明治は「惜しむ声が上がっていることはありがたく受け止めているが決定したことなので、売り上げが伸びても方針を変更する予定はない」(毎日新聞、2017年6月5日)と発表しています。

それは、残念ですが、正しい選択なのでしょう。

2017年6月26日 01:51

「個」に戻られた小林麻央さんが変わり、「公」に変えたこと

小林麻央さんが亡くなりました。

週末は、このニュースが繰り返し流れていました。

なぜ、この悲報に釘付けになってしまうかといえば、小林さんが2016年9月以降、ブログで「闘病日誌」を記されてきたことで、多くの人々が小林さんと一緒に歩んできたような感覚があるからだと思います。

病気、特に(癌のような)重病を公表することは勇気が要ることでしょう。周囲に労わられることも辛かったのではないでしょうか。

しかし、小林さんは「同じ病気の人と共に闘う」という姿勢を鮮明にされたことで、「公人」となられました。

その証左ではないですが、BBCは2016年11月21日に、麻央さんを「世界中の影響力があり人の心を動かす女性100人」の一人に選びました("BBC 100 Women 2016: Who is on the list?"BBC, 21 November 2016)。

夫の市川海老蔵さんは23日の記者会見で「(ブログで)同じ病の人や苦しんでいる人たちと喜びや悲しみを分かち合っている妻の姿は、私からすると人でないというか、なんというか......すごい人だなと」と語られていました。

私は、本当は「神」とか「女神」とか言われたかったのを、宗教的な理由で躊躇されたのかもしれないと感じました。

正直、申しまして、小林さんがアナウンサー、キャスターとしてご活躍されていた頃、私は海外滞在中であったこともあり、小林さんのお姿をテレビで見る機会がありませんでした。私が帰国した時は、ご結婚されており、「梨園の妻」となられ表舞台から退かれていました。ですから、私が小林さんをフォローしてきたとは言えないのですが、それでも、アナウンサーの頃と、この1年の小林さんの存在感は社会的に大きく異なるように見えます。

ブログを通じて送られたメッセージとしての「生き様」は、人気アナウンサーとかキャスターという立場を遥かに凌ぎ、小林さんを社会的に唯一無二の存在とし、それ故に現在、多くの人が喪失感に苛まれているのではないでしょうか。

ご家族にとっては小林さんは当然「私人」ですから、もしかしましたら、小林さんの「公人」化は、ご家族が望まれたことではなかったかもしれません。

私には、小林さんのブログの1日目に「(癌になって)陰に隠れているそんな自分とお別れしようと決めました」(小林麻央「KOKORO.」2016年9月1日)と記されていることが非常に印象的です。

小林さんは、病気と直面した時に「変わった」のです。新しい局面の自分と対峙することで、自分自身を取り戻すことで、「個人」として「公人」になっていかれます。

記者会見で、海老蔵さんは「どんな奥さんでしたか?」と問われ、「僕を変えた奥さんなんじゃないですか」と答えられています。

時間の経過や社会的な立場で、人は変わるものです。人が変化すれば、人間関係も多様に変化します。小林さんも、海老蔵さんとご結婚されて、そして、ご病気をされて変わられたのかもしれません。そして、皆が変わっていく(結果として日本人の癌意識が変わったかもしれません)。

いずれにしましても、苦しい病状の中で、このような形で「変わる」ことができるのは本当に凄いことです。

最後に「ご冥福をお祈りいたします」という送り言葉は、小林さんには合わないように思われます。やはり、何よりも「有難うございました」と申し上げたいです。

 1  |  2  |  3  |  4  |  5  |  6  |  7  |  8  |  9  |  10  |  11  |  12  |  13  |  14  |  15  |  16  |  17  |  18  |  19  |  20  |  21  |  22  |  23  |  24  |  25  |  26  |  27  |  28  |  29  |  30  |  31  |  32  |  33  |  34  |  35  |  36  |  37  |  38  |  39  |  40  |  41  |  42  |  43  |  44  |  45  |  46  |  47  |  48  |  49  |  50  |  51  |  52  | All 次へ >>

プロフィール
安井裕司
安井裕司
エジンバラ大学、バーミンガム大学博士課程に学ぶ。その間、ルーマニア・アカデミー歴史学研究所研究生。国際政治学博士(PhD)。国連大学国際紛争研究所インターン、夏期講習クラスコーディネーター、法政大学国際日本学研究所客員研究員等を経て、現在、早稲田大学エクステンションセンター講師、日本経済大学神戸三宮キャンパス教授。
月別アーカイブ
2017年8月
2017年7月
2017年6月
2017年5月
2017年4月
2017年3月
2017年2月
2017年1月
2016年12月
2016年11月
2016年10月
2016年9月
2016年8月
2016年7月
2016年6月
2016年5月
2016年4月
2016年3月
2016年2月
2016年1月
2015年12月
2015年11月
2015年10月
2015年9月
2015年8月
2015年7月
2015年6月
2015年5月
2015年4月
2015年3月
2015年2月
2015年1月
2014年12月
2014年11月
2014年10月
2014年9月
2014年8月
2014年7月
2014年6月
2014年5月
2014年4月
2014年3月
2014年2月
2014年1月
2013年12月
2013年11月
2013年10月
2013年9月
2013年8月
2013年7月
2013年6月
2013年5月
2013年4月
2013年3月
2013年2月
2013年1月
2012年12月
2012年11月
2012年10月
2012年9月
2012年8月
2012年7月
2012年6月
2012年5月
2012年4月
2012年3月
2012年2月
2012年1月
2011年12月
2011年11月
2011年10月
2011年9月
2011年8月
2011年7月
2011年6月
2011年5月
2011年4月
2011年3月
カテゴリーアーカイブ
カンボジア (27)
スイス (25)
スポーツと社会 (113)
ネパール (15)
国際事情(欧州を除く) (223)
大震災/原発事故と日本 (28)
御挨拶 (13)
日本政治 (121)
日本社会 (257)
映画で観る世界と社会 (278)
欧州事情 (92)
留学生日記 (61)
英国 (95)

ページトップへ

カレンダー
<< 2017年08月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    
最新記事
構造的暴力としての人種差別
21世紀でも(だから)魔女はつらいよ: 映画 『塔の上のラプンツェル』にて絶対悪となった魔女
終戦記念日に「消極的平和」のみならず、「積極的平和」を願う
欧州における世間とは何か: 映画『マグダレンの祈り』が見せつける世間体の壁
課題は、東京の大学の「関東ローカル化」なのでは?
最新コメント
はじめまして、書き込...
Posted by たか
あなたもまだお若い。...
Posted by 葵東
青春時代に見て感動し...
Posted by 小林 千三
私は韓国に住んでいま...
Posted by 七色無職
†講談社「週刊現代」...
Posted by 鈴木有介
最新トラックバック
この社会での性的魅力
from 哲学はなぜ間違うのか
ひとつ/長渕剛(Cover)
from 今日の天草