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グローバル化は足元からやってくる ~国際学で切り取る世界と社会~

スポーツと社会

2018年7月10日 21:21

巷におけるW杯GK論は、高次元のサッカーの国民化に繋がるか?

今回のワールドカップは、様々な話題を提供してくれましたが、その一つは、ゴールキーパー(GK1)に関する良し悪しでした。

日本の正GKの川島永嗣選手は、日本の第一戦となったコロンビア戦の最初の失点シーンで批判を受けます。これはコロンビアのFKが日本の「壁」の下を通り、ゴールに入ったものでした。そして、第二戦のセネガル戦も最初の失点が続きます。セネガルの選手のシュートを川島選手がパンチングをするのですが、それが相手のフォワード選手に当たり跳ね返ってゴールに入ります。

この二試合が終わって川島選手へのバッシングがピークを迎えます。以下にみるように批判の根拠の多くが、海外での評価からきます。

国際サッカー連盟(FIFA)公式サイトの速報において、(川島の失点は)「日本守備陣にとって災害だ」と指摘するとともに、「間違い続きの喜劇」と酷評されていると報じられました(日刊スポーツ, 6月25日)。

更に、フランスのサッカー専門誌『フランス・フットボール』は、「コロンビア戦でやらかしたカワシマが再びミスをした。どういうわけかボールをマネに渡してしまい、ゴールが生まれた」と書き、英国営放送『BBC』は、川島を「poor goal Keeping(お粗末なゴールキーピング)」と揶揄したとされます(SOCCER DIGEST Web, 6月26日)。

しかしながら、日本が決勝トーナメントで敗北してから時間が経つと、川島選手を擁護する論調が出てきます。

準々決勝が始まる前の段階で、スポーツのデータ分析を手がける『Opta』がGKセーブ率ランキングを発表したところ、3位に日本代表のGK川島選手がランキングされたのです(フットボールチャンネル, 2018年7月6日)。

その流れで、日本の失点で川島選手のミスと言えるのはセネガル戦の1点だけであり、川島選手の異常なバッシングは、サッカーでGKやる子供を無くしてしまうのではないかとまで懸念する声が挙がります(「川島永嗣へのW杯異常バッシング、専門家警鐘」J-Castニュース, 2018年7月 8日)。

こき下ろしたり、持ち上げたりすることがいいことではありませんが、W杯です。正直、本当のところは、その技術的な問題に関しては、専門家ではないと分からないでしょう。素人では正確な判断はできなく、人々はマスコミの論調に影響されてしまう傾向があると思います。

しかしながら、それでも、かつてこれ程、巷で「GKとは何か」という議論が日本で交わされたがあったでしょうか。そして、何よりもこの議論が、サッカーの国民化に役立っているように感じるのです。

サッカーをやっているプロやセミプロだけがサッカーを語っているならば、国民的スポーツではありません。誰でも言いたい放題であるからこそ、国民的なのです。

例えば、野球は、実際にはやっていない人も語ることが許されるスポーツです。特に、関西では女性も野球(主に阪神)を語ります。私は、関西出身のプロ野球選手が多いのは、野球経験のない「おかん」が野球のルールを熟知していることにあると見ています。

経験していない人は、その分野に語るべきではないということを言う人がいます。確かに、経験者が語るプロの議論は必要でしょう。しかし、素人談義も、無駄ではないような気がするのです。

今回のW杯のGK論は、そのような観点から(GKを子供がやらなくなるのではなく)日本のサッカーのより高いレベルでの国民化に寄与しているとは考えられないでしょうか。

2018年7月 9日 00:05

誇るべき「クリーン・ナショナリズム」とその国際的背景

ワールドカップ・ロシア大会において日本代表に負けず劣らず注目されたのは、試合後、自主的に掃除をするサポーターたちでした。

海外でその行動が評価されているというニュースが、日本でも多数流れています。

初戦のコロンビア戦の後、英国の大衆紙「ザ・サン」は、「コロンビアに勝利した後、日本のファンはスタジアムを掃除していた」「2014年のブラジル大会でやっていたのと同じように、スタンドを掃除するというスタイルで勝利を味わっていた」と描写されています(ゲキサカ, 2018年6月20日)。

日本のサポーターの清掃は、勝った試合だけではありません。負けたベルギー戦の後も、日本のサポーターは「いつも通り」に清掃をしました。それを、USA TODAY紙は「負けても彼らの素晴らしい精神は無くならなかった」と称したことが伝わってきます(The Huffington Post Japan, 7月3日)

このようなW杯のサポーターによる掃除は、今大会、日本から他国のサポーターに広がりを見せています。日本と対戦して敗北したコロンビアのサポーターも、自主掃除をし、ウルグアイとサウジアラビアの一戦いでは、勝ったウルグアイ・サポーターも、サウジアラビア・サポーターも試合後ゴミを拾ったそうです(The Huffington Post Japan, 6月21日)。

日本人場合はサポーターばかりではなく、代表選手までに広がり、日本代表は決勝トーナメントにおいてベルギーに敗北した後、ロッカーを綺麗にしてロシア語で『ありがとう』とのメモ書を置いて去ったと報じられました(朝日Digital, 7月4日)。

このような「クリーン・ナショナリズム」とも言えるような日本人の行動は、評価されるべきでしょう。

吉田麻也選手は以下のように語っています。
「僕たちのロッカーは、試合後はおそらく、イングランド・プレミアリーグのロッカーと比較するときれいだと思います。ファンの皆さまの行いに対しては僕たちも非常に感銘を受けています。スタジアムでの皆さんの行いは、世界中で見られていると思います。世界にたたえられるのは非常にうれしい。これが派生して、違う国のファンの方々も同じようなことをしてくれているというニュースを見ました。非常に誇らしいと思う」(産経ニュース, 2018年6月23日)。

英国のプレミアリーグ、サウサンプトンFCで活躍している吉田選手の言葉は重いです。英国サッカーはフーリガンを生み出したことでも有名です。清掃どころか、破壊行為を繰り返すファン。それはそれで根底に社会問題があり、単純に日本とは比較はできませんが、秩序を守る日本ファンは素晴らしいのです。

ただ、欧州のサッカーファンがあまりにも酷いということも、多少、日本サポーターへの海外マスコミの大絶賛へ繋がっていることもあるような気もします。

2018年7月 4日 23:56

ベスト16だからこそ、客観的分析と批判を受け入れる「強さ」が求められる

周知の通り、日本代表のワールドカップ・ロシア大会はベルギーに2-3で敗れ、終焉しました。

私は、試合中、欧州から日本への長距離のフライトに乗っており、機内の弱いWiFiでこまめに速報を更新しながら試合を「観戦」していました。

同じようなことをしていた他の乗客が、「でも、頑張った、頑張った」と自分を慰めるように独り言を発していました。

確かに、通算成績1勝2敗1分けの今大会、強豪(FIFAランク上位)との闘いを楽しませて頂きました。

帰国すると、日本のマスコミも、日本凄い!良くやった!という労いの言葉に満ちていました。

しかしながら、(おそらく)唯一、評論家のセルジオ越後氏だけが「(1次リーグ第1戦のコロンビア戦で)10人の相手に1勝して、あと2敗1分けのチームが強いって根拠はどこにあるんですかね」(サンスポ, 2018年7月4日)、「負けは負け。負けたときに厳しくやらないと」(スポニチ、2018年7月3日)、「強い国は負けたら慰めはない、日本は負けても慰めるから、やっぱり強くないということです」(スポーツ報知, 2018年7月3日)と辛口批評を展開しています。

全くおっしゃる通りです。もちろん、下馬評では、全敗とも予想されていたFIFAランク61位の日本代表でしたので、決勝トーナメントに進出してベスト16に名乗りあげただけで評価されるべきではあります。

それでも、肯定的評価を前提に、次のW杯により上位を目指すためにも、ベルギー戦とポーランド戦の敗因を的確に分析する必要があるように感じます。評論家の方は、時には厳しいことも指摘しなければならないかもしれませんが、耳障りの良いことばかりを言って結果として弱体化するよりは正しい選択なのではないでしょうか。

特に「強い国は負けたら慰めはない」というのは本当でしょう。

かつて、戦後の高度成長期に日本人は日本を批判する言説を好みました。欧米に比較して日本社会が遅れているという論調は、確かに(後に自虐史観と言われるのですが)問題も孕んでいました。しかし、日本の近代史において「Japan as Number One」と称された高度成長期からバブル経済崩壊までの間が、日本が経済的にもっとも強かったのも事実です。

何でもかんでも否定する必要はありません。でも、ベスト16に勝ち上がったからこそ、負けた理由を分析し、厳しく指摘し、受け入れる「強さ」があるべきなのかもしれません。

それはサッカーだけではないようにも思えてきます。

2018年6月29日 09:34

西野監督の「半端ない」覚悟

ロシアで行われていますサッカーのワールドカップにおいて、日本代表がベスト16に勝ち残りました。

日本時間の6月28日深夜に行われた試合は、とても学ぶことの多い内容になりました。

周知の通り、日本はグループステージの第三戦においてポーランドと対戦し、0-1で敗れました。しかしながら、コロンビアがセネガルを1-0で下したことによって、日本は勝ち点で並んだセネガルを、フェアプレーポイント(警告の数)で上回り、決勝トーナメントに進出することになったのです。

日本は、59分にポーランドに先制された後、同点を目指していたのですが、セネガルが負けていることが分かった段階で、パス回しを展開し、時間稼ぎの作戦に出ます。負けているのに、責めない日本に会場からもブーイングが起こります。

試合後のニュースを見るとロシアや英国の報道でも日本のこの作戦に対して、批判する声が続いています。

しかし、私は、グループステージの3試合の中で、このポーランド戦に最も日本代表の西野朗監督の「半端なさ」を感じました。

この試合は、誰が日本のゴールを守るのかが問われた試合でもありました。川島永嗣選手は、第一戦のコロンビア戦、第二戦のセネガル戦に失点しており、内外のメディア、サポーターから酷評されていたのです。

その川島選手を、西野監督は第三戦の主将に指名します。そして、更に前の試合から先発を6人変更します。主力選手の温存とは言えないところもありますが、決勝トーナメント進出が決定していないにもかかわらず、ガラリと先発を変えて勝負に出るのです。

時間稼ぎのパス回しの戦略も、残り時間においてセネガルが同点したら、日本のベスト16は消えてしまい、西野監督は批判されたことでしょう。

そのようなリスクを怖がらず、勝負に臨む、まさにギャンブラーです。

ただ、単にギャンブルなのではなく、緻密に計算した上で、勝負をしているのです。

それは、全責任を負う覚悟はない限りできないでしょう。西野監督は「半端ない」のです。

プロ野球の御意見番・野村克也氏は「勝ちに不思議な勝ちあり、負けに不思議な負けはなし」と言われていました。

まさにその通り、結果ではなく、その覚悟と戦略という点において日本のポーランド戦は素人の私にもわかる程、全く不思議さがなかったように思えます。

次は、ベルギー戦です。もう一度、西野監督の覚悟を見たい。今度は勝ち試合で。

2018年6月22日 23:59

VAR:全てが可視化され、スポーツは変わる

開幕して1週間を経た2018 FIFAワールドカップ・ロシア大会ですが、熱戦が続く中、ビデオ副審(VAR=ビデオ・アシスタントレフェリー)制度の導入が話題になっています。

簡単に言ってしまえば、ビデオ判定です。「副審」とは言われているものの実際には主審的な決定的な役割を担います。

それが如実に出たのは、6月22日、サンクトペテルブルクで行われたグループEの「ブラジル対コスタリカ」の試合でした。70分過ぎの後半、ブラジルのネイマール選手が相手ペナルティエリアでコスタリカの選手によって「倒され」ます。

それを見た主審は、一度はPKを宣言したのですが、後に、判定がVARによってひっくり返ってしまいます。結果は、ブラジルが2-0で勝利したのですが、2点はアディショナルタイムでしたので、あのPKが決まっていればあの段階で試合が決まっていたかもしれません。

サッカーでは、時に選手の「演技」がものを言うときがありました。しかしながら、全てを見せてしまうVARの導入は、大きくサッカースタイルを変えてしまう可能性があります。

実は、サッカーだけではないのです。

プロ野球も、今シーズン、本塁打かどうかの判断や全ての塁でのアウト、セーフの判定に対して、監督が映像での「リプレイ検証」を要求できるという「リクエスト」制度が導入されました(サンスポ, 2017年11月13日)。

権利を行使できるのは九回までに2度、延長戦では1度で、判定が覆った場合、回数は減らないことになっています(同上)。つまり、判定が覆れば審判のミスが続くなら、監督は何回でもリクエストできます。

確かに、審判のジャッジは正確になったのですが、検証に5分ぐらいはかかるため、判定の結果にかかわらず、試合の流れが変わってしまうような感覚があります(数年前までは、時間短縮という掛け声があったように記憶しているのですが)。

いずれにしましても、スポーツは可視化の時代に入っています。人の目で見えないシーンを「観る」のです。見えないところは見ないとし、審判の「ミスジャッジ」も試合の一部としていた時代は終わったのでしょう。

これも機械化の流れの中で理解することもできるのかもしれません。全てが見えてしまう中で、あらゆるスポーツは質が変化していくことでしょう。

可視化されるスポーツが、より楽しくなるのか、そうならないのかは、もう少し見守りましょう。とりあえず、時代の変化を受け止めて。

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プロフィール
安井裕司
安井裕司
エジンバラ大学、バーミンガム大学博士課程に学ぶ。その間、ルーマニア・アカデミー歴史学研究所研究生。国際政治学博士(PhD)。国連大学国際紛争研究所インターン、夏期講習クラスコーディネーター、法政大学国際日本学研究所客員研究員等を経て、現在、早稲田大学エクステンションセンター講師、日本経済大学神戸三宮キャンパス教授。
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