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グローバル化は足元からやってくる ~国際学で切り取る世界と社会~

映画で観る世界と社会

2018年8月 8日 01:21

バーチャルな日本の普遍性: 映画『犬ヶ島』のリアリティ

『グランド・ブダペスト・ホテル』(2014年)で名を上げたウェス・アンダーソン監督の最新作です。

映画『犬ヶ島』(原題 Isle of Dogs)
制作国 米国, ドイツ
制作年 2018年
監督 ウェス・アンダーソン

あらすじ
【20年後の日本。架空都市・メガ崎市の小林市長は、流行する"ドッグ病"の対策としてすべての犬をゴミ島「犬ヶ島」に隔離する。愛犬のスポッツを強制的に「犬ヶ島」に連れていかれた小林市長の養子・アタリはひとりで飛行機を操縦し「犬ヶ島」へ行く。アタリはそこで飼い犬だったレックス、22本のドッグフードのCMに出演したキング、高校野球で最強チームのマスコットだったボス、健康管理に気を使ってくれる飼い主の愛犬だったデューク、そして、ノラ犬だったチーフという5匹の個性的な犬に出会う。アタリは、この5匹の犬たちよスポッツを探す旅に出る(Huffpost, 5月28日参照)。】

この映画は舞台が日本なのですが、米国では公開直後から、「この映画ってトランプのことだよね?」「(小林市長の犬追放政策は)トランプの移民政策と酷似している」などの声がSNSで飛び交ったそうです(Huffpost, 5月28日参照)。

トランプ政権成立前から企画されていたので、偶然らしいのですが、結果的に時代に合ったテーマとなっています。

つまり、権力者にとって気に入らないマイノリティ(ここでは犬たちです)が追放されるという現象は、世界中で発生しているのです。

物語は、日本の高校生ヒロシと留学生のトレーシーが、小林市長の腐敗し切った政治の内情を告発し、状況が変わっていきます。

これは、なかなか進まない米国の銃規制に対して、米国の高校生がデモや抗議運動をしていることがモチーフとなったそうです(同上)。

しかしながら、犬たちの物語に非常に魅了されながら、日本という舞台で若者が中心に政治を変えるというストーリーがどうもリアリティに欠けるように見えたのも事実です。

若者の社会運動が良いか悪いかは別として、第一に日本の若者は概して政治に無関心であるような気がするのです。

最初に戻って、本作が日本を舞台にしながら、日本映画ではないと割り切ればいいのかもしれません。むしろ、この違和感こそが、日本が他の先進国とは異なる政治文化であることを教えてくれるのかもしれません。

上記のような点があったにせよ、本作品は十分に面白いです。日本の文化的背景には(おそらく、意図的に)配慮せず、同時に、『将軍 SHOGUN』や『Sayuri』等、外国人が製作した日本を舞台にした映画にみられる「オリエンタリズム」とも一線を画します。

アンダーソン監督が描いたようなバーチャルな日本は、それはそれで(部分的にリアリティに欠けても)映画の中で成立しているのです。

2018年8月 1日 19:33

誰もが変わってしまう可能性はある: 映画『The Lady アウンサンスーチー ひき裂かれた愛』の見方を変えてしまう主人公の描かれない半生

半生を描いた映画は、残りの半生次第で様々に解釈されてしまいます。

映画『The Lady アウンサンスーチー ひき裂かれた愛』(原題 The Lady)
制作国 英国, フランス
制作年 2011年
監督 リュック・ベッソン
出演 ミシェール・ヨー, デヴィッド・シューリス

あらすじ
【英国オックスフォードで主婦をしていたアウンサンスーチーは、1988年、母の看病で母国のビルマに帰国すると、同国の軍事政権が若者たちの民主主義運動を弾圧する光景を目の当たりにする。そして、父親が「ビルマ建国の父」ことアウンサン将軍であったことから、スーチーは民主化運動のシンボルに担ぎ上げられる。1990年5月27日に選挙が行われ、スー・チー率いる国民民主連盟 (NLD) は81%の得票率によって392議席を獲得した。しかしながら、軍事政権はNLD幹部を逮捕し、スーチーを自宅軟禁にする。そんな中、1991年10月、ノーベル財団はスーチーにノーベル平和賞を授与することを決定する。スーチーの夫マイケルと2人の息子は、何度かビルマを訪問してスーチーに会ったが、スーチーは二度と入国できなくなることを恐れてビルマを離れようとはしなかった。マイケルは、1997年前立腺がんと診断され、ビルマ行きが不可能となり、1999年英国で死去する。】

アウンサンスーチー氏の自伝的映画です。度重なる民主化運動への弾圧を繰り返し、スーチー氏は2010年11月に軟禁を解かれ、2012年4月1日のミャンマー連邦議会補欠選挙にNLDから立候補し、当選することで政界に復帰します。

その後は周知の通り、2015年11月8日に実施された総選挙において、NLDが圧倒的な勝利を収め、実質上の「スーチー政権」が樹立されます。

そして、現在、「スーチー政権」は、ミャンマーのイスラム系少数民族のロヒンギャへの弾圧で国際的に批判されています。

ロヒンギャへの弾圧を「スーチー政権」は否定しており、「事実」はどこにあるのか分かりませんが、少なくても、民主化のシンボルだったスーチー氏の国際的評価が落ちているのは確かでしょう。

実際、スーチー氏に与えられたノーベル平和賞を取り消す運動が起こっており、オックスフォード市は1997年にスーチー氏に授与した「市民の自由」称号を、ロヒンギャ問題への対応不足を理由に2017年に剥奪しています(AFP, 2017年11月28日)。

その上で、今、スーチー氏の半生を描いたこの映画を観ると複雑です。スーチー氏がかつての軍事政権と同じことをしているとは言えないまでも、映画で描かれる少数民族を大切にするスーチー氏は、今の政権を握ったスーチー氏とは大きく異なってしいるのです。

私は当ブログで、社会条件次第で、誰もが独裁者になる可能性がると書いてきました。スーチー氏を独裁者であるとは言いませんが(権力を握れば変質する可能性があります)、ノーベル平和賞受賞者だって例外ではないのです。

2018年7月22日 01:06

見えないところに何を見るのか: 映画『最強のふたり』が描かないことで考えるもの

背景を知ると見方が変わる作品もあります。

映画『最強のふたり』(原題 Intouchables)
制作国 フランス
制作年 2011年
監督 エリック・トレダノ, オリヴィエ・ナカシュ
出演 フランソワ・クリュゼ, オマール・シー

あらすじ
【フランス、パリ。事故で全身麻痺になってしまった大富豪のフィリップは、金目当てや同情して近付いてくる人物に辟易しており、なかなか良い介護者を見つけられない。そんな中、フィリップは、生活保護の申請に必要な(職探しの形跡としての)不採用通知を得るためだけにやってきた黒人のドリスを採用することにする。貧困地域に育ったドリスは、服役歴もあり、フィリップの友人たちはいかがわしい顔をするが、良くも悪くも「普通」に接してくれるドリスにフィリップは友情を抱くようになる。】

この作品は当ブログ2018年1月31日付で「肌の色を越えながら、現実味に欠けるのはなぜか?: 映画『最強のふたり』における反転するステレオタイプ」というタイトルで論じました。

その時、私は、金持ちのクラシック音楽好きの身体障碍者の白人と、貧しいけどとても陽気な黒人という描かれ方が、(プラスであっても)ステレオタイプ過ぎるのではないかという考えに同意していました。

また、この作品は実話なのですが、オリジナルの人物は、黒人ではなく、アルジェリア系(移民系)のイスラム教徒の若者であることに違和感を抱きました。なぜ、実話がベースなのに、黒人のドリスという役を作らなくてはいけなかったのか理解できませんでした。

現段階でも同じように思いますが、早稲田大学エクステンションセンターの講義で同作品を採り上げ、改めて分析するともう少し深いようにも感じてきました。

まず、最初の黒人系移民のステレオタイプですが、メイキングドキュメンタリーを見たところ、黒人のドリスを演じた俳優オマール・シーは自らが貧民街(バンリュー)出身で、彼の意見を尊重して映画が撮影されたというのです。

ですから、ステレオタイプは、事実でもあったのです。

それから、なぜ主人公がアルジェリア系移民ではなかったのかですが、映画の最後で本物のフィリップとドリスのモデル役のアルジェリア系アブデルが登場しており、監督はアブデルがモデルであることを「見せて」いるのです。

ではなぜ、作品においてアルジェリア系にしなかったのか。憶測でしかないのですけれど、この作品の監督であるエリック・トレダノとオリヴィエ・ナカシュは、ユダヤ系移民なのです。それが全ての理由ではないでしょうが、もしかしたら、彼らがイスラム教徒のアルジェリア系移民の姿を撮ることを避けたのかもしれません。

いずれにしましても、イスラム系移民が関わるイッシューはフランスの最も困難な社会問題の一つでしょう。見えないところに何かを見るとすれば、テーマが「重過ぎた」のかもしれません。

2018年7月13日 23:27

「みんなの物語」が運ぶ思い出: 映画『劇場版ポケットモンスター みんなの物語』の広がり

「聞き慣れた声」によって思考が、脱線してしまいました。

『劇場版ポケットモンスター みんなの物語』
制作国 日本
制作年 2018年
監督 矢嶋哲生
出演(声) 松本梨香, 大谷育江, 芦田愛菜, 川栄李奈, 野沢雅子

あらすじ
【人々が風と共に暮らす街・フウラシティ。そこでは、一年に一度だけの「風祭り」が催されていた。フラウシティでは、「風祭り」の最終日に、伝説のポケモン・ルギアが現れて恵の風を起こしてくれることになっている。偶然、祭りに参加していた「サトシ」と「ピカチュウ」は、ポケモンの初心者女子高生「リサ」、嘘がやめられなくなってしまったホラ吹き男「カガチ」 、自分に自信が持てない弱気な研究家「トリト」、 ポケモンを毛嫌いする変わり者のおばあさん「ヒスイ」 、森の中で一人佇む謎の少女「ラルゴ」に出会う(「ストーリー」『ポケモン映画公式サイト』参照)。】

公開が始まったばかりなので書きにくいのですが、タイトルに「みんなの物語」とあるように、「リサ」、「カガチ」、「トリト」、「ヒスイ」、「ラルゴ」らの脇役のストーリーが先にあり、それが集約される形でメインの物語が展開していきます。

ポケモン映画なのですが、お決まりのバトルは少な目になっており、「サトシ」と「ピカチュウ」の出番も多くはありません。ですから、従来のポケモン(映画)ファンから見ましたらカラーが違い過ぎるかもしれません。

それでも、それぞれの脇役が、ポケモンと交わり、大問題を解決していくプロセスはポケモン物語の集大成のようにも見えます。

個人的には、ポケモンを毛嫌いする変わり者のおばあさん「ヒスイ」から目(耳)が離せない状況でした。と申しますのは、「ヒスイ」の声を野沢雅子さんが担当されていたからです。

野沢さんは、『ゲゲゲの鬼太郎』の鬼太郎、『いなかっぺ大将』風大左衛門、『ど根性ガエル』のひろし、『銀河鉄道999』の星野鉄郎、『怪物くん』怪物くん、『トム・ソーヤーの冒険』のトム『ドラゴンボール』悟空などをされてきました。上記は、私が子供の頃の同世代の「男の子」の声であり、主人公たちに憧れを抱いてきました。私は(おそらく私の同世代の男性は同じでしょうが)野沢さんのお声で育ってきた感覚があるのです。

本作では老婆の役ですが、懐かしく、感慨深く思わずにはいられませんでした。野沢さんの演じてきた「少年たち」も多かれ少なかれ(ポケモンではなくても)モンスターみたいなところがありました。

野沢さんが担当する「ヒスイ」の活躍を目にしながら、野沢さんとの私(たち)の思い出も「みんなの物語」に入るのかどうかと思いを巡られせました。

2018年7月 8日 21:27

家族の崩壊によって描く「家族愛」: 映画『万引き家族』の疑似家族性

「疑似」の関係であるからこそ、成立する物語があります。

『万引き家族』
制作国 日本
制作年 2018年
監督 是枝裕和
出演 リリー・フランキー, 安藤サクラ, 松岡茉優, 樹木希林, 城桧吏

あらすじ
【東京の下町。5人家族が小さな平屋で暮らしている。父・柴田治は日雇いの仕事をやったりやらなかったり、妻・信代はクリーニング店で働いているが薄給。2人には息子・祥太がいるが、贅沢はさせられない。同居する信代の妹・亜紀は風俗店で働くが、稼ぎは家には入れずに、家族は祖母・初枝の年金を当てにしているが、それでも生活には不十分である。そんな時、彼らは万引きをして生活を維持している。冬のある日、近所の団地の廊下で幼い女の子(ゆり)を見つけた治は、家に連れてきてしまう。一度は、元に帰そうともしたが、信代が娘として育てたいという。6人となった一家は、ある事件をきっかけにバラバラになってしまう。】

疑似家族がテーマです。

ネタバレですが、柴田家は疑似家族です。しかしながら、貧しいながら笑いが絶えず、「本当の家族」以上に家族らしいのです。

この設定では、家族は「血の繋がり」ではないことを学ぶことになります。家族とは、家族を作り、維持しようとする努力の賜物であり、故に、血が繋がっていなくても、家族の構築は可能なのです。

ただ、この作品の家族は、少し綺麗過ぎるような感じもします。不自然な程、良い(綺麗な)家族が、むしろ疑似性を強調するのかもしれません。

そして、この家族は崩壊します。そのきっかけは、この疑似家族(最後に加わった妹)を息子・祥太が守ろうとすることから始まります。本当の家族のように、妹を守ろうとする祥太の家族愛が、家族をバラバラにしていくのです。

もし、彼らが血の繋がった本当の家族だったらどうだったでしょうか。仮に万引きで捕まったとしても、窃盗以上において警察が介入することはないので、家族が崩壊にまで至ることはないでしょう。

つまり、疑似家族だからこそ悲劇が生じてしまうのです。

逆に家族が崩壊するまでの悲劇がなければ、家族愛をフォーカスすることはできなかったかもしれません。崩れるからこそ、家族とは何かが浮き出てくるのです。

万引きで食べていく家族は、現実に日本では例外でしょうし、そもそも犯罪です。しかしながら、万引きさえも、崩れ行く家族を映し出す手段にしか過ぎないのです。

映画を観終わった後、なぜか『サザエさん』が観たくなりました。

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プロフィール
安井裕司
安井裕司
エジンバラ大学、バーミンガム大学博士課程に学ぶ。その間、ルーマニア・アカデミー歴史学研究所研究生。国際政治学博士(PhD)。国連大学国際紛争研究所インターン、夏期講習クラスコーディネーター、法政大学国際日本学研究所客員研究員等を経て、現在、早稲田大学エクステンションセンター講師、日本経済大学神戸三宮キャンパス教授。
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