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グローバル化は足元からやってくる ~国際学で切り取る世界と社会~

映画で観る世界と社会

2017年9月12日 22:05

恋人になるまでの美しさと危うさ: 映画『恋人までの距離』の非日常における制約の成功

恋に落ちるとは良く言ったもので、非日常的な動態です。通常、その後に関係は日常化されますが、この映画は状況を設定し、「落ちる」2人の非日常的な美しい姿と、危うさだけを描き切ります。ウィーンの街の美しさと共に。

『恋人までの距離』(原題 Before Sunrise)
制作国  米国
制作年  1995年
監督  リチャード・リンクレイター
出演  イーサン・ホーク, ジュリー・デルピー

あらすじ
【米国人の青年ジェシーは、ブタペストからウィーンに向かう列車の中で、偶然、フランス人女学生セリーヌと出会う。食堂車に誘い、子供の頃の思い出などを語り合う。意気投合した2人だったが、やがてウィーンに到着してしまう。別れを惜しむジェシーは翌日のウィーン発のフライトで米国に戻らなくてはいけなく、セリーヌにウィーンでホテルに泊まるお金はないが、14時間、一緒にウィーンの街で過ごして欲しいとオファーする。セリーヌも、同意し、半日の2人はウィーンの街を巡りながら語り合い、翌朝を迎える。】

映画は台詞が少ない方が良いという考え方があります。映画とは映像であり、言葉は二次的なものであるという見方です。

この映画は反対に台詞ばかりです。登場人物は実質、2人の男女しかいません。この2人がウィーンの街を背景に語り合います。

語り合いながら2人は相手を知ろうとします。しかし、残された時間は14時間、相手を深く知っても別れが来てしまうのです。

それでも、2人は相手を知りたいと考えます。おそらく、それは相手を知ることで、自分を知ることにも繋がるからでしょう。

興味深いシーンがあります。2人が自分の同性の友達に電話をする「ごっこ」をするのです。まず、セリーヌが、パリの女友達に電話したふりをします。その女友達は、ジェシーがなります。次に、ジェシーが米国の男友達に電話する番になり、セリーヌが男友達役をします。そうして、2人は自分で考えていることを、相手に伝えていきます。

2人は最初、もう連絡もしないことを約束します。過去にそのようにして、結局、関係を維持できないことがお互いにあったからです。

やがて、夜が明け、別れの朝がきます。

先に出発するセリーヌを送りにジェシーは鉄道駅に送りに来ますが、ネタバレですが、14時間、知り続けた2人は別れることができません。2人は半年後に同じウィーンの駅で会おうと約束して映画が終わります。

果たして、2人は半年後にウィーンで再会したのでしょうか。それは、観客の想像に任されます。

残念ながら、この映画には続編があります。

続編があるとすれば、その答えは分かっています。脚本を書くならば、「ウィーンで再会し、2人はハッピーエンドになりました」「そして、喧嘩はするけど、基本的には幸せなカップルになりました」よりも、会えないことのほうがドラマチックだからです(名作『カサブランカ』も、約束の場所に来なかったからこそ、ドラマが始まります)。

【映画と恋愛は日常ではなく非日常を映し出す点において、相性が良いのです。私はイタリアのネオレアリズモ映画も大好きですが、リアリズモ映画でさえ、そこにあるのは極めてリアルな非日常的な空想社会なのです。】

だから、この作品の「答え」を続編に求めるべきではないでしょう。この作品の「答え」は、観客が決めればいいだけのことです。

2017年9月 1日 03:20

国家主義は人種差別を無くすのか?: 映画『ドリーム』における競争と差別

ドナルド・トランプ氏が大統領に当選した2016年に、この映画が作られた意味を考えてしまいます。

『ドリーム』(原題 Hidden Figures)
制作国  米国
制作年  2016年
監督 セオドア・メルフィ
出演  タラジ・P・ヘンソン, ジャネール・モネイ, オクタヴィア・スペンサー

あらすじ
【1961年のバージニア州ハンプトン。3人の黒人女性キャサリン、ドロシー、メアリーはNASAラングレー研究所で計算手として働いていた。当時、米国はソ連と有人での宇宙飛行を競っており(マーキュリー計画)、有能な3人は重要な役割を担うようになっていく。キャサリンは上司からスペース・タスク・グループでの作業を命じられ、ドロシーは、計算部の代理スーパーバイザー、メアリーはエンジニアになることを勧められる。しかし、米国南部が人種隔離政策を行っていた時代、それぞれが壁にぶつかる。キャサリンは、直属の上司から嫌われ、コーヒーも別にされ、トイレは800メートル離れた有色人種専用に行かなくてはいけなかった。ドロシーも昇進に待ったがかかり、メアリーは黒人で女性のエンジニアはNASAにはいないと最終的に断られる。そのような中、キャサリンは誰も出来なかったような計算によってNASAを救う。】

1960年代の米国南部ではどれ程優秀でも、主人公たちには、黒人で女性という人種とジェンダーの壁があります。

しかし、同時にNASAが彼女たちを重用しなければならない程に、冷戦中のソ連との宇宙開発競争は激しくなっています。

この映画作品には原作があり、原作においてNASAでは、映画に描かれるほど強い人種差別はなかったそうです。

社会学、歴史学では、ナショナリズムを土台とした国民軍の成立が階級制を壊していく(英国では貴族制も弱体化していく)と言われていますが、自国が他国と何かで競っている(戦っている)際に、人材登用において人種で差別していては、他国に勝てないのです。

冷戦はイデオロギーの時代ですが、そのイデオロギーの時代が国家間競争を導き、それが人種やジェンダーの平等化をもたらした一要因になってきます。

ただ、そのプロセスは単純ではなく、平等に基づく国家主義と人種差別が併存している時代が1960年代の米国であり、主人公たちは社会的に差別に遭いながら同時に英雄にもなっていくのです。

周知の通り、2009年には黒人系のバラク・オバマ氏が米国大統領に就任しますが、2017年ドナルド・トランプ大統領が就任すると、バージニア州シャーロッツビル事件に見るように米国は「人種」がイッシューになってします。その意味では差別と平等の併存状態は、現在でも続いているとも言えます。

もっとも、今日は1960年代とは比較にならないくらい非白人の優秀な方々は社会に進出しており、グローバリゼーションの中で、中間層が弱体化し、白人も黒人もそれぞれ格差化している状況の中で、新しい人種問題が生じていると考えるべきかもしれません。

2017年8月20日 10:46

階層と時間の交差を可能にするもの: 映画『奇跡の教室 受け継ぐ者たちへ』の移民系「不良」学生のアイデンティティ

階層性と歴史性が繋がることもあります。

『奇跡の教室 受け継ぐ者たちへ』(原題 Les Heritiers)
制作国  フランス
制作年  2014年
監督  マリー=カスティーユ・マンシヨン=シャール
出演  アリアンヌ・アスカリッド, アハメッド・ドゥラメ

あらすじ
【移民系も多く、貧困層が暮らすパリ郊外クレテイユ。レオン・ブルム高校に赴任した歴史・地理の女性教師アンヌ・ゲゲンは、荒れた多民族集団のクラスの担任になる。やる気のない学生たちにゲゲンは、学生たちの可能性を説き、「アウシュビッツ」を題材にする全国歴史コンクールに参加するように説得する。嫌々ながら始めた学生たちも、ゲゲンの情熱に少しずつ前向きになるが、なかなかリサーチが進まない。そんな時、ゲゲンは、強制収容所の生存者レオン・ズィゲル氏を教室に招く。ズィゲル氏の話を聞き、学生たちはその日から目の色が変わり、自主的に学ぶようになっていく。】

実話がベースになっており、当事者の1人の青年(アハメッド・ドゥラメ)が、経験を基に脚本を担当し、更に出演(マリック役)もしています。そして、アウシュビッツの生存者レオン・ズィゲルもご本人です。

ストーリーは単純です。ネタバレですが、貧困層の移民系(多民族)が通う高校の最低クラスが、情熱的な歴史の先生の存在によって動かされ、更にレオン・ズィゲル氏のリアルな体験を耳にして変わっていくのです。

映画では紆余曲折を描いてはいますが、出来過ぎた展開ではあります。また、ユダヤ人の描かれ方も一元的であります(ハンナ・アーレント的な問題提起はありません)。

しかし、それでも、この物語は感動します。それは、階層的にボトムである貧困層の「不良」学生たちが過去の虐殺の歴史にリアルに触れて、感じ、直視することで、結果的に自分たちの今を変える結果を生み出しているからです。

その背景には、上記の通り、ゲゲン先生の熱意、レオン・ズィゲル氏の生々しい体験談があります。彼らが今を精一杯生きていることが、学生たちを過去に繋げるのです。

その上で、どうして落ちこぼれであった彼らが、短期間に変われたのかを考えると、彼ら自身の「熱さ」もあるように思えます。

映画の冒頭において在籍していたイスラム教の女生徒が、卒業証明書を取りにくるシーンがあるのですが、スカーフを巻いてきたために卒業証書を貰えないのです。先生たちは、「校則に従って、スカーフを外しなさい」と言うのですが、学生は「卒業したのだから、もう校則には従わない」と怒鳴り返して、帰宅してしまいます。

貧困層地域であるのですが、学生たちは非常にアイデンティティに拘り、自らのアイデンティティを拠り所にしています。ですから、反ユダヤ主義のようなアイデンティティによって差別されたり、虐殺されたりすることの痛みがストレートに伝わるのかもしれません。

この「熱さ」故に、貧困地域の多民族の若者が「アウシュビッツ」を語ることも理に適っているように見えるのです。

そして、「アウシュビッツ」は、普遍化されていきます。

2017年8月16日 06:43

21世紀でも(だから)魔女はつらいよ: 映画 『塔の上のラプンツェル』にて絶対悪となった魔女

欧米の子供向けの映画やTVアニメには、救いようもない悪役が登場します。

『塔の上のラプンツェル』(原題 Tangled)
制作国  米国
制作年  2010年
監督  バイロン・ハワード, ネイサン・グレノ

あらすじ
【ある王国のお妃様が妊娠中に体を壊し、重い病に陥った。そこで、伝説の魔法の花を服用し、健康状態に戻った後に、無事に女の子を出産した。そうして、生まれた「ラプンツェル」と名付けられた赤ちゃんには「魔法の花の力」が宿っており、金色の髪がどんな病や傷も治してしまう。魔女ゴーテルは、ラプンツェルの髪の力を求め、赤子のラプンツェルを誘拐する。その後、18年間、ゴーテルは、深い森に囲まれた高い塔の上に家を構え、ラプンツェルを一歩も外に出さずに育てる。18歳の誕生日の前に、ラプンツェルは、毎年、自分の誕生日に外から見えてくる花火を、もっと近くで見たいと「母」ゴーテルに頼むが、猛反対される。しかし、ゴーテルが不在のある日、王女のティアラを盗んだ大泥棒フリンが、追手を逃れて塔に侵入してくる。ラプンツェルは、フリンを捕まえて盗まれたティアラを奪い、自分の誕生日に外の世界を案内すれば、ティアラを返すと彼にオファーする。フリンはしぶしぶ合意し、ラプンツェルの初めての「旅」が始まる。】

グリム童話が原作のディズニー映画です。

原作では、ラプンツェルは王女ではありません。長年、子供に恵まれなかった夫婦という設定であり、ラプンツェルの髪に特殊な能力もありません。

そもそも、魔女が作っていた「ラプンツェル」という菜の一種を、妊娠した女性(夫婦の妻)がどうしても食べたいと求めたことで、魔女と生まれた子供を魔女に授けると約束してしまうのです。

塔の上で魔女に育てられたラプンツェルは、ある日、魔女が不在時に、ラプンツェルの歌声を聞いた王子が塔の上に登ってきてしまいます(ラプンツェルが引き上げます)。2人は恋に落ちるのですが、魔女が怒り、ラプンツェルの髪を切り落とし、追放してしまいます。

後に、塔にやってきた王子は、その事実を知り、失望の余り塔から落ちて失明してしまいます。ラプンツェルと王子は7年後に森で偶然、再会し、ハッピーエンドにはなります。

このように、グリム童話の原作(これも何度も改編されているそうですが)では、魔女が完全な悪役になっていません。

最初に魔女が所有していた菜の花を求めたのは妊娠した夫婦であり、その代価として魔女が子供を貰うということが「合意」されているのです。その後、魔女を裏切って、王子と恋に落ちるのはラプンツェルであり、魔女の怒りも筋が通ってはいます。

彼ら人間の「欲」に魔女が罰を与えるという設定であり、しかし、罰を受けても、人間の「愛」が人間を幸せにするというストーリー展開になっています。

ディズニー版の『塔の上のラプンツェル』では、魔女は根っからの悪役です。ラプンツェルの「髪の力」を持って美しさを維持しているのです。魔女は自分の美しさを維持するために、ラプンツェルを囲っており、手放すことができないのです。

しかしながら、映画は原作よりも面白く仕上がっています。

ラプンツェルは王女であり、原作の王子様役は、悪党フリンに代わります。王国軍にも追われている悪党が、ラプンツェルを「旅」に導き、フリンと恋に落ちることで「母」の魔女から自立させ、最終的に(ネタバレですが)ラプンツェルは王女に戻るのです。素晴らしい、アダプテーションです。

ただ、魔女が一身に悪役になることで物語を支えるのです。それが、21世紀でもなのか、21世紀だからなのかが気になるのですが、その分析は今後の課題にしたいと思います。

2017年8月14日 03:31

欧州における世間とは何か: 映画『マグダレンの祈り』が見せつける世間体の壁

世間とは何かを、改めて考えさせられる作品です。

『マグダレンの祈り』(原題 The Magdalene Sisters)
制作国  アイルランド, 英国
制作年  2017年
監督  ピーター・マラン
出演  アンヌ=マリー・ダフ, ドロシー・ダフィ, ノラ=ジェーン・ヌーン

あらすじ
【1964年、ダブリン。マグダレン修道院(洗濯所)に、親戚にレイプされたマーガレット、訳ありで未婚の母となったローズ、男を誘惑したと決めつけられ、孤児院から送られて来たバーナデットの3人の女性が入所してくる。そこは、過酷な生活のため、逃げ出そうとする少女は後を絶たない。しかし、逃げ出しても、ある入所者は父親によって戻されてしまう。親戚だけではなく、社会的にも差別されており、お祭りの日に、特別の許可によって集団で外出しても、街の人たちが冷たい目で彼女たちを見つめる。それでも、マーガレット、ローズ、バーナデットは何とかこの修道院を出て、自分自身を取り戻そうとする。】

社会学者の阿部謹也氏は、世間を「会則や定款はないにもかかわらず、人々を結びつけている強固な絆である」と定義し、世間では「個人は拘束され、人々は自分の振る舞いの結果、排除されることを最も恐れる」とします(阿部謹也『「世間」とは何か』講談社新書、16頁;『日本人の歴史意識』岩波新書、7頁、6頁)。

そして、阿部先生はヨーロッパと日本を対比し、世間を日本固有であり、日本人は現在も「世間」に生きていると表現します(阿部『世間とは何か』)。

しかしながら、この実話に基づいた本作は、ヨーロッパに住むアイルランド人がまさに「世間」に生きていることを描いたものです。

女性として少しでも貞操を疑うようなことがあった場合(それが事実であってもなくても、本人に非があってもなくても)、女性の家族が世間体のために、女性をマグダレン修道院に入れるのです。それ以外に、家族が世間から排除されることを免れる道がないからです。

そして、マグダレン修道院は世間の外に存在します。女性たちは、村の人々からはまさに村八分状態であり、冷たい視線が投げかけられます。

辛うじて彼女たちが社会と繋がっているのは、彼女たちが無償で洗濯労働をしているからであり、そこで貨幣経済の底辺に組み込まれているのです。更にマグダレンがカトリック教会の下部組織に入っていることで、宗教的にも最下層に置かれながら存在しています。

そんなマグダレンから主人公たちは抜け出そうとします。しかし、抜け出してからも、人の目を気にしながら生きていかなくてはいけないのです。

このマグダレン修道院のような「洗濯所」が1990年代までアイルランド各地に現存していたことに驚かずにはいられません。

そして、世間体が日本だけではなく、欧州(少なくてもアイルランド)でも強い規範であることを、本作で「これでもか」「これでもか」と見せつけられ、「世間」研究を国際的な広がりを持って展開しなければいけないことを痛感します。

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プロフィール
安井裕司
安井裕司
エジンバラ大学、バーミンガム大学博士課程に学ぶ。その間、ルーマニア・アカデミー歴史学研究所研究生。国際政治学博士(PhD)。国連大学国際紛争研究所インターン、夏期講習クラスコーディネーター、法政大学国際日本学研究所客員研究員等を経て、現在、早稲田大学エクステンションセンター講師、日本経済大学神戸三宮キャンパス教授。
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