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グローバル化は足元からやってくる ~国際学で切り取る世界と社会~

映画で観る世界と社会

2017年7月15日 20:55

世の中は金と力なのか?: 映画『忍びの国』が問う真意は何か

謀がテーマの映画です。

『忍びの国』
制作国  日本
制作年 2017年
監督 中村義洋
出演 大野智、石原さとみ、伊勢谷友介、鈴木亮平

あらすじ
【戦国時代。織田信長は周囲の敵を滅ぼし、破竹の勢いで天下統一を図ろうとしているが、十二家(定衆)が巧みに治める「忍びの国」伊賀だけは、織田家の支配下に入っていなかった。隣国伊勢では信長の次男信雄が支配し、伊賀攻めを狙っていた。一方、伊賀の住民である忍びたちは、自分の利益だけに終始し、無駄な戦いを繰り返している。特に、伊賀一の忍びを自負する無門は、「妻」お国に言われるまま金のために戦い続ける。そのような中、十二家定衆の一人・下山甲斐の長男・下山平兵衛は、実の弟を無門に殺害されたにもかかわらず、何とも思わない父や仲間に嫌気が差し、伊勢の織田家に寝返り、伊賀の滅亡を願うようになる。伊賀攻めを決意する伊勢の織田軍に対し、十二家定衆は狡賢く、無門は私欲のために戦う。】

この映画では人間の弱さが描かれます。

伊賀の住民である忍びたちは金のためにしか動きません。良く言えば、卓越した忍びの能力を売るプロであり、悪く言えば、自分の利益しか考えていない利己主義者です。

伊賀の敵として描かれる伊勢の軍勢は、織田家という強者の前では、前の主君も裏切って殺害することも厭わない、提灯担ぎたちです。

強い者、金を持つ者が生き残る戦国時代という究極の社会状況の中では(それは現代にも通じると描かれますが)、そうではなければ生きていないのです。

そんな中、人間性は義であると考える下山平兵衛と、金儲けをしているのですが、そもそもそれは「妻」への愛があるという無門は、形而上学的な価値で生きようとします(伊勢の日置大膳も同様な価値を共有している)。

ネタバレですが、無門はスーパーマンであり負けません。ですから、金ではない、保身ではない、力に靡くのでもないシンボルとしてかっこ良く生き続けます。

世俗を超越するスーパースターは、それでもいいのでしょう。ただ、無門が散っていたほうが、リアリティがあったかもしれません。

産業としての映画において、芸能界を代表する俳優(たち)が演じるスーパースターは、それ自体が仕掛けられた存在だからです。

つまり、金ではない力ではないというメッセージが打ち消されてしまうようにも感じるのです。

いや、待てよ。

そう考えると十二家定衆の謀のように、この映画のメッセージは実は、世の中、金と力だというものだったのかもしれないと思えてきました。

2017年7月 6日 10:29

ファウンダー(創業者)とは何か: 映画『ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ』で問われるオリジナリティの意味

誰もが知っている世界のマクドナルドの「始まり」は、あまり知られていません。

『ファウンダー ハンバーガー帝国のヒミツ』(原題 The Founder)
制作国  米国
制作年 2016年
監督 ジョン・リー・ハンコック
出演 マイケル・キートン

あらすじ
【1954年米国イリノイ州。ミルクシェイク製造機の販売をしている中年男性レイ・クロックは、米国カリフォリニアのハンバーガーショップ「マクドナルド」から注文が入り、現地に赴く。そこには、無駄のない合理的なサービス、コスト削減、満足する顧客たちの笑顔など、今まで見たことないビジネスがあった。クロックは、同店を経営するマック・マクドナルド、ディック・マクドナルドの兄弟を説得し、「マクドナルド」のフランチャイズ化を展開しようとする。クロックを信じきれない兄弟は、長文の細かい契約書を作成する。クロックは、自宅を担保に入れてまでフランチャイズを成功させると、利益配分が不公平な契約書を破棄したいと思うようになる。新たな参謀も加え、クロックはマクドナルド兄弟との闘い勝利し、「マクドナルド」の世界帝国の「創業者(ファウンダー)」となっていく。】

本作品では、レイ・クロックが主人公なのですが、彼の理屈は理解できても、好感が持てるようには描いていません。クロックは、本当の意味での創業者であるマクドナルド兄弟のコンセプトを乗っ取る形で成功を収めるからです。

しかしながら、オリジナルに固執するマクドナルド兄弟の経営方針では、今日のマクドナルドは生まれなかったでしょう。地元のアイディアで満ちた「キラリと光るお店」で終わってしまうのです(もちろん、それが悪い訳ではありません)。

毎年、世界のブランド・ランキングのトップ10に入ってくる(グローバル化のシンボルの一つでもある)マクドナルドの「創業者」(ファウンダー)は誰かといえば、作品では「嫌な男」であってもクロックになるのです。

クロックを評価も批判もできる本作品は、よくできていると思います。生き方としては、マクドナルド兄弟もクロックもありなのです。

ファーストフードのビジネスでグローバルに成功するには、クロック流が間違ってはいないのかもしれません。

と同時に、この映画は1日に3回、30日間、マクドナルドのだけを食べ続けたらどうなるかを問う『スーパーサイズ・ミー』(2004年米国)等、マクドナルド・バッシングを経た後に出てきたことも見逃せません。

その上で、マクドナルド兄弟のやり方がクロックに飲み込まれてしまう事実をどう認識するかは、観客の価値観に委ねられています。

2017年7月 3日 00:55

音楽は一時に限り、「もし」の世界を奏でる: 映画『ラ・ラ・ランド』の夢の後の夢

音楽の素晴らしさを凝縮させたようなミュージカル映画です。

『ラ・ラ・ランド』(原題 La La Land)
制作国  米国
制作年 2016年
監督 デミアン・チャゼル
出演 ライアン・ゴズリング、エマ・ストーン

あらすじ
【米国ロサンゼルス市。若い男女が高速道路ですれ違う。女性のミアは、ハリウッドのカフェの店員をしながら女優になることを夢見て、繰り返しオーディションを受けるがなかなか成功しない。男性のセブは古き良きジャズを愛するジャズピアニストであり、将来は自分のジャズの店を開きたいと夢見ながら夜はレストランでピアノを弾いている。クリスマスの夜、ミアが偶然訪れたお店で、セブが自由にピアノの弾き語りをしており、ミアは感激して声をかけようとするが、セブはその場で解雇されてしまう。後日、またミアは、パーティでa-haの「テイク・オン・ミー」を弾いているセブに再会し、紆余曲折ありながら、人生の成功を夢見る2人は交際することになる。】

大ヒットしたミュージカル映画です。

ストーリーは、複雑ではありません。夢見る2人は、それぞれ苦悩しながらも励まし合い、幸せな生活を送ります。しかしながら、彼らは成功の道を歩み始めた途端、2人の関係が崩れていきます。

まず、セブが旧友キースと再会して彼の軟派路線のバンドに加入します。セブは、キースのバンドはジャズにロックやダンスミュージック融合させた「邪道なジャズ」であると認識しながらも、ミアとの安定した生活のためにお金が必要であり、2人の未来のために妥協します。

一方で、セブの勧めもあり、一人芝居を行ったミアは自分を貫き通し、結局、表面的には失敗に終わります。

正面突破しようとして挫折したミアには、妥協して生きていくセブが許せなく、2人の関係はぎくしゃくしていきます。その後、ミアは一人芝居を観ていた数人の客であったプロデューサーから声をかけられ、スターの道を歩んでいきます。

これは「貧しい時のカップルが成功と共に別れる」という、よくある話かもしれません。

しかしながら、設定は5年後の最後の最後に、どんでん返しがあります。それはリアルではなく、音楽の魔法によって表現されます。

夢を実現しながら別々の道を選択した2人が、偶然、セブのジャズの店(頑固なまでに古いジャズの店です)で再会します。

そこで、(ネタバレですが)もし、2人が一緒だったらどうなったかという仮想の(夢の)世界が、数分の音楽と共に流れていきます。

2人は、現実の「今」が不満であるのではないでしょう。過去の選択も正しかったのでしょう。その上で、音楽だけが許す「夢」の後の「至福の夢」を見るのです。

人生は音楽のようには進みません。しかし、人は、癒す、励ます、そして、夢をもたらす音楽なしには生きていけないのでしょう。

2017年7月 1日 03:47

繰り返される原状回復に終止符を打つこと: 映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー PART3』の異質な登場人物・クララの未来志向

シリーズの最終作品は、過去とは全く異なる性質の登場人物が、物語の終止符を打つことがあります。

『バック・トゥ・ザ・フューチャー PART3』(原題 Back to the Future Part III)
制作国  米国
制作年  1989年
監督  ロバート・ゼメキス
出演  マイケル・J・フォックス、クリストファー・ロイド

あらすじ
【1985年のカリフォルニア州ヒルバレー。高校生のマーティは、タイムマシンを作った科学者エメット・ブラウン博士(ドク)と自らに振りかかった難問を解決している。Part 2のラストシーンで、タイムマシンのデロリアンが飛行中落雷に打たれ、ドクだけが1885年に飛ばされてしまう。マーティはPART1のラストで別れたばかりの1955年のドクと再会し、助けを求める。1885年のドクはマーティンに手紙を残しているが、その手紙を書いた後、マーティはドクが射殺されることを知る。マーティは1955年のドクの協力の下、デロリアンを修理し、1885年へとタイムトラベルする。そこでは、1985年のマーティのライバル店ビフ・タネンの先祖のビュフォード・"マッド・ドッグ"・タネンが待っている。】

バック・トゥ・ザ・フューチャーの第三作の舞台は1885年です。やはり、そこで、敵役としてトーマス・F・ウィルソンが演じるタネンの先祖が待っています。

マイケル・J・フォックスが演じるマーティの先祖もいます。1885年でマーティを最初に助けるシェイマス・マクフライ(演じるのもJ・フォックス)は、マーティの曽祖父ウィリアムの父親で、米国移民1世です。しかし、その段階で、既にシェイマスは1985年同様、タネンの祖先に睨まれている存在です。

Part1, Part 2, Part 3の3本を改めて観直し、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』は、時代を変えた1985年の「現代劇」であることを確認しました。それは、1985年に制作されているので、当然かもしれませんが、その当時の歴史観や未来観も副次的でしかないのです(それは、それで素晴らしいのですが)。

この「ワンパターン」は3部構成で終わりを迎えます。配役の加齢もあり、90年代には続編は作られず、1980年代の最高級エンターティメントの映画劇として位置付けられます。

その上で、Part3を考えれば、過去の2作は原状回復がテーマでしたが(『バック・トゥ・ザ・フューチャー』はとても保守的な歴史観なのです)、今回は最後にドクが1885年の女性クララに恋をすることで初めて自分の「時間」を動かし、マーティと異なる道を歩み始めます。

その意味で19世紀の女性であるクララは、唯一、原状回復を無視した一元的な未来志向者であり、それ故に「時間」を進める役柄なのです。

そして、ドクは、「本当の未来とは何か」を語り、マーティと別れます。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』という、繰り返される(時を越える)「現代劇」にも終止符が打たれます。

2017年6月18日 00:28

「もしも」ではない今日性: 映画『If もしも....』の反抗とテロ

全ての映画作品は多かれ少なかれ作られた時代の社会を反映しているものですが、時に時代を越えて、別の文脈で学べることがあります。

『If もしも....』(原題 If....)
制作国  英国
制作年 1968年
監督 リンゼイ・アンダーソン
出演 マルコム・マクダウェル

あらすじ
【英国の500年の歴史を誇る全寮制の私学男子校(パブリックスクール)。Sixth Form(16-18歳)のミック、ジョニー、ウォレスの三人組は厳しい校則と監督生である上級生からの体罰に嫌気が差している。彼らは、コーヒー・ショップの女店員や下級生を巻き込み、学校、教師、上級生に対する反抗を企てる。そして、父兄や地域の有力者が集う、学校の500周年記念行事に3人は軍事的犯行を試みることになる。】

『If』というタイトル通り、「現実」なのか「現実」ではないのか定かではない、幻想的なストーリーです。

しかし、同作品は、1969年のカンヌ映画祭パルム・ドール(最優秀作品賞)を獲得しており、この『If』という仮定が、先進国を中心に世界的に学生運動が起こっていた1960年代後半の時代を反映していたことになります。

ただ、本作は単純に学生(子供)と教員(大人)というような二項対立ではなく、学生同士の上下関係(英国のパブリックスクールにおける「タテ社会性」)を描いている点において、深みがあります。

舞台はパブリックスクールです。監督のアンダーソンも、パブリックスクール(チェルトナム・カレッジ)出身であり、映し出される閉塞感には(幻想的ながらも/幻想的故に)リアリティがあります。

しかしながら、これを当時のパブリックスクールだけの現象と見なすべきではないでしょう。ロンドンの公立小学校が舞台となった1971年の英国映画『小さな恋のメロディ』でも、やはり、最後は学生たちの革新的反抗(武力行使)で終わっており、私立でも公立でも、時代的な共通性があったと考えられます。

もっとも、そこには今日的課題を見つけることもできるかもしれません。

現在、テロに苦しんでいるヨーロッパですが、2016年に欧州でテロに関連した容疑で逮捕され1002人のうち、9割が40歳未満であり、未成年が実行役として関与するケースは増加傾向にあるそうです(「欧州テロ:容疑者9割が40歳未満」、毎日新聞、6月17日)。

彼らが、「ホームグローン・テロリスト」であるとすれば、もう一度、英国の教育から見直してみれば、意外に効果的なテロ対策になるかもしれません。

もちろん、1960年代と2010年代の英国社会が同じではあるとは言いませんが、『If もしも....』のラストシーンにおいて、(ネタバレですが)英国人同士が殺し合っているシーンを見ると、今日の移民とテロの問題を思い浮かべざるを得ません。

しかしながら、今日は仮定の『If』ではなく、現実にテロが毎月発生しているという、より残酷な状況です。

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プロフィール
安井裕司
安井裕司
エジンバラ大学、バーミンガム大学博士課程に学ぶ。その間、ルーマニア・アカデミー歴史学研究所研究生。国際政治学博士(PhD)。国連大学国際紛争研究所インターン、夏期講習クラスコーディネーター、法政大学国際日本学研究所客員研究員等を経て、現在、早稲田大学エクステンションセンター講師、日本経済大学神戸三宮キャンパス教授。
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