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グローバル化は足元からやってくる ~国際学で切り取る世界と社会~

御挨拶

2017年1月 1日 20:49

グローバル化時代だからこそ「教育」が求められる

明けましておめでとうございます。

貴重なお時間を割いて、当ブログをお読み下さっておられる皆様、昨年、1年間、本当に有難うございました。本年もどうかよろしくお願い申し上げます。

2016年を振り返りますと、政治的には各国で大きな変化がありました。

5月、フィリピンの大統領選挙にて「フィリピンのトランプ」と称されるロドリゴ・ドゥテルテ氏が大統領に選出され、6月には英国で欧州連合(EU)離脱是非を問う国民投票が行われ、大方の予想を覆し、離脱派が52%の票を獲得して、英国のEU離脱が決定しました。そして、11月には米国で大統領選挙が行われ、翌日までヒラリー・クリントン氏の優勢が伝えられていた中、低所得層の不満を集約した「本家」のドナルド・トランプ氏が勝利しました。

1年前には予想できなかった現象が起こったのです。

しかしながら、説明は難しくありません。グローバル化の中で、多かれ少なかれ反グローバル化の感情が、(直接に、間接に)政治勢力として顕在化しているのです。

グローバル化という現象は単純ではなく、先進国でグローバル化を反対している低所得者が、消費者としては一番安いもの(外国製品)を消費することでグローバル化を推進してしまっているという現実があります(そして、グローバル経済の勝利者は、高価な国内製品に囲まれて生活することも可能なのです)。

つまり、グローバル化を批判しても、人々の消費活動を変えない限り、グローバル化を止めることはできません。先進国のお金がない人が「(外国製の)安いものを買う」ことを止めることは現実的ではないため、グローバル化は続くのです。そして、グローバル化が続く限り、先進国、途上国を跨る大きな市場において勝者と敗者が起こります。結果として、社会の格差化が引き起こされます。

まず、認識として、グローバル化は止められず、格差は生じることが必然であるという捉え方が求められます。

その上で、各国はどうするかが問われてきます。

日本に関していえば、可能な限り貧困層を少なくするために、国際競争力のある付加価値の高い産業を育てるかにかかっていると考えます。日本だけではないのですが、国民の多くが国際的に(先進国の中で)相対的な意味で貧困化してしまうと、民主主義国家の政治は急進化せざるを得ないのです。

そのためにはどうすべきか。

やはり、私は、初等教育(場合によっては幼児教育)から高等教育そして生涯教育まで含む絶え間ない教育しかないと考えます。教育は社会変動を促します。教育によって導き出される知的な「力」だけがグローバル化における処方箋になるのではないでしょうか。

それは日本だけではなく、他の国にも同様です。各国の教育力が上昇することのみが、各地の政治の急進化を止め、持続可能な経済的繁栄と平和をもたらすのではないでしょうか。

私自身、大学、生涯教育、NGO活動などで教育の現場におります。2017年は、個人的にも公にも、教育が問われる1年となりそうです。

2015年12月30日 08:58

ビクラム暦2072年9月15日のご挨拶:異なる時間の世界が「過去」に結び付く謎

今年も残すところ僅かとなりました。

日韓合意が「年内」に拘ったことで成立したと一部で報道されていますが、総理大臣ではなくとも、年の瀬というのは何かを纏めたいという気持ちにさせるものなのかもしれません。

しかし、振り返りますと、日本が新暦の(太陽暦:グレゴリオ暦)に移行したのは1873年(明治6年)ですので、この国の人々がこの時期に「年の瀬」を迎えるのも、150回(年)に至っていないのです。

そのようなことを考えますのも、今年、9月に「仕事」でネパール、11月にカンボジアを訪問したこともあります。

ネパールは「ビクラム」という太陽暦が用いられています。本日、西暦2015年12月30日は、2072年9月15日になります(もっとも、私がネパール人のNGO関係者にお会いした際は、西暦で約束しておりましたので、グレゴリオ暦が通じましたし、更に、ネパールにはビクラム暦以外の暦もあるそうです)。

カンボジアのカンボジア暦のお正月(メコンの旧正)は4月です。

私が教える中国やベトナムからの留学生は、旧暦のカレンダーで正月を祝う習慣が強く、日本のお正月はぴんと来ないという人も少なくありません。お正月は「春節」(グレゴリオ暦の1月下旬か2月上旬)なのです。

国と言うべきか、地域と言うべきか。異国では、暦(月日)の概念が違うこともあるのです。

月日の感覚が異なれば、当然、時間も異なります。時間が異なれば、文化も、生活習慣も異なります。

しなしながらです。2015年に私が観たネパールもカンボジアもどこか懐かしいのです。良くも悪くも「昭和の匂い」がするのです。もちろん、全く同じではありませんが、同じような「匂い」です。

異なる時間の世界が、異国(自国)の「過去」に結びついている感覚は面白いものでした。

世界は、経済を中心にグローバル化しています。それは単に画一化する市場をだけではありません。私が神戸でアジアを中心に留学生に囲まれた生活をしているのも、私が欧州各国やネパールやカンボジアに足を運ぶことも、グローバル化現象であるとも言えます。

このようにグローバル化する今日だからこそ、時(暦)の違いが明確になっているように思えるのです。そして、違うからこそ、時を越える共通項が見えてくるのでしょう。

グローバル化が照らし出す「相違」は時に、「文明の衝突」に見えるような現象ももたらすかもしれません。しかしながら、「衝突」を解決に導く方法も、また、多用な文化(違い)を尊重することを前提としながらも、グローバル化の延長上にしかないように思えます。

2015年も当ブログで、色々と書かせて頂きました。お付き合い有難うございました。

皆様、どうか良いお年をお迎え下さい。来年もよろしくお願い申し上げます。

2015年1月 1日 04:58

存在の拘束性を顧みて

新年、明けましておめでとうございます。

昨年も当ブログにて様々なことを記してきました。

書くということは記憶の喪失に抗うことであると先日、『エターナル・サンシャイン』(米国  2004年制作)という映画作品を紹介した際、述べましたが、ブログは言うまでもなく、記憶喪失に抗う(現代の日記の)一形態であるのでしょう。

当然、書かれたものには書き手が存在し、書き手には属性があります。人は皆、多かれ少なかれ、Space(空間)、Place(場所)、Time(時間-時代)に拘束されます。書かれたものが、どのような(社会的意味でも)どのような人物が、どこで、いつ執筆したかが、とても重要になってきます。

書き手もある意味で、自分の「存在拘束性」を認識する必要はあるのでしょう。私のような一ブログ執筆者(ブロガー)であっても、左に記載されている経歴(おそらく、それ以上)に限定される(縛られる)ものがあると考えられます。

【そのような「拘束性」を個人的に感じましたのは、香港デモに関しまして、私は、歴史学者の増田四郎氏の言葉を用いて、学生は教室に帰り勉強をすべきだと書きました。市民的ダイレクトアクション(デモ)に反対なのではなく、香港の大人たちが(子供たちを利用せずに)中心になって交渉をすべきだと考えたからです。結果として、今回のデモを支持しておられる方々からご批判を頂きました。】

このような「拘束性」は、誰にもあります。ですから、当ブログ2011年7月20日付に記しました通り、議論上において「意見が異なることに合意する」(Agree to disagree)の精神が必要であるのでしょう。

ただ、同時に自分の「拘束性」を顧みることも大切であるように思えます。自分自身の意見の正当性を信じるのではなく、疑ってみて、やはり正しいと確信するのも良し、論理的に考えなおすのも良し、なのではないでしょうか。

この「拘束性」は変化します。私の場合、このブログを始めた時、スイスに滞在する兼業主夫であり、(今よりは)若手研究者であり、時々、大学で教えている生活をしていました。今は、日本の大学に所属するフルタイムの教員なので、基本的に日本に滞在し、大学に「拘束」される時間は長くなっています。

日記やブログは書き手の属性の変化も明らかにしてしまうものなのかもしれません。

2015年も「拘束性」を理解した上で、時に疑いながら、可能な限り、激動する世界と諸社会を記し続けていきたいと願っております。

本年もどうかよろしくお願い申し上げます。

2014年1月 1日 00:59

2014年、グローバル化とナショナリズム

新年、明けましておめでとうございます。

QuonNetのブログにて、元旦にご挨拶をさせて頂くのも3回目となります。

2012年は「「知って考えること」のススメ」、2013年は「「普通なき時代」を生き抜くために」と題しました。過去2年に共通することは、国境を越えてヒト、モノ、カネが自由に行き来するグローバル化の時代に対応するには、個人レベルが学ぶしかないということであり、それは今年も変化はありません。

当ブログでは、何度か言及しておりますように、グローバル化によって途上国は先進国化し、(元)途上国と先進国の国単位の格差は小さくなっていっています。しかし、各国の国内は「持てる者」と「持たざる者」に、大きく格差化していきます。

「持てる者」よりも「持たざる者」のほうが多数のため、欧米の民主主義国家は、民主主義故に政治は「持たざる者」の不満をナショナリズムによって汲み取る左翼、右翼(社会民主主義、民族社会主義)が伸長する傾向が強まるのではないでしょうか。非民主主義国家は、旧体制が維持されながらナショナリズム路線を敷こうとするでしょう。

実のところ、グローバル化と左右のナショナリズムは矛盾せず、コインの裏表なのです(後日、記しますが、日本においてはグローバル化の担い手とナショナリズムの担い手が現段階では同じ、安倍晋三首相である点がユニークであります)。

このような時代において、私たちはグローバル化に関してもナショナリズムに対しても、可能な限り、客観的に捉え、自分自身の立ち位置を見失わないようにしなければならないのです。

より具体的な姿勢としては、距離感を保つことなのではないでしょうか。日本では、「上から目線」と言えば、偉そうな語り口を示しますが、物事に対して「上から」でも「横から」でも距離を保って考察することは大切です。その際、重要なことは自分自身や自分が所属する組織に対しても距離を保って客観視することです。自分を棚に上げてしまうと、悪い意味で「上から目線」に陥ってしまいます。

世界について、国家について、会社について、家族について、自分自身について「上から目線」で考察することは、学問のスタートでもあります。

最後に個人的には、私は昨年、スイスのジュネーブ市から日本の神戸市へ拠点を移しました。早稲田大学エクステンションセンターでも引き続き講座を担当しておりますので、相変わらず、落ち着きのない生活が続いておりますが、むしろ、移動することによって見えてくる社会(世界)の姿を書き続けていけますれば幸いです。

本年もどうかよろしくお願い申し上げます。

2013年8月14日 00:00

出張講義します

7月末から早稲田大学エクステンションセンター八丁堀校にて私が担当する「現代ヨーロッパ社会論」が始まりました。

当ブログ、2012年2月15日に記しました通り、八丁堀校は、平成5年3月をもって閉校した中央区立京華小学校、京華幼稚園の建物をほぼそのまま再利用しておりますが、毎回、その小さな教室がいっぱいになるほど受講して頂き、大変有難く存じます。

2005年春講座から担当させて頂いております早稲田大学エクステンションセンターでは、今まで沢山の素敵な思い出を頂いてきました。

受講者は50歳代、60歳代、70歳代が多く、人生の先輩たちの前で、曲がりなりにも「先生」を務めさせていただくには、下手な人生訓は無駄ですので、逆にプロに徹しなければと気を引き締めてきました。教室の外では、自主的に「ゼミ」が立ち上がり、勉強会をしながら、(私にとっての)親の世代の本音を聞かせて頂きました。

少数派ではありましたが、私の同年代からより若い受講生もいました。彼らとは時に「先生」と「受講生」であり、時に友人同士であり、悩みを聞いたり聞いて貰ったりしてきました。

エクステンションセンターには試験はなく、私は「先生」ですが、成績を付けることはありません。おそらく、そのような環境がとてもユニークで、ほのぼのとした社会空間の形成を可能としたのかもしれません。

ただ、一つ強調しておかなければならないことは、受講生の皆様は、(当ブログの第1回目に記しました通り、「マージナルマン」として)大変忙しい中で少ない時間を見つけては勉学に励んでいました。年齢も性別も職歴も関係なく、常に真摯に学ぶ人は「強く」かつ「美しく」輝いています。

私は、いつも名実ともに彼らの「先生」でありたいと願ってきました。ただ、残念なことは、エクステンションションセンターが東京から動けないことです。受講するためには東京に来ていただくことしかありません。

縁があり私はこの春から神戸の大学でも教壇に立つことになりました。勤務校では、「出張講義」制度があります。関西地区の高校ならばおそらく、講演代は無料で交通費も勤務校持ちで、高校以外の団体の場合も講演代は基本的には無料で伺えると存じます。
http://kobe.jue.ac.jp/demae/index.html

個人の場合は、オープンキャンパスに来ていただくこともできます。
http://kobe.jue.ac.jp/opencampus/index.html

関東より北の方々は、エクステンションセンターを受講していただくしかないのですが、今後、ご要望がありましたらeラーニング講座もセンターに相談してみたいと存じます。

全国に散らばるQuonNetの読者の皆様にも、色々な形でお会いしたいと願っております。これからもどうかよろしくお願い申し上げます。

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プロフィール
安井裕司
安井裕司
エジンバラ大学、バーミンガム大学博士課程に学ぶ。その間、ルーマニア・アカデミー歴史学研究所研究生。国際政治学博士(PhD)。国連大学国際紛争研究所インターン、夏期講習クラスコーディネーター、法政大学国際日本学研究所客員研究員等を経て、現在、早稲田大学エクステンションセンター講師、日本経済大学神戸三宮キャンパス教授。
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