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グローバル化は足元からやってくる ~国際学で切り取る世界と社会~

御挨拶

2018年12月 1日 13:28

ブログ終了前のご挨拶

前にもお知らせ致しましたが、今月を持ってQuonNetブログでのこの連載「グローバル化は足元からやってくる」が終了致します。

2011年3月から沢山の方々にお読み頂き、本当に感謝しております。

このブログが始まった2011年3月11日に東日本大震災が発生しました。2011年から2018年は、平成の後期と言える「区間」であったように思います。

私は歴史学者ではありませんが、「時代」で区切って整理することは大切であると考えています。

周知の通り、来年、4月30日に天皇陛下が『生前退位』され、2019年5月1日に皇太子殿下が新天皇に即位され、新元号となります。

残すところ、6カ月。この間に平成が大きく変化する可能性がないとは言えませんが、「時代」として総括してもよい頃であることは確かでしょう。

国内総生産(GDP)や経済成長率によって数値的に平成の31年間の「時代」を語ることは難しくありません。

日本にとって昭和後期がJapan as Number Oneと称された高度経済成長の激変の「時代」であったとすれば、平成は、経済指数上、あまり変化しない「時代」であったということになります(敢えてここでは東日本大震災については語りませんが)。

しかしながら、よく見ると社会は動いており、QuonNetではそれを見つけ出そうと足掻いていたような感じでした。

もちろん、この「時代」をどう感じたかは、それぞれの人生とこの「時代」の関わり合い次第です。そのような意味で、ブログの筆者である私自身もニュートラルな存在ではありません。

私の場合、平成とは東京での大学生生活から始まり、ヨーロッパでの研究生やインターンを含めて長い大学院生活を送って前半が終わり、後半は非常勤講師、研究所研究員、専任教員として過ごした時間でした。

そして、2011年からはQuonNetにこの「時代」を刻んできたつもりです。次の「時代」をQuonNetという形でご一緒できないことは残念ですが、どこかでまたご縁がありますことを願っています。

それでは、今月も頑張ります。もう少々、お付き合い下さい。

2018年1月 1日 02:42

行動は知識の適切な果実である

新年、明けましておめでとうございます。

毎年、最初のブログ更新はご挨拶を兼ねて、敢えて総論を書かせて頂いてきました。

2017年1月1日「グローバル化時代だからこそ『教育』が求められる」
2016年1月2日「2016年を欧州から考える(1):可視化される危機」
2016年1月3日「2016年を欧州から考える(2):日本に『ルペン氏』が現れない理由」
2015年1月1日「存在の拘束性を顧みて」
2014年1月1日「2014年、グローバル化とナショナリズム」
2013年1月1日「『普通なき時代』を生き抜くために」
2012年1月1日「2012年、『知って考えること』のススメ」

簡単に要約しますと、グローバル化によって各国において勝ち組、負け組がはっきりしてしまい、中間層が希薄になり、世界的に格差社会が到来しようとしています。そして、政治は左右いずれかに寄った形で急進化していきます。

ヨーロッパでは右から民族主義の台頭が目立ってきていますが、民族主義は右翼的であり、同時に左翼的でもあります。興味深いことは、民主主義国家では、選挙を通じて、急進化が進んでいくのです。

この数年、当ブログでは、このような現象を何度も書いてきました。

しかしながら、日本の政治に関して述べれば、毎年のように「変わらない」ことを確認するに留まります。数値的には、過去最悪レベルの子供の貧困率問題など、日本も格差問題に直面しているはずですが、どうも見えてこない(可視化されない)のです。

見える、見えないはともかくも、実態として、私たちは社会構造において少子化や高齢化、女性の社会進出、労働力不足等の深刻な課題を直視しなければいけないでしょう。

日本は高度成長期において、ストレートに(頑張って)やっていけば右肩上がりにどんどん豊かになってきました。

でも、今はStatus Quoを維持するために、様々な努力をしなければいけない社会環境となっています(頑張っても、Status Quoなのです)。

何も変化しないことで成功してきた記憶を打ち消して、本気で変化するように努めなければ、取り返しのつかない「遅れ」となってしまうように感じます。

このような時代、私たちは具体的にどうしたら良いのでしょうか。

毎年、繰り返しになりますが、個人的には行動の前提として「学び」、知識において「強くなる」ことが非常に重要であると考えます。

なぜならば、
「行動は知識の適切な果実である」
"Action is the proper Fruit of Knowledge" (Thomas Fuller)
からです。

本年もどうかよろしくお願い致します。

2017年1月 1日 20:49

グローバル化時代だからこそ「教育」が求められる

明けましておめでとうございます。

貴重なお時間を割いて、当ブログをお読み下さっておられる皆様、昨年、1年間、本当に有難うございました。本年もどうかよろしくお願い申し上げます。

2016年を振り返りますと、政治的には各国で大きな変化がありました。

5月、フィリピンの大統領選挙にて「フィリピンのトランプ」と称されるロドリゴ・ドゥテルテ氏が大統領に選出され、6月には英国で欧州連合(EU)離脱是非を問う国民投票が行われ、大方の予想を覆し、離脱派が52%の票を獲得して、英国のEU離脱が決定しました。そして、11月には米国で大統領選挙が行われ、翌日までヒラリー・クリントン氏の優勢が伝えられていた中、低所得層の不満を集約した「本家」のドナルド・トランプ氏が勝利しました。

1年前には予想できなかった現象が起こったのです。

しかしながら、説明は難しくありません。グローバル化の中で、多かれ少なかれ反グローバル化の感情が、(直接に、間接に)政治勢力として顕在化しているのです。

グローバル化という現象は単純ではなく、先進国でグローバル化を反対している低所得者が、消費者としては一番安いもの(外国製品)を消費することでグローバル化を推進してしまっているという現実があります(そして、グローバル経済の勝利者は、高価な国内製品に囲まれて生活することも可能なのです)。

つまり、グローバル化を批判しても、人々の消費活動を変えない限り、グローバル化を止めることはできません。先進国のお金がない人が「(外国製の)安いものを買う」ことを止めることは現実的ではないため、グローバル化は続くのです。そして、グローバル化が続く限り、先進国、途上国を跨る大きな市場において勝者と敗者が起こります。結果として、社会の格差化が引き起こされます。

まず、認識として、グローバル化は止められず、格差は生じることが必然であるという捉え方が求められます。

その上で、各国はどうするかが問われてきます。

日本に関していえば、可能な限り貧困層を少なくするために、国際競争力のある付加価値の高い産業を育てるかにかかっていると考えます。日本だけではないのですが、国民の多くが国際的に(先進国の中で)相対的な意味で貧困化してしまうと、民主主義国家の政治は急進化せざるを得ないのです。

そのためにはどうすべきか。

やはり、私は、初等教育(場合によっては幼児教育)から高等教育そして生涯教育まで含む絶え間ない教育しかないと考えます。教育は社会変動を促します。教育によって導き出される知的な「力」だけがグローバル化における処方箋になるのではないでしょうか。

それは日本だけではなく、他の国にも同様です。各国の教育力が上昇することのみが、各地の政治の急進化を止め、持続可能な経済的繁栄と平和をもたらすのではないでしょうか。

私自身、大学、生涯教育、NGO活動などで教育の現場におります。2017年は、個人的にも公にも、教育が問われる1年となりそうです。

2015年12月30日 08:58

ビクラム暦2072年9月15日のご挨拶:異なる時間の世界が「過去」に結び付く謎

今年も残すところ僅かとなりました。

日韓合意が「年内」に拘ったことで成立したと一部で報道されていますが、総理大臣ではなくとも、年の瀬というのは何かを纏めたいという気持ちにさせるものなのかもしれません。

しかし、振り返りますと、日本が新暦の(太陽暦:グレゴリオ暦)に移行したのは1873年(明治6年)ですので、この国の人々がこの時期に「年の瀬」を迎えるのも、150回(年)に至っていないのです。

そのようなことを考えますのも、今年、9月に「仕事」でネパール、11月にカンボジアを訪問したこともあります。

ネパールは「ビクラム」という太陽暦が用いられています。本日、西暦2015年12月30日は、2072年9月15日になります(もっとも、私がネパール人のNGO関係者にお会いした際は、西暦で約束しておりましたので、グレゴリオ暦が通じましたし、更に、ネパールにはビクラム暦以外の暦もあるそうです)。

カンボジアのカンボジア暦のお正月(メコンの旧正)は4月です。

私が教える中国やベトナムからの留学生は、旧暦のカレンダーで正月を祝う習慣が強く、日本のお正月はぴんと来ないという人も少なくありません。お正月は「春節」(グレゴリオ暦の1月下旬か2月上旬)なのです。

国と言うべきか、地域と言うべきか。異国では、暦(月日)の概念が違うこともあるのです。

月日の感覚が異なれば、当然、時間も異なります。時間が異なれば、文化も、生活習慣も異なります。

しなしながらです。2015年に私が観たネパールもカンボジアもどこか懐かしいのです。良くも悪くも「昭和の匂い」がするのです。もちろん、全く同じではありませんが、同じような「匂い」です。

異なる時間の世界が、異国(自国)の「過去」に結びついている感覚は面白いものでした。

世界は、経済を中心にグローバル化しています。それは単に画一化する市場をだけではありません。私が神戸でアジアを中心に留学生に囲まれた生活をしているのも、私が欧州各国やネパールやカンボジアに足を運ぶことも、グローバル化現象であるとも言えます。

このようにグローバル化する今日だからこそ、時(暦)の違いが明確になっているように思えるのです。そして、違うからこそ、時を越える共通項が見えてくるのでしょう。

グローバル化が照らし出す「相違」は時に、「文明の衝突」に見えるような現象ももたらすかもしれません。しかしながら、「衝突」を解決に導く方法も、また、多用な文化(違い)を尊重することを前提としながらも、グローバル化の延長上にしかないように思えます。

2015年も当ブログで、色々と書かせて頂きました。お付き合い有難うございました。

皆様、どうか良いお年をお迎え下さい。来年もよろしくお願い申し上げます。

2015年1月 1日 04:58

存在の拘束性を顧みて

新年、明けましておめでとうございます。

昨年も当ブログにて様々なことを記してきました。

書くということは記憶の喪失に抗うことであると先日、『エターナル・サンシャイン』(米国  2004年制作)という映画作品を紹介した際、述べましたが、ブログは言うまでもなく、記憶喪失に抗う(現代の日記の)一形態であるのでしょう。

当然、書かれたものには書き手が存在し、書き手には属性があります。人は皆、多かれ少なかれ、Space(空間)、Place(場所)、Time(時間-時代)に拘束されます。書かれたものが、どのような(社会的意味でも)どのような人物が、どこで、いつ執筆したかが、とても重要になってきます。

書き手もある意味で、自分の「存在拘束性」を認識する必要はあるのでしょう。私のような一ブログ執筆者(ブロガー)であっても、左に記載されている経歴(おそらく、それ以上)に限定される(縛られる)ものがあると考えられます。

【そのような「拘束性」を個人的に感じましたのは、香港デモに関しまして、私は、歴史学者の増田四郎氏の言葉を用いて、学生は教室に帰り勉強をすべきだと書きました。市民的ダイレクトアクション(デモ)に反対なのではなく、香港の大人たちが(子供たちを利用せずに)中心になって交渉をすべきだと考えたからです。結果として、今回のデモを支持しておられる方々からご批判を頂きました。】

このような「拘束性」は、誰にもあります。ですから、当ブログ2011年7月20日付に記しました通り、議論上において「意見が異なることに合意する」(Agree to disagree)の精神が必要であるのでしょう。

ただ、同時に自分の「拘束性」を顧みることも大切であるように思えます。自分自身の意見の正当性を信じるのではなく、疑ってみて、やはり正しいと確信するのも良し、論理的に考えなおすのも良し、なのではないでしょうか。

この「拘束性」は変化します。私の場合、このブログを始めた時、スイスに滞在する兼業主夫であり、(今よりは)若手研究者であり、時々、大学で教えている生活をしていました。今は、日本の大学に所属するフルタイムの教員なので、基本的に日本に滞在し、大学に「拘束」される時間は長くなっています。

日記やブログは書き手の属性の変化も明らかにしてしまうものなのかもしれません。

2015年も「拘束性」を理解した上で、時に疑いながら、可能な限り、激動する世界と諸社会を記し続けていきたいと願っております。

本年もどうかよろしくお願い申し上げます。

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プロフィール
安井裕司
安井裕司
エジンバラ大学、バーミンガム大学博士課程に学ぶ。その間、ルーマニア・アカデミー歴史学研究所研究生。国際政治学博士(PhD)。国連大学国際紛争研究所インターン、夏期講習クラスコーディネーター、法政大学国際日本学研究所客員研究員等を経て、現在、早稲田大学エクステンションセンター講師、日本経済大学神戸三宮キャンパス教授。
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