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グローバル化は足元からやってくる ~国際学で切り取る世界と社会~

2018年11月

2018年11月14日 00:45

誰もが大学に行くようになった時、社会は大学の学費をどうするればいいのか?

先日、行われました米国の中間選挙におきまして、民主党の新人のアレクサンドリア・オカシオコルテス氏が下院議員に当選しました。

オカシオコルテス氏は現在29歳で、史上最年少の女性下院議員となりました。

そんなオカシオコルテス氏が主張している重要項目の一つが、「公立大学と職業専門学校の無償化」なのです。

なぜかと言えば、米国の大学の学費は非常に高いのです。

OECDが2017年9月に公表しました加盟国35カ国の調査では、米国の公立大学の年間授業料(平均)は、アメリカで8202ドル(約91万円)でした。2番目に高いチリで7654ドル(約85万円)よりも遥かに高く、3番目の日本の5229ドル(約58万円)よりも米国は30万円も高くなっています(Business Insider Japan, Sep. 19, 2017)。

米国の私立大学になると更に超高額となり、平均学費は2万1189ドル(約236万円)であり、日本の8428ドル(約94万円)の約2.5倍となっています(同上)。

しかしながら、米国の大学進学率は7割(OECD 2012)を超えているのです。

米国だけではなく、先進国において国民の大半が大学に行く時代となっています。

大学に行かなければ、研究を続けることも仕事を見つけることも容易ではないでしょう。そして、その学費高でトップを走る米国において、(学費を無料にするという政策が正しいかどうかは別として)大学の学費がこんなに高くて良いのかという声が上がるのは当然であるように思えます。

学費を抑えた公立大学がある程度存在することを前提にすれば、私立大学の学費が比較的高くでも選択肢として許されるでしょうが、公立大学の学費も高い場合、選択肢がなくなります。学費を払えるだけのお金がない人には、成功への道が閉ざされてしまうのです。

進学率が上昇しているということは、大学の「高校化」と認識してもいいのでしょう。一般に高校の学費は、大学程、高くないのです。そして、誰でも大学に進学する時代なら、国としては(無料ではなくても)誰でも払える大学の学費の額を考えなくてはいけません。

私は、私学の学費を政治的に抑えることは私学の私学性を失わせてしまうと考えます。ですから私学の学費は、市場に任せるべきであると思います(公立よりも学費の安い私立があってもいいのですが)。ただ、公立の大学の学費に関しては、米国も日本も真剣に考えるべきなのではないでしょうか。

2018年11月13日 15:10

なぜ、人は嘘をつくのか?: 映画『ソフィーの選択』の選択と嘘と友人の関係

重い映画ですが、深い映画でもあります。

映画『ソフィーの選択』(原題 Sophie's Choice)
制作国 米国
制作年 1982年
監督 アラン・J・パクラ
出演 メリル・ストリープ, ケヴィン・クライン, ピーター・マクニコル

あらすじ
【1947年、米国南部出身のスティンゴは作家を目指してニューヨークに出てきた。ピンク色の奇妙な安いアパートを借りることになり、上階で同棲しているポーランド出身のソフィーとハーバード大学卒の化学者ネイサンと親しくなった。アウシュビッツ収容所にいたというソフィーは才色兼備で数か国語を話し、ポーランドでは反ナチスで有名な大学教授の娘だったという。製薬会社ファイザー研究所でノーベル賞級の研究をしているというネイサンは、情緒不安定ながら、スティンゴの原稿を賞賛する理解者であった。ある日、些細なことで喧嘩した2人は別々に家出し、スティンゴはソフィーの行方を捜す。すると、ポーランド出身のある大学教授からソフィーの父親が反ナチスではなく、ナチスの崇拝者であったことを聞かされる。ネイサンに関しても、彼の実兄からスティンゴに連絡があり、ハーバード大卒であることも、化学者であることも嘘であり、彼が精神を病んでおり、麻薬中毒者であることを伝えられる。】

人生は選択の連続です。しかし、常に選択が正しかどうかは分かりません。将来、あの時、あんな選択をしなければと思うことも少なからず、あるでしょう。

「間違った」選択が自分を苦しめる場合、時に人は自分を守るために人に対して、自分に対して、嘘をつきます。

ソフィ―の場合はそんな嘘です。

ネイサンも嘘をつきます。彼の場合は自分の理想を語り、結果的に嘘になってしまいます。噓を誤魔化すためにソフィーを罵倒します。

2人は喧嘩しながら別れることができません。なぜならば、2人が嘘をついていることが2人の関係を「現実」の場で結び付けているからです。2人ともその構造に薄々気付いているのです。

スティンゴはネイサンに憧れ、ソフィ―を愛しながら、傍観者でしかあり得ません。

スティンゴは、2人と生活の場を共有していますが、あまりにもストレートなため、彼らの世界には入っていけないのです。しかし、2人の友人であり、理解者であるスティンゴがいなければ私たち観衆も、ネイサンとソフィーの嘘を受け入れることができないでしょう。

人は(ソフィー程ではないにせよ)、多かれ少なかれ、自己弁護の嘘をついてしまうものかもしれません。社会に理解されるか、されないかは、スティンゴのような友人の存在次第なのかもしれません。だからこそ、2人はスティンゴを必要としたように思えます。

2018年11月12日 23:59

FA宣言に対するアレルギー反応は、日本学的文脈から考えるべきか?

11月7日、プロ野球の広島・丸佳浩外野手が、国内フリーエージェント(FA)権を行使しました。

まだ、交渉が始まっていないのですが、マスコミでは「巨人が最低4年20億円以上で獲得へ」(日刊スポーツ, 11月8日)とか、ロッテが「広島・丸に4年20億円視野!球団幹部「最大限の誠意」」(産経スポーツ,11月8日)とか報じられています。

広島も、「広島の丸がFA宣言=球団は宣言残留容認」(Jiji.com, 11月7日)です。広島ではこれまで、FA権を行使しての宣言残留は基本的に認めてこなかったにもかかわらず、丸選手に関しては、「欠かせない戦力であることから異例の対応を取る」(産経スポーツ, 11月4日)というのです。

なるほど、広島は今までFA宣言するなら、もう出て行ってくれという姿勢だったのです。

広島がFA宣言後の残留を認めてこなかったのは、冷酷な球団であるからではなく、球団の資金面で限界があったからであるとされています(産経新聞、11月12日)。過去の例を見ますと、それだけではないような気もしますが。

結果として、OBでさえFAを宣言する選手に厳しいようで、広島OBで野球評論家の北別府学氏は10月7日のご自分のブログで、FA宣言をした丸選手について「育てあげたのは広島東洋カープだ」と書き、パワハラなのではないかと指摘されたほどです(日刊スポ―ツ, 11月8日)。

一部のファンも「裏切り者」といった言葉が出ているそうで(日刊スポーツ, 11月11日)、地元の銀行のCM契約を移籍を決意した丸選手が打ち切ったという怪情報も流れているそうです(東京スポーツ, 11月12日)。

私も阪神ファンなので、(鳥谷選手が巨人に行ったらと想像すれば)気持ちは分かるんですけど、やはり選手は第一にプロであることを認識しなければいけないのかもしれません。

米国でもメジャーリーグは意外に家族主義でウェットなところもありますが、それでもFAに対しては日本程、批判的な声が挙がりません(元古巣チームとの初対戦では、大きなブーイングが必ずありますが)。FAはプロ選手の当然の権利として受け止めるのが「普通」であるように思われます。

ロバート・ホワイティング氏の『菊とバット』に示されているように、Baseball は日本で日本文化と融合し、「野球」として発展していきました。FAはそのような文脈では、日本文化とは「異質」な制度ということになるのでしょうか。

ただ、FAで選手を受け入れてきた阪神を見続けている私から申しますと、FA選手の費用対効果は悪いと考えます。この場合、(1人の選手の個人成績を効果とするのではなく)効果を優勝、日本一として考えてみます。阪神を例にすれば、FAで人を集めても優勝や日本一に必ずしも結びついていないと言えるのです。

ですから、広島の皆さんも、是非気持ちよくFA選手を出してあげてください。もちろん、FA宣言後の再契約でも問題はありません。

2018年11月11日 00:01

英語を越えるグローバリゼーションが起こっている

先日、私が教える大学の学生と共に神戸市の消防局に見学に行きました。担当の方に大変丁寧にご説明頂きましたので、ここで文句を言いたい訳ではありません。

ただ、少し引っかかることがありました。

広報の担当の方が、近年、神戸市でも日本語ができない外国籍の住民の方が増えており、また観光都市で外国人旅行者も少なくないため、当局では、英語でも対応できるようにしておりますと話されました。

確かに「さすが国際都市・神戸」と言いたいのですが、実は、神戸で増えているのはベトナム人であり、ベトナム人の多くは英語はできないのです。そのことを質問させて頂きますと、「中国語、スペイン語、フランス語等の通訳の方とも契約しております」、「それで今までは問題はありませんでした」とお答えになられました。

ベトナム人がフランス語を習っていたのは数世代前であり、来日したばかりで日本語学校に通う多くのベトナム人は、緊急時に何語でヘルプを求めればいいのかと考え込んでしまいました。来年から外国人労働者も合法化されるようですが、日本語も英語もできないベトナム出身者が増加したらどうするのでしょうか。

神戸は国際都市であり、国際化という点においては全国でも先進都市であると存じます。しかしながら、それでも何か最新の(足元からの)グローバル化とは違う方を向いているようにも見えるのです。もちろん、これは神戸だけの問題ではないでしょうが。

確かに日本人にとって、英語は国際化の第一歩です。大学入試にしても、就職にしても、21世紀に英語なしの成功はないと言っても過言でないでしょう。事実、世界のビジネス言語は、英語なのです。

その上で、グローバル化を考えていきますと、グローバル化は英語よりも遥かに広範囲であり、英語だけでは事足りないのです。

私は英語を越えるグローバリゼーションという状況が、世界各地で散見されるように感じます。

先日、当ブログ(2018年11月 5日付)にて「外国人労働者の受け入れには、国民的合意(覚悟)が必要である」というタイトルで外国人労働者受け入れには覚悟(と準備)が必要なのではないかと記しましたが、外国人を受け入れる準備には言語問題の解決も避けて通れないでしょう。

外国人は皆、英語を話すと考えたり、国際化は英語だけで何とかなるという認識は正しくないのではないでしょうか。

2018年11月10日 00:51

多様であることを理解する重要性: 映画『パラダイス・ナウ』にみるパレスチナ側の論理の非単一化

自分の帰属集団ではない、ソトの(外国の)集団が一枚岩ではなく、多様であることを理解することはとても重要です。

映画『パラダイス・ナウ』(原題Paradise Now)
制作国 フランス・ドイツ・オランダ・パレスチナ
制作年 2005年
監督 ハニ・アブ・アサド
出演 カイス・ナーシェフ, アリ・スリマン

あらすじ
【イスラエルに包囲されたパレスチナ自治区のナーブルス。幼馴染で親友のサイードとハーレドは、イスラエルの占領政策にいら立ちを感じている。そんな時、モロッコ育ちでパレスチナの独立英雄の娘であるスーハがナーブルスに戻ってくる。スーハは、サイードに好意を抱くが、サイードとハーレドはパレスチナ過激派の自爆テロの実行役に選ばれてしまう。人権派のスーハは自爆テロは、逆にイスラエルにパレスチナを攻撃する口実を与えてしまうと考え、テロに強固に反対するが、2人の変心させることはできない。テロの実行日になり、イスラエル側に忍び込み、できるだけ多くの人に潜りこんでテロを行おうとするが、イスラエル軍に見つかってしまい計画の中止を余儀なくされる。更にスーハに反対されながらも、2人は再びイスラエル側へ向かうが、ハーレドは、徐々にスーハの思想も一理あるように考えるようになっていく。】

パレスチナ自治区の普通の2人の青年が、自爆テロを命じられてからの心の動きを描いた作品です。ハニ・アブ・アサド監督は、8年後に同じ自治区を舞台にした『オマールの壁』という映画を撮ります。

本作は、『オマールの壁』にくらべラブストーリ度が下がり、独立運動の英雄の娘スーハの役割は補助的です。しかしながら、スーハがテロ以外の道を提示することが、主人公サイードを迷わせます。

ネタバレですが、スーハが主張する「テロ以外の道」は、サイードにとって、かつてパレスチナを裏切った父親の存在によって最終的に打ち消されます。

逆説的に申し上げれば、スーハの父親が武力闘争の英雄だからこそ、スーハは平和の道を模索できるのであって、母国を裏切った父親を持ったサイードはその選択が(仮に頭で分っていても)できないことになります。

本作品は、公開当時、テロを否定しないことによって一部に批判されたそうです。

ただ、作り手は、テロを一方的に肯定してはいないと考えます。そうしなければいけない青年サイード、それを否定できるスーハ(そしてスーハの思想に影響されるハーレド)の存在を並列されることで、パレスチナの多様な現状を描こうとしているのではないでしょうか。

もし、敵対する集団を(敵として)一纏めに見てしまうことが、戦争の始まりであるとすれば、パレスチナの多様性を描くことは平和への一歩であるように思えます。

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プロフィール
安井裕司
安井裕司
エジンバラ大学、バーミンガム大学博士課程に学ぶ。その間、ルーマニア・アカデミー歴史学研究所研究生。国際政治学博士(PhD)。国連大学国際紛争研究所インターン、夏期講習クラスコーディネーター、法政大学国際日本学研究所客員研究員等を経て、現在、早稲田大学エクステンションセンター講師、日本経済大学神戸三宮キャンパス教授。
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