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グローバル化は足元からやってくる ~国際学で切り取る世界と社会~

2018年8月

2018年8月31日 02:56

映画の世界に戻って行ったのは誰だったのか?: 映画『今夜、ロマンス劇場で』と加藤剛

俳優の生死が映画作品に影響を与えることを、どのように理解すべきでしょうか。

映画『今夜、ロマンス劇場で』
制作国 日本
制作年 2018年
監督 武内英樹
出演 綾瀬はるか,坂口健太郎, 加藤剛

あらすじ
【現在、死を前にして入院している老人・健司の懐古シーンから始まる。1950年代、日本映画の黄金期、青年・健司は、映画監督を目指し、現在、助監督としてあらゆる雑用を担当している。同時に、毎日のように映画館「ロマンス劇場」に通い、全ての作品の上映終了後、1人で戦前の白黒映画の『お転婆姫と三獣士』を見続けていた。健司は、同作品の主人公である転婆姫の美雪に恋をしている。何度も、何度も見続けたが、ある日、「ロマンス劇場」の支配人から明日、同映画のフィルムを売ってしまうと言われる。健司が最後の1回を見ていると、突然、映画の中から白黒のお転婆姫が現実の世界に出てきてしまう。行く当てのない姫は、健司の家に転がり込み、2人は次第に惹かれ合うが、姫は人間に触ると消えてしまうため触れ合うことができないという。】

『ローマの休日』、『オズの魔法使い』、『カイロの紫のバラ』、『バック・トゥ・ザ・フューチャー』、『ニュー・シネマ・パラダイス』等の様々な名画へのオマージュによって構成されており、映画好きには懐かしいシーンの連続です。

同作品は、馴染みのあるシーンを繋ぎながらも、健司とお転婆姫の物語がオリジナルに展開されます。

健司は、現実の世界に出てきたお転婆姫を受け入れることにします。触れては消えてしまうことを理解しながら、触れないことで彼女との生活を選ぶのです。

映画ですからそれも許されるストーリではあります。しかし、ネタバレですが、最後の最後に姫は訳があって消えてしまうのです。

良い作品なのですが、姫が、年老いた健司の前に昔の姿のまま登場するのことが、何か違和感があります。

若い健司の前でお転婆姫は消えるべきだったのではないでしょうか。年老いた健司に触れなくてはいけない理由と同じようなことが、若い頃にあってもおかしくはないように思えるのです。

そうすると、年老いた健司の懐古シーンがより輝くように感じるのです。

ちなみに老人の健司の役は、今年の6月に亡くなられた加藤剛さんが演じられています。作品には全く罪はないのですが、この映画が加藤さんの遺作であり、消えてしまったのは加藤さんなのです。

もっとも、加藤さんが映画の世界に戻っていったと考えるべきなのかもしれません。ご冥福をお祈りいたします。

2018年8月30日 00:19

『ちびまる子ちゃん』(さくらももこさん)が描き出す「1970年代の昭和」の普遍性とは何か?

周知の通り、『ちびまる子ちゃん』の原作者であるさくらももこさんが、8月15日にお亡くなりになりました。

『ちびまる子ちゃん』はさくらさん自身の小学生時代の実体験をモチーフに作られたと言われています。実際、さくらさんは1965年生まれで、ちびまる子ちゃんの時代設定は1974年から1975年、そしてまる子は小学三年生となっています。

私は、さくらさん(ちびまる子ちゃん)よりも年下なのですが、1974年、75年は既に物心があり、さくらさん(ちびまるこちゃん)と同じ時代に生きてきたように感じます。

もっとも、漫画『ちびまる子ちゃん』の連載開始は1986年であり、テレビ放送が始まったのは1990年です。

バブル経済の真っ只中の日本で、1970年代の昭和の日常を小学生の女の子がコミカルに、時にシニカルに語るのです(テレビ放送開始時に大学学部生だった私は、友人たちと行ったカラオケで『おどるポンポコリン』を何度か歌った記憶があります)。

つまり、『ちびまる子ちゃん』とは昭和の末期から平成に初期にかけて1970年代を懐古した漫画・アニメだったと言えるのです。

そんな『ちびまる子ちゃん』が、現在に至ってもテレビ放送されているのはなぜでしょうか。

私は留学生の多い大学で教えていますが、少なからずのアジアからの留学生から『ちびまる子ちゃん』が好きだという声を聞きます。どこか、「懐かしい」というのです。

彼らは感じるその「懐かしさ」は、1990年代に1970年代を顧みた私の「懐かしさ」とは共通する点と異なる点があるのでしょう。それでも、1970年の日本と1990年代、2000年代のアジアに共通する何かがあるのかもしれません(もちろん、出身国の発展段階によって時代の違いはあるでしょうが)。

それから、21世紀生まれの私の子供たちも『ちびまる子ちゃん』が大好きです。彼らが『ちびまる子ちゃん』好きなのは、「懐かしさ」ではなく、ちびまる子ちゃんが現在性も共有しているからなのでしょう。

これは『ドラえもん』にも言えることですが、『ちびまる子ちゃん』が描き出す日本の1970年代には時間軸と空間軸がクロスする「普遍的な世界」があるように思えます。

もうすぐ新しい元号となり、新しい時代が始まります。やがて、平成も過去となり、相対化されていくのでしょう。それでも、私たちの世代は1970年代の昭和を基準に生きていくのかもしれません。

さくらももこさんのご冥福をお祈りいたします。

2018年8月23日 23:53

ラオスのダム決壊事故と経済発展

ラオス南部のアッタプー県で7月23日、水力発電用ダムが決壊して大きな被害が出てから1ヵ月が経とうとしています。

ラオス政府が国連機関などと8月16日付で発表した被害状況は死者39人、行方不明者97人、緊急施設への避難者6千人、影響を受けた被災者1万3100人となっていますが(産経ニュース、8月23日)、当初、公式報道が二転三転し、どれくらいの被害なのか分かりませんでした。

決壊したダムは、韓国のSK建設と韓国西部発電、タイのラチャブリ電力、ラオスの国営企業による合弁会社が建設中だったそうで、決壊に関しては特に韓国企業の責任が大きいのではないかと批判されています(The New York Times, July 27)

当ブログ2016年1月23日付け東京福祉大学の渋谷淳一氏が述べている通り、近年、ラオスは近年、採掘が始まった鉱物と水力ダムによる隣国への電力送電によって著しい経済発展を遂げてきました。

いつのまにか、一人当たりのGDPは約2000ドル(2015年のラオス統計局によれば1,947ドル)に到達したと言われ、インドの1,709ドル(2016年:世銀資料)、ベトナムの2,385ドル(2017年、ベトナム統計局)と変わらない位置となっています。

もちろん、総人口が約649万人(2015年,ラオス統計局)であり、アジアの国としては比較的小規模なことが1人当たりのGDPを押し上げていることはあるにせよ、かつてアジアの最貧国の一国として見られてきた同国が、現在、経済分野において急成長していることは事実でしょう。

その原動力の一つが水力ダム開発であり、それが近隣諸国(特にタイへの電力供給)の需要を満たすための輸出産業となっていることは、研究者や関係者は当然かもしれませんが、一般には知られていないことなのではないでしょうか。

もし、一部で報じられているように欠陥工事に原因があるとすれば、今回のダムの不幸な事故は、ダム開発の暗部になりますが、同時に電力開発によって急激に発展しようとするラオスの現状をも映し出したとも言えます。

ダム開発と汚職と欠陥工事となると何か「古典的」なイメージもありますが、過ちを繰り返さないためにも、今、ラオスで何が起こっているのかを的確に把握したいところです

ちなみに、韓国企業の責任者は、SK建設の建設現場職員に避難完了を知らせた後、同8時ごろに大規模な決壊が発生し、多くの死者と行方不明者を出した」とし、「当局や現地住民の事故抑止意識の低さが大きな被害につながった」との見方を示しています(Record China, 8月1日)。

責任論はともかくも、防災教育も経済発展と共にしなければいけないのも確かです。もちろん、そうであったとしても、企業側が事故の責任を逃れることができることにはならないでしょうが。

2018年8月22日 01:45

サウジで少女が自転車を買うという意味: 映画『少女は自転車にのって』の日常の重さ

ある社会の「なんでもないような日常」が、外からみれば重みのあるシーンになることもあります。

映画『少女は自転車にのって』(英題 Wadjda)
制作国 サウジアラビア
制作年 2012年
監督 ハイファ・アル=マンスール
出演 ワアド・ムハンマド, リーム・アブドゥラ

あらすじ
【サウジアラビアの首都リヤドに住む10歳の少女ワジダは、現代音楽が好きで、校則違反のジーンズとスニーカを履いて、ヒジャブも被らないで学校に行くおてんば娘だった。ある日、近所の男の友達アブドゥラが自転車に乗り、「男に勝てるわけないだろう」とワジダに言う。負けず嫌いのワジダは、悔しさあまり、自分も自転車を買いたいと、自転車屋さんに行くと緑色の最新自転車が800リヤルで売っていた。それから、お金を貯めようとするが、なかなか貯まらない。そんな時、学校でコーラン暗唱コンテストが行われ、優勝賞金は1000リヤルであることが発表される。ワジダは、コーランは大の苦手だったが、自転車を買うため、迷うことなく立候補し猛勉強する。そうして、迎えた暗唱コンテストで、ワジダは見事優勝するが、賞金は思う通りに使えなくなってしまう。】

アッバス・キアロスタミ監督のイラン映画『友だちのうちはどこ?』(1987年)や、同じくイランのジャファール・パナヒ監督の『白い風船』(1995年)を彷彿させる作品です。

一言で言ってしまえば、おてんばな10歳の少女が自転車を買うために、賞金目当てにコーラン暗唱コンテストに挑戦する話です。

ただ、少女の両親の関係が、父親が第二夫人を娶ることで家庭が大きく変化したり、近代化(世俗化)の波が押し寄せる女子校での小さな(しかし、ワジダにとっては大きな)出来事がサイドストーリーとして生き生きと描かれます。

何でもないドラマですが、ワジダの目を通して切実な思いが伝わってきます。

結局のところ、ドラマとは撮影される(物語が立脚する)社会環境との関連で成立することが分かります。人間が幾人も殺害されたり、大きなビルが倒れたりするSFやアクション映画よりも、サウジアラビアで10歳の少女が自転車を買うことのほうが(困難である点において)革命的でさえあるように感じます。

本作品はサウジアラビアで撮影された実質上の初めての長編映画だそうです。であるが故に、夫婦や親子の会話という日常のシーンでさえ、重いのです。

全く政治的な意図はないと監督は言われています。しかし、日常社会を切り取ること以上に政治的なシーンはないように思えます。

2018年8月21日 23:58

連投、多投のエースを美化できなくなった夏: 高校野球が変わった第100回大会

第100回記念大会を終えた今年の夏の甲子園は、決勝で大阪桐蔭(北大阪代表)が13-2で金足農(秋田代表)に大勝し、史上初の2度目の春夏連覇を達成して幕を閉じました。

当ブログ2018年8月14日付にて、甲子園の応援ソングがあまり変わらないことに言及しました。

しかし、今回大きく変わったことが目につきました。それは、投手の投球数に対する警笛です。

8月12日、済美(愛媛県代表)と星稜(石川県代表)の試合は、延長13回までもつれ史上初の逆転サヨナラ満塁本塁打で13-11で済美が勝利しました。この試合、済美のエース・山口直哉投手はたった一人で184球を投げました。

これに対し、スポーツライターの氏原英明氏は高校生にここまで投げさせるべきではなく、マスコミも「熱投」や「力投」と表現すべきではないとしています(「美化すべきでない異常な球数」ベースボールチャンネル、8月13日)。その上で、同校の監督が「(山口本人には)何かあったらすぐに言って来いよと、『行けるか?大丈夫か?』と話していました」とコメントしたことに対し、学生からは断れず、実質、壊れるまで投げろという状況を作り出していると監督のマネイジメント能力までを批判するのです(同上)。

準決勝の金足農(秋田代表)―日大三(西東京代表)で始球式をしたPL学園OBの桑田真澄さんは、金足農の吉田投手が秋田大会から一人で投げ抜いていることについて問われると「どこか痛いところが出ればすぐに声を出して欲しい」と述べ、「高校生は体全体を使った投球フォームを身につけて欲しいし、我々大人は投球制限を設けるなどルール作りが必要だと思います」と語っています(スポニチアネックス、2018年8月20日)。

専門家ばかりではありません。元大阪府知事の橋下徹氏は済美の山口投手の184球について「投球数制限は直ちに導入すべき。こんな不合理・非科学的なことをやり続ける国は、前近代的野蛮国家だ」(サンスポ、8月14日)と手厳しく非難しています。

元宮崎県知事の東国原英夫氏は「(球数は)制限するべきではない。本人の意思を尊重すべき」と反論していますが(サンスポ、8月17日)、全体としては甲子園の名物だったエースの連投や多投に対して否定的な声が大勢を占めているように感じられます。

このような甲子園での投球をゴールにせず「キャリア全体、人生全体でスポーツキャリア考えるべき」(橋本氏)(デイリー、8月16日)という考え方は今に始まったわけではないです。

しかし、今大会は、それが規範として社会的に拡散されたように思えるのです。それが、甲子園の優勝投手はプロで大成しないという説の影響なのかは定かではありませんが(The Page, 2018年8月21日)、100回大会に顕在化したのは事実なのではないでしょうか。

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プロフィール
安井裕司
安井裕司
エジンバラ大学、バーミンガム大学博士課程に学ぶ。その間、ルーマニア・アカデミー歴史学研究所研究生。国際政治学博士(PhD)。国連大学国際紛争研究所インターン、夏期講習クラスコーディネーター、法政大学国際日本学研究所客員研究員等を経て、現在、早稲田大学エクステンションセンター講師、日本経済大学神戸三宮キャンパス教授。
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