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グローバル化は足元からやってくる ~国際学で切り取る世界と社会~

2018年6月

2018年6月29日 09:34

西野監督の「半端ない」覚悟

ロシアで行われていますサッカーのワールドカップにおいて、日本代表がベスト16に勝ち残りました。

日本時間の6月28日深夜に行われた試合は、とても学ぶことの多い内容になりました。

周知の通り、日本はグループステージの第三戦においてポーランドと対戦し、0-1で敗れました。しかしながら、コロンビアがセネガルを1-0で下したことによって、日本は勝ち点で並んだセネガルを、フェアプレーポイント(警告の数)で上回り、決勝トーナメントに進出することになったのです。

日本は、59分にポーランドに先制された後、同点を目指していたのですが、セネガルが負けていることが分かった段階で、パス回しを展開し、時間稼ぎの作戦に出ます。負けているのに、責めない日本に会場からもブーイングが起こります。

試合後のニュースを見るとロシアや英国の報道でも日本のこの作戦に対して、批判する声が続いています。

しかし、私は、グループステージの3試合の中で、このポーランド戦に最も日本代表の西野朗監督の「半端なさ」を感じました。

この試合は、誰が日本のゴールを守るのかが問われた試合でもありました。川島永嗣選手は、第一戦のコロンビア戦、第二戦のセネガル戦に失点しており、内外のメディア、サポーターから酷評されていたのです。

その川島選手を、西野監督は第三戦の主将に指名します。そして、更に前の試合から先発を6人変更します。主力選手の温存とは言えないところもありますが、決勝トーナメント進出が決定していないにもかかわらず、ガラリと先発を変えて勝負に出るのです。

時間稼ぎのパス回しの戦略も、残り時間においてセネガルが同点したら、日本のベスト16は消えてしまい、西野監督は批判されたことでしょう。

そのようなリスクを怖がらず、勝負に臨む、まさにギャンブラーです。

ただ、単にギャンブルなのではなく、緻密に計算した上で、勝負をしているのです。

それは、全責任を負う覚悟はない限りできないでしょう。西野監督は「半端ない」のです。

プロ野球の御意見番・野村克也氏は「勝ちに不思議な勝ちあり、負けに不思議な負けはなし」と言われていました。

まさにその通り、結果ではなく、その覚悟と戦略という点において日本のポーランド戦は素人の私にもわかる程、全く不思議さがなかったように思えます。

次は、ベルギー戦です。もう一度、西野監督の覚悟を見たい。今度は勝ち試合で。

2018年6月24日 01:02

人生を変えたことは何か: 映画『デザート・フラワー』が訴える違和感としての習慣

作品としてよりも、むしろ、あるメッセージを訴えることに成功する映画があります。

『デザート・フラワー』(原題 Desert Flower)
制作国 ドイツ・オーストリア・フランス
制作年 2009年
監督 シェリー・ホーマン
出演 リヤ・ケベデ, サリー・ホーキンス

あらすじ
【1960年代、ワリス・ディリーは、ソマリアの遊牧民の家庭に生まれる。ワリスは13歳の時に、ラクダ5頭と引き換えに60代の男性の第4夫人として結婚させられそうになり、首都モガディシュの祖母のところに逃げる。モガディシュの生活も安全ではなく、駐英ソマリア大使の伯父のメイドとしてロンドンに渡る。しかし、ソマリアで内戦が勃発して伯父一家は帰国、ワリスは帰国せず、ロンドンでホームレス生活を強いられる。困窮の中、偶然出会ったダンサー志望でTOPSHOPの店員マリリンに助けて貰い、ファストフード店で清掃をしながら生活する。ある日、ワリスは、客として店に来た有名カメラマン・ドナルドソンにモデルにスカウトされる。瞬く間に世界のスーパーモデルとなったワリスは、米国で有名雑誌のインタビューに「人生を変えた1日は」と問われる。ワリスは、自分のビジネスの成功ではなく、3歳の時に経験した女子割礼について語る。そのことによって、時の人となったワリスは、国連で演説することになる。】

前半は遊牧民の娘がロンドンに出てきてモデルになるサクセスストーリーが中心です。後半になってから女性器切除(FGM)問題が大きくクローズアップされていきます。

どうも、前半後半の繋がりが悪く、テーマが散漫になっているように感じますが、少なくとも後半はFGM問題を訴える主人公に圧倒されます。

この問題は、社会学、人類学や国際関係学でも論じられるのですけれど、単純に迷信を信じる世界というよりも、FGMが(地域によっては農村よりも都市で頻繁に行われているという報告もあり)一部において近代化に対するアンチテーゼとして存続していることも否定できないでしょう。

文化相対主義的な捉え方が正しいというのではなく、主人公の妹たちが女子割礼の失敗で命を落としている通り、この問題は命に係わることでアウトではあります。

しかし、アウトであることと、それをいかに止めさせるかを考えるのは別なのです。欧米社会からの押し付けのように批判しただけでは、問題は解決しないかもしれません。

どちらかといえば、この映画は欧米社会の人々向けにこの問題の存在を知らしめる役割を担っているのかもしれません。そういう意味では、成功しており、十分に問題の所在を訴えるものがあります。

その上で、敢えてこの映画の前半からFGM問題を考えれば、先進国でモデルになったことよりも子供頃の割礼への違和感が主人公を旅出たせた(人生を変えた日だった)ということなのかもしれません。

皆が違和感を覚えるのならば、アフリカの社会は変わっていく可能性があります。ただ、現実には映画の主人公と同じようには事が運ばないようにも思えます。

2018年6月23日 00:20

壁の崩壊から見えたこと: 分からなければ手を抜くのか?

大阪で月曜日に発生したM6.1の地震では大阪府高槻市の寿栄小学校でブロック塀が倒れ、4年生の三宅璃奈さんが死亡しました。

高槻市の教育委員会によりますと、倒れたブロック塀は高さが3.5メートルあり、建築基準法では2.2メートルを超えるブロック塀を作ることは原則認められておらず、すなわち違法建築だったそうです(TBS News, 6月19日 6時3分)。

また、高さ1.2メートルを超える塀には、強度を補うための「控壁」と呼ばれる壁を設置する義務がありますが、この「控壁」も設置されていなかったとされています(同上)。

問題が深刻であるのは、この違法建築が寿栄小学校だけに留まらなかったことです。

高槻市の技術職員が目視検査で小中全59校を調べたところ、寿栄小の他に小学校9校、中学校6校で「控壁」のない違反状態の塀が確認されています(時事通信, 6月22日)。高さが基準を超えているとみられる塀も6校あり、同法違反の塀がある学校は全体の約3分の1に至っているのです(同上)。

これは高槻市だけで済むことなのしょうか。早急に、全国的に調査すべきであると考えます。

小中学校は避難場所に指定されているところが多く、避難場所に違法建築があり、災害時に子供たちが避難場所で「被災」してしまうとすれば冗談にもなりません。

昨日、2018 FIFAワールドカップ・ロシア大会から導入されたビデオ副審(VAR=ビデオ・アシスタントレフェリー)制度について言及しました。プロ野球も今シーズンから映像での「リプレイ検証」が用いられ、これらが見えてしまうことによってスポーツが変わるのではないかと書きました。

社会において地震などの災害も、見えなかったところを「露呈」させてしまう力があります。

それは、時に、非常時においても暴動が起こらない日本人の「美徳」も顕します。私は、これは災害時においてさえ、人の目(世間)があるからだと考えています。

それではなぜ、今回、小学校の壁建設において、いい加減な仕事をしてしまったのでしょうか(長らく、日本人は仕事に「拘る」職人的気質が評価されてきたのです)。無名のコンクリ-ト壁は、誰が作ったのかは分からなければ(人の目がなければ)手を抜くのでしょうか。

いずれにせよ、「見えて」しまったのならば、仕方ありません。修正するしかないのです。

そして、次回の地震で見えた時、見えないところまでしっかり仕事をしてきたことを証明しなければなりません。

2018年6月22日 23:59

VAR:全てが可視化され、スポーツは変わる

開幕して1週間を経た2018 FIFAワールドカップ・ロシア大会ですが、熱戦が続く中、ビデオ副審(VAR=ビデオ・アシスタントレフェリー)制度の導入が話題になっています。

簡単に言ってしまえば、ビデオ判定です。「副審」とは言われているものの実際には主審的な決定的な役割を担います。

それが如実に出たのは、6月22日、サンクトペテルブルクで行われたグループEの「ブラジル対コスタリカ」の試合でした。70分過ぎの後半、ブラジルのネイマール選手が相手ペナルティエリアでコスタリカの選手によって「倒され」ます。

それを見た主審は、一度はPKを宣言したのですが、後に、判定がVARによってひっくり返ってしまいます。結果は、ブラジルが2-0で勝利したのですが、2点はアディショナルタイムでしたので、あのPKが決まっていればあの段階で試合が決まっていたかもしれません。

サッカーでは、時に選手の「演技」がものを言うときがありました。しかしながら、全てを見せてしまうVARの導入は、大きくサッカースタイルを変えてしまう可能性があります。

実は、サッカーだけではないのです。

プロ野球も、今シーズン、本塁打かどうかの判断や全ての塁でのアウト、セーフの判定に対して、監督が映像での「リプレイ検証」を要求できるという「リクエスト」制度が導入されました(サンスポ, 2017年11月13日)。

権利を行使できるのは九回までに2度、延長戦では1度で、判定が覆った場合、回数は減らないことになっています(同上)。つまり、判定が覆れば審判のミスが続くなら、監督は何回でもリクエストできます。

確かに、審判のジャッジは正確になったのですが、検証に5分ぐらいはかかるため、判定の結果にかかわらず、試合の流れが変わってしまうような感覚があります(数年前までは、時間短縮という掛け声があったように記憶しているのですが)。

いずれにしましても、スポーツは可視化の時代に入っています。人の目で見えないシーンを「観る」のです。見えないところは見ないとし、審判の「ミスジャッジ」も試合の一部としていた時代は終わったのでしょう。

これも機械化の流れの中で理解することもできるのかもしれません。全てが見えてしまう中で、あらゆるスポーツは質が変化していくことでしょう。

可視化されるスポーツが、より楽しくなるのか、そうならないのかは、もう少し見守りましょう。とりあえず、時代の変化を受け止めて。

2018年6月21日 23:54

ばかばかしさの中に生きる意味を見出す: 映画『世界中がアイ・ラヴ・ユー』に示されるアレン哲学

ばかばかしいことも、程度を超えて繰り返されると哲学になるのかもしれません。

『世界中がアイ・ラヴ・ユー』(原題 Everyone Says I Love You)
制作国 米国
制作年 1996年
監督 ウディ・アレン
出演 ウディ・アレン, ゴールディ・ホーン, アラン・アルダ, エドワード・ノートン
ドリュー・バリモア, ジュリア・ロバーツ

あらすじ
【NYのパーク・アヴェニューに住む20代の女性DJは、成功した弁護士の継父ボブと資産家の娘の実母ステフィと暮らしている。実父のジョーはパリ在住の作家で、頻繁にニューヨークに戻ってくるが、女性に振られてばかりいる。義理の姉のスカイラーは、ホールデンという男性と婚約中。義理の弟のスコットは保守の共和党支持で実父のボブと喧嘩が絶えない。DJは夏休みに実父のジョーとイタリアのヴェネチアを訪れる。ジョーは同じホテルに泊まるNY出身の米国人女性ヴォンに一目ぼれする。DJはゴンドラ漕ぎの青年に恋をして、婚約するが帰国すると熱が冷めてしまう。義理の姉のスカイラーも、母親ステフィが慈善活動で助けた犯罪者に恋をしてしまいホールデンとの婚約を解消する。やがて、クリスマスの季節がやってくる。一家は皆でクリスマスを過ごしにフランスのパリにでかける。】

ウディ・アレン監督のミュージカル・コメディ映画です。

美しさでは引けを取らない3都市:ニューヨーク、ヴェネチア、パリを舞台に、登場人物たちが恋をして振られたり、振ったりします。彼らは真剣ですが、真剣さ故に、観ている側には(こちらには)コメディにしか映らないのです。

もっとも、それはウディ・アレンの真剣なメッセージでもあるのです。

この映画の最後に、パリに訪れている家族全員で「マルクス兄弟仮装パーティ」に参加するシーンがあるのですが、1930年、40年代に一世風靡した兄弟コメディアン・グループ「マルクス兄弟」こそが(ばかばかしさの中に生きる意味を見出す)アレン映画の哲学でもあります。

アレンの1986年の監督作品『ハンナとその姉妹』において、アレン扮する中年男性が自殺に失敗して、映画館に行って「マルクス兄弟」の代表作『我輩はカモである』を観るのですが、小さい頃から何度も見てきたこのナンセンス映画をかみしめて、生きる意味を考え直すのです。

『世界中がアイ・ラヴ・ユー』(Everyone Says I Love You)は「マルクス兄弟」の1932年の映画『御冗談でショ』の同名の楽曲から取られており、映画作品そのものが(『ハンナとその姉妹』以上に)「マルクス兄弟」へのオマージュのようなところがあります。

ニューヨークも、パリも、ヴェネチアも完璧な都市ではなく、それぞれに課題があるように、『世界中がアイ・ラヴ・ユー』も人生の面白く、楽しい一面だけをフォーカスしているような気もします(ミュージカル・コメディですから、楽しくていいのですが)。

しかしながら、それでも、こういう「世界」があって欲しいなとも思うのです。

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プロフィール
安井裕司
安井裕司
エジンバラ大学、バーミンガム大学博士課程に学ぶ。その間、ルーマニア・アカデミー歴史学研究所研究生。国際政治学博士(PhD)。国連大学国際紛争研究所インターン、夏期講習クラスコーディネーター、法政大学国際日本学研究所客員研究員等を経て、現在、早稲田大学エクステンションセンター講師、日本経済大学神戸三宮キャンパス教授。
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