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グローバル化は足元からやってくる ~国際学で切り取る世界と社会~

2018年2月

2018年2月15日 21:38

史的な人物の評価は「今」において書き替えられている: 映画『関ヶ原』における「今日的」石田三成像

いつも歴史的な人物の評価は、「今」において決定されるものです。

『関ヶ原』
制作国 日本
制作年 2017年
監督 原田眞人
出演 岡田准一, 役所広司, 平岳大, 有村架純
原作 司馬遼太郎

あらすじ
【16世紀末、太閤・豊臣秀吉の治世の末期。秀吉は衰弱していくが、後継者の秀頼はいまだ幼く、諸大名は秀吉の死後に乱世になることを思い描くようになっていく。徳川家康は、五大老筆頭であったが、秀吉の死後、反豊臣家勢力の旗印となり、大きな戦に備えている。豊臣側は、五奉行の一人であった石田三成が実権を握り、豊臣家を守るため立ち上がろうとするが、秀吉の家臣でありながら石田三成に敵対してきた加藤清正、福島正則らが家康側に加勢したことで豊臣側は分裂の危機に直面する。】

「関ヶ原の戦い」がテーマです。

今まで様々な「関ケ原」が描かれてきましたが、本作品は石田三成と徳川家康が主人公となっています。より焦点が当てられているのは石田三成であり、三成の物語と言えるように思えます。

映画やテレビドラマ、小説における歴史的人物の描かれ方は、制作、放送、出版された時代を反映します。

私は、大学の講義にて英国の清教徒革命の英雄オリバー・クロムウェルを題材にした幾つかの映画作品やドラマを論じることがあります。クロムウェルは清教徒革命で議会を果敢に守った敬虔なキリスト教者ですが、革命後、議会を停止し、独裁制を敷いてしまいます(アイルランドへの軍事侵攻も行いますので、侵略者でもあります)。故にクロムウェルの評価は難しく、より肯定的な描き方、否定的な描き方があります。そして、それは描かれた時代の世相を映し出しているのです。

岡田准一さんが石田三成を演じる本作は、三成に肯定的です(原作は、司馬遼太郎氏が1966年に出された『関ケ原』ですが、原作では三成だけではなく、徳川家康の家臣・本多正信や戦国大名たちの思惑も書かれ、マクロ的なアプローチです)。

映画の監督である原田眞人氏は、なぜ石田三成の再評価が必要であるかを、今日の政治と比較し、以下のように語っています。
「今の政局はどこへ向かっているのか。三成のキャラクターは軽んじられ、ネガティブなとらえ方をされるが、彼は決してブレなかった。考え方も現代的だし、今日の我々に通じるものがある。今の日本に必要とされている人物なんです」(映画.Com, 2017年8月9日)。

もし、石田三成のような政治家が今この時代に求められており、その再評価が正しかったとしても、それも今日性という制限があるということになります。

2018年2月14日 23:08

「本命チョコ」の危機と日常に降りてきたアイドル

バレンタインデーです。

以前、私は「義理チョコ」がいつまで続くのかについて言及したことがあります(当ブログ2012年2月22日)。しかし、今日、「義理チョコ」どころか、「本命チョコ」の危機になっています。

2015年の『第15回出生動向基本調査(結婚と出産に関する全国調査)』によりますと、「交際相手のいない未婚者(18~34歳)」において、男性の69.8%、女性の59.1%に恋人がいないのです。ただ、交際相手がいないだけではありません。未婚で恋人がいない20代の男女4割(男性、39.7%)(女性、41.1%)が「恋人が欲しくない」とされているのです(2015年版『少子化社会対策白書』)。

異性に関心を抱かなければ、「本命チョコ」も売れないでしょう。

私はある女子大学で非常勤講師をしており、授業で、なぜ、若者は異性に興味がないのかを議論しました。そうしますと、異性に興味がないという訳でもない感じだったのです。

一人の女子学生(女子大学なので当然ですが)が、高校時代、憧れていた先輩(男性)がいたと語り始めました。その先輩とは仲が良かったのですが、恋人関係には発展しなかったそうです。その理由の一つは、その先輩がAKB48の熱烈なファンであったからだそうです(もちろん、それが全てではないと思いますが)。その女子学生は、彼女の憧れの先輩が、AKBの握手会に行ったと聞いて非常にがっかりしたそうです。

なるほど。

私は、1970年代、1980年代のアイドル全盛時代を知っている世代ですが、あの頃のアイドルは、握手会はしなかったのです。

もちろん、原節子さんや吉永小百合さんの大女優時代に比較すれば、「等身大」にはなってはいても、まだアイドルは私たちの日常の空間に降りて来てはいなかったのです(1980年代は「おニャン子クラブ」がありましたが)。

多くの若者は、松田聖子さんや中森明菜さんに憧れながらも、自分の恋愛は別に考えて(ある意味、現実に妥協して)きたのです。

しかし、AKB48は(CDを購入することで参加できる)握手会を通じて、肌感覚を得られてしまう。

アイドルの形式が大きく変わったことになります。日常に降りてきたアイドルは、その肌感覚の疑似恋愛を構築し、日常の空間の「普通」の恋愛感情を奪っていく(こともある)と言えるのではないでしょうか。それが悪いということでもないのですが。

言うまでもなく、若者が恋愛しない理由の総てをAKB48のせいにすることはできないでしょう(AKB48ファンで、女性とお付き合いしている方も沢山おられるでしょう)。おそらく、他にもっと大きな何かがあるはずです。しかしながら、少なくとも、上記の女学生の経験を解説することにはなるかもしれません。

2018年2月 5日 01:39

まずは「家族」を再構築しなければいけない: 映画『君のためなら千回でも』の主人公アミールの成長

小さいところからでいいような気がします。

『君のためなら千回でも』(原題 The Kite Runner)
制作国 米国
制作年 2007年
監督 マーク・フォースター
出演 ハリド・アブダビ, ホマユーン・エルシャディ, ゼキリア・エブラヒミ

あらすじ
【1978年、アフガニスタンの首都カブール。パシュトゥーン人 の12歳の少年アミールは、ハザーラ人の少年ハッサンと親友だった。アミールの父ババはビジネスで成功し、豊かな生活を送っていた。広い一軒家で暮らすアミールとババ親子は、ハッサンと彼の父アリを召使いとして雇い、共に暮らしていた。伝統の凧合戦において、アミールとハッサンは優勝するが、凧を拾いにいったハッサンは日頃からハザーラ人を目の敵にするパシュトゥーン人の少年アセフに襲われてしまう。それを見ながら何もできなかったアミールは、以後、ハッサンとの友情を維持することができず、彼に辛く当たることになる。アミールは、ハッサンに時計泥棒の濡れ衣を着せ、家から追い出すが、その直後、ソ連軍がアフガニスタンに侵攻し、アミール親子は米国に亡命することになる。やがて作家となったアミールは、タリバンが独裁政権を敷くアフガニスタンを再び訪れることになる。】

アミールの成長物語です。

アミールは、凧合戦の日、親友ハッサンを助けることができず、更に自分の弱さを直視するさえもできないのです。逆にハッサンを失い、二度と会えなくなってしまいます。

しかしながら、アミールは成長します。ネタバレですが、ハッサンがタリバンによって殺されたことを知り、また自分とハッサンとの本当の関係を知り、アミールはハッサンの息子を助けるためにタリバンが制圧するアフガニスタンに赴きます。

父親を失い、最愛の女性と結婚し、勇気を持てるようなったアミールは成長しました。しかし、そんなアミールに、カブールの孤児院の院長は「この国から一人だけ救って何になるんだ」と投げかけます。

幼馴染であり、最悪の大人になっているタリバンの将校からもアミールは「お前は国を捨てた」と罵倒されます。

それでも、アミールはハッサンの息子を、命を懸けて助け出します。

そこには公共性はないかもしれないのですが、親友も助けられなかったアミールにとっては精一杯の勇気と行動なのです。

もしかしたら、誰もが天下国家を救おうと思わなくてもいいのかもしれません。人は、自分の見える範囲を守り切れば、大きな平和への小さな貢献に繋がるのかもしれません。

【自分の家族だけが救われれば良いという考え方の延長上に、公共性はないかもしれません。しかし、アフガニスタンのように家族が壊れてしまっている場合、家族から再構築するしかないのでしょう。】

アミールの成長物語はそんな可能性を示唆しています。

2018年2月 4日 23:15

なぜ、中国では医学部が人気がないのか?

社会学者は経済が発展すれば、諸社会は、それぞれ異なる文化を基としても次第に類似していく(同様になる)という収斂理論を支持する傾向があります。しかしながら、現実はそう簡単にはいかないようです。

中国では大学で医学を学ぶことは必ずしもエリート証ではないとされます( "China's doctors not part of society's elite", Financial Times, October 6, 2013)。

例えば、2016年の中国の大学入試で、各省の文系と理系それぞれ1位の人の誰もが医学部を志願しなかったとされています(如何评价人民日报发表微博《36 名高考状元竟无一人选择学医》?)。中国では医学部が滑り止めとされ、第一希望の学部に合格せず、医学部に入るというケースもあるそうです(中国網日本語版, 2013年10月8日)。

通常、先進国で医学部は大学でも最難関であり、医師はなりたい職業のトップを争うものです(それが正しいかどうかは別として、ほぼ共通現象でしょう)。

それでは、なぜ中国では医学部が人気がないのか。一つには、医師の収入が高くない、更に社会的地位が相対的に低いということがあるそうです(同上)。収入に関しては、中国において医師の初任給は、大学卒の平均初任給を下回っており、医師になるのが大変な割にはリターンが少ないのです。

更に中国では「治療が悪かった」として、患者の家族が担当医を激しく非難するケースが多く、医師に暴力を振ることさえあり、医師が過度のストレスを感じていることも挙げられています(Searchina, 2016年2月21日)。

私はこのニュースを読んで、英国に留学していた頃の医療サービスの二極化の問題を思い出しました。英国の公共の医療サービス(National Health Service=NHS)は基本無料です。しかし、私立の病院(プライベート医療サービス)もあり、そこは高額な診療費がかかります。

どちらの医者になれば儲かるのかといえば当然、「プライベート」であり、優秀な医者も「プライベート」に流れることが指摘されていました。しかしながら、NHSのお蔭で、お金がない人も、無料で医療が受けられるのも事実です。

中国の場合、この英国の「プライベート医療サービス」がないと考えると分かり易いと思います。全てがNHS型になってしまえば、医学部の人気は残念ながら落ちることでしょう。

そして、中国人富裕層の「プライベート」の役割を担っているのが日本などの外国の医療機関ということになります。実際、私が教える中国からの留学生の中には、親が病気になると日本に呼び寄せて治療を受けさせる人が結構います。

教育についても優秀な中国人留学生は海外の大学の医学部に学ぶこともあるのでしょう(卒業後、帰国する人が少ないことは想像に難くないです)。

今後、中国の医学界や医学部はどうなっていくのでしょうか。日本等の先進国に「プライベート」部門を任せ続けるのでしょうか。

私は遅かれ早かれ、中国の医療も「プライベート」化が進み、「収斂」されていくのではないかと考えます。

2018年2月 3日 02:41

「なりすまし」と「人種差別」の構造

先月、「ダウンタウン」の浜田雅功氏が、大晦日に放送されたTV番組『絶対に笑ってはいけない』にて、米俳優エディー・マーフィーに扮して、肌を黒くメイクしたことが「人種差別」であると国内外から批判されました。

制作した日本テレビは「ダウンタウンの浜田さんがあくまで映画『ビバリーヒルズ・コップ』で俳優のエディー・マーフィーさんが演じる主人公「アクセル・フォーリー」に扮したもので、差別する意図は一切ありません」(AbemaTV)と釈明しています。

この番組を見直しても制作側が意図的に差別をしたことは感じられません。しかし、受け手側(国内にいるとは限りません)が差別であると見なせば、差別になってしまうのです。以下、この番組のあのシーンが「人種差別的」であることを前提に、その背景を考えていきたいと思います。

テレビプロデューサー兼タレントのデーブ・スペクター氏は、「昔に知らずにやっていたのはいいとして、ただ、今は危機管理上やるべきではなかった。想定しなければいけなかった」(1月5日 TOKYO MX『バラいろダンディ』)と指摘していますが、 そうすると、ここでは、なぜ想定できなかったのかが問われてきます。

この件において、日本在住の黒人作家バイエ・マクニールさんが、「黒人キャラが欲しいなら日本語を話す黒人を雇え。ブラックフェイスはやめろ」と批判しているのですが、これは上記の「なぜ」を解くカギになるかもしれません(J-Cast News, 2018年1月5日)

私はこの問題を目にした際、昨年、米国の雑誌『VOGUE』3月号で、「芸者」風スタイルの写真が掲載された白人モデルのカーリー・クロスさんが批判を浴びた件を思い出しました。クロスさんはTwitter上で「日本の文化を盗用した」ことを謝罪することになったのですが、日本人からは、「それほどおかしくない」と擁護する声もあがりました(The Huffington Post, 2017年2月16日)。

日本人は、他の民族の(他の肌の色の)人によって日本人になりすまされたとしても、何とも思わないという人が多く、故に逆に、何人にもなりすましてしまうのです。そして、今回の番組は結果的に「人種差別」と見なされてしまったことになります。

欧米社会は、非常に強いアイデンティティ規範が存在します。肌の色や民族の文化等は、個人やその集団の尊厳に結びついており、テレビや映画で用いる時は、細心の注意や覚悟が必要です(ただ、それは民族間や人種間の対立を反映していることも看過できません)。

日本は民族(ethnic group)的に同一性が高く、少数民族や在留外国人は存在しても、民族的「他者」を意識する機会が多くはないことがあると考えます。しかし、国際化、グローバル化している今日、批判を「想定してなかった」では許されないのです。

そして、これからはなりすまして(結果的に)差別することも、同時になりすまされて(結果的に)差別されることも許されなくなっていくことでしょう。

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プロフィール
安井裕司
安井裕司
エジンバラ大学、バーミンガム大学博士課程に学ぶ。その間、ルーマニア・アカデミー歴史学研究所研究生。国際政治学博士(PhD)。国連大学国際紛争研究所インターン、夏期講習クラスコーディネーター、法政大学国際日本学研究所客員研究員等を経て、現在、早稲田大学エクステンションセンター講師、日本経済大学神戸三宮キャンパス教授。
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