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グローバル化は足元からやってくる ~国際学で切り取る世界と社会~

2018年2月

2018年2月25日 21:30

1973年、テニスは「性差」を越えたのか?: 映画『バトル・オブ・ザ・セクシーズ』が示す分岐点

テニスにおいて、男女の性差がどれ程、重要なのか(そうでもないのか)を考えさせる作品です。

『バトル・オブ・ザ・セクシーズ』(原題 Battle of the Sexes)
制作国 米国
制作年 2017年
監督 ジョナサン・デイトン, ヴァレリー・ファリス
出演 エマ・ストーン

あらすじ
【1973年米国。トップ女子テニスプレーヤーであったビリー・ジーン・キングは、フェミニストとして男女の優勝賞金格差に納得できずに、女性選手を集めて女子テニス協会を設立した。このようなキングの動きに対して、全米テニス協会や男性選手の一部が敵意を剥き出しにする。元全英選手権、全米選手権を制した往年の名選手ボビー・リッグスは55歳になっていたが、女子テニス協会のトップレベルの女子選手と「男女対抗試合」を仕掛ける。最初に、リッグスはこの年に圧倒的強さを見せていたマーガレット・コート夫人と対戦し、圧勝すると、次にビリー・ジーン・キングとの対戦を望む。キングは女子テニス協会と自分のプライドを賭けて、リッグスと戦うことになる。】

フェミニズム全盛の時代を代表する女子選手である、ビリー・ジーン・キングの伝記的な映画作品です。

かつて男子テニス界の頂点を極めたボビー・リッグスと対戦がこの映画のメインです(同時に、キングの同性愛がもう一つの主題になっています)。そして、キングが勝利します。

しかし、1973年の時点でリックスは既に55歳です。一方、ビリー・ジーン・キングは29歳ですので、「男女対抗試合」であることは嘘ではないのですが、むしろ「年代対抗試合」でもあるように思えてなりません。

ある意味でビリー・ジーン・キングが勝つのはある意味で当然であり、男女の違いを科学的に調べたいなら、年齢も考慮し、同世代のトップ選手同士(もしくは50代同士)がやらなければ、測ることができないのです。

それでも、当時、リッグスとキングの試合が真剣に行われていたこと自体が驚きでもあります。ウィリアム姉妹以降、女子もパワーテニス全盛となった今、1956年生まれのビョルン・ボルグや、1959年生まれのジョン・マッケンローは、今日のトップの女子テニス選手と勝負することさえもできないではないでしょうか。

そういう意味で、テニス界において男女の格差は縮まっているとも言えるのかもしれません。

逆に、皮肉なのですが、女性であることで差別を受けないことを掲げたキングたちは成功を収め、プロのテニス選手のアイデンティティは男女の性ではなく「プロのテニス選手」になっていったとも考えられます。

その上で、ビリー・ジーン・キングが同性愛者であったことは何か意味するのでしょうか。映画は、曖昧に幕を閉じます。

2018年2月24日 00:33

誰もが大学に行く、行ける、行かなくてはいけない時代に合った経済的支援が必要なのでは?

大学などの高等教育機関に進学する学生が国から借りる「奨学金」が問題化しています。

日本学生支援機構等によれば、「奨学金」にからむ自己破産は2016年度までの5年間で延べ1万5338人となっており、内訳は借りた本人が8108人(うち保証機関分が475人)で、連帯保証人と保証人が計7230人となっています(朝日Digital, 2018年2月12日)。

これほど「奨学金」が問題になっているのは、借りている学生数が多いということもあります。

2016年度の日本学生支援機構が貸与する「奨学金」の利用者は131万人であり、大学・短大生では2.6人に1人の割合です(同上)。貸与額には、成績と収入の要件があり、1人あたりの平均は無利子が237万円(50万人対象)、要件の緩やかな有利子が343万円(81万人)となっています(同上)。

無利子、有利子と言っていることからも分かります通り、この「奨学金」は「奨学金」といっても返済義務があります。別に完全給付型もありますが、年間2万人しか枠がありません。故に、同「奨学金」は実質「金融事業」と化しているのです(Newsweek, 2017年4月4日)。

そして、どうして「奨学金」を返済できずに自己破産してしまう学生が続出しているのかと言えば、大学の学費の値上がりや非正規雇用の増加が原因として挙げられています。

実際、「奨学金」返済の延滞者の職業をみると、派遣社員やアルバイトなどの非正規社員(29%)や、無職(18%)であり、年収は85%が300万円未満で、奨学金を借りた当時に想定した収入が得られず、返済困難に陥る実情があることが指摘されています(日本経済新聞, 2014年4月22日)。

言い換えれば、この「奨学金」は大学を出れば安定した職があることを前提として作られていたのですが、その前提が崩れてきているということになります。大学に行っても将来が約束されない今日の状況に合わなくなっているのです。

それでは、大学に進学しなければ良いのでしょうか。

よく指摘されることですが、日本はOECD諸国の中で、大学進学率おいて平均をかなり下回っており、低学歴国家となっています。2012 年においてOECD平均は 58.3%であるのに対し、日本では大学学部への進学率は2013年において48.4%に留まっているのです(データブック国際労働比較2016)。

学歴が全てではありませんが、他の先進国と比較し、高等教育を受けていない国民が増えることは、高度情報化社会において日本にとってプラスになることはないでしょう。

大学の高校化が叫ばれて久しく、大学は、もはやかつての大学ではなく、高校のように誰でも行く、行ける、行かなくてはいけないところに変化しているのが、世界的なトレンドなのです。

であるとすれば、国家事業として経済面においても、誰でも行けるようなシステムを構築すべきであるのではないでしょうか。

2018年2月23日 23:27

「300の顔」を持つ俳優を失って

2月21日、俳優の大杉漣さんが急性心不全で亡くなりました。

66歳という若さで逝ってしまわれたことにショックを受けた方が多いのではないでしょうか。

大杉さんは、多くのテレビドラマ、映画で重要な脇役(バイプレーヤー)として活躍されており、「300の顔を持つ男」と称されています(大杉さんの御書著『現場者』2001年、マガジンハウス社のサブタイトルが「300の顔を持つ男」となっており、そこから取られたのでしょう)。

多くの日本人は、どこかで大杉さんのいずれかの「顔」(出演作品)に接していると思います。私も、直ぐに、強面のヤクザから真面目なサラリーマン、謎の浮浪者まで、大杉さんの「顔」が脳裏に浮かびます。

大杉さんの凄いところは、それぞれの役を見事に演じ切りながら、その中に大杉さんが演じている「大杉色」も残されることでしょう。悪役も善人役も、普通の役もそれぞれの「違い」を浮き出させた中に大杉さんがいるのです。しかしながら、主役を「食う」ような存在ではなく、作品全体の中で、ちゃんと脇であることをわきまえてもいます。

このようにして、私たちは長期間、多くのドラマ、映画の作品の役を通じて、多くの大杉さんの「顔」(そして1人の大杉さん)に出会ってきました。その存在は大きく、喪失感はある意味で、一定期間、主役を張ってきた俳優さんが亡くなられること以上なのです。脇役は主ではなく、脇なのですが、大杉さんの場合は、やはりそれぞれの作品には不可欠な存在になっているのでしょう。

私は、以前、当ブログ(2015年3月22日付)で、アニメ『サザエさん』のお父さんである磯野浪平さんの声をご担当された永井一郎氏が亡くなられた際、その国民的な喪失感について言及しました。サザエさんのお父さんである波平さん(『サザエさん』では脇役ですが)は、私たちの生活において「日常化」されており、死んではいけないのです。

アニメの場合は、『ドラえもん』で成功したように全声優を交替させることで、(それでも、一時的な違和感は歪めませんが)ショックを和らげることができますが、大杉さんのような国民的脇役の場合はどうにもなりません。

感謝しながら、作品をもう一度見直すしかないのでしょうか。

ご冥福をお祈りいたします。

2018年2月22日 01:43

雑貨店や手紙が心を捉えていた頃: 映画『ナミヤ雑貨店の奇蹟』の今に活きる「ノスタルジー」

懐古主義は嫌いなのですが、この作品はスーッと受け入れてしまいました。

『ナミヤ雑貨店の奇蹟』
制作国 日本
制作年 2017年
監督 廣木隆一
出演 山田涼介, 西田敏行, 尾野真千子

あらすじ
【2012年。養護施設出身で幼馴染の敦也、翔太、幸平の3人は、悪事を働き、1軒の廃屋に逃げ込む。そこはかつて悩み相談を受けることで知られていた「ナミヤ雑貨店」だった。今はもう廃業しており、誰もいない空き家になっているにもかかわらず、3人の前に、突然シャッターの郵便口から手紙が落ちてくる。なんとその手紙は32年前に書かれた悩み相談だった。敦也たちは戸惑いながらも、当時の店主・浪矢雄治に代わって返事を書くことになる。次第に明らかになっていく雑貨店の秘密と、相談者たちと敦也たちの共通点。彼らがこの雑貨店に忍び込んだのは偶然ではなかった。そして、敦也たちがある人物からの「最後の手紙」を受け取ったとき、彼らの運命は一変することになる(TOHO Cinemasの解説から)。】

東野圭吾氏のベストセラー作品の映画化です。

西田敏行氏が演じる「ナミヤ雑貨店」の店長・浪矢雄治は、昭和の後期から手紙で悩み相談を受け、その死まで返事を書き続けてきたのです。

実際にそのようなことをする雑貨店はなかったかもしれません。しかしながら、雑貨店や駄菓子屋は、(戦後)昭和の子供には不可欠の存在であったのは確かです。

100円玉を握りしめて駄菓子屋に行き、いくつかのモノを買えるのが駄菓子屋でした。毎日のように通えば、お店のおばちゃんやおじちゃんと顔馴染みになっていきます。

人生相談はしなくとも、田舎で育った私自身、雑貨店や駄菓子屋店を非常に懐かしく感じています(学校帰りは行ってはいけませんと先生に注意されていたこともあり、背徳的な感覚もありましたが)。

いつの間にか、雑貨店や駄菓子屋は店じまいし、子供も大人もコンビニに行くようになりました。コンビニはその名の通り、非常に便利です。

でも何かが違うんですね。

2015年、2017年とネパールを訪れた際、田舎の村に幾つもの雑貨店があることを発見して嬉しくなりました。

シディプール駄菓子屋.jpg
ネパールの村の雑貨店(2015年9月撮影)

私は、その際、ネパール人の村人に、「あなたは、どのお店でお菓子や飲み物を買うのですか?」と伺ったのですが、答えは、「毎回、違います」でした。「でも、商品はだいたい同じですし、値段もほとんど同じです」と村人。

だったら、なぜ異なる店に行くのかといえば、義理で色々なお店で(同じものを)順番に買い求めることで相互扶助機能を働かせているのでしょう。

ただ単にモノを売るのではなく、買う側も相互扶助を意識し、売り手も買い手もコミュニティの中に生きているのです。

もう一度、繰り返せば、「ナミヤ雑貨店」の店長・浪矢雄治のような人物は現実にはいないかもしれません。そして、雑貨店や駄菓子屋はコンビニ型の店に交替していくことが、(日本のみならず)グローバルな現象でもあるのです。手紙がメールに取って代わられたように、それは必然とも言えます。

しかし、本作品を観ると、雑貨店や駄菓子屋が子供で賑わい、手書きの手紙が幅を利かせていた時代も良かったと思わずにはいられません。おそらく、それは作品のテーマが単なる懐古主義ではなく、今日的な意味もあるからなのでしょう。

2018年2月21日 23:38

小平奈緒選手と李相花選手の友情: クロスするアイデンティティ

平昌五輪、スピードスケート女子500メートル(2月18日)にて、小平奈緒選手が36秒94で金メダルを獲得しました。

小平選手は、自分の五輪新記録に沸き立つ観客席に向け人さし指を口に当てて見せ、次の組で滑る李相花選手らへ配慮したこと、また金メダル獲得後、ライバルで五輪2連覇中だった李相花(韓国)選手に駆け寄り、2人でウィニングランをしたことが、日本、韓国両国において絶賛されています。

その理由を小平選手は、過去のレースで、小平選手が上手く滑ることができずに、小平選手が滑走後のクーリングダウンで泣いていると、李選手が近寄ってきて、一緒に泣いてくれたことがあったからと説明しています(朝日Digital, 2月19日)。

小平選手と李選手は、一緒に記者会見に臨みましたが、小平選手が初めて李選手に勝った2014年11月、敵地ソウルで開かれたワールドカップの後、急いで空港に向かう小平選手のために、李選手がタクシーを手配し、料金まで払ってくれたことがあり、小平選手は「悔しいはずなのに助けてくれた。人としても選手としても尊敬できる」と語っています(産経ニュース,2月19日)。

この素晴らしい話を聞いて、私は、浅田真央選手とキム・ヨナ選手の関係を思い出しました。

ソチ五輪の際、浅田真央選手の成績が振るわなかったことについて、キム・ヨナ選手は「浅田は日本で、私は韓国で最も注目を浴びたフィギュア選手という共通点がある。その選手の心情を私も理解できると思う。浅田が泣きそうなときは、私もこみ上げてくる」(聯合ニュース、2014年2月21日)と語っています。

当ブログ2014年3月 2日付でも記しましたが、定期的に世界各地で闘っている一流のスポーツ選手たちは、国境を越えた友情があるほうが自然であるでしょう。むしろ、友情というよりも競技者としてのアイデンティティかもしれません。

五輪は、超一流アスリートの祭典です。彼らだけしか分からないアイデンティティを共有しながら国対抗で戦っているのです。

トロント大学のリチャード・フロリダ教授は世界にはクリエイティブな職業に就いている1億から1億5千万人が「クリエイティブ・クラス」を形成していると主張しています(『クリエイティブ資本論―新たな経済階級の台頭』,ダイヤモンド社, 2008年)。

言い換えれば、同じ一流アスリートの「クラス」の仲間が、国を背負って戦う4年に1度の祭典が、五輪なのかもしれません。

いずれにしましても、アイデンティティがクロスする瞬間は、見応えがあります。

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プロフィール
安井裕司
安井裕司
エジンバラ大学、バーミンガム大学博士課程に学ぶ。その間、ルーマニア・アカデミー歴史学研究所研究生。国際政治学博士(PhD)。国連大学国際紛争研究所インターン、夏期講習クラスコーディネーター、法政大学国際日本学研究所客員研究員等を経て、現在、早稲田大学エクステンションセンター講師、日本経済大学神戸三宮キャンパス教授。
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