QuonNet(クオンネット) まなぶ・つながる・はじまる・くおん




グローバル化は足元からやってくる ~国際学で切り取る世界と社会~

2018年1月 2日

2018年1月 2日 00:32

シグナルとしてのブランド品、シグナルとしての学歴

先日、ゼミ生で中国出身の女子学生が、「GIVENCHY」と記されているバックを持っていました。

高級ブランドらしく、「高そうだね」と言ったところ、「先生、これ、多分、偽物なんです」と答えてきました。

「ネットで買ったんですけど、5,000円ぐらいしかしなかったから、本物ではないと思います」、「本物は、高いんです」と。

【後で、ネットで確認したところ、中古ならば本物でもこの値段で入手できる場合があるようです。】

「本物ではない可能性が高いのに、どうして買うのですか?」、「ブランドではないバックでも、5,000円もだすなら、良いものが買えるのではないでしょうか」と私。

すると、彼女は、「いつか、本物買おうということを忘れないために、これ買ったんです」と続けました。

彼女の意見は理屈としては通っており、それなりに納得してしまいました。

別の場所で、大学院博士課程に学ぶ中国からの留学生が、「私、ブランド物に興味ないんです」、「ブランドが好きな人って、物じゃなくて、ブランドにお金払っているような気がするんです」と言ってきました。

こちらも説得力があります。

個人的には、ブランド品を、(無批判、無条件ではないですが)基本的に肯定しています。

経済学では「シグナリング」と称されますが、ブランドという情報も無意味ではないと考えるからです。

もちろん、自分自身の価値基準(十分な情報)があり、「シグナリング」としてのブランドの必要がなければ、それはそれで結構なことです。でも、基準としてのブランドがあってもいい。

もっとも、社会(市場)においてブランドがブランドである正当な理由がなければ「逆選択」(悪い選択)を誘発してしまうことになります。

ちなみに、大学・大学院は学位(学士、修士、博士)を出す教育機関ですが、その結果としての「学歴」もまた、ある種のブランディグに他なりません。そして、学位取得者は、社会において「シグナリング」化されるのです。

学歴は、努力で後天的に獲得するもので、お金で買えるブランドとは違うと言われるかもしれません。しかし、自分のお金でブランド品を購入する場合、労働=努力の対価としての賃金を得て、それによってブランドを入手するとすれば、ブランド品収集家も、後天的努力によってブランド品を勝ち得ているとも言えます。

ただ、一言付け加えれば、シグナルに(価値基準を)依存する社会も怖いのです。

本当はブランドや学歴の価値を認めながら、人々が、それらにも勝る「個」の魅力を目指すようになれば、一番かっこいいとも思います。
プロフィール
安井裕司
安井裕司
エジンバラ大学、バーミンガム大学博士課程に学ぶ。その間、ルーマニア・アカデミー歴史学研究所研究生。国際政治学博士(PhD)。国連大学国際紛争研究所インターン、夏期講習クラスコーディネーター、法政大学国際日本学研究所客員研究員等を経て、現在、早稲田大学エクステンションセンター講師、日本経済大学神戸三宮キャンパス教授。
月別アーカイブ
2018年12月
2018年11月
2018年10月
2018年9月
2018年8月
2018年7月
2018年6月
2018年5月
2018年4月
2018年3月
2018年2月
2018年1月
2017年12月
2017年11月
2017年10月
2017年9月
2017年8月
2017年7月
2017年6月
2017年5月
2017年4月
2017年3月
2017年2月
2017年1月
2016年12月
2016年11月
2016年10月
2016年9月
2016年8月
2016年7月
2016年6月
2016年5月
2016年4月
2016年3月
2016年2月
2016年1月
2015年12月
2015年11月
2015年10月
2015年9月
2015年8月
2015年7月
2015年6月
2015年5月
2015年4月
2015年3月
2015年2月
2015年1月
2014年12月
2014年11月
2014年10月
2014年9月
2014年8月
2014年7月
2014年6月
2014年5月
2014年4月
2014年3月
2014年2月
2014年1月
2013年12月
2013年11月
2013年10月
2013年9月
2013年8月
2013年7月
2013年6月
2013年5月
2013年4月
2013年3月
2013年2月
2013年1月
2012年12月
2012年11月
2012年10月
2012年9月
2012年8月
2012年7月
2012年6月
2012年5月
2012年4月
2012年3月
2012年2月
2012年1月
2011年12月
2011年11月
2011年10月
2011年9月
2011年8月
2011年7月
2011年6月
2011年5月
2011年4月
2011年3月
カテゴリーアーカイブ
アジア事情 (34)
カンボジア (27)
スイス (27)
スポーツと社会 (142)
ネパール (26)
国際事情(欧州を除く) (237)
大震災/原発事故と日本 (30)
御挨拶 (15)
日本政治 (129)
日本社会 (310)
映画で観る世界と社会 (353)
欧州事情 (100)
留学生日記 (95)
英国 (100)

ページトップへ

カレンダー
<< 2018年02月
        1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28      
最新記事
交わらない2つの社会(世界):映画『海は燃えている』が描き出す人々のエゴと欲
私たちは、なぜ、グローバル企業の経営者の報酬を「巨額」と感じるようになったのか?
もう一度、落合博満監督の現場主義に基づく野球を観てみたい
誰がハーヴィー・ミルクを殺したのか?: 映画『ミルク』が描く1970年代の米国社会
北方領土2島返還は「国のかたち」を大きく変化させるのでは?
最新コメント
武蔵は春田に言います...
Posted by S
はじめまして、書き込...
Posted by たか
あなたもまだお若い。...
Posted by 葵東
青春時代に見て感動し...
Posted by 小林 千三
私は韓国に住んでいま...
Posted by 七色無職
最新トラックバック
この社会での性的魅力
from 哲学はなぜ間違うのか
ひとつ/長渕剛(Cover)
from 今日の天草