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グローバル化は足元からやってくる ~国際学で切り取る世界と社会~

2017年11月

2017年11月29日 00:13

なぜ、つくばエクスプレスの「20秒早発」の謝罪が、国際ニュースになるのか?

面白い情報は、瞬時に国境を越えることを実感させる、大変興味深いニュースがありました。

10月14日、茨城県つくば市と東京・秋葉原を結ぶ「つくばエクスプレス(TX)」が、千葉県流山市の南流山駅において、普通列車(下り)が定刻より約20秒早発してしまいました。9時44分40秒発車予定だったものが、9時44分20秒になってしまったということです。

TXを運営する首都圏新都市鉄道は、乗務員の確認不足が原因として、同社のホームぺージにおいて「お客様には大変ご迷惑をおかけしましたことを、深くお詫び申し上げます」と謝罪を掲示しました。

同社の謝罪文は、現在も以下において公開されています(首都圏新都市鉄道HP)(http://www.mir.co.jp/company/release/2017/post_109.html)。

この「20秒早発」謝罪は、、ソラニュース24(ロケットニュースの英語版)が報じたことを皮切りとなって、海外メディアでも続々と報じられます(The Huffington Post Japan, 11月17日)

2日後の11月16日にはBBCの記事「Apology after Japanese train departs 20 seconds earl」となります(BBC online, 16 November 2017)。

BBCの記事が面白いのは、英国人がTwitterで自分の通勤列車を運営する会社に対して、首都圏新都市鉄道のニュースを訴えていることです。

例えば、英国のAlastair Stewart‏氏は、11月16日の16時25分(現地時間)に、Twitter で以下のように書かれています。

"Apology after Japanese train departs 20 seconds early".Read; weep; read; laugh. そして、@networkrail @SW_Railway @SouthernRailUKと鉄道会社名を列記します。

英国人のWill Forster氏も11月16日の17時16分に以下のように記されています。

Don't think this will be an apology @SW_Railway or any other train company in the UK will ever have to make!

ここでも、イングランドのSouth Western (SW)Railway社等では、こんな謝罪はあり得ないと厳しいコメントです。

英国だけではなく米国でも報道され、そして、日本に跳ね返ってくるのです。10月17日には、世界各地で話題になっていることが、また記事になります(産経ニュース, 11月17日; The Huffington Post Japan, 11月17日; 朝日新聞デジタル,11月20日)。

10月14日の「20秒早発」から3日後、情報が地球を1週して戻ってきたような感覚です。

この記事が世界で耳目を集めた理由は、認識のズレなのです。

海外では、「20秒」の何が問題なのか分からないとしながら(やり過ぎというニュアンスも含みながら)、同時に、あまりにも時間にルーズな自国の鉄道会社を比較しているのです。

昔、英国留学中にみたBBCのドキュメンタリーで、BBCの特派員がJR山手線の運転手に「時間通りに運行するのはストレスではないですか?」と聞いていました。運転手は「時間が守れないことがストレスです」と答えていました。

その時、私は、二つの社会に救いようもないギャップが存在すると痛感しました。

2017年11月26日 04:57

天使が永遠の命を捨てる時: 映画『ベルリン・天使の詩』における「中年天使」の決断

天使が永遠の命よりも、瞬間の生を選ぶとすれば、その条件とは何なのでしょうか。

『ベルリン・天使の詩』(原題 Der Himmel über Berlin)
制作国 ドイツ
制作年 1987年
監督 ヴィム・ヴェンダース
出演 ブルーノ・ガンツ, ソルヴェーグ・ドマルタン

あらすじ
【1980年代の壁が東西を分離するベルリン。守護天使ダミエル(中年男性の恰好)は、人々の心の声が聞こえる。長年、人々の心に寄り添ってきたが、徐々に永遠の生命を放棄し、人間になりたいと思うようになる。そのような中、天使ダミエルはサーカスの舞姫マリオンに出会う。そして、映画撮影のためにベルリンを訪れていた(『刑事コロンボ』で有名な)米国の俳優ピーター・フォークは、元天使であり、ダミエルに人間になることを勧める。そして、ダミエルは、徐々にマリオンへの想いが強くなり、天使の親友カシエル(同じく中年男性の恰好)に人間になる決意を伝える。】

人間賛歌の作品です。

永遠の命を持つ天使たちは人間ドラマを何百年、何千年と観てきました。それらは、「美しい」ばかりではなく、「醜さ」も同居しています。

にもかかわらず、守護天使ダミエルは、サーカスの舞姫・マリオンに出会うことで人間として一度きりの人生を選択することになります。

永遠の命を持つ天使にとって、人間の生涯は一瞬にしか過ぎないでしょう。つまり、マリオンを愛して人間になるということは、死を選択するに等しいのです。それでも、ダミエルは、人間になります(人間中心主義的な見方と言えばそれまでですが)。

更に、この作品を彩るのは、『刑事コロンボ』のコロンボ刑事役の俳優ピーター・フォークの存在です。フォークは、元天使という設定です。

彼は、天使を辞めて刑事コロンボになった(役を演じている)という筋は、作品に厚みを持たせています。なぜか、この作品では天使は皆、中年男性の姿をしていますが、ピーター・フォークが元々天使だったというストーリーによって、主人公の選択が肯定されていくのです。

そして、映画は「全てのかつての天使、特に(小津)安二郎、フランソワ(トリュフォー)、アンドレイ(タルコフスキー)に捧ぐ」というクレジットで終わります。名映画監督と名俳優、まさに元天使たちと呼ばれて相応しい面々です。

でも、ダミエルが恋をしたのは有名人ではありません。どちらかと言えば、しがないサーカスで働く(美しい)女性です。

ダミエルは、本当の意味で、(普通の中年男性となり)普通の生活を送っても、幸せなのでしょうか。時に、天使のままであったらと懐かしみながら(時に、マリオンと喧嘩しながら)、でも、やっぱり、人間でよかったと思うような人生を歩んでいたら良いのですが。

2017年11月24日 03:33

グローバル化が不可避ならば、髪の毛も「みんな違って、みんな良い」社会にならないと

大阪の府立高校に通う女子学生が、生まれつき茶色い髪の毛を、皆と同じように黒く染めるように先生から何度も指導されて精神的な苦痛を受けたとして賠償を求める訴訟を起こしたというニュースが話題になっています。

概して、高校側を批判する声が多いように見られます。

私は、留学生の多い大学に勤務しており、当然、髪の色や髪型は、バラエティに富んでいます。地毛の人もいるし、染めている人もいるかもしれませんが、染めることも含めて個性と認識し、「いいね」と言うことはあっても、批判することはありません。

高校と大学は違うと言われるかもしれません。

しかし、文科省は2000年までに留学生30万人計画を掲げています。2016年5月1日現在において239,287人ですので、微妙ですが、不可能な数字ではないでしょう(「平成28年度外国人留学生在籍状況調査結果」日本学生支援機構)。2020年以降、更に50万人、100万人規模の留学生が日本の大学に学びにくることになるかもしれません。

大学で留学生が増えてくれば、高校の段階で、日本の学生が海外の高校に留学したり、逆に日本の高校に海外の高校生が学びにくることも活発化するかもしれません。

それでも、高校は、留学生も、日本人も「学則」等で縛って、髪を真っ黒にするのでしょうか(もちろん、上記のような高校は多くないと思いますが)。高校において地毛を染めることを禁じるならば、100歩譲って理解できますが、同化を目的にあらゆる髪の色を黒に染めることは、イデオロギーになってしまいます。

私は、当ブログ2013年5月15日付において金子みすゞさん(1903年 - 1930年)の名作「わたしと小鳥と鈴と」を採り上げ、「『みんな違ってみんな良い』社会が意味すること」というタイトルで、論じたことがあります。

金子みすゞさんの詩は「みんなちがって、みんないい」が強調されます。

グローバル化が進み、日本社会が多様な人々で構成されるようになると「みんな違うこと」が当たり前になっていきます。そうなると、今度は欧米社会のように(肌の色は違っても)「みんな同じだ」、(だから)「差別は止めよう」というキャッチフレーズに変わっていくのです。

2017年において、生まれつき茶髪であること=「違うこと」で、皆と「同じ」黒髪に同化を余儀なくされている事実は、まだまだ、金子みすゞさんの「わたしと小鳥と鈴と」が読まれ(歌い)続けなくてはいけない現状であることを再認識することになりました。

2017年11月23日 02:20

元怪盗でも善悪二元論: 映画『怪盗グルーのミニオン大脱走』で拒否されるマージナル性

やはり、善悪二元論になってしまうのでしょうか。

『怪盗グルーのミニオン大脱走』(原題 Despicable Me 3)
制作国 米国
制作年 2017年
監督 カイル・バルダ, ピエール・コフィン

あらすじ
【元怪盗グルーは反悪党同盟で働くルーシーと結婚して、悪党を辞め、反悪党同盟のために働いている。しかし、悪党バルタザール・ブラットを取り逃がしたことで、2人とも反悪党同盟をクビになってしまう。そのような中、見知らぬ男がグルーを訪ねてきて、グルーに双子の兄ドルーがいること伝える。驚きながらも、グルーは早速、兄ドルーの屋敷を訪問する。初めて対面したドルーは、社交的なお金持ちで、グルーとは大きく性格が異なっていた。一方、ミリオンたちは、悪党を辞め、善人になったグルーから離れて、新たなボスを探そうとする。】

欧米の子供向け映画、ドラマでは(子供向けのみならず、大人向けもありますが)、善と悪がはっきりしている作品が多くみられます。

この『怪盗グルー』はステレオタイプとは異なり、面白そうな展開でした。主人公のグルーは元怪盗ですが、現在は過去を反省し、善人となり、悪と戦っています。しかしながら、悪党バルタザール・ブラットを捕まえることができなく、反悪党同盟から解雇されてしまうのです。それでも、グルーは悪党に戻る選択はしません。

つまり、本作のグルーは悪党でもなく、善=反悪党同盟でもない「マージナル・マン」になるかと思わせます(「マージナル・マン」とは、二つ(以上)の社会集団にも属し、一つのアイデンティティに固定されていない人間のことを指した米国の社会学者ロバート・パークが提唱した概念です)。

しかし、グルー自身は、「マージナル・マン」を自覚した英雄になりたいとは考えておらず、怪盗の血を引く兄ドルーと会うことで、むしろ、グルーは本当に善人になることを強く意識し始めます。そして、ネタバレですが、泥棒から彼が盗んだ宝を「泥棒」すること反悪党同盟に復帰したいと考えるのです。

この辺りは「善人になるべき」という規範が強く顕れており、結局、善悪二元論にもどってしまうのです。子ども向けですので、最初は、善と悪を位置付けることは必要なのかもしれません。

ただ、この作品は、そもそも主人公のグルーが怪盗であったり、本作では兄ドルーを悪党にしたり、ミニオンズが悪党に仕えるのが好きだったり、単純な善悪ではなく、捻りがあることは確かです。それでも、できれば、もうひと捻り、欲しいところです。

2017年11月22日 23:05

自由ではなければ、人の心を溶かすような音楽は生まれない

今月13日、北朝鮮と韓国の板門店・協同警備区域(JSA)を越えて韓国に亡命しようとして、銃撃を受け重傷を負った北朝鮮軍人が韓国国内で意識を回復し、「韓国の歌が聞きたいです」とコメントしたそうです(中央日報, 11月21日)。

なぜ、重傷の北朝鮮の兵士が「韓国の歌が聞きたい」と言ったのでしょうか。

実は、北朝鮮では、韓国の流行歌(K‐POP)などの歌謡曲や韓流ドラマが人気を博しているそうです。

しかし、それらを視聴したり頒布したりすることは厳禁されており、当局に知られると重罪に問われるため、命がけで密かに楽しむしかないというのです(Daily NK, 2017年11月22日)。

韓国軍は近年、軍事境界線付近における対北宣伝放送で、政治的な内容ばかりではなく、K-POPも流しているそうです(同上)。政治的な美辞麗句ではなく、人間の感覚を刺激する音楽のほうが効果的であると認識していることから始まったとされています(同上)。

このニュースを耳にした時、私は、当ブログ2017年2月23日で紹介したドイツ映画『善き人のためのソナタ』(2006年)を思い出しました。

映画の内容は以下の通りです。
【1984年の東ベルリン。長年、国家保安省(シュタージ)の局員であるヴィースラー大尉は、ある日、上司から劇作家のドライマンと彼の恋人で女優のクリスタが反体制活動家であるという証拠を掴むように命令される。ヴィースラーは、ドライマンの自宅に密かに盗聴器を設置し、屋根裏部屋で監視を始める。最初は、任務として諜報していた彼だったが、ドライマンとクリスタの芸術の世界を知る事で、徐々に彼自身が変化していく。そして、ドライマンが弾くベートーヴェンのピアノソナタ『熱情』を耳にした時、ヴィースラーの心は激しく揺さぶられ、新しい人生に目覚めていく。】

K-POPは北朝鮮の若い兵士の心を溶かしているのかもしれません。ただし、自由なK-POPの魅力は諸刃の剣でもあります。

映画『善き人のソナタ』の中で劇作家のドライマンは恋人クリスタに「レーニンはベートーヴェンの『熱情』が好きだったが、あまり聴かなかったという。なぜならば彼はそうすると革命が成し遂げられなくなってしまうと思ったから」と語ります。

上記は、共産主義国家建設だけには留まらないでしょう。状況によっては、韓国軍にとってもK-POPはプラスになるとは限らないように思えるのです(逆に、体制が音楽をイデオロギー化してしまえば、音楽は敵国の兵士の心には届かないでしょう)。

国歌等、集団的アイデンティティを鼓舞する曲はありますが、音楽は、究極には集団ではなく、個に帰してしまうのでしょうか。

少なくても国が、ある程度「自由な社会」を維持しなければ、人の心を溶かすような音楽が生み出されないことは確かでしょう。

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プロフィール
安井裕司
安井裕司
エジンバラ大学、バーミンガム大学博士課程に学ぶ。その間、ルーマニア・アカデミー歴史学研究所研究生。国際政治学博士(PhD)。国連大学国際紛争研究所インターン、夏期講習クラスコーディネーター、法政大学国際日本学研究所客員研究員等を経て、現在、早稲田大学エクステンションセンター講師、日本経済大学神戸三宮キャンパス教授。
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