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グローバル化は足元からやってくる ~国際学で切り取る世界と社会~

2017年10月

2017年10月31日 20:25

北朝鮮に行っていなければ、北朝鮮を語れないのか?

私は、勤務校(大学)で「社会学」及び「国際関係論」を担当しており、早稲田大学エクステンションセンターでは「国際時事問題」や「映画からみるヨーロッパ社会」等を担当しています。

色々な国や地域の話をします。私は、ヨーロッパの4カ国に長期滞在し、旅行ではヨーロッパ各地に足を運びました。

しかし、それでも行ったことのない国や地域、街があります。会っていない人(々)がいます。

先日、北朝鮮の問題を取り上げたところ、ある留学生から「先生は、北朝鮮に行ったことがあるのですか?」と問われました(「行ったことがないのならば分からないだろう」というニュアンスでした)。

私は、北朝鮮に行ったことはありません。しかしながら、20代前半、ルーマニアという北朝鮮と共通性のある国家を滞在にし、短期間ながら研究対象にしていたことがあります。それ故に、想像力を働かせることはできます。

もちろん、ルーマニアと北朝鮮が同じではあるとは言いませんが、共通性があることも事実です。その共通性がある限り、何かを分析することはできるような気がするのです。

仮に、ルーマニアに行ったことがなかったとしても、それでも、何かを考えることはできると思います。

経験論については、当ブログ2012年3月 3日付でスイスを例に言及していますが(「経験主義を超えて(1):何年スイスに住んだらスイスを理解できるのか?」)、経験をしないと語れないという主張は、思考を失わせてしまうのです。

世界の人口は、約76億人(国連経済社会局)であり、それぞれの経験があります。会ってみなければ、人を語れないとすれば(私たちは一生の間、数千人かせいぜい数万人しか会いえないのですから)何も言えなくなってしまいます。しかし、私たちは自らの経験を持って、人の痛みや喜びを理解することができるのではないでしょうか。

国家についても、世界中の国に行くことはできません。行ったことないから、〇〇国は分からないと言い切ることはできるかもしれません。ただ、私は、人は経験を基に想像することが重要であると思うのです。

もちろん、私は経験を軽視するつもりはありません。行かなければ分からないことは、当然、あります。行ってもいないのに、決めつけてはいけないのです。

経験豊かな(北朝鮮等の)特定地域の専門家は、専門家の見地から社会的な発言をすることを求められるでしょう。

素人はプロではありません。だから、専門家の言葉は、敬意を持って拝聴しなければいけないでしょう。しかし、それでも自分の経験を基に、他国、他者を想像することは無意味ではないと考えます。

2017年10月30日 19:29

年を経ても「青く」てもいいのでは?: 映画『ビフォア・サンセット』における「大人であること」の矛盾

年を経ても、カップルが学生のような会話を交わしても良い(状況もある)ような気がします。

『ビフォア・サンセット』(原題 Before Sunset)
制作国  米国
制作年  2004年
監督 リチャード・リンクレイター
出演 イーサン・ホーク, ジュリー・デルピー

あらすじ
【1995年、米国人青年ジェシーは、ブタペストからウィーンへの列車で偶然出会ったフランス人女学生セリーヌと意気投合し、翌日の帰国のフライトまで、ウィーンの街を歩き一夜を過ごす。半年後、ウィーンで会おうと約束しながら別れるが、2人の再会できない。9年後、米国で作家になったジェシーは、あの日の夜のことを小説として出版し、プロモーションでパリを訪問する。パリの書店での出版記念記者会見の場に、突然、セリーヌが現れる。2人はなぜ、1995年の半年後にウィーンで会えなかったのかから語り始める。】

当ブログ2017年9月12日付で記しましたが、前作『恋人までの距離』(原題 Before Sunrise)は、それ自体、作品として完結しているとして観るべきなのです。なぜならば、続編を作るならば、別れてから半年後、ウィーンで再会できなかったことからしか展開できないからです(会っていたら、「2人は晴れて結ばれました」で終わってしまいます)。

その上で、本作を論じるとすれば、2人の展開は、残念ながら「恋人までの距離」を詰めようとした前作の2人のようなときめき感には欠けると言わざるを得ません。

セリーヌは、ウィーンでジェシーに会って別れた後、自分は恋愛で失敗続きだったと語ります。ウィーンの一夜で自分のロマンティズムを全て使い果たしたと。結婚しているジェシーも恋愛関係ではなく、育児のパートナーとなった妻との関係を吐露します。

そして、ジェシーはセリーヌの部屋を訪れますが、その後、2人の関係がどうなったかまでは描かれません。おそらく、多分。

この流れは、むしろ自然かもしれませんが、もし、2人が過去に戻りたいと思うなら、もう一度、パリで、一夜を語り明かしても良かったような気がします。

もちろん、恋愛の形に「答え」はありませんが、前作の流れから考えれば彼らが求めているものは、「普通」の男女関係ではなく、時間の限定性の中で、いかに言葉で2人の距離を縮めるかであったように思えるのです。

前作で、2人はくどい程、語り合います。語って、語って語り尽くすのです。言葉で「距離」を縮める方法は、もしかしたら、男女関係においては、ある意味で「遠回り」かもしれません。でも、それが、あの2人を輝かせていたように思えるのです。

9年後、2人は9年の年をとります。だからこそ、もっと面白い大人の会話ができたのではないでしょうか。もしくは、ウィーンの一夜と全く同じような学生時代のような「青い」会話でも、それはそれで味が出たのではないでしょうか。

2017年10月29日 13:27

髪を染めると人間が変わるのか?

昨日、私が勤務する大学で学園祭がありました。

私は、中国出身のゼミ生(女性)がキャンパス内「日本語スピーチコンテスト」で勝ち残ったら、1日限定で金髪にするという彼女との愚かな賭けに乗ってしまいました。

見事に、彼女は校内のスピーチコンテストで勝ち、私は、学園祭にワックスで金髪染めにして臨むことになりました。

行き着けのお店のスタイリスト・あさみさんの力を借り、営業時間前から髪を整えて頂き、人生初の髪染に取り掛かりました。

あさみさんに「お好きなようにお染下さい」と申し上げたところ、なぜか、あさみさんは喜んでいるように見えました(気のせいかもしれませんが)。

実は、私は長年、「人は、髪を染めたぐらいで(髪型を変えたぐらいで)、変わるのか?」という問い(疑問)がありました。

個人的には、人間は中身が変わらなければ、本当の意味で変わらないのではないかと思っていました。ですから、私は、何年も(何十年も)髪型を変えませんでした。

結果的には、私の染めた髪型を観て反応が様々であり、大変興味深い経験でした。

まず、ジェンダーで言えば、男性からはほぼ全員無視されました。

女性は、それぞれでした。

例えば、私のモンゴル人のゼミ生(女性)は、染めた頭の私を見ると、「先生、ゴビ砂漠に頭を突っ込んだんですか?」と言って笑いだしました。なぜ、「ゴビ砂漠」なのかは不明ですが、何となく言いたいことは分かります。

中国人の瀋陽出身のセミ性(女性)は、「先生、何かあったの?賭けなんだ。1日我慢すれば、また元に戻るんなら大丈夫」と悲しそうな顔をしてくれました。

ベトナム人の複数の留学生(女性)には大受けで、「先生のこと、今まで何とも思わなかったけど、今日、初めてかっこいいと思った!」と言われました(半分は馬鹿にされているかも)。

日本人の女学生は「先生、OK」、「就職活動前の4年生みたいですね」と軽く、流してくれました(でも、就職活動前の4年生は金髪ではなくて、黒髪に染めるのではないでしょうか?)。

「ゴビ砂漠頭」から「かっこいい」とまで、言われて、結局、彼女たちが(普段の何十年変わらない)私の髪型をどう思っていたかが分かりました。少なくても、金髪に批判的だった人たちは、普段の私の髪型に違和感を抱いていなかったのでしょう(ただ、見慣れていただけかもしれませんが)。

逆に、「かっこいい」と言ってくれた学生たちは、普段、私を「変な髪型」と観ていた(もしくは、全く無視されていた)のでしょう。そして、私自身、非日常の自分に酔っているような感覚がありました。

人は環境によって左右されるとする「環境決定論」を重視するならば、髪型の変化は環境の変化を促すため、人の内面の変化をもたらす可能性があり、軽視できないという結論に至ります。

周囲の認識が変化して、対応が変化するならば、自分も変わっていくと考えるほうが自然です。

何か、色々、変えてみたくなりました。何回もすると意味ないか。

2017年10月28日 01:15

「上から」の賃上げ要求を考える

安倍晋三首相は10月26日の経済財政諮問会議にて、「生産性革命をしっかり進める中で3%の賃上げが実現するよう期待する」と述べ、定期昇給とベースアップを合わせて約2%だった17年春闘の実績を上回る賃上げを求めました(JIJI.com, 10月26日)。

その上で、安倍首相は、賃上げに積極的に取り組む企業に対する税制面での優遇措置を検討することまでも表明しました(NHK News Web, 10月26日)。

安倍首相の組合顔負けの賃上げ要求は5年連続であり(日本経済新聞, 2017年10月26日)、すっかり定着してきています。

従来、賃上げ要求といえば、労働組合のイメージが強いものです。賃金は、そもそも、労使交渉で決まるものであるのですが、このところは、首相が介入するため、「官製春闘」とも揶揄されています(Reuters, 10月26日)。

ただ、私は、自由主義者が(もし、安倍首相がそうならば)、賃上げに賛成することはあると考えます。

そして、ただ、政府が「権力」によって賃上げを促せば、高付加価値に基づく競争力がない企業が淘汰されてくこともあるでしょう(それが目的だとは思えませんが)。

そもそも、高賃金政策は、「弱肉強食の理論」でもあると思います。

数年前、ユニクロの「世界同一賃金」が話題になりましたが、グローバル化は賃金もグローバル化していきます。単純に言ってしまえば、ある企業が、グローバル水準の高賃金政策を採るならば、その企業がグローバル水準の競争力がないと、持たないのです。

安倍政権も、もちろん、その点をフォローしており、政府は「生産性革命」を掲げています。具体的には企業の設備投資を促し、イノベーションを起こすことを目的としているとされます(日刊工業新聞, 2015年10月15日)。

「生産性革命」も、「革命」と言いながら、政府の政策ですので、言うならば「上からの革命」であり、企業がどこまでその趣旨を組んで、(国際)競争力を付けられるか気になるところです。

私は、企業がグローバル化すれば、自然に賃金は上昇していくと考えます。高度人材(ヒト)を集めない限り、グローバルマーケットにおいて持続可能な成功は難しく、そして、高度人材は安くはないのです(グローバル企業で、低賃金ならば、その企業からは「頭脳流出」が止まらないはずです)。

逆に、(国際)競争力が弱い企業は、必然的に低賃金になるでしょう。

そう考えますと、政府がどこまで賃上げに関与すべきかは悩ましいところです。

2017年10月27日 23:31

もし、全ての電気が使えないとしたら: 映画『サバイバルファミリー』が示す価値観の転換

価値観の転換がある日、突然起こるとすれば、こんな状況なのでしょう。

『サバイバルファミリー』
制作国  日本
制作年  2017年
監督 矢口史靖
出演 小日向文世, 深津絵里

あらすじ
【東京の平凡な一家の鈴木家。父・義之はさえないサラリーマン。母・光恵は専業主婦。長男・賢司は無口な大学2年生。長女・結衣はスマホ依存の高校1年。ある日、突然、全ての電化製品が使えなくなる。それは単なる停電ではなく電気を必要とするもの全てが動かなくなってしまう。オフィスでの仕事もできない父・義之は、大阪は電気があるという噂を信じて、「動かない街」東京を捨てて自転車で西に向う。やっとの思いで大阪についても、電気はなく、食糧も尽きてきた。父・義之はプライドを捨て、土下座までして食料を得ようとしたが失敗し、とうとう畑の豚を捕まえて食べようとした時、飼い主に捕まり、農家の手伝いをすることになる。人の有難みを肌で感じながら、彼らは母・光恵の実家がある鹿児島を目標にして旅を続けることを決意する。】

電気製品及び電気が関わる全てのものが使えなくなったら、という仮定に基づいた作品です。

当然ですが、私たちは電気に依存した生活をしており、生活が180度変化してしまうのです。

都市的な価値はひっくり返り、学歴や職歴は機能しません。自然と協調して、暮らしていける人だけがサバイバルできるのです。

多かれ少なかれ都市(町)でしか「生息」できないサラリーマンの父・義之は、最初から「弱さ」を露呈してしまいます。電気に依存している子供たちも最初は狼狽えますが、親の世代よりは慣れるのが早いのです。

「大人の世界」は、「電気の世界」なのかもしれません。

この作品は、電気社会の脆さを描きます。ただ、同時に、電気が無くならない限り、「大人の世界」の秩序は壊れないことにもなります。そして、(私も含めて)多くの大人は、この秩序を守ろうとするでしょう。

そう考えますと、電気社会とはどういうものかが見えてきます。

ただ、大人が全て同じではないです。映画の中に、時任三郎さんと藤原紀香さんが夫婦を演じる自然に順応した生活を送るかっこ良い一家が出てきます。彼らは、大人ですが、停電になった日本の生活を謳歌しているのです。

しかしながら、時任さんと藤原さんがあまりにもかっこ良く、むしろ、リアリティに欠けるように感じます。反対に、小日向文世さんが演じる父・義之は、とてもリアルで、他人ごとだとは思えない「痛さ」があるのです。それは、私の立ち位置を示しているだけかもしれませんが。

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プロフィール
安井裕司
安井裕司
エジンバラ大学、バーミンガム大学博士課程に学ぶ。その間、ルーマニア・アカデミー歴史学研究所研究生。国際政治学博士(PhD)。国連大学国際紛争研究所インターン、夏期講習クラスコーディネーター、法政大学国際日本学研究所客員研究員等を経て、現在、早稲田大学エクステンションセンター講師、日本経済大学神戸三宮キャンパス教授。
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