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グローバル化は足元からやってくる ~国際学で切り取る世界と社会~

2017年4月

2017年4月30日 04:06

民主主義は、独裁を生み出すのか?

4月29日、トルコ当局が、オンライン百科事典「ウィキペディア」へのアクセスを遮断したと発表しました( "Turkey blocks Wikipedia over what it calls terror 'smear campaign", CNN, April 29, 2017)。

その理由としては「ウィキペディア」のトルコに関する記事が、トルコがテロ組織と連携しているかのような記事やコメントが掲載されているからと説明されています(Ibid)。

トルコは、4月16日に(大統領の権限を大幅に強化することも含む)憲法改正を問う国民投票が行われたばかりです。そして、51.41 %が改正賛成、48.59 %が反対という結果となりました(Anadolu Agency, "Turkey: Official referendum results announced")。

今後、トルコでは議院内閣制が廃止され、大統領に権限が集中されます。そして、予算案の起草や非常事態宣言の発出、議会の承認なしに閣僚などを任命する権限を、大統領が獲得します(「僅差で「独裁」を選択したトルコの過ち」Newsweek日本版, 2017年4月17日)。

ご本人は否定していますが、当事者であるレジェップ・タイイップ・エルドアン大統領の独裁化を懸念する声もあります("CNN Exclusive: Erdogan insists Turkey reforms don't make him a dictator", CNN, April 19, 2017)。

それでは、そもそもなぜトルコ国民はそのような選択をしたのでしょうか。

それには2つの要因があるとされます。

まず、2016年7月に発生した軍の一部によるクーデター未遂事件です。結果的には失敗となりましたが、国民が「強い指導者」を求める傾向が強まったとされています(「民主化の先、独裁リスク トルコ大統領に権力集中」朝日デジタル、4月18日)。

更に、クルド人問題があります。クルドの独立を求めるクルディスタン労働者党(PKK)とトルコ軍は武力衝突に発展しています。クルド人の武力組織や政党対して強硬な姿勢を取るエルドアン大統領の方針を、少なからずのトルコ系トルコ人が支持していることが挙げられるでしょう(「トルコは、なぜ選挙で「独裁」を選んだのか? 国民が払った「代償」」withnews, 4月23日)。

国民投票の後の勝利宣言において、エルドアン大統領が「トルコ史上初めて国民の意思で変革の決定が下された」と語っている通り(朝日デジタル、4月18日)、軍によるクーデター失敗と対少数民族問題(ナショナリズム)があったにせよ、今回の「変革」が民主主義のルールに則っていることは確かです。

独裁は民主主義が生み出すことは、政治学では日常的に語られることです。

トルコの民主主義が独裁へ移行するのか、それとも、公表されているように「変革」に留まるのか、注意深くフォローしていく必要があるのでしょう。

2017年4月29日 17:48

なぜ、ホグワーツ魔法魔術学校は支持されたのか?:映画『ハリー・ポッターと賢者の石』で消費される「上流階級性」

ハリー・ポッターと言えば、ホグワーツ魔法魔術学校の世界です。

『ハリー・ポッターと賢者の石』
(原題Harry Potter and the Philosopher's Stone)
制作国  米国
制作年  2001年
監督  クリス・コロンバス
出演  ダニエル・ラドクリフ、ルパート・グリント、エマ・ワトソン

あらすじ
【1992年、ロンドン。10歳のハリーは、赤子の頃に両親と死別し、叔母のダーズリー家に引き取れていたが、家族から厄介者扱いをされていた。ハリーが11歳を目前としたある日、ホグワーツ魔法魔術学校からハリー宛に入学許可証が届き、ダーズリーの家族の妨害に遭ったが、ホグワーツ魔法魔術学校の森番・ハグリッドが迎えに来て、家を出る。そして、ハグリッドは、ハリーの両親が高名な魔法使いであり、闇の魔法使いであるヴォルデモート卿によって殺害され、ハリーだけが奇跡的に生き残ったことを伝える。ロンドン・キングスクロス駅からホグワーツ魔法魔術学校への列車の中で、ハリーはホグワーツの同級生、ロンとハーマイオニーに出会う。3人の魔法学校生活が始まるが、直ぐに何者かが学校の秘宝である賢者の石を盗もうとしていることに気付き、阻止しようと試みる。】

2001年に映画化されたハリー・ポッター作品の第一弾です。

この世界中で大ヒットしたハリー・ポッターのシリーズは、よく指摘されている通り、寮生活を中心に英国の名門私学中等学校(パブリックスクール)の世界を幻想的に描き出しています。

この作品は、J・K・ローリングによって、スコットランドの首都エジンバラで書かれたのですが(ハリーは魔法学校に入るのに、ロンドン・キングスクロスからスコットランド方面行きのホグワーツ特急に乗ります)、エジンバラの名門私学のフェテス・カレッジがホグワーツ魔法魔術学校のモデルの一つと言われています。

原作を映像化すればよりビジュアル的に再現しなければなりません。結局、ホグワーツ魔法魔術学校のロケ地は、幾つかのパブリックスクール、英国を代表する高等教育機関オックスフォード大学でした(学生の頃、私がオックスフォード大学の図書館を訪れた際、偶然、同作品のロケをしていました)。

現実にパブリックスクールの世界は日常にあるのですが、パブリックスクールに通う学生の比率は全英国の学生の6.5%にしか過ぎなく、大多数の英国の子供たちにとっても、世界の子供たちにとっては無縁の世界なのです(Independent Schools Council, website "Research")。

しかしながら、ホグワーツ魔法魔術学校は世界中で大人気です。地元では2008年、スコットランドのベスト教育機関の人気投票で36位にランクインしてしまい話題になったほどです(The Scotsman, "Harry Potter's school outranks Loretto" 31 March 2008)。

どうして、パブリックスクールを原型としたホグワーツ魔法魔術学校がこんなに支持されるのでしょうか。映画にも描かれる通り、楽しいことばかりではなく、教育システムは厳格なのです。

私は、グローバリゼーションは世界を二極化させていると考えますが、同時にグローバリゼーションによって世界中の人の価値観は一元化されていると捉えています。ちょっと「上流階級的」で「伝統的」な魔法学校と魔法の世界は、そのような時代に(消費対象として)フィットしているのではないでしょうか。

2017年4月28日 19:54

2017年フランス大統領選挙:イデオロギーの残存が極右政権の誕生を阻止する?

4月23日、フランスの大統領選挙の第一回投票が行われ、独立系候補であるエマニュエル・マクロン前経済相が8,656,346票(得票率24.01%)で第一位、極右政党である国民戦線のマリーヌ・ルペン党首が7,678,491票(21.30%)で第二位となりました(Ministère de l'Interieur interieur.gouv.fr )。

5月7日に、両者で決選投票が催されます。

注目すべき点は幾つかありますが、米国の大統領選挙のような番狂わせは起こらなかったことが第一でしょう。決選投票でもマクロン氏が勝つ可能性が高まっています。

その要因の一つは、上記の二人ではなく、4位となったジャン=リュック・メランション氏が7,059,951票(19.58%)にあると考えます(ちなみに3位は得票率20.01%の元首相フランソワ・フィヨン氏)。

戦前の「最悪」の予想として、極右で反EU、反グローバル化のルペン氏と極左で反EU、反グローバル化のメランション氏が、1位、2位となって決選投票に残ることが(既成政党支持者からは)懸念されておりました。

当ブログにおいても前回のフランス大統領選挙を分析しましたが(「フランス大統領選挙を振り返る(1):国民戦線と左派戦線の躍進」2012年5月26日付)、ルペン氏とメランション氏は、対立しながらも政策は反EU政策等、共通点が少なくなく、いずれにしても政権獲得後の見通しが不透明(不確実)であるとされていたからです。

しかし、メランション氏が4位であり、同時に、得票率が20%近くあったことはルペン氏にとってはマイナスになった可能性があります。

既に、決選投票においてフィヨン氏がマクロン氏への支持者を表明している通り、既成政党支持者はマクロン氏に流れます。一方、極右とされるルペン氏を、極左を代表するメランションの全ての支持者が決選投票で支持できるでしょうか。

両者は、非常に掲げる政策が似ています。しかし、極右と極左なのです。

この問いは、なぜ米国でトランプ氏が大統領になれたかを示唆しています。トランプは、左翼的であり、右翼的であり、(良し悪しは別として)今までにない民主党的な共和党候補者だったのです。

今回のフランス大統領選挙において、40%以上がルペン氏とメランション氏に投票しています。マジョリティには届きませんが、今回のフランスの大統領選においても、左翼的でかつ強力な民族主義者であるトランプ氏のような統一候補がいたとすれば、EUやグローバル化に不満を抱く下層の票を纏めることで、フランスでもオーソドックスな政治家に勝利したかもしれません。

極右と極左の候補者がいるフランスでは、極右政権が阻止され、極左が見当たらない米国ではトランプ氏が下層票を集約できたとすれば、フランスではイデオロギーの名残が極右政党(もしくは極左政党)の台頭を阻止しているという皮肉な現象となります。

上記から逆説的に申し上げれば、もし、ルペン氏が決選投票で勝つケースがあるとすれば、極左とされるメランションの支持者が、極右であるルペン氏の主張とメランション氏の主張が殆ど変わらないことに「気付いた」時であると考えられます。もちろん、それが良いことかどうかは別ですが。

2017年4月24日 16:57

チップス先生はなぜ、空襲中も講義を続けるのか?

この数年、早稲田大学エクステンションセンター中野校にて『映画から見る英国』という講座を担当しています。この春講座では、英国の学校をテーマにして、幾つかの作品を紹介しています。

本日は、(以前、2017年3月 1日付の当ブログでも言及しました)1939年の英国映画『チップス先生さようなら』(原題:Goodbye, Mr. Chips)を採り上げました。

あらすじ
【1870年の英国イングランド。25歳のチャールズ・チッピングはラテン語の新任教師として名門の全寮制の男子校ブルックフィールド・スクールに着任する。初日からいたずらをしようとする学生と対立してしまい校長から叱責を受けるが、何とか乗り越え教師生活を始める。その後も真面目に教師生活を続けるが、中年になったチッピングは出世もせず、未婚だった。ドイツ人のドイツ語教師に誘われてオーストリアの旅に出ると、キャサリン・エリスという若い女性と運命の出会い、彼女と結婚する。キャサリンは毎週のように学生を自宅に招き、学生たちを魅了する。チッピングも、キャサリンからチップスと呼ばれ、徐々に学生たちとの絆も深めていくが、出産の際にキャサリンは子供と共に亡くなってしまう。独り者に戻ったチッピングは、その後も教員生活を続け、1914年に退職する。しかし、第一次世界大戦で教員も卒業生も戦場に向かい、人手不足からチッピングが代理校長として復帰することになる。】

何度か観ている作品ですが、改めて講義で分析していると、後半、チップス(チッピング)先生が、第一次世界大戦が始まり、校長として復帰してからの展開がより興味深く感じてきました。

チップス先生が勤務する男子校ブルックフィールド・スクールは、第一次世界大戦終盤、ドイツ軍の空爆に遭います。空爆の最中、チップス先生は、ラテン語の授業を続けます。逃げろとか隠れろとは言わず、いつもと同じように授業が進んでいきます。

しかしながら、ブルックフィールド・スクールは異常事態であり、そのことは一度、退職しながら校長として復帰したチップス先生が一番知っているのです。チップス先生が教えた卒業生も多くが戦死します。同僚だったドイツ人のドイツ語の教員も敵側として戦場で命を落とします。

チップス先生は「戦うこと」を決めたのでしょう。チップス先生は、日常=教育を可能な限り継続することを彼の「戦い」としたかのようです。

最後のチップス先生の戦死した愛弟子の息子が、ブルックフィールド・スクールに入学してきます。チップス先生は、その学生の父親に接したようにその学生にも教育を施そうとします。それもまた、チップス先生の「戦い」なのかもしれません。

教育とは長い道のりであり、今、現在の出来事には負けてしまうかもしれません。しかし、戦争が人と人の「戦い」であるとすれば、当然、人間教育の普遍化しか「戦い」を阻止することはできないのでしょう。

『チップス先生さようなら』は英国のエリートを輩出する有名私学を舞台とした作品です。故に、階層上において限定的ではあります。ただ、それでも、教育の真髄が描かれているように思えます。

教員はそれぞれ自分の持ち場(教育現場)で、戦わなくてはいけないのかもしれません。それは、同じような日々の繰り返しではなく、非常事態を分かった上で、日常を継続する「戦い」なのでしょう。

2017年4月23日 01:34

「すず」は世界中の「片隅」にいる: 漫画『この世界の片隅に』から今、読み取るべきこと

大ヒットしております『この世界の片隅に』(片渕須直監督、2016年)の原作(こうの史代氏作)の単行本版を読みました。

あらすじ
【1944年2月の広島県呉。広島市内に住んでいた(絵を描くことが大好きな)浦野すずは、呉の北條周作と結婚する。周作とは、子供の頃出会っており、周作の望んだ結婚であったが、同居する小姑の黒村径子は歓迎していなかった。戦時下で生活も苦しい中、すずは周作に支えられながら、楽しく過ごしているが、軍港の街である呉は頻繁に空襲を受けるようになり、1945年6月22日の空襲で、すずが右手を失い、その時、すずと一緒だった径子の娘・晴美が亡くなってしまう。すずは径子に恨まれ、自分でも絶望しながら過ごしている。そして、8月6日、広島市へ原子爆弾が投下され、すずの実家も被害を受ける。間もなく終戦を迎え、すずは広島の実家を訪れるが、廃墟となっており、両親もいない。途方に暮れていたところ、周作がすずを迎えにくる。すずはこの世界の片隅で自分を見つけてくれた周作に感謝しながら、出会った戦災孤児の少女を連れて呉に戻る。】

この漫画は、すずの目を通じて、社会史のように淡々と戦時下の日常を描いています。すずには政治的な主張もなく、広島から呉に嫁入りした(絵を描くのが大好きな)「普通」の女性です。彼女は、色々と悩みながらも元気いっぱい生きていきます。

そのような人生であっても戦争に左右されてしまうのです。まるでNHKの朝ドラを漫画で読んでいるような感覚です(同じ広島を舞台とした『はだしのゲン』と比較すると綺麗過ぎるような観もありますが)。

日本人が被害者となっている戦争物語は、国際的には日本人の「加害者意識」がないと批判されるかもしれません。

しかしながら、すずが普通の女性のメタファーであるとすれば、今日の北朝鮮にも、シリアにも、どこの世界の片隅にも「すず」がいるかもしれないのです。

大国のパワーを根源とする国際関係学のリアリズム的な思考を否定するつもりはないです。もし本当にシリア軍が化学兵器を使用したら許すべきではなく、北朝鮮が日本列島を攻撃することも許すべきではないです。

ただ、同時、世界中の「片隅」には「すず」のような存在がいることも忘れてはいけないと思います。もし、彼女が「イスラム国」に住んでいても、北朝鮮に住んでいても、彼女には罪はないのです。もちろん、戦時中の日本でも。

この漫画と映画がヒットしたことに希望を感じます。できれば世界中に届けたい作品です。特に、北朝鮮やシリアに。

2017年4月22日 23:59

不確実性と瀬戸際外交

北朝鮮と米国の関係が悪化しています。

北朝鮮の新たな挑発への抑止を狙うとして、米国海軍の原子力空母「カール・ビンソン」を中心とする空母打撃群と海上自衛隊の護衛艦2隻が日本海に向かっているそうです。

米国のドナルド・トランプ大統領が昨年の大統領選挙中に北朝鮮の有事に対して、米国がもはや「世界の警察」でいることはできない、「日本には自分達の手で身を守ってもらうしかない」(ANN News 2016年3月30日)とまで述べてから約1年後、米国政府は、シリアに空爆し、北朝鮮への武力行使も選択肢の一つであると言います。

それを肯定するか、否定するかは別として、トランプ大統領の外交政策は非常に「不確実」です。

一方、北朝鮮の最高指導者である金正恩氏の外交も「不確実」です(「不確実性の王朝に対する術は」産経ニュース、2013年4月25日)。

不確実な2人が駆け引きをしているのですから、予想は困難です。結局のところ、どこまで両者が不確実なのかを「読む」しかない状態なのではないでしょうか(常識的に思考すれば、武力衝突は避けようととするでしょう)。

北朝鮮政府は米軍の動きに対して、「日本列島沈没しても後悔するな」と威嚇し、いつもながらの瀬戸際外交を展開しています(NHK New Web, 2017年4月22日)。

それに対して、トランプ大統領もツイッターで「北朝鮮はケンカを売っている」と批判し(2017年4月12日)、4月17日の記者会見にて金正恩氏に対して「行儀良く振る舞いなさい」と注文をつけ、米国政府はシリア同様、軍事行動の可能性にも言及しています。

以前の米国大統領は、良くも悪くも北朝鮮の瀬戸際外交をまともには相手にしていなかったように見えました。北朝鮮の朝鮮中央テレビの女性アナウンサーが声高らかに米国を批判しても、同じ波長では返していなかったのです。

しかしながら、トランプ政権の米国は違うのです。瀬戸際外交に対して、瀬戸際外交で返してきます(ジョージ・W・ブッシュ大統領も厳しい言葉を使いましたが頻度が異なりましたし、不確実性は低かったように感じます)。

これに対して、北朝鮮側が対応しなければならなくなっているのです。もし、対応を間違えれば、戦争になりかねません。

国際政治はいつの間にか不確実な瀬戸際外交ブームになっているかのようです。どうしてなのでしょうか。

米国と北朝鮮の政治体制は異なります。ですから、単純に比較して共通点を抽出することはできませんが、外交エリートの国際政治が終焉しようとしているのかもしれません。

この現象は、米国と北朝鮮の関係に留まるのでしょうか。今後、世界各地で同じような政治現象が生じてくるように見えてきます。

2017年4月17日 00:51

居心地の良い「夢」に逃げることはできない:映画『インセプション』の教訓

日常において良いことに遭遇しても、悪いことに巻き込まれても、これは夢なのではないかと思うことは多々あります。

『インセプション』(原題Inception)
制作国  米国
制作年  2010年
監督  クリストファー・ノーラン
出演  レオナルド・ディカプリオ、渡辺謙、ジョゼフ・ゴードン=レヴィット、エレン・ペイジ

あらすじ
【ドミニク・コブは、標的となる人物の夢に入り込み、重要な情報を引き出す産業スパイをしている。ある時、コブのターゲットであった日本の大物実業家であるサイトウから逆にコブに仕事を依頼される。サイトウは、自分の会社のライバルであるモーリス・フィッシャーが経営するエネルギー複合企業を破滅させるために、コブとコブの仲間にモーリスの後継者である息子のロバートの夢に入り込み、無意識に父親の会社を解体させようと企んでいた。コブは、妻に対する殺人容疑があり、子供たちが住む家に帰れない。謎の権力者・サイトウは仕事見返りとして、コブの殺人容疑を取り消して、コブが子供達の待つ家に戻れるようにすると約束する。】

主人公ドミニク・コブは、他人の夢に入り込み情報を引き出す仕事をしているのですが、彼自身、妻との確執の記憶があり、それが仕事上の障害になっています。

ネタバレですが、コブの妻は(コブと共に)夢の世界と現実を行き来するうちにどちら現実が分からなくなってしまいます。夢の中では、死ぬこと目が覚めるのですが、より夢の中の世界に居心地の良さを感じたコブの妻は、現実の世界を「夢」と認識して「終わらせよう」とし、悲劇を導くのです。

私たちの日常では夢を見る際、必ずしも自分の都合の良いようには展開しないのですが、そこに「意志」が投影されると「龍宮城」のような空間となってしまいます。様々なドラマや映画でも用いられるコンセプトではありますが、居心地の良い夢の世界は危ないのです。

現実の世界は、思い通りにならない他者の存在によって不可抗力が生じ、なかなか生き難いものです。しかしながら、コブが、抵抗を受けながら危ない仕事をするのも、現実の世界での成功(この場合、子供に会いたいということですが)を第一と考えているからであり、その反対ではありません。

映画のストーリーは多くの人の「夢の中」(あるいは「夢の夢の中」)に入り込むために、複雑に展開します。しかしながら、メッセージは非常にシンプルであり、夢には逃げられないということなのではないでしょうか。

SFアクション映画ですが、なかなか哲学的な作品です。

2017年4月16日 00:49

桜は、人々の過去と未来を繋ぎながら咲く

桜の季節も終盤に入りました。

今年度、私は勤務校で留学生向けの「日本事情」をも担当することになりました。講義後、あるネパールからの留学生から、姫路にお花見に行ったのですが、なぜ日本人は桜が好きなのですかという質問を受けました。

なぜ、日本人は桜が好きなのか定かではありませんが、随分前から日本人は桜が好きだったようです。

平安初期の『古今和歌集』には、桜を詠んだ歌が70首あったそうです(「昔は桜より梅が人気?花見の歴史の知られざる変遷を紹介」サイト『花と贈りものだより』)。鎌倉時代及び安土桃山時代には、武士階級にも桜のお花見が広がり、江戸時代には庶民の間にも花見文化が浸透していったとされます(同上)。

桜の花は21世紀でも日本人のお気に入りです。2000年以降の歌謡曲を見ると桜は大ヒット曲の主役になっています。

コブクロ「桜」(2000年)
福山雅治「桜坂」(2001年)
森山直太朗 「さくら」(2003年)
河口恭吾 「桜」(2003年)
レミオロメン「3月9日」(2004年)
ケツメイシ「さくら」(2005年)
いきものがかり「Sakura」(2006年)
FUNKY MONKEY BABYS 「Lovin' Life」(2007年)
AKB48「桜の栞」(2010年)

これらの名曲は、卒業等に絡んで「別れの曲」、4月を迎えて新しいスタートを(改めて関係性を継続することを含めて)「始める曲」に分類できると考えます。

「別れの曲」の代表作は、森山直太朗 さんの「さくら」(2003年)であり、コブクロ「桜」(2000年)、いきものがかりの「Sakura」(2006年)になるでしょう。

改めて「始める曲」としては、河口恭吾さんの「桜」(2003年)やレミオロメン「3月9日」(2004年)、FUNKY MONKEY BABYS 「Lovin' Life」(2007年)等が該当するのではないでしょうか。

桜は、卒業式シーズンから入学式シーズンをカバーして花を咲かせます。別れと(年度が変わっての)4月からの出会い、あるいは関係性の継続を見守り続け、春の人間関係の多様なメタファーになっているのです。

そして、桜は過去と未来を結びます。

「別れの曲」では過去の時間を、「始めの曲」では未来に向いているのです。

桜は開花から満開まで半月ほどです。気温や気候によって変化はしますが、最長でも1カ月、桜の花を見続けることはできないでしょう。

その短い「命」に、多くの日本人の時間を繋ぐ役割を担います。短い花にもかかわらず(だからこそ)、桜は人々の過去の記憶と未来の理想のメタファーになり得るのでしょう。

2017年4月15日 23:55

浅田真央選手の引退にただ思う

周知の通り、2017年4月10日、浅田真央選手(以下、敬称略して真央ちゃん)がご自身のブログで引退を発表しました。僅か数日前のニュースにもかかわらず、あっという間に国民に共有されたからか、随分前の出来事のようにも感じられます。

当ブログにおいて私は、何度か真央ちゃんに言及しています。
浅田真央選手に託したもの」(2014年2月22日)

そして、今回の真央ちゃんの引退をどのように文字化すれば良いのか、と悩む日々でした。時代が生んだ○○として浅田真央論を展開するのも陳腐なように思え...。

真央ちゃんの引退については、なぜ今なのか、もっと早く引退できなかったのか、が問われています。

なぜ今かを考えれば、直接的には2016年全日本選手権においてSP8位、フリーも振るわずトータル12位だったことが大きいと、ご本人も述べられています(産経ニュース、2017年4月12日)。

しかしながら、復帰後、成績が伸びなくてもなかなか引退できなかった理由は、浅田選手が引退したら大手広告代理店がフィギュアスケート界から手を引く可能性があったから(Business Journal, 2017年4月13日)、浅田選手の獲得するお金(試合の賞金、アイスショーの報酬、広告出演料、日本スケート連盟の補助金やスポンサーの賞金)の95%を日本スケート連盟やマネジメント事務所等が引き抜いており、彼らが浅田選手を辞めさせなかったという「大人の事情」があったと囁かれています(FOCUS-ASIA.COM, 2014年4月11日)。

いずれにしましても、ソチ五輪終了後、復帰は「ハーフハーフ」という言葉を残して休養していた真央ちゃんは、2015年10月に復帰したのです。

「大人の事情」は好意的に言い換えれば、多くの国民が復帰を求めたということでもあり、真央ちゃんはそれに答えようと本気で復帰を図ったのでしょう。それがお金のためではなかったからこそ、今回の引退が感動を呼ぶのではないでしょうか。

そして、真央ちゃんは引退しました。

元フィギュアスケート日本代表の渡部絵美氏は、「何よりも「浅田真央」というイメージが一度も狂うことなく、長い選手生活を終えたのも本当に素晴らしい」と言い、「普通の女の子なら、高校生や大学生になったら遊びたいとか冒険してみたいという気持ちが出てくるころです」と真央ちゃんが、真央ちゃんを演じきったことを賞賛しています(dot, 2017年4月11日)。

真央ちゃんは、今月12日の引退会見において結婚の予定について聞かれ「結婚のご予定は、ないです。お相手がいれば、その方と一緒に帰られたんですけど」と答えました(日刊スポーツ、4月12日)。

これからも、真央ちゃんの一挙一動が注目され続けてしまうことでしょう。しかし、私たちは、(寂しいけど)真央ちゃんの人生を真央ちゃんに返してあげるべきなのかもしれません。

2017年4月 9日 12:53

守るべき「家」が意味するものとは?:ドラマ『ダウントン・アビー シーズン5』が描く「大人の恋」とその終焉

NHKの地上波で、昨年末から2月にかけて英国のテレビドラマ『ダウントン・アビー シーズン5』が放送されました。

ドラマ『ダウントン・アビー ~華麗なる英国貴族の館~ シーズン5』
(原題Downton Abbey, Series 5)
制作国  英国ITV
制作国  2014年
脚本  ジュリアン・フェロウズ

あらすじ
【労働党が英国で初めて政権を担った1924年。グランサム伯爵家と使用人たちにも大きな変化が訪れる。グランサム伯爵の長女のメアリーは再婚相手としてギリンガム卿を見極めきれず、2人で小旅行に出かけ、別れを決意する。次女イーディスも、ドイツで亡くなった恋人グレッグソンの娘を産み、農家に預けるが気になって仕方がなく、引き取りたいと願っている。メアリーの義理の母イザベルは高齢のマートン卿からプロポーズされ、グランサム伯爵の母バイオレットは、以前、恋仲だった英国亡命中のロシア貴族クラーギン公爵と再会し、公爵から再度、告白される。使用人たちは、執事のカーソンが、家政婦長のヒューズに結婚を申し込み、下僕のモールズリーと侍女のバクスターも親密な関係に至る。一方で、侍女のアンナ・ベイツは殺人容疑で逮捕され、夫のジョン・ベイツが犯人は自分だと名乗りでる。伯爵の三女シビルと結婚し、(シビルを病気で失っている)元運転手のトムは、一人娘と共に渡米することを決意する。】

シーズン5は、シーズン1~3まで物語の中心であった長女メアリーの恋愛話が脇役となり、それぞれの「恋」が展開していきます。

そして、(ネタバレですが)いずれのケースも、その関係は成立しません。

メアリーの亡くなった夫マシューの母イザベルは、妻に先立たれた高齢のマートン卿からプロポーズされますが、マートン卿の子供たちに反対され結婚を断念します。

グランサム伯爵の母バイオレットも、昔、駆け落ちしようとまで考えた亡命ロシア貴族のクラーギン公爵から愛の告白をされるのですが、生き別れていたクラ―ギン公爵の妻が見つかり、二人の関係は振り出しに戻ります。

一方、下々の使用人の世界でも、執事のカーソンと家政婦長のヒューズの高齢カップルが誕生しようとしています。

シーズン5は60代、70代の「大人の恋」の物語が中心となり、全てが諸事情によって影響され、カーソンとヒューズ以外は結ばれません。30代、40代の「若者」は、恋愛ではなく自分の道を見つけようと努めます。

しかし、徹底的に1924年を舞台した成就しない「大人の恋」に拘るのでしょうか。

登場人物たちは、個の感情を抑えて家の体裁を重んじます。言い方を変えれば、自分が長年築いてきた時間=「家族」を選びます。家を持たない執事のカーソンと家政婦長のヒューズだけが、彼らの共有した時間の長さ故に幸せを得られるのです。

英米社会における家族の肖像は複雑化しています。離婚、再婚は「普通」となり、家族の構成は簡単ではありません。

ドラマは成就しない「大人の恋」を描いて何が言いたいのでしょうか。大衆化時代において弱体化する貴族制度と複雑化する家制度を同一視しようとしているのでしょうか。

2017年4月 8日 22:51

「Emoji」: 新しいグローバル・コミュニケーション・ツール

先月、スイスのジュネーブ市を訪れた際、買い物のために市内の生活協同組合(COOP)を訪れると、「EMOJI」(絵文字)フェアをしていました。

買い物の金額20フラン(約2,200円)毎に絵文字の消しゴムサイズの絵文字のフィギュア人形が貰えます。その人形を使ったゲームも販売されており、買い物袋もEmojiのワードが刻印されています。

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スイスだけではありません。日本発祥の絵文字は、米国のニューヨーク近代美術館に176種類が展示されています( "Look Who's Smiley Now: MoMA Acquires Original Emoji", The New York Times, 26 October 2016)。

オランダの航空会社KLMはEmojiとコラボして旅案内をしています(https://emoji-messenger.klm.com/)。

英国のBBCでも詳細に解説されています("The Rise of the Emoji", BBC, 23 March 2017)。英国での爆発的人気ぶりは、ロンドンの通訳・翻訳会社Today TranslationsがEmoji翻訳者を募集したことから窺い知れます("Emoji translator wanted - London firm seeks specialist", BBC, 12 December 2016)。

今、Emojiはグローバル・コミュニケーション・ツールであり、Emojiという言葉は、世界語なのです。

そして、重要なことは、何よりもグローバル・コミュニケーション・ツールでありながら、特定の言語を用いない点です。世界のどの国の人にとっても、Emojiへの距離は基本的に同じです(世界共通語とされる英語は、その使用において英語圏の人間が圧倒的に有利です)。

そもそも絵文字は、NTTドコモのiモードの開発チームの一員であった栗田穣崇氏の監修によって開発され、1999年に携帯電話に初めて導入して普及したものですが、この17年間に世界に広がりました(ロイター, 2016年 10月 27日; CINRA.NET, 2016年10月27日)。

瞬く間に世界化した絵文字ですが、地域性に限定されるケースもあります。例えば、以下のようなアラブ世界の絵文字は、非アラブ圏では理解できないのではないでしょうか( "Meet the new Arab emojis perking up Dubai's WhatsApp chats", 28 February 2017)。

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つまり、絵文字には世界共通語としての要素と、限られた地域のコミュニケーション・ツールとしての両方の役割があることになります。さながら、この点においては英語と他の言語との関係のようです。

Emojiについての研究は既に始まっていますが、近い将来、研究も更に深まり、Emoji Studies(絵文字学)にも発展してくのではないでしょうか。その「メッカ」が日本の大学であっても良いと思います。

2017年4月 5日 12:17

音楽は何のために奏でるのか?:映画『四月は君の嘘』における音楽と自由

新川直司氏の大ヒット漫画の『四月は君の嘘』が原作です。映画『イフ・アイ・ステイ 愛が還る場所』(原作『ミアの選択』)を彷彿させるものがあります。

『四月は君の嘘』
制作国 日本
制作年 2016年
監督 新城毅彦
出演 山﨑賢人、広瀬すず

あらすじ
【小学校の頃、天才ピアニストと言われた有馬公生は、ピアノの師でもある母の死をきっかけにピアノが弾けなくなっていた。普通の高校生となって2年生のある日、同じ高校に通う自由奔放なヴァイオリニスト・宮園かをりに出会う。かをりは、公生を自分のコンクールの伴奏者に指名し、公生にピアノを取り戻させようとする。かをりの影響を受けて公生は、徐々にピアノと向き合うようになっていくが、反対に、かをりは病魔に侵され、ヴァイオリンが弾けなくなっていく。】

音楽は何のために奏でるのでしょうか。

私が大学で教えるネパール、ベトナム、中国、韓国からの留学生に母国の代表的な別れの歌を教えて貰ったことがあるのですが、どれも素敵な曲ばかりでした。音楽とは、自分の傍に「いない」誰かを想い、言葉にならない感情をメロディで伝えたいという動機が大きな要素の一つなのかもしれません。

主人公・有馬公生は母親を失いピアノが弾けなくなったのですが、かをりに出会いピアノに「再会」します。

そして、ネタバレですが、舞台にいないかをりを想いピアノを弾きます。音楽はかをりの不在を補い、音によって彼女を「再現」させます。
それでは、なぜ、公生は母親を失った際に音楽によって補えなかったのでしょうか。映画では天才少年であった彼が母親のコピーのような存在であり、「自由」ではなかったように描かれます。

それに対し、持病に苦しむかをりは、不自由な状況で(それ故に)音楽に「自由」を求めており、その音に公正は本当の音楽の楽しさを初めて感じ始めます。

しかしながら、病気で苦しんでいたのは公生の母親も同様であり、母親も母親なりに息子の将来の「自由」を最大限、求めて猛特訓していたのです。

敢えて母親とかをりの違いを挙げるながらば、自分が「自由」を求める姿を公生に見せているかどうかということになるのかもしれません。かをりは懸命に「自由」に生きようとしながら、公生にピアノを弾かせようとしたのです。

ただ、作中の母親に自らの演奏で息子に「自由」な音楽を見せる余力があるようには描かれておらず、(親の視点では考えるところは少なくないのですが)筋としては良くできているということになります。

2017年4月 3日 00:33

(前)大統領が逮捕されるという構造は解消できるのか?

3月31日、韓国の検察は、韓国最大の財閥サムスングループから、日本円で43億円余りの賄賂を受け取った等の疑いで、朴槿恵・前大統領を逮捕しました。韓国の大統領経験者の逮捕は全斗煥氏、盧泰愚氏に次いで3人目となります。

その他、2009年には盧武鉉元大統領が、取り調べ対象となった結果自殺しており、捜査対象者として朴・前大統領は4人目です。その他、金泳三氏、金大中氏、李明博氏の元大統領は、親族が不正に資金を受け取った疑いなど逮捕されています。

朝鮮日報の金大中顧問は、「韓国の政治制度に疾病的な要因があるのではないかと思われる。どこかに致命的なDNAが韓国の権力構造に内在している」(The Huffington Post, 2017年3月30日)としていますが、これだけ続くと、確かに個人の問題から韓国の政界の「構造」の問題となってきます。

それでは、なぜ、韓国の大統領はお金の問題で逮捕されるのでしょうか(全員がお金で逮捕されている訳ではありませんが)。

その理由の一つとして韓国の大統領の大統領権限があまりにも強大であり、周囲までもが権力者となってしまうという説があります(時事.com, 2017年3月31日)。つまり、大統領自身が潔癖でも権力者の一員に加わった周囲が、大企業などと結びついてしまい、韓国の大統領は逃げられない「罠」に嵌っていく可能性が高いというのです。

朴大統領を含めこの数代の大統領は、過去数代の大統領の末路を重々知っており、にもかかわらず、この「構造」の罠から抜け出せず、逮捕されている事実は深刻であると考えます。私は朴大統領を擁護するつもりは毛頭ないのですが、誰だって国家の最高権力者にありながらこのような不名誉な形で逮捕されたくはないでしょう。

もし、上記の仮説通りで、「構造」の問題を解消しようとすると、大統領の権力を小さくするしかありません。

極端な例として挙げるならば、同じ大統領でも、国家よりも州(カントン)やカントンを構成する基礎自治体の力が強いスイスの場合は、大統領は1年の交代制です。大統領の権限は小さく、殆どシンボル的な存在であり、ボディガードがないことで知られています。例えば、ディディエ・ブルカルテール元大統領は在職期間(2014年1月1日 - 2014年12月31日)において、日常的に移動の際は1人で電車を利用していたと報道されています(swissinfo.ch, 2014年9月17日)。

人口約5,000万人のうち5分の1の約1,000万人が首都ソウルに住む韓国が、スイスと同じような「分権国家」になれるかどうは別として、もし、そうなったとしたら大統領が逮捕される「構造」が解消されても、大統領になりたい人も少なくなってしまうのかもしれません。

韓国の大統領選挙は来月9日に予定されています。

2017年4月 2日 01:56

モンゴルに帰って貰っては、困ります。

大相撲春場所で新横綱・稀勢の里と優勝を争った大関・照ノ富士に対する場内のブーイングがヘイトスピーチに当たるのではないかと批判されています(The Huffington Post, 3月27日)。

当ブログ(3月26付)でも紹介しましたが、14日目、照ノ富士は関脇に陥落した元大関の琴奨菊と対戦し、立ち合いに大きく変化し、はたき込んで勝利しました。6敗目を喫した琴奨菊は、この敗北によって大関復帰を阻まれました。

場内は、重要な一番に変化をした照ノ富士へのブーイングに荒れ、次の取組ために横綱・日馬富士が土俵に上がってからも続き、日馬富士は「相撲を取るどころじゃなかった。集中してるけど耳に入ってしまう。次の一番に集中してる人のことも考えてほしい。大けがにもつながるから」と苦言を呈している程です(日刊スポーツ、3月25日)。

そのブーイングの一つがモンゴル出身の照ノ富士への「モンゴルへ帰れ!」という言葉であったとされています(スポーツ報知、3月26日;サンスポ、3月31日)。

まず、このような心無い言葉は、公の場で許されるべきでありません。

もっとも、NHKで解説していた北の富士勝昭さんが「(ブーイングは)当然、飛ぶでしょうね」と語っているように、身内の関係者には当然と受け止められたのかもしれません。

そもそも、稽古中など部屋ではよく投げつけられる言葉なのかもしれません。そこに「愛」があるかどうかということも重要で、師匠や同門の親方が照ノ富士に言った場合は、「真っ向勝負で頑張れ」という意味が含まれていることでしょう。

いうまでもなく、若貴ブームの後、大相撲を支えたのは外国人力士であり、特に朝青龍、白鵬、日馬富士、鶴竜などの横綱を輩出したモンゴル勢なのです。そして、稀勢の里が横綱になり、また現在、起こっている大相撲ブームも、「敵役」としてのモンゴルの強豪が存在するから成立しているのではないでしょうか(もちろん、モンゴル勢を応援している日本人も沢山いますし、外国人の稀勢の里ファンも少なくないのでしょうが)。

モンゴル、ハワイ、ブルガリアとは文化が異なりますので、日本で何年も修行しても究極なところで勝負に関する価値観は異なるかもしれません。それでも、大相撲は、彼ら外国人力士に支えられてきたのです。

唯一の日本人横綱・稀勢の里には、どうしてもナショナリズムが結びつきます。逆説的ですが、それは、大相撲の国際化を意味しており、悪いことではないのです(横綱・輪島は石川県、横綱・北の湖は北海道のシンボルでしたが、両者の対戦においてどちらかが日本を代表することはありませんでした)。

しかしながら、「愛」のない「母国へ帰れ」はいけないのです。照ノ富士に帰って貰っては困るのです。モンゴル勢がいなくなれば国際性がなくなってしまいます(小錦さんが現役の頃、場所で土俵に上がると「ハワイ・オアフ島出身高砂部屋」というアナウンスが流れ、それだけで「遠くから来たんだなぁ」、「凄いな」と思ったことを記憶しています)。

照ノ富士関には、日本に留まって真っ向勝負で頑張って頂きましょう。

2017年4月 1日 01:15

大切なのは場所ではなく人なのではないか?:映画『築地ワンダーランド』が強調する「信用」

前回、「空気の政治学」と題して、時代を越えて日本の政治を支配する「空気」について論じました。一方で、日本には変わらない美徳もあります。

『築地ワンダーランド』(原題 Tsukiji Wonderland)
制作国 日本
制作年 2016年
監督 遠藤尚太朗

あらすじ
【1935年に日本橋から移転して以来、80年以上も日本の食文化を支える東京中央卸売市場(築地市場)の四季を描いたドキュメンタリー。1年の「海の幸」の変化を通じて表情を変える築地市場は、毎日約14,000人の関係者、購買者約28,000人、入場車両約19,000台で賑わっている。そこは単なる機能的な市場ではなく、海産物に関する情報交換という知の交流センターである。そのシステムは何よりも、築地に係る人々の信頼によって成立している。】

『築地』の著者であるハーバード大学のテオドル・ベスタ―教授は、この映画の出演者の一人であり、ナビゲーターのような役割を担っています。同教授は、築地市場で働く方々は、日本の古き良き伝統的な労働観を維持していると語ります。自分の価値観をはっきり持ち、信念に従いながら、「仲間」を信用し、同時に全体の利益を鑑み、惰性に流されることなく日々の仕事に緊張感を持って励んでいるというのです。

異論はないのですが、そうであるとすると、日本では、なぜ築地の「空気」と政治の「空気」は違うのでしょうか。「空気」が決めてしまう無責任な日本の意思決定システムは、伝統的ではないのでしょうか。

「築地学」は「日本学」にどのように位置付けるべきなのでしょうか。

さて、日本学的な考察は別として、この映画は豊洲移転を前提に作られています。しかしながら、その豊洲移転が現実化するか分からなくなっている時に、本作品は重要なことを示唆していると考えます。

地下水等の安全基準は重要ですが、(ある程度の基準をクリアした段階を前提に申せば)卸売市場において最も重要なことは、「信用」を作り出す人間関係であるということです。

築地も80年前に鉄道等の輸送方法の近代化に合わせて移転したにもかかわらず、その新しい市場に伝統が息づいてきたのです。

そのような意味では、作品の中でも描かれますが、高齢化に伴う後継者問題は深刻です。日本の伝統市場文化が継承できなくなっているのです。

ここからは推測の域を出ませんが、人がいなくなるのですから市場の縮小か、機械化・ロボット化か、外国人労働者化しかないように思えます。いずれにせよ、築地が継承してきた伝統文化を維持できるでしょうか。

本質的な問題は築地か豊洲かではなく、人なのです。

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プロフィール
安井裕司
安井裕司
エジンバラ大学、バーミンガム大学博士課程に学ぶ。その間、ルーマニア・アカデミー歴史学研究所研究生。国際政治学博士(PhD)。国連大学国際紛争研究所インターン、夏期講習クラスコーディネーター、法政大学国際日本学研究所客員研究員等を経て、現在、早稲田大学エクステンションセンター講師、日本経済大学神戸三宮キャンパス教授。
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