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グローバル化は足元からやってくる ~国際学で切り取る世界と社会~

2017年3月

2017年3月31日 22:43

「空気」の政治学

東京都の豊洲市場移転問題は、どうしてこのように複雑化してしまったのでしょうか。このような大きな事業において、なぜ、元知事の石原慎太郎氏は堂々と「記憶にございません」と答えられるのでしょうか(「石原氏歯切れ悪く「記憶ない」「専門家でない」」、毎日新聞、2017年3月3日)。

そのような状況だったにもかかわらず、なぜ、東京都は、一度は市場を築地から豊洲に移転することを決定できたのでしょうか。

大阪府豊中市に小学校建設を計画していた森友学園はなぜ、9億5600万円と鑑定された土地を(「ゴミ撤去費」として見積もられ)約8億円値引きされ、同規模の近隣国有地の10分の1の価格である1億3400万円で購入できたのでしょうか(朝日デジタル、2017年2月11日)。

同学園の元理事長である籠池泰典氏は、国家の証人喚問において、安倍首相らの「口利きはなかった」とする一方で、安倍昭恵夫人という「政治家的な存在」に依頼したことなどによって財務省の官僚が「忖度」し、事態がスムーズに動いたのではないかとの見方を表明しています(The Huffington Post、3月26日)。

山本七平氏が70年代後半に日本を支配する「空気」を指摘してから約40年が経ちました(『「空気」の研究』文藝春秋、1977年)。

日本はこの間、Japan as Number Oneと称されたバブル期を経て、世界トップレベルの先進国になり、バブル期と比較すれば経済力は落ちたとはいえ、現在も先進国の一つであると認識されています。

にもかかわらず、政治は、今も昔も依然として集団が作り出す「空気」が支配しているのかもしれません。

多くの重要な事柄が「なんとなく」決まっていくのです。それは、「和」の重視という意味では悪いことばかりではないかもしれません。しかしながら、豊洲移転や森友学園の土地買収のようにお金が絡む問題になると、文字通り、始末が悪いのです。

結局、「空気」の責任は、有権者が負うというケースが殆どです。

豊洲問題ならば、移転しても、移転せずに現在の築地を改修するにしても莫大なお金がかかります。石原慎太郎元知事の記憶があっても、なくても石原氏1人で補える規模の額ではないのは確かでしょう。

それでも、全面的に石原氏の責任であるとすれば、より納得して有権者は決定に伴うコストを補えるのではないでしょう。石原氏を知事に選んだのは都民なのですから。

ところが、そのようにはなりそうもありません。「記憶がない」状態で、「空気」の政治支配が継続されていくかのようです。

2017年3月29日 00:09

日本の就職活動はこれで良いのか?:映画『何者』における分析と自己正当化

就職活動は人を変えます。良くも悪くも。

『何者』
制作国 日本
制作年 2016年
監督 三浦大輔
出演 佐藤健、有村架純

あらすじ
【かつて演劇サークルで脚本を書いていた拓人、バンドのボーカルとして音楽活動をしていた光太郎、光太郎の元彼女で、拓人が思いを寄せる瑞月。3人は人生の試練である就職活動に直面する。そこに、瑞月の友人で同じく就職活動をしている英語が堪能な理香が、拓人と光太郎の近所に住んでいることが分かる。4人は情報を交換しながら就職活動を始める。理香の彼である、隆良は、就活は決められたルールに乗るだけだと言い放ち、4人を馬鹿にする。ちゃらちゃらしていた光太郎が最初に内定を得て、4人の人間関係は徐々に変化していく。】

私は大学教員をしており、毎年、学生を社会に送り出します。4年になると彼らは厳しい就職活動を経験し、良くも悪くも人が変わったようになります。それを「成長」と呼ぶべきかどうか私には判断できません。

本作品は、就職活動をする若者の本音を描いています。

同じ大学の仲間が、先に内定を得れば、悔しいでしょう。人は、「些細な差」(minor differences)を気にします。ビル・ゲイツ氏との収入格差を本気で嘆く人は少ないと思います。でも、入社同期と給与において1割、2割の差がついたら非常に悔しいのです(就職と昇給は異なると言われるかもしれませんが、90年、100年の人生の中では、何カ月か内定を得るのが遅かったり、就職が1年遅れたりすることは「大きな差」ではないように思えます)。

だから、この映画の学生たちの「なぜ、あいつが内定をもらって、この俺が(私が)貰えないのか」と思うのは当然です。

主人公の拓人は、分析魔です。自分は内定を得られないにもかかわらず、悪意に満ちた分析を匿名でツイッターに書き連ねます。それが、彼の本音ですが、おそらく多くの学生の本音でもあるのでしょう。

拓人の分析は、悪意には満ちていますが、同時に客観的でもあります。ネタバレですが、その書き込みを同じく(優秀にもかかわらず)内定が貰えない理香に指摘され、自分を直視しなければならなくなった時、自己崩壊の危機となります。

私は、人が妬むことは仕方がないことだと思います。誰もが、友人が先に内定を先に得たら悔しいものです。重要なことは、その時、なぜ悔しいと思うのかまでも(自分自身も)分析対象とできるか否かなのです。無理に、友人を祝福する必要はないです。ただ、自分のために自分を考えるべきなのです(主人公の問題は、自己正当化に終始してしまっていることです)。

妬みは別として、そもそも日本の就職活動はこれでいいのでしょうか。

私が学んだ英国の大学において大学生、大学院生は人によって就職活動を始める時期が違いました。早めに活動を開始しても、有効とは限りません。大学の最終成績が入社の条件にされているため、大学の最後の試験まで就職は確定しません。

なぜ、先進国では日本だけがあのような入社試験を続けるのでしょうか。それが日本企業の業績に直結しているのでしょうか。大学が問題なのでしょうか。不思議です。

2017年3月26日 23:54

変化すること、変化しないこと

周知の通り、大相撲春場所は千秋楽に13勝1敗の大関・照ノ富士と12勝2敗の新横綱の稀勢の里が結び前の一番で対戦し、稀勢の里が「突き落とし」で勝ち、両者で争われた優勝決定戦においても稀勢の里が「小手投げ」で勝ち、2場所連続優勝を飾りました。

稀勢の里は、全勝で迎えた13日目に横綱・日馬富士に敗れて際、土俵下まで飛ばさせ、左肩付近を負傷して救急車で運ばれ、休場の可能性も報じられていました。

大相撲ファンの方々が、既に語りつくしているかもしれませんが、私は14日目の両者の相撲が大きな別れ目だったのではないかと感じました。

14日目、怪我をした稀勢の里は、結びの一番で横綱・鶴竜と対戦したのですが、勝負にならない状況で、鶴竜に寄り切りで敗れてしまいます。ただ、怪我に逃げない姿勢は、人々に感動を与えました。

その同じ、14日、12勝1敗で稀勢の里と並んでいた照ノ富士は、立ち合いの大きな変化によって関脇の琴奨菊をはたき込んで1敗を死守して単独首位になります。負けた元大関・琴奨菊は、先月、大関から陥落しながら大関復帰の10勝を目指していたのですが、この日の6敗目で復帰がなくなりました。

照ノ富士は勝ったにもかかわらず、場内はブーイングの嵐で「勝負しろよ」「取り直せ」と怒号が飛び、中には「モンゴルに帰れ」という心無い言葉まで投げつけられたようです(サンスポ、3月25日、スポーツ報知、3月26日)。

これだけ批判された翌日の千秋楽に、照ノ富士は稀勢の里に連続して敗れます。

照ノ富士は変化はできず、また手負いの稀勢の里に思い切って当たることもできない精神状態だったかもしれません。

逆に稀勢の里にとっては、照ノ富士との一番に「変化」が許される状況が出来上がっていたと言えるでしょう。前日、照ノ富士が琴奨菊と真っ向勝負していたら、琴奨菊に負けていたかもしれませんが、同時に千秋楽の結果は変わっていたかもしれません。

完全に悪役になってしまった照ノ富士ですが、照ノ富士もNHKの『アスリートの魂』というドキュメンタリー番組では、白星が大切と言いながら、「力強い相撲で勝ったほうが自分も気持ちいい」、「いい相撲を取って勝ちたい」と語っています(NHK BS1、「理想の"型"を求めて 新大関 照ノ富士」2015年8月1日)。

そう考えますと、照ノ富士は自らの「変化」に負けたとも言えるのかもしれません。

今後、照ノ富士が変化をすることを人々が許さないようにも思えます。もう、「いい相撲を取って勝つ」しかなくなってしまったのではないでしょうか。

そうなると、照ノ富士関も強くなられるかもしれません。今場所、国民的英雄になった横綱・稀勢の里関も、つい最近まで「ここ一番での勝負弱さ」を指摘されていたのです。本当の意味で人が「変わる」ことはあります。

次の場所が楽しみになってきました。

2017年3月22日 01:35

女子大における「女子」とは何を意味するのか?

日本女子大学は、男性の体で生まれながら女性として生きるトランスジェンダーの学生を受け入れるかどうかの検討を新年度から始めるそうです(朝日デジタル、3月19日)。

きっかけは、戸籍上は男子なのですが性同一性障害と診断され、女子として生活している小学校4年生の「男子学生」の保護者から、日本女子大や同大の付属校を受験することができるかという問い合わせだったとのことです(同上)。

私はある女子大学で非常勤講師をしており、「女子とは何を定義にしているのでしょうか」と学生と話し合うことが多く、日本女子大学のニュースを大きな関心を持って受け止めました。

心と体という観点から考えると、(A)女性として生まれて、心でも女性として自己認識している方、(B)女性として生まれ、心では男性として認識している方、(C)男性として生まれ、女性として自己認識している方の三形態に分けることができます(男性として生まれ、男性として自己認識している方は女子大には最も遠い存在になります)。

今回の日本女子大の検討は、(C)の方々を女性として捉え、同大と系列の付属校の門戸を開くかどうかということになります。

実のところ、(A)の方々は最大多数なのですが、女子大の教室には「男役」のようなボーイッシュな学生が一定数存在し、その学生たちが男性と自己認識しているかどうかは別として、(A)の境界線もはっきりしないところがあります。

私は、男子校を経験したことがなく、男子だけの世界は知らないのですが、おそらく、一般に考えられているよりは男性の範囲も広く、同じく女性の範囲も明確ではなく、性とはかなり曖昧なのではないかと考えています。

だからこそ、子供のころから「女の子だからピンクの服がいい」、「女の子だからおしとやかに」、「男の子だから青の服がいい」、「男だから逞しく」というような強固なジェンダーに関する規範があり、私たちはそれを成長と共に自明のものとして受け入れているのではないでしょうか。

話を元に戻せば、私は、全ての女子大が(C)タイプの方々を受け入れるべきであるとは思いません。そもそも、女子大は「女子」と限定し、「男子」を除外しているのですから、各女子大学によってカラー(ジェンダーの範囲)があってよく、(A)だけの女子大学、(A)と(C)の女子大学、(A)と(B)と(C)の女子大学があっても良いと思います。

みんな同じような女子大学になってしまったら、女子大学の存在意義が問われるようになってしまうことでしょう。

2017年3月18日 01:10

私小説における対象との距離(時間): 映画『わが母の記』に見る穴埋め作業

人生の小説化(私小説化)は、難しい作業であるように思えます。

『わが母の記』
制作国 日本
制作年 2012年
監督 原田眞人
出演 役所広司、樹木希林

あらすじ
【昭和39年。60代の小説家の伊上洪作は80代の実母の八重と心の葛藤を抱えていた。洪作は、5歳から8年間、「おぬいばあさん」と呼ばれる曽祖父の妾で血の繋がらない女性に育てられた。「おぬいばあさん」に感謝しながらも、洪作は実母・八重に捨てられたと思い込んでいた。夫(洪作の実父)が亡くなり、八重は物忘れが激しくなり、徘徊さえするようになる。やがて、実の息子である洪作さえ見分けがつかなくなったにもかかわらず、「おぬいばあさん」に息子を奪われたと語り始める。洪作は、この言葉に耐えられず、「息子さんを郷里に置き去りにしたんですよね」と問いつめると、洪作が予想していたこととは全く異なる理由を語り始める。】

作家・井上靖の自伝的小説の映画化です。

井上文学の『しろばんば』に登場する「おぬい婆さん」はあまりにも有名であり、小説の中では実母は脇役にしか過ぎません。しかし、本作では主役です。

映画のキャッチコピー「たとえ忘れてしまっても、きっと愛だけが残る。」にある通り、実母の八重は、息子が誰だか分からなくなってから、息子への愛を語ります。

それは、80年の月日を経た真実の告白なのか、それとも人生の正当化なのか、正直、映画からは分かりません。

しかしながら、60代の文豪・洪作は真実として捉え、驚きます。もちろん、八重も『しろばんば』を知っているはずであり、『しろばんば』に影響を受けての人生であるはずです。記憶とは、何度も塗り替えられるものであり、その真偽は分かりません。

それでも、洪作は老いた母を受け入れます。

それは、告白を真実だと判断したからか、それとも、『しろばんば』を含めた自分及び家族の人生を私小説化してきた故なのでしょうか。

少なくとも映画の洪作は自然体であり、幼少期に「おぬい婆さん」を受け入れたように、老いていく実母も受け入れていくように見えます。

そして、かつて『しろばんば』の「おぬい婆さん」の陰に実母への思いを描いたように、本作品では実母・八重の陰に「おぬい婆さん」を見立てていきます。

『しろばんば』は、『わが母の記』で完成することになります。

様々な感情を抱きながらも客観的に「傍観者」として自分の人生を捉え、描き続けることが、私のストーリーの「小説化」だとすれば、「おぬい婆さん」の他人性や、実母・八重との離れていた8年間という時間(距離)が、大切なのかもしれません。そして、その距離を埋めようとすることも。

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プロフィール
安井裕司
安井裕司
エジンバラ大学、バーミンガム大学博士課程に学ぶ。その間、ルーマニア・アカデミー歴史学研究所研究生。国際政治学博士(PhD)。国連大学国際紛争研究所インターン、夏期講習クラスコーディネーター、法政大学国際日本学研究所客員研究員等を経て、現在、早稲田大学エクステンションセンター講師、日本経済大学神戸三宮キャンパス教授。
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