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グローバル化は足元からやってくる ~国際学で切り取る世界と社会~

2016年8月

2016年8月28日 00:58

米国共和党の「分裂」と既成政党の危機

当ブログ2016年8月3日にて、「なぜ、日本の選挙では急進勢力と既成政党が対立する構図にならないのか?」と題しまして、日本ではなぜ欧州先進国のように既成政党が、排外主義的な極右もしくは極左からチャレンジを受けていないのかについて考えました。

実は、日本同様に、米国も表面的には変わっていません。米国の大統領選挙も伝統的な二大政党制が維持されているのです。もちろん、8月14日付で記しました通り、移民排斥等を主張するドナルド・トランプ氏は従来の共和党の大統領候補者らしくはありません。しかしながら、トランプ氏が正当な手続きを踏んで共和党の大統領候補に指名されたのも事実なのです。

しかしながら、ここにきて共和党は「分裂」の様相を呈しています。

ジョージ・W・ブッシュ前米大統領の政権で国防副長官を務めたポール・ウォルフォウィッツ氏が、今秋の米大統領選では民主党候補のヒラリー・クリントン前国務長官に投票することを検討していると明かしました(CNN、8月27日)。

米国のネオコン(新保守主義)や介入主義者の代表格であり、イラク戦争の「黒幕」と評されることもあるウォルフォウィッツ氏は、ロシアのプーチン大統領やイラクのサダム・フセイン元大統領を肯定するトランプは「危険な存在だ」と批判します(同上)。

つまり、ウォルフォウィッツ氏のヒラリー氏支持宣言は、トランプ氏が、良くも悪くもネオコンの思想を継承してはいないことになります(そして、ヒラリー氏は、ネオコンの主導的役割を担った人も支持できる民主党候補者であることが分かります)。

結局、米国では共和党、民主党の枠組みに入るべきではないドナルド・トランプ氏が、共和党候補になってしまったため、共和党が「分裂」の危機に直面することになっているのです。そして、それは民主党員と反トランプの共和党員の奇妙な「共闘」を導きます。

もっとも、ヨーロッパでは極右、極左政党の台頭によって既成政党同士の「握手」が余儀なくされるケースも見られており、米国もようやく欧州型になったと考えるべきなのかもしれません。

しかしながら、仮に、米国大統領選挙でヒラリー・クリントン氏が勝利して、ドナルド・トランプ氏が政治の舞台から立ち去っても、今回、トランプを共和党の候補者までに押し上げた人々の不満は残されます。今後も、新たな「トランプ」的存在の登場によって既成政党へのチャレンジは続くのではないでしょうか。

暫くは、米国も社会が二極化し、従来とは異なる形で不安定な政治情勢が継続されるように思えます。

2016年8月27日 04:31

「仲間」を大切にする価値観を、競争によって形成される序列観と比較すべきなのか?:映画『二ツ星の料理人』が語る「疑似家族」

四半世紀前、私は大学の近くのとんかつ屋さんによく通っていました。もう、閉店したそうですが、そこのマスターとおかみさんは喧嘩ばかりしていたことが記憶に残っています。それでも、とんかつはとても美味しかったのです。

『二ツ星の料理人』(原題  Burnt)
制作国  米国
制作年  2015年
監督  ジョン・ウェルズ
出演  ブラッドリー・クーパー、シエナ・ミラー

あらすじ
【英国出身のシェフ、アダム・ジョーンズは、3年前までパリの二つ星のレストランで修業しており、天才的な才能を開花させていた。しかし、麻薬と酒に溺れ、全てを失って借金だけを抱えて、米国に逃れる。米国のニューオリンズのレストランで、百万個のオイスター剥きを自分に課した後、英国に舞い戻る。アダムは、パリ時代の友人で、今はロンドンで家業のホテルとレストランを経営しているトニーを訪ね、ミシュランの三ツ星を獲るからレストランを自分に任せてほしいと頼む。しかし、アダムの過去を知るトニーはアダムを信用できない。やっとのことで、トニーを口説いたアダムは、とりあえず、自分の周辺で料理人を集める。そして、パリ時代の友人エレーヌ、シングル・マザーのエレーヌ、刑務所から出所したばかりのマックス、新人のデヴィッド等との共同作業が始まるが、料理に完璧を望むアダムは、彼らの仕事ぶりに納得いかず、彼らを叱り続ける。】

この作品のストーリーは、パリで挫折した孤高の天才シェフ、アダム・ジョーンズが再起を図る話です。

アダムは過去を補うために、ミシュランの三ツ星を獲ることに全てを賭けるのですが、彼のレストランの厨房の部下たちはアダムについていくことができません。

部下たちはアダムの腕を評価しているのですが、人間性を信じることができないのです。アダムも彼らを部下としか見ることができずに、食事も一緒にしないのです。

ネタバレですが、部下のエレーヌと恋に落ちることでアダムの価値観は変わります。部下は「仲間」になり、「家族」的存在になります。当然、食事も共にするようになります。そして、彼にとって星の数は最優先課題ではなくなるのです。

本作品はレストランのシェフとしての幸せは星の数ではなく、「仲間」に巡り合うことであると語りかけてきます。

もちろん、その通りでしょう。五輪ではないのですが、メダルが全てではないのです。

ミシュランの三ツ星も、五輪の金メダルも絶対的な価値観ではないはずです。しかし、この思考によって物事の序列(ランキング)までも否定してしまうことは間違いなのではないでしょうか。

やはり、五輪ではパフォーマンスを序列化し、より頑張った人にメダルを与え、銅メダルよりも銀メダル、銀メダルよりも金メダルにより価値があるからこそ、競技が成立するのです(その権威を認めた上で、それが全てではないと語りたいものです)。

そもそも、「仲間」を大切にする価値観を、競争によって形成される序列観と比較してはいけないのではないでしょうか。

スタッフが仲良くしていたほうが結果が出る場合もありますし、その反対に「お友達」となって仲良過ぎても問題があり、(足の引っ張り合いは論外ですが)ある種の緊張関係があったほうが成功することもあるでしょう。

「仲間意識」と結果の関係は、単純な法則性はないように思えます。

2016年8月24日 05:41

五輪の帰化選手問題を考える

リオ五輪が閉幕しました。

考えるヒントは沢山ありましたが、その一つは帰化の問題です。

最終日の男子マラソンでは、日本出身のカンボジア代表「猫ひろし」こと滝崎邦明選手が、2時間45分55秒で完走しました(完走した140人中139位)。

猫選手のように母国を離れて他国に帰化された方が五輪に出場することは、特別な現象ではありません。

特に中国が圧倒的に強い卓球では顕著でした。卓球女子団体で、日本が3位を争ったシンガポールは選手全員が中国からの帰化選手であったそうです(ViRATES、8月23日)。米国代表も6人中5人が中国出身であり、ドイツも2人が帰化選手でした(産経ニュース、8月17日)。

この現象をどのように理解すべきでしょうか。

母国で五輪に参加できないなら、他国に帰化しても五輪に出てチャンスがあればメダルを取りたいと思う選手側の気持ちは分かりますし、メダルが狙える選手の帰化を受け入れる国があることも理解できます。

国家がなぜメダルに拘るかと言えば、国民が喜ぶからに他なりません(私もその1人でありますが)。そして、国民が喜ぶことは「国益」に適うと考えられているのです。

猫さんのケースはメダル狙いではないのですが、何らかの国(カンボジア)の宣伝になるとも言えます。そもそも、猫さんに帰化を持ちかけたのはカンボジアのオリンピック委員会側だとされています(ITmedia online, 2016年8月23日)。

いずれにせよ、猫さんは五輪のマラソンで完走し、最下位にならない「世界レベル」の実力を有されており、カンボジア代表として責務を果たしたことになります。

猫さんはタレントという本職もありますので、必ずしも世界各国に帰化した中国出身の卓球選手と同じではないのですが、「ある種目において実力があり、その種目の弱小国に帰化して五輪に出場した」事実は重なります。

結局、スポーツ帰化を認めるかどうかは各国の国民が決定することであるのでしょう。帰化した元外国人の力を借りてもメダルが欲しい、もしくは国をPRしたいと考えるか、そこまでしないでもよいと考えるかです。

ビジネスや学問(大学等)では否応なしにグローバルな序列化(世界ランキング)が行われています。グローバル化すればする程、全てがグローバルに序列化がされていくのです。

スポーツも各種ランキングされており、それゆえに「公正」に選手を序列化し、有力選手の「公正」な帰化も可能になるでしょう。

しかしながら、この夏の高校野球の決勝を戦った作新学院も北海高校も、「地元」出身者が殆どであったことで地元が盛り上がったことを考えると、本当の「国益(地元益)」を考えれば、五輪でメダルを取るだけのために外国人を帰化させることは良いことであるとは言えません。

私は、やみくもに帰化に反対している訳ではありません。ラグビーW杯のように有能な帰化選手(もしくは外国籍選手)が日本生まれの選手の力を全体的に向上させることもあるでしょう。

ケース・バイ・ケースではありますが、概して五輪の各種目は帰化選手を主体にした編成はすべきではないと思います。

国別の枠組みを越えたランキングによる実力の戦いは、国対抗ではない別の機会ではっきりさせるべきであるように思えます。さもなければ、五輪が純粋なスポーツの国別対抗ではなくなり、帰化力(どれだけ、その国家が世界の有力選手を帰化させる力があるのか)の競争になってしまいます。

2016年8月23日 04:49

必ず結婚しなければいけない国の自由: 映画『ロブスター』において、どうしても押しつぶされる「個」

監督の意図は分かるのですが、結末に(ある意味で非常に効果的な)違和感が残る作品があります。

『ロブスター』(原題  The Lobster)
制作国   ギリシャ、アイルランド、フランス、オランダ、英国
制作年   2015年
監督   ヨルゴス・ランティモス
出演   コリン・ファレル

あらすじ
【近未来のどこかの国。デイヴィッドは、妻が去り独り身になってしまう。その世界のルールでは、成人はかならず結婚し、家庭を築かなければいけない。独り身になったデイヴィッドは、独身者専用のホテルに強制入所させられる。そのホテルで45日以内に新しい配偶者を見つけなければ、動物にされてしまうという。デイヴィッドは、独身を経て「犬」となった兄と一緒にそのホテルに入る。デイヴィッドたちは、そのホテルで優しさ欠ける残酷な女ととりあえず結婚しようとする。しかし、女に兄の「犬」を殺されてしまったことで、その女との生活ができなくなり、事件を起こして森に逃げる。森では、恋愛禁止主義を貫く女性リーダーが率いる反体制派グループに匿われる。そのグループでは恋愛は禁止されて、結婚はタブーとなっている。デイヴィッドはそこで、自分と同じ「近視の女」と恋に落ちてしまう。】

少子化は先進国の共通の課題であり、将来、先進国に独裁的な指導者が出現すれば、この作品のように短絡的な政策を採らないとは限りません(映画『4ヶ月、3週と2日』にあるように、実際、チャウシャスク時代のルーマニアでは中絶が禁止されていました)。

本作品では、反体制派を恋愛禁止グループにすることで、政治的「家族主義」と政治的「恋愛禁止主義」を相対化させています。

それでは、第三の道として「自由な恋愛主義」を掲げるのかというと、そうでもなく、ディビットと反体制派の「近視の女」の関係も妙なのです。

ネタバレになりますが、「近視」であることが共通項であり、それが失われると2人の関係が危うくなるのです。

つまり、「家族主義」も「恋愛禁止主義」も「自由恋愛」も大変な努力なしでは成立しないことを語っています。Aも、Bも、Cもある意味で「個」を押しつぶしていくことでは共通なのです。

ただ、違いもあります。「自由恋愛」が「自由」である限り、「個」の犠牲は自由意思に基づいてパートナーや家のために行われます。

仮に「自由恋愛」が政治化されてしまい、強制的に「恋愛」をしなければいけない世界があるとすれば、それは「家族主義」と「恋愛禁止主義」と同じになってしまうのです。


結局、人は「個」を犠牲にしながら、政治化されない「恋愛関係」を守っていくことしかないのかもしれません。逆に自由とはそういうことなのでしょう。しかしながら、具体的な作品のストーリーは(もし、上記を言いたかったとしても)非常に厳しく、受け入れ難い結末です。

2016年8月22日 05:25

作新学院の優勝: 二つの「地元」の融合

第98回全国高校野球選手権大会が終わりました。決勝では栃木県代表の作新学院(宇都宮市)が南北海道代表の北海高校(札幌市)を破り、54年ぶり2度目の優勝を飾りました。

私は作新学院OBではないのですが、栃木県出身者としてこの夏の作新学院の活躍に胸躍らせながら日々を過ごしました。

前回、作新学院が優勝しました54年前の第44回大会、昭和37年は生まれておりませんでしたので、私は地元の高校が甲子園で優勝するという初めての経験をすることになりました。

優勝どころか、宇都宮工業が準優勝したのは第41回大会の昭和34年ですので、栃木県の高校が決勝で試合をしている状況が54年ぶりだったのです。

特筆すべきは、今回の作新学院のメンバーが、エースの今井達也投手も含めて基本的に栃木県出身者だったことです(「メンバー表2016夏・甲子園作新」下野新聞SOON)。やはり、自分が卒業した中学の後輩が甲子園で活躍する姿は観ますと、ついつい力が入ります。

北海高校も殆ど北海道出身だったそうですが、国内留学の是非はともかく、地元出身者が多いほうが地元との結びつきが強く、より土着的応援になっていくことはあるでしょう。

今回の甲子園は、リオデジャネイロ・オリンピックと開催時期が重なり、それ故に考えること多くありました。

オリンピックと高校野球の違いは、高校野球は当然、地元中心主義であり、「ゲマインシャフト」(共同社会)の延長に描かれます。

作新学院は、宇都宮市民にとって(OB/OGではなくても)「共同体的存在」ではあります。私学ですので好き嫌いとかはあるでしょうが、いずれにしても、そこに「ある」存在なのです。その作新が甲子園で全国制覇をした事実は、とても不思議な感覚をもたらします。

当ブログでは定期的に書かせて頂いております通り、私は(熱烈な)阪神タイガース・ファンであり、甲子園球場は別の意味で「地元」です。

ただ、関東出身にとって私にとって阪神ファンとは「ゲゼルシャフト」(選択社会)的なところもありますので、作新の優勝は二つの「地元」が重なってしまったような思いなのです(このような現象は、私だけではなく、全国の阪神ファンの方々の地元の高校が甲子園で優勝しますと感じられることなのでしょう)。

あまり多くの望むと罰が当たるのかもしれませんが、作新の150キロ右腕の今井投手はプロ志望ということですので、是非、阪神タイガースに来て頂き(作新の元祖「怪物」江川卓投手は巨人に行ってしまいました)、甲子園でプロ選手としてご活躍下されれば嬉しい限りです。

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プロフィール
安井裕司
安井裕司
エジンバラ大学、バーミンガム大学博士課程に学ぶ。その間、ルーマニア・アカデミー歴史学研究所研究生。国際政治学博士(PhD)。国連大学国際紛争研究所インターン、夏期講習クラスコーディネーター、法政大学国際日本学研究所客員研究員等を経て、現在、早稲田大学エクステンションセンター講師、日本経済大学神戸三宮キャンパス教授。
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