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グローバル化は足元からやってくる ~国際学で切り取る世界と社会~

2015年1月

2015年1月31日 19:06

旧フセイン政権の将校や政治家が、なぜ「イスラム国」建設に従事しているのか?

自由民主党は、1月26日、イスラム教スンニ派過激組織「イスラム国」の呼称について、原則として「ISIL(アイシル)(イラク・レバントのイスラム国)」か「いわゆるイスラム国」という表現を使うことを申し合わせました。その理由として、谷垣禎一幹事長は「独立国家として承認している印象を与えかねない」と説明しています(時事通信、1月26日)。

「イスラム国」(当ブログでは「」=カッコで「イスラム国」とします)を国家承認しない日本政府として、筋を通す必要があったのでしょう。

それとは別に、「イスラム国」がアルカイダとは異なり、国家建設(state-building)の最中であり、評議会や支配地区を区分けし、知事を任命するなど、一定程度、「国家」らしい形を整えていることは注目に値します(毎日新聞、2014年9月15日)。

「イスラム国」では、イラクの旧サダム・フセイン政権時代の元将校や元政治家が、指導体制の中核を担っているとされ、彼らが「イスラム国」と結びついたのは、イラク戦争後に政府軍が解体され、バース党幹部が公職から追放されたからであると分析されています(同上)。

確かに、かつて国家を運営したことがあれば、国家建設は難しくないでしょう。

しかしながらです。サダム・フセインのバース党は「アラブ社会主義復興党」の略であり、近代的な国家建設を目指す社会主義政党の一つでした。1980年から1988年の間、「原理主義」と称されたイスラム教シーア派のイランと戦争(イラン・イラク戦争)となり、米国のロナルド・レーガン政権はイラクを支援しました(後に、湾岸戦争以降、イラクは米国の敵となり、アメリカ同時多発テロ事件を経てイラク戦争に至ることは記憶に新しいところです)。

そのバース党の党員が(一部であっても)、どのようにしてあのような過激な「イスラム国」建設に身を投じることになるのでしょうか。

もちろん、フセインのバース党と、「イスラム国」には共通点もあります。バース党も、「イスラム国」も西欧列強によって(所謂、サイクス・ピコ協定によって)引かれた現国境を引き直し、アラブ民族による統一国家の建国を目標としているのです。同時に、「イスラム国」は、ネットやメディアの利用など、近代主義的な側面も垣間見ることができます。

しかし、そうであっても、「イスラム国」の人質の残虐な処刑方法は、常軌を逸しています(フセイン政権と「イスラム国」を残虐度で比較するのは意味のないことかもしれませんが、フセイン政権は湾岸戦争やイラク戦争の際でも、タレク・アジズ副首相が有名になったように、もう少し為政者が顔を出す「外交」をしていたように思えます)。

また、歴史や哲学、芸術の授業を撤廃してイスラム教の聖典(コーラン)の授業を導入する「原理主義」は(毎日新聞、2014年9月23日)、バース党の政策とはかなり異なります。

彼の地にある「国家」が、同じような人物が国家建設しながら「イスラム国」に変質してしまったのはなぜでしょうか。

現国境を決定した1916年のサイクス・ピコ協定まで戻って歴史を考察する解説もありますが、やはり、それは湾岸戦争からイラク戦争に(特にアメリカ同時多発テロ事件以降に)フォーカスしたほうがより核心に迫れるように思えてなりません。

2015年1月28日 00:13

もう一度、結婚生活をやり直せるのか:映画『君への誓い』の挑戦

人生をやり直す秘訣は、過去を過去として認識し、「やり直す」のではなく、むしろ、新たに「挑戦する」と覚悟することなのかもしれません。

『君への誓い』(原題:  The Vow)

制作国 米国
制作年 2012年
監督   マイケル・スーシー
主演   チャニング・テイタム、レイチェル・マクアダムス

あらすじ
【絵にかいたようなお金持ちのお嬢様であったペイジは、婚約者までいたが、家出のような形で親元を離れ、自分の道を歩み始めていた。ある日、音楽スタジオを経営するレオと巡り合い、恋に落ちる。2人は、親しい仲間に囲まれて結婚するが、直後に交通事故に遭う。命は助かったものの、ペイジだけが記憶を失うことに。特に、レオと出会ってからの数年間が消えてしまい、ペイジはレオを他人のように扱う。しかしながら、お嬢様時代の記憶は残っており、両親の元に帰ることになる。ペイジの記憶が戻らないと悟ったレオは、出会いからやり直すことを決意するが、ペイジを取り戻した両親や婚約者がレオの邪魔をする。】

「もう一度、生まれ変わってもあなたと結婚します」という台詞は、ドラマの常套句かもしれません。

しかし、実際、やり直すのがいかに困難であるかを、この実話がベースの映画は教えてくれます。つまり、人が出遭い、合意の下に時間を共有するというのは、(それが異性であっても同性であっても、友人でも恩師でも先輩でも後輩でも)極めて偶然性が高いのかもしれません。

レオは、果敢に、その「もう一度」を試みます。前回と同じように、ペイジを誘い、同じ店に行き、同じようにアプローチするのです。

確かに、一定の効果はあるのですが、本来の目的を達成するまでにはいきません。

状況としては、ペイジが記憶を忘れているという現実は不利ですが、ペイジが、かつて自分がレオと結婚していた(らしい)ことを知識として知っているのは、ある意味でレオにとって「有利」でもあります。

そして、物語は、ペイジが自分と自分の家族の歴史を知ることで、レオに味方することになります。それでも、元夫婦の二人は過去と「同じ」にはなれません。

結局、記憶を失っている状況は、時間が止まっているのでも、時間が過去に戻るのでもなく、時計の針は進んでいることを、この物語は示しています。

時間を経た二人として、新たな人生を切り開くしか二人の将来はないのです。

全ての記憶は、過去です。やはり、過去を全く同じように「もう一度」再現することはできません。しかし、それでも、意志さえあれば、(多少違った道を歩んでも)同じように「前向き」に生きることはできるのでしょう。


2015年1月25日 14:17

問われる日本のアイデンティティ

今月上旬に起こりましたフランスのテロ事件のリアクションを見ておりますと、当事国のフランスや他の欧米諸国では、「表現の自由」を守ろうという声が強いのに対して、日本では「表現の自由」はあっても節度はあるだろうという自主規制を求める意見が多いように感じられました。

もちろん、欧米でも自主規制派はいますので、(大体)どちらが多いかということになります。

このような「自由」に対する反応の違いは、日本が欧米化、近代化しながらも、日本がヨーロッパではないことを示してもいるように観られました。

日本の立ち位置は、明治以降、非常に「曖昧」ではあります。欧米化しながら、同時にアジア的でもある(逆に言えば、欧米でもアジアでもない)「曖昧」さは、日本の魅力でもあり、「クール・ジャパン」ブームにも繋がっているように考えます。

言い換えれば、日本は、欧米人にとってもアジア人にとっても距離感が近く、「味方」のようにも思え、同時に、時に遠く、「敵」にもなり得ます。

「イスラム国」が、現地でジャーナリストの後藤健二さんと民間軍事会社代表の湯川遥菜さんを拘束し、2015年1月20日に72時間以内に身代金の支払いがない場合、2人を殺害すると宣言しました。

「イスラム国」の日本への敵視は、安倍晋三首相が1月17日、「イスラム国」対策としてイラクやレバノンなどに2億ドルの支援を行うとエジプトの首都カイロで発表したことを、その理由としています。

国際関係から考えれば、安倍首相が、欧米諸国と足並みをそろえて「イスラム国」対策をすべきだと考えるのは当然かもしれません。しかし、同時に日本には、欧米諸国と同調して軍事力の行使や経済的支援をすべきではないと考えている人もいます。

このような背景の一つには、日本の非欧米性があるようにも思えます。「イスラム国」の味方をしたいと考えている日本国民は殆どいないと思いますが、少なからずの日本人が、日本が「イスラム国」と「戦うこと」にリアリティを感じられないのではないでしょうか。

実際、「イスラム国」の最初の声明におきまして「日本国民に告ぐ。おまえたちの政府はイスラム国と戦うのに2億ドル支払うという最も卑劣な決定をした。おまえたちには、この日本人らの命を救うのに2億ドル支払うという賢明な判断をするよう政府に迫る時間が72時間ある。さもなければ、このナイフがおまえたちの悪夢となるだろう」と告げられた際、大半の日本人は、日本が「イスラム国」の「敵」であったことに初めて気付いたのではないでしょうか。

つまり、日本の魅力である文化的な「曖昧性」が、国際政治的には機能しないのです。

もちろん、それは「イスラム国」がアジアを代表していることを意味せず、また、近代化の度合いによってアジア諸国も日本同様、アイデンティティを問われる度合いが強まっていきます。それは、外国人が流入している「イスラム国」のアイデンティティも例外ではないでしょう(昨今のグローバル化によって、西欧諸国もアイデンティティ・クライシスを迎えており、それは、多かれ少なかれ、世界中の国に共通する課題なのです)。

それでも、日本政府と日本国民は厳しい状況の中で、アイデンティティが問われていることに変りありません。

それは、イスラム国の「敵」になるのか「味方」になるのか、欧米諸国に追随するかどうかを決めることではありません(この選択を議論する余地はないでしょう)。いずれの道を選択しても、私たちが主体性を持ち、自覚するということなのです。

グローバル化によって各国国内が格差化する中で、どこの国でも、国民としての一元的な集団的アイデンティティを確立・維持するのは多難になります。しかしそれでも、国家という枠組みがある限り、(たとえそれが「曖昧」であっても、それを自覚し)主体的なアイデンティティの構築が求められるように思えます。

2015年1月24日 23:48

章、賞を受けるということは、アイデンティティを付加する(明確化する)こと

サザンオールスターズの桑田佳祐さんがバッシングを受けています。

桑田さんは大晦日に開催しました年越しライブ(一部は紅白歌合戦で中継)におきまて、昨年秋に受章した紫綬褒章をポケットから取り出し、観客に対してオークションに掛けるようなパフォーマンスをしたとされます。

桑田さんご本人も、「感謝の表現方法に十分な配慮が足りず、ジョークを織り込み、紫綬褒章の取り扱いにも不備があったため、不快な思いをされた方もいらっしゃいました」、「深く反省するとともに、謹んでおわび申し上げます」と謝罪しています。

一部で指摘されているように、桑田さんは紫綬褒章を受けることの意味を十分に理解していなかったのかもしれません。

そもそも、大小にかかわらず、章や賞を受けるということは、自らに何らかのアイデンティティが付加されることを意味します(ノーベル賞でも、その経緯から、受賞者はダイナマイトの平和利用に反対はできないように考えます)。

無色透明のニュートラルなものなどは、無いのです。私たちは、日々選択をして、日々、自分に色を付けているのです。章や賞は、その最大のものの一つと言えるのではないでしょうか。

ビートルズはその活躍によって、1965年6月、大英帝国勲章(MBE)を受けましたが、ジョン・レノンは4年後、英国のナイジェリア内戦への介入に抗議して勲章を返上しています。他のメンバーは返していませんので、ジョンは覚悟しての行動なのでしょう。

もちろん、女王から叙勲されたとしても、英国政府を批判してはいけない訳ではありません。ジョンよりも、穏健なポールでさえ、1972年1月の北アイルランドで発生した「血の日曜日事件」では、英国政府の対応を批判しています。女王に敬意を表することと、政府批判は別なのです(英国では政府が変わっても、立憲君主制である限り、女王は君臨します)。

この文脈ではジョンのほうがシンプルで、ポールのほうが難しいことをしていることになります。ただ、ジョンもポールも間違ったことをしているとまでは言えません。アイデンティティの問題なのです。

私は、桑田さんが安倍政権の外交等を批判することは、仮に桑田さんが愛国者であったとしても矛盾しませんし、紫綬褒章の受章とも矛盾しないと考えます。逆に、安倍政権を支持しながら、紫綬褒章は頂かないという選択も許されるでしょう。ただ、紫綬褒章を受けた後で、それをちゃかして、その上で、安倍政権を批判するのは、意味不明です。

実は、何よりも桑田さんの行為が問われるとすれば、紫綬褒章の(結果としての)「政治化」であると思われます。もし、このような騒動になることが分っていれば、ロック界からの異例の受章と言われました桑田さんへのオファーは無かったのではないでしょうか。

同章は(芸能界にて活躍した方に対しては)政治性を問わず、広く授与されてきたように思えます。そのような意味で、同章も、政治的な無色化を理想としていたのかもしれません(今回の一件を社会現象として捉えれば、無色化が困難なの時代の到来を示しているとも言えます)。

今後、同章を受けるということは、よりアイデンティティが問われることになるように認識します。

桑田さんは、受章の際、以下のように述べています。

「デビュー以来ずっと目立ちたい一心で、下劣極まりない音楽をやり続けてきた私が、このような高貴な章をいただけるとするならば、そんな音楽を喜んでくださったたくさんのファンの方々と、大衆芸能を導いて来られた数多の偉大なる先達たちのおかげであると、心から感謝いたしております(『音楽ナタリー』11月2日)」。

本来、桑田さんは、ご自身もロック界の「偉大なる先達」となり、無色透明に後進を導く役目を担っていたのかもしれません。

「パンドラの箱」(それを許さない状況)が開いてしまったようにも見えます。


2015年1月21日 23:38

「王女」としてのオードリー・ヘップバーン

先日、当ブログ(2015年1月14日付)において映画『ローマの休日』を採り上げました。

ヨーロッパ諸国歴訪中の若き王女様が、ストレスと興味からローマにて単身、市内に繰り出して、米国人ジャーナリストと仄かな恋に落ちる物語です。

本作品を久しぶりに観なおした理由は、早稲田大学エクステションセンターの担当講座『映画から読み解く英米社会』にて、同じオードリー・ヘップバーン主演の映画『マイ・フェア・レディ』と比較したかったからです。

オードリーは、初の主演映画であった1953年の『ローマの休日』でアカデミー賞主演女優賞を獲得します。しかし、円熟味を増している1964年の『マイ・フェア・レディ』は歌が吹き代えるとなり、アカデミー賞にはノミネートさえされていません。オードリーはその数年後から映画界からしばらくの間、消えます。

歌が得意ではないにもかかわらず、オードリーが『マイ・フェア・レディ』の主役イライザを演じることになったのはなぜでしょうか。それは、『マイ・フェア・レディ』の終盤においてイライザは、社交界で「ハンガリー王女」に見間違えられる程のレディに変身する姿を演じるシーンがあり、当時の制作側と観客が『ローマの休日』の王女役のオードリーのイメージを持ち続けていたことがあるように思えます。

結果として、オードリーにとっては大変不幸な作品になってしまいます。

80年代後半、オードリーは、ユニセフの親善大使となり、献身的に恵まれない世界の子供たちのための援助活動に参加します。

欧米では「ノブレスオブリージュ」(noblesse oblige)という言葉を良く耳にします。

高貴な人(裕福な人、有名な人など、米国では広く「セレブ」と言い換えられ、概して一般の人よりも恵まれている人が該当します)は、自分のためだけではなく、社会のために貢献する義務があるという考え方です。

逆に言えば、人のため、社会のために尽くす人ほど、高貴な人と言えるのかもしれません。

そういう意味では、オードリーは最後まで「王女」的な生き様をしたように思えます。

『マイ・フェア・レディ』という作品は、映画の(非日常の)中のお姫様であったオードリーが、実社会の(日常の)「王女」になるターニングポイントだったのかもしれません。

そして、一度、映画の世界で「王女」になってしまった彼女が「日常」を取り戻すには、(実世界において「王女」的であり続けるには)映画の世界に見切りをつける必要があったのかもしれません。


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プロフィール
安井裕司
安井裕司
エジンバラ大学、バーミンガム大学博士課程に学ぶ。その間、ルーマニア・アカデミー歴史学研究所研究生。国際政治学博士(PhD)。国連大学国際紛争研究所インターン、夏期講習クラスコーディネーター、法政大学国際日本学研究所客員研究員等を経て、現在、早稲田大学エクステンションセンター講師、日本経済大学神戸三宮キャンパス教授。
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