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グローバル化は足元からやってくる ~国際学で切り取る世界と社会~

2014年12月

2014年12月31日 00:00

何もできないから愛さえあればいいのか、愛があれば何でもできるのか?

当ブログ2014年11月 5日付で、神戸に「All You Need  Is Kobe」とデザインされたマンホールの蓋があることを紹介しました。ビートルズが1967年に発表した名曲「愛こそはすべて」(All You Need Is Love)(作詞作曲 ジョン・レノン/ポール・マッカートニー)をもじったものですが、この原曲の訳がなかなか難しいのです。

サビの部分は有名なAll you need is love, love , love.  Love is all you need.なのですが、その前の段階が翻訳者泣かせのようです。

歌の出だしは、There's nothing you can do that can't be done.です。
この1行目をどう理解するかで、歌全体が変わってしまいます。

なぜならば、その後、同じパターンで、以下のように続くからです。
Nothing you can sing that can't be sung. 
Nothing you can make that can't be made. 
No one you can save that can't be saved. 
Nothing you can know that isn't known. 
Nothing you can see that isn't shown.

さて、その冒頭の1行です。Sundelight氏のブログ(2011年11月13日)に詳しく解説されていますが、訳は大きく「できない派」と「できる派」に分けられます。

「できない派」では、There's nothing you can do that can't be doneを「できないものは何もできない」という意味で訳して展開されます(以下、goigoi氏のブログ「続・All You Need Is Love」『やさしいThe Beatles入門』2008年12月7日付も参照)。

「不可能なことをやろうったって無理だ」(内田久美子氏訳)
「出来ないことはあなたにも出来ない」(岩谷宏氏訳)
「できないことはやっぱりできないよ」(深川ぼたん氏訳)
「できないことは何もできない」(壺齋散人氏訳)

この場合、できないものはできないけど、「愛があればいいのさ」という歌になります。

「できる派」では、There's nothing you can do that can't be done.を前者とは正反対に「できないものは何もない」と訳します。

翻訳者の秋山直樹氏は形容詞節 that can't be done も、 nothing を修飾していると捉えます。There's nothing that can't be done. は二重否定でとなり、「不可能なものはない」、「何でもできる」ということになります(Sundelight氏のブログから)。

この他、「できる派」もネット訳で数多く観られます。

この場合、歌全体として「愛があれば、できないものはない」という意味になります。

「できない派」、「できる派」それぞれプロの翻訳家の解釈が分かれており、私ごとき素人が結論を出すことはできません。

しかしながら、この曲の需要のされ方から考察することはできるように思います。

You Tubeには世界(アジアとアフリカ)の子供たちがこの「All You Need Is Love」を歌っている動画あります。
https://www.youtube.com/watch?v=ypS2KB15D_A (SOS Children's Villages)

彼らの歌声を聞くと、この曲は、愛さえあれば「何でもできる」ではなくてはいけないように思えてきます。現実はどうか分かりません。少なくても、ビートルズ(を歌う子供たちに)はそう歌っていて欲しいものです。

皆様、良いお年をお迎え下さい。

2014年12月28日 00:42

意図的に記憶を消せるとすれば?:映画『エターナル・サンシャイン』が提示する理想の男女関係

2014年も、もう残り僅かとなりましたが、今年も、多かれ少なかれ消したくなるような記憶が脳裏に刻まれたように思います(忘年会とは素晴らしいネーミングです)。しかしながら、私たちは、(生きるために)自分に都合の悪い記憶を、自然に消していっているとも言われます。もし、計画的に意図的に記憶を消せるとしたら、人生は楽になるのでしょうか。

『エターナル・サンシャイン』(原題:  Eternal Sunshine of the Spotless Mind )

制作国   米国
制作年   2004年
監督   ミシェル・ゴンドリー
主演   ジム・キャリー、ケイト・ウィンスレット

あらすじ
【素敵な女性クレメンタインに出遭え、幸せを満喫していた独身男性ジョエルは、ヴァレンタイン・ディの前にそのクレメンタインと喧嘩してしまう。ジョエルは、関係修復のために、プレゼントを持ってクレメンタインが働く駅前の本屋に行くと、彼女はジョエルを全く知らない他人であるかのように扱う。後に、ジョエルは、(2人の関係に不満を抱いていた)クレメンタインが、自らの意志で記憶を消す手術を受け、ジョエルとの思い出を清算したことを知る。ジョエルも、同様の手術を受けることを決意するが、手術中に彼の意志が変わり、ジョエルは意識の中で手術に反抗する。】

結局のところ、この映画では、「愛」とは、日常の平凡さを受け入れることによって成立すると主張しているかのようです。

本映画の中で一般化される恋愛とは、奇跡的な出会い(殆ど全ての出会いは奇跡です)、燃えるような求愛、安定的な平穏な幸せ、そして、訪れる退屈な日々では、互いの良かったところが全て凡庸に見え、時に嫌悪に変化します。このパターンを、映画ではコンパクトに見せてくれるのです。

そして、本作品では、上記のパターンを前提に、記憶を消すクリニックを登場させ、主人公にその手術に反抗させることで、逆に恋愛の退屈さを受け入れ、退屈を超えたところに真の「愛」を見出しています。

理想の関係性とはまさにその通りなのかもしれません。しかし、現実にはその境地に辿りつくのは困難であるでしょう。

記憶を消すクリニックという荒療治を出さなければ、物語の主人公も上記に気付かなかったとすれば、多くの人々は、この映画の主人公のステージには辿り付けず、意図せずに自らの記憶を失い(思い出を忘れ)、同じことを繰り返すのかもしれません。

そういえば、関西で人気の『探偵ナイトスクープ』(11月21日放送)と言う番組で、ベテラン夫婦の奥さんにラブレターを保存していますかと尋ねる企画がありました。多くの方々がラブレターをキープしていて驚きました。

人は記憶喪失に抗うために書くのかもしれません。

2014年12月27日 00:08

左右イデオロギーの終焉

今回の衆議院議員総選挙において、人生で初めて自由民主党に投票した知人と、人生で初めて共産党に投票した知人がいます。両者は、今まで無党派層であり、それ程、日頃の主張が違うとは思えません。このように選挙区の候補者の関係で、投票先が自民党になったり、共産党になったりすることは、今後、珍しいことではなくなるのでしょう。

当ブログにて、グローバル化は日本にも(他の先進国同様の)格差社会をもたらすと記してきましたが、それは必ずしも従来のイデオロギーの時代に戻ることを意味しません。

急進的な政党が支持を増やすとしても、左翼、右翼というような単純な峻別ではないのです。

日本において(グローバル経済での勝ち組を目指す)アベノミクスを推進する自民党が急進的勢力の受け皿になっていることは、とてもユニークなのですが、自民党と共産党は賃上げなどでも主張が重なり、「水と油」程の違いはないのでしょう(日本共産党は、消費税に反対し、法人税を引き上げようと主張していますので、税制政策では大きく自民党と異なります)。

海外からのニュースでも、旧来のイデオロギーの終焉を実感しました。

12月17日、米国のオバマ大統領が、キューバとの国交正常化交渉に入ることを発表したのです。国交正常化することは時間の問題だったかもしれませんが、その「時間」を問うならば、キューバの指導者でありますフィデル・カストロ氏の存命中に、このようなニュースを耳にするとは予想できませんでした。

今後、米国はキューバの首都ハバナに大使館を開設することになりますが、実際には、1977年以来、米国はハバナに「利益代表部」を置いておりますので看板を書き換えるだけとも言われています。

イデオロギーの戦いとは、結局、実利ではなく、面子の問題だったのかもしれません。

共産主義諸国の全体を考えましても、共産主義諸国が、1980年代、90年代に市場主義を導入して以降、資本主義諸国と「対立」する場合も、従来の(理論上の)イデオロギー問題ではなくなってきたように感じます。

しかし、同時に、グローバリゼーションとオートメーションの時代において先進諸国も途上国も格差社会化していき、(負け組が多くなれば多くなるほど)民主主義国家において、政治は右も左も急進化していくように考えられるのです。

イデオロギーなき急進化現象において、敢えて何らかの「主義」を見出すとすれば、民族主義と社会主義の混合であるように思えます。しかしながら、国家や企業は、グローバル経済の中で生き残るために、新自由主義的になって行かざるを得ません。

暫くは、各国・各地域で政治的混沌が続くのではないでしょうか。

2014年12月24日 14:52

恋人たちのクリスマスは終ったのだろうか?

クリスマス前になりますと、山下達郎氏の『クリスマス・イブ』を街で耳にする機会が多くなります。

同曲が発表されたのが、1983年12月ですのでもう30年以上、日本のクリスマスを歌ってきたことになります。

クリスマスソングとして同曲の定番化を促したのは、JR東海が1988年 -1992年のクリスマス時期に展開していた「クリスマス・エクスプレス」シリーズであるように思えます。

簡単で纏めると、長距離恋愛をしている2人がいます。クリスマス・イブに男性が彼女に会うために新幹線に乗ってくるのです。

このシリーズの土台には、1980年代、新幹線を利用した毎週末の遠距離恋愛が時代の風物詩となっており、ドキュメンタリーやCM等に採り上げられていたことがあります(JRにはCM「シンデレラ・エクスプレス」シリーズがありました)。離れ離れに暮らす恋人たちは週末を東京(もしくは地方都市)で過ごし、泣きながら別れを惜しみ、どちらかが日曜日の最終新幹線に乗り込むのです。

1988年からのCM「クリスマス・エクスプレス」シリーズには山下達郎氏の『クリスマス・イブ』が効果的に使われています。

雨は夜更け過ぎに
雪へとかわるだろう
Silent night, Holy night 
きっと君は来ない 
ひとりきりのクリスマス・イブ 
Silent night, Holy night
(1983年発売アルバム『MELODIES』収録、 作詞、作曲 山下達郎)

駅(家)で彼を待つ女優は、1988年は深津絵里さん(キャッチフレーズは「帰ってくるあなたが最高のプレゼント」)、1989年は牧瀬里穂さん(「ジングルベルを鳴らすのは帰ってくるあなたです」)、1990年は高橋リナさん(「どうしてもあなたに会いたい夜があります」)、1991年は溝渕美保さん(「あなたが会いたい人も、きっとあなたに会いたい」)、1992年は吉本多香美さん(「会えなかった時間を今夜取り戻したいのです」)が演じています。

しかしながら、この人気CMシリーズは、バブル経済の終焉と共に終わり、1992年が最後となります(2000年に1度だけ復活しますが、総集編のような位置付けでした)。

この1年間、私は仕事で新幹線を乗り続けましたが、遠距離恋愛の若いカップルを見ることは殆どありませんでした。遅い時間の新幹線は、(私も含め)出張で疲れ切った中年男性が主客になっているように思えます。

若きサラリーマンの前段階であります大学生に関して申せば、今日は、自宅通いの学生が殆どですので、他の地方出身者との出会いは少なくなっています(『平成24年度学生生活調査結果』によれば、東京の大学生の自宅からの通い率は75.2%、『早稲田大学学生生活調査報告(2012年度)』によれば、現役、早大生のうち自宅から通える東京・神奈川・埼玉・千葉出身者率は70.7%です)。

就職も地元でしてしまえば、遠距離恋愛が成り立ちません。

そもそも、遠距離恋愛どころか、多くの若者が恋愛をしていません。2011年に公表された「出生動向基本調査」(国立社会保障・人口問題研究所)によれば、2010年において18~34歳の未婚で異性の交際相手がいない割合は男性61.4%、女性49.5%でした。

クリスマスが恋人たちの時間である必要はありません。長距離恋愛も無ければ無いほうが良いでしょう。しかし、もし、若い恋人たちのクリスマスが変質しているとすれば、それはそれで何か別の問題を暗示しているようにも思えてきます。

2014年のクリスマスも、例年通り、名曲「クリスマス・イブ」が街で流れています。

2014年12月21日 04:52

『運命』は変えられるのか?:映画『アジャストメント』における人生の「選択」

2014年の日本、『妖怪ウォッチ』の大ヒットで、子ども世界では、殆ど全ての出来事は「妖怪」のせいになりました。

『アジャストメント』(原題  The Adjustment Bureau)
制作国 米国
制作年 2011年
監督 ジョージ・ノルフィ
出演 マット・デイモン、エミリー・ブラント

あらすじ
【米国上院議員選挙で敗れた政治家デヴィッド・ノリスは、敗戦会見の直前、バレエダンサーの女性エリースと出会い、互いに惹かれあう。しかし、二人は、人々が運命通りになるように導く「調整局」のエージェントたちによって引き裂かれる。デヴィッドは、将来、大統領になって米国民を指導する運命であり、エリースは、米国を代表するバレエダンサーになる定めであるが、二人が結ばれてしまうと、二人はそれぞれの運命から外れてしまうという。そんな話を信じられなかったデヴィッドは、エリースを追い求めるが、やっと再会した彼女が練習中に突然、捻挫してしまい、「運命」と直面し、悩みながらも、最終的な決断をすることになる。】

原作は、フィリップ・K・ディックの1950年代の短編小説です。

愛を取るか、キャリアを取るかという「人生の選択」は古典的でありますが、今日的にはあまり有効ではないように思えます。

政治家デヴィッドが、バレエダンサーであるエリースが結婚すると、なぜ、二人の夢を諦めなくてはならないのか、物語の中で説得力のある説明がありません。むしろ、どちらかが主婦、主夫となることで、どちらかが夢を諦めなくてはいけないというならば、(それでも時代錯誤ですが)少しは分かりますが。

確かに、人生は「選択」の連続です。「選択」によって人生は大きく変わります。

しかし、多くの場合、AかBを選ばなくてはいけない時、AもBも結果が分からないのです。この映画のように、半分の結果が分っている「選択」は、仮に辛くても、ある意味では(一般的な人生の選択よりは)選び易いように見えるのです。

更に、映画の主人公のように「運命」に逆らうことが可能ならば、決められている「運命」自体が絶対ではないことにもなります。つまり、本作品では、(「調整局」が「運命」を書き換えたことになっていますが)「運命」の絶対性が否定されていることになります。

もっとも、社会学的には、グロバリゼーションによって世界各国が格差社会化している今日、人々の「選択」が階層的に限定されており、「選択」してもどれでも同じような結果となってしまうことが問われているのでしょう。富裕層はどの道を歩んでも成功してしまい、貧困層はどの道を歩んでもとても厳しいのです。

「格差」がこの映画で言うところの「アジャストメント」として機能してしまい、人々の「選択」が、限定されることこそが、今日の課題であるように思われます。

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プロフィール
安井裕司
安井裕司
エジンバラ大学、バーミンガム大学博士課程に学ぶ。その間、ルーマニア・アカデミー歴史学研究所研究生。国際政治学博士(PhD)。国連大学国際紛争研究所インターン、夏期講習クラスコーディネーター、法政大学国際日本学研究所客員研究員等を経て、現在、早稲田大学エクステンションセンター講師、日本経済大学神戸三宮キャンパス教授。
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