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グローバル化は足元からやってくる ~国際学で切り取る世界と社会~

2014年11月

2014年11月30日 09:03

安定感のある野党(s)が欲しい

2014年11月23日付の当ブログにて「解散総選挙は、大義がないのか?無駄遣いなのか?」というタイトルで、今回の解散総選挙について書きました。

選挙が無駄かどうかは、有権者の投票行動次第である、「野党に投票して今回の選挙を行ったことに批判票を入れることもできるのだから」と記しました。

顔馴染みの洋食屋さんのマスターのA氏にこの話をしたところ、「先生、選挙に行けというのは、分かりますけど、入れるところないですよ」と言われてしまいました。

選挙のたびに問われる、この「入れるところない」問題とは、結局のところ、野党に魅力がないということになります。

A氏が政権与党を支持していれば、もしくは、政権与党を不支持だったとして野党に支持政党があれば、投票行動に悩むことはありません。

しかし、政権与党を支持せず、政権交代を担えるしっかりした野党が(A氏の頭の中に)存在しない場合、どこにも入れられなくなってしまいます。

確かに、現在の野党は、2009年8月30日の総選挙の際、野党第一党・民主党にあったような期待感が十分にあるとは言えないのかもしれません。

その証拠に、このままでは勝てないということで、野党同士で選挙協力、候補者調整が始まっています。

選挙ですので、選挙区において与党候補との主張に大きな違いがありながら、野党候補者が何人も立候補してもあまり意味がありません。ですから、野党が選挙協力をして悪いはずがありません。

しかしながら、どうも、違うような気もします。

与党に対して、「闘う」という一点において選挙協力が行われるのでしたら、いつか来た道になってしまうのではないでしょうか。

全ては同じではなくても、政策の方向性の一致が欲しいと思います。今日において政治的選択の幅はあまり大きくなく、方向性の一致は難しいことではないと思います(与野党の政策の幅が無さ過ぎますと、またそれはそれで問題でもありますが)。

現野党がバラバラのまま選挙で負けても良いとは申しません。しかし、反与党ならば何でもありは、もう有効ではないように見えます。

民主主義の充実には、何と言ってもしっかりした野党の存在が前提となります。

自民党が、野党時代、素晴らしい野党であったとは言えないかもしれませんが、敵失があったとはいえ、2009年からの野党経験が、与党となった現在、無駄にはなっていないのではないでしょうか(党内における政策の一致という観点からは課題があるのかもしれませんが)。

現与党・現野党が勝っても負けても、総選挙後は(新)野党の活躍に期待したいと思います。


2014年11月26日 01:00

やっと見えてきた香港デモにおける「大人の顔」

当ブログ2014年11月 8日付の「人は真の「自由」を得るために、学び続けなければならない」で記しました通り、香港の民主化デモには違和感を覚えていました。

私自身は香港が制度のみならず、本質的に民主化されることを望んでいます。

しかしながら、十代の大学学部生が政治の舞台の最前線に立たされていることを観ると、香港の大人は何をしているのだろうと思わずにはいられなかったのです。

アジアの大学進学率が急速に伸びている今日、今の大学生は、20年前の高校生程の競争力しかありません。

香港の大学進学率は中国本土よりも低く、2012年において約20%ですので、比較的エリート性を担保しているかもしれませんが( "Distribution of Educational Attainment of Population Aged 15 and Over", the Education Bureau, the Government of Hong Kong Special Administrative Region)、OECD平均は約60%となっています(OECD "Education at a Glance 2014")。激しい競争の中、先進国の大学生は、(それぞれの国の昔の大学生よりも遥かに)多くを学ばなくてはならないのです。

デモを伝えるマスコミ側としては、おそらく、若さは「見栄え」するのでしょうが、やはり、彼らは大学の教室に帰るべきです。もっと勉強してから、もっと知識を得てから、社会に出て、物申すべきです。

事実は分かりませんが、彼らの行動は、何か「動かされている」ように感じていました。ある意味で香港政府と同じように思えたのです。むしろ、「大人の理由」で動く、香港政府とは異なり、青年たちはストレートに見える分だけ「痛さ」がありました。

香港の新聞であります「蘋果日報」(電子版)によりますと、2014年11月23日、香港のデモを呼びかけた香港大法学部准教授の戴耀廷氏ら発起人3人が、法治尊重の姿勢を示すため、2014年12月5日に警察に「自首」し、民主派の学生団体と協議を進め、街頭占拠デモの早期収束をめざす意向であるということです(産経新聞、2014年12月23日)。

少し遅かったかもしれませんが、やっと「大人」が全面に出てきて良かったように思えます。

9月下旬から香港の中心街で始まったデモは、11月下旬となり、早くも2ヶ月過ぎました。

福沢諭吉ではありませんが、「ペンは剣よりも強し」です。市民社会におけるダイレクトアクションを全面否定するつもりもありません。ただ、長い目で見れば、香港のような先進社会では、やはり、ペンのほうが「強い」のではないでしょうか。

学生は十分です。彼らは、「学び」を基本としたペンの日常に戻るべきです。

今度は、香港の大人たちの「成熟した政治」を観てみたいものです

2014年11月24日 23:50

「たとえ世界が滅びるとも正義は行われるべきである」:映画『ベル ある伯爵令嬢の恋』における法の精神

タイトルよりも骨太の映画です。

『ベル ある伯爵令嬢の恋』(原題:  Belle)

制作国 英国
制作年 2013年
監督   アマ・アサンテ
出演   ググ・バサ=ロー、トム・ウィルキンソン、サム・リード

あらすじ
【18世紀のイングランド。海軍士官のリンジー卿は、当時戦争中であったスペインの奴隷船を拿捕した際、その船に乗っていた黒人女性と恋に落ちて、後に一人娘ベルが生まれる。リンジー卿は、ベルが4歳の時に、叔父で主席裁判官のマンスフィールド卿に彼女の養育を託し、海に戻る。直後に、リンジー卿は戦死してしまうが、巨額の遺産を、ベルに残す。マンスフィールド卿は、ベルの肌の色に躊躇しながらも、法的根拠によって彼女を養育することにする。やがて、徐々に自分の娘のように感じるようになり、やはりマンスフィールド卿に預けられている(ベルと1歳違いの)従妹のエリザベスと同様に扱うようになる。しかし、その肌色ゆえ、ベルは成人しても社交界でのディナーに同席を許されず、家の中でもゲストと食事もすることができない。ベルは、どうにもならない現実に直面する中、ある日、法律家志望の青年ジョンと出会い、奴隷船ゾング号で起こった黒人奴隷をめぐる非人道的事件について知る。事件は裁判沙汰になり、父親代わりのマンスフィールド卿が判決を下すことになる(第6回京都ヒストリカ映画祭ホームページ参照)。】

実話に基づく歴史映画です。

黒人奴隷の女性とイングランド海軍将校とのハーフであるベルは、マンスフィールド卿に貴族のレディとして育てられ、高額な遺産を相続しながらも、肌の色のために「差別」されます。

同じくマンスフィールド卿に育てられた従妹のエリザベスは、貴族なのですが相続する遺産がなく、別の意味で「差別」されるのです。

ある時、金持ちの「黒人貴族」と貧乏な「白人貴族」の2人が姉妹のように絵に描かれ、マンスフィールド邸に飾られることになります。

このような複雑な状況の中、主席裁判官のマンスフィールド卿は、飽くまでも法律に従って難局を乗り越えようとします。

マンスフィールド卿は「たとえ世界が滅びるとも正義は行われるべきである」(Fiat justitia ruat caelum)と言います。仮に、法が現実にそぐわなくても、法に照らして正しいことは法を執行するものによって守られるべきであるという考え方です。

マンスフィールド卿は、ベルを自分の娘のように愛します。しかしながら、彼は最初から最後まで法に仕える身から逸脱することはありません。

人間ドラマと法解釈が重なり、作品を彩ります。

貴族化された黒人女性の悲哀は、黒人全般に対する「差別」とは次元が異なるかも知れませんが、これはこれでイングランドの法律家の頑固さの中に大切なことを学べる映画です。

2014年11月23日 00:49

解散総選挙は、大義がないのか?無駄遣いなのか?

11月21日、衆議院が解散されました。来月、約2年ぶりの総選挙となります。

今回の解散総選挙は、「なぜ今なのか」と時期が問われています。

民主党の海江田万里代表は解散が噂されていた段階で、街頭演説を行い、「国民の信を問う大義名分がない。大義なき解散・総選挙だ」と批判していました(民主党ホームページ、11月18日)。

また、維新の党・江田憲司代表も「景気が確実に後退局面にあるなかで、解散する意味がどこにあるのか」、次世代の党の山田宏幹事長も「解散をする理由がいま一つ不明だ」と指摘しています(ANN News、11月19日)。

更に、みんなの党の浅尾慶一郎代表も「消費増税凍結は賛成だが、それに対応するためにやるべきことが多くある。解散は大義がない」と語っています(同上)。

私は、この選挙はやるべきであると考えます。ただ、その上で、やはり、なぜこの時期であったのかは疑問が残ります。

私はもっと早いほうが「国民に信を問う」選挙になったように考えます。

例えば、昨年12月に安倍政権が特定秘密保護法を強行採決した後、もしくは、今年7月に集団的自衛権の行使を容認する閣議決定をした後でしたら、「大義」が今よりもあったように感じます。

しかし、やらないよりは、たとえ今でも、やったほうが良いのではないでしょうか。仮に野党の選挙準備が整っていないとしても、それは、野党の責任であり、安倍政権の問題でも、民主主義の問題でもありません。

別の批判としては、今回の選挙が何百億円もかかると、コスト面を指摘する声があります(朝日デジタル、11月15日)。選挙にお金がかかることは仕方ありません。もし、任期満了前の解散を財政的な理由で阻止してしまうと、解散権自体が否定されてしまいます。

民主主義はお金がかかりますが、民主主義国家であることはコスト以上の政治的、社会的ベネフィットがあると考えるべきです。

このコストをより有効に活用するには、私たちが選挙に行き、投票するということです。投票率が低くとも、コストは安くなりません。私たちが選挙に行かないことで、むしろ、総選挙が「無駄遣い」になってしまうのです。この選挙を、無駄にするかどうかは、私たち次第です。

それぞれの立場で、さまざまな意見があると思います。それらの意見を政治的なメッセージにするためには、(間接)民主主義制度においては、立候補するか(立候補して投票するか)、もしくは、投票のみで態度を示すしかないのです。

選挙へ不満がある方も、投票で政権に物申すこともできます。

2014年11月22日 01:34

「戦略的互恵関係」

私は、国際社会を考える際、特定の政治家の影響力を中心に考察してはきませんでした。所謂、アクター論ではなく、「名もなき」大衆の政治化により関心を抱いてきました。

ですから、首脳会談によって政治がドラステックに変化するとは考えていませんが、安倍晋三首相の11月9日~17日の海外訪問は、色々なことを考えさせられました。

特に11月10日に行われました安倍首相と中国の習近平国家主席と北京会談は、興味深く捉えました。

2人の首脳の握手に笑顔は全くなく、そのことを質問された安倍首相は「それぞれの国の事情があるのだろう」とコメントしました(産経新聞、11月11日)。習主席も「初めて会ったときは他人でも、2回目からは友人になる」と発言し、現在の微妙な関係を表現しています。

この首脳会談に関しては、様々な意見がありますが、会談をしたという事実と笑顔はなかったという事実を別々に考えるべきでしょう。

二人の政治権力者の表情は、安倍首相の発言通り、それぞれの国民に向かって決して妥協しないというメッセージを送っているように思えました。

その上で、このような状況の中で2人の首相が会わなくてはならなかった理由もあるでしょう。日中の政府のどちらが多くを妥協したのか論者によって分かれているようですが、会ったと言う事実は、政治的な均衡点において多かれ少なかれ、両者が「納得」(満足)したことになります。

オーストラリア国立大学 ・豪日研究センターのコリー・ウォレス氏は、「日本の自民党 (LDP) と中国共産党 (CCP) との繋がり修復されつつある」(『東洋経済online』2014年11月16日)と主張しています。

両首脳を両国の代表とだけ捉えずに、両国民を政治的に安定化する「アクター」であるとも考えれば、民衆を暴発しない(急進化させない)ように押さえなくてはいけないという利害の共通点が見えてきます。

隣国を「安定」させるパートナーとして、LDPにとってCCPは、また、CCPにとってLDPはそれなりに良き「パートナー」であるようにも思えるのです。そして、おそらく両国の経済界も一見、イデオロギーが全く異なる(ように見える)両党の「パートナーシップ」を歓迎していることでしょう。

続いて安倍首相が参加しました(ミャンマーで行われました)東南アジア諸国連合(ASEAN)関連首脳会議では、安倍首相は、中国の李克強首相と短時間、言葉を交わし、両者は日中間で一致できる点について利益を共有する「戦略的互恵関係」を発展させていくことを確認したと伝わってきました(朝日デジタル、2014年11月13日)。

確かに日中の「戦略的互恵関係」という表現はなかなか面白いものがあります。

外務省によりますと、本来の意味は「日中両国がアジア及び世界に対して厳粛な責任を負うとの認識の下,アジア及び世界に共に貢献する中で、お互い利益を得て共通利益を拡大し、日中関係を発展させること」になりますが、同時に、日中の政治家の「戦略的互恵関係」でもあるように思えてなりません。

さて、最初の問題提起に戻せば、それでは、日中の首脳は両国国民を政治的に代表する存在として機能する「アクター」であり続けることができるのでしょうか。そもそも、グローバル化においてヒト・モノ・カネが容易に国境を越える現在、各国の国家指導者はどれ程の政治力を行使できるのでしょうか。

ASEAN +プラス3(日中韓)の首脳たちの記念撮影は、例によって自分の両手をクロスさせて隣の人と繋ぎながらの写真でした。政治家を務めることが、どこにおいても、なかなか大変な時代のようです。

「戦略的互恵関係」は日中の首脳に限定されないように思えてきました。

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プロフィール
安井裕司
安井裕司
エジンバラ大学、バーミンガム大学博士課程に学ぶ。その間、ルーマニア・アカデミー歴史学研究所研究生。国際政治学博士(PhD)。国連大学国際紛争研究所インターン、夏期講習クラスコーディネーター、法政大学国際日本学研究所客員研究員等を経て、現在、早稲田大学エクステンションセンター講師、日本経済大学神戸三宮キャンパス教授。
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