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グローバル化は足元からやってくる ~国際学で切り取る世界と社会~

2014年10月

2014年10月29日 23:13

痛みを伴う「平和の構築」:映画『ボクサー』における個々の譲れない理由

良い映画の一つの特徴は、勧善懲悪ではなく、対立する登場人物の行動にそれぞれ譲れない理由を描くことであるように考えます。

『ボクサー』(原題:  The Boxer)

制作国 アイルランド・米国
制作年 1997年
監督   ジム・シェリダン
出演   ダニエル・デイ=ルイス、エミリー・ワトソン

あらすじ
【1990年代後半の北アイルランドのベルファスト。元IRA活動家でプロ・ボクサーのダニーは、政治犯として14年の刑期を終えて出所した。ダニーの昔の恋人マギーはダニーの親友トマスの妻となり一児をもうけていたが、そのトマスも服役している。ダニーはマギーへの思いを諦められないまま、IRAとは縁を切り、改めてボクシングに挑戦するためにボクシングジムを開設する。カトリック、プロテスタントに関わりなく練習生を受け入れるダニーのジムは、和平への期待が高まる中、マスコミに注目され、彼自身もボクサーとして復活する。しかし、IRAの中で和平に反対する最強硬派のハリーは平和のシンボルとして脚光を浴びるダニーを逆恨みし、テロ行為をもって妨害しようとする。】

北アイルランド問題は、一般にキリスト教プロテスタント系(英国系)住民とカトリック系(アイルランド系)住民の紛争として捉えられています。

しかし、この映画では、元IRAのプロボクサー・ダニーが闘うのは、本来味方であるはずの(昔の)仲間たちなのです。彼が和平のシンボルになればなる程、IRAの強硬派のハリーにとってはダニーが許せない存在になるのです。

この映画のストーリーが優れている点は、この内部対立を単純な内輪揉めにしておらず、ダニーの複雑な恋愛事情と絡めている点です。

ダニーは、マギーと密会を重ねます。ダニーが刑務所にいる間、彼の親友と結婚したマギーは、彼とプロテスタント地域の東ベルファストで会います。味方のカトリック地域では単なる不倫のみならず、仲間への裏切りにもなる恋は、「敵地」であるプロテスタント地域でしか許されないのです。しかし、プロテスタント地域では、カトリックの2人は潜在的に狙われることになります。

四面楚歌の中で、ダニーとマギーは2人の世界を創り上げていくのですが、最後に彼らを妨害するのは、IRAでも、プロテスタント勢力でもなく、マギーの一人息子リアムです。ネタバレになりますが、自分が母親に捨てられると思ったリアムは、ダニーのボクシングジムを燃やしてしまいます。

その結果、ダニーは、マギーと別れてロンドンでボクサーとして生きることを選択します。しかし、闘争心を失ったダニーはボクサーとして使えなくなってしまいます。故郷のボクシングの恩師の死をきっかけに北アイルランドに戻ったダニーは、IRA強硬派のハリーに捕まり絶対絶命の危機を迎えます。

このハリーはこの映画では悪役です。しかし、なぜ、ハリーが和平に応じられないか、そしてダニーをそこまで憎むのかの理由として、ハリーがプロテスタントとの闘争の中で自分の一人息子を失っていることが幾度も語られます。

この物語には、それぞれに譲れない理由があります。譲れない理由の中で、ドラマが進むということは、誰かが傷付いていくということでもあります。

ラストは主人公にとってハッピーエンドです。しかし、観ている側には、傷付いた多くの登場人物の姿が映し出されます。北アイルランドのような拗れた社会空間の平和とは、個人のレベルでも社会のレベルでも、多くの犠牲の上に成立するものなのかもしれません。

2014年10月26日 23:54

妖怪が日本を徘徊している。『妖怪ウォッチ』という妖怪が。

『妖怪ウォッチ』はニンテンドーのゲームソフトから始まりました。2014年1月からはテレビのアニメ放送もスタートし、日本の子供たちの心を鷲掴みにしています。

あらゆるグッズが爆発的に売れていることは、コンビニ、スーパー、デパートに行けば分かると思います。

玩具の妖怪メダルは品薄状態が続き、社会問題にもなりました。今年、7月に発売された「特典付き劇場前売券」は、ゲームで使える特典を求めて徹夜で長蛇の列ができ、ネットオークションにおいて高値で取引されたため、多くの子供が入手できなく批判されました。『妖怪ウォッチ』のゲーム攻略本は、78万部突破し、ゲーム攻略本"歴代1位"になっています(毎日デジタル、10月2日)。

現象としては、私の世代の『機動戦士ガンダム』のプラモデル(ガンプラ)争奪戦を思い出させます。

私も、『妖怪ウォッチ』の漫画(単行本)に挑戦してみました。やはり、私の世代には、「妖怪」といえば水木しげる氏の「ゲゲゲの鬼太郎」であり、そのイメージを持って読み始めたのですが、「ゲゲゲ」のような日本昔話的な怖さや、民俗学的な「リアリティ」はなく、とても「健康的」で明るいのです。

「怖くない」妖怪は、紆余曲折ありながら(ケータと闘います)、主人公のケータのともだちになり、彼のウォッチで呼びさせるようになります(『アラジンと魔法のランプ』のような感じです)。

妖怪は様々です。猫が地縛霊・ジバニャン、場の雰囲気をなごませる妖怪・ホノボーノ、場の雰囲気を悪くする妖怪・ドンヨリーヌ、人物の記憶を忘れさせてしまう忘れん帽などなど。

子供たちの世界で起こる多くの出来事は、「妖怪のせい」になります。

TVアニメのエンディング『ようかい体操第一』(作詞 - ラッキィ池田 & 高木貴司 / 作曲 - 菊谷知樹 / 編曲 - 日比野裕史)では、寝坊したのも、あの子に振られるのも、ピーマン食べられたのも、うんちが臭いのも「妖怪のせい」になります。

この設定は、母親が、子供が注意を受けると「妖怪のせい」と言い返すことに繋がり、批判もされていますが(「子供達「何でも妖怪のせい」に賛否」『Web R25』、9月29日)、妖怪が無限に創出できることになりますので持続可能なストーリー展開となります。

『妖怪ウォッチ』のテーマは、主人公ケータと妖怪たちの友情です(上記の『ようかい体操』でも「ともだち大事!」と繰り返されます)。意外に古典的でもあります。

また、この平成の「妖怪」は、かなり昭和とは異なるとはいえ、それでも「妖怪」でなければならないところに、時代を越えた日本性(Japanese-ness)もあるのかもしれません。

2014年10月25日 01:21

「赤いスイートピー」が語りかけるもの

テレビのCMで、松田聖子さんと松たか子さんが歌う「赤いスイートピー」が流れています。

CMは富士フィルムの「ASTALIFTA(アスタリフト)スキンケアシリーズ」というトータルエイジングケア商品です。

52歳になる松田聖子さんと37歳の松たか子さんは、「その抜群の歌唱力と、歳月とともになお輝きが増す大人の女性の美しさで、同ブランドが提唱する「幸せなエイジング。」の魅力を伝える」(スポーツ報知、10月23日)と評されています。

確かにお二人は美しく、歌声も素晴らしく、「赤いスイートピー」の世界に引き込まれていきます。

春色の汽車に乗って海に連れて行ってよ
煙草の匂いのシャツにそっと寄りそうから
何故、知り合った日から半年過ぎても、あなたって手も握らない
I will follow you あなたについていきたい
I will follow you ちょっぴり気が弱いけど、素敵な人だから
心の岸辺に咲いた、赤いスイートピー
(「赤いスイートピー」作詞:松本隆/作曲:呉田軽穂(松任谷由実)/編曲:松任谷正隆、1982年)

同曲を、改めて耳を傾けると、「連れて行って」「寄りそう」「ついていきたい」とちょっと古い(昭和的な)男女関係を反映した歌詞です。

しかし、2014年の秋に松田聖子さんと松たか子さんが歌うお姿は、歌詞とはまた違った何かを暗示しているような気もします。

違和感ではありません。

この曲に引き込まれるとすれば、(私は)一体どこに「連れて行って」欲しく、何に「寄りそって」、誰に「ついていきたい」と思っているのでしょうか。

「赤いスイートピー」を初めて耳にした時、私は田舎の小学生でした。当時、TBSの伝説の歌番組「ザ・ベストテン」を毎週(楽しみに)観ていました。

聖子ちゃんの歌は、男女を問わず、クラスの皆が口ずさむことができました。特に女の子は聖子ちゃん風に歌っていました。英語も習っていませんでしたが。

I will follow you あなたについていきたい
I will follow you ちょっぴり気が弱いけど、素敵な人だから

CMは「幸せなエイジング。」というフレーズが流れます。

松田聖子さんも松たか子さんも「今」、輝いており、ご活躍です(CMを聞いてから、すっかり、私がfollowしてしまいました)。

でも、思い起こされるのはセピア色の昭和です。

初めて「赤いスイートピー」を聞いてから30年以上が経ちました。日本の平均年齢は45歳を越えています(「人口の平均年齢,中位数年齢および年齢構造指数:中位推計」国立社会保障・人口問題研究所)。

2014年10月、アンチエイジングとは、二重に意味深です。

CMには、最後に小さく「*年齢に応じたお手入れすること。」とクレジットが入ります。

2014年10月22日 15:41

サッチャー時代の英国は幸せだったのか?:映画『マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙』にて問われない問い

日本ではこのところ、女性閣僚の辞任は話題になっています。日本において、なぜ、女性の(首相になるような)大物政治が出現しないのかを考える際、欧米社会で初めての女性首相となったマーガレット・サッチャーさんのことを考えざるを得ません。

『マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙』(原題:  The Iron Lady)

制作国 英国
制作年 2011年
監督   フィリダ・ロイド
主演   メリル・ストリープ 

あらすじ
【1960年代から現在。政界引退後、マーガレット・サッチャー元首相は認知症を患い、数年前に亡くなった夫デニスが幻覚として日常的に現れる。2人は語り合い、人生を回顧する。雑貨店の娘として生まれたマーガレット・ロバートは1950年、保守党から立候補するが落選してしまう。1951年、10歳年上のデニス・サッチャーと結婚し、1953年、双子を出産する。6年後、下院議員に初当選し、子育てよりも、仕事(政治)を優先するようになる。11年後、マーガットはヒース内閣で教育科学相となり、翌1975年の保守党党首選に立候補し、勝利。1979年には英国史上初の女性首相となり、英国病の克服、フォークランド戦争、人頭税への批判など、浮き沈みを経験する。1990年、独善的になっていくサッチャーから保守党の幹部たちが離反し、党首選の最中、首相の座を降りることを余儀なくされます。】

本作品はサッチャー前首相を彼女の「女性性」から描きます。労働者階級出身で女性である彼女が、保守党の候補となり、有力な選挙区を勝ち取り、大臣になり、党首、そして首相になる。これが、いかに多難であったかが分かります。

その頂に上り詰めるために、家庭を犠牲にするというのが映画の筋となっています。夫となるデニスからのプロポーズされた際、マーガレットは「食器を洗って、一生を終えるつもりはないの」答えるのですが、デニスは「だからこそ君と結婚したいんだ」と返し、彼女を支えることを決意します。

夫婦の関係は、夫婦にしか分からないものですが、仮に2人の関係がそうであったとしても、マーガレットの男性観、女性観は、夫婦が共に仕事も家事も同じ割合でこなす「ワーク・ライフ・バランス」からはかけ離れています。

食器洗いをする女性を軽蔑し、政治を語る男性を好むマーガレットは、社会的には「男性的」に生きており、ジェンダーにおいては忠実な保守主義者であったのかもしれません。

そして、夫デニスはマーガレットが「男性的」であるが故に、(実際には皿洗いはしなかったとしても)「女性的」な存在でなければならなくなります。この映画は、そのような夫デニスを、政界を引退して痴呆症を患うマーガレットが、女性として頼ることで、物語が完結していくのです。

(映画では描かれませんが、サッチャー時代の英国は、映画『リトル・ダンサー』や映画『フル・モンティ』に映し出されるように、結果的にジェンダーが問われていくことになります。)

マーガレットは最後に、デニスに「幸せだった?」と問います。

ここまで来ると、史実というよりも空想の世界かもしれません。

2人の「世界」はともかく、英国人はサッチャー時代、そして、それ以降、総じて「幸せだった」のでしょうか。それこそが、求められるべき問いであるように思えます。

2014年10月19日 22:50

日本の貧困家庭が飢えている現実を考える

9月25日放送のNHK『クローズアップ現代』は「貧困家庭の子供が文字通り飢えている」という衝撃的なテーマでした。

2014年7月に発表された「平成25年国民生活基礎調査」によりますと、18歳未満の子どもの貧困率は16.3%と過去最悪を更新しています。

番組では、NHKが生活困窮家庭に食糧支援を行うNPOと協力して(貧困家庭の)子ども達の食生活の実態調査を行っています。その結果、1人あたりの1日の食費は、わずか329円。バランスのとれた食事を一日に一度もとらない家庭が8割以上に上っているそうです。

子供たちは十分な栄養が取れず、健康や発達にも影響が及んでいることが明らかになり、調査アンケートには「子どもと一つのラーメンを半分にして食べた」「子どもが空腹で眠れない」などが記載されていたと紹介されます。

日本の6人に1人の子供が「飢えている」という現実に対して、どうしたら良いのでしょうか。

番組では、2年前から小中学校の給食を無料にした栃木県大田原市の例、NPOが中心となって毎月2回地域の子どもたちなら誰でも入れる食堂を開いている東京都豊島区の例が挙げられています。

NPOの食堂は素晴らしいのですが、毎月2回では日常的な空腹を満たせませんので、やはり、大田原市のように行政が中心となる必要があると考えます。大田原市は給食費として、年間2億7千万円を負担していますが、「飢え」の解消のためには必要経費なのではないでしょうか。

番組に出演された神奈川県立保健福祉大学の新保幸男教授は、日本は戦後において飢えていた時期があったとしながら、当時は皆が飢えていたが、現在は社会の一部だけが極端に受けている状況が異なると指摘しています。

経済のグローバリゼーションは、先進国でも途上国でも各国国内を格差化していきます。日本でも富めるものは富み、貧しい者との格差は大きくなっていくでしょう。

ですから、格差化自体は日本だけの現象ではありません。

しかしながら、上記の問題は単なる貧困だけではなく制度的な欠陥がもたらしているものでもあります。なぜならば、多くの貧困家庭が生活保護を受けていない事実が映し出されているからです。

その理由を番組では、自動車を持っていると生活保護が得られないが、自動車は生活に必要である故に生活保護を諦めざるを得ないという例がありました。もしそうだとすれば、一部で指摘されている通り、地方における子供のいる貧困家庭に対する生活保護取得の条件から自動車所有を外せばいいのです。

それから、母子家庭が貧困状況に陥り易いのは、女性の社会進出との関係性もあるでしょう。

いずれにしても、日本的な特殊な状況が、この「飢え」の問題に絡んでいるように考えます。


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プロフィール
安井裕司
安井裕司
エジンバラ大学、バーミンガム大学博士課程に学ぶ。その間、ルーマニア・アカデミー歴史学研究所研究生。国際政治学博士(PhD)。国連大学国際紛争研究所インターン、夏期講習クラスコーディネーター、法政大学国際日本学研究所客員研究員等を経て、現在、早稲田大学エクステンションセンター講師、日本経済大学神戸三宮キャンパス教授。
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