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グローバル化は足元からやってくる ~国際学で切り取る世界と社会~

2014年5月

2014年5月31日 21:18

理屈を超える聖地・甲子園

先日、(今月、2度目の)甲子園球場にナイター観戦に行きました。

前回は3塁側の外野席でしたが、今回は1塁側の外野席に陣取りましたので阪神の応援席としてはメッカにいたような感覚です。

いつも思うのですが、甲子園は美しい。外野席から内野を眺めるとそれだけで幸せな気分になります。

こんな素敵な場所で好きな野球を職業とされている選手たちは、恵まれていると思います。

そして、阪神の応援は熱烈です。気合が入っています。

時には度が過ぎてしまい、人権を否定するような罵声も飛び交います。甲子園にやってくる相手チームも大変ですが、(職場環境に恵まれている)阪神の選手も大変そうです。愛はあるのですが。。。

私は阪神ファンですが、残念ながら甲子園から遠い関東の地で育ちました。ですから、阪神とはテレビの主役・巨人を引き立てる最大のゲストという位置付でした。良くも悪くもテレビを通じての阪神ファンでした。

甲子園の阪神ファンは、リアルです。肌感覚で阪神を応援します。

攻撃の際は、応援歌を歌い(シャウトして)、守りの際は、「声出していこう!」と外野の選手(その日は福留選手~俊介選手)に呼びかけます。関西なので、本当は「声出せや!ビール売っているお姉さんに負けとるやないか!」といった感じなのですが(3月30日の巨人戦で、フライトを追った西岡選手と福留選手が衝突し、西岡選手が骨折するという事故があったこともあるでしょうが)。

神戸の今の勤務校に着任した直後、私は同僚の先生方に、地の利を活かした「阪神タイガース研究センター」設立を提案して笑われました。

ところが、甲子園に何度か足を運びますと、阪神は(特に阪神ファンは)研究対象にすべきではないように思えてきました。

聖地・甲子園での阪神応援は、ウディ・アレン監督の『ハンナとその姉妹』で語るところのマルクス兄弟の映画なのです(「ややこしい」と突っ込みが入りそうですが、詳しくは2013年12月22日の当ブログをご覧下さい)。

一言でいえば、考えてはいけないのです。なぜ、考えてはいけないかと言えば、それは原体験を持つ人たちにとって「素」に戻れる場だからなのです。理屈ではないのです。

私は、阪神の得点シーンでは、後ろからビール・シャワーを浴びながら(喜んで大騒ぎするので、ビールがこぼれる)、この人たちは強いなぁと思いました。何かあったら、(ウディ・アレンがマルクス兄弟の映画に戻るように)ここ=原点に戻ればいいのですから。

試合は、交流戦で相手は西武でした。5-4でリードしながら9回の表を迎えたのですが、何と阪神のクローザーの呉昇桓投手が打たれてしまい(暴投などもあったのですが)、試合を落としました。

あっという間に逆転されて負けたのですが、試合終了後、近くの席で飲んでいた阪神ファンの女性に「結果、どうなったんや」と尋ねられました。こういうのもアリなのかもしれません。

分析はしないのですが、一言、書きたい。9回の逆転負けは、(試合終了のために)膨らまされた風船の行き場がなくなるので、やってはいけません。

*私は長らく、風船などを膨らませるから阪神の投手が投げ急ぎ、打たれてしまうという意見に合意していましたが、甲子園=現場においては、阪神の投手は、当然、抑えて、お客さんに風船を飛ばす喜びを与えるべきだと思えてくるので不思議です。

2014年5月28日 09:23

ウクライナ危機にみる民族と国家

5月25日に行われましたウクライナの大統領選挙では、元外務大臣で親欧米派のペトロ・ポロシェンコ氏が過半数以上の票を獲得し勝利しました。

選挙前は、接戦も予想されていましたが、ポロシェンコ氏の圧勝に終わった理由は、おそらく、彼が親欧米姿勢を示しながらも、(ウクライナ系住民とロシア系住民が争う)国内の融和を掲げ、また、有権者が(平和を)彼に託したこともあるでしょう。

ポロシェンコ氏は「大統領としての最初の課題は、戦いを終わらせ国に平和をもたらすことだ」と述べており、ロシアとの関係も「(ウクライナの)主権と領土の一体性」を尊重するように訴えると表明しながらも、天然ガスの大半を頼るロシアとは妥協点を見出すよう努力しなければならないと柔軟な姿勢も示しています(ロイター、5月 26日)。

ロシアのプーチン大統領は前週末、ウクライナ大統領選について「国民の決定を尊重する」と発言しており、東ウクライナでは依然として不安定な状況が続いていますが、この大統領選挙を機に最悪の事態を脱する可能性もあるように思えます。

ウクライナの民族問題に関して申し上げれば、構造としては、第一にウクライナという国が多数のウクライナ系住民と少数のロシア系住民によって構成されていること、第二により大きく旧ソ連という枠組みではウクライナ人が少数派となってしまうということ(逆に、それ故に、ウクライナのロシア系住民はロシア人として生きる道に安定を求めること)が見えます。

人口5000万人に満たないウクライナが、国家を越えた枠組みを模索することは必然です。親欧米派はEUに、親ロシア派はソ連時代同様、ロシアに、超国家的なセーフティネットを求めるのです。

同時に、ウクライナ自身も少数を重視する多元的な国家建設をしない限り、内戦状態を抜け出せないことになります。

このところのウクライナの危機は、ウクライナ系住民とロシア系住民の民族主義(ナショナリズム)を刺激しました。しかし、民族主義では今日の国家が維持できないことを露呈もしたことになるのです。

かつて、「国民国家」(Nation-State)という表現があり、民族と国家は一体として認識されていました。しかし、今日、(国民を構成する諸民族によるそれぞれの)民族主義の急進化は、一国家一民族の幻想を壊し、国家(state)を苦しめ、弱体化させる結果となっているのです。

更に課題としては、国家を越える超国家組織の包摂の限界も、今回のウクライナ危機は露呈していることになります。

EUを取るか、ロシアを取るか、いずれにしても、ウクライナの国内において意見が一致しないとすれば、まず、国内で多元的統治を試みるしかないのでしょう。

平和的解決がもたらされたとされる北アイルランドの例などと比較すれば、ウクライナがより経済発展を遂げれば(格差化という別の問題は残されますが)、少なくともウクライナ国内のウクライナ系とロシア系の民族対立は希薄化されていくのかもしれません(時代背景も社会条件も異なりますので、もう少し、ウクライナの現状に沿って考察していかなければなりませんが)。

2014年5月25日 23:53

戦争で常に負けるのは誰なのか:映画『麦の穂をゆらす風』の「美しき選択」

ウクライナとロシアの民族問題やベトナムと中国の領土問題などは、国と国の関係で認識されますが、個人の視点から考え直すことも必要であるように考えます。

『麦の穂をゆらす風』(原題:  The Wind That Shakes the Barley)

制作国 アイルランド、英国
制作年 2006 年
監督   ケン・ローチ
主演   キリアン・マーフィー、ポードリック・ディレーニー
受賞  2006年カンヌ国際映画祭パルム・ドール

あらすじ
【舞台は独立戦争(1919年~1921年)中のアイルランド南部の町コーク。町は英国の民兵組織ブラック・アンド・タンズが暴力的な支配を強行している。主人公は、医学部を卒業し、研修医としてロンドンに渡る直前のアイルランド人デミアン。デミアンが尊敬する兄テディは、英国支配に対する独立運動に身を投じている。デミアンは、ロンドンに発つ前に、駅で英国兵に殴られながらも断固と対峙する運転手に出会い、ロンドン行きを止め、兄と共に母国の独立のために戦うことに決意する。独立運動の最中、16歳の地元の少年クリスの裏切りによって、兄テディが英国軍に捕まり、拷問を受けながら、決して仲間を売らなかった。少年クリスは、自分の家族のために仲間を裏切ったのであるが、それでも許されないとデミアンによって処刑される。そして、1921年、アイルランドと英国の間に英愛条約が結ばれ、アイルランドは英国王を元首とする「アイルランド自由国」となる。しかし、北アイルランド6州は英国に留まることになり、この「アイルランド自由国」を承認するかどうかで、アイルランドは内戦に突入する。2人の兄弟もそれぞれの信念に従い、袂を分かつことになる。】

同作品は、アイルランド独立戦争とアイルランド内戦を正面から描いたことで物議を醸しました。

ネタバレになりますが、内戦で兄弟は戦い合い、最後に弟がアイルランド自由国軍に捕まります。兄は弟に、解放するから地元に帰り、幼馴染と結婚して幸せになるように言うのですが、条件として弟の仲間の武器のありかを教えろと言います。しかし、弟は、かつて家族のために仲間を売った少年クリスを処刑した自分が、仲間を裏切ることはできないと言い、兄によって処刑される道を選びます。

ケン・ローチ監督は、個人の幸せの犠牲の上に成り立つ民族的正義とは何かを問います。2人の兄弟は共に戦った時も、内戦の時も、自らの選択を信じており、美しく描かれています。その美しさは、2人が常に、私欲を捨て理想に向かって現実を走ることで強調されます。

内戦の際、自由国側に付いた兄は「現実路線」を選びますが、足元にある課題には目を逸らし、理想を追います。ゲリラ活動の中の農村の貧困の現実を直視した弟は、兄の「現実路線」を批判し、完全独立という理想を目指すのです。

彼らがピュアであるが故に、それぞれの選択に説得力があるのです。

最後に、弟はかつての兄のように私欲を捨て、死を受け入れます。2人の共通性は悲劇の中で(共通しているが故に)妥協することを許さないのです。

ローチ監督は、2つの戦争を描きながら、戦争の勝ち負けには焦点を当てません。主人公の悲劇の中で、民族のため、国家のために美しく生きることの是非を私たちに問いているのです。そして、戦争によって、常に負けるのは誰なのかを現します。

2014年5月24日 18:43

タイの「民主主義」の矛盾

英国の大学院で共に学び、現在、タイ・バンコクの大学で教えている友人に訪タイを促され、昨年、担当のゼミの合宿をバンコクでできないかと考えていたところ、政情が悪化して諦めました。

そのような経緯もありまして、現地の情勢を注目していたのですが、5月22日、プラユット・タイ陸軍司令官が「軍が国家の全権を掌握した」と演説し、事実上のクーデター宣言と報じられています。

公には、政府と政府を支持する人々と反政府側の人々の間に入る形でのクーデターでしたが、現実には、軍は反政府側に好意的であるとみなされているようです。

選挙で選ばれた政権に対峙する反政府運動を、軍が武力を持って加担し、クーデターを起こすというのは「反民主主義」的であり、許されるべきことではないというのが国際社会における論調であると考えられます。

私は、もうちょっと事は複雑であるように感じています。

タイでは、軍だけではなく、大半の法曹界、エリート官僚、知識人等の都市部のエリートが反政府的なのです。

彼らは、軍国主義者ではありません。反対に少なからずタイの近代化と「民主主義」構築に貢献してきた層に属します。彼らにとっては、タクシン元首相派の現政権(インラック前首相は、タクシン元首相の実の妹)は、タイと支配者層が築き上げてきた「民主主義」的なタイを数の力で崩壊させてしまうようなイメージなのです。

大富豪のタクシン元首相は、タイの農村と都市貧困層の票を(ある意味でポピュリズム的に)掘り起こして、都市のエリート層による支配システムを崩しました。もちろん、だからと言って、(エリート層側とされる)軍部の力によるクーデターが容認されるべきではないのですが、単純に「軍部独裁VS民主主義」というような図式でもないようです。

構造的には、タイの近代的エリートの「民主主義」的な統治が、タクシン・ファミリーの登場によって崩壊してしまったことが問題なのでしょう。

世界中の民主主義は、多かれ少なかれ、エリートの統治を前提にしています。社会を動かすエリートは(エリートである故に)少数派です。しかし、人々(大衆)から選ばれる「民主主義」的プロセスによって、少数派エリートに政治的支配の正当性が付与されるのです。

それが、タイで機能しなくなってしまった(タクシン・ファミリーの台頭を許してしまった)理由は、都市のエリート層と、農村の大衆の間の亀裂が修復できない程のレベルに達しているからではないでしょうか。

タイのクーデターは1932年以降で19回目ですので、この対立は今に始まった訳ではないのかもしれませんが、タイは、グローバル化の中で、順調に経済成長を成し遂げてきた国です。発展の中で、国内の亀裂が改善されるどころか、むしろ悪化している現状を看過してはいけないと思います。

政府側が政権を担い続けても、軍部の力を借りて反政府側がひっくり返しても、「民主主義」が問われることには変わらないでしょう。どちらかの勝利は、どちらかの「民主主義」の敗北であり、両方が負けない形での落としどころを探さない限り、総体的にタイの「民主主義」が守れないのです。

2014年5月21日 01:20

女だけが誰と結婚するかで人生が大きく変わるのか?

安倍晋三首相の夫人、昭恵さんが5月8日、自らのFacebookに「女は誰と結婚するかで人生が大きく変わる」と投稿したことが話題になりました。

昭恵夫人は、昭和62年の結婚当時は、夫が政治家になることは予想していたものの、首相になるとは「思ってもいなかった」と明かし、「私は自分の努力ではなく、夫の立場によって今の自分の立場があることを胸に刻み、今私ができる限りのことをしたい」と結んでいます(産経ニュース、2014年5月9日)。

日本のファーストレディである昭恵夫人の自らの御体験をベースにされたご主張に、基本的に異論はありません。昭恵夫人は、安倍首相と結婚しなければ、おそらく、ファーストレディにならなかったでしょう。

そして、多かれ少なかれ「女は誰と結婚するかで人生が大きく変わる」ということも事実なのでしょう。

しかし、実のところ、「男も誰と結婚するかで人生が大きく変わる」のです。当たり前のことですが、結婚によって誰もが人生が大きく変わるのです。

安倍首相は、昭恵夫人と結婚されなかったら、もしかしたら2回も首相になれなかったかもしれません。昭恵夫人は謙遜されているだけかもしれませんが、一方的に男性(女性)が配偶者の人生を決定するものではないでしょう。

当然、相互作用があり、社会的な成功もしくは失敗は共有されるべきことです。

しかし、結婚による人生の変化は、夫または妻の社会的な成功や失敗と切り離されても良いのかもしれません。

1994年のサッカー・ワールドカップのアメリカ大会決勝「ブラジル対イタリア」において、イタリア代表の中心的プレーヤーであったロベルト・バッジョ選手は、延長の末のPKを外しました。私は、英国でこの試合をテレビで見ていましたが、解説者が「今のバッジョは、彼の家族(妻)の元に帰るしかない」と語っていたことが記憶に残っています。もちろん、彼がPKを成功させていても、彼の帰るところは彼の家族なのでしょう。

成功と失敗、ビジネスで成功すれば世間が英雄として扱います。バッジョのような有名サッカー選手ではなくとも、家庭とは、むしろ人生で失敗した際に、自分の人生が変わったこと(1人ではないこと)を実感できるところなのかもしれません(家庭の代わりに、親しい仲間も同様の役目を担えるかもしれません)。

結論として、当然、男でも女でも、結婚した相手によって人生は変わります。もし、日本において、殊更、女性が誰と結婚するかで人生が大きく変わる傾向が強いとすれば、それは、単に日本社会のジェンダーギャップを反映しているに過ぎないことになります。

しかしながら、結婚ばかりではなく、出会った恩師や友人、職場の上司や部下によっても人生は影響されます。つまり、結婚は確かに人生に大きなインパクトを及ぼしますが、人間関係が複雑化、多元化している今日、結婚だけが人生を変えるわけではないでしょう。

人生の変化は、人それぞれであることも強調しなければなりません。

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プロフィール
安井裕司
安井裕司
エジンバラ大学、バーミンガム大学博士課程に学ぶ。その間、ルーマニア・アカデミー歴史学研究所研究生。国際政治学博士(PhD)。国連大学国際紛争研究所インターン、夏期講習クラスコーディネーター、法政大学国際日本学研究所客員研究員等を経て、現在、早稲田大学エクステンションセンター講師、日本経済大学神戸三宮キャンパス教授。
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