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グローバル化は足元からやってくる ~国際学で切り取る世界と社会~

2014年2月

2014年2月26日 12:00

ラフマニノフ「ピアノ協奏曲第2番」:映画『逢びき』にみる「非日常」と音楽

ソチ五輪のフィギュアスケート女子フリーで、浅田真央選手の演目でありましたラフマニノフの「ピアノ協奏曲第2番」と言えば、英国映画『逢びき』です。

『逢びき』(原題:  Brief Encounter)

制作国 英国
制作年 1945年
監督    デヴィッド・リーン
主演   セリア・ジョンソン、トレヴァー・ハワード
原作   ノエル・カワード

あらすじ
【1930年代の英国。30代後半のローラは娘と息子に恵まれた母として、善き夫の妻として、中流(ブルジョア)家庭を築いていた。彼女は、毎週木曜日に汽車に乗り、近くのミルフォードという町に1週間分の買い物をし、本を借り、映画を観て帰宅することをルーティンとしていた。ある木曜日の夕方、ミルフォードの駅で目に煤が入り、その場に居合わせた医者アレックに助けて貰う。翌週、ローラは、偶然、ミルフォードでアレックに遭う。翌々週も偶然が重なり、自然に共に食事をし、映画に行くことになる。アレックも家庭を持ち、2人の子供がいるが、ローラを惹かれ、またローラも医療に情熱を抱くアレックに想いを馳せるようになる。2人は、毎週、木曜日、ミルフォードで短い時間を共有するようになる。しかし、家庭を壊すことができず、その先に進むことができない。やがて、2人は別れを決意する。アレックは、南アフリカのヨハネスブルクに家族で移住することを決め、2人は最後の木曜日を迎える。】

テーマは1930年代の英国における不倫です。私は、約20年前にロンドンの名画座において2本立てで観たのですが、印象に残ったのはラフマニノフの「ピアノ協奏曲第2番」と英国の列車でした(おそらく、当時、独身の学生であった私は、ストーリーを真に理解するには若過ぎたのでしょう)。

この映画は主人公のローラが、不倫相手の医師アレックに感情が動けば動く程、ラフマニノフ「ピアノ協奏曲第2番」が心臓の鼓動のように鳴り響きます。音楽が「非日常性」を演出しているのです。

列車に関しては、英国では1990年代でも映画に登場するようなドアが座席ごと両サイドの外側についている車両を使っており(1車両に20ぐらいドアがあるのです)、映画を観て驚いた記憶があります。この自宅から舞台のミルフォードへ列車に乗らなくてならない距離が、物語には不可欠なのでしょう(列車の往復でも、例によってラフマニノフが流れるのですが)。

「ピアノ協奏曲第2番」=「非日常」は、主人公の2人の関係が終焉することで、崩れていきます。そして、2人は、自分たちの「日常」に帰ってきます。

ソチ五輪では、浅田真央選手はフリーにて、ラフマニノフ「ピアノ協奏曲第2番」を用いましたパフォーマンスで自己ベストを刻みました。フリーが「非日常」であったのでしょうか、16位となったショートが「非日常」だったのでしょうか、それとも、五輪が「非日常」であったのでしょうか。

少なくても、浅田選手の同曲の鼓動に乗せたパフォーマンスは、多くの人々を素晴らしい「非日常」の世界に誘ってくれたように思えます。

2014年2月23日 23:15

ビクトル・アン選手の衝撃

ソチ五輪の「主役」を選ぶとすれば、候補者の1人は間違いなく、スピードスケート・ショートトラック男子で金3個(500m, 1000m, 5000m)、銅1個(1500m)の合計4個のメダルを獲得したロシア代表のビクトル・アン選手なのではないでしょうか。

韓国生まれで旧名・安賢洙であるアン選手は2006年、トリノ五輪に韓国代表として出場し、1000m、1500m、5000mリレーで金メダルを獲得しています。

「ショートトラック皇帝」の異名を持つ安賢洙選手は、2010年のバンクーバー五輪への出場を逃し、怪我もし、更に所属チームが解散したこともあり、第一線から退きました(退くことを余儀なくされました)。

その後、活動の場を求めてロシアに渡り、2011年12月にロシア国籍を取得し、ロシア人ビクトル・アンとしてソチ五輪を目指すことになります。

現在、ソチ五輪の活躍によって、ロシア側が金銭を支払っての国籍変更なのではないかという疑惑さえ持ち上がっています(スポニチ、2月22日)。しかしながら、2008年の段階において、左膝骨折に苦しんでいたアン選手が、ソチ五輪までに全盛期の力を回復できるかどうかは未知数であったとする見方のほうが正しいように思えます(中央日報日本版、2月21日)。金銭契約はなかったとロシア・スケート連盟は否定していますが(共同、2月22日)、ロシア側もこれ程の「復活」は予想していなかったのではないでしょうか。

アン選手は単に自分の試合に勝っただけではなく、ショートトラック男子1000mではロシアが1位、2位を独占し、5000mリレーでも勝利しました。ロシアが同競技で獲得したメダルは全てアン選手が絡んでおり、反対にアン選手の「母国」である韓国は男子ショートトラックにおいてメダルゼロで終わることになりました。

今後、アン選手のように母国での出場機会に恵まれない「元代表」が、国籍を変更することが増加するかもしれません。

当ブログ、2011年9月11日に記しました通り、既に、五輪のメダリストが国籍を変更することは「元日本代表」選手にも見られる現象です。

2004年アテネ五輪、体操男子団体金メダリストの塚原直也氏は、2013年にオーストラリア国籍取得し、オーストラリア代表として国際大会に出場すると報じられています(朝日デジタル、2013年4月21日)。

また、2008年北京五輪、柔道100キロ超級金メダリストの石井慧氏は、米国での永住権と市民権を取得して2016年のリオデジャネイロ五輪に米国代表として出場して金メダルを取ることを目標にしているとのことです(日刊スポーツ、2013年9月9日)。

これらの選手は、もしかしましたら日本では過去の選手として人々の記憶の隅に追いやられているかもしれません。しかし、アン選手はそのようなポジションから「復活」したのです。

このアン選手の国籍変更後の成功は、今後、大きな影響を及ぼすことでしょう。国際的には五輪から「国代表」のタガが外れ易くなるのではないでしょうか。国別の代表で見え難かったスポーツ選手の序列が、より明確化するかもしれません。

例えば、昨年12月のフィギュアスケート男子・全日本選手権で3位ながら代表に落選した小塚崇彦選手ならば、日本以外の「国代表」になればソチ五輪での入賞のみならず、メダル獲得の可能性も十分にあったことになります。ソチ五輪では、小塚選手が日本代表漏れしたことで、実力において小塚選手以下のどこかの国の代表が得したことになります(メダルが欲しい国が、ここに目を付けてもおかしくはありません)。

言い換えれば「国代表」の定義が変更されるかもしれません。金メダルをもたらしてくれるのならば、そして、国全体の競技レベルを底上げも伴うならば、代表選手が自国生まれではなくても構わないと思う国家が(現にあるのですが)増えていくかもしれません。

そのような国際的な一流スポーツ選手の国籍変更の増加は、(アン選手の「復活」によって韓国スポーツ界の閉鎖的な派閥性などが指摘されている通り)スポーツ選手にとっては国内的にも公平な社会の到来となるかもしれません。ある種目をお家芸とする国の国内で、派閥争いなどをしていれば、有力選手が他国にどんどん流れてしまいます。

また、もし、一流選手の国籍変更が加速化すれば、(国家と国民が重なり合っている)現在の「国」対抗の五輪が、より「国家」対抗色が濃くなり、「エスニックな民族」意識からは離れていくことになるかもしれません。能力主義が、国家(国民)相対主義を乗り越えることになります。そうなれば、一流スポーツ選手はより「プロ意識」を持つようになるのではないでしょうか。

問題もあります。自分たちの言葉も十分に話せない自国の「代表」を、人々はどこまで応援できるのでしょうか(アン選手は、見事にロシア人のハートを掴んだように見えましたが、数が多くなればどうなるのでしょうか)。選手がプロに近付けば、近付く程、お金(金銭契約)の問題も生じてくることでしょう。

いずれにせよ、今後、五輪のようなイベントがある度に、国家とは何か、民族とは何か、五輪とは何かが問われていくように思えます。

ビクトル・アン選手の活躍はそれ程、大きな衝撃であったように考えます。

2014年2月22日 00:00

浅田真央選手に託したもの

ソチ五輪、フィギュアスケート女子フリー(2月20日)で浅田真央選手が滑り終わった時、「ありがとう」という感情を覚えた人は少なくなかったのではないでしょうか。勝ち負けではなく、私たちは浅田選手に何かを託していたように思えるのです。

周知の通り、前日のショートプログラムにて、浅田選手は16位でした。浅田選手が出場した大きな試合では、おそらく最悪の内容だったのではないでしょうか。過去に何回も何回も「普通」にされてきたことに失敗してしまったかのようです(技術的な問題は、素人には分かりませんが)。

旧東ドイツの女子代表として1984年サラエボ五輪、1988年カルガリー五輪を連覇したカタリナ・ビットさんが、浅田選手のミスに関して、「日本ではフィギュアの人気が高く、メダルへの期待も非常に大きい。日本の選手が実力を発揮できなかったのは、その重圧を背負わされたことによるのでは」と分析しています(共同、2月20日)。

浅田選手は、過去に幾度も国民の期待を背負って戦ってこられたので、今回の失敗がプレッシャーだけからくるものなのかは分かりません。しかし、仮にプレッシャーがより重かったとすれば、今回は何が異なったのでしょうか。

勝負事ですので、競技上の環境が変化していた(ライバルが実力を付けていた)ことはあるかもしれません。結果から見れば、数字上、ショートでもトリプルアクセルを成功させ、高得点を出さない限り、メダルには届かなかったことになります。もし、浅田選手が肌感覚で、環境の変化を感じていたとすれば、ショートにおけるトリプルアクセルの失敗は、予想以上に心的なショックを与えたかもしれません。

一方で、そのような環境の変化に気付かずに、2度目の五輪ということで、多くの日本のファンが浅田選手を自己投影的な存在にしてしまったようにも感じられます。

ある生命保険会社の一連のCMでは、高校野球で「夢」破れた若者が、あるいは、就職活動で苦戦している若者が、浅田選手に「夢」を託します。私たちができなかった「夢」を、浅田選手がやってくれるので、私たちも与えられた、繰り返される日常を頑張るという筋立てです。

私は、CMが悪いとは考えていません。CMは、浅田選手への多くの日本人の感情表現であるように思えるからです。当ブログ、2012年11月27日付にあります通り、私も例外ではありません。

前々回、ソチ五輪へ参加している日本人選手が国を背負い過ぎているのではないかと記しました。代表選手が、荷を降ろして、自分の周辺の人々のために頑張ることのほうが、結果的に国への貢献にもなるように考えたからです。

しかしながら、浅田選手の場合は、単純な期待ではなく、人々の人生の「夢」までも託されていたのかもしれません。もちろん、浅田選手も、それをご自分の力にされてきた可能性もあります。

もし、今回、それが結果として、浅田選手への過度のプレッシャーになっていたとすれば、今後、皆が託した「夢」を、それぞれが引き取り、それぞれが自分なりに「夢」を背負っていくしかないのではないでしょか。今まで背負ってきてくれた浅田選手に最大限の敬意を払いながら。そして、身軽になった浅田選手が、これからもリンクで滑り続けてくれることを願って止みません。

最終的にソチ五輪の浅田選手は6位でした。フリーは自己ベストの素晴らしいパフォーマンスでした。

ソチ五輪で、浅田選手がもし簡単に金メダルを取ってしまったら、私たちは気付かないことがあったかもしれません(浅田選手に「夢」を託し続けたことでしょう)。国が何個メダルを取るかよりも、もっと大切なことが五輪(人生)にはあるように思えます。

浅田選手には、やはり、「ありがとう」しかありません。

2014年2月19日 13:57

2人の学者の挑戦:映画『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち』にみる大学教師像

日本では入試シーズンです。今年も多くの若者が、大学に入学してきます。

『グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち』(原題:  Good Will Hunting)

制作国 米国
制作年 1997年
監督   ガス・ヴァン・サント
主演   マット・デイモン、ロビン・ウィリアムス、ベン・アフレック
脚本   マット・デイモン、ベン・アフレック

あらすじ
【現代の米国、ボストン。名門マサチューセッツ工科大学(MIT)で清掃作業員をするウィルは、本を読めば何でも頭に記憶してしまう天才であった。しかし、子供の頃から虐待を受けていたウィルは、人間関係が極限られた仲間としか築けなく、社会に適応できなかった。喧嘩をしては鑑別所入りを繰り返す彼は、社会の底辺において自分の才能を持て余していた。ある日、MITの数学者で看板教授ランボーが、大学の廊下の黒板に難問を提示すると、学生の誰もが解けない中、掃除をしながらウィルはすらすらと回答してしまった。ウィルの非凡な才能を見出したランボー教授は、彼の才能を開花させようとする。数学を教えながら、ウィルの心の傷を癒すために様々な心理学者にカウンセリングを依頼するが、彼の反抗的な態度が改善されない。ランボー教授は、最後の手段として、学生時代の友人で近くのコミュニティカレッジ(短大)で心理学を教えているマクガイヤ博士を紹介する。ウィルは、最初はマクガイヤと向き合うことを拒否していたが、マクガイヤも自分と同じように心に深い傷を負っていることを知り、徐々に彼と対話するようになる。やがで、自分自身を見つめ直したウィルは、新たな旅立ちを決意する。】

色々なことを学べる作品ですが、2人の学者の姿が印象的です。

一人は、数学者でMITの看板教授ランボーです。ランボー教授は、天才青年ウィルを「発見」し、彼がどれ程、私生活に問題があろうとも、才能を見捨てることができないのです。ランボー教授自身をも潜在能力的に凌駕するウィルの存在は、数学者ランボーの「敗北」でもあるのですが、ランボー教授が数学の最前線にいるからこそウィルにその先の世界を切り開いて欲しいと願うのです。おそらく、それは、(物語上であったとしても)ランボー教授が本物の学者である故なのでしょう。

もう一人の学者はランボー教授の学生時代の友人で、現在はボストンのコミュニティカレッジ(短大)で心理学を教えているマクガイヤ博士です。彼は、子供の頃、恵まれない生活を送り、大人になってからは最愛の妻を亡くし、(妻の長期の看病生活とその後、目標を失っていたこともあり)第一線の研究から身を引いて短大で教壇に立っています。マクガイヤ博士はランボーのような有名教授ではありません。しかし、心の傷を負っている天才青年ウィルに、体当たりで対峙し、自分も傷付きながら(逃げずに)「生きる」ことを教えます。

本作品は前半において、在野に埋もれる天才のサクセスストーリーかと思わせながら、後半には教育論になっていきます。ウィルを巡り、数学をさせたいランボー教授と、まずは人として独り立ちさせたいマクガイヤ博士の「戦い」が展開されます。そして、その中で、ウィルは自分の人生を見出していきます。重要な点は、2人の学者も、ウィルと係わることで、自分たちも新たな世界に踏み出そうとしていることです。

2人の学者は、それぞれ(実際には有り得ないくらい)立派で尊敬すべき存在です。私は足元にも及びません。しかしながら、どのような大学教員であっても、学生のグットウィルをハンティングする(探し求める)という気持ちを抱かなければいけない、と思わせる作品です。

2014年2月17日 04:43

ベストパフォーマンスを導くには、国を過剰に意識しないほうが良いのでは?

五輪の公式ニュースで、金メダルの「本命」とされたスキージャンプ女子ノーマルヒルの高梨沙羅選手が、4位に終わりました。高梨選手は帰国後、「結果を残すことができなかったので、今は申し訳ない気持ちでいっぱい」と謝罪しました(読売新聞、2月14日)。

高梨選手が勝てなかった理由は、複合的かもしれません。しかし、どのような理由であっても、17歳の高梨選手が謝る必要はないと思うのです。

日本は、男子フィギュアスケートで金メダル(羽生結弦選手)、ジャンプ男子個人ラージヒルにて銀メダル(葛西紀明選手)、ノルディックスキー複合個人ノーマルヒルで銀メダル(渡部暁斗選手)、スノーボード男子ハーフパイプで銀メダル(平野歩夢選手)と銅メダル(平岡卓選手)を獲得していますが(17日現在)、全体的には日本代表選手は苦戦しているように見えます。

今季のワールドカップ(W杯)にて13戦10勝と圧倒的な強さを見せていた高梨沙羅選手だけではなく、女子フィギュアの金メダル候補である浅田真央選手が団体戦、女子ショートプログラムで3位に留まりました。

五輪でメダルを獲得することは、至難の業であると認識しながらも、日本人選手は実力を発揮できないケースが少なくないように思えます。五輪でパーソナルレコードを出すような例は、比較的少ないように見られるのです(女子ジャンプで優勝したドイツのカリナ・フォクト選手は、過去W杯2位が最高順位だったそうです)。

メダル至上主義ではいけませんが、日本チームには、ベスト・パフォーマンスができない環境があるとすれば残念です(もちろん、前出の葛西選手のような「レジェンド」もおられますので、簡単に一般化はできませんが)。

それは、プレッシャーに弱いというような単純なものではなく海外選手と日本選手では背負っているものが違うように見受けられます。

当ブログの2012年8月11日付にて、英国映画『炎のランナー』(1981年)を採り上げました。同映画は、実在した2人の陸上選手をベースにした物語です。スコットランド人の、エリックは教師の家庭に生まれ、自ら宣教師となることを運命付けられており、神のために走ります。ユダヤ人のハロルドは差別される中、自分の能力証明のために走ります。結果的に、2人は1924年のパリ五輪において、2つの金メダルを英国にもたらします。

他国の選手が、母国の重圧から解放されているとは言いません。それぞれの国の代表なのですから、プレッシャーはあるでしょう。しかし、考え方として、欧米圏の選手の場合、概して、第一に自分の名前で勝負しており、1人で国を背負っているようには見えないのです。

あの独裁国家の場合はどうなのかと思われるかもしれませんが、実は勝たなければ、自分と家族への汚名や懲罰があるとすれば、やはり、実際には自分と自分の家族のために頑張ることになるように考えます。

確かに五輪は国対抗戦ではありますが、国を過剰に意識しないほうが良いのではないでしょうか。そのほうが、結果的にメダルをもたらすことで国への貢献にも繋がるような気がします。

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プロフィール
安井裕司
安井裕司
エジンバラ大学、バーミンガム大学博士課程に学ぶ。その間、ルーマニア・アカデミー歴史学研究所研究生。国際政治学博士(PhD)。国連大学国際紛争研究所インターン、夏期講習クラスコーディネーター、法政大学国際日本学研究所客員研究員等を経て、現在、早稲田大学エクステンションセンター講師、日本経済大学神戸三宮キャンパス教授。
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