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グローバル化は足元からやってくる ~国際学で切り取る世界と社会~

2013年12月

2013年12月28日 00:44

失われた昭和を求めて:映画『白い風船』が描く懐かしきコミュニティ

20年前の1993年の夏、当時大学生だった私がルーマニアのトランシルヴァニア地方の田舎を歩いていると、窓から干された洗濯物、子供を呼ぶかん高い母親の声が、とても懐かしく聞こえて、見えてきました。映画『白い風船』を観た時、同じような懐かしさを覚えました。

『白い風船』(英題:  The White Balloon)

制作国 イラン
制作年 1996 年
監督   ジャファル・パナヒ
主演   アイーダ・モハマッドカーニ、モフセン・カリフィ

あらすじ
【イラン暦1373年の大晦日(西暦1995年5月)のテヘラン。7歳の少女ラジェはお母さんに新年飾りの金魚を買ってくれとせがむが、母親は自分の家の池に泳いでいる金魚と同じだからと言って駄目だと言う。ラジェは、街の金魚屋さんで売っているヒレが大きくて花嫁さんみたいに綺麗な金魚が欲しく、お兄ちゃんのアリに宝物をあげると約束し、お母さんと掛け合ってくれるように頼み、やっと金魚を買って貰えることになった。ラジェは、大事なお札500トマーンを金魚鉢に入れ、街に出かける。紆余曲折ありながら、1人でやっと金魚屋に着くと肝心のお金がない。「来た道を探したら見つかるよ」とお店のおじさんに言われて探すと、500トマーンのお札は側溝に落っこちていた。側溝のそばで困っているとお兄ちゃんが心配してやってくる。お兄ちゃんは側溝に接する閉まっている店から取って貰おうと、店の人の家を探しに行くが、ちょうどお風呂に入っていたので、お店に来てくれるように伝言を残し、ラジェの元に戻る。そうすると、アフガン人の風船売りの少年が通りかかり、お兄ちゃんは彼が風船を繋いでいる棒を強引に借りる。最初は喧嘩腰だったが、事情が分かるとアフガン人の少年は、お札をくっつけるためのガムまで買ってきてくれる。お店の人も駆けつけてきたが、瞬時の差で、少年がガムでお札を取るのに成功する。兄妹は一目散に金魚屋に走っていく。店主は「自分たちで拾えるなら、なんで私を呼んだんだ」と言い残して去り、後には白い風船の棒を持った、風船売りの少年だけが残される。1374年の年が明ける。】

映画は、「現在、5時7分です。新年まで後1時間28分30秒です」というラジオ放送から始まります。どう見ても冬ではなく、時間と季節感が壊されます。

しかし、その物語で展開される内容は、なぜかとても「懐かしさ」で溢れているのです。お店で売っているヒレが大きくて花嫁さんみたいに綺麗な金魚が欲しいという少女の気持ち。母親やお兄ちゃんとのドタバタ劇。頑固な父親。金魚屋さんに行く途中に立ち寄った、蛇売りのおじさんの怪しさ。金魚屋さんの子供への対応。見知らぬ子ども同士の「友情」。

大人は、ちょっと怪しくて、(子どもに対していい加減で)意外に優しいのです。子供は、自分たちの間合いで自分たちの秩序を形成しています。

本作品に描かれる社会空間は、私たちが「昭和」と呼ぶ時代のシーンとそっくりです。『サザエさん』であり、『ちびまる子ちゃん』、『天才バカボン』の世界です。

【敢えて注釈をつけるとすれば、映画『3丁目の夕日』同様、近代化のプロセスのマイナス部分は描かれず、毒抜きされた「昭和」かもしれないということです。本当のことは、現地にいかなければ分からないかもしれませんが、この映画がイラン国内で回顧的に受け止められるとすれば、イランも近代化しており、コミュニティは部分的に崩れている可能性もあります。】

私は昭和の子供でしたので、昭和のクリスマスから大晦日の時間と空間の非日常性を知っています。単なる1週間ではなく、その前の週と「空気」が違うのです。

それでは、イラン暦1373年のテヘランの大晦日に、私が知っている(極めて似ている)昭和の大晦日があるのはどうしてなのでしょうか。

おそらく、昭和とは、経済発展の中における普遍的な現象が、日本に現れた時代だったのかもしれません。それは、イランにもインドにも中国にも来る、もしくは既に来ているものかもしれません。時間を戻すことができないという条件下において、もう一度、「昭和」に会いたいとすれば、イランに行くしかないのです(イランでも、イラン暦1373年は過ぎ去っており、もうないかも知れません。もしくは、前述の通り、1373年の段階でイランにもなかったのかもしれません。)。

映画の途中で『天才バカボン』のレレレのおじさんのような人(実は、それ程似ていないのですが)が、自転車に乗って何度かDarya Moje(デリアーモジェー)という歌を歌いながら徘徊しています。内容は「海が荒れている 兄弟よ 海が荒れている」というものらしいのですが、最後に、子供たちに呼び出されたお店の主人が、レレレのおじさんのこの曲を聞くと「まだ、海は荒れているんかい?」と言い捨てます。

おじさんは無視して、歌い続けます。デリアーモジェ!デリアーモジェ!

良いお年をお迎えください。

2013年12月25日 01:19

クリスマスに働きますか?

英国のオックスフォード州グレートハスレーという町にあります「プラウ」というパブ・レストランの28歳の料理長が、クリスマスの出勤を拒否して解雇されました(BBC News Oxford 、12月16日)。

お店側の言い分は、「料理長がクリスマスの日と直近の日曜日は働かないと言ってきた時点で、契約を終わらせる以外に選択肢はほとんどなかった」、「10月に採用した時に、日曜は店が最も混むので調理師全員が働かなければならないとはっきり伝えてあった」というものです(CNN、12月17日)。

料理長の言い分は、「自分にも7歳半の娘がいる」、「家族と共に過ごしたい」というのです(同上)。

両方の主張に正当性がありますが、このどこにでもありそうな出来事がニュースになりましたのは、料理長がツイッターの同店の公式アカウントに、「悪い雇用主」を揶揄する投稿を書き込んだことです。

更に英国らしいのは、このニュースが広がり、既にこの料理長への再就職のオファーが届いているということです(同上)。

つまり、家庭のためにクリスマス休暇を取ることで仕事を辞めることは、多くの英国人がネガティブな行動とは認識していないということになります。彼が、料理人として腕利きであるならば、家庭を大切にするシェフは社会的に許容されるのです。むしろ、そのような料理人をお店が雇うことが社会的に宣伝にさえなるかもしれません。

こういうニュースは、日本ならばどうだろうと思わざるを得ません。最も稼げるシーズンに、家庭を事情に仕事を休むことは許されるでしょうか。同じように解雇された際、他の会社が雇おうとするでしょうか。

解雇されるまでは、日英(その他の国)においても共通性がありますが、その後が異なるようにも思えるのです。

日本は、非常にコンビニエントな社会です。日本での生活の何が素晴らしいかと言えば、24時間コンビニが開いており、自販機がどこでもあることです。消費者とすれば、これ以上にコンビニエントな社会はないかもしれません。しかし、人は消費者と同時に、労働者でもあります。労働者としては、24時間(誰かが)働かなくてはならない社会でもあります。

先日、私の勤務校の留学生たちにクリスマスは何をするかと尋ねました。

皆、異口同音に「バイト」と答えていました。特に、中国出身者にとって、クリスマスは重要なイベントではないそうです。彼らのスケジュールが「空いてて良かった」というところでしょう(もちろん、クリスマスに働く人は、全国的には留学生よりも日本人のほうが圧倒的に多いと思いますが)。

クリスマスは、人々の差異を明瞭化させてしまう1日です。働く人、働かない人もその一つのようです。

2013年12月22日 00:00

人生には意味があるのか?:映画『ハンナとその姉妹』が示すその「答え」

米国では、感謝祭(11月の第4木曜日)からクリスマス(12月25日)までの約1ヶ月は特別な時間が流れているのではないかと考えます。この時期にいつも思い出す映画があります。

『ハンナとその姉妹』(原題:  Hannah and Her Sisters)

制作国 米国
制作年 1986年
監督   ウディ・アレン
主演   ミア・ファロー、ダイアン・ウィースト、マイケル・ケイン、ウディ・アレン

あらすじ
【毎年恒例の感謝祭のパーティの日から物語が始まる。ニューヨークに住み、両親も俳優という芸能一家に生まれたハンナは三姉妹の長女。彼女は、女優をしながら主婦業もこなし、夫エリオットと平和な家庭を作っている。ハンナには売れない女優で、時々、ハンナに借金を頼みに来る次女・ホリーと、堅物な画家と同棲している三女のリーがいる。感謝祭のパーティで久しぶりに三女のリーと再会したハンナの夫エリオットは、ふとしたはずみで三女のリーと深い仲になってしまう。そのような中、ハンナの家に前夫で、テレビ・プロデューサーをしているミッキーが訪ねて来た。かつて、ミッキーの問題で子供ができないことから、夫婦関係がおかしくなり別れてしまったのだが、今では親友としての関係に変わっている。ミッキーは一種の病気恐怖症で、常に自分が何かの病気に冒されているという恐怖に怯える。精密検査の結果、深刻な病気ではないことが判明するが、いつか死ぬことを実感し、仕事を辞め、様々な宗教に救いを求めるが、答えが見つからない。】

ウディ・アレンが演じるミッキーは、人生に意味があるのかを悩み、自殺まで試みます。映画のある場面において、字幕でトルストイの以下の言葉が出ます。
"The only absolute knowledge attainable by man is that life is meaningless"(人は結局、人生は無意味だと悟るだけだ)Leo Tolstoy, "A Confession"

ウディ・アレンは、マルクス兄弟のコメディ映画を映画内の映画として用いることで、「人生の意味」の答えを自ら示します。

登場人物のミッキーは、自殺を失敗した後、映画館で『我輩はカモである』(1933年)を見て、自殺をするなんてばかばかしいことだと悟ります。マルクス兄弟=グルーチョ、チコ、ハーポ、ゼッポは、『我輩はカモである』の中で、踊ったり、歌ったりして、ただ単に面白いだけなのです。

ミッキーは結論付けます。人生に神がいなくても(人生に意味があっても無くても)、人は生きて死ぬだけならば、終わりが来るまで楽しめば良いのではないかと。

ミッキー(ウディ・アレン)の哲学は、ハンナ、ホリー、リーの三姉妹の物語の筋にもなっています。感謝祭から翌年の感謝祭まで、泣いたり笑ったりドタバタしながら1年が過ぎています。細かいことはどうでも良いのかもしれません。

ウディ・アレンの代表作の一つと称されるこの作品に、私は高校時代に出遭いました。私は、担任の先生にトルストイの言葉の意味を問いただしたところ、「早く大学に行きなさい」と言われただけでした。私は大学のみならず大学院に進学し、(一応、勉強をしながら)映画館に通いました。しかし、いまだ、ウディ・アレンと同じ境地に達しているとは言えません。

2013年12月21日 00:00

なぜ、北朝鮮は南アフリカに弔電を打てたのか

前回、12月13日に北朝鮮民主主義人民共和国の張成沢・前国防委員会副委員長が処刑されたことに言及しました。

ちょうど、その1週間前の12月6日、朝鮮中央通信によれば、北朝鮮の金永南最高人民会議常任委員長が、先日死去した南アフリカのネルソン・マンデラ元大統領の死去を受け、「反人種主義と民主主義のための闘争を積み重ねたマンデラ氏の業績は、南アフリカ人民と人類の記憶に永遠に残るだろう」と南アのジェイコブ・ズマ大統領宛に弔電を打ったとされています(時事ドットコム、2012年12月7日)。

「処刑と民主主義」は、矛盾します。しかし、北朝鮮の立場で彼らのロジックを解析すれば、北朝鮮の理屈が分かってきます。

北朝鮮(北朝鮮民主主義人民共和国)は、その国名の通り、「民主主義」を名乗っています。その根拠は、第二次世界大戦中において日本の「帝国主義」から独立を勝ち取ったということになるのでしょう。

「反人種主義」とは、日本が日本の支配下において「人種主義」的な政策を採っていたということからくると考えられます。

日本の「帝国主義」、「人種主義」に関しては学術的な定義による考察が求められ、諸学説を検証する必要がありますが、その使い方に疑問があるとしても、大日本帝国であった日本が、朝鮮半島を占領下としていた頃、朝鮮の方々に非人道的な大変酷いことをした事実は否定できないでしょう。

北朝鮮の「民主主義」とは、その歴史における日本の「帝国主義」に対峙する概念であるということです。

確かに、北朝鮮は「帝国」ではないし、「人種主義」的ではないかもしれません。王制でも天皇制でも首長制でもなく、名目上「共和制」です。ですから、彼らは彼らのロジックにおいてマンデラ元大統領の業績を讃えて、弔電が打てるのです。

しかしながら、それが名目上でしか過ぎないことは、周知の如くです。北朝鮮は「帝国」でもなく、「人種主義」と採っていなくても、独裁であるため民主主義国家ではないのです。

そんなこと当たり前だと言われるかもしれませんが、ここから学ぶことは少なくありません。

農民も商人も、軍人も王様も、官僚も政治家も、共産主義者も反帝国主義者も、反人種主義者も反日主義者も、環境が「合致」すれば独裁者になれるのです。

英国史を紐解けば、17世紀、清教徒革命において議会派の代表として王党派と戦い、革命を成し遂げたオリバー・クロムウェルが、最終的に議会を解散して終身護国卿(護民官)となり、「独裁者」となったことにみられるように、状況次第で民主主義者でさえ、独裁者になれるのです。

北朝鮮の張成沢氏の処刑は、時代錯誤だ、戦国時代のようだというテレビのコメンテーターの声が流れていました。確かに、現象だけを見ればその通りですが、戦国時代まで(クロムウェルの時代まで)遡らなくても、独裁の事例は世界中に散見されるように思えます。

2013年12月18日 00:07

軍と独裁

12月13日、北朝鮮民主主義人民共和国の張成沢・前国防委員会副委員長が処刑されました。張氏は、金正恩第1書記の叔父に当たり、北朝鮮におけるナンバー2の権力者であったため、大きなニュースとなっています。

理由として挙げられていますのは、張氏が金正恩第1書記の独裁体制に対してクーデターを企てたということです。12月12日に開かれた特別軍事裁判において、張氏は「政権への野心に狂って分別を失い」軍を動員してのクーデターを画策していたと指摘されています(産経ニュース、12月8日)。その後、「国家転覆陰謀行為」によって死刑判決が下され、ただちに執行されたとみられています。

実際に、張成沢氏がクーデターを計画したのかどうかは定かではありません。しかし、北朝鮮のような独裁国家においては、市民社会が弱体であり、大衆による「革命」によって体制がひっくり返る可能性は高くはなく、もし、現在の体制が崩壊するとすれば、軍部の「裏切り」しかないように考えられます。

例えば、1989年のルーマニア革命では、(チャウシェスク一家が長年ルーマニアを独裁的に支配していたのですが)最終的に軍部がニコラエ・チャウシェスク大統領を裏切る形で「革命」が成立したのです。

ルーマニアでは市民社会が弱体であり、1956年のハンガリーのハンガリー動乱、1968年のチェコスロバキアのプラハの春、1980年代のポーランドの連帯運動と同規模の反体制運動が起こらなかったのです(ルーマニアには、小規模ながら反体制運動が存在した歴史もあり、北朝鮮と同じではありません)。

市民社会が弱体である独裁国家では、しばしば、軍隊が民意を結果的に反映することがあります。特に徴兵制を敷いている場合は、成年男子が全て軍に入っていることは、独裁者にとっては「怖い」存在にもなり得るのです。

独裁者は、国民軍よりもより身近な取り巻き部隊であります「秘密警察」を、より信用します。そして、独裁者の個人の軍隊である「秘密警察」は、最後まで独裁者のために戦います。ルーマニア革命の終盤にも見られたように、独裁政権の崩壊過程において、「秘密警察」と国民軍(元政府軍)が戦火を交えることがあるのです。

北朝鮮における金正恩第1書記による、自らの叔父の処刑という「身内」の粛清は、軍と何らかの関係があるのでしょうか。軍を味方につけるためには、「身内」の処刑も必要だったということでしょうか。

12月17日、北朝鮮では、金正日総書記の死去から2年となり、平壌で中央追悼大会が開かれました。大会では金正恩第1書記の左隣に崔竜海・朝鮮人民軍総政治局長が並び、事実上のナンバー2の座についたとみられています(日経新聞、12月17日)。

今後も、軍との関係に注目しなければなりません。

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プロフィール
安井裕司
安井裕司
エジンバラ大学、バーミンガム大学博士課程に学ぶ。その間、ルーマニア・アカデミー歴史学研究所研究生。国際政治学博士(PhD)。国連大学国際紛争研究所インターン、夏期講習クラスコーディネーター、法政大学国際日本学研究所客員研究員等を経て、現在、早稲田大学エクステンションセンター講師、日本経済大学神戸三宮キャンパス教授。
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