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グローバル化は足元からやってくる ~国際学で切り取る世界と社会~

2013年9月

2013年9月30日 02:01

堺市長選挙に思う:「上から」の地方分権の限界

9月29日に投開票されました大阪府の堺市長選は、現職の竹山修身氏(自民支持、民主推薦)が、大阪維新の会公認の西林克敏氏を破り、再選を果たしました。

今回の選挙は、大阪維新の会が掲げる「大阪都構想」を巡るものでした。竹山氏は「堺はひとつ! 堺を無くすな!」「堺の財源が都に奪われ、住民サービスが低下する」(毎日新聞、9月29日)と真っ向から反対していました。結果として、(人口84万人を数え、大阪府の第二の都市であります)堺市の市民が竹山氏を選択することで、「大阪都構想」へ反対を表明した形になりました。

私は個人的には、大阪府がより実権を持って政治や経済を動かすことに賛成です。

米国の社会学者ダニエル・ベルが、早くも1980年代に「国民国家は、生活の小さな問題をきめ細かく解決するには大きすぎ、大きな問題を処理するには、あまりにも小さすぎる」(慶応国際シンポジウム実行委員会編『地球社会への展望:慶応国際シンポジウム』日本生産性本部、1980年、261頁)と指摘しているように、生活の小さな問題をきめ細かく解決する役割は国家ではなく、(地方)都市になるのでしょう。

ただし、問われることは。その「地方のかたち」です。トップダウンではなく、ボトムアップではなくてはならないのです。

当ブログ2011年10月19日に記しました通り、スイスやイタリアでは、イタリア語の「コムーネ」、ドイツ語の「ゲマインデ」、フランス語の「コミューン」と称される「基礎自治体」が、文字通り、地方自治の「基礎」となっています。

スイスの場合、その上層の「州(カントン)」は、「基礎自治体」の集合体として存在するのです。

「基礎自治体」の多くにおいて、直接民主主義で政治が行われており、ボトムアップで州政府が構築され、そして、州の集合体として連邦政府があります。ボトムアップであっても、政治において「基礎自治体」と「州」と「連邦」が対立することはありますが、全ての基本である住民の意思によって解決がなされていきます(スイス型民主主義が完璧なシステムであるとは申しませんが、トップダウンを極力許さない姿勢は評価できます)。

大阪維新の会の「大阪都構想」は、スイス型には見えません。自由都市の歴史を誇る堺市から見れば、日本の中央主権を否定しても、大阪に中央集権ミニ政府が出来てしまえば、「(ミニ)権力」が近い分、「自由」が奪われると感じるのも自然です。

しかしです。今日の大阪に課題が山積しており、大阪維新の登場を大阪府民が求めた事実は否定できません。

堺市に本当に自由都市のDNAがあるならば、日本を代表する「基礎自治体」として、堺から「基礎自治体」をコアにした新たな「都構想」(連邦構想)を提案して頂きたいと願います。

2013年9月28日 21:29

多様性はどこまで許容されるのか:映画『インターンシップ』にみる米国社会

約20年前、私が大学学部に在学していた頃と比較し、大学は大きく変わっています(変らないところも少なくないのですが)。異なることの一つにインターンシップ制度があります。就職前に企業に無給(時に有給)で試験的に働くインターンシップが近年、一般化され、多くの大学で単位としても認められています。インターンシップは単なる経験ではなく、その後の正規採用にも繋がってくることもあります。

『インターンシップ』(原題:  The Internship)

制作国 米国
制作年 2013年
監督   ショーン・レヴィ
主演   ヴィンス・ヴォーン、オーウェン・ウィルソン

あらすじ
【時計のセールスマンであった40歳代のビリーとニックは不況によって会社が倒産し、失業する。ネットで仕事を探していたビリーは、広くインターネットビジネスを展開するGoogle社のインターンシップに参加することを思いつく。同社のインターンシップに参加すると、その中の勝者の何人かが正社員として選抜される仕組みになっていた。ビリーはニックも誘い、IT時代に乗り遅れた2人が、Google社で20代の若者とドタバタ騒ぎを起こしながら競いあう。】

映画のストーリーとしては予定調和的であり、(おそらく)皆さんが予想されるように、紆余曲折ありながらも、ビリーもニックはIT分野において何もできないのに(何もできないからこそ)勝っていきます。

多様性を重視するさすがのGoogle社も、40歳の通信教育大生(と嘘をついた2人)をインターンシップとして採用するケースは稀でしょうし、現実には彼ら(のような中年)が優秀な若者に「勝つ」というのも多難でしょう。

しかしながら、彼らのようなユニークな存在も、多様性社会においては必要なのではないかとも思えます。

以前、大手証券会社に勤務していた知人が、バブル時代においても日本の証券会社が米国の金融機関大手に適わなかった理由を、多様性の欠落にあるのではないかと語っていました。欧米の金融大手は、経済、経営を専攻した学生ばかりではなく、歴史や古典を学んだ優秀な学生を敢えて採用していたというのです。一見、金融とは何の関係もない専門家を会社にいれることで多様化を図っており、実際、そのような多様化こそがグローバリゼーションの時代の会社運営には必要なことだったのではないかと知人は言います。

それを年代別に置き換えれば、20代、30代ばかりではなく、40代、50代の職員がいることはたとえIT会社であっても、マイナスどころか大きなプラスになるように思えるのです。

同映画はコメディですので、上記の多様性を面白おかしく描いていますが、主張はまっとうであるように考えます。

もちろん、重要なことは多様性だけではなく、その企業にとって利益を生む「優秀さ」を同時に求めていかなくてはいけなく、それが大変なのですが。。。

Google社のプロモーション映画のような側面は興醒めでもあるのですが、本作品が多様性を重んじる米国社会の一面を映し出しているのは確かなのではないでしょうか。

2013年9月27日 01:22

『謎の独立国ソマリランド』から考える氏族制と平和

当ブログ9月23日でも紹介しましたが、高野秀行氏が書かれた『謎の独立国ソマリランド』というノンフィクションの大作を面白く読みました。

高野氏は、「ソマリランド」と称される(映画『天空の城ラピュタ』のような)知られざる平和な「国」がアフリカのソマリア共和国内にあると聞き、自分の足でその存在を確認したいと思い立ち、調査が始まります。そして、実際に氏は「ラピュタ」を見つけるのです。

国際的には「ソマリランド」は独立を承認されておらず、ソマリア共和国内の地域(国家内国家)なのですが、同じソマリアでも首都モガディショがある南部は、表面的にはマンガ『北斗の拳』のような武力だけがモノを言う国であると描写されます(複雑なことに「ラピュタ」国家と「北斗の拳」国家に挟まれた地域に別の海賊国家「プントランド」があるのです)。

同じソマリ人の住む地域(ソマリア)なのになぜ、「ソマリランド」だけが平和なのでしょうか。その理由を、高野氏は「ソマリランド」の氏族制に見出していきます。

「ソマリランド」もかつて何度か内戦状態に陥りましたが、その度に氏族の長老たちが集まり和解してきたというのです(『謎の独立国ソマリランド』、112頁)。逆に表現すれば、戦いそのものが氏族単位で行われており、故に和平も可能だったということになります。「争って和解をし、そして和平が破られ戦い、そしてまた和解する」このプロセスを繰り返しながら、徐々に平和が培われ、平和国家が構築されていくのです。

それでは、なぜ南部ソマリアでは、氏族の平和が不可能かと言えば、1960年にソマリアが独立する以前の植民地時代の歴史の違いにあるとします。北部は氏族制度を温存した英国による間接統治だったのに対し、南部はイタリアによる直接統治であり、故に中央集権化された南部においては氏族制度が弱体化し、北部のように長老の力が強くないというのです(同上、118頁)。

興味深いことに、都市化、近代化という観点からは「北斗の拳」の国・南部ソマリアのほうが遥かに進んでおり、平和の国「ソマリランド」は牧歌的で田舎であると高野氏は結論付けます。住んでいる人も、北部の人間は野暮で自分勝手であり、南部の人間のほうが洗練されて、付き合い易いというのです。

一般のソマリアのイメージはエンドレスな内戦と「政府無き海賊国家」であり、むしろ未開の国のような感じですが、内情はそうではないという高野氏の指摘は的を射ているように思えます。

ヨーロッパで言うならば、平和国家「ソマリランド」は、中世の戦争のように貴族同士が一定程度の秩序の下に闘い、それ故に平和も構築できたことになります。一方で、氏族制度が崩壊した近代社会である南部ソマリアは泥沼の大衆戦争しか展開できないことになります(厳密には南部にも歪な形で氏族制が残存しているようですが)。

高野氏は、「ソマリランド」には「西欧民主主義を超えたもの」(同上、495頁)があると記します。

しかし、社会発展論的に考えてしまうと、「ソマリランド」の平和がいつまで維持できるのかが心配になってきます。グローバル化の今日、氏族的統治は持続可能なのでしょうか(同上の後半には「ソマリランド」の氏族制度の限界も記されています)。「ソマリランド」が牧歌的(氏族的)平和を維持したままグローバル化する「第三の道」はあるのでしょうか。

同書は、高野氏が体を張って(命を懸けて)取材したノンフクション作品であり、素晴らしい読み応えです。そして、同時に「発展とは何か」「国家とは何か」「平和とは何か」を考えさせられます。

2013年9月25日 02:57

対立する勢力の両方から批判される意味:映画『ジ・イースト』の主体性

作品として成功した映画は、時に対立する複数の団体、組織の両方から(例えば、左翼と右翼から)批判されることがあります。

『ジ・イースト』(原題:  The East)
制作国 米国
制作年 2013年
監督   ザル・バトマンクリ
主演   ブリット・マーリング、エレン・ペイジ、パトリシア・クラークソン

あらすじ
【元FBIのキャリア女性工作員だったサラは、転職し、民間調査会社の調査員となった。最初の仕事として上司から巨大企業に攻撃を仕掛ける環境系過激派(エコテロリスト)組織「ザ・イースト」に潜入し、実態を調査するミッションを受ける。サラは、仕事として割り切って組織に侵入しながら、 組織内で、助け合いながら生きるコミュニティの一員として生活するうちに、彼らにある種のシンパシーを覚え、また、カリスマ指導者に心を奪われる。そして、顧客の大手企業の利益を守るだけである本来の任務に疑いを抱くようになっていく。しかし、同時に、目的のために手段を選ばないエコテロリストの方法に対しても、わだかまりを持ち続けながら、自分自身の道を模索していこうとする。】

米国公開後、物議を醸した作品です。映画評論家の町山智浩氏によれば、一部の企業擁護者側からは「これはエコテロリストを物凄く賛美している」と批判され、一方で、一部の環境系活動家からも「これはエコテロリストを非常に危険なグループとして描いている」とクレームが出たそうです(TBSラジオ『たまむすび』2013年6月18日放送)。
確かに、本作品においてエコテロリストを賛美するシーンもあり、反対にエコテロリストを否定的に描いてもいます。それが、ストーリー上、矛盾もせず、理に適っているのは、主人公の女性の目を通してエコテロリズムを客観視しているからでしょう。

当ブログ9月18日に紹介しました映画『プロミス・ランド』は、A案かB案か、提示された答えを選択する物語でした。しかしながら、本作品『ザ・イースト』では、Aが描かれ、Bも描かれ、最後にCを模索していきます。

AかBを選択する映画ではないので、はっきりしません。

また、Cの結果は分かりません。更に、「Cの道」自体も今後、批判の対象になっていくのかもしれません。甘さもあるでしょう。それでも、社会派の映画には未来の理想に向かって果敢に挑戦する姿があったほうが良いように思えます。

主人公のサラの目は、観客の目になります。物事の「答え」を選ぶ前に、主体性を持ち自分で考えようと訴えてきます。

2013年9月23日 01:37

ケニアのテロ事件を考える

9月21日、ケニア共和国の首都ナイロビのショッピング・モールでイスラム系武装組織「アル・シャバーブ」による襲撃事件が発生し、多数の犠牲者が出ました。ケニア赤十字によると死者数は69人、負傷者数は少なくとも175人に至っています(毎日新聞、9月23日)。

ケニアでの事件ですが、隣国ソマリアの国内事情が絡んでいると報じられています。

「アル・シャバーブ」は、ソマリアに拠点を置く、ソマリア人のグループであり、2009年から2011年まで、ソマリア南部から首都のモガディシュの一部までも支配下に治めていました。しかし、2011年10月にはケニア軍がソマリアへ侵攻し、「アル・シャバーブ」はソマリア国内で劣勢に立たされていきます。

高野秀行氏の『謎の独立国家ソマリランド』(2013年)によれば、そもそも、ソマリア内戦は、氏族間同士の戦いであり、良くも悪くも「氏族の掟」に則り、行われていたのですが、イスラム教を重んじる過激派の「アル・シャバーブ」は、氏族性が希薄であり、ソマリアの歴史にはない存在だというのです。

それでは、戒律は厳しく、トップダウンであり、禁欲的な「アル・シャバーブ」がなぜ一定程度の勢力を氏族社会のソマリアで獲得できたのでしょうか。高野氏は「アル・シャバーブ」の農村性と被差別性に着眼しています。

「アル・シャバーブ」の戒律が厳しくも、元来、貧しいソマリアの農民は贅沢をしておらず、禁欲的な生活が苦ではないということと、それから、「アル・シャバーブ」が氏族横断的でありながら、差別されている氏族(ラハウェン、ジャレール)に最も支持されており、希薄ながら氏族性、階層性も否定はできないというのです(『謎の独立国家ソマリランド』373-389頁)。

私個人が上記を確認する術はないのですが、「アル・シャバーブ」を単純にアルカイダのブランチのように認識するのは正しくないように考えます。ソマリアの内政事情から考察する見方のほうが、説得力があるように思うのです。

しかしながら、その「アル・シャバーブ」がケニアでテロを起こした背景には、ケニア軍のソマリア侵攻によって弱体化した「アル・シャバーブ」がアルカイダとより結び付こうという意志なのかもしれません(「アル・シャバーブ」の実行犯は外国籍が多いとも言われていますが、それが外国籍のソマリア人なのか、それとも純粋な外国人なのかははっきりしません)。

いずれにしましても、多くの一般市民の犠牲者を出した今回のテロによって「アル・シャバーブ」が氏族性を脱して(既に脱している可能性もありますが)アルカイダ化し、更なる悲劇の始まりにならないことを願うばかりです。

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プロフィール
安井裕司
安井裕司
エジンバラ大学、バーミンガム大学博士課程に学ぶ。その間、ルーマニア・アカデミー歴史学研究所研究生。国際政治学博士(PhD)。国連大学国際紛争研究所インターン、夏期講習クラスコーディネーター、法政大学国際日本学研究所客員研究員等を経て、現在、早稲田大学エクステンションセンター講師、日本経済大学神戸三宮キャンパス教授。
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