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グローバル化は足元からやってくる ~国際学で切り取る世界と社会~

2013年3月

2013年3月31日 23:59

『純と愛』を考える(2):愛はいつ目覚めるのか?

あらすじ(後半)
【大阪の「オオサキホテル」を退社し、宮古島の実家の「ホテルサザンアイランド」も失った純(じゅん)と愛(いとし)の夫婦は大阪に戻るが、古くて狭いアパート暮らしを余儀なくされる。落ち込んでいた純は、家族とも上手くいかず、喧嘩ばかりとなる。そんな時、運命的にであった大阪・大正区にある簡易宿泊所のようなホテル「里や」で働くことになる。「里や」は「オオサキホテル」とは異なり、わけありの従業員と宿泊がたむろしている場所だった。そこを、「魔法の国」に変えるべく、純は孤軍奮闘するが、母親が若年性認知症にかかり、父親も失業し、苦難が押し寄せる。更に、「里や」も経営難に陥り、廃業の危機に直面するが、純と愛夫婦は様々な知恵を出し、愛は「里や」のコックとして働き、得意の料理を提供することになる。全てが上手く運ぶかに見えた矢先、「里や」は宿泊客の寝たばこで火事となり、全焼してしまう。「里や」を失った純と愛は、「里や」の常連客の宮古島の別荘を譲って貰い、宮古島で純の祖父が創った「ホテルサザンアイランド」のような「魔法の国」のホテルを再建することを決意する。ところが、宮古島でホテルのオープンが間近に迫っていた時、愛が脳腫瘍で倒れてしまう。愛は、長時間の手術後も意識が戻らない状態となり、ホテルも台風で壊滅的な被害を受ける。放心状態となった純はホテルのオープンを一旦は諦めてしまうが、認知症となった母の純粋さや、周囲の励ましによって明るさを取り戻し、再びホテルを創ることを決意する。】

後半がスタートすると、夫・愛の立場が変わっていきます(ドラマはいつも純の「おじい~」という語りかけで始まっているのですが、73話ではナレーションが愛の「おじい~」から始まり、変化を教えてくれます)。

愛は、主夫として純を支えるだけではなく、「里や」のコックとなることで、仕事上も純の夢のパートナーとなっていきます。宮古島のホテル再建では、更に愛の役割が大きく、それ故に愛が倒れるとホテルがオープンできなくなってしまうのです。

主夫から共同経営者になった途端、愛は眠りに就きます。純は、また1人で今度は愛の手助け無しで「夢の国」のようなホテルを創らなければならないのです。愛が眠りから目覚めるかどうか、微妙なところでドラマは終わりますが、純は愛の病状に関係なく、ホテル再建を決意します。

最終回において、純はとても強い女性になります。このドラマにおいて「夢の国」のホテルが完成することはありません。常に、プロセスで終わり、順調に事が運ぶと運命の悪戯によって「夢」は破壊されます。純はそれを受け入れて、完成するかどうかわからない「夢の国」建設を続けるのです。

結局、夫・愛の存在は日陰となることで、主人公の女性のサクセスストーリーに昇華されることになります。むしろ、前半よりも後半のほうが、伝統的なNHK朝ドラの物語に近いように感じます。

ドラマとして、夫・愛は「眠り」に就かなくてはいけないのかもしれません。絵本『ねむり姫』は常にドラマに出てきていましたし、既定路線だったのでしょう。しかし、『ねむり姫』が男女逆転(『姫』)を描いているならば、愛には明確に目覚めて欲しかったと思います。それとも、夫が眠っている状態であることのほうが、日本の現実を反映しているのでしょうか。

そもそも、NHK朝ドラは、男女格差が著しい日本において、伝統的に強い女性が描かれる「逆転」の世界なのです。ならば、社会的に活躍する妻・純が弱い女性であり、家庭において能力を発揮する夫・愛が強い男性であり続けることが、「今までない"朝ドラ"」に繋がったのではないでしょうか。

朝ドラで強くならない女性主人公が登場する日はくるのでしょうか。

森下愛子さんが演じる認知症にかかった純の母親は、忍耐強く、優しく、そして、逞しく描かれます。そこに、女性の理想像が帰結してしまってよいのかどうか分かりません(おそらく、夫に仕えることで幸せを得ようとする姿はグローバル化する世界において、それがアリでも、大半の女性の生き方のモデルにはならないでしょう)。ただ、ドラマの舞台の宮古島にも日本にもいて欲しい存在であると思わずにはいられませんでした。

2013年3月30日 00:19

『純と愛』を考える(1):「今までにない"朝ドラ"」とは何か

昨秋から続いていましたNHK連続テレビ小説『純と愛』(2012年度下半期)がクライマックスを迎えました。当ブログでは、2012年10月24日2012年10月27日に2011年度上半期の『おひさま』、2012年10月 6日2012年10月 7日2012年度上半期の『梅ちゃん先生』に言及してきました。

非常に評価の高かった『カーネーション』(2011年度上半期)も含めて、『おひさま』、『梅ちゃん先生』が王道の戦後混乱期を乗り越えた女性の半生記・一代記だったのに対し、『純と愛』は現代ドラマで半年を綴りました。

あらすじ(前半)
【沖縄県宮古島で亡くなった祖父が創った「魔法の国」のようなホテル「サザンアイランド」があった。2代目の大阪出身の婿である狩野善行は商才がなく、ホテルはかつてのような輝きを失っている。長女の狩野純はホテルを継ぎ、「おじいのホテル」を再建したいと思っているが父親の反対に遭い、「ウチよりも大きなホテルの社長になってやる」と大阪の一流ホテル「オオサキプラザホテル」に就職する。面接で「社長になる」と豪語したため、社内のニックネームも「社長」となり、仕事上のトラブルが絶えない。実家の兄と弟も頼りなく、純は孤軍奮闘する。そのような時、「他者の本性が見える」青年・待田愛(いとし)と偶然出会う。愛は人間の表裏の姿に戸惑い、定職にも就けずに苦しんでいたが、まっすぐな純だけは裏がなく、純を見守ることで安心を得ようとする。「他人の本性が見える」という愛の言葉を信じられずにいた純だが、会社や家族の中で孤立する中で、愛に救いを求めていくようになり、2人は付き合い始める。やがて、2人は結婚を誓うが、家出したような形の純の家族にも、エリート弁護士一家で、愛と双子の兄弟を失った傷から立ち直れない愛の家族からも反対される。両家の了承を得ない状態で、2人の結婚生活が始まる。間もなく、純が働く「オオサキプラザホテル」が外資系に買収されることになり、純の実家の宮古島のホテルも赤字経営のため売却されることになる。純は「オオサキ」を退社し、宮古島に駆けつける。】

『純と愛』の脚本を担当した遊川和彦氏は「今までない"朝ドラ"を作りたい」と語られていたそうです(「クランクアップの取材会」『純と愛』NHKホームページ)。確かに、このドラマは異色でした。

NHKの「朝ドラ」の主役は、現代劇であろうと一代記であろうと一貫して女性です。しかし、『純と愛』ではそのタイトル通り、純と愛のダブル主役のような展開になります。もちろん、物語は女性の純を中心に展開するのですが、愛の存在は助演というには大き過ぎているのです。

主役の2人は早くも第7週には結婚します。新郎の愛は、人の顔を見るとその人の本性が見えてしまい精神的に耐えられないため、外で仕事ができなく、専業主夫をします。家事が苦手で「社長」というニックネームが付く程、仕事に前向きな新婦の純は、夫の助けなしでは生活できなくなっていきます。

夫・愛は、人付き合いが苦手な以外は天才的な人物に描かれます。料理はプロ並み、家事だけではなく、語学を始め何でもできるのです。何でもできる夫が、ハンディキャップのために主夫をし、「魔法の国」のようなホテルを造るという妻の夢に賛同し、その夢の実現のために尽力するのです。

前半の感想は、同ドラマも、男女逆転の延長上に認識できるのではないかということでした。ただ、NHKの朝ドラは、伝統的に「逞しく社会で活躍する女性」が描かれてきましたので複雑になります。

朝ドラの主人公の女性は、必ずしも超有名ではなくとも、強く生きていく姿が基本だったのです。ですから、男女逆転を朝ドラに応用しますと、『純と愛』では、純は強い女性でありながらも、人間的な弱さが全面に出されます。愛は、主夫なのですが、何でもできる家庭人なのです。

そのような意味におきまして、『純と愛』は「今までない"朝ドラ"」であったと思います。ただ、このストリーラインですと、純も愛も「強すぎて弱すぎる」点を描く必要があり、感情の起伏が大きいのです。そのため、視聴者に安定感も与える朝ドラではなかったのではないでしょうか。おそらく、純に対しても愛に対しても、多くの視聴者は感情移入ができ難かったのではないでしょうか(一方で、純と愛の兄弟たちは非常に安定しており、良くも悪くもホッとする存在でした)。

もしかしたら、同ドラマは、日本人の男女観シャッフルしようとしたのかもしれません。米国のある日本研究者が、NHKの朝ドラはいつも社会的に活躍する女性が主人公になっているにもかかわらず、日本の男女格差が今日も非常に大きいのはどうしてなのだろうかと書いていた文章を読んだことがあります。

朝ドラには、一見、強そうながら、とても弱い女性主人公と、一見、弱そうながら、実はとても強い男性主人公が必要だったのかもしれません。

2013年3月27日 00:16

男性が少数派となった社会、女性が少数派となった社会:映画『大奥~永遠~』にみる純愛

堺雅人さんと菅野美穂さんの電撃的な結婚発表がありましたが、2人の出会いとなりましたのが、本作品とのことです。

『大奥~永遠~[右衛門佐・綱吉篇]』
製作国 日本
製作年 2012年
監督金子文紀
主演 堺雅人、菅野美穂
原作 よしながふみ

あらすじ
【江戸時代。第3代将軍家光の時世に「赤面疱瘡」という男子にのみ感染し、死に至る謎の病が流行し、将軍職は女系継承となり、30年代が経過していた。5代将軍綱吉も女性であり、才色兼備と言われた。長女・松姫も生まれ、とりあえず跡継ぎは確定していたが、大奥では後継者を巡って正室と側室の激しい派閥争いが起こっていた。そのような時、京都の貧しい公家の出身ながらも秀才とされる右衛門佐が大奥入りを果たす。やがて右衛門佐は、政治力を発揮し、大奥総取締に就任する。間もなく、綱吉は、一人娘の松姫を失い、夜ごと大奥の男たちと閨を共にするが一向に懐妊しない。常に、世継ぎをつくることを期待され、野心だらけの男たちに身も心も疲れ果てた綱吉に右衛門佐は、真の愛の告白をする。】

2012年3月9日に前作の『大奥(男女逆転)』(2010年)について記しました。ストーリーの基本構造は、同じですが、男性主人公の立場を変えています。前作の主人公・水野祐之進は、武士であり、困窮した旗本の実家を救うため大奥入りしますが、あまり政治的に立ち回りが上手いタイプとしては描かれておりません。水野は愚直にも、幼馴染のお信への想いを貫き通す一方、本作の主人公・右衛門佐は野心に満ちながらも、将軍綱吉への純愛を秘めていきます。

上記から言えることは、この大奥シリーズの主題は男女逆転ではなく、純愛であるのでしょう。「赤面疱瘡」による男女逆転は純愛を導くための一つの背景に過ぎないように思えます。

前回、私は、映画やドラマにおける男女逆転は、男女格差(ジェンダーギャップ)が問われる日本社会を反映していると書きました。

しかし、もっと直接的に男女比率という観点から考えますと、(映画とは違い男性余りですが)中国の例のほうがリアルであるかもしれません。

中国では、男の子が重んじられる伝統があり、一人っ子政策によってより高まり、更に医療技術の進歩の結果、胎児の性別判定が容易になり、女の子の場合、中絶するケースが多発しました。その結果、2020年には結婚適齢期の人口のうち、男性が女性よりも3000万人も多くなるとみられています(CNN online、2013年3月5日)。

中国人の知人に聞いたところ、中国では労働市場において男女格差は日本程見られないにもかかわらず、デート代は、基本的に全て男性持ちだそうです。大変な出費になるそうですが、結婚適齢期の男性が数千万人単位で余っている社会ですので、それは当然なのかもしれません。

伝統的に男の子が重んじられる社会故に、男性が増えてしまい。男女の立場が逆転してしまい、適齢期の女性不足に陥っている現状は皮肉です。

中国の結果としてのリアルな男女逆転と結婚問題を考察しますと、『大奥』の主題を確認することになります。

もし、江戸時代に「赤面疱瘡」が流行し、男性の比率が極端に減少すれば、男性の希少価値が上昇します。中国の例を考えますと、より男性中心社会になるかもしれません。まず、将軍家や旗本は一夫多妻制を拡大し、男子継承者を増やそうとするのではないでしょうか。将軍が病に倒れても次々と継承者が現れ、大奥自体は男性将軍を維持するためにより豪華になる可能性も考えられます。

ただし、女性の参政権を認める民主主義国家では、女性が過半数以上になりますので、政治は女性中心になることでしょう(マジョリティだからと言って、全ての女性が、女性のための投票行動に走るとは言えませんが)。労働市場において男女格差がなければ、職場においても働く女性がマジョリティを得ることになります(女性間の格差が更に拡大することも意味します)。

そのように想像しますと、人口構成上、マジョリティとなった女性が強い社会を描く映画『大奥』はより現代劇に近いのかもしれません。江戸時代という設定も、男女逆転も、現実性ではなく、何よりも純愛ストーリーを成立させるための舞台装置であるように思えてきます。

2013年3月24日 00:16

「ヨイトマケの唄」:タイムラグの謎の解明

昨年の大晦日、美輪宏明さんが第63回NHK紅白歌合戦にて歌った『ヨイトマケの唄』について1月19日と2月2日に当ブログにて言及しました。

『ヨイトマケの唄』には大変感動したのですが、主要新聞を調べましたところ、女性の土木作業員である「ヨイトマケ」労働者に関する記事は、1930年代を最後に見つけることができませんでした。

もちろん、戦後も各地で「ヨイトマケ」労働に従事しておられた方はおられたと存じますが、かなりの少数派になっていたと考えます。

『ヨ イトマケの唄』では、母が「ヨイトマケ」労働する姿をみていた子供(唄の主人公)が、後に大学を出て、エンジニアになるサクセスストーリーですが、戦前の 大学進学率は一桁であり、昭和29年(1954年)でも4年制の大学進学率は7.9%に過ぎないのです(総務省統計局・生活統括官・統計研修所「就学率及 び進学率 昭和23年~平成17年」「第25章教育」『日本の長期統計系列』)。

美輪氏の子供の頃(戦前)に見られた「ヨイトマケ」労働者のお子さんが、大学に行き、エンジニアになったとすれば例外的であり、むしろ、この歌が発表され、大学進学率も二けたとなっていた昭和41年(1966年)に時制が調整されていたのではないかと考えました。

美輪氏がゲストであった、3月20日放送の『徹子の部屋』は、上記の疑問を全て解消してくれました。
美輪氏は番組にて「ヨイトマケの唄」を数人の身の上話を合わせて創作されたと語られます。

ま ず、「ヨイトマケ」労働従事者は、美輪氏の小学校の時(昭和10年代)のご友人の母親がモデルであるとのことです。ご友人は父親が不在であることもあり、 いじめられていたそうですが、お体の不自由な母親が「ヨイトマケ」労働をしながら、「金持ちが偉いんじゃない、お天道様に恥ずかしくない生き方をするのが 偉いんだ」と愛情を持ってその子をお育てになられておられていたそうです。

もう一つのモデルは、1950年代に美輪氏が東京に出られて歌手活動をされてから知り合った男性のお話です。戦争中、両親を中国大陸で失った男性は、廃品回収をしている祖父に引き取られたのですが、その祖父も亡くなり、苦学して大学を出て、エンジニアになったそうです。

その方は、1950年代に大学生であったことから、団塊の世代よりも少しお若い方であると推測します。もちろん、1950年代でも両親の支援なく、大学に進学するのは本当に大変だったと想像しますが、戦中、戦前よりは可能性は広がっていたと考えます。

私は『ヨイトマケの唄』に「ヨイトマケ」労働が盛んに行われていた時代と唄が歌われた1966年にある種のタイムラグを感じていたのですが、上記の『徹子の部屋』の美輪氏のお話でその理由が分かりました。

また、そのタイムラグなどはどうでもいいことなのかもしれません。

美輪氏が、同曲を初めて1965年に『木島則夫モーニングショー』(現在のテレビ朝日系) で歌った際、2万通の手紙と葉書がテレビ局に届き、翌週、緊急アンコールで歌った際、今度は5万通のファンレターが届いたそうです(『徹子の部屋』 2013年3月20日)。

1960年代に「ヨイトマケの唄」がヒットした理由は、高度成長期に「家族のためにならエーンヤコラ」と働く日本人の心を掴んだからなのではないでしょうか。少なくても同曲は、1960年代において既にメタファーであり、「ヨ イトマケ」労働とのタイムラグは問題ではないことになります。そして、大晦日の紅白で同曲が歌われて以降の反響は、2013年においてもそのメタファーは 活きている(もしくは、再び時代が求めた)ということなのでしょう。

2013年3月23日 00:00

「フレンド」と「フレンドリー」の違い

柔道の女子日本代表選手15人が、園田隆二・全日本女子監督から暴力を受けたとして日本オリンピック委員会(JOC)に告発した問題に関しては、既に2月3日付の当ブログにて言及しています。

この一連の問題では、欧米諸国から、指導において暴力を用いる日本の柔道指導者への違和感が強調されました。

例えば、柔道担当10年超のスポーツ紙『レキップ』のオリビエ・ビアンフェ記者は、国際合宿などで、日本の指導者が選手を平手打ちするのを何度も見たとし、今回のニュースに「驚きはない」と語っています(朝日新聞、2月11日)。

1980年世界選手権女子48キロ級覇者の英国人のジェーン・ブリッジさんは「暴力とトレーニングの線引き」が問題であると指摘しています(同上)。

フランスで代表コーチも勤めた溝口紀子さん(バルセロナ・銀メダリスト)は、「フランスでは選手がノーといってくる。立場はコーチと対等」と述べています(J -Cast  Com、1月31日)。

柔道のコーチと選手の関係とどこまで一致するかどうかは定かではないのですが、上記の見解に英国の大学と生徒の関係を思い出しました。

英国の大学院レベルにおいて、生徒は教員を殆どファーストネームで呼びます。教授であっても、デニスとか、デイビットとかトムとか呼ばれ、生徒ももちろんファーストネームで呼ばれます。

人間として対等です。教員からの様々なリクエストに対して、学生は「ノー」ということもできます。暴力は論外ですが、パワハラ、セクハラは許されないことになっています。

英国の大学教授は概して「フレンドリー」です(時々、そうではない人もいますが)。

しかし、大学という社会空間に居れば、教授と学生が対等でないことはすぐ分かります。

教授(陣)は、学生の成績を付ける権限があり、場合によっては休学や退学を進言、決定することもできるのです(2012年11月4日に記しました通り、欧米企業は学生に内定を出す際、成績の条件を付けるケースがあり、学部の成績は就職にも進学にも係わってきます)。もちろん、理不尽であるケースは、人権上の問題にも発展しますが、大学のルールと手順に則ったケースは合法です。

「フレンドリー」な大学教授たちは、決して「フレンド」ではないのです。言い方を変えれば、成績を決定する権限を持つ教員は、学生の「フレンド」になってはいけないのです。

ある高名な社会学者の回顧録に、弟子で後に大学教授になった生徒のことを「彼は私のかつての生徒であり、後に友人になった」という記述がありました。弟子が研究者になって初めて、その先生の「友人」(それも微妙ですが社会的な意味における「友人」)になったのです。

学界の例が、欧米の柔道のコーチと選手のケースにどれ程、当てはまるか分かりません。しかし、コーチが出場選手を決定する権限があるとすれば、それは「フレンドリー」に見えても、「フレンド」ではあり得ないと思います。

ただ、学界でもスポーツ界でも、権限を持つ人間が「フレンドリー」であることは、暴力やパワハラを阻止するためには必要なことなのかもしれません。「フレンド」ではないということを前提に。

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プロフィール
安井裕司
安井裕司
エジンバラ大学、バーミンガム大学博士課程に学ぶ。その間、ルーマニア・アカデミー歴史学研究所研究生。国際政治学博士(PhD)。国連大学国際紛争研究所インターン、夏期講習クラスコーディネーター、法政大学国際日本学研究所客員研究員等を経て、現在、早稲田大学エクステンションセンター講師、日本経済大学神戸三宮キャンパス教授。
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