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グローバル化は足元からやってくる ~国際学で切り取る世界と社会~

2013年2月

2013年2月28日 00:59

「学歴社会」肯定論、否定論

入試シーズンです。

先月、『大竹まことゴールデンラジオ』(文化放送、1月18日放送)で、メインパーソナリティの大竹まことさんと金曜日のレギュラーで作家の室井佑月さんが、子供の教育に関して激論を交わしていました。

室井佑月さんのご長男が先月、私立難関中学を受験して合格しました。室井さんは合格発表の当日、路上で奇声を上げたり、お風呂で何度もシャンプーをしたり、「心ここにあらず」という状態だったそうです。

お子さんが合格して喜んでいる室井さんに対し、大竹氏は冷ややかな目で「1日何時間も勉強して良い高校・大学に行かなければ幸せになれないとすれば、そんな社会は間違っている」と言い放ちます。大竹氏は、勉強も大切だけど、恋愛も趣味もスポーツも価値や時間において並列であって欲しいと主張します。そして、若者が勉強中心の価値観を受け入れ、勉強のみの競争社会となると、社会の多様性が失われていってしまうと指摘します。

室井さんは、心情的に大竹氏に合意し、自分と子供の選択が「正しくない」としながらも、母子家庭(室井さんはシングルマザー)で非力な自分は何もできなく、現在の社会の適応しながら、子供の将来を考えなくてはいけないと言われます。

室井さんの選択を批判できる親は多くはないでしょう。多かれ少なかれ、親は自分の子供の学業的成功を願っていると言えます。

しかし、その度合いは階層的に限定されつつあり、格差社会化する日本は「一億総高学歴」志向とは異なっていくのではないでしょうか。

昭和後期とは異なり、日本の大学進学率の足踏み状態と定員割れ大学の増加は「大学などは行ってもしかたない」と考える親が少なくないことを示しています。ならば、「行きたい人だけが良い中学、高校、大学に行けば良い」という考えになるかもしれませんが、それは、総体的には格差化の拡大・固定に繋がってしまいます(例外はもちろんありますが、概して、学歴は収入と結びつきます)。

つまり、室井さんのように、自分の子供の幸せを学歴と結び付けて願う方は、局地的には増加し、競争が激化していても、国全体としては増えてはいないのです(正確には、学歴を重んずる傾向は都市を中心に局地化しているにもかかわらず、その競争は世界の中間・富裕層に共通し、国境を越えて激化してもいます)。

グローバル化が格差社会を創りだすと考えると、大竹氏の多様性擁護も必要がなくなるかもしれません。格差社会とは良くも悪くも多様・多元社会だからです。一旦、階層的価値観を受け入れてしまうと、皆が学歴には拘らなくなるのです。それはそれで、学歴社会ではない別の問題を含んでしまいます。

厳密には、大竹氏の主張は、階層的多様性ではなく、エリートも非エリートも、誰もが勉強し、遊び、恋愛し、スポーツをすることを理想とされています。それは、結局のところ昭和型の「総中流社会」を再構築、維持しながら、学歴至上主義の緩和を目指すことを意味するのでしょう。大竹氏の言うような誰もが真剣に勉強し、誰もが自由に遊べる社会の構築は多難ですが、おそらく、それを可能にするシステムを創り上げた国だけが、本当の意味で国単位での国際競争力を得るのかもしれません。

2013年2月27日 06:30

政治性を超越した名作:映画『カサブランカ』にみる恋愛と政治

先日、当ブログにて戦後直後、フランスでドイツ人と関係があった女性が「丸刈り」にされたことに関して記しました。担当講義にて、このフランスの「丸刈り」騒動を採り上げようとした際、映画『カサブランカ』を思い出しました。イングリッド・バーグマンが演じるヒロインの描かれ方が好対照であるように思えたのです。

『カサブランカ』(原題 Casablanca))
製作国 米国
製作年 1942年
監督 マイケル・カーティス
出演 ハンフリー・ボガート、イングリッド・バーグマン
受賞 1943年米国アカデミー賞作品賞、監督賞

あらすじ
【舞台は、1942年、フランス領モロッコ・カサブランカ。フランス本国は、北部がナチス・ドイツに占領されており、南部はドイツの傀儡、ヴィシー政権が支配している。カサブランカは、ヴィシー政権下であるが、ドイツの影響力が高まっている。米国人リックはナイト・クラブを経営しており、体面的には中立を装っている。ある時、反ドイツ・レジスタンス運動の首領ヴィクトル・ラスロと妻のイルザが現れて、リックに米国への逃亡の助けを求める。イルザはリックのかつての恋人であり、2人は運命の再会を果たす。2人はパリ陥落の際、共に逃げる約束をしていたが、イルザは約束の場所に時間になっても現れなかった。カサブランカでリックと再会したイルザは、パリでリックと恋に落ちたのは、夫ラスロが独軍に捕われ殺されたと信じ切っていたからであり、約束を破って姿を消したのは出発の直前、夫が無事であることが判明し、しかも病気で彼女の看護を求めていると知ったからだったと告白する。】

あまりに有名なこの映画は、今まで評論尽くされてきたようにも思えます。

イングリッド・バーグマンが演じるイルザは、反ドイツ・レジスタンスの妻で、ノルウェー人という設定ですが、パリ滞在時、夫ラスロが死んだと思い、米国人リックと恋に落ちます。しかし、死んでいたと考えていた夫は病気ながら実は生きており、リックと別れて、夫の元に帰ります。

カサブランカで再会した際は、今度はリックがイルザへの想いを断ち切り(イルザへの想いがあるが故に)、イルザがラスロと共に逃げることを選択させるのです。

互いに愛を確認し合いながらも、政治に翻弄され、政治の中で生き抜くことを互いに選んだ2人の恋は、名曲"As Time Goes By"と重なり合いながら永遠のロマンスとなっていきます。

米国映画協会AFI(American Film Institute)が公表した1886年から1996年までの米国映画400本を対象にしたランキングにて、『カサブランカ』は「愛と情熱」部門で1位とされています。

しかし、戦後のフランスの「丸刈り」事件を考察した上で見直しますと考えることが少なくありません。仮に、イルザがフランス人で占領下のパリで、ドイツ軍の将校と恋に落ちていたなら、戦後、「丸刈り」にされていたのです。

1942年に米国で製作されたこの映画は、イルザを米国人リックと反ドイツ・レジスタンスの活動家ラスロが奪いあうことでドラマになります。そして、リックは愛するイルザを逃がし、自らは防波堤として立ち上がり、戦おうとするのです。

本来、非常に個人的なマターであるべき恋愛に、政治が介入しているという点では、『カサブランカ』も戦後フランスの「丸刈り」事件も同様です。ただ、戦後において相手がレジスタンスの闘士か、ドイツ人の軍人かによって全く異なった評価に至ります。相手(夫)が、レジスタンスの場合、米国人と結果的に「不倫」しても、夫の元に戻ることで美談になります。ドイツ人ならば「丸刈り」なのです。

もう一つの視点として、舞台がカサブランカであることも看過できません。アルジェリアの人質拘束事件やマリのフランス軍の軍事介入によって、北アフリカにおけるフランスのプレゼンスが注目されました。

北アフリカの人々にとって『カサブランカ』という映画はどのように映るのでしょうか。アフリカの人々にとってみれば、ドイツでもフランスでもヨーロッパの占領軍には変わりありません。「君の瞳に乾杯!」というボギー(ボガート)のセリフに感動するでしょうか。

しかしながらです。映画として本作品は素晴らしく、ハンフリー・ボガート、イングリッド・バーグマンの代表作として輝いているのです。

上記のような政治的な恣意性を全て踏まえても名作になってしまう『カサブランカ』という作品を、どう認識したらよいのでしょうか。ハンフリー・ボガートのダンディさとイングリッド・バーグマンの美しさが、政治を超越したということなのでしょうか。であるとすれば、本作品において、映画が政治に勝ったとも言えるのかもしれません。

ウディ・アレンの初期のヒット作に『ボギー!俺も男だ』(1972年)というコメディ映画があります。映画『カサブランカ』に取り憑かれてしまった男性の話です。『カサブランカ』を見ると、不思議に男ならボギーになりたくなるとすれば、むしろジェンダー映画と見なすべきなのでしょうか。

2013年2月24日 00:29

フランスはなぜ北アフリカに介入するのか?:内的理由を考える

知人の報道関係者から、「フランスは、昨年、社会党に政権交代したにもかかわらず、なぜマリに軍事介入するか」と質問を受けました。

周知の通り、フランスのオランド大統領は1月11日、旧植民地の北アフリカのマリ政府の要請を受けて軍事介入しました。マリでは、2012年初めより内戦状態に陥っており、現在、イスラム武装勢力が北部を占領しています。南部のマリ政府からのSOSに対して、フランス以外は積極的ではなく、後に派兵を決定した西アフリカ諸国経済共同体はフランスの後塵を拝することになります。

フランスのマリ介入に関しましては、テロとの闘い、平和への貢献、マリにおけるフランスの経済的権益を守るため等が理由として挙げられています。

オランド政権は、大統領選挙でアフガニスタンからのフランス軍の撤退を公約として既に実行していますので、テロとの闘いがマリ介入の最優先事項であったとは考えられません。マリには、フランスの原子力大手アレバ社が採掘するウラン鉱山があり、同社のウラン産出量の3分の1、仏国内の原発で使用するウラン燃料の3分の1以上を賄っていると報じられています(毎日新聞、2013年2月4日)。

しかし、そうであっても、今回の軍事介入は、マリ政府からの要請であり、フランス政府は当初、マリへの国際的支援を望んでいたとされます。しかし、国際社会はフランス程、マリには関心が高くなかったと言えるでしょう。それ故に、国連もEUも今回、フランスの軍事介入を基本的に支持しています。

その上で、フランスの国内事情を鑑みれば、当ブログ(2012年5月26日5月27日)で論じてきました通り、フランス国内が急進化していることも確かです。

先の大統領選挙では、有権者の3分の1が「民族社会主義的」極右政党、もしくは「社会民族主義的」極左政党を支持しました。極右と極左は、対立関係にありますが、両者は共に民族主義的政策と社会主義的政策を掲げているのです。

大統領選挙の決選投票において、オランド大統領もサルコジ元大統領も、極右と極左の票を奪い合い、より両者からの支持が高かったオランド氏が勝ったのです。つまり、社会党政権はかなりナショナリズムに依存して成立したことになります。

極右政党、極左政党の支持者は比較的に貧困層が主であり、グローバル化には批判的です。しかし、フランスの既得権益を守るための戦争は格差を超え、フランス全体から賛同を得易いのではないでしょうか。

もちろん、戦費の拡大は経済的にマイナスであり、介入が長期化すれば状況は変わってくるでしょうが、同国のテレビで、ファビウス外相は、マリに展開するフランス軍部隊について「予定通りに全てが進めば、3月から人数を減らし始めることになる」と述べています(時事通信、2月6日)。

フランス軍のマリ撤退は早期にあるかもしれませんが、フランスが今後も、国内の民族主義的傾向が既得権保護に結びつき、北アフリカに介入し続ける可能性が高く、それを支持するフランス国民も少なくないように考えます。

それは、従来の帝国主義的な植民地支配とは異なるかもしれません。しかし、グローバル化によって先進国の社会が格差化し、下層の人々が、左右の急進的勢力を支持する形が生み出される時、旧植民地への介入や長年の領土問題などが顕在化する可能性があるのではないでしょうか。


2013年2月23日 00:07

「丸刈り」の比較文化論

2月9日付の当ブログにて、峯岸みなみさんの「丸刈り」に関して考察しました。「丸刈り」は「世間」的な行為であっても、意外にアニメ文化に親しんでいるヨーロッパの若者(の一部)は合意はせずとも、峯岸さんの心理は理解ができるのではないかと書きました。

しかし、ヨーロッパでも、ある一定以上の年齢の方は、全く異なるイメージを抱くようです。

第二次世界大戦が終焉した直後、法的無秩序状態において、戦時中、ドイツ占領下のフランスにてドイツ人男性と「関係」したフランスの女性がレジスタンスや住民から「私刑」として「丸刈り」にされたのです。しかし、峯岸さんの「丸刈り」とはかなり意味合いが異なります。

戦後、約2万人のフランス女性が「丸刈り」にされたそうですが、実際にドイツ人と性的関係にあった人は約4割とされます(平稲晶子「丸刈りにされた女たち―第二次世界大戦時の独仏比較―」『ヨーロッパ研究』第8号 2009年、35頁)。

彼女たちは、ドイツ占領下のフランスで法的な罪を犯した訳ではないのです。恋愛禁止の掟があった訳でもありません。飽くまでも、戦後のモラルから過去を振り返り、「恋愛」の相手が悪く、罰せられたことになります。

峯岸さんは相手が問題だったのではなく、恋愛そのものがAKBの「世間」において許されていなかったことになります。恋愛よりも仲間との掟が上位に来る点において、その行動原理は占領下のフランスでドイツ人と「付き合った」フランス女性とは、全く反対であったとも言えます。「丸刈り」にされたフランス女性は、名目上、仲間(フランス人)を裏切ったという理由で罰を受けたのです(峯岸さんも、世間的に「裏切った」と言えるのかもしれませんが、しかし、最終的に仲間の元に帰っていきました)。

更に、峯岸さんとフランスの女性の最大の違いは、峯岸さんが自ら謝罪として髪を切っていることです。

髪を切ることがお詫び(謝罪)になるという話は、ヨーロッパで私は聞いたことがありません(ヨーロッパも広いのでどこかにあるかもしれませんが)。フランス女性の「丸刈り」は他者から与えられる「罰」だったのです。フランスで罰せられた女性たちが自ら髪を切っていたら許されたでしょうか。おそらく、許されず、他の「罰」を受けたのではないでしょうか。

そもそも、ヨーロッパにおいて髪を切る行為は、僧侶が聖と俗との区別をつけるために行われており、軍隊において個人を無名化するため、古代の奴隷やナチ強制収容所のユダヤ人等、囚われの身となった人々を非人間的に扱うために行われており(平稲、前掲論文)、異なる「社会」へ行く、もしくは強制的に行かせる行為となります。日本のように髪を切って「世間」に留まる行為ではないのです。

峯岸さんの「丸刈り」は大きな話題になりました。なぜならば、自ら「世間」に留まるための謝罪としての「丸刈り」は現代の若者にとっても容易ではないからです。

ロンドン五輪で銅メダルを獲得した女子バレーボールの眞鍋政義監督は、五輪直前に陽動作戦の一環として選手の背番号を全て変えたそうです(TBSラジオ『Dig』、2月6日)。自分の経験から、相手チームの選手を背番号で覚えている傾向があり、番号を変えることで誰が誰だか判明できないという戦略だったとのことです。

眞鍋監督は、更に髪型もチームで統一するという提案をしたそうですが、選手から「それだけは有り得ない」と猛烈な抵抗に遭い断念したと語っています(同上)。監督は、もし、髪型も同じだったら金メダルだったろうと冗談を言われていますが、知らない番号で同じ髪型の選手がコートを縦横無尽に走り回っていたらと考えると、確かに金メダルに近付いたのではと想像し、眞鍋監督の『アタックNo.1』的なアイデアの素晴らしさに拍手を送りたくなります。

若い選手たちにとって髪型は、金メダルよりも「優先事項」であるのです。アイドルが「丸刈り」にすることは、相当の決意だったでしょう。それだけに、AKB48の「世間」的規範が強いということになります。そして、多くの20歳前後の日本人女性が、同じ行動を取れる訳ではないように思えてきます。

2013年2月20日 00:47

北朝鮮と安価な労働力:敵はロボットか?

昨年、ある学会後の懇親会で、東京の私立大学の博士課程に学ぶ韓国からの留学生(男性)と、将来のアジア事情について語り合いました。

彼は10年後、自分は北朝鮮でビジネスをしているかもしれないと言います。10年以内にあの体制が変わる可能性があるのかと問いましたところ、彼の予想では、10年後の北朝鮮は中国と同様に市場主義化されており、中国同様、現体制が維持されようと、されまいとグローバル市場に組み込まれている可能性が高いそうです。「そうなれば、ビジネス・チャンスなんですよ」と笑っていました。

北朝鮮は、2013年2月12日、地下核実験の実施しました。そんな北朝鮮が、簡単に近隣諸国と非敵対関係を構築し、市場主義化するとは想像できません。ただ、中国のような市場主義をベースにしました改革開放路線に進む可能性が、皆無とは言えないのも事実です。

昨年はミャンマーブームでした。米国を始め西側諸国と関係を改善したミャンマーには各国の経済界から熱い視線が注がれています。ミャンマーは、豊富な天然資源国家として、「安価な労働力」を提供できる国として注目されているのです。

ミャンマーは、68万平方キロメートル(日本の約1.8倍)、人口は6,242万人(2011年、IMF推定値)です。1人当たりの年間GDPは702ドル(2010年度、IMF推定)で、約4,382ドル(2010年、IMF)の中国の6倍の1以下です。1人当たり755ドル(2011年)のバングラデッシュよりも低いのです。

ですから、ミャンマーが「安価な労働力」の供給地(の一つ)であるのは確かなのです。

しかしながら、北朝鮮は、日本のもっと近くに位置し、約2,405万人(2009年10月、国連人口基金)の人口を擁し、一人当たりGNIが1074ドル(韓国銀行推計)に過ぎないのです。また鉱物資源にも恵まれています。

数字だけ見れば、北朝鮮に経済発展の余地はあります。ただし、あまり時間的猶予がないかもしれないのです。

今日、「安価な労働力」自体が重要視されない状況が発生しています。近年、米国では、製造業の海外流出が止まり、製造拠点を米国へ戻す傾向が生じているのです('Why Apple And GE Are Bringing Back Manufacturing', "Forbes", 7 December 2012)。

賃金の高い米国に帰る理由の一つは労働の機械化、ロボット化です。その結果、工場が米国に戻ってきましても、2013年1月の製造業雇用増は前月比でわずか4000人にとどまり、昨年7月以降の純増はゼロでした(英フィナンシャル・タイムズ紙、2013年2 月4 日)。それにもかかわらず、生産活動は昨年4月以来最大の伸びを示しているのです(同上)。

近い将来、先進国の企業は、地球儀を観て「安価な労働力」探しをしなくても済むかもしれません。労働のロボット化・機械化は、先進国の労働者にとっても大変深刻な事態ですが、北朝鮮が核実験を繰り返して、経済開放路線へ踏み切るのが遅れれば遅れる程、北朝鮮は「安価な労働力」の「取り分」をロボットに奪われていくのかもしれません。

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プロフィール
安井裕司
安井裕司
エジンバラ大学、バーミンガム大学博士課程に学ぶ。その間、ルーマニア・アカデミー歴史学研究所研究生。国際政治学博士(PhD)。国連大学国際紛争研究所インターン、夏期講習クラスコーディネーター、法政大学国際日本学研究所客員研究員等を経て、現在、早稲田大学エクステンションセンター講師、日本経済大学神戸三宮キャンパス教授。
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