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グローバル化は足元からやってくる ~国際学で切り取る世界と社会~

2012年12月

2012年12月30日 03:08

2012年、強くなりたいと思った

年内最後の更新になると存じます。本年も、お付き合い下さり、誠に有難うございました。

当ブログは、文字通り、ブログ形式ですが、どちらかと申しますとエッセイよりもコラムを志向してきました。

今年の最後に、敢えて個人的な総括をさせていただければ、2012年は「強くなりたい」と思った1年でした。

それは、春に大正生まれの祖母が亡くなったこともあります。長い闘病生活があり、覚悟はしていましたが、ショックはありました。

これで4人の祖父母は全て失いましたが、順番通りとはいえ、身近な人の死は、やはり人間とは何かを考えることになります。何よりも大正、昭和を生き抜いてきた4人から十分に「オーラルヒストリー」を聞いていなかったことも悔やまれます。彼らは、偉人でもなんでもない市井の人たちであり、彼らの自分史は、もしかしましたら「創られた歴史」になり、ご都合主義に傾いていたかもしれません。それでも、もっと聞いておくべきでした。

個人的な話が続きますが、2歳の長男が滲出性中耳炎を拗らせており、あまり耳が聞こえなく、困っていることもあります。もっと深刻な病気と闘っているお子さんもおられるでしょうから、大騒ぎすることではありませんが、育児の悩みは尽きません。

家事育児は私の仕事でもありますが、比較的融通が利く身とはいえ、研究との両立は易しくはありませんでした。企画やプロジェクトが思い通りに進まなかったこともあります(私の日英の大学、大学院の2人の指導教授は女性であり、育児も研究も手を抜かない方々ですので、育児を研究の遅延の言い訳にしますと、お二方からお叱りを受けてしまいます)。それは、私自身の研究能力もしくは家事育児能力(または、その両方)の限界が原因であったのかもしれません。

個人的なドタバタを他所に、今年も世界は激動の1年でした。私としては、身近なテーマから国際政治までを当ブログで取り上げ、何とか、急速に足元からグローバル化する世界に喰らい付こうとあがいた1年でした。興味があれば、専門外のテーマも書きましたが、結果的に十分に消化できなかったケースも少なくありませんでした。反省したいと存じます。

その上で、このブログでは、皆様に再三「学び続けること」をお勧め申し上げておりますが、それは、自分自身への言葉でもあります。能力的、時間的な限界がある中で何をすべきかと言えば、今の私には、問われている個人的、社会的の課題の情報を集めて、分析し、考察していくしかないように思っています。

【「考察の方法」としては、学問的な訓練を受けていたほうがより効果的ですので、大学、大学院を活用することをお勧めします。日本では大学の存在が問われた1年ですが、総体として申せば、大学、大学院には人類の叡智が集約されています。それが、社会化されているかどうかは問われますが、皆さんの人生を豊かにするために、悩み考えて学問に従事してきた先人たち(その多くが亡くなっています)の結晶を利用しない手はないと思います。】

いずれにしましても、考えるという作業は、まず、「自分とは何か」という立ち位置が問われますので、孤独でもあります。考えても、考えても、実生活の成功に結びつかないこともあります。

それでも、考えることしか個人と社会の未来に繋がらないとすれば、それに耐えられる「強さ」が欲しいと願わざるを得ません。

残念ながら、今日、国家や会社や学校が、個人の将来を考え、必ず私たちを守ってくれるとは限りません。現在、組織に属する、属しないはともかくも、老若男女を問わず、それぞれの個が強くならなくてはいけないと思うのです。

パスカルが言うように「人間は考える葦」であるならば、考える(強い草である)葦になるためにはどうしたら良いのでしょうか。

おそらく、その第一歩は、たとえそれが楽しくない作業であったとしても、勇気をもって自分は何を知っているのか、何ができるのか、何を求めているのか等、自分自身の「今」を直視することなのかもしれません。

「弱肉強食」の社会であるから、個が強くならなければならないということだけではありません。そのような側面も否定しませんが、「弱き」を労わる、より良い社会を創るためにも、より多くの個人が主体性を確立していかなくてはならないように思います。

2013年も試行錯誤が続くかもしれませんが、どうかよろしくお願い申し上げます。

それでは、皆様、良いお年をお迎え下さい。

2012年12月29日 00:34

ドラマ『シングルマザーズ』にみる母子家庭の窮状と残された構造的課題

当ブログにては過去に何度かジェンダーの問題を採り上げてきました。担当講義でも関連のある場合はできるだけ触れるようにはしてきました。

私はジェンダー・スタディズや女性学専攻ではありませんでしたが、長らく社会学部に在籍し(ジェンダーを学んでいる知人、友人は常に私の周囲にいました)、自分自身、「兼業主夫」として家事育児にコミットしてきた自負もありました。

しかし、今までシングルマザーの窮状を恥ずかしながら十分に理解していたとは言えませんでした。

沢口靖子さんが主役のシングルマザー演じたNHKドラマ『シングルマザーズ』(10月23日から12月11日の毎週火曜22時、全8回)は、とても勉強になりました。

あらすじ
【職場結婚した直は、長年、夫から家庭内暴力(DV)を受け、ある日、5歳の一人息子と共に家を出て、誰も知り合いのいないある港町に逃げ込む。直は専業主婦であったため、仕事が見つからず、アパートを借りるのも苦労する。そのような時に、他の良きシングルマザーたちに出会い、助けられ、シングルマザーの団体「ひとりママ・ネット」に通うようになる。直は、パートで働きながら、睡眠時間を削って簿記の資格を取り、厳しい環境の中で、良き友と一人息子と共に前向きに生きていく。】

このドラマに対しては、実際のシングルマザーの方から「現実はもっと厳しい」、「こんなに甘くない」(「はがき通信」朝日新聞、11月9日)というような批判もありました。確かに、主人公の前にはDV加害者の夫以外は、善き人ばかりが次々に現れ、主人公を助けます。善き人との出会いは、偶然に左右されますのでドラマチックではありますが、弱者を救う社会システムではありません。

それでも問題の核心は伝わっていると思います。日本型ジェンダーシステムが、仮に男性が家外、女性が家内(奥様)として棲み分けし、経済的側面からみれば現在もそれなりに機能していたとしても、そのシワ寄せは、シングルマザーにきているのです(もし、日本人が日本型ジェンダーシステムを肯定し、維持したいと望むならば、むしろ、シングルマザーを手厚く保護をしなければ、ここからシステム障害を引き起こしてしまいかねません)。

私は同ドラマから学ぶことが少なくありませんでしたが、ただ、一つ注文を付ければ、男性・夫の描かれ方です。もちろん、DVは犯罪です。しかし、なぜ一部の男性がDVに走るのかを社会的に認識するヒントが欲しいと思いました(現実としては、個人の問題もありますので、全てを社会に帰することはできませんが、ドラマだからこそ単に夫を悪人にせず、夫側の社会も覗いてみたいと思わずにはいられませんでした)。

ドラマでは、夫とは別に、DVによって妻と子供に逃げられた30歳代の男性・小田が「ひとりママ・ネット」に妻子を探しに現れます。最終回で、小田は主人公・直の夫と偶然、鉢合わせとなり、「私たちのしたことを考えていかなくてはいけない」と直の夫を諭します。しかし、なぜ、彼らがDVに走ってしまったのかの深層心理は描かれていません。

ドラマにおける男性陣は脇役でしか過ぎないのですが、なぜ、彼ら男性は、愛すべき家族に暴力を振う程「弱く」なってしまったのか、理不尽な言い訳であってもDVに至る何らかの「理由」を考える必要はあるように感じました。そうすることで、日本のジェンダーシステム全体の課題となるように思うのです。

2012年12月26日 03:19

日本にクリスマスはあるのか?

随分前に、北アイルランドでアイルランド人の政治学者から「日本にもクリスマスがあるのか」と尋ねられ、YesでもNoでもあると思い、答えに窮したことがあります。

日本のキリスト教人口は、約1%と言われます。正確な数は分からないようですが、仮に3%だったとしましても、大多数の日本人はキリスト教徒ではないことに変わりはありません。ですから、宗教的な意味から(キリストの誕生日である)クリスマスを祝う人は圧倒的に少ないということになります。

ところが、街中では赤いサンタの服を着た人たちをしばしば見かけます。コンビニの店員さんも赤い帽子を被っていたりします。テレビでもクリスマス関連の番組が放送されます。人々の話題もクリスマスに言及しなければならない雰囲気です。

クリスマス前に東京で大学の近くで髪を切ったところ、担当した女性のスタイリストの方はサンタの格好をしていました。洗髪して下さった男性はトナカイの格好でした。「誰がクリスマス・ルックにしようと言ったのですか」と尋ねたところ、そうしようという声がスタッフの何人かから自然に挙がったということでした。

イベントとして、クリスマスは日本にすっかり定着しています。宗教性は限りなく削ぎ落とされ、土着化(例えば、七面鳥ではなくチキンを食べ、ケーキはイチゴショートのホール型で、英語のスタンダードメドレーと共に和製クリスマスソングの名曲が流れます)しているのです。

私はキリスト教徒ではなければ、クリスマスを祝ってはいけないとは思いません。もちろん、祝わなくてはならない義務もありませんが、個人的には非常に興味深い「お祭り」であると認識しています(私自身、クリスマスはチキンとイチゴショートで育ちました)。商業的理由もあるでしょうが、単にビジネスと割り切れない要素もあります。

敬虔なカトリックであるアイルランド人政治学者(ヨーロッパでは信仰のために歴史的に多くの血が流されてきました)に説明するのは容易ではないのですけれど、日本人にとって必要な日本型のクリスマスがあるのです。

真面目に考えますと、日本のクリスマスは、ある種の近代化のシンボルであるように思えます。欧米文化を(宗教色を極力無視して)受け入れ、イベントとして享受しているのです。

非欧米地域において、日本と同様に近代化の一環としてクリスマスを受け入れているところは少なくないと思います。当の欧米でもイベント的要素は否定できません。世界中の子供たちはプレゼントを貰うことが大好きですから、商業的要素も加わって、クリスマスは世界の「季節の催し」でもあります。ただ、日本ではキリスト教徒の人口比率が極端に少ないだけ、イベントの要素がより強くなっています。

同時に土着化している点において、「村祭り」的要素もあります。皆で、サンタルックになったり(トナカイになったり)、共同体験的でもあります。恋人とクリスマスを過ごすのも、同様の文脈で認識できるかもしれません。当然、「恋人がサンタクロース」(作詞作曲・松任谷由美、1980年)でなければならない宗教的根拠はありません。欧米のキリスト教徒は、基本的にクリスマスは家族で集いますので、むしろ、日本の「お正月」的位置付けなのです。

日本のクリスマスが嫌いな方がいるとすれば、宗教的理由よりも、(多少強制でもある)共同体験的な土着性がひっかかるのかもしれません。そして、好きな方も、宗教的理由ではなく、欧米化を装いながらの共同イベント的な「楽しさ」にあるのではないでしょうか。

いずれにしましても、明治以降、日本人は欧米から様々な文化を取り入れ、自分たちに合うように加工し、普遍的な要素を残しながら土着化してきました。イベントとしてのクリスマスは、その「傑作」のひとつであるように思えます。外国人研究者も一度、体験する価値が十分にあります。

2012年12月23日 00:00

続・日本人はなぜクリスマスにチキンを食べるのか?

昨年の12月24日付の当ブログにて「日本人はなぜクリスマスにフライドチキンを食べるのか」について執筆しました。

その際、日本人がクリスマスにフライドチキンの食べる習慣は、ケンタッキーフライドチキン(KFC)が日本に1970年11月に1号店を出店し、1974年12月から「クリスマス・チキンキャンペーン」(KFCホームページ)を始めてからなのではないかと記しました。

それに対して、私の周囲の年配者から、また、ブログへの質問として70年代以前にもチキンを食べていたという声が多数寄せらせました。その問いへのお答え及び再調査は、2012年の宿題とさせていただきましたが、この度、新聞各紙を紐解いてみました。

そうしますと実際、1961年12月20日の読売新聞に、当時都内40店舗にて宅配弁当(仕出し弁当)・パーティー料理配達サービスを展開していた「鮒忠」という会社が「クリスマスには一家に一羽でファミリーパーティ」、「1羽300円より」という広告を出していました(ちなみに、「鮒忠」さんのホームページによりますと、現在も同社ではクリスマス用の国産ローストチキンを販売されており、今年は1羽3,200円だそうです)。

また、1965年12月11日付の読売新聞夕刊には日本のクリスマスの三種の神器として、「ケーキ、洋酒、ローストチキン」が挙げられており、確かに、KFC以前にもクリスマスにチキンは食べられていたのです。

しかし、60年代までは、クリスマスには七面鳥を食べていた人のほうが圧倒的に多いようです。クリスマスと七面鳥は19世紀後半にセットとして日本に紹介され、国内でも一部ではクリスマスには七面鳥を食するようになっていました。

1956年12月9日の朝日新聞では、「七面鳥は品不足、それでもクリスマス用全国で三万羽」というタイトルの記事があります。同年12月24日には、文化放送がクリスマスといえば七面鳥ということで、ラジオミュージカル『七面鳥の贈り物』という番組を制作しており、出演は「ターキー」こと水の江滝子さん、石原裕次郎さん、芦川いづみさんでした(読売新聞、1956年12月24日)。

しかしながら、当時、七面鳥にしてもチキンにしてもクリスマスの主役ではありませんでした。

1963年(昭和38年)における駒澤大学青少年問題研究室の調査によれば、「クリスマスの日は家庭で何を行うのか」という問いに対して、「みんなでケーキを食べる」60.5%だったのに対し、「七面鳥やその他の鳥肉を食べる」は7.5%に過ぎないのです(読売新聞、昭和38年12月23日)。

1970年代以前、日本人はクリスマスに、肉を食べる人は、七面鳥派が多く、ローストチキン派も存在したけれど、いずれにせよ、総数は多くはなかったということになります。

1974年からのKFCの「クリスマス・チキンキャンペーン」によって、日本のクリスマスイブの食卓にフライドチキンが主流となり、七面鳥派は少数派となっていきます。同じチキンも、ローストチキンではなく、より手軽なフライドチキンが一般に受け入れられたことになります(もちろん、現在も「正統」な七面鳥派も、「鮒忠」さんの広告にあります通り、ローストチキン派も多数おられると存じます)。

KFCが日本でクリスマスに最初にチキンを提供した外食産業ということは新聞紙上では間違いになりますが、クリスマスにおけるチキン食の大衆化に寄与したことは間違いないでしょう。

七面鳥は日本でも入手できました。しかし、60年代、70年代、数十万羽、数百万羽の需要には答えられず、何百万人、何千万人の日本人の食卓に上らせるためには、フライドチキンが登場する必要があったのかもしれません。

2012年12月22日 00:00

日本の政治は「右傾化」しているのか?「保守化」しているのか?それとも「ナショナリズム」なのか?

今回の総選挙の結果によって、日本は「右傾化」しているのではないかと海外メディアから指摘されています。

実際、自民党は、総選挙前の公約で自衛隊の国防軍化、集団的自衛権の行使を可能にすることを明言しており、その自民党が294議席を獲得しています。そして、改憲を掲げる自民党、日本維新の会で議席比率は3分の2を超え、衆院で改憲の手続きが可能となっているのですから、「右傾化」という表現は間違いではないでしょう。

しかしながら、「右傾化」を「民族(ナショナリズム)化」という言葉で置き換えると、また見方は変わっていきます。

ナショナリズムを全面に出すとしますと、自民族第一主義となり、他民族に対して排他的であっても、原則、同じ民族の成員間における差別や格差は好ましくないという思考になります。ところが、自民党は基本的に日米関係を重視し、資本主義を支持する政党であり、ナショナリズムがその枠組みを超えるとは考えられません。TPP参加賛成の日本維新の会も、資本主義路線であり、ナショナリズムを第一に掲げた政党であるとは現段階では断定できません。しかしながら、自由主義経済においてグローバル化が進展すれば、更なる格差社会の到来は不可避でもあるのです。

2012年のヨーロッパでは、資本主義やグローバル化に対峙するナショナリスト政党が台頭しました。4月のフランス大統領選挙では、第1回の投票において、極右とされる「国民戦線」のル・ペン党首が18%の得票率を獲得し、第3位となり、5月の第1回目のギリシャ総選挙では、極右政党「黄金の夜明け」が18議席を獲得し、初めて国政に進出しました。

これらのナショナリスト政党は、国内外の「他民族」に対して自民族を極端に優先させることで「右翼」でもあり、同時にグローバル化や拡大EUに批判的な「左翼」でもあり、所謂、「民族社会主義」(ナショナリズム+社会主義)的であったのです(フランス、ギリシャでは、急進的左翼も、左派からナショナリズム路線を敷き、勢力を拡大しました)。

日本の政治において、主要政党の中に上記の2党と同様のポジションの勢力を見つけることはできなく、そのような意味では、むしろ、今回の総選挙の結果は「右傾化」であっても、「ナショナリズム化」ではなく、「保守化」という表現のほうが的確であるように思えます。

【ちなみに、BBCでは、今回の日本の選挙結果を報道する際、自民党をThe conservative Liberal Democratic Partyと説明し、安倍総裁をa right-wing nationalistと形容しています(BBC online "Japan's Abe says party 'must achieve results' after win", 17 December 2012)。】

むしろ、今回、看過すべきではないのは、リベラル左派の政治家が各党で落選し、当選してもかなり苦戦したことのほうです。

左翼が弱体化し、リベラル左派の政治スペースが国会に極僅かとなり、殆どの国会議員が「保守」「右翼」になる場合、「保守」と「右翼」が分裂し、「右翼」の一部が「民族主義」を維持しながら、同時に「左翼」化していく可能性があります(全員が右翼となった時、右翼という言葉もなくなります)。新自由主義的な経済政策で社会の格差が拡大すれば、下層からの不満が「民族社会主義」勢力を生み出していくかもしれないのです。

「民族社会主義」は他民族、他国民に対して排他的であることにおいて、また経済政策においてファシズム、ナチズムに共通します(大戦間期におけるイタリアのファシズムとドイツのナチズムは、人種主義において必ずしも一致しませんが、ここではその議論はしません)。

ファシズム研究において、ファシズムが表舞台に登場するには、「ニューライト」と呼ばれる「保守+右翼」勢力の存在が前提となります。「ニューライト」は必ずしも資本主義を否定はしないのですが、ファシズム、ナチズムを導いてしまいます。

21世紀において、大戦間期の歴史が同じ形で繰り返されるとは言えません。グローバル化は文字通り、地球規模の現象であり、状況は異なると認識しています。

しかしながら、日本においても経済状況が悪化すれば、もしくは、景気が上昇しても格差が著しく開いてしまえば、フランスやギリシャのように、下層から支持され、グローバル化、資本主義に批判的な(そして、日本の場合、おそらく、反米、反中となる)「民族社会主義」が誕生する可能性が全くないとは言えません。

自公政権と保守系野党には、資本主義とナショナリズムの微妙なバランスを維持することが求められてきます。その調整に失敗すると、将来、(日本の政治シーンにはまだ頭角を現していない)「民族社会主義」政党の踏み台にされかねないのです。

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プロフィール
安井裕司
安井裕司
エジンバラ大学、バーミンガム大学博士課程に学ぶ。その間、ルーマニア・アカデミー歴史学研究所研究生。国際政治学博士(PhD)。国連大学国際紛争研究所インターン、夏期講習クラスコーディネーター、法政大学国際日本学研究所客員研究員等を経て、現在、早稲田大学エクステンションセンター講師、日本経済大学神戸三宮キャンパス教授。
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