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グローバル化は足元からやってくる ~国際学で切り取る世界と社会~

2012年10月

2012年10月31日 23:00

スコットランドは独立するのか?

10月15日、英国(UK)のディヴィド・キャメロン首相とスコットランド自治政府のアレックス・サモンド首相は、2014年内に英国からのスコットランド独立の是非を問う住民投票の実施に合意しました。

英国は、スコットランド、ウェールズ、北アイルランド、イングランドによって構成されているのですが、90年代以降、スコットランドのナショナリズムが高揚し、英国からの独立を求める声が高まってきたのです。

もし、住民投票によって独立支持が過半数を超えると英国の地図が大きく変わる可能性が生じます。ですから、この合意は、将来、大きな政治的ターニングポイントになったと言われるかもしれません。

スコットランド議会は2011年5月の選挙において、スコットランドの独立を主張するスコットランド・ナショナル党(SNP)が45.4%の得票率で第一党となっています。全129議席のうち、69議席を獲得しており、過半数を超えています。SNPは2007年のスコットランド議会選挙も勝利しましたが、その時は第二党の労働党と1議席しか差がなく、安定した政権運営はできなく、独立を問う住民投票は現実的ではなかったのです。今回の交渉は、昨年の選挙で大勝利を収めてからの既定路線ではありました。

しかし、SNPの大勝利だけが今回の合意をもたらしたとは言えません。

英国の保守党政権が交渉のテーブルについた理由は、住民投票を実施しても独立には至らないと考えているからでしょう。

世論調査会社TNS-BMRBが発表した調査結果によると、スコットランド独立に賛成するスコットランド人は28%、反対が53%と、このところ独立賛成派が減少しているのです。

かつて、独立国家であったスコットランドは英国の一部となってからも独立した法体系を維持し、1999年にスコットランド議会が292年ぶりに「再開」されて以降、医療や教育などの分野では自治権を有しています。更にサモンド首相は、外交、防衛、経済の主権を求めており、完全独立を主張しているのですが、スコットランドの有権者には温度差があるのです。

私がスコットランドに滞在していました90年代後半、よく議論されていましたのは、スコットランド独立はEU次第という説でした。

EUが政治的に強い時は、EUに距離を保つロンドン(英国)の政治力が相対的に弱体化し、スコットランド独立には有利であるというのです。しかし、反対に、EUが弱い時は、ロンドン(英国)政府の力が強まり、独立に歯止めがかかる傾向となるというのです。

スコットランドの独立は、ある国が独立したいという単純な図式ではなく、EUが各国の主権を制限するような「強さ」を示す時に、スコットランドの主権が強まるという複雑な関係にあるのです。

2014年においてEUや英国がどのような状況にあるのか、スコットランド独立の視点からも注目しなければなりません。

2012年10月28日 00:00

『週刊朝日』問題を考える

橋下徹大阪市長に関する『週刊朝日』の連載「ハシシタ 奴の本性」(10月26日号)が、橋下氏からの抗議によって連載中止となりました。

代表筆者の佐野眞一氏はノンフクション界の大御所であり、『旅する巨人』(1996年)、『東電OL殺人事件』(2000年)、『あんぽん』(2012年)等、数々の名作を生み出しています。私は、佐野氏の代表作を読んだに過ぎませんが、その手法や主張に合意できなくても、手に取った作品は全て、その読ませる文章に唸らされてきました。

佐野氏の一つの取材方法に、系譜を辿るアプローチがあります。孫正義氏をテーマにした『あんぽん』ならば、両親の先祖の韓国まで赴き先祖の生い立ちや暮らしを掘り起し、現在の孫正義氏に繋げていくのです。

今回の橋下氏の記事も、被差別部落の地域出身とされる父方のルーツを辿り、「DNAから本性をあぶり出す」としたところ、橋下氏から「血統主義」と批判されました。佐野氏の手法は確かに時に「血統主義」なのですが、それが描きたい主人公の両親や祖父母、曾祖父母の社会背景や環境を抉る際、生き生きとしたドラマとなります。

人は誰もが、両親や祖父母から影響を受けますし、両親や祖父母もその両親(両親は祖父母、祖父母は曾祖父母)の存在なしには語れないでしょう。ただ、それは実はDNAではなく後天的な社会環境が影響しているかもしれないのです。両親も祖父母も曾祖父母も社会的に存在しており、社会環境は家族の人格形成や価値観を規定し、生活空間を共有する主人公の人生にも繋がっているように思えるのです。

ですから、佐野氏のアプローチが系譜を辿って、主人公の血筋の社会環境を描く目的であるとすれば、間違いであるとは言えません(もちろん、その社会環境がフェアであるかアンフェアであるかまでも判断する必要が生じます)。

しかしながら、社会環境と血筋を分けてしまい、血筋だけを辿り橋本氏の父方の「DNAから本性をあぶりだす」ことは科学的にも難しいと考えます。

私は環境決定論を支持しており、生物学的なDNAは政治家や経営者を語る時、あまり有効であるとは思えません。

良く言われるように、人は3代前の曾祖父母において4人の男性、4人の女性が存在し、4代前は8人の男性、8人の女性に広がり、5代で16人ずつになります。10代では父方512人、母方512人と合計1,000人を超えます。しかし、10代遡っても、まだ江戸時代です。11代で1,024人ずつ、12代で2,048人ずつ、13代で4,096人ずつ、14代で8,192人ずつとなり、1万5千人を超え、16,384人となりますが、大体この辺で江戸時代の始まる頃ではないでしょうか。

もちろん、1万6千人が全て別人という訳ではなく、遠縁の場合や地縁に限定される場合など、母方と父方で重複している人も少なくないと思います。しかし、同時代において全員が同じ村出身や親戚ということもないでしょう。

仮に14代前に数千人の先祖がいるとすれば、その中に犯罪者も含まれるかもしれませんし、ちょっとした偉人もいるでしょう(時々、ご自分の先祖をご自慢される方がおられますが、もし、その先祖が14代前ならば、1人を語られて他の数千人を無視する科学的根拠がよく分かりません)。少なくとも家系図ではDNAの全体像は表せないのです。そもそも、先祖の人生の成功や失敗も当時の社会との関係を無視できませんので、DNAでは語れないようにも感じます。

いずれにしても、1人の人間がこの世に生を受けた数万人のDNAを運んでいるとすれば、DNAとは、それから特定の「本性」を導き出すものではなく、むしろ、多くの潜在的な可能性を証明してくれるものなのではないでしょうか(もしくは自分から何代にも遡れば、遡る程、島国に住む日本人のDNAは殆ど平均化されるか、幾つかの型に集約されてしまうのかもしれません)。

人間の可能性を限定してしまうものは、DNAではなく社会環境なのです。ある代の社会環境が悪化すれば、その子供はアンフェアな影響を受けてしまいます。だからこそ、私たちは常に社会の公正性を維持するために努力を続けなくてはならないのです。

私は必ずしも政治家としての橋下氏の支持者ではありません。むしろ、当ブログでも、連載を担当した夕刊紙でも厳しいことを書いてきました。しかし、橋下氏を批判する際、DNAからのアプローチは的外れであるように思えます。一向に景気が回復しない大阪の経済(松下を始め、少なからずの在阪の大企業が本社機能を海外に移しています)や維新八策の矛盾を批判すればよいのです。政治家は第一に政策とその結果で評価されるべきです。

橋下氏の政策をフェアに判断するためにも(そして、堂々と批判するためにも)、氏に対するアンフェアな主張は断固として許すべきではないのです。仮に、『週刊朝日』の記事通りだったとしても、父親が人の道から外れていたから「DNAの本性」が悪いと言うのは、元首相や元大臣の子供ならば無条件に政治家に適任であると考えるのと同様にナンセンスに他なりません。

2012年10月27日 03:05

『おひさま』を考える(2):課題としての子育て、教師像、男女の生き方

NHK連続テレビ小説『おひさま』(2011年度前期)の後半はテーマが変わります。主人公・陽子の戦死した兄・春樹を皆が思い続けることは変わりませんが、子育て、教師像、女性の生き方が問われることが多くなります。

あらすじ(後半 79話から156話まで)
【昭和20年11月に夫・和成が戦地から戻ってからも、陽子は嫁ぎ先の松本の老舗の蕎麦屋「丸庵」から安曇野の小学校に通う生活を続ける。昭和21年11月、陽子は、長女・日向子を出産する。しばらく授乳のために和成に日向子を昼休みに学校まで連れて来て貰ったり、日向子を安曇野の知人宅に預けたりしながら、母親業と教師との二足の草鞋を履くことになる。そのような中、戦後赴任してきた校長から「若く、新しい教員を採用したい」と言われ、陽子は、今までの送り出した2クラスの卒業生に、戦時下で何も教えられなかったことを反省し、教師を辞めることを決意する。「丸庵」を手伝いながら卒業生たちに自宅で勉強を教え続け、幸せな生活を送るが、昭和25年のある日、近所の火事に巻き込まれ、「丸庵」が全焼してしまう。家族で安曇野の陽子の実家へ身を寄せながら、陽子と家族は安曇野に新たに洋風の家と蕎麦畑を購入し、理想の蕎麦屋を作ろうとする。】

NHKの連続テレビ小説(朝ドラ)は、主人公が女性であり、女性の生き方は共通テーマとなっています。『おひさま』の陽子ももちろん例外ではありません。陽子と陽子の女学校時代の友達の合言葉は、「女性たちよ、良き人生よ!」なのです。しかし、陽子はパイオニアとして時代を切り開く女性像とは異なります。

教師として陽子は2クラスの卒業生しか送り出さず、職を辞してしまいます。しかしながら、陽子は、その2クラスの卒業生の永遠の「先生」として、プライベートで教え、悩みを聞き、共に人生を歩んでいくのです。「先生」の理想像を映画『メリー・ポピンズ』に見るならば、陽子は確かにベストの選択をしたことになりますが、それが、教師を辞めることでしかあり得なかったとすれば残念なことです。

教師がプロである限り、多くの生徒を教えていかなくてはならなく、それが、教育の本質から離れてしまうことは今も問われるべき課題であるように思えます。厳しく言えば、辞めてしまうことは社会的な意味で「答え」を模索したことにはならないように感じます。確かに陽子は卒業生の永遠の「先生」になりましたが、それは彼女に出会うはずだった多くの子供たちの機会を犠牲にしたうえで成立しているのです(もちろん、この選択は、戦時中、何も教えられなかった贖罪として肯定されているのですが)。

もう一つのテーマは、育児と仕事の両立です。陽子の夫・和成は、陽子に教師を続けるために松本から列車に乗って勤務先の小学校まで毎日赤子(長女・日向子)を連れていき、授乳させます。陽子は夫にそんなことをさせて申し訳ない、恥ずかしいと思い、「もう無理なのではないか」と相談します。しかし、理解のある夫・和成はそんな陽子を「男が自分の家族のために何か役立とうとして、何が悪いんだい」、「どこがおかしいんだい」、「何で恥ずかしいんだい」(第100話)と叱るのです。

結果的には、陽子は前出の校長からの話によって教師を辞めることになります。そこで、夫の「小学校通い」も終わります。本来、男性の育児家事は、女性同様に葛藤し、悩むものであるはずであり、その段階に達するまでに「小学校通い」が終わってしまうことも惜しいように思えました。

このように『おひさま』では主人公・陽子は社会的キャリアを追求する女性ではないのですが、実は陽子の周囲の女性たちにその役割を担わせています。恩師・夏子先生は教師を続け、小学校の同級生の田中ユキは起業家となり、政界への進出も計画しています。女学校の親友の筒井育子は東京のラジオ局、テレビ局に勤務します(最終的には安曇野に戻るのですが)、もう一人の親友の相馬真知子も、仕事を続けながら、理想の家庭を築いていきます。

ですから、ドラマ全体としては非常にバランスが良く、むしろ、陽子を「普通の女性」に描くことで、周囲を引き立てているのです。ドラマでは、陽子の「陽」は太陽の「陽」と繰り返し語られるのですが、第21話で祖母・富士子から陽子の母親に託した言葉として「あなたは太陽のようにおなりなさい。自分の力で輝いて、みんなを明るく照らす太陽のような女性におなりなさい」と語られます。つまり、陽子は主人公なのですが、周囲を照らすことが主な役割となっていくのです(2011年後期の朝ドラ『カーネーション』は見事に、陽子とは反対の女性像を提示していきます)。

「普通の女性」が太陽のように輝いている社会は、確かに素晴らしく、ドラマの主人公が子育てやキャリアビルディングの模範とならなくてもそれはそれで良いようにも思えます。ただ、国際比較で男女格差が大きさが問題視されている日本社会において、毎日20%近い視聴率を叩き出す朝ドラに何か考えるヒントを求めてしまうのは間違いでしょうか。おそらく、それを『おひさま』に求めるとすれば、陽子ではなく、上記の通り、和成の描かれ方だったのかもしれません。和成が理想の夫であり、かっこ良過ぎるため、男女格差問題のヒントにはならなかったように思えるのです(和成ばかりではありません、登場人物の男性は皆、白馬の王子様のようにクールなのです)。

それでも、私は『おひさま』を楽しく見ていました。特に、陽子の実家の悲哀に満ちながらどこか笑ってしまう会話や幼馴染の農夫・タケオとのやり取り、女学校時代からの親友3人組のドタバタ劇や3人の隠れ家である安曇野の飴屋「村上堂」の夫婦像、「オクトパス」とあだ名を持つ女学校時代の英語教師・飯田先生の存在、陽子の母方の祖母で子爵夫人・富士子のエスプリ、松本の蕎麦屋「丸庵」の家族劇、そして、「丸庵」を中心とする近所の愛すべき共同体の姿には十分に惹きつけられました。

「リアリティ」という点から(特に後半は)突っ込みを入れたくなる点も少なくないのですが、このお話は2011年の現在、安曇野で蕎麦屋を経営する陽子の回顧録という形をとっています。つまり、陽子が生きた昭和が、21世紀の陽子にとって「セピア色」になるのは当然であり、それ故に、夫やその他の男性たちの思い出が完璧になっていたのでしょう。しかしながら、このオーラルヒストリーが「セピア色」であるからこそ(1年後の連続テレビ小説である『梅ちゃん先生』同様)、私は覗かずにはいられなくなっていたのかもしれません。

2012年10月24日 23:59

『おひさま』を考える(1):戦争をドラマ化(記憶)する限界と可能性

10月1日からNHK連続テレビ小説『おひさま』がNHK BSプレミアムで再放送されています。『おひさま』は2011年4月から始まり、半年間続きました。

東日本大震災後の混乱期において、余震が続く中、ニュースと共にご覧になられておられた方も少なくなかったでしょう。東日本大震災は、視聴者に第二次世界大戦中、戦後の苦境を思い出させ、同ドラマは期せずして「同時代性」を帯びてしまったのです。

放送終了から約1年が経ち、再放送されていますが、日中関係、日韓関係が悪化しております今、見直しますと新たな感想を抱くのではないでしょうか。

あらすじ(前半、78話まで)
【昭和7(1932)年、須藤陽子は10歳の時、心臓病の母の療養も兼ねて、父と2人の兄と東京から安曇野に引っ越してきた。母は間もなく他界するが、尋常小学校、女学校を通じて、友人に恵まれ、楽しい生活を送る。陽子はその後、師範学校を卒業し、母校の小学校の教師となるが、その年(昭和16年)、尋常小学校は国民学校となり、軍事色を強めていく。太平洋戦争が勃発し、厳しい環境の中で、陽子は教師として学問を何も教えられないことを悩みながらも、子供たちに寄り添おうと努める。既に、昭和14年、次兄の茂樹は海軍・予科練の受験に合格して入隊、長兄で医学部に学んでいた春樹も卒業と共に軍医として戦地へ赴くことになる。昭和18年、陽子はお見合い結婚をして松本の老舗の蕎麦屋に嫁ぐも、すぐに夫・和成が召集され、嫁ぎ先で義父母との暮らすことになる。昭和20年に入り、日本各地が空襲されるように頃、軍医として春樹が乗船していた潜水艦が撃沈されて戦死したという連絡が届く。8月に戦争が終わり、途方に暮れている中、出征した夫・和成が無事に戻る。】

このドラマの時代設定は昭和7年からですが、全156回の約半分の内75回まで戦前、戦中となっています。

戦争の描写は、多くのドラマ同様、家族の視点で描かれます。主人公の須藤家は、長男と次男が出征し、陽子の夫も戦地に赴きます。長男の春樹は戦死し、次男の茂樹も廃人のような姿で戻ってきます。

犠牲になったのは主人公の家族ばかりではありません。赴任先の陽子の生徒には東京から縁故疎開していた生徒とその妹がいたのですが、彼女たちの両親も東京大空襲で亡くなってしまいます。陽子の尋常小学校の担任の先生で、陽子が教師となってからは良き同僚となった夏子先生の婚約者は広島で原爆に遭い命を落とします。

戦争で多くの命を奪われた悲しみは、ドラマの中では優しくて優秀な軍医であった兄・春樹の死を戦後も引っ張るかたちでドラマに一貫しています。

もちろん、藤原帰一氏が『戦争を記憶する---広島・ホロコーストと現在』(2001年)にて記されているように戦争の「記憶」は主観的です。優しい兄や夫は、中国や韓国の一般市民からは鬼の日本兵にしか見えないことでしょう。そして、アジア各国には日本軍の侵略の犠牲になった多くの家庭があったのです。

そのような記憶の限界を踏まえて、敢えて申しますれば、家族の悲劇から戦争を描き続ける必要性はあるということです(連続テレビ小説では2011年度下半期の『カーネーション』も151話中、75話までが戦前、戦中の大阪・岸和田が舞台であり、やはり主人公の周辺の男性が次々に戦死していきます)。

尖閣諸島、竹島の領土問題は、日本にとって固有の領土であり、また韓国や中国にとっても譲れない国土かもしれません。

しかしながら、戦争という選択はあり得ません。なぜならば、日本、中国、韓国において、自分の夫や子供や孫を戦地に向かわせてまで「島々」を守りたいと願う人は多いとは思えないからです。

もちろん、理論上、国家として戦争を起こすことは中国、韓国の政府はできるでしょうし、日本政府も自衛に限定すれば不可能とは言えないのかもしれません。

それでも、やはり、現実にはできないと思います。韓国はOECD諸国で最低の出生率の国です。日本も1.3レベルの少子化国家です。中国も一人っ子政策で、人口の割には若者の比率は高くなく、高齢化しています。このような家族構成の国家同士が戦い、数百人、数千人、数万人の若者の戦死者がでれば、戦争を始めた政府から倒れるでしょう。いずれかの国が武力で「島々」を制圧したとしても、犠牲が大きければその国家は内的に崩壊していくのではないでしょうか。

本来、人々の生活を守るために国家があり、国家のために人々が犠牲になるのは結果から見れば本末転倒なのです。それが、お国を守ることが家族を守るとこであるという理屈によって逆転していくのです。

しかし、『おひさま』では戦争を否定したり、反戦を掲げたりする直接的なセリフは殆どありません。むしろ、登場する若い男たちは、お国を守ることが家族を守ることであることを信じて、戦地に向かい(善き人しか描かれないと言われる連続テレビ小説であるからこそ、悲劇が続きます)、主人公もそれに疑問を投げかけることはありません。

これも戦争の主観的な「記憶」でしかないかもしれません。

しかしながら、家族の命を何よりも最優先に考えたいと考えることは普遍化できるのではないでしょうか。そのことを知らしめ、定期的に確認するためにも、戦争の社会的な「記憶」として戦前、戦中ドラマは作られる意義があるのでしょう。

2012年10月21日 00:00

金本知憲選手の引退:連続無併殺記録の美学

会ったことも話したこともないのに、人生で「借り」があるように思える人がいます。私にとって、阪神タイガースの金本知憲選手はそのような方でした。

もともと大阪に何かと縁があり、阪神が好きだった私は2002年から2006年の間、熱狂的なファンでした。個人的な理由としては、研究に行き詰っており、この間の仕事も順調とは言えなかったことがあります。更に技術的には、ネットで巨人戦を除くすべての主催試合が観られるようになったことが挙げられます。

「熱闘ライブ 甲子園球場」と名付けられたそのプログラムは、「甲子園の歓声があなたのパソコン襲う」というようなフレーズが付けられていました(毎日放送のラジオ中継「タイガースナイター」が音声として流れます)。私はこの間の滞在先のスコットランド、アイルランド、イングランド、スイスで自分のパソコンから「六甲おろし」が流れるのを楽しみにしていました。

できるだけライブで見ようとしましたが、中央ヨーロッパ時間で午前11時から試合開始ですので、さすがに毎日は難しく、夜のストリーミング観戦を楽しみにしていました。

私の阪神熱は多分に「逃避的」でしたし、その自覚もありました。また、「逃避的」だからこそ試合も面白く感じました。負け試合も真剣に観ました。

幸運なことに、私が主催試合の全てを見ていた5年間は強い阪神でした。その強い阪神の主力の1人は2003年に広島から阪神に移籍した金本選手でした。

金本選手は、期待に応えてくれるプレーヤーでした。私の鬱憤をバットで晴らしてくれるのです。そして、それ以上に特筆すべきは金本選手が凡打した時です。打てなかったのに、何かメッセージがあるように感じてしまうのです。俳優の西田敏行氏は「金本さんは三振して引っ込んでも、何か"やった!"って気持ちがファンにあった」と述べられていますが(サンケイスポーツ、10月10日)、本当にそうなのです。

おそらく、それは金本選手が常に全力でプレーされていたからなのではないでしょうか。金本選手はご自分の一番の誇りを歴代1位の、「連続無併殺記録」であると言います。「併殺崩れ」は、内野安打になりませんので打率が下がります。しかし、そこでも全力で一塁走って、ゲッツーにならないように努めたのです。引退会見では「内野安打になるのであれば誰でも走る。ならない局面で全力で走ることが出来た。ある意味ではフルイニングよりは全然自分では誇りに思います」と語られています。

「連続試合出場」(1492試合連続フルイニング出場、1766試合連続出場)は金本選手の代名詞でもありましたが、金本選手はただ単に毎日、出場するのではなく、10回打席に立てば、どんな選手でも6回以上は凡退し、3回以上ヒットを打てば一流選手であるプロ野球の世界で、6回~7回の凡打の時にも何かを見せようとしていたのです。だからこそ、「逃避的」な私も金本選手のプレー(凡打を含む)を見て不思議に「前向き」になれたのでしょう。

この数年、大阪の人々がどのように阪神タイガースを応援しているか分かりません。相変わらず経済は停滞し、景気も悪い大阪です。もしかしたら、「逃避的」に阪神の活躍に「救い」を求めている人も少なくないかもしれません。

私は阪神が「救い」でも「逃避」でもいいじゃないかと思います(もちろん、巨人でも中日でも日ハムでもソフトバンクでも悪いことはありません)。

たかが野球です。ボールを投げて打って走って、勝っても負けても、地球がひっくり返るわけでもありません。勝ったって世紀の発明に繋がることもないのです。他力本願といえばその通りです。でも、それでハッピーになるならば、いいんじゃないでしょうか。むしろ、そういうモノが社会には大切であるようにさえ感じます。

人生いつもうまく運ぶとは限りません。大概、「負け」のほうが多いものです。3割打者は一流かもしれないのです。それでも、「負け」は傷を負います。そんな時、サッカーでも野球でもプロのスポーツとは、普通の人々の生活における欠落した何かを埋めてくれるような役割=「補償」なのでしょう。

ただ、人は「補償」としてスポーツを見る際、天才肌でバットを振るだけで本塁打になるような選手よりは、むしろ、成績だけではなく(もちろん、成績を伴いながら)試合のプレーの中で何か「救ってくれる」ような存在を求めているのはないでしょうか。

甲子園の出場経験もなく、大学に入るのに浪人し、広島でレギュラーになるのに3年かかり、努力に努力を重ねて一流の仲間入りした金本選手は、ファンにとってまさにある種、フィールドの「救世主」であったように思えます。「負け」の痛みを知って、それを克服してきた「救世主」は、言葉ではなくプレーを通じて、私のような逃避者を「前向き」にして日常に帰してくれたのです。

私の「甲子園の歓声がパソコン襲う」生活は、子供が生まれ一変しました。パソコンの中のボールを追っている暇が無くなり、紙おむつに描かれている動物のイラストばかりと睨めっこすることになりました(それはそれで別の戦いの「始まり」でした)。

10月9日の「阪神タイガース対横浜DeNA」の最終戦は、金本選手の引退試合になりました。試合後のセレモニーを見ながら、個人的に会ったことも話したこともない金本選手への「借り」をどうやって返すべきなのかを考えました。

それは、金本選手には遥かに及ばないにしても、会ったことも話したこともない人に少しは役立つことかもしれません。私は「救世主」には成り得ませんし、そのような希望もありませんが、とりあえず当ブログにて、社会性を念頭に置き、時には有益なことを書くよう心掛けたいと思います。長距離バッターではありませんし、打率も高くないかもしれませんが、「併殺崩れ」を目標に努力致します。

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プロフィール
安井裕司
安井裕司
エジンバラ大学、バーミンガム大学博士課程に学ぶ。その間、ルーマニア・アカデミー歴史学研究所研究生。国際政治学博士(PhD)。国連大学国際紛争研究所インターン、夏期講習クラスコーディネーター、法政大学国際日本学研究所客員研究員等を経て、現在、早稲田大学エクステンションセンター講師、日本経済大学神戸三宮キャンパス教授。
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