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グローバル化は足元からやってくる ~国際学で切り取る世界と社会~

2012年3月

2012年3月31日 00:00

郷土愛や愛国心は「上から」創れるのか(2):ナショナリズム論からの考察

「愛国心」と「民族主義(ナショナリズム)」は必ずしも一致しませんが、今回は、ナショナリズム論(学)(Nationalism Studies)から大阪の「君が代」条例を考えます。

「ナショナリズムは何か」、「ネーションとは何か」という問いに対して、多くの研究者がその「答え」を模索してきました。ここで学説史の詳細は省略致しますが、その中の一つに「ナショナリズム」、「ネーション」は、人々の「心=マインド(mind)」で形成されると考える系譜があります。

英国の歴史学者ヒュー・セトン=ワトソン(Hugh Seton=Watson, 1916年-1984年)は、ヨーロッパの緻密な実証研究から「ネーション」の生成を人々のmindと結び付けました。その後、アイルランド出身の米国の政治学者ベネディクト・アンダーソン(Benedict Anderson, 1936-)は『想像の共同体』という本を執筆し、セトン=ワトソンの研究の延長上に、人々のmindから作り出される「ネーション」を「想像の共同体」として定義したのです。

【アンダーソンは「ナショナリズム」の史的発展を「出版資本主義」にも求めており、mindだけを重視している訳ではなく、『想像の共同体』論はアーネスト・ゲルナー、トム・ネアン等の先行研究からも影響を受けています。】

これらの「唯心論」的アプローチは、国家と「ネーション」を必ずしも一致して捉えていません。国家は「ネーション」形成に一定の政治的な影響力を行使することができますが、人々は政治家の思うように「想像の共同体」を創り出すとは限らないのです。

例えば、ハプスブルク帝国や大英帝国において、被支配民族の「ナショナリズム」を基調に独立運動が発生するようなケースでは、土着の民族エリート政治家は、民衆とmindを共有し、大きな影響を与えることができますが、逆にそれは、ハプスブルク帝国や大英帝国の強力な権力者が、(統治する)人々のmindを動かせなかった歴史でもあります。

橋下氏及び大阪維新の会の場合、「教育行政に住民の意思を反映」させるという「下から」の教育改革を訴えながら、その具体的な方法としては「上から」条例で「愛国心」や「郷土愛」を押し付けてしまっているように見られます。

それは、おそらく大阪維新=「郷土愛」と日本=「愛国心」が噛み合っていないことからくるものなのでしょう(江戸時代に遡るまでもなく、日本において「郷土愛」と「愛国心」は部分的に重なることがありましても、完全には一致しません)。

仮に維新の会が「郷土愛」だけを主張したとすれば、大阪の公立の小、中、高の教師が、大阪の「郷土愛」に反する行動を取ることを「住民の意思」を背景に(「下から」)許さないと言えるのです。このような「郷土愛」であるとすれば、東京の多くの政治家や官僚は好意的ではないかもしれません。

しかし、日本の「愛国心」を大阪の地域政党が創り出そうとすると東京の下請け的になり「上から」に見えてしまうのです(逆言えば、維新の会が「愛国心」を今、主張することは東京の国会議員に一定の安心感を与えるかもしれません)。

ハプスブルク帝国や大英帝国から独立した諸国家の独立過程において、「愛国心」が国民に当然として受けとめられるのは、概して「下から」の「ナショナリズム」によって「郷土愛」が「愛国心」に発展し、帝国からの独立を勝ち取っているケースが多いからです(しかし、一旦、独立国家となれば、新生国家の政治家による「愛国心」の呼びかけは「上から」に変化し、その統治に失敗すれば、旧ユーゴに見られるように新たに「地方」から分離運動が起こされることもあります)。

日本だけではなく各国において、「郷土愛」と「愛国心」は微妙なバランスで人々の心の中で共生/対立しているのです(例えば、ドイツにおいて各地方の「郷土愛」とドイツに対する「愛国心」は殆ど、対立しませんが、英国のスコットランドにおいてスコットランドへの「郷土愛」と英国への「愛国心」は徐々に離れる傾向にあります)。

大阪維新の会の「君が代」条例は、このバランスを安定させることにはならないと考えます。なぜなら、現段階において「君が代」条例は大阪における「郷土愛」と矛盾し、維新の会の地域政党性を否定してしまう可能性があるからです。

大阪人のアイデンティティが「君が代」と一致しないと申し上げているのではありません。そもそも、大阪というアイデンティティを強固なものにし、「大阪府」を「大阪都」にすることと、日本の「愛国心」を高めることは、(日本国の枠組みを維持して、地方分権を目指すならば)次元が異なるのです。

世界中には連邦国家がいくつもありますので、大阪が「大阪都」となり、大阪のアイデンティティを強め、独立度を高めながら、日本の「愛国心」も高揚させることは不可能ではないと考えます。しかし、それはかなり高度な統治・統合理論になるのではないでしょうか。

それは、単純に「上から」の条例(命令)によって創り出せるものではないと考えます。

2012年3月28日 23:59

郷土愛や愛国心は「上から」創れるのか(1):大阪「君が代」条例を考える

2012年2月28日、大阪市議会は、大阪維新の会と公明党、自民党の3会派の賛成多数で、学校行事において君が代斉唱時に、教職員の起立斉唱を義務づける所謂「君が代」条例を可決しました(毎日新聞、2012年2月29日;大阪市役所『大阪市広報』第5566号、平成24年3月9日、12-13頁)。

同様の条例は、大阪府議会でも昨年の6月に成立しています(大阪府ウェッブサイト「大阪府の施設における国旗の掲揚及び教職員による国歌の斉唱に関する条例」平成23年06月13日、条例第83号)。

卒業式のシーズンの3月、大阪では同条例を何が何でも守らせようとする学校とそれに反抗する(一部の)教職員の対立が話題になっています。

3月13日、大阪府立和泉高校(岸和田市)の卒業式では、学校側が君が代斉唱の際に教職員の口元を見て歌っているかどうか確認し、3名が口を動かしていないと報告されたのです(朝日新聞デジタル、2012年3月13日)。

大阪市の橋下徹市長は「府教委が起立して斉唱しなさいと職務命令を出し、(和泉高校の)中原校長は忠実に守った。口元を見るのは当たり前で、やっていない高校の現場がおかしい」と述べ、改めて和泉高校の対応を支持しました(読売新聞、2012年3月13日)。

これらの条例は、大阪維新の会の代表・橋下市長のイニシアティヴによって大阪府、大阪市に導入されました。その理由としては「府民とりわけ子どもが伝統と文化を尊重する」、「国と郷土を愛する意識の高揚」、「府立学校及び府内の市町村立学校での服務規律の厳格化」等が掲げられています(「大阪府の施設における国旗の掲揚及び教職員による国歌の斉唱に関する条例」)。

民主主義の原則上、議会で可決された条例は守らなくてはいないという前提で、この「君が代」条例の(是非ではなく)効果を考えてみます。

基本的には「上から」の強制は殆ど「郷土愛」や「愛国心」を高揚させることはないと考えます。

意外なことに、2011年11月の大阪府知事、大阪市市長のダブル選挙の際、橋下市長も松井知事もマニフェストにて「愛国心」も「郷土愛」も記載していません。

教育行政に関しては以下の通り、「住民の意思を反映できる仕組みの構築」を宣言しているだけです(大阪維新の会「教育の仕組みを変える基本条例 」『大阪維新の会 秋の陣マニフェスト』)。

文部科学省を頂点とするピラミッド型の教育委員会制度を一から見直し、教育委員会が独占している権限を住民に取り戻します。教育行政に住民の意思を反映できる仕組みを構築します。

ただ、橋下氏と大阪維新の会は2011年6月に大阪府議会において「君が代」条例を通しておりますので、11月のダブル選挙においても「住民の意思を反映」して「郷土愛」や「愛国心」を高めることも、選挙公約に近いものであったと考えることはできます。しかし、仮にそうだとしましても、「君が代」条例や「口元チェック」は何よりもその効果が疑われるのです。

条例に従わない教師も問題視しなければなりませんが(彼らは民主主義的に決定された社会のルールをどのように生徒に教えるのでしょうか)、同時に、条例で学校の教職員を縛って、無理やり口を開かせることだけで、「郷土愛」や「愛国心」が高まることに繋がると考える政治家も問題であるように考えます。

「愛」や「心」の問題は条例で「上から」創ることは難しいのではないでしょうか。

【誤解の無いように申し上げますれば、私は大阪維新の会の政策の全てに反対している訳ではなく、ここでは上記の「君が代」条例の効果が疑わしいことのみを指摘したいのです。この一点に注文を付けることで、大阪維新の会の今までの功績と、今後、同会が担うべき改革的な役割を否定するつもりはありません。】

2012年3月25日 07:03

「ラジオの女王」の降板:『小島慶子キラ☆キラ』番組終了に際して

TBSラジオ『小島慶子キラ☆キラ』(月―金13:00~15:30)という番組が来週で終わります。

私はこの番組をスイスにて主に家事や育児をしながらポッドキャスト経由で聴いていました。そもそも私は同時間帯の前番組『ストリーム』(2001年-2009年)のへヴィ・リスナーでした。ですから、後続番組の『キラ☆キラ』は第一回目から聴きながらも、どちらかと言えば残念な思いから入りました。

しかしながら、暫く経ちますとパーソナリティの小島慶子さんの日常をテーマにした飾らない(直球の)語りに、時に頷き、時に違うなぁと思いながらも、毎日、楽しみに耳を傾けるようになっていました。特に、小島さんが2010年6月末にTBSを退社され、フリーランスとなられてからは、何かから解放された様により「自由」に語られ、「ラジオの女王」(TBSテレビ『情熱大陸』2011年4月3日)とまで評されるようになりました。

その同番組が終了します。

その理由は、公式には、まず、局側から「せっかくラジオに注目が集まっているので、番組としては是非聴いて欲しいお客さんがいる。まだラジオを聴いていない、40代、50代の男性の自営業の人を意識したしゃべりをしてください」と要請されたことに始まるそうです(『キラ☆キラ』2012年1月26日)。それに対し、小島さんは「ラジオはリスナーとの会話。今聴いている人に話しかけながら、その肩越しに聴いていない人を呼び込むしゃべりをしろ、と言われたら、それは絶対できない」(同上)と降板を申し入れたそうです。その後、番組自体が終了することになります。

小島さんが辞めてしまったら、TBS側としては今のリスナーも離れてしまう可能性がありますので、イソップ物語の『欲張りな犬』を彷彿させる話ですが、小島さんも「違う骨付きのお肉」も狙えと言われて、「今のお肉をくわえながら、他のお肉は無理」と言いながらも、なぜか、今、口にくわえている「骨付きのお肉」も置いてどこかに行ってしまう(自ら降板してしまう)ような感じでもあります。今くわえている「お肉」は別のところで大切に保管するのかもしれませんが(3月21日からBLOGOSメルマガ・ネットラジオで小島慶子「トークイン・クローゼット」が配信されているそうです)。

いずれにしましても残念です。

面白い放送は何回もありましたが、特に2011年4月12日の「オープニング」は印象深く記憶されています。

福島第一原発事故以降、小島さんは、表立って東電批判はされていなかったのですが、ツイッター等で小島さんにも東電から圧力があるのではないかと書かれ、それに答える形で小島さんは同日の放送で「メディアでしゃべっている人はきっと東京電力の圧力で東電とか原発の悪口を言うなと言われているに違いないというのは思い込みです」と断言され、スタジオのスタッフに「誰か東電から何か言われたことがある人いる」と声をかけ始めたのです。結局、『キラ☆キラ』のスタッフは誰も何も東電から言われていないことが分かりました。

しかし、その小島さんも東電の原子力政策を批判するのは「勇気」が要ったようで、その日、この話題に触れるのに最初は躊躇していました。なぜかと考えれば、おそらくそれは、マスコミを支配し、リスナーも共有する「空気」が小島さんの意志とぶつかり合っていたからではないでしょうか。スタッフが誰も何も東電から言われていないからこそ、大変なのです。

ジャーナリストの田原総一郎氏は、俳優で原発反対論者の山本太郎氏とニコニコ動画にて対談(2011年10月20日)しています。そこで、原発反対運動を展開してからテレビの仕事が激減したという山本氏に対し、田原氏は、東電の圧力ではなく、テレビ局の現場の「自己保身なんだよ」と説明し、山本氏に「敵」が違うことを暗に諭しています。田原氏は「もっと原発を造れ」という声も同じ理由で黙殺されていると言われるのです。東電とか国家の陰謀等ではなく、現場が勝手に「空気」を読んでいるだけなんだという見立てです。

逆に、小島さんがラジオ局で生放送中、スタッフに「誰か東電から何か言われたことがある人いる」と声をかけるのは、実体のない「空気」を暴いてしまう行為であり、もしかしましたら、それは原発反対運動よりも過激な行動かもしれません。

「東電から圧力がある」という「空気」を、実はスタッフもリスナーも共有することで、その場、その瞬間においてとりあえず「納得」しているのではないでしょうか。それが、実体がないとなれば、皆が原発政策の是非を自分で考え、決断し、行動しなければならなく、当然、(賛成だろうと反対だろうと)責任もついてきます。

【私は、2011年4月12日の放送が直接の降板理由になっているとは考えていません。本当の理由は分かりませんが、2012年3月13日の放送でゲストのマツコ・デラックス氏が小島さんの降板理由を想像し、小島さんに対し「あんた嫌われてるんだと思うよ、私」、「基本的にオヤジとかから嫌われるタイプじゃないあなた」と言われています。小島さんも「私ね、15年局アナやってね、本当に適正に限界を感じて辞めたのは正にそれなのよね。男性優位社会の中で得をするのが女性アナウンサーだから」と返答しています。しかし、マーケティング的には、男性優位社会だからこそ、小島さんの存在がより効果的なのであり、そこに降板理由があるとは考えられません。敢えて理由を求めるならば、ジェンダーを超えた小島さんの個性に帰するのではないでしょうか。その一つは小島さんの現場の「空気」を変えてしまうパワーが強過ぎたのかもしれないとマツコ氏同様勝手に考えています。】

日本の「空気」はマイナスばかりではなかったと考えます。黙っていても、コミュニケーションが成立する(かつて、成立した)のは皆が「空気」をシェアしているからです。それは、シェアする者同士(に限定)の思いやりや、優しさにも繋がっていたでしょう。

しかし、その「空気」が、何かと言語化し、説明責任が問われる今の時代に合わなくなっていることも確かなのではないでしょうか。良し悪しは別として、ヒト、モノ、カネのグローバルな動きと日本人の従来の「空気」は相性が悪いのです(欧州社会にも、「空気」とは喩えられなくても日本とは異なる社会的規範はありますので、「規範が読めない」存在=外国人や移民は生きるのに苦労します)。

小島慶子さんは日本社会の閉塞した「空気」を壊すパワーを持っているように感じます。逆に、日本社会を包み込む「空気」がグローバル化の時代に合わないとすれば、時代が小島さんのような存在を必要としているのかもしれません(イソップ物語に戻せば、「お肉」が小島さんを必要としており、どこにいても、くわえるべき「お肉」はあるのかもしれません)。

40代、50代の男性の自営業の人を意識するとかしないとか、そういうレベルではありません。誰かが先頭を切って「王様が裸であること」(この場合、「空気」が「空気」であることを)言わなくてはならないように思えるのです(なぜか、小島さんがグラビア写真集を出されていましたが、「王様が裸」であることを指摘するために、ご自分が写真集を出すところから始められるとすれば脱帽です)。

ご本人は「ラジオの女王」と呼ばれることが不本意なご様子ですが、「女王様」ならば「空気」を読まなくても許されるのではないでしょうか。これからも「空気」に抗ってご活躍していただきたく願っております。

2012年3月24日 05:27

大学「秋入学」導入とグローバル化

このところ日本の大学が「秋入学」を導入する件に関してよく尋ねられます。

個人的には、単位制度と学期制度が確立されれば、入学時期、卒業時期には拘らなくても良いように考えています。

学期制度は、セメスター制(年間2学期制)、トリメスター 制 (年間3学期制)などがありますが、1科目が1学期で講義として完結すれば、基本的にいつ大学に入学しても(いつ卒業しても)良いのではないでしょうか。

1学期単位制と言いましても語学のように基礎・入門から中級、上級と順序がある講義もあり、毎学期、全てのレベルを開講するのは難しいでしょうから、春か秋(もしくは春秋の両方)が一応の入学時期となるのでしょう。

ただ、単位をより自由に取れるようにしまして、効率よく、集中的に取得すれば、学部を3年間で卒業も可能にするのはいかがでしょうか。もちろん、バイトをしながら4年、5年かけて卒業するのも悪くはないでしょう。もしくは、3年で卒業単位を取得し、1年間のギャップイヤーを取って、海外留学やインターンに励むのも一案です(企業の新卒採用の柔軟化が前提になりますが、日本企業もグローバル化が不可避ですので、時間の問題のようにも思えます)。

それぞれの目標やライフスタイルに合わせて学生が大学を活用できる「多様性」があったほうが良いように思えます。

実は「多様性」というキーワードは私の言葉ではありません。

もう2ヶ月前になりますが、BSフジ『プライムニュース』(1月31日放送)に早稲田大学総長の鎌田薫教授と慶應義塾長 の清家篤教授が出演されていました。お二方とも「秋入学」に賛成する理由を「大学の多様性」と語られていました。

なぜ、多様化が必要かと言えば、グローバル化に対応するためです。グローバル化とは必然的に多様化であり、多様化しなければ大学も時代に取り残されてしまうのです。

フジテレビの解説委員の方が、東大や早稲田、慶應のようなトップレベルの大学がグローバル化に対応する必要があるのは分かるが、トップレベルではない大学を含んで日本全体として「秋入学」を導入する必要があるのかと質問していました。

早稲田の鎌田総長は、その問いに対し、むしろ反対に「秋入学」の社会的なインパクトのほうがより重要であると答えられていました。

グローバル化という観点に立てば、鎌田総長が主張される通り、入学するのが春か秋かという制度論に終始せずに、これをきっかけに社会全体としてグローバル化を考えていくべきであるように思えます。

グローバル化は足元からやってきます。トップレベルの大学ではなく、むしろ、一般にはエリート校とはされていない大学に通う学生、更に大学に行かなかった若者が本来、一番それに備えなくてはならないのです。

多かれ少なかれ有名大学の学生はグローバル化を感じ、備えていくでしょう(そうであることを願っています)。中にはグローバル化をチャンスとして積極的に自己実現に利用していく学生も出てくるでしょう。しかし、反対に「グローバル化なんて関係ないよ」と考えている人々が、自覚もないまま最初にグローバル化の荒波に呑まれていくのです。

何かと比較される韓国の大学は、「秋入学」を導入しておらず、「春入学」です。なぜなら、韓国は現段階において、もはやその必要がないからです。

1997年にアジア通貨危機の影響で、韓国もデフォルトの危機を招き、通貨ウォンは暴落し、国際通貨基金(IMF)からの資金支援の受け、IMF主導の緊縮財政を経験しました。多くの韓国人は良くも悪くも「グローバル化とは何か」を、自らの痛みを伴って知っているのです。

故に、韓国において大学の入学時期の変更は社会的意義を持ち得ません。グローバル化に備えるという意味では、もう遅いのです(将来、韓国の大学が「秋入学」に移行するとすれば、単に欧米と合わせるほうがテクニカルに便利というだけになります)。

日本において「秋入学」を導入する社会的意義があるとすれば、日本はまだ手遅れではないということなのではないでしょうか。

2012年3月21日 00:12

フィリピン貧困層の「絆」:水谷竹秀著『日本を捨てた男たち-フィリピンに生きる「困窮邦人」』

過去2回、日本における「絆」に関して、芥川賞作家・田中慎弥氏のコメントとテンニースの社会論を用いまして論じてきました。

より具体的に「絆」と経済発展が考察できるノンフィクションの書として日刊マニラ新聞記者・水谷竹秀氏著『日本を捨てた男たち:フィリピンに生きる「困窮邦人」』(2011年、集英社)があります。

同書ではフィリピンでホームレスとして暮らす日本人(「困窮邦人」=「50歳以上の男性」)に焦点が当てられています。

男たちの多くは、日本のフィリピン・パブでフィリピン出身の女性に出会い、女性の帰国後、追いかけるようにしてフィリピンに来ます。そこで所持金を遣い果たすと、女性に捨てられ、帰国もできなくフィリピンでの路上生活(もしくは殆ど路上生活同然の状況)に入ります。

【驚くことに、このような邦人は少なくなく、2010年に世界中の在外公館(日本)に駆け込んで援護を求めた「困窮邦人」の総数は768人ですが、その中でフィリピンは1位で332人であり、2位のタイの92人の3倍以上となっています(同書、21頁)。水谷氏によれば、そのフィリピンでの典型的な「困窮邦人」は、上記の(フィリピン・パブでフィリピン女性に出会い、追いかけて渡航し、困窮化するという)パターンであるそうです。】

彼らはなぜ帰国ができないのでしょうか。そしてなぜそのようなホームレス生活が可能なのでしょうか。

水谷氏は、フィリピン人の貧困層が「困窮邦人」を助けているという現実を指摘します。フィリピンで路上生活を営む「困窮邦人」たちは、日本における親兄弟との縁(絆)が切れている状態であり、帰国のための飛行機代が捻出できなません(マニラの大使館に来ても帰国代は支給されない)。そのような邦人男性に、フィリピンの貧困層の人々は(自分たちも苦しい中)食事を分け与えるのです。

これにはキリスト教の影響もあるかもしれません。ただ、同じキリスト教徒でもフィリピンの富裕層は同じような行動様式はとりません。いつもきまって手を差し伸べるのは貧困層なのです。

ゲマインシャフト/ゲゼルシャフトの理論に「絆」を絡めて再考すると、日本でゲマインシャフト的な「絆」を失った男性たちが、新たな「絆」を求めて都会のフィリピン・パブで女性に出会い(人によっては、逆にフィリピン・パブに行ってから家族の縁が切れてしまうケースもあります)、その延長上にフィリピンに行くことになります。フィリピンでは追い求めたフィリピン女性に捨てられながらも、ゲマインシャフト的な「絆」を維持しているフィリピンの貧困層の人々に助けられるのです。

しかしながら、人生を「選択」して「日本を捨てた」男たちはフィリピンの貧困層のムラ的な「絆」に救われていることを自覚できなく(分かっていても100%肯定できなく)、未だに心のどこかで都会的な成功に憧れているのです。なぜなら、海を越えた異国のムラ社会に救われている現実は、日本のムラ社会を「捨て」(捨てられ)、「世界に出た」男たちにとっては矛盾してしまうからです。

フィリピンの貧困層の人々も「困窮邦人」を援助しながら、本当のところはなぜ豊かな日本が同胞を助けずにいるのか分からないと語ります。しかし、彼らはだからと言って日本人同士が何とかすれば良いと放置するのではなく、自分たちの生活圏にいる「困窮邦人」を救い続けるのです。

グローバル化は各国を格差化し、多様化します。日本の社会も、海を渡った先の社会も多様化しており、空間の移動が即、社会階層の移動を意味しません。今や先進国が「豊か」で途上国が「貧しい」と単純に図式化できないのです。日本人が外国に行けば、皆、富裕層となった時代は終焉しつつあります。

そして、途上国の発展は、途上国の「絆」も変容させていくことでしょう。日本人男性を「裏切った」とされるフィリピン・パブの女性たちも、その多くはゲマインシャフト的な「絆」を維持するフィリピンの田舎において、貧しさの中で育っているのです(彼女たちの魅力はそのマージナル性なのかもしれません)。

そのような見方をすれば、フィリピンの貧困層の「絆」も永続的ではない可能性があります。貧困層の人々も(その一部が)貧困を脱し、社会空間としての「生活圏」(と付随する価値観)が変化すれば、路上の「困窮邦人」を助けるのは、自分たちの役目ではないと思うかもしれないのです。個人ではなく、公的な組織である政府やNGOがすべきであると考えるようになるかもしれません。

日本のムラ(田舎)を出た男たちが、フィリピンの貧困層のムラ的人間関係に助けられている状況はグローバル化の中で、意外に近い将来終わってしまうか、形が変わってしまうのではないでしょうか。それとも、たとえフィリピンが発展したとしても格差が続く限り、貧困層の「絆」は維持され、「困窮邦人」は救われ続くのでしょうか。水谷氏の続編を期待したいと思います。

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プロフィール
安井裕司
安井裕司
エジンバラ大学、バーミンガム大学博士課程に学ぶ。その間、ルーマニア・アカデミー歴史学研究所研究生。国際政治学博士(PhD)。国連大学国際紛争研究所インターン、夏期講習クラスコーディネーター、法政大学国際日本学研究所客員研究員等を経て、現在、早稲田大学エクステンションセンター講師、日本経済大学神戸三宮キャンパス教授。
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