QuonNet(クオンネット) まなぶ・つながる・はじまる・くおん




グローバル化は足元からやってくる ~国際学で切り取る世界と社会~

2012年2月

2012年2月29日 03:09

チャヴとは何か:映画『キダルトフッド』から英国の社会的排除を考える

先日、昨年8月の英国暴動の主役は不良化した10代の「チャヴ」と呼ばれる「子供たち」である可能性が高いと記しました(2012年1月28日付)。

そして、暴動を予見していた作品として映画『狼たちの処刑台』(2009年)を紹介しました(2012年1月29日付)。同作品には英国社会の変化が描写されていますが、「主人公の退役軍人VS低所得層の不良少年(チャヴ)」という構図となっており、「チャヴ」の生活様式や内面を分析できるようなストーリーではありませんでした。

以下の映画『Kidlthood』という作品は、「チャヴ」の生活をより詳細に描いています。

『キダルトフッド』(原題 Kidlthood)
製作国 英国
製作年 2006年
監督 メンハジ・フーダ
受賞 2006年英国インデペンデント映画祭新人監督賞

あらすじ
【2006年頃の西ロンドン。貧困層が住む公営住宅にある公立高校の15歳の「子供たち」は、麻薬、売春、いじめ、盗難等、反社会的行為を繰り返している。叔父が地域のギャングのリーダー的存在の黒人のトレバー、直ぐナイフを突き出す黒人のムーニー、女好きの白人のジェイの3人組みは、学校のボス的存在の黒人のサムと対立している。ある日、サムは3人組から「ゲームボーイ」を巻き上げる。その後、トレバーはガールフレンドのアリサから彼女が妊娠したことを告げられるが、トレバーはそれどころではなく、仲間と「ゲームボーイ」を取り返すことを優先する。3人組みはサムの不在時に公営住宅の彼の家を襲い、ゲームを取り返し、サムのガールフレンドを連れ去り、サムの家を荒らして立ち去る。サムは仕返しに燃え、3人組も参加するパーティーに乗り込んでいく。】

本作品は、「チャヴ」の「子供たち」の2日間の生活を描いています。しかし、「チャヴ」に一方的に階層的なレッテルを貼るようには撮っていません。彼らの敵は、ロンドンのミドルクラス以上の「豊かな」人々でもあるのですが、「豊かな」中間層のライフスタイルは「チャヴ」たちの憧れでもあるのです。

憧れている中間層から拒絶されている現実が「チャヴ」問題を理解する上に重要であるように考えます。

映画の中には、「チャヴ」がいかに社会的に排除されているかを描いたシーンがあります。

【シーン1】3人組の1人の男の子がタクシーを拾おうとしても何度も無視されてしまいます。タクシーの運転手としては無賃乗車等を恐れているのですが、幾度も無視された後、女生徒を囮に使いやっとタクシーに乗ると、最終的には運転手が懸念していた通り、目的地で彼らはお金を払わず逃げてしまいます。

彼らが最初から無賃乗車するつもりだったのか、結果的なのかは分かりません。「鶏と卵」の関係ですが、それでも彼らが疎外されている事実は目に焼き付きます。

【シーン2】それから、3人組がロンドンの中心街のバーバリー店に入ると、1人が被っていった自分のバーバリーのキャップを店の商品を万引きしたと誤解され警備員に捕まってしまうシーンがあります。

「チャヴ」のトレードマークはバーバリーのキャップであり、多くの「子供たち」が「愛用」しているのですが、バーバリーのお店からは結果的に「招かれざる客」として認識されます。ここでも、排除される「チャヴ」が描かれているのです(バーバリーとして「チャヴ」を排除している訳ではなく、飽くまでも社会の縮図として描かれており、映画では「子供たち」の冤罪を証明するのは、同店に働く移民系の女性店員となっています)。

更にシンボルとしてのバーバリーに焦点を当てることで、相対的貧困層の子供たちがなぜバーバリーに憧れるのかという根本的な問いを投げかけています。「総中流化」した英国は昭和後期の日本のように、価値観の一元化が、社会を包み込もうとしているのです。一元化された中の「格差」が、「チャヴ」たちのバーバリーへの憧れを導いています。

本映画は公開当時「チャヴ」の暴力を含めた生活様式を美化し過ぎているという批判があったそうですが、仲間割ればかりして纏まらない「子供たち」が、反社会的行為の繰り返しながら、2日間の様々な経験において「成長」していきます。「成長」の結果、悲劇に結びついてしまうのですが。。。

前出の『狼たちの処刑台』が「チャヴ」に対する「外」からの視点であるならば、本作品は「チャヴ」の「内」からの視点ということになります。

本作品で英国インデペンデント映画祭新人監督賞を受賞したメンハジ・フーダは1967年バングラデッシュ生まれの映画監督です。

2012年2月26日 00:00

誰もが大学に学べる夢(2):「一国エリート主義」と「階層的エリート主義」

2010年5月に成立しました英国保守党のディヴィッド・キャメロン政権(自民党との連立)は、前政権の労働党が導入した「チャイルド・トラスト・ファンド」を廃止し、代わりに「ジュニアISA」(Junior Individual Savings Account)という名称の非課税口座制度を導入しました。

英国で生まれた全児童を対象にし、将来の大学等の教育費捻出を念頭においた18歳まで使えない非課税口座である点など、基本的に「チャイルド・トラスト・ファンド」を踏襲していますが、国家からの補助が全くないところが大きな違いです。また、(それ故に)選択制です。

つまり、最初の段階において自己資金があれば、子供の将来のために備えることが可能なのですが、無ければ「口座を開かない選択」を余儀なくされます。この「ジュニアISA」は、必ずしも貧困層の児童救済を目的にしておらず、大幅な進学率の上昇はないように思われます。

このようにして、労働党の「チャイルド・トラスト・ファンド」による若者の「皆大学生」のプロジェクトは頓挫しました。

それでも、貧富の差に関係なく子供たちに大学進学の道を拓こうという試みは着目すべきであります(英国労働党のフェビアン主義的伝統でもあるかもしれませんが)。グローバル化が更に進む今日、大学学部レベルの教育が、かつての中学、高校同様、あらゆる職業に就くために必要な「基礎的な教養」となるという認識は間違っていなかったように思えます。

グローバル化の中で、先進国の一般国民に求められる知識や教養は非常に高くなっています。今や「超/長高学歴社会」となっているのです(日本は例外的に乗り遅れていますが)。問題は、高学歴社会が国内で「格差」を作り出していることです。

その対策として(国民の多くが高学歴化すれば国が豊かになると信じる)国家(政府)が大学進学率を上げて高学歴化に平等性を求めようとすると、それには巨額な予算が必要なのです。周知の通り、先進国は何よりも「ギリシャ化」を避けなければならず、財政赤字を増やせません。

つまり、先進諸国の中でもより豊かで、税収が安定している超先進国だけが、多くの国民に高い教育を提供できることになります(そして、おそらく、その国は国際競争力を増していくのでしょう)。この場合は、国単位では「成功」なのですが、世界的に考察すれば「一国エリート主義」的な問題は残されます。

ある特定の非常に豊かな先進国のみが、国民の全体的な高学歴化(「一国エリート主義」)に成功すると、今度は、その国民と他国(特に途上国)との社会的、経済的「格差」が浮き上がってしまうのではないでしょうか。

しかし、現実的にはそのような豊かな国はそれ程、存在しません。少なくとも英国では、国民の大部分を大学学部に進学させるという計画は財政的に難しかったと言わざるを得ないのです。

結局、財政的な理由によって、国民の一部だけでも(もしくは、貧困層を除いた国民だけでも)高学歴化するという選択になった時、今度は、一国内における「格差社会」が容認され、国内のある層に限られた「階層的エリート主義」となります。

この「階層的エリート主義」は同時に、国家を超えた「国際エリート主義」にもなり得ます。

以前、トロント大学教授のリチャード・フロリダが記しました「クリエイティブ・クラス論」をご紹介しましたが、それぞれの国家(大都市)のエリートは「同質化」するという見方になれば、世界は世界中の大都市に住み、高い教育を受けた1億から1億5千万人のクリエイティブ・クラスが動かしている、というような認識に繋がります(R.フロリダ著『クリエイティブ・クラスの世紀』2007年)。

どちらも「エリート主義」には他なりません(もちろん、オールorナッシングではありませんので、中間的な方向性もあるでしょう)。そして、「一国エリート主義」も「階層的エリート主義」も問題があります。

しかしながら、否定できない出発点としては、グローバル化の中で、世界に溢れる情報を分析する知識、教養が求められており、特に先進国では産業のクリエイティブ化、付加価値化が主張されており、今に生きる人々にとって教育の有無が非常に重要であるという現実です(暫くは安価な労働力で薄利多売ビジネスができる途上国も、いずれは直面しなくてはいけない課題です)。

残念ながら、現代人は、どういう形にせよ学び続けなければならないようです。

2012年2月25日 00:00

誰もが大学に学べる夢(1):英国「チャイルド・トラスト・ファンド」の挫折

先日、担当講義で英国の労働党政権(1997年-2010年)が2005年4月から実施していました「チャイルド・トラスト・ファンド」について説明しました。

お話しながら、このプロジェクトが壮大な社会実験であったことを改めて感じました(2010年5月の英国総選挙において労働党が敗北し、保守党と自由党の連立政権となり同ファンドは廃止されます)。

「チャイルド・トラスト・ファンド」(Child Trust Fund)は2002年9月以降に英国で生まれた全児童を対象にした(将来における大学等の教育費の捻出を念頭においた)非課税貯蓄システムでした。

政府(当時、労働党政権)は、子供の誕生及び7歳到達時の2回に渡り、250ポンドの小切手を送付します。ただし、年間所得が13,480ポンド未満の世帯の子供には250ポンドが上乗せされ、総額500ポンドが支給されます【現在、1ポンド=130円弱ですが、2005年の段階では1ポンド=200円前後です】。

育児責任者(親)はその小切手によって子ども名義の口座を開設します。

同口座には毎年1,200ポンドまで両親、親戚、友人などによる積み立てが可能で、利子や運用益は非課税となります。しかし、同ファンドは対象の子供が18歳になるまで引き出すことができません。同ファンドの18歳到達時の用途は教育費に限定していませんが、大学等の高等教育機関の授業料を賄える額が想定されています。

つまり、どれ程、貧困であっても英国に生まれた子供ならば18歳時点において数千ポンドの資本があり、大学進学という選択が経済的には可能になるのです。

学力的な問題はありますが、大学進学率は年々上昇しており、門戸は大きく開かれる傾向となっています。現在の英国の大学学部進学率は日本と同じ約50%ですが、このファンドを活用すれば、十数年後、(100%は有り得ないでしょうが)、70%、80%の若者が大学進学を選択したかもしれません。

しかし、この「チャイルド・トラスト・ファンド」は英国が右肩上がりの経済成長を成し遂げている時に考案されたものです。英国経済のバブルは、2008年にリーマンショックによって終焉し、不況に転じますと税収は落ち込み、財政赤字に陥ります。

ギリシャの財政危機が世界中から注目されていた最中に行われました2010年5月の英国総選挙において、労働党は財政再建を主張する保守党と自民党に敗北し、下野することになります。保守党のディビット・キャメロン新政権は公約通り、財政健全化を目指し、前政権の「チャイルド・トラスト・ファンド」は廃止されます。

国民の多くが貧富の格差なく大学教育を受けられるシステムの構築は国単位では理想とも言えます(次回、その問題点にも言及します)。グローバル化の中で国家が国際競争力を増すためには、国民全体の学力の底上げが不可欠ですが、現段階の英国においては財政上、現実的ではなかったことになります。

英国では教育において理想と現実が乖離しています。もちろん、それは英国だけの課題ではありませんが。

2012年2月22日 00:00

バレンタインデーの日本学(2)

宗教学者の石井研士氏は、日本人(女性)がバレンタインデーにチョコを贈るようになりましたのは昭和50年代であり、年齢層的には小学校高学年から高校生が中心だったとしながら、その隆興はOL層に広がったオイルショック以降としています。そして、その背景として消費社会に占める女性の位置の上昇を挙げています(石井研士『日本人の一年と一生:変わりゆく日本人の心性』54-57頁)。

コラムニストの堀井憲一郎氏はご自身の経験と独自の調査からバレンタインデーはやはり1970年代半ばぐらいにほぼ定着したのではないかと述べています。しかし、当時は「義理チョコ」は存在せず、「義理チョコ」は80年代に入ってから始まり、バブル経済と共に一般化されたと言われています(TBSラジオ「キラキラ」2011年2月14日)。

「義理チョコ」の登場は日本のバレンタインデーをよりユニークなものにしました。

なぜ、1970年代にバレンタインデーが社会化され、バブル期に「義理チョコ」が普及したのでしょうか。企業は様々な仕掛けをします。しかし、全ての仕掛けに人々が乗る訳ではなく、1970年代にバレンタインデーが根付き、80年代に「義理チョコ」が日本で定着する理由は消費者側、社会側のニーズにあったのでしょう。

職場での「義理チョコ」の成立には、まずオフィスに女性がいなければなりません。故に女性の社会進出が前提となり、消費社会の積極的な担い手にもなります。しかし、それでも女性は待遇において平等ではなかったのです。

社会学者の小笠原祐子氏は日本におけるバレンタインデーの「義理チョコ」現象を政治学者ジェームス・スコットの「弱者の武器論」、マルセル・モースの「贈与論」を応用し、解説しています。

それは、主体性を持ってOLが上司に「義理チョコ」を贈る選択的行為(あげたり、あげなかったり)が、「弱者の武器」となり、、チョコを贈ることで一時的でも男女の従属関係が逆転しているのではないかという分析です(小笠原祐子『OL たちの〈レジスタンス〉』中央公論社、1998年、108-113頁)。

しかしながら、チョコを介在する男女間の関係の逆転が一時的であることは、同時に女性の日常的な弱さをも露呈しており、「義理チョコ」の儀式は非常にアイロニーに満ちているのです(同上)。

上記の先行研究を総合すると、高度経済成長期、バブル期の社会変動によって人間(男女)関係が変化する中、バレンタインデーのチョコは恋人同士、恋人希望者、職場の男女(上司-部下)関係において潤滑油として機能したということなのかもしれません。

時代という特徴に焦点を当てれば、80年代にバレンタインデーが強く結びついていた片鱗は、1986年にリリースされた国生さゆりのデビュー曲『バレンタイン・キッス』が今でもバレンタインデーを代表する曲No.1となっていることにも見られるかもしれません(Oricon Style「バレンタインデー恋人と夫婦で一緒に聴きたい曲ランキング大発表」2007年2月7日)。

逆にバレンタインデーがイベントとして特定の時代に強く結びつくとすれば、将来、変容する(現在、変容している)可能性があるとも言えます。

昨年、国立社会保障・人口問題研究所が行いました18歳以上35歳未満の未婚者約7千人を対象にした調査によれば、「交際している異性はいない」と答えた人は、男性61.4%、女性49.5%(2005年よりも男性9.2ポイント増、女性は4.8ポイント増)でした(『第14回出生動向基本調査(結婚と出産に関する全国調査:独身者調査の結果概要)』)。

交際している異性がいないとしてもその希望さえあれば、バレンタインデーは絶好のチャンスになりますが、そもそも、「特に異性との交際を望んでいない」と回答した男性が45.0%、女性が45.7%にも上るのです(同上)。

「本命チョコ」の市場が小さくなったとしまして、勤務先における「義理チョコ」はどうなのでしょうか。

日本の労働条件も変化しています。派遣やパート労働者が増加すれば、以前のように、会社内の「ウチ」意識は希薄化するでしょう。それでも、バレンタインデーのチョコは会社の人間関係の潤滑油であり続けるのでしょうか(既に週刊『東洋経済』は1996年3.2号で愛の告白としてのバレンタインデーは残っても「義理チョコ」は終焉するのではないかと予想しています)。

いずれにしましても、「日本の女性はなぜチョコを贈るのか?」、「日本の女性はなぜ義理チョコを贈るのか?」、「日本の女性はいつまで(も)チョコを贈るのか?」に関心を抱きますのは、それが非常に興味深い社会学的、人類学的、日本学的テーマになり得ると思うからです。

今年のバレンタインデー。一時帰国しており、少ない小遣いを妻のために散財しないで済んだことをちょっと嬉しく思った私は、日本のバレンタインデーの規範を共有していないことを自覚しました(もちろん、そういう人は私の他にもおられるでしょうが)。

 

2012年2月19日 20:47

バレンタインデーの日本学(1)

先週の2月14日(火)、私は午後、新宿を歩いて初めて今日がバレンタインデーであることに気付きました。その日は朝からテレビも見ておらず、忘れていました。

そのような感じでしたので、当然、チョコをいただくこともありませんでしたが、スイスでは私が家族にお花やスイーツを購入していましたので、散財しないバレンタインデーでした。

日本のバレンタインデーは、節分の豆撒きよりも興味深いイベントです。なぜかと申しますと、一見、外国風のイベントながら、それが非常に日本風だからです。

ヨーロッパでは女性だけがチョコを(好きな、もしくは義理のある)男性に贈るという習慣はありません。これは、日本で生まれ、日本で発展したのです。

もちろん、バレンタインデーの起源は3世紀頃のローマのキリスト教聖職者ウァレンティヌスに求めることができ、概して欧米のキリスト教(カトリック、プロテスタント)圏に共通するイベントです。

ただ、日本との違いは、女性から男性からプレゼントを贈るものではなく、どちらから贈っても許されるものであり、また品物はチョコとは限らず、花やカード、その他のスィート類でもOKです。

逆に、日本のバレンタインデーの特徴とは以下の三点が挙げられます(小笠原祐子『OL たちの〈レジスタンス〉』中央公論社、1998年、94頁)。
(1)贈答品としてはチョコレートに執着
(2)女性から男性への一方通行的贈答
(3)職場でのさかんな贈答行為(いわゆる義理チョコ)

この日本型バレンタインデーがいつから始まったかについては諸説があります。

一般に言われているように、不二家、森永製菓、芥川製菓、メリーチョコレートカムパニー、モロゾフ等のチョコレート会社がこのイベントを仕掛けていたのは事実です。

具体的にはモロゾフが1936年に日本の英字新聞に広告を掲載し、不二家が1956 年、デパートでバレンタインデー用ギフトを販売し、メリーチョコレートカムパニーは1958 年からバレンタインデーのセールに取り組み、特に女性から男性に贈るキャンペーンを行っています。森永製菓は、日本で最初にバレンタインデーを商業ベースで大々的に宣伝し、1960 年以降『女性自身』等に広告を出しています。芥川製菓は、1968 年から 1969 年頃、ハート型の箱に入ったチョコレートを女性の顧客向けに販売し始めています(同上、96-101頁)。

しかし、これらのチョコ会社のキャンペーンは即、今日の日本型バレンタインデーを作り出しませんでした(山田晴通 「「バレンタイン・チョコレート」はどこからきたのか(1)」『東京経済大学人文自然科学論集』124、2007年)。

チョコレート会社のキャンペーンと実際に多くの人々がバレンタインデーを認識し、チョコを贈るようになるまでタイムラグがあるのです。

このタイムラグをどのように認識すべきかについては、次回考えたいと思います。

 1  |  2  |  3  | All 次へ >>

プロフィール
安井裕司
安井裕司
エジンバラ大学、バーミンガム大学博士課程に学ぶ。その間、ルーマニア・アカデミー歴史学研究所研究生。国際政治学博士(PhD)。国連大学国際紛争研究所インターン、夏期講習クラスコーディネーター、法政大学国際日本学研究所客員研究員等を経て、現在、早稲田大学エクステンションセンター講師、日本経済大学神戸三宮キャンパス教授。
月別アーカイブ
2017年8月
2017年7月
2017年6月
2017年5月
2017年4月
2017年3月
2017年2月
2017年1月
2016年12月
2016年11月
2016年10月
2016年9月
2016年8月
2016年7月
2016年6月
2016年5月
2016年4月
2016年3月
2016年2月
2016年1月
2015年12月
2015年11月
2015年10月
2015年9月
2015年8月
2015年7月
2015年6月
2015年5月
2015年4月
2015年3月
2015年2月
2015年1月
2014年12月
2014年11月
2014年10月
2014年9月
2014年8月
2014年7月
2014年6月
2014年5月
2014年4月
2014年3月
2014年2月
2014年1月
2013年12月
2013年11月
2013年10月
2013年9月
2013年8月
2013年7月
2013年6月
2013年5月
2013年4月
2013年3月
2013年2月
2013年1月
2012年12月
2012年11月
2012年10月
2012年9月
2012年8月
2012年7月
2012年6月
2012年5月
2012年4月
2012年3月
2012年2月
2012年1月
2011年12月
2011年11月
2011年10月
2011年9月
2011年8月
2011年7月
2011年6月
2011年5月
2011年4月
2011年3月
カテゴリーアーカイブ
カンボジア (27)
スイス (25)
スポーツと社会 (113)
ネパール (15)
国際事情(欧州を除く) (223)
大震災/原発事故と日本 (28)
御挨拶 (13)
日本政治 (121)
日本社会 (257)
映画で観る世界と社会 (278)
欧州事情 (92)
留学生日記 (61)
英国 (95)

ページトップへ

カレンダー
<< 2015年04月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29      
最新記事
構造的暴力としての人種差別
21世紀でも(だから)魔女はつらいよ: 映画 『塔の上のラプンツェル』にて絶対悪となった魔女
終戦記念日に「消極的平和」のみならず、「積極的平和」を願う
欧州における世間とは何か: 映画『マグダレンの祈り』が見せつける世間体の壁
課題は、東京の大学の「関東ローカル化」なのでは?
最新コメント
はじめまして、書き込...
Posted by たか
あなたもまだお若い。...
Posted by 葵東
青春時代に見て感動し...
Posted by 小林 千三
私は韓国に住んでいま...
Posted by 七色無職
†講談社「週刊現代」...
Posted by 鈴木有介
最新トラックバック
この社会での性的魅力
from 哲学はなぜ間違うのか
ひとつ/長渕剛(Cover)
from 今日の天草