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グローバル化は足元からやってくる ~国際学で切り取る世界と社会~

2012年1月

2012年1月29日 07:00

英国暴動を予見した作品:映画『狼たちの処刑台』

昨年の8月27日及び8月28日の当ブログで8月上旬に起こりました英国暴動に関連し映画『憎しみ』(フランス、1995年)、映画『メイド・イン・ブリテン』(英国、1982年)、『ディス・イズ・イングランド』(英国、2006年)を紹介しました。しかしながら、その後、2009年に制作された映画『狼たちの処刑台』(英国)を観る機会があり、同作品のほうがより英国暴動を予見しているように感じました。

『狼たちの処刑台』(原題 Harry Brown)
製作国 英国
製作年 2009年
監督 ダニエル・バーバー
出演 マイケル・ケイン、エミリー・モーティマー

あらすじ
【かつて海兵隊員として北アイルランドで活躍した退役軍人のハリー(マイケル・ケイン)は、現在は公団住宅に住み、入院中の妻を看病しながら、親友のレナードとチェスをして静かな日々を送っている。公団住宅は、10代の「子供たち」がギャング化し、麻薬売買が日常的に行われ、銃声も響き、治安が悪化している。「子供たち」は地下道に屯し、ハリーは近道であるはずの地下道を通らず迂回していた。ハリーは、入院妻が危篤になり、病院に駆けつけようとした時も「子供たち」を避けて地下道を通らなかったが、結局、妻の死に目に間に合わず後悔することになる。その後、日頃から「子供たち」にからかわれていた親友のレナードが彼らに虐殺される事件が発生し、ハリーは自ら立ち上がることを決意する。】

英語の公式ホームページにも「チャヴ」という言葉は出てこないのですが、この映画の舞台が公団住宅であり、10代の「子供」のギャング化をテーマにしていることから、前回、言及しました英国の相対的貧困層が生み出した「チャヴ」の存在を前提しています(全ての貧困児童が「チャヴ」になる訳ではなく、その一部に過ぎません)。

今回の暴動との関連で言えば、犯罪が繰り返されるあまり、警察が大掛かりなオペレーションを展開するのですが、それが結局、「子供たち」の暴動を誘発してしまうシーンがあることです。警察の対策は終始、効果的には描かれていません。

そして、ハリーは自ら銃を持って復讐することを決意します。ここからは主演のマイケル・ケインのヒーロー物語になってしまい、確かに75歳のケインはダンディなのですが、社会的な問題を棚上げしてしまっているようにも思えます。最後の「武力無しでは勝てない」という結末はメッセージとしていかがなものなのでしょうか。

それでも、同作品は幾つかの点で英国社会の変化を如実に描いています。

最大のポイントは北アイルランドで活躍した元海兵隊員が、引退後、10代の子供たち(主人公もkidsと呼んでいる)と銃を持って戦わなくてはならない程の英国の惨状です。敵はもはやアイルランド共和軍(IRA)ではなく、自国の「(相対的)貧困層」の10代になっているのです。

2011年8月の暴動後、この2009年に撮られた作品が非常に説得力を増して見えてきます。8月の暴動では警察が手に負えなくなり、政府は(映画のような退役軍人ではなく)本物の軍隊の出動を準備しました。各地で自警団が組織されました。「武装しない限り、平和が保てない」というメッセージは現実のものとなってしまったのです。

それから、長年、英国の大衆文化のコミュニティ・スポットであったパブが、この作品の中ではコミュニティ・センターとして、もはや機能していないことが露呈されます。地域コミュニティのパブの崩壊は、良くも悪くも「古き英国」の終焉を象徴しているかのようです。

【この映画は早稲田大学エクステンションセンターにて私が担当します講座「英国社会を考える」第一回(2月3日)にてより詳しく紹介します。】

2012年1月28日 23:59

英国暴動:暴徒は誰だったのか?

昨年、8月に英国で発生した暴動に関して、「暴徒」の全体像が見えてきました。

2011年9月15日付の英国法務省(Minister of Justice)の発表によれば、9月12日までに2011年8月6日~9日の一連の暴動に関連し逮捕され、起訴された人数は1,715人となっています。

この数字は、「暴徒」の全てではありません。この他に、逮捕も起訴もされない「参加者」も多かったことでしょうが、少なくともここから全体像を推測することは可能であると考えます。

公表された内訳は以下の通りです。

【性別】
男性90% 女性10%

【地域】
ロンドン( 1,149 人)
ウェストミッドランド(139人)
ノッティンガム(65人)
マンチェスター(198人)
マージ―サイド(69人)
 その他(95人)

【年齢】
10歳~17歳(未成年) 21%
18歳~20歳 31%
21歳~39歳     42%
40歳以上    6%

上記から判明することは「暴徒」が若年層中心であり、半数以上が20歳未満であり、性別では90%が男性であったことです。

法務省の過去の統計と比較すれば、昨年8月の「暴徒」がいかに若者中心であったかが分かります。

2010年において同様の容疑によって逮捕、起訴された者の年齢は、10歳~17歳が16パーセント(今回の暴動は21パーセント)、18歳~20歳が15パーセント(今回、31パーセント)、21歳~39歳  が 54パーセント(今回、42パーセント)、40歳以上が15パーセント(今回6パーセント)と昨年8月の暴動の逮捕・起訴者が圧倒的に若いのです。

更に注目すべき数字としては、今回、起訴された「暴徒」の73%が、過去に逮捕され、裁判所から有罪判決及び警告を受けていた「再犯者」だったことです。10歳~17歳の未成年者に限定しても、55%が「再犯者」でした。

逮捕・起訴者には40歳以上も6%いますので、全てが若者であったとは言えませんが、52%が20歳以下であり、55%が再犯者であったことは、暴動の主役が、「犯罪を繰り返す10代の若者(男性)」であったことを否定することはできません。

英国ではこの数年、「チャヴ」(chav、複数形ではchavs)と称され、主に低所得者向けの公営住宅に住み、日常的に反社会的行為を繰り返す10歳代の若者の存在が社会問題となっていました。「チャヴ」という言葉は2002年に新聞紙上に登場し、2004年頃から一般用語として定着していったとされます。

8月の英国暴動は現地において、直接、間接にこの「チャヴ」とリンクさせて報道されてきました。学術的分析は現在進行形ですが、9月に法務省が公表したデータは、それを裏付ける結果となっています。

【このテーマは早稲田大学エクステンションセンターにて私が担当します講座「英国社会を考える」第一回(2月3日)で採り上げます。】

2012年1月25日 23:59

格付け会社の公共性と大学入試センターの効率性

興味深いニュースが2つ続きました。

一つは、米国の格付け会社スタンダード・アンド・プアーズがユーロ圏9ヵ国の長期国債格付けを引き下げ、ユーロ安を誘発したことです。

今回の一件で、改めて格付け会社が注目されました。格付け会社は現実(市場)を反映して格付けをするという見方がありますが(ドイツ商工会議所連合会、Bloomberg、1月17日)、実際にはその影響力を単なる市場の「僕」とのみに理解することは難しいのではないでしょうか。

そこで、この民間格付け会社への批判が起こります。ノワイエ仏中央銀行総裁は「格付け会社は理解不能で理不尽だ」(毎日JP、1月10日)と述べ、競争原理を基本とする民間ではないより公的機関が格付けをすべきである、という声も聞かれるようになります(フランス大統領候補オランド氏、毎日新聞、1月23日夕刊)。

もう一つ、全く逆の議論がありました。トラブルが続いています「大学入試センター試験」を実施する大学入試センターです。

大学入試センターは、文部科学省管轄の独立行政法人ですが、入試における不手際が毎年発生し、改革を求める意見が多くみられます。その一つに、民営化すれば良いのではないかという主張がありました(小西克哉、『デイキャッチ』TBSラジオ、2012年1月17日)。既に2010年4月の段階で当時の枝野幸男・行政刷担当相は、同法人の民営化に言及しています(共同通信、2010年4月10日)。

格付け会社のケースは、利潤を第一に求める、もしくはある特定の国家の利益に影響される民間企業が世界経済に大きな影響を与えるのは問題であるとしながら、大学入試センターのケースは、官僚的な独立行政法人では効率性が悪く、民営化すればもっと経済的でかつ受験生(利用者)サイドに立っての運営になるのではないかというものです。

もし、格付けを国際連合やEUの一機関が行ったとします。そして、大学入試センターに代わり、センター試験も民営化され、大手予備校が一手に(複数の予備校が共に)行うようになったとします。そうなりました際、世論はどのように反応するのでしょうか。国連/EUは効率が悪く、できるだけ民間に仕事を渡すべきである、国公立大学の入試を、利潤を求める私企業(予備校は学校法人、株式会社、有限会社、様々ですが)が担うのは問題ではないのかという批判は出てこないでしょうか。

結局、問題は公共機関化と民営化のどちらでもないのです。別の言い方をすればどちらでも良いのです。

私企業でも、利潤だけではなく、公共性を高めることはできるでしょう。公共機関であっても、効率性を高め、消費者の視点に立つことは可能なのです。つまり、私企業を公共機関化したり、公共機関を民営化しただけでは解決策にはならないのです。

もちろん、より公共機関がすべき業務もありますし、より民間企業が適する仕事もあると考えますが、どちらにも公共性と効率性が求められることには変わりありません。

結局は、目的意識の問題であるように思えます。私企業が利潤を追求しながら社会に貢献しようと本気に考えれば、公共性を考えるのは当然です。また、公共機関が本当に人々の幸福、利便性を第一に考えれば、利用者を第一に優先して効率的に組織を運営することは不可能ではないでしょう。

そして、何よりも大切なのは、公共性を考える私企業や無駄を省いている公的機関を適切に評価する私たちの目と行動であるように思えます。私企業ならば、日々の消費生活の選択において、公的機関ならば政治力を行使して。

2012年1月22日 06:30

ルーマニアのデモから日本の政治を考える

1月12日からルーマニアで大きなデモが続いています。現地のテレビをネットで見ますと首都ブカレストで数千人規模のデモが起こり、市民と機動隊が衝突し、負傷者も出ています。更に、ルーマニアの地方都市においても同様の動きが見られます(BBCのホームページからも最新ニュースが見られます"Romania braced for more demos over austerity measures" BBC online  20 January 2012)。

今回のデモは、リーマンショック後、世界的な金融危機の影響で2009年3月にルーマニアの経済状況が悪化し、ルーマニア政府が対外債務返済等に対応するため、IMF 、 EU 、世界銀行から総額 200億ユーロの緊急支援を受けたことに始まります(ジェトロ世界貿易投資報告「ルーマニア」2010年)。

支援と引き換えに、ルーマニアはIMFとの協定に基づき、緊縮財政を義務付けられ、ルーマニア政府は公務員給与の25%削減及び付加価値税の19%から24%への引き上げ等を実施しました(外務省ホームページ)。

2011年の欧州ソブリン危機でより経済が悪化する中、現在も緊縮財政が進められており、1月12日に医療制度の変更を発表すると、ブカレストで反対のデモが起こりました。

規模や財政状況は異なりますが、国家がIMFやEUから支援を受け、国民が緊縮財政に反対する図式はギリシャの反政府デモやストライキと類似します。デモ参加者の主張は、概して、政治家が失政を繰り返し、財政赤字となり、国際機関からの金融支援を受け、最終的にそのツケを一般市民が支払わなくてはならないのはアンフェアであるというものです。

確かに同情の余地はありますが、果たして、ギリシャやルーマニアの国民に責任はないのでしょうか。

ギリシャもルーマニアも民主主義国家です。一定年齢以上の国民に選挙権も被選挙権もあり、選挙において投票によって選ばれた政治家、大統領が一般市民を代表して政治を行っています。

国内での責任追及は、再発を防止するためにすべきであるでしょう。デモも平和的であるならば、民主主義を補完する行動です。

しかし、外国からは国内と同様の見方はされないと考えるべきでしょう。

仮にギリシャやルーマニアの政治家が「有能ではない」とします。しかし、彼らを選んだのは紛れもないギリシャ国民、ルーマニア国民(の有権者)なのです。国際社会で「財政問題なんて、私たちは知らなかった」という言い訳は通用しないでしょう(ギリシャの場合は、政治家が財政赤字を隠していましたので、国民は多少、言い訳できますが)。

今回のルーマニアにおけるデモの拡大を1989年のルーマニア革命と比較する声も出てきていますが( "Romanian protests: Your stories" BBC online, 17 January 2012)、私は根本的に運動の性質が異なると考えています。

前回も記しました通り、89年革命時の最高権力者はニコラエ・チャウシェスクでした。チャウシェスクは「一家社会主義」と揶揄される独裁体制を敷いており、国民に自由はありませんでした。実は、それ故にあの時のほうがデモは命懸けでしたが、国民は言い訳できたのです。とりあえず、全ての責任を独裁者に負わせることが許されたのです。

【それでも、同じ共産党の独裁政権に対し、ハンガリーでは「ハンガリー動乱」、チェコスロヴァキアでは「プラハの春」、ポーランドでは「連帯」による反政府運動が発生したにもかかわらず、なぜ、ルーマニアではそのような規模の反政府運動が起こらなかったのかが、国民の責任と共に長らく議論されてきました。】

しかし、2007年にルーマニアはEUに加盟し、民主主義国家になった今、国民は政治的な自由もあり、それだけ責任もあるのです。

上記の理屈はそのまま日本にも当てはまります。日本も民主主義国家です。全ての国会議員を選んでいるのは他ならぬ日本国民の有権者です。いくら国債を発行しようと、消費税を上げようと、TPP参加しようと、ダムを造ろうと止めようと、原発を続けようと止めようと、外から見れば、基本的に全ての政治的責任は主権者である日本国民(有権者)にあるのです。

2012年1月21日 00:00

最悪の人口増加策とは何か:映画『4ヶ月、3週間と2日』

前回、少子化は日本が直面する最大の課題の一つであると記しました。

少子化対策に関しては様々な方法があると考えます。しかし、絶対にやってはいけないことは(民主主義国家ではできないことでもありますが)、国家が無理やり子供を産ませることです。

2007年のカンヌ映画祭でパルム・ドールを受賞した映画『4ヶ月、3週と2日』は、実際、経済発展のために中絶を禁止した国・ルーマニアの話です(ルーマニアは少子化に直面していた訳ではありませんので、現在の日本と状況が同じではありませんが)。

『4ヶ月、3週と2日』(原題 4 luni, 3 saptamâni si 2 zile)(英題4 Months, 3 Weeks and 2 Days)
製作国 ルーマニア
製作年 2007年
監督 クリスティアン・ムンジウ
受賞 カンヌ国際映画祭パルム・ドール受賞

あらすじ
【1987年のルーマニアのある町。チャウシェスク大統領の独裁政権下、労働力確保のため中絶が禁止されていた。大学生のガビツァは望まない妊娠をしてしまい、寮のルームメイトのオティリアは彼女が隠れて中絶手術ができるように奔走する。オティリアは自分の恋人から金を借り、ホテルを予約し、闇医者のべべと連絡を取る。手術当日、現れた闇医者のべべは土壇場で手術代が足りないと言う。2人は身を持って代金を捻出することを余儀なくされる。】

1960年代後半にルーマニアの最高権力者となるニコラエ・チャウシェスクは、農業国ルーマニアの重工業化を掲げました。都市労働者の必要性から、ルーマニアは1966年に中絶を禁止し、国家の強制による人口増加を図ったのです。

当時、共産主義諸国間の分業を推進した経済相互援助会議(コメコン)はルーマニアを農業国とみなしたため、チャウシェスクは反発し、西側諸国に近付き、70年代、ルーマニアは西側から多額の融資を受け、工業化を推し進めます。しかし、ルーマニアの工業製品は国際競争力に劣り、対外債務ばかりが膨らみ、映画の舞台となる1980年代は、国の借金を返済するために国民の食料品までも外貨に換える「飢餓輸出」が行われていたのです。

この映画のポイントの一つは、なぜ、これ程、危険を冒してまで(露見すれば重罪として逮捕される)中絶手術を行わなくてならないのかという点です。それは、まず、上記のルーマニアの「飢餓輸出」の状況を理解する必要があります。大人たちだけでも文字通り「食べていく」のが大変な状況の中、子供を生んで育てることは非常に困難であったのです。

具体的に映画では、主人公オティリアが闇医者べべに初めて会う時、背後にある雑貨店に長蛇の列ができている様子が映し出されています。当時のルーマニアではパンやミルクを買うために何時間も待たなくてならなかったのです。

【と同時に、映像から当時のルーマニアの大学生が、貧しいながらも今では考えられないくらいエリートであったことも分かります。中絶という選択は、学生生活を続けたいという意志も含まれていると考えるべきであるでしょう。】

80年代後半、食糧危機にもかかわらず、中絶禁止政策は廃止されませんでした。対外債務に対して農産物を持って支払う「飢餓輸出」の実態は、人口を増加させる状況ではないのですが、秘密警察に守られた独裁体制において、過去の政策を否定することは許されなかったからです。

しかし、国家が国民を「食べさせられない」現実は、映画の中では闇医者べべ(彼自身、生活が楽ではない様子が描かれている)によるホテルの一室での堕胎手術というメタファーで表現されます。つまり、表も裏も国家の矛盾が個人生活を侵害しているのです。

もう一つのポイントとしては、この映画の主人公は妊娠したガビツァではなく、その友人のオティリアであり、オティリアが友人を支えるストーリーとなっていることが挙げられます。なぜオティリアはそこまで献身的に友人ガビツァを支えなくてはいけないのでしょうか。実際、監督も、共産主義時代を知らない若き女優たちから「主人公の決断が理解できない」と言われたと話しています。

これは「絆」の問題なのです。当時のルーマニアのように独裁政権下で国家経済が破綻し、社会における公のセーフティネットが殆ど機能しない状態になりますと、個々はプライベートな「絆」を最後の拠り所にするしかないのです。

オティリアは自分が犠牲になっても、身を持って友人ガビツァを救おうとします。ガビツァはその友情を当然のものとして捉えており、十分に感謝もしません。オティリアもガビツァとの個人の友情というよりも「絆」を維持するそのために身を削っているのです。

しかしながら、最後のセーフティネットとしてのプライベートな「絆」は必ずしも社会全体の幸福をもたらさないのです(個人の周辺の「絆」から公共性を土台とする社会の「絆」に発展させるのはなかなか困難です)。なぜならば、プライベートな「絆」の有無は公平ではないからです。

物語の中で、主人公オティリアが恋人の母親の誕生日パーティに招待され、そこで彼のインテリ一家の会話が長々と続きます。寮住まいのオティリアは、地方の労働者階級出身であり、当時のルーマニアは名目上、労働者が主役の共産主義国であったにもかかわらず、オティリアと彼女の恋人の家の「絆」には格差があるのです。恋人も彼の家族側の人間であり、彼との「絆」の「違い」に気付いたオティリアは、結局、中絶した友人を守ることを優先します。

最後にこの映画の西側における高い評価を考えたいと思います。共産党による独裁政権下のルーマニアを舞台とした堕胎手術を巡るドラマが、なぜ、カンヌ映画祭でパルム・ドールを得られたのでしょうか。

映画の作品としてのクオリティではなく(映画の技術的なジャッジは私にはできません)、映画が描き出すテーマの今日性を考察すると、現在、おそらく殆どの先進国が多かれ少なかれ少子化問題に直面しており、国家が少子化対策に本腰を入れなくてはならない現状を無視できないように思えます。出生率を上昇させ、市場規模や労働力の維持は優先的課題です。しかし、国家は経済を救うために、強制的に国民に子供をつくれとは言えないという当たり前のことを、この映画は示唆しています。

また、同時に、イデオロギー的には欧米社会において中絶反対は保守主義者の主張として現れますので、共産主義国家の「近代化」の一環として中絶禁止が実施されていた事実によって、西側の観客は保守主義と共産主義の意外な共通項を「発見」するのかもしれません。

いずれにしましても、現在、先進国に住む人々が少子化という問題を抱えながらこの映画を観るならば、結局、少子化対策とは人々にとって住み易く、親となり子供を育てたいと感じられ、明るい未来が期待できる国、社会を創ること以外にはないと、再確認することになるのでしょう。

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プロフィール
安井裕司
安井裕司
エジンバラ大学、バーミンガム大学博士課程に学ぶ。その間、ルーマニア・アカデミー歴史学研究所研究生。国際政治学博士(PhD)。国連大学国際紛争研究所インターン、夏期講習クラスコーディネーター、法政大学国際日本学研究所客員研究員等を経て、現在、早稲田大学エクステンションセンター講師、日本経済大学神戸三宮キャンパス教授。
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