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グローバル化は足元からやってくる ~国際学で切り取る世界と社会~

2011年9月24日

2011年9月24日 17:57

厚みのある中間層は再生できるのか(1):野田首相の所信表明

野田佳彦首相は、民主党の代表選の演説、及び9月2日の初会見、所信表明演説において、「厚みのある中間層」の再生を主張しています。

かつて我が国は「一億総中流」の国と呼ばれ、世界に冠たる社会保障制度にも支えられながら、分厚い中間層の存在が経済発展と社会の安定の基礎となってきました。しかしながら、少子高齢化が急速に進み、これまでの雇用や家族の在り方が大きく変わり、「人生の安全網」であるべき社会保障制度にも綻びが見られるようになりました。かつて中間層にあって、今は生活に困窮している人たちも増加しています。

諦めはやがて、失望に、そして怒りへと変わり、日本社会の安定が根底から崩れかねません。「失望や怒り」ではなく、「温もり」ある日本を取り戻さなければ、「希望」と「誇り」は生まれません(所信表明演説)

この「分厚い中間層」の再生案は、賛否両論あるようですが、私自身は理想として間違っているとは考えておりません。

しかしながら、なぜ、日本にかつてあった「分厚い中間層」がこの約20年間において弱体化してしまったかを顧みる時、その再生は現実的にはかなり難しいのではないか、もしくは相当の覚悟がいるのではないかと思わざるを得ません。

2011年の現在、私たちはグローバル化の中で生きており、昭和後期のような日本一国にほぼ完結する「分厚い中間層」の成立は難しい状況にあり、他国の産業形態や社会構成との関係の中で考えていかなくてはならないのです。

Japan as Number Oneと称された日本経済の「強さ」が「一億総中流」(意識)にあったことは周知の通りです。その特徴は、企業経営者から管理職、一般職まで給料格差がそれ程大きくなく、欧米では労働者階層と認識される非ホワイトカラーの人々も十分な給料と生活の安定が保証されており、厳密には「総中流」ではないにしても、国民の殆どが中流ライフを享受できたのです。

「格差」が無かった訳ではありません。例えば、「受験戦争」と呼ばれたように、「総中流」であるからこそ「格差」は可視化され、偏差値という同質性の中の小さな「違い」が重要になりました。しかし、あれ程、批判された「偏差値制度」も、振り返れば「分厚い中間層」形成に寄与し、日本全体としての国際競争力の向上に貢献していた側面を否定できないのかもしれません。

何よりも80年代後半まで先進国トップレベルであった高い大学進学率は、国際比較上、平均的に「高度」な教育を受けた人材(サラリーマン)を社会に輩出するシステムの確立を意味していました。選りすぐられた少数のエリートのための教育ではなく、平均的に教育水準を高めたことは日本社会の人的な「強さ」に繋がり、「分厚い中間層」の形成に寄与しました。70年代、80年代、大学進学率が世界トップ水準であり、多くが大学に進学した故に(実は偏差値は平等性の裏返しであり)格差が殆ど無く、「総中流」と感じられた社会が日本にはあったのです。

しかし、バブル経済の崩壊後の不況と円高、90年代以降のグローバル化の波の中で、このシステムが機能しなくなっていきます。

後述する通り、グローバル化と昭和型の「総中流」社会は相容れません。それでも、時計の針は戻せないのです。その上で、格差社会化を放置できないとすれば、どうすればいいのでしょうか。グローバル化が不可避であることを認識した上で、時代に即した「分厚い中間層」を創り出そうとすれば、大胆な発想の転換が必要になるように考えます。それは、少なくとも昭和の「温もり」を懐かしむことではないのです。

プロフィール
安井裕司
安井裕司
エジンバラ大学、バーミンガム大学博士課程に学ぶ。その間、ルーマニア・アカデミー歴史学研究所研究生。国際政治学博士(PhD)。国連大学国際紛争研究所インターン、夏期講習クラスコーディネーター、法政大学国際日本学研究所客員研究員等を経て、現在、早稲田大学エクステンションセンター講師、日本経済大学神戸三宮キャンパス教授。
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