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グローバル化は足元からやってくる ~国際学で切り取る世界と社会~

2011年8月

2011年8月31日 20:55

民主党政権の2年間から学べること

2009年8月30日に行われました衆議院議員総選挙によって政権交代が起こり、民主党政権が成立してから2年が経とうとしています。

内閣総理大臣は、鳩山由紀夫氏、菅直人氏と代わり、昨日、3人目の野田佳彦氏が国会で指名されました。まるで2009年までの自民党政権の末期を見るかのようです。

私たちがこの2年間から学べることは、(大多数の有権者が総選挙で投票した)政権与党が短期間で豹変する可能性があるということなのではないでしょうか。

例えば、菅直人氏は消費税10%アップに言及し、野田新首相も前向きであると報じられています。しかし、2年前の総選挙の際、鳩山代表は消費税アップには触れていないのです(正確にはアップを否定しています)。

日本の消費税は先進各国に比較して低いと言われていますし、実際、かなり低いと思います(欧州各国では食品等の生活必需品には税がかからない、もしくは極めて低く抑えられているため、生活必需品だけを比較しますと決して日本の消費税は低くないのですが)。それを引き上げるのは、時間の問題であるでしょうし、個人的にも条件付きで賛成です。

しかしです。消費税等の国民の生活に直接影響を及ぼす政策を、国民に問わずに首相交代だけで行ってしまうのはあまりにも非民主主義的です。

鳩山氏、菅氏、野田氏それぞれ、個別の人格があり、個別の政治家です。ですから、もちろん、考え方が違うほうが自然でしょう。

しかし、マニフェストは国民との契約なのです。

例えば、ある会社がビジネスで3年間の契約をしたとします。その3年間にその会社の社長が3人代わり、毎回(毎年)、一方的に契約内容を(契約者と再契約せず)変えてしまうということが実社会で許されるでしょうか。

つまり、政権与党におけるそれぞれの政治家の個性は、国民との契約を超えてはいけないのです。

【野田氏はマニフェストを否定している訳ではなく、震災復興のため優先順位を変更したと言っています。確かに、復興財源は必要ですので間違ってはいないと存じます。しかし、地震大国の日本では、総選挙と総選挙の間に日本のどこかが大規模な地震に襲われる可能性があり、そのたびに政権与党はマニフェストを変更していくのでしょうか。各政党には日本が地震大国であることを前提としたマニフェスト作成が求められるのではないでしょうか。】

もし、どうしても、約束が守れないならば、その政治家が党を出るかしかないように思われます。党全体で約束を変えるならば、新しい契約を国民と結ぶための総選挙しかないでしょう。

2年前に政権交代を現実化した総選挙は「マニフェスト選挙」と言われました。マニフェストとは国民と政治家が契約するものなのです。

私は自民党政権のほうが、民主党政権よりも良かったと申している訳ではありません。しかし、政権交代によって期待を背負って登場した民主党が、この2年間、自民党政権と同様の首相交代劇を繰り返していることは、批判されるべきであると考えます。

首相が交代すること自体が問題なのではないのです。政権与党内で首相が交代して政策が変化してしまうことがいけないのです。

日本首相は毎年代わることを前提としましょう。国際的に顔を覚えられないマイナスはありますが、スイスも(任期が1年のため)毎年大統領が代わっていますのでそのような例が無いことはありません。

実際、自民党政権でも民主党政権でも、代わり続けてきましたし、今後、どの政党が政権を担っても、代わる可能性があることをこの2年間で学びました。

せめて、日本が民主主義国家である証明として、政権与党の政策の一貫性は求めたいものです。総選挙は毎年はないのですから。

2011年8月28日 19:10

映画から考える英国暴動(2):『Made in Britain』と『This is England』

前回、今月上旬に英国で発生した暴動を敢えて映画の中で探すとしますと、1995年フランス映画『憎しみ』(監督マチュー・カソヴィッツ)が近いのではないかと申し上げました。

しかしながら、暴動ではないのですが、白人系(最下層)住民と黒人系移民の「共闘」に限定すれば、過去、幾つかの映画・ドラマにおいて描かれています。

人種主義に取りつかれた青年を描いた1982年の英国TVドラマ「Made in Britain」という作品があります

『メイド・イン・ブリテン』(原題 Made in Britain)
製作国 英国
製作年 1982年
監督 アラン・クラーク
主演 ティム・ロス

あらすじ
【16歳のトレバーは、パキスタン系住民の住宅街の 窓を故意に物を投げて割った罪と百 貨店ハロッズで万引きした罪で施設送りになる。ソーシャルワーカーのハリーは、トレバーは矯正できると考え、対話を試みるが、トレバーは「ブリテッシュ」の誇りばかりを繰り返えす。トレバーは矯正施設で黒人の青年と同部屋になり、翌日から2人で盗みや破壊行為を行う。】

この作品の中で、青年トレバーの思考は、英国主義(ブリテッシュ主義)と人種主義を持って特徴的に描かれています。しかし、彼の行動に「同調」するのは、黒人系の青年なのです。実際、パキスタン系住民の住宅街に乗り込む際、黒人青年も同行し、一緒に人種差別的暴言を吐きながら家々に投石します。

そこに象徴されるのは、階層の問題です。貧しい白人系青年と黒人系移民は、同様の厳しい環境におかれています。しかしながら、彼らの人種を超えた「共闘」は、階層・階級闘争には向かいません。彼らと同じくらい貧しい、もしくはそれ以下の隣人であるイスラム系移民(パキスタン系移民、バングラディシュ系移民)に矛先を向けるのです。

このような上辺だけの「人種主義」思想は当然、破綻していきます。1983年のイングランを舞台にした映画『This is England』 は、その矛盾を見事に描き出しています。

『ディス・イズ・イングランド』(原題This is England)
制作国 英国
制作年 2006年
監督 シェーン・メドウス
主演 トーマス・ターグース
受賞 2007年英国アカデミー賞最優秀英国映画賞受賞

あらすじ
【フォークランド戦争で父親を亡くした10歳のショーンは、スキンヘッド・グループのリーダーのコンボに父親像を求め、メンバーに入る。コンボは、イギリスの退廃の原因は単純労働の従事する移民のせいだと考える人種主義的イングランド・ナショナリストであり、大英帝国の利益を尊重し、白人労働者の声を聞かない(と彼が考える)サッチャー政権をも恨んでいる。そして、コンボは地域のパキスタン人コミュニティーを敵視し、グループで襲撃することになる。】

このスキンヘッド・グループは、リーダーのコンボの偏重傾向にもかかわらず、グループとしては必ずしも統一された人種主義思想がある訳ではなく、階層的集合体でもあり、ジャマイカ系黒人青年が古株メンバーとして入っています。ジャマイカの青年に対し、リーダーのコンボは「イングランド人かジャマイカ人か」と彼のアイデンティティを問い、「イングランド人」という答えに拍手を送りながら、最終的に人種主義者コンボは彼を排除しなければならなくなってしまうのです。

映画『This is  England』では、当時の資本主義を象徴するサッチャー政権を敵視する白人至上(人種)主義グループを設定することで、英国における階層・人種問題の矛盾を提示することに成功しています。サッチャー政権の資本主義的政策が、白人最下層にとってプラスにならなかったことを挙げた上で、同時のその不満が「人種主義」として顕在化していることを物語っているのです。

言い換えれば、本当はサッチャー主義を批判したいのですが、(彼らには)それが階級闘争的な左翼的運動には繋がらず、人種主義となってしまうことで「本当の敵」を見失ってしまうのです。その矛盾が、古株メンバーであるジャマイカ系黒人の存在否定となり、彼を排除することによって、実はそのグループの(階層的な)本質をも否定してしまうのです。

『Made in Britain』と『This is England』は、暴力シーンが多く、人種差別用語も多いのですが、実は逆説的に英国の階層的人種主義の限界を示しています。両ストーリーは、格差問題を民族・人種問題にすり替えることがナンセンスであること、それが英国では殆ど成功しないことを、映像を持って端的に表現しているのです。

もし、英国において格差や失業問題を問うならば、白人系の最下層の人々は階層的にならざるを得ないにもかかわらず、人種を主張してしまうところで、むしろ人種が超えられないのです(それでは、なぜ彼らが階級闘争、階層闘争にいけないか考えれば、もはや英国の貧困、格差問題を、従来の組合運動等の社会主義が包摂できる状況にないこともあるでしょう)。

【ナショナリズム研究の一説にあるのですが、「格差」は階級・階層闘争ではなく、概して民族闘争や人種闘争を導く傾向があるのです】。

しかし、2011年8月の英国の暴動事件は、その最下層の人々(の一部)が暴徒化しました。今まで殆ど政治力を持たなかった人々が、英国(ブリテンやイングランド)を無秩序状態に陥れました。それは、階級・階層闘争ではなく、2本の映像作品で語られるような略奪、破壊行為が、数百人、数千人規模に拡大していったのです。

上記の映画に、2011年8月の暴動の構造の一片を見ることはできます。しかし、今回のターゲットはイスラム系住民の商店以外に留まらず、社会に向けられました。ですから、上記の2本の作品は今月初めの暴動の前段階を描いているに過ぎません。その後、英国社会は更に変化し、今は、映画が描いた当時の社会状況と同じではないのです。

更にグローバル化は進展し、相対的貧困や社会的排除はより大きな問題となっていきました。そして、それは英国に限定される課題ではなく、先進国に共通した現象となっているのです。

今回の暴動は、文字通り、Made in Britain であり、England(スコットランドやウェールズでは暴動が発生していません)でしたが、一部で指摘されております通り、同様の暴動が他国で(特に欧州先進国にて)発生する可能性を否定することはできないのです。

2011年8月27日 16:58

映画から考える英国暴動(1):映画『憎しみ』の比較考察

8月6日から数日続きました英国の暴動を見まして、1995年フランス映画『憎しみ』を思い出しました。

『憎しみ』(原題La Haine)

制作国 フランス
制作年 1995年
監督 マチュー・カソヴィッツ
主演 ヴァンサン・カッセル、ユベール・クンデ、サイード・タグマウイ
受賞 1995年カンヌ国際映画祭 監督賞

あらすじ
【ある日、パリ郊外(バンリュー)においてアブデュルという移民系の若者が警官から暴行を受けて重体となる事件が起こり、警察の対応に抗議する形で若者たちによる暴動が発生する。翌日、バンリューに住むユダヤ系の若者ヴィンスが暴動の最中に警官が落とした拳銃を見つけ、彼の友人である黒人ボクサーのユベール、アラブ系のサイードに声をかけ、銃を持って、入院中で警察の管理下にあるアブデュルの見舞いに行こうと誘う。】

ストーリーは、バンリューと呼ばれるパリ郊外の貧しい移民系が多い住宅街が舞台です。そこは、パリに近いのですが、高い失業率、麻薬問題、治安の悪化とパリの町中とは全く異なる「世界」となっています。

1995年に撮られたこの作品はフィクションですが、2005年のパリ暴動を予見した作品として称賛されています。

2005年10月にパリ郊外で、警察が強盗事件を調査する過程で、3人の北アフリカ系/移民系の若者を追跡し、変電所に逃げんこんだ3人のうち2人が感電死し、1人が重傷を負いました。この事件をきっかけに若者が暴動を起こし、暴動はフランスの各都市に広がりました。

このフランスの暴動は、英国の従来の暴動と「型」が異なります。

例えば、2001年の英国、ブラッドフォードにおける暴動では、イスラム系住民と(主に)警察が対立するのです(2006年『Bradford Riots』としてテレビドラマ化されています)。1981年、85年、95年にロンドン南部のブリクストンで発生した暴動は黒人系住民が中心でした。

多民族国家の英国ですが、多民族がミックスしている訳ではなく、ばらばらに共存しているに過ぎないのです。そして、暴動さえも民族別であるように見えました。

一方、同じく多民族国家であるフランスにおける暴動は底辺の多民族が集合して起こしており、より階層的です。

フランス映画『憎しみ』の3人の主人公、ユダヤ系のヴィンス、黒人のユベール、アラブ系のサイードは、バンリューという生活空間を共有しており、フランスと英国では暴動の「型」が異なっているのです(私は従来の英国型が悪く、フランス型が良い、もしくは、その逆であると申し上げている訳ではありません。両方とも社会的排除という点では問題なのです)。

しかし、今回、ロンドン及びその他のイングランドの主要都市で発生した暴動は、黒人と白人の若者が「一緒」に動いている点において英国では特異であり、フランスに共通する点もあります。

今回の英国の暴動でも、29歳の黒人男性が殺害されたことがきっかけとなり、映画『憎しみ』及び2005年パリ暴動同様、警察に対する反感から暴動となり、暴動に参加した黒人も白人も(人種を超えて)略奪行為や放火を繰り返しています。今回の暴動では、英国でも民族の「共闘」が起こったのです。

もちろん、英国の暴動が完全にフランス型になったという訳ではありません。英国の暴徒たちはおそらく映画『憎しみ』にあるような友情関係にはないでしょう。更に、イスラム系住民が経営する商店からも略奪されていますので、諸民族が団結したとも言えません。ですから、今回の英国の暴動と映画『憎しみ』や2005年のパリ暴動が全く同じであるとは言えません。

また、今回、英国では携帯電話のソーシャル・ネットワーク・サービスが多用されたことが指摘されています。文明の利器を使った暴動は、英国において新しい暴動の「型」を作り出しているかのようです。少なくとも、それが民族という集合単位ではないということは確かなのです。

映画『憎しみ』の3人組の絆はフランスにおいて低所得者層と移民が集中する住宅街バンリューという生活空間で養われています。英国でも政府が低所得者層向けに提供している住宅「カウンシル・ハウス」がありますが、バンリューと同じような社会空間を形成していません。

今回、英国の主に若者を、民族を超えて(打算的に)「共闘」させたのは携帯電話であり、ソーシャル・ネットワークを通じて一時的に仮想の「共同体」が出現したことになります。

しかし、英国、フランスいずれにしましても、彼らの「共同体」は社会的に排除されている別「世界」にあり、社会は分断されているのです。

映画『憎しみ』の中で、主人公たちがバンリューからパリ市内へ「上京」していくと、そこは(バンリューではあり得ない)親切な警察が存在する別「世界」となっています。

『憎しみ』を撮った監督であるマチュー・カソヴィッツ自身、父親はユダヤ系ハンガリー人映画監督ペテ・カソヴィッツであり、移民2世です。フランスにおいて欧州系移民と北アフリカのマグレブ系移民とは同化の度合いが異なると言われていますが、カソヴィッツだからこそ見えた「世界」なのかもしれません。

2011年8月21日 00:27

M・ジャクソンがルーマニアに見たもの(2):Live in Bucharest

私は1996年1月~3月(と1998年1月~6月)、ルーマニア・アカデミー歴史学研究所の研究生としてルーマニアの首都ブカレストに滞在しました。その時、ルーマニア人の友人宅でマイケルの「ティーザー」を見た思い出があります(おそらく、MTVを通じてだったと思います)。

ビデオは、「King  of  Pop」という文字が何度も映し出されるように、全体主義を謳歌している訳ではありません。しかし、やはり、ルーマニアでは89年に「革命」で倒されたニコラエ・チャウシェスクの独裁政権を思い出すと友人と語った記憶があります(もちろん、チェウシェスクには会っただけで人々が失神する程の人気はありませんでしたが)。

マイケルのアルバム『ヒストリー: パスト・プレズント・アンド・フューチャー、 ブック 1』(HIStory: Past, Present and Future - Book I)の「HIStory」には「His story」と「history」が掛けられています。彼のベスト盤ともなっている2枚組のこのアルバムはまさに「his story」であり、彼が「King of Pop」であるならば、その王国の「history」そのものでもあるのです。

もし、仮に私の推測が正しく、マイケルが唯一DVD化を許可した1992年10月1日のブカレスト公演がライブとして彼の「history」の理想の到達点であり、その再現が「ティーザー」であり、アルバム「HIStory」であったとすれば、それは皮肉以外の何ものでもありません。

第二次世界大戦後のルーマニアの「history」は独裁者チャウシェスクの「his story」でした。国家を私物化して「一家社会主義」と言われた独裁政権が89年「革命」で倒され、ルーマニア人はようやく自分たちの「history」を作れるようになったのです。約3年後のマイケルの「ライブ・イン・ブカレスト」は若いルーマニア人にとっては独裁からの解放の(革命的な)シンボルでもあったのです。

しかし、マイケルは、それ故に西側の資本主義社会の観客とは異なる何かを感じ取ったのかもしれません。

1996年9月14日、マイケルは「HIStory World Tour」の一環として再びブカレストを訪れ、コンサートを行いました。しかし、この時の様子は公式にはDVD化されていません(非公式にはあるようですが)。「Dangerous World Tour」の1992年10月1日の「ライブ・イン・ブカレスト」程の満足度は得られなかったのかもしれません。

1992年当時に比べますと90年代後半はルーマニアも落ち着き、西側の情報や品物が入っていました。マイケルが必ずしも西側の全てを代表する存在ではなくなっていたのかもしれません。マイケルはルーマニアでも他国と同じような「普通」のスーパースターとなっていたとも考えられます。

それでもマイケルの人気が下がったと認識すべきではないでしょう。1992年のブカレストが異常であったに過ぎないのです。

1992年10月1日の「ライブ・イン・ブカレスト」では、マイケルは熱狂する観客に西側の資本主義社会にはない「何か」を見出し、観客はマイケルに「西側」を見ようとしていたのかもしれません。しかし、この「誤解」は、素晴らしいハーモニーを創り上げています。

「ライブ・イン・ブカレスト」はまさにマイケルとルーマニアの「history」の接点であり、時代と社会を描き出しているのです。

2011年8月20日 23:15

M・ジャクソンがルーマニアに見たもの(1):Live in Bucharest

8月6日8月7日のブログにて、マイケル・ジャクソンが生前に唯一公式にDVD化を許可した「ライブ・イン・ブカレスト」について、公演が開催された1992年のルーマニアの状況、ルーマニア人の心情から考察していきました。

89年「革命」によって鎖国状態から解放されたルーマニア人(の若者)は、マイケルのブカレスト公演にマイケルのみならず「西側」を重ねてみていたように思えたのです。

それでは、反対にマイケル・ジャクソンはルーマニア(ブカレスト)に何を見たのでしょうか。

マイケル・ジャクソンの「Dangerous World Tour」は1992年6月27日、ドイツ・ミュンヘンに始まり、オランダ、イタリア、ノルウェー、スウェーデン、デンマーク、ベルギー、アイルランド、英国、オーストリア、スイス、フランス、スペイン、ポルトガル、ルーマニア、日本、タイ、シンガポール、台湾、ロシア、イスラエル、トルコ、アルゼンチン、ブラジル、チリ、メキシコと26カ国で69公演を行い、約350万人の観客を動員したとされます(Official Michael Jackson website)。

旧共産圏でのパフォーマンスはルーマニア(ブカレスト)とロシア(モスクワ)しかありませんでしたが、映像化の際、マイケルが選んだのはルーマニアのブカレスト公演(「ライブ・イン・ブカレスト」)でした。

マイケルの心情は私には伺い知れません。ただ、マイケルが西側において人々に消費される自分ではない「何か」を92年10月のブカレストに見出したように思えてなりません。

それは何だったのかを考えます際、1995年に発表したアルバム『ヒストリー:  パスト・プレズント・アンド・フューチャー、 ブック 1』のプロモーションの一貫として制作されたビデオ「ティーザー」(『ヒストリー・オン・フィルム VOLUME II』に収録)はもしかしましたら参考になるかもしれません。

「ティーザー」ではマイケルが全体主義的な国(都市)の「指導者」として登場します。マイケルは、メインストリートに何千人(何万人)という兵士を率いて先頭を行進します。市民(国民)であるとみられる若者たちは、彼に熱狂しており、マイケルを見るためにマイケルと兵士を囲んでいます。「マイケル、アイラブユー !」と叫ぶもの、「King  of  Pop」のプラカードを振りまく少年、失神してしまう少女も続出しています。そして、最後に町を一望できるような巨大なマイケルの像が除幕され、人々の歓喜がクライマックスに達したところで終わります。

この映像は1994年にハンガリーのブタペストで撮影されたとされます。私はマイケル・ジャクソン研究者ではなく、全く見当違いかもしれませんが、この「ティーザー」と「ライブ・イン・ブカレスト」はどうしても重なって見えてしまうのです。

 

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プロフィール
安井裕司
安井裕司
エジンバラ大学、バーミンガム大学博士課程に学ぶ。その間、ルーマニア・アカデミー歴史学研究所研究生。国際政治学博士(PhD)。国連大学国際紛争研究所インターン、夏期講習クラスコーディネーター、法政大学国際日本学研究所客員研究員等を経て、現在、早稲田大学エクステンションセンター講師、日本経済大学神戸三宮キャンパス教授。
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