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グローバル化は足元からやってくる ~国際学で切り取る世界と社会~

2011年7月

2011年7月31日 15:28

政権与党とマニフェスト(1)英国との比較

昨年の12月に所用があり、英国のバーミンガム市に1週間ほど滞在しました。

 

英国では2010年5月の総選挙で財政再建を訴えて勝利した保守党と自由民主党の連立政権は、公約(マニフェスト)通り、公務員の大幅な削減、消費税20への引き上げ、大学授業料を現在の3000ポンドから最大9000ポンドまで値上げすること等を打ち出し、保守党は支持率を急降下させ、早くも野党・労働党に抜かれていました。

 

学生によるデモが連日続き、大学では政府の方針に憤慨している教員も少なくないようでした。

 

しかしながら、現政権は財政再建を断行しました。

 

そして、55日に行われた統一地方選挙において連立与党は敗北しました。

 

より詳細に述べますと、保守党はイングランドにおいて、得票率3%増、改選前よりも議席を86増やしましたが、ほぼ「現状維持」と言えます。一方、連立を組む自由民主党は得票率で10%減、748議席を失う大敗北でした(Vote 2011 England Council Elections, BBC online, 2011611日)。

 

ちなみにスコットランドではスコットランド民族党と緑の党以外は全て議席を減らし(スコットランド民族党+23議席、緑の党+1議席労働党-7議席、保守党-5議席、自由民主党-12議席)(Vote 2011 Scotland Elections, BBC online, 2011511日)、ウェールズでは保守党は微増(2議席)でしたが、自由民主党は議席(-1議席)を減らしました(Vote 2011 Wales Elections, BBC online, 201156日)。

 

全体として政権与党への批判の矛先は、保守党ではなく自由民主党に向けられたことになります。自由民主党の支持層の一部はリベラル派の大学人や大学生、インテリ層でしたので、彼らからの支持を失ったのは大きな影響があったと言えます(もし、大学に入学した際に3000ポンドだった授業料が、在学中に3になると言われれば、誰だって怒りを覚えるでしょう)。

 

連立政権の政策は地方レベルにおいて否定された訳ですが、それでも、私は英国の現政権がマニフェスト通りに財政再建政策を進める姿を評価せざるを得ないと感じました。

 

それは、保守党や自民党の財政再建政策を無条件に支持するという意味ではなく(むしろ、賛成できない内容のほうが多いのですが)、何よりも総選挙の国民との約束を守る姿勢が誠実であると思えたのです。

 

いかに支持率が下がろうと、どれ程マスコミに批判されようと政権与党は総選挙の公約であるマニフェストを守ることに、その正当性があるのです。ベストを尽くして、諸政策が現実不可能ならば、次の選挙で政権交代をするだけです。

 

翻って日本の与党である民主党は(もしかしましたら野党も)マニュフェストの捉え方が英国とは随分異なるようです。次回は民主党のマニフェストに対する認識を比較考察してみます。

2011年7月24日 23:59

男女平等社会と「フットボール」(2)

コリン・ファース主演の1997年の英国映画『ぼくのプレミアライフ』は、60年代以降、英国の一部の男性がなぜ「フットボール(サッカー)」に病的に傾倒していくかを象徴的に描いています。

 

ファース演じる高校教師ポールは北ロンドンの地元の「フットボール」のクラブである「アーセナル」の熱狂的ファンで、彼は人生において何よりも「アーセナル」の試合を優先します。ポールは同僚の女性教師サラと恋愛関係に至り、彼女は妊娠するのですが、そのシーズン(1988年-89年)は18年ぶりに「アーセナル」が優勝する勢いとなっており、ポールは彼女のことを蔑にしてしまいます。当然、2人の仲は険悪になっていきます。

 

なぜ、この高校教師ポールがこれほどにまでに「アーセナル」ファンになったのかは彼と彼の父親との関係にあります。子供の頃、両親が離婚し、定期的に会いに来る父親が「アーセナル」の本拠地ハイベリーに彼を連れて行ってくれたのです。以来、「アーセナル」は彼の求める父性と同化し、父性を補うものになっていくのです。

 

映画『シーズンチケット』(2000年英国)も同様に「フットボール」が父性と重なります。

 

イングランド北部の町、ゲーツヘッドに住む15歳の少年ジェリーは母親と姉クレアの子供と共に粗末なアパートで暮らしています。父親は行方不明で、2番目の姉は家出中です。ジュリーは親友スーエルと共に、どうにかして大ファンのフットボールクラブ(FC)「ニューキャッスル・ユナイテッド」のシーズンチケットを購入したいと、廃品回収から万引き、銀行強盗まで計画します。

 

ジュリーが「フットボール」への想いを小学校の授業で語るシーンがあります。教師が自分にとって「初めて」の経験を話してごらんと生徒に言うと、ジュリーは「初めてフットボールを見に行った時、とても寒かったんだ」、「父さんは自分のことなんか気にしないで僕に自分のコートをかけてくれた」、「ハーフタイムには砂糖は二つの、ミルクもたっぷり入れた紅茶を飲んだ。最高の紅茶だった」と話します。そこに描かれるのは彼の理想の父親との「フットボール」観戦なのですが、現実の彼の父親は全く反対の存在だったのです。

 

1960年代後半以降、女性は経済力を持ち、社会進出を果たし、「男女平等社会」になりますが、ヨーロッパの西側先進国は離婚率が上昇していきます。離婚の結果、父親から離れた子供たち(息子)は、代わりの何かに父性を見出していく必要があったのでしょう。そして、「フットボール」はその有力な一つだったと考えられないでしょうか。

 

もちろん、ヨーロッパにおいて全ての熱狂的「フットボール」ファンが母子家庭で育ったわけではなく、母子家庭の男の子の全てが熱狂的な「フットボール」ファンになる訳でもありません。しかし、社会全体がそのような空気を共有する中で、「男女平等社会」において「フットボール」の「男性中心性」が強調されていった可能性があるのではないかと思うのです。

 

誤解のないように申し上げれば、私は、熱狂的な「フットボール」ファンの存在をもってして「男女平等社会」を否定するつもりもありません。映画『ぼくのプレミアライフ』は最終的にはハッピーエンドで終わり、主人公ポールは「アーセナル」の優勝によって「フットボール」=父性を乗り越え、実社会の男性として父親として生きていくことになります(他力本願ではありますし、「アーセナル」ファンを辞めた訳でもないのですが)。

 

また、「フットボール」が父性と一致するのは、必ずしも、1960代以降とは限りません。

 

2003年にドイツで製作された『ベルンの奇跡』は、1954年のワールドカップ・スイス大会で西ドイツが初優勝するまでを、西ドイツの工業都市エッセンに住む11歳の少年マティアスの目を通じて描いています。

 

マティアスの父は第二次世界大戦中、ソ連に出征し、帰ってきていません。マティアスは地元の「フットボール」チームのスター選手を父親のように慕い、その選手の荷物持ちになります。そこに、死んだと思われていた本当の父親が姿を現すのですが、戦争と抑留生活によって人格も変わり、父親らしく振舞えない彼は息子につらく当たってしまいます。しかし、その父親は「フットボール」を通じて自分を回復し、最終的には親子2人でスイスまで車を飛ばし、W杯を観に行くことで親子関係を取り戻そうとします。

 

もともと「フットボール」は男性のスポーツでしたが、第二次世界大戦後の女性の地位の向上、60年代の「ウーマン・リブ」による「男女平等社会」の成立後、男性は「フットボール」を「男のスポーツ」として再認識することで、アイデンティティの均衡を保とうとしたのかもしれません。

 

「ウーマン・リブ」は(西)欧米諸国に多かれ少なかれ共通した現象ですが、このような「フットボールは男のスポーツである」という規範は、女子W杯で決勝を戦った日本や米国にはありません。ヨーロッパ特有の「フットボール」観です。

 

ちなみに、前回ご紹介しました「世界経済フォーラム」が発表する「ジェンダーギャップ指数」において米国は世界19、日本は94位です。ヨーロッパの先進国と(特に日本は)同等のレベルとは言い難い状況です。

 

「なでしこジャパン」のW杯優勝を、日本女性の「強さ」の証明というような受け止め方が一部にみられます。確かに、「なでしこジャパン」は強かったです。しかし、日本社会が、日本人女性の「強さ」を活かせるような社会にはなっていない事実も忘れるべきではないと考えます。

 

もしかしましたら、「なでしこジャパン」の選手たちの精神的な「強さ」は、日本社会において彼女らを取り巻く逆境の中で培われたのかもしれません。

 

もちろん、今後、彼女たちの「世界一」の偉業が、日本の「サッカー」界だけではなく、日本社会のジェンダーギャップを埋める牽引車となる可能性はあるかもしれません。それが、日本の女子「サッカー」と男子「サッカー」を更に強くするかどうかは判りませんが、「男女平等社会」で女子も男子も「サッカー/フットボール」が強い国を目指すことは悪いことではないのではないでしょうか。

 

 

2011年7月23日 21:09

男女平等社会と「フットボール」(1)

716717のブログにてヨーロッパでは、近年状況は変化はしているとはいえ、現在も女子が「フットボール」(サッカー)をすることに抵抗感がある男性が少なくないということを書きました。

 

少し説明不足でしたが、「フットボールは男性がするスポーツである」(女性はフットボールをすべきではない)という考え方は、必ずしもヨーロッパがいまだ「男女不平等社会」であることを意味しません。

 

概してヨーロッパ諸国は「男女平等社会」となっています。

 

毎年、スイスのジュネーブに本部がありますNGO団体「世界経済フォーラム」が発表する「ジェンダーギャップ指数」の2010年版では、ベスト20(男女のギャップが少ない国)のうち13か国(アイスランド、ノルウェー、フィンランド、スウェーデン、アイルランド、デンマーク、スイス、スペイン、ドイツ、ベルギー、英国、オランダ、ラトビア)がヨーロッパの国となっています【World Economic Forum, The Global Gender Gap 2010http://www3.weforum.org/docs/WEF_GenderGap_Report_2010.pdf)】。

 

そして、ヨーロッパ諸国は「フットボール」大国でもあります。

 

男子のFIFAランキング(20115月)ではベスト2014か国(スペイン、オランダ、ドイツ、イングランド、イタリア、ポルトガル、クロアチア、ノルウェー、ギリシア、フランス、モンテネグロ、ロシア、スウェーデン、デンマーク)が入っています【FIFA World Ranking (http://www.fifa.com/worldfootball/ranking/lastranking/gender=m/fullranking.html#confederation=0&rank=205)】。

 

スペイン、オランダ、ドイツ、英国(FIFAランキングではイングランド)、スウェーデン、ノルウェー、デンマークの7か国は「ジェンダーギャップ指数」とFIFAランキングの両方に登場しています。これらの国々は「男女平等社会」であり、男子の「フットボール」も強いことになります。

 

男子FIFAランキング2011年5月(ジェンダーギャップ指数2010)

1位   スペイン      (11位)

2位   オランダ      (14位)

3位   ドイツ       (13位)

4位   イングランド (*UK15位)

11  ノルウェー     2位)

19  スウェーデン     (4位)

20  デンマーク           (7位) 

 

以前記しました通り、ヨーロッパでは男子「フットボール」が強い国においても(小国で「フットボール」が強いとは言えない国でも)、多かれ少なかれ女性に対する「フットボール」に関する偏見があると言えます。

 

ヨーロッパの「フットボール」論(Football Studies)と女性論/ジェンダー学の両方を研究対象にされている方がおられましたら、ご教示いただきたいのですが、個人的には「フットボールは男性のスポーツである」という規範が強化されたのは、逆説的ですが、60年代後半以降の「ウーマン・リブ」と呼ばれた女性解放運動と高まりと離婚率の上昇に関係があるように考えています(もちろん、それが全てではないでしょうが要因の一つとして)。

 

次回は、3つの「フットボール」映画:『ぼくのプレミアライフ』1997年英国)、『シーズンチケット』(2000年英国)、『ベルンの奇跡』(2003年ドイツ)を例にしまして続けて「男女平等社会」と「フットボール」の関係を考えてみたいと思います。

2011年7月20日 23:56

建設的批判のススメ

今週から早稲田大学エクステンションセンター夏講座にて【グローバル化と日本】をテーマにお話することになりました。講義中、学問上のグローバル化の定義などはご紹介致しますが、今後、日本がどのような選択をすべきか、という問いに対しまして絶対的な「答え」は提示できません。

 

もちろん、私個人としての意見(私見)はあります。しかし、それも、絶対であるとは言えないのです。ですから、講座にて様々な私見を述べましても、合意していただくなくても結構です。議論の前提としまして、基本的な枠組みをご説明しますので、その後に受講者の皆さんの御意見をも拝聴することができますれば幸いです。

 

学問において絶対的な「答え」がないことに関しましては科学的な安全について4月14日しました。社会科学は、実験ができない科学ですので、尚更、絶対性はないのです。その際は、皆さんの人生経験が重要になっていきます。

 

 しかしながら、当然、人の経験はそれぞれ異なるのです。

 

英国の社会科学系の大学院の修士課程の講義は、1時間の教員の講義に対して1時間のディベート(チュートリアル)の時間があります。教員の講義中に学生が質問することは許されていますが、基本的には講義が中心になります。そして、講義後のチュートリアルの1時間において皆でテーマに関しましてディベートをすることになります。

 

ロンドン大学大学院などは半数近くが留学生ですので、当然、バックグラウンドが違います。異なる国で、異なる人生を歩んできた学生同士が語り合うのですから、意見が一致するほうが稀です。学生たちは意見の合わないことを前提に議論する方法を学ばなくてはなりません。

 

そこで大切なことは、まず、意見が異なることに合意する(Agree to disagree)ということです。フラットに自分を置き、意見が違うという点を互いに認識する必要があります。他人と自分は違うことが前提ですので、「君とは違うんだよ」と言い、相手を否定してはいけないのです。

 

次に求められることは、相手と異なる意見を述べる場合、「建設的批判」であるということです。頭ごなしに「勉強不足だよ」とか「分かっていないな」と言うのはマナー違反なのです(特に、知的訓練において優位に立つ、教員が学生に、大学院生が学部生に、経験豊かな年長者が若者にいうのは好ましくないのです)。

 

「建設的批判」は馴れ合いではありません。建設的に、相手の意見を踏まえ、自説(自分が信じる仮説)を述べるのです。飽くまでも、答えが一致することを目的とすべきではありません。ロジックを述べ、相手のロジックと比較考察するのです。その際、自説を絶対であると考えるべきでもありません。学問に絶対なものはないのですから。相手も間違っている可能性もありますが、自分も間違っている可能性があるのです。

 

時々帰国しまして、国会中継やテレビ番組を見ますと、「建設的批判」とは言えないような決めつけた批判を目にすることがあります。例えば、菅直人首相への攻撃です。「菅首相が辞めればそれでいい」という主張は、ロジックの否定であるように思えます。そして、また間違いを繰り返すのではないでしょうか。何故駄目なのかを論じることができれば、「辞める」という結果が次に繫がるように思えます。

 

すべての英国人が、ロジックに物事を考えているとは申しません。階層性もありますし、地域性もあるでしょう(03年、04年に滞在しました北アイルランドで見た政治家のテレビ討論はロジックを超える場面が多くありました)。しかし、英国に留まらず、欧米社会全般にロジック中心の教育が広まっているのも事実です。誤解していただきたくないのは、ロジックとは数字ではありません。それは思考です。

 

小生の担当講座に戻しますと、これからの日本の選択の模索が難しからこそ、「Agree to disagree」と「建設的批判」を基本にさせていただき、皆様と議論を交わしたいと願っております。

2011年7月17日 00:30

なでしこジャパンの躍進(2):「サッカー」が「フットボール」を変える?

私が滞在するスイスでは7月から学校は夏休みに入り、私は幼稚園児の長女をスイス・ジュネーブ市が催すフットボール教室(初心者コース)に行かせることにしました。将来、「なでしこ」入りを夢見た訳ではなく、受講料の安さと預かってくれる時間の長さに惹かれたからです。

 

初日に娘に同行して緑の映える公営のフットボール場を訪れますと、それぞれの贔屓チームのユニホーム姿をした子供たちが親に連れられて集まっていました(幼稚園児に贔屓チームとは、だいたい父親の影響であり、その証拠に「フットボール」のユニホームの無い私の娘は1人、阪神タイガースのTシャツを着て行きました)。

 

そこで驚いたのは、女の子の少ないことです。定員、約30名のその教室で私の娘を入れて3名しか女子の参加者がいませんでした。その数になぜ女の子だけの募集がなく、男女混合だったか理由が判りました。幼稚園児の初心者クラスにこれだけ少なければ、それより上のクラスにもっと女の子がいるとは思えません。

 

スイスは女子のFIFAランキングの26位ですので、スイスの例を持ってヨーロッパ全ての国に当て嵌めることはできませんが、残念ながら、今でも「フットボール」は女の子の人気のスポーツとは言えない現状を垣間見たようでした

 

前回も記しました通り、「フットボール」はヨーロッパの、そしてヨーロッパの影響が強い南米の男のスポーツであるという偏見があります。誤解を恐れず申し上げれば、ヨーロッパでは、大多数とは言わずとも少なからずの男性は、女性が「フットボール」をする姿に違和感があるか、もしくは抵抗がなくても、そもそも興味がないのです(もちろん、今回、ドイツで開催されました女子W杯には多くの男性がスタジアムに駆けつけていますので、状況は変わってきていますが)。

 

しかし、「サッカー」の国、米国や日本にはそのような偏見はないのではないでしょうか。日本でも女子サッカーが人気 のスポーツとは言えないかもしれませんが(日本サッカー協会によれば2005年度の女子選手の登録数は33,859人)、少なくとも日本の男性は(無関心層は共通しても)女性がサッカーをすることにヨーロッパ人と同じような違和感や抵抗感を覚えないのではないでしょうか。

 

女子サッカー人口、約800万人(時事ドットコム2011716日)を誇る米国では、反対に「サッカー」は女性や子供のスポーツのイメージがありますが、ヨーロッパの「フットボール」の「男性中心主義」に観られるほど強固なものではないようにも思えます。

 

そうであっても、W杯で「なでしこ」が対戦したイングランド、ドイツ、スウェーデン、米国が対戦したフランスも強国だったのではないかと言われるかもしれません。「なでしこジャパン」のメンバーの中にも、ヨーロッパで活躍されている選手もいます。施設や組織において、ヨーロッパの先進国は整っており、フットボール大国です。女子もその恩恵に与っていると考えるのは間違いでしょうか。既にシステムはあるのです。

 

ただ、社会における人々のマインドの変化にはより時間がかかります。ヨーロッパ開催の女子W杯においてドイツをはじめヨーロッパ各国代表が戦わなくてはいけないのは、相手チームだけではなく、「フットボールは男のスポーツである」という偏見でもあったように思えてなりません。

 

私は「なでしこジャパン」の躍進に水を差したいのではありません。むしろ、ヨーロッパの「フットボール」の国にある偏見を「サッカー」の国である日本や米国が払拭し、イメージを変えていく可能性に着目しているのです。

 

つまり、女子に関しましては、日本が「ヨーロッパに追いついた」という認識を持つべきではなく、日本や米国が新しいサッカー/ットボール像を革新的に構築していっているとみなすべきなのではないでしょうか。

 

女子の「サッカー」は、ヨーロッパ、南米がリードしてグローバル化した男子の「フットボール」とは異なる展開を見せています。そして、日本や米国の活躍による女子の「サッカー」のグローバル化は、もしかしましたら、男子の「フットボール」観を変えるほど多大なインパクトを与えるかもしれません。

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プロフィール
安井裕司
安井裕司
エジンバラ大学、バーミンガム大学博士課程に学ぶ。その間、ルーマニア・アカデミー歴史学研究所研究生。国際政治学博士(PhD)。国連大学国際紛争研究所インターン、夏期講習クラスコーディネーター、法政大学国際日本学研究所客員研究員等を経て、現在、早稲田大学エクステンションセンター講師、日本経済大学神戸三宮キャンパス教授。
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