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グローバル化は足元からやってくる ~国際学で切り取る世界と社会~

2011年5月

2011年5月30日 00:05

食中毒事件と原発事故の構造: 共通と相違について

今月上旬に発生した焼き肉チェーン店「焼肉酒家えびす」の集団食中毒事件は、福島第一原発との構造的共通性が指摘されることが多いようです。
 
両者に共通する点は、安さ(経済性)の重視、「安全」の軽視、行政側の不手際等です。
 
第一の「安さ」に関して、食中毒事件のユッケは破格の値段で提供されており、「安さ」が売りでした。原発も「一番コストがかからないエネルギー」とされ、「安さ」がその推進の常套句でした。
 
しかしながら、「安さ」の追求は「安全」軽視に繋がってしまいました。 ファイナンシャル・アナリストの馬渕治好氏は、コスト重視の「安かろう悪かろう」は限界に近く、「安全」が犠牲になっていたと主張されています(日本経済新聞 5月19日夕刊)。「安全」が守られず、このような事故、事件に発展すると結局、非常にコストが高くつくことも、食中毒と原発事故には共通します。
 
更に安全性については、消費者側の意識の問題も指摘されています。東京大教授・坂村健氏は食中毒事件と原発事故に「日本人は「安全神話は崩壊した」と言いながら、その「神話」をかたくなに捨てようとしなかった」と言われています(毎日新聞 5月22日朝刊)。
 
消費者として、「安さ」を求めれば当然、「安全」が犠牲になってくることを日本人は気づいていなかった、もしくは気づかないふりをしていたのかもしれません。しかし、日本人の多くは、食中毒や、原発事故に至るまで「安全」が犠牲になっているとは知らなかったのも事実でしょう。消費者としての日本人は少なくとも生産者(作り手)をギリギリのところでは信用していたのではないでしょうか。ところが、上記の事故と事件では、生産者と消費者の信頼関係は成立していませんでした。
 
日本人が安全神話を捨てなかった理由は、「お上」を信用していたこともあるかもしれません。どこかで、「お上」が目を光らせてくれていると考えて、多少は不安を覚えながらも「安さ」を享受していたかのようです。しかし、行政側も現状を把握しきれておらず、もしくは放置してしまい、結果として多大な犠牲を生み出してしまったのです。
 
米国の政治学者フランシス・フクヤマ氏は1995年の著書『トラスト』(邦題『「信」無くば立たず』)において日本の経済的繁栄は「高信頼社会」にあったとしました。上記において崩壊したのは、まさにその「トラスト=信」なのでしょう。
 
このことは食中毒事件と原発事故の共通点ではなく、相違点から分かります。

東電と焼肉酒家えびすには共通点と同時に、相違点があります。食中毒事件は低コスト競争の中で生み出されたものですが、東京電力は地域独占企業であり、原発事故は競争が主な理由ではありません。更に、東電は日本を代表する企業のひとつですが、焼肉酒家えびすは中小企業です。
 
この違いすぎる両者が、同時期に共通する結果を導いてしまったことは何を意味するのでしょうか。
 
それは、独占企業でも非独占企業でも、大企業でも中小企業でも、民営でも国営でも、モラルハザードが起こっていれば、結果は同じになってしまうということなのではないかと考えます。
 
菅直人首相は5月18日、電力会社から送電部門を切り離す発送電分離を検討すべきだとの考えを述べました(朝日コム5月18日)。発送を分離すると複数の発電会社が送電会社に電気を売却する形態となり、競争原理が導入されます。そして、それ故に、電気料金が安くなる可能性もあります。
 
しかし、食中毒事件が指し示すのは、競争原理自体は消費者と生産者の「信用」回復のための「答え」にはならないということです。結局、問われるのは「制度」ではなく「人」なのです。
 
日本において「高信頼社会」を立て直すことはできるのでしょうか。もし、それが不可能であるとすれば「トラスト」に代わり得る何か(欧米流契約社会?)を見いださなくてはならないことになります。
 

2011年5月27日 00:17

学歴と学閥

震災後、多くの新聞記事やネット情報に目を通しますと、日本学的視点から興味深く思えるものが幾つかあります。

 

東洋経済net「東京電力・清水社長がリーダーシップを発揮できないワケ」(418日)はそのひとつでした。

 

簡単に纏めますと、東電の清水正孝社長(628日付けで辞任予定)がリーダーシップを発揮できない背景には、社内の学閥的な要因があるという内容です。

 

清水社長は慶應大学経済学部出身で、東電では私立大学出身の初めての社長だったそうです。同記事によりますと東電の役員は東大出身者が多く、89年には役38人のうち26人、2010年においても役員27人中13であり、2人に1人が東大卒とのことです。

 

そして、「東電の清水社長は出身大学、職務経歴から見て、社内に強い基盤を持っているとは考えにくく「強いリーダー」とは言い難い」という結論に至ります。

 

しかし、66歳の清水社長が大学に入学したのは半世紀近くも前の1960年代です。その学歴(社長は大学院に進学していませんので、たった4年間在籍しただけです)故に「強いリーダー」になれないというのは、どうも納得がいきませんでした。

 

そこで、私が講座を担当する早稲田大学エクステンションセンターの受講者の社会人経験豊かな60歳代、70歳代の方々に伺ってみたところ大半の企業では学歴が絶対的要因ではなくなっているという声が多かったのですが、一部の企業、もしくは企業内のある特定の部署に限っては今もそのような傾向があるだろうという意見が続きました。

 

なぜ、この記事が日本学的視点から興味深いかと申しますと、海外の一流企業ではありえない現象だからです。

 

福島原発で名前がでました米国GE社のCEOCorporate Executivesの合計23人の学歴を見ますと、ハーバード大学大学院卒の4人が最大多数ですが、その4人の学部はダートマス大2人とイェール大、ケニヨン大です。

 

国内市場を主とします電力会社は事情が異なると反論があるかもしれませんので、同じ電力会社を見ますと、米国の代表的なエネルギー会社の一つでありますNextEra Energy Resources(旧FPL)社の6人のExecutive出身大学が全て異なりました。

 

ドイツ、フランス、英国の電力会社でも学閥という程、出身大学は重なっていません。

 

上記は、欧米が学歴主義を採っていないことを意味しません。反対に、各社のホームページでは経営者たちがどこの大学および大学院で何を学んだかの詳細が記載されています。

 

欧米社会は、概して学部卒と大学院卒では大きな差を付ける傾向があり、日本以上に学歴主義です(一流企業の経営陣は大半が修士号以上の学位を取得しています)。しかし、日本型の学閥にはならないのです。

 

私は日本の(一部の企業の)学閥主義が悪く、欧米の学歴主義が良いと言いたいわけではありません。日本の経済的台頭は、80年代、Japan as Number Oneと称され、世界のビジネススクールでは日本型経営が学ばれていました。格差を前提とする欧米社会とは異なる日本型の会社経営はある条件において、素晴らしく機能していたのです。日本型学歴(学閥)もその中で、おそらく一定の役割を担っていたのではないかと想像します。

 

しかし、グローバル化が進む今日、企業は生き残りをかけて優秀な人材を世界中から確保しなければなりません。当然、結果として一流企業になればなるほど出身大学はばらつきます。

 

会社内では、たとえ、同じ大学卒でも、中国から来た(元)留学生であったり、米国からの(元)留学生だったりすれば、同じ国籍とは限りません。大学で学んだ専門も異なれば、会社外で使っている言葉(母語)も、信じる神様も、肌の色も異なるかもしれないのです。同性愛者かもしれないし、異性愛者かもしれない。そのような環境の中で、学歴は、自己の能力証明という点において重要であっても、多くの帰属意識のひとつにしか過ぎなく、集団的な「閥」にはなり得ないのです。

 

【ただし、海外の一流企業の多様性が素晴らしいと簡単に結論付けるのも間違いです。彼らは、それぞれの帰属意識を維持しながらも、その中の競争に勝ち抜いた勝者でもあり、それこそが、彼らの共通点なのです。言い換えれば、アイデンティティ内の「格差」を前提としているエリートたちであり、同じ国出身、同じ大学出身というだけで「同じ」であるとは認識しないのです。逆に、同じ大学卒というだけで「閥」が成立する社会は、完全な競争原理に基づいてはいないということになります。そのような「閥」が成立する社会は、受験競争があるにせよ、ある種の変形型「平等社会」とも言えるのです。そして、どちらの社会のほうが「生き易い」かは、それぞれの価値観次第になります。】

 

好むと好まざると、これからのグローバル化の中で、会社は、むしろそのような多様なアイデンティティを持つ人々の能力を発揮できる組織として機能するかどうかが問われるのではないでしょうか。マーケットがグローバル化している以上、日本企業も例外ではないはずです。そして、大学もそのような状況の中で、集団的帰属意識ではなく、オリジナルな「個性」を持って活躍できる人間の育成が求められているのです。

 

上記は、東洋経済の記事が的を射ており、更に他の日本の一流企業にも当てはまるとすればという仮定の下ですが、リーマンショック後の日本の偏差値上位校を含む就職難を考えると既に日本も先進国型の学歴社会にあるのではないかと思わざるを得ません。

2011年5月23日 01:17

風評被害について

先日、フランス人の知人から連絡があり、「日本の石川というところで作られた箱を購入したいんだけど大丈夫か」と尋ねられました。国際機関に勤務する彼は、「大丈夫だと思うけど、念のため」と付け足していましたが、放射能汚染を気にしているようでした。
 
当然、「大丈夫」と答えながら、周りにひと押しする日本人がいない場合、日本製品の購入を躊躇する人もいるだろうと思わずにはいられませんでした。
 
福島第一原発事故が報道されて以来、日本から出国する日本人や日本製品に対して「放射能汚染」のイメージが付きつつあり、各国において日本からの輸入製品に対し放射能検査を義務づける動きとなっています(5月21日、来日中の中国の温家宝首相、韓国の李明博大統領が菅直人総理大臣と共に福島県を訪れ、現地産の野菜を食しましたが、それは逆に風評被害の大きさを物語っていると言えます)。
 
この感覚を理解することはそれほど難しくはありません。なぜならば、日本は今まで逆の立場で同様の政策を採り、日本国民も消費者として「安全」に拘わってきたからです(もちろん、それがいけないと訳ではありません)。
 
2003年米国でBSE(牛海綿状脳症)が発生すると、日本は直ちに輸入を禁止し、2005年に輸入が再開されましたが、条件として、生後20か月以下の危険部位の除去が為された牛肉を対象に限定しました。日本政府は現在も「特定危険部位を除去し生後20カ月以下」という条件を維持しており、米国政府は日本の対応は厳し過ぎるとして批判しています。
 
2008年1月に発覚した中国製冷凍餃子中毒事件では、輸入制限等はしなかったにもかかわらず、日本国内において事件発覚の1月下旬から中国産の野菜全体の消費が落ち込み、農林水産省によりますと2月の第1週から第3週までで、輸入量は前年同期比39.7%減になりました(共同通信 2008年3月6日)。
 
食物とは異なりますが、2009年の春に世界中で新型インフルエンザが流行した際の(国内諸空港における水際対策を含む)大騒ぎをご記憶の方もおられるでしょう。あの時、多くの日本人は実態の良く分からない新型インフルエンザを極力避けようとしました。
 
今、多くの外国人が日本製品を拒否している理由も、上記の日本人のリアクションと同様もしくは類似です。
 
問題は国内です。情報が入手し易い日本国内においても風評被害が多発しています。
 
福島県の「放射線に関する相談窓口」には、福島県の運送業者が「他県のガソリンスタンドに『福島県民お断り』との貼り紙があった」という報告があり、福島県民であることを理由に、「レストランで入店を断られた」「ホテルに宿泊できなかった」「車に落書きされた」などの被害もあったそうです。福島県によると、3月17日の窓口開設から4月8日朝までに風評被害に関する相談は162件も至ったそうです(読売online 4月9日)。福島県だけではなく近隣の茨城県、栃木県、群馬県において、出荷停止となったホウレンソウとカキナ以外の野菜の返品も相次ぎ、大きな被害となっています。
 
北は北海道から南は沖縄まで、日本は全て放射能に汚染されていると見なしている外国からみれば滑稽な話です。
 
日本が汚染されているかどうかの答えはYesであり、Noでしょう。国内でも場所によりますし、福島県内でも場所によります。どこが「安全」で、どこが「安全」ではないかは、日々変わる値と睨めっこしなければなりません。
 
どんなに科学的に「安全」であっても風評を気にする人は、原発の被災地と自分に一線を画すことでしょう。
 
敢えて、彼らの心理を分析すれば、事件発生後の2ヶ月過ぎてから実はメルトダウンしていたと公表する東電や政府が言う「安全」が信じられないということになるかもしれません。そして、自分で勝手に「安全」ラインを引いてしまっているのです。
 
確かに、何を持って「安全」と判断するかを見出すのは困難です。私たちは東電や政府に「安全」に関するより正確な情報を求めていくべきでしょう。しかし、何の根拠もない「福島県民お断り」、「福島産お断り」は、何の根拠もない海外の「日本人お断り」、「日本製品お断り」と同様にナンセンスです。
 
それは「安全」を求める方向性とは異なり、むしろ「偏見の拡散」に他なりません。そして、国際的に見れば、日本が放射能に汚染されているという見方を過度に助長し、結果的に自分たちの首を絞めることになっているのです。
 
勝手に風評の「安全」ラインを引いている人は、一度、海外に出てみればいいのではないでしょうか。自らが「放射能汚染物」扱いをされることで、風評被害者の気持ちが理解できるようになるのではないでしょうか。
 
そうなるとすれば、海外の根拠なき風評が、国内の根拠なき風評を打ち消してくれることになります。そして国内で風評被害がなくなれば、海外の消費者も徐々に「メイド・イン・ジャパン」へ戻ってくるかもしれません。
 
とりあえず、まず足元からです。国内でまず偏見をなくしましょう。国内で風評被害が続いている限り、海外の人々が日本製、日本産の品々を安全であるとは考えないでしょうから。
 
【もちろん、そのためにも政府や東電には徹底的で正確かつ迅速な情報開示を求めたいです。原発事故発生後、「ただちに人体に影響が出ることはない」と言いながら、2ヶ月後に実は、あの時、原子炉がメルトダウンしていたと公表するようでは、誰も東電や日本政府の言うことを信じなくなってしまいます。今回の事故への対応は、日本国民ばかりではなく、世界中が注視していることを忘れないで欲しいと思います。】

2011年5月20日 00:58

「ずっとウソだった」のか? 「ずっと知っていた」のか?

毎週末、全国のどこかで行われる反原発デモでは、歌われる曲が幾つかあるそうです。その一つは4月上旬にミュージシャン斉藤和義氏が自分の楽曲「ずっと好きだった」の歌詞を替え、原発を批判する「ずっとウソだった」として発表したものです(毎日JP 4月25日)。同曲は動画投稿サイトYou Tubeにアップロードされ、話題になりました(朝日コム 4月27日)。

原曲の「ずっと好きだった」は、地元の高校の同窓会に出席し、再会した初恋の人に告白する歌詞になっています。 

この町を歩けば  蘇る16才
教科書の落書きは  ギターの絵とキミの顔
俺たちのマドンナ  イタズラで困らせた
懐かしいその声  くすぐったい青い春

ずっと好きだったんだぜ  相変わらず綺麗だな
ホント好きだったんだぜ  ついに言い出せなかったけど
ずっと好きだったんだぜ  キミは今も綺麗だ
ホント好きだったんだぜ  気づいてたろうこの気持ち
(2010年発売 シングル「ずっと好きだった」、同年発売アルバム「ARE YOU READY?」収録 作詞、作曲 斉藤和義)

上記の歌詞が、以下のように替わります。

この国を歩けば、原発が54基
教科書もCMも言ってたよ、安全です。
俺たちを騙して、言い訳は「想定外」
懐かしいあの空、くすぐったい黒い雨。

ずっとウソだったんだぜ やっぱ、ばれてしまったな
ホント、ウソだったんだぜ 原子力は安全です。
ずっと嘘だったんだぜ ほうれん草食いてぇなあ
ほんと嘘だったんだぜ 気づいてたろうこの事態
 (2011年4月6日You Tubeアップロード、4月8日文化放送「吉田照美ソコダイジナトコ」オンエア、4月8日Ustream「斉藤和義 on USTREAM?『空に星が綺麗』」 作詞、作曲 斉藤和義) 

この「替え歌」は話題になり、反原発ソングの仲間入りをしました。斉藤氏が自ら出演し、演奏したUstreamのライブ生放送ではアクセスが多過ぎて中継がフリーズしてしまった程です。

しかし、日本人は本当に原発を安全だと信じていたのでしょうか。

内閣府大臣官房政府広報室による世論調査によれば平成17年において65.9%が、平成21年において53.9%が「原子力を不安」と答え、「安心である」平成17年24.8%、平成21年41.8%を大きく上回っています。大半の日本人は、3月11日以前から原子力に不安を覚えていたのです。 

ちなみに、不安だと答えた人が挙げた理由としては、「我か国でも事故か起きる可能性かあるから」が圧倒的多数で平成17年80.2%、平成21年75.2%となっております。

にもかかわらず、平成17年55.1%、平成21年59.6%が(積極的もしくは慎重に)「原発を推進すべき」とも答えているのです。 

「安全じゃないかもしれないけど(慎重に)進めてくれ」というのが最大多数の声だったのです。

3,000人を対象にした内閣府の調査をもって日本人の総意を語る事はできないかもしれませんが、他の調査でもほぼ同様の結果が出ています。

確かに電力会社のCMは「安全」を謳っていました。ですから、今回の福島第一原発の事故に関しまして東電の責任は計り知れないと思います。「想定外」の言い訳も許されないものです。 

ですから、東電が「騙していた」もしくは「騙そうとした」ことは確かかもしれませんが、大半の国民(70-50%)が「騙されていた」という主張は事実とは言えないと考えます。「危ないような気がしていたけど、これ程危ないとは考えていなかった」というような感じが正直なところではないでしょうか。

原子力を日本人は「ずっと好きだった」訳ではありません。でも、多くの人は、「安全」が「ずっとウソだったのか」と今気付いた訳でもないのです。

斉藤氏も「やっぱ、ばれてしまったな」と歌っております通り、ウソを知っていたという認識で歌われています。実際、斉藤氏は2000年に原発の臨界事故をテーマに楽曲「青い光」(アルバム『COLD TUBE』収録)を発表しており、その危険性を10年以上前に指摘されています。ですから、今回の「ずっとウソだった」に至られる過程には一貫性があります。 

ただ、懸念されることは、同曲が、日本人は「ずっと騙されていた」というように解釈されてしまうことです。「危ないことを知っていたが原発推進に賛成していた」「なぜならば、これ程危なかったとは知らなかったから」という言い訳よりも、「騙されていた」という言葉はダイレクトに私たちを救ってくれるのです。

もちろん、国民が今回の事故に対し、直接的に責任を取らなくていけない訳ではありません。それでも、私たち(の多く)が今まで原発に反対してこなかった事実は否定できません。 

原発反対運動をされてきたキャンドル・ジュン氏は今回の原発事故後、以下のように話しています。

「僕らは、原発に反対してきたものとして、今、本当に反省しています。何を反省しているかというと、僕たちは結果的に原発を止められなかった。原発に反対していたにもかかわらず、阻止することはできなかったということです」(シネマトゥディ4月9日)。 

原発に反対して来なかった人が、今、反対するのがおかしいと申し上げている訳でもありません。ドイツもスイスも米国でも、かつての多くの原発容認者が、福島原発事故後、反対に回っています。

それでも、私たち(多くの)有権者が原子力発電を今まで容認してきたことを忘れるべきではありません。 

今後、日本が原発を止めるにしても続けるにしても、福島第一原発で起こったこと(起こっていること)、そしてその後の政府の対応をしっかりと検証しなければなりません。東電や政府の責任をはっきりさせるためにも、私たちの3.11以前の認識や立場を曖昧にしてはいけないのです。

斉藤氏の楽曲「歩いて帰ろう」には以下のような歌詞があります。 

嘘でごまかして 過ごしてしまえば
たのみもしないのに 同じ様な風が吹く 

急ぐ人にあやつられ 言いたい事は胸の中
寄り道なんかしてたら 置いてかれるよ いつも
 (1994年発売  シングル「歩いて帰ろう」1995年発売アルバム『WONDERFUL FISH』収録  作詞、作曲 斉藤和義)

私たち一人一人が責任を持って真剣に将来のエネルギー問題を考えていかなくてはいけないのではないでしょうか。

2011年5月16日 12:28

Fukushimaを世界遺産へ

5月7日、日本政府が国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産に申請していました「平泉の文化遺産」(岩手県)について、ユネスコの諮問機関が「登録が適当」とする評価を纏めたことが報じられました。平泉は「世界史上、他の仏教圏では類例の見られない建築・庭園の顕著な事例」があるとし、その普遍的な価値が認められたとされています(毎日JP 5月7日)。

岩手県平泉町は、今回の東日本大震災における被災地でもあるため、マスコミはこの結果を「東北復興の心の灯火に」(産経ニュース 5月10日)、「復興の光、平泉から」(岩手日日新聞 電子版5月12日)、「復興に励み」(NHKニュース 5月7日)と好意的に捉えています。

遺産に対する普遍的な価値が認められ世界遺産に登録されますと、過去の例からも今後、観光客の増加が見込まれます。また、国際的にもより注目されることでしょう。

このニュースを耳にして、普遍性、国際的注目、復興という観点から、私は福島第一原発の将来を考えざるを得ませんでした。

周知の通り、経済産業省原子力安全・保安院は4月12日、福島第一原発の事故が、国際評価尺度(INES)において最も深刻な段階である「レベル7」に(暫定的に)値すると発表しました。史上最悪の原発事故とされる1986年のチェルノブイリ原発事故と並べられたことは国内外に大きなショックを与えました。

早速、地元福島の方からは「こんな評価で有名になってほしくない」(スポニチ4月12日)という意見が出ていましたが、残念ながら3.11以降、「レベル7」評価が出る前からFukushimaは(平泉以上に)海外では有名になっていました。

まだ、事故の終わりが見えない段階でこのようなことを申し上げるのは不謹慎かもしれませんが、私は、福島第一原発(跡)はユネスコ世界遺産に申請する価値が十分あるように思います。

広島には世界遺産として原爆ドームがあります。「二度と同じような悲劇が起こらないように」と1996年「負の世界遺産」として登録されました。

原爆と原発はもちろん根本的に異なりますが、「二度と同じような悲劇が起こらないように」という戒めや願いを込めることは福島第一原発でも同じではないでしょうか。また、今後、世界各国が原発開発を続けるにしても、もしくは止めるとしても、「なぜこの事故が起こったかを検証すること」、そして、「二度と同じような悲劇を起こさせないという決意」は不可欠です。

福島原発は廃炉が決定しています。廃炉にしても、廃炉作業に最短で10年(東芝の佐々木則夫社長、毎日JP.4月14日)、最長で100年(英ネイチャー誌、読売online.4月13日)かかると報じられています。

ですから、現実的に、世界遺産に申請するとしても、それは随分先のことになるでしょう。今後、放射能漏れが止まったとしても原状回復には時間がかかります。世界遺産に登録されたとしても、人々が足を運ぶようになるのは数十年後になってしまうかもしれません。

この時間を活用し、福島がもう一つの顔を持ち、別の意味で世界一になるのはいかがでしょうか。

松本健一内閣官房参与は内陸に5万~10万人規模の環境配慮型のドイツの田園都市をモデルとした都市「エコタウン」を建設し避難住民の移住先とする案を示しました(毎日JP.4月13日)。避難されておられる方々から批判を受けた案ではありましたが、安全が確保され、海岸沿いの地元に戻られて町々を復興されるとしましても、新しい都市造りが求められることになります。

都市計画の素人の私が申し上げても説得力はありませんが、ドイツ型とは言わずに、国家、国民の支援の下、日本の叡智を集め世界最先端の日本型「エコタウン」を建設されるのはいかがでしょうか。

世界遺産にはこの「エコタウン」も(地域として)福島第一原発跡と同時申請していただきたいです。こちらは、負の遺産ではなく、世界のどこにもない世界一の「エコタウン」として、そして、日本と福島が事故を克服した証として。事故が世界最悪ならば、そこからの復興は世界最高レベルになります。その取り組み、プロセスは人類史にはないのです。

天災、人災、どのような経緯があるにせよ、世界最悪の「レベル7」規模の事故を引き起こしてしまった以上、その事実(歴史)を後世の世界の人々に伝える義務が日本人にはあるように思えます。今、私たちが福島と唯一比較できるチェルノブイリ事故が何だったのかを知りたいと思うように、もしかしたら、将来、福島の教訓を世界のどこかで必要とすることがあるかもしれません(それ故に、世界的な遺産なのです)。つまり、福島原発事故を遺産とすることは、原発に反対する目的のみならず、原発開発を安全に推進するためにも有益なのです。

肯定的な普遍性を誇ることよりも、(恥が伴う)負の普遍性を認めることは困難です。しかし、負の遺産から学ぶ教訓は、普遍的な「良き」遺産と同等、もしくはそれ以上に重要なのではないでしょうか。

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プロフィール
安井裕司
安井裕司
エジンバラ大学、バーミンガム大学博士課程に学ぶ。その間、ルーマニア・アカデミー歴史学研究所研究生。国際政治学博士(PhD)。国連大学国際紛争研究所インターン、夏期講習クラスコーディネーター、法政大学国際日本学研究所客員研究員等を経て、現在、早稲田大学エクステンションセンター講師、日本経済大学神戸三宮キャンパス教授。
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