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グローバル化は足元からやってくる ~国際学で切り取る世界と社会~

2018年1月16日 23:24

「絶対悪」と闘うための「絶対善」: 映画『マイネーム・イズ・ハーン』が描く英雄像

観ている時はとても感動しながら、後で何か引っかかる作品があります。

映画『マイネーム・イズ・ハーン』
制作国 インド
制作年 2010年
監督 カラン・ジョーハル
出演 シャー・ルク・カーン, カージョル

あらすじ
【アスペルガー症候群を患うインド出身のイスラム教徒リズワン・ハーンは、ムンバイで生まれ育ったが、母親の死後、米国に移り住んだ弟を頼りにサンフランシスコに渡る。病気からなかなか米国に馴染めないが、何とか化粧品を売り生計を立てていた。そのような中、仕事先で出会ったインド人のヒンドゥー教徒の美容師でシングルマザーのマンディラに出会う。ハーンは、マンディアの一人息子サミールとも友達になり、ハーンとマンディアは結婚する。しかし、直後の2001年9月に米国同時多発テロ事件が発生し、米国中でイスラム教徒が迫害されるようになる。3人は差別の対象となるが、特にハーンという姓になったことで、サミールは学校でいじめに遭い、殺害されてしまう。マンディラは、イスラム教徒のハーンと結婚したことが間違いであったと考え、ハーンに家から出ていかせるために、米国大統領に会って「マイネーム イズ ハーン」,「アイム ノット ア テロリスト」と伝えるまでは帰って来るなと言い放す。】

障がい者のインド出身のイスラム教徒のリズワン・ハーンは、何も悪いことをしていないのに、イスラム教徒というだけで、米国同時多発テロ以降、差別され、悲劇に見舞われます。

それにもかかわらず、ハーンは純粋にストレートに生きていきます。そして、結果として多くの米国人を感動させ、(ネタバレですが)大統領にまで会えるのです。

感動物語なのですが、感動と共に何か引っかかるものがありました。

ハーンは、当然テロリストではありません。アスペルガー症候群を患っているインド系のイスラム教徒です。そして、映画のハーンは、完璧なまでに良き米国市民なのです。

しかしながら、それ程ハーンを良く描いた上で「テロリストではない!」と言わなくてはいけない社会とは、一体何なのでしょうか。

それは、一般の(米国における)イスラム教徒のイメージが悪すぎることの反動であり、そのイメージを覆すために(イメージと闘うために)、障がい者でインド系イスラム教徒のスーパー良い人「ハーン」が必要になってくるのです。

言い換えれば、絶対悪のイスラム教徒のイメージ(偏見)が、絶対善としての「ハーン」の存在を生み出しているのです。テロリストは言うまでもなく、普通のイスラム教徒ではなく、同時にそれに対抗するハーンも普通の人ではいられなく、スーパースターになる必要があるのです。

であるとすると、米国でイスラム教徒への偏見が無くなる時には、ハーンのような「ヒーロー」も消えてしまわなくてはいけないのかもしれません。

2018年1月11日 02:59

NHK紅白歌合戦は、そのマンネリ性を維持するためにプチ変化している

当ブログ2018年1月 4日付にて、今年(2017年12月31日放送)の第66回NHK紅白歌合戦をとりあげました。

視聴率という観点から考えますと、今年の紅白は、歴代ワースト3位【39.4%】という視聴率ながら、その紅白が年間視聴率の1位であったことから、日本人のテレビ離れが進んでいると結論付けられます。

それでは、紅白の内容はどうだったのでしょうか。

紅白の特徴はマンネリ(マンネリズム)です。2年前の第66回NHK紅白歌合戦を語った際(当ブログ2016年1月 9日付)、言及していますが、紅白とはマンネリの中で交わされる「国民的」コミュニケーションなのです。

しかしながら、よく見ますと2年前と今回ではマンネリの「内容」が異なっています。今回、和田アキ子さんの「アッコ!」の掛け声もなく、小林幸子さんの豪華衣装も消えています。物議を醸した森進一さんの「おふくろ」さんもなく、トリを務めたマッチもいないし、何と言っても国民的アイドルSMAPもいないのです。

それでも、マンネリは続きます。

今年も「国民」が「億千万」と叫ぶ!?郷ひろみさんの「2億4千万の瞳」(少子化何とかしないと郷さんがこの歌、歌えなくなってしまう)。いつの間にか出場24回のTOKIOの「AMBITIOUS JAPAN!」。水森かおりさんのプチ豪華衣装。郷ひろみさんと同じくらい変わらない松田聖子さん(今もイメージはお姫様)。氷川きよしさんの「きよしのズンドコ節」も、Xジャパンの「紅」も紅白らしく、マンネリの枠組みに入ってきました。そして、黒柳徹子さんも御健在でした。

紅白歌合戦は、プチ変化(進化?)するマンネリズムなのです。

この変化には、北島三郎さんは2013年のトリを最後に「卒業」するような大掛かりなものと、2012年から2015年まで「女々しくて」を歌い続けたゴールデンボンバーのようなプチ系がありますが(個人的には、ゴールデンボンバーに出演し続けて欲しかったです)、ミクロに観ると結構、激しい流動性があるのです。

本来、マンネリと変化は、根源的に相容れないものです。しかし、紅白歌合戦はそれを「無理なく」(時には無理やり感も出ますが)行っているのです。むしろ、それは、(永遠に)マンネリを継続させるための変化のようにも見えます。

そして敢えて言うならば、変化しながら時の流れに身を任せるかのように、「昭和」の面影は徐々に小さくなっています。

今年のトリは、紅組は、石川さゆりさんの昭和の名曲「津軽海峡・冬景色」でした。この曲のお蔭で、津軽海峡は、冬景色しかイメージできない!

白組は、ゆずの、NHKの2004年アテネオリンピックの公式テーマソング「栄光の架橋」でした。ちなみに、この曲以降、あらゆる五輪ソングはこの「架橋」に挑戦しなければならず、そしてまだこの曲に栄光が輝いていることを、2017年の紅白は表しているのでしょう。

2018年は平成の最後の紅白になります。また、大いなるマンネリと、隠れ見える変化を楽しませてくれることでしょう。

2018年1月10日 02:30

スコットランドとバルセロナと「アヴェ・マリア」

音楽は、その曲を耳にした場所(空間)が記憶に焼き付くことがあります。

年末になりますと、フランツ・シューベルト作曲の「アヴェ・マリア」(エレンの歌第3番)が世界各地で流れますが、私は、この曲を聞くたびに約20年前に訪れたバルセロナを思い出します。

当時、英国・スコットランドのエジンバラ大学に留学していた私は、タブロイド新聞のクーポンを1週間集めると格安航空会社EasyJetのロンドン-バルセロナが「格安」で利用できるというプロモーションを用いて(参加して)、初めて年末のバルセロナ(カタルーニャの首都)を訪れました。クリスマス前のその街は、数々のイルミネーションでとても綺麗に飾られていました。

そして、なぜか数泊の短い滞在だったにもかかわらず、時節柄だったのでしょう、何度もストリート・パフォーマンスの「アヴェ・マリア」を見聞きすることになったのです。この透明感に満ちた曲は、不思議に、バルセロナを飾るガウディの建築物にもフィットし、心に沁み込んできました。

「アヴェ・マリア」は、もちろん、バルセロナともカタルーニャとも無関係です。そもそも、クリスマスにも縁のない曲なのです。。

同曲は、私が学んだスコットランドとは深い関係があり、18世紀から19世紀に活躍したスコットランドの詩人ウォルター・スコットの叙事詩『湖上の美人』(『湖上の麗人』)のドイツ語訳にシューベルトが曲を付けたものです。

物語の舞台は16世紀のスコットランド王国。

狩りで道に迷った青年の国王は「湖上の麗人」と称された美しい娘エレンと出会います。身分を隠していた国王は、厚遇してくれたエレンにお礼として自分の指輪を渡して立ち去ります。しかし、その後、エレンの父は反国王派リーダーとして国王と戦うことになってしまい、エレンの恋人マルコムと共に国王軍に囚われてしまいます。その時、娘のエレンがマリア様に助けて欲しいと願い「アヴェ・マリア」を歌います。そして、(指輪を持っている)エレンと再会した国王は、政敵であるエレンの父と恋人マルコムを許すのです。

ご存知の通り、現在、バルセロナがあるカタルーニャは、スペインからの独立を訴える人々が約半数を占め、政治的な緊張関係が続いています。約半数はスペイン残留を望み、独立運動が高揚しながらカタルーニャ自体が分裂しているのです。

仮に独立しても、もしくは、スペインに留まっても、いずれのケースにおいても亀裂は残ります。私は、政治現象を文学的(ロマン主義的)感覚を持って語るのは適切ではないと考えますが、今のカタルーニャは、カタルーニャに住む全住民(家族、恋人、友人)を救うため、誰かが、この透明感に満ちた「アヴェ・マリア」を歌わなければいけないのではないでしょうか。

音楽には、スペイン、カタルーニャ間、そして、カタルーニャ国内を、大きく引き裂く溝を修復するような力はないかもしれません。それでも、同曲は、人々にちょっとした「休戦」ぐらいはもたらすような気がします。

2018年1月 9日 04:43

窓からの「まなざし」から観客の「まなざし」へ: 映画『裏窓』における「日常」の観察

何度見ても、面白いと感じる映画があります。

『裏窓』(原題 Rear Window)
制作国 米国
制作年 1954年
監督 アルフレッド・ヒッチコック
出演 ジェームズ・ステュアート, グレース・ケリー

あらすじ
【ニューヨークのグリニッチ・ヴィレッジの集合アパートに住むカメラマンのジェフは、仕事の事故で片足を骨折してしまい、自分の部屋で療養している。何もすることがない彼は、暇つぶしに窓から向いのアパートの住人たちを眺めていると、ある日、反対側の部屋のセールスマンの夫と口論をしていた病床の妻の姿が消えてしまう。ジェフは、恋人のリザと看護人ステラの協力を得て、セールスマンが妻を殺した証拠を突き詰めようとするが、友人のドイル刑事に信じてもらえず、3人は自ら「捜査」を展開することになる。】

あまりにも多く語られてきた作品であり、何かを付け足すことが難しい程です。

主人公のカメラマンのジェフは、そのカメラでアパートの住民たちに、それぞれあだ名を付けながら「日常の物語」を覗きます。

いつも1人の寂しい「ミス・ロンリーハート」。男性に囲まれて過ごすモテモテの「女王蜂」。毎晩、ピアノを弾く作曲家志望の青年、人の目を気にせずに部屋でセクシーに踊るバレエダンサー志望の若い女性。窓を閉め続ける新婚夫婦。犬を愛でる老夫婦。そして、病気の妻を殺害したのではないかとジェフたちが考えるセールスマンが登場します。

ここで、ジェフのカメラは一方的です。ミシェル・フーコーが社会の統治の方法として全展望監視システム「パノプティコン」を用いたように、ジェフのカメラはアパートの住民たちを捉えていきます。ジェフがシステム的に統治している訳ではないのですが、観客にはジェフのカメラを通じて、全体を把握するのです。

しかし、ジェフはセールスマンの「事件」に巻き込まれることで、自らアクターと化します。彼の戦友のドイル刑事が信用してくれず、現実の「統治のシステム」が機能しないのです。

「まなざし」が変化し、アクターとなったジェフと恋人リザ、看護人ステラの3人は、アパートの「住民」と同様の存在になっていきます。そして、最大の危機が訪れた後、ネタバレですが、ジェフはもう1本の足を骨折し、「まなざし」はまた変化します。

そして、最後はジェフの「物語」に焦点が当てられます。殺人事件等なかったかのような空気の中で、ジェフとリザのおしゃれで美しく、なぜか滑稽な彼らの「日常」が映し出されていきます。

このラストシーンで、ジェームズ・ステュアート(ジェフ), グレース・ケリー(リザ)の「日常」を覗いているのは贅沢にも私たち観客だけになります。

2018年1月 8日 01:13

学会は、研究者が自由意思で発表するもの

先日、中国での国際シンポジウムに参加したことは、ご報告しました(当ブログ2017年12月25日付)。

その国際シンポジウムは、学会形式で、共通論題の他に8つの分科会が開催され、私はその一つの座長を務めさせて頂くことになりました。

私が担当した分科会は11人の発表が予定されていましたが、何と3人の中国人研究者が当日現れず、8人のみで発表が行われました。そして、座長の私がだらしないこともあり、1人の発表が数分ずつオーバーして進んだのですが(皆様、素晴らしい発表をして頂きました)、結果として不思議なことに予定された時刻に終わりました。

後に、他の分科会の状況を伺ったのですが、やはり1人、2人が来られないケースがあったそうです。しかし、どこも欠席者を計算していたかのように、予定通りに終わったそうです。

その国際シンポジウムの名誉のために申し上げれば、参加されておられた中国の研究者に伺ったところ、中国で開催される学会では、発表者が「お休み」になられることが、少なからず見られるそうで、今回が特別な状況ではないそうです(このシンポジウムに関しても、殆ど全ての発表者は参加されておられますので、その点は誤解されないでください)。

帰国後、私は、日本の経営系の学会の会長をされたある先生に、年末のご挨拶をする機会がありました。その際、私は中国での国際シンポジウムの成果を報告することになり、その流れで「こちらは日本から足を運んでいるのに、中国の研究者が来られないのはどうしてなのか」と、その先生に愚痴ってしまいました。

すると、私よりも二回りも年上のその先生から「そんなことで、怒ってはいけません」、「あなたはいい経験をしたんですよ」と逆に、私が窘められてしまいました。

「どうしてですか?」と私がお伺いすると、先生は「中国は広しい、日本から来るよりも不便なところもあるだろうしね」、「しかしですね。それでも、本当に発表したい内容があるならば、這ってでも来ますよ」、「結果的に、素晴らしい発表だけ、聞けたってことですよ」と諭されたのです。

考えてみますと、そもそも、学会とは英語でAssociationの翻訳であることが多く(Society for ○○の場合もありますが)。Associationとは、研究者の自由意思の「結社」を意味します。そして学会発表とは、研究者が自由意思で集い、自らの研究を発表するのが本来の姿ではあります。

そういう意味では、中国の学会にある(エントリーしながら来ないことを100%納得した訳ではありませんが)来たくなければ来なくても良いという大きな心構えは、結構、学会の原点であるようにも思えてきました。

何よりも、中国での経験と、日本で私がお世話になっている経営学者(上記の先生)との会話によって、学会とは「自分の研究成果を聞いて欲しい」という強い気持ちで臨むという基本を、改めて認識することになりました。

まずは、皆さんに聞いて頂けるような研究をしなければいけませんが。
プロフィール
安井裕司
安井裕司
エジンバラ大学、バーミンガム大学博士課程に学ぶ。その間、ルーマニア・アカデミー歴史学研究所研究生。国際政治学博士(PhD)。国連大学国際紛争研究所インターン、夏期講習クラスコーディネーター、法政大学国際日本学研究所客員研究員等を経て、現在、早稲田大学エクステンションセンター講師、日本経済大学神戸三宮キャンパス教授。
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