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        <title>チェンジ　ザ　コミュニケーション　～多様性を楽しむコンフリクト・マネジメント</title>
        <link>http://www.quon.asia/yomimono/business/change-communication/</link>
        <description>【by 鈴木有香】　意見が違うって、悪いこと？コミュニケーションの達人・有香ピーが、ストレスフルな日常生活を楽しく変える！</description>
        <language>ja</language>
        <copyright>Copyright 2010</copyright>
        <lastBuildDate>Fri, 05 Mar 2010 00:42:06 +0900</lastBuildDate>
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            <title>第５２回　和食の伝統・・・・</title>
            <description><![CDATA[<p>両手で抱えても回らない大皿の赤い花模様が河豚の刺身から透けて見えます。そして、箸を３０度傾け、その刺身をずっずーと滑らせるようにして挟んだ鈴木有香です。</p>
<p>感涙・・・・・・・</p>
<p>これが噂の「ふぐ刺し」</p>
<p>東国からの私はまさかこれを経験できるとは夢にも思っていませんでした。</p>
<p>今回の研修は山口県湯田温泉という風雅な場所でした。しかし、そこに直接行くだけではつまらないと思った有香Pは、広島に途中下車し、パワースポット「厳島神社」と牡蠣三昧して、身を清めてから山口入りをしました。</p>
<p>それで、日本的な旅館食などを堪能していたのですが、器に盛られた小さな一つ一つの野菜や魚の料理がなんといとおしかったこと。肉はほとんどありません。生野菜のサラダもありません。しかし、おひたし、煮物、蒸し物、和え物、香の物と野菜たちは顔を変えて登場します。</p>
<p>なんと豊かな食卓でしょう！</p>
<p>コンビニの３０品目サラダなどなくても、十分な野菜でお腹が満たされる至福の瞬間。</p>
<p>考えてみると、「ふぐ会席」にしても、「から揚げ」以外、あまり油を使っていない！<br />和食がヘルシーだというのを旅館の料理で再確認する自分も悲しいですが・・・・。</p>
<p>でも、いったい家庭料理となるとどうだろう・・・・と考えると・・・・・。</p>
<p>実はこの確定申告シーズン、書類整理の苦手は有香ちゃんは研修受講生だった税理士おじさんに呼びつけられ、彼の事務所が閉まった後、夜な夜なそこで入力作業をしています。<br />そして、１９時半くらいになると、税理士おじさんのお母様が私に夕食を運んでくださるのですが、これがまあ、天晴れなお袋の料理。</p>
<p>ご飯、味噌汁、お新香の他に、焼き魚、おひたし、かぼちゃの煮物、切り干し大根、桜海老入り野菜サラダというのが今日のメニューなんですが、毎回、様々な野菜料理が登場します。</p>
<p>そういえば、祖母もこんな風に毎回食事を作っていたなあ！なんて思いながら、拡大家族風のにぎやかな食卓を思い出します。</p>
<p>祖父の家は自営業で、２，３人の従業員も雇っていた頃、祖母は従業員の人のお昼ご飯も作り、そして、家族のための晩御飯を作っていました。私は両親が共働きだったので、祖父母の家に預けられていたので、その頃は祖父母、伯父、伯母、泊り込みの従業員と私で食卓を囲んでいました。料理の数もいろいろあったように思います。</p>
<p>祖母はラーメン、冷やし中華もスープから作る人でした。うどんも手打ちです。いつも、いろいろな料理を並べていました。たくさんの人に料理を喜んでもらうのが好きだったと思います。また、家庭にたくさんの人がいると、食材も豊かになるのかもしれません。</p>
<p>祖母が亡くなって、祖母のラーメンや冷やし中華のレシピは失われました。これは一つの文化が滅んだことになるのでしょうね。</p>
<p>家庭の食事の原風景が今後どんな風に継承され、私たちの食卓のコミュニケーションが成立するかの基本に「家族」があるのだろうなと、ふっと思う今日１日でした。<br /></p>]]></description>
            <link>http://www.quon.asia/yomimono/business/change-communication/2010/03/05/2236.php</link>
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            <pubDate>Fri, 05 Mar 2010 00:42:06 +0900</pubDate>
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            <title>第５１回　７１０円の冷気</title>
            <description><![CDATA[<p>久しぶりの高気圧が日本を覆った水曜日、私は阪神電車の岩屋駅に降り立ち、「あ、なんかここ来た事がある？」と感じた鈴木有香です。<br />地図を見ながら、今日の研修会場に行ったらびっくり、数年前に私が初めて関西で研修をした場所でした。そんなおりに、私の関西デビューのきっかけをくださった関西大学の先生から、「今年の夏も関大の大学院の夏期の集中講座やりませんか？」というメールを受信し、不思議な偶然を感じました。</p>
<p>今回は短時間の研修だったので荷物が多くなかったのですが、やはり関西にはおいしいものが多いので、ついお土産でいろいろ買ってしまいます。それで、最寄の駅から自宅はけっこうタクシーを利用してしまうことが多くなります。しかし、地方を回っていると、東京の７１０円のタクシー料金は異常ですね。</p>
<p>それで、７１０円分のサービスとはなんだろうかと考えてみました。</p>
<p>私が一番タクシーの料金を損したと思う瞬間は降りるときです。<br />１０台のうち、７台くらいの運転手さんの対応はこんな感じです。</p>
<p>１）&nbsp;車を止める。<br />２）&nbsp;運転手は領収書を切り取るのと同時にドアを開ける。<br />３）&nbsp;私がお金を数えて、料金を渡す。<br />４）&nbsp;運転手からお釣りと領収書をもらう。<br />５）&nbsp;私はそれを数え、財布にしまい、荷物を確認して降りる。</p>
<p>この手順で何が嫌かといえば、（２）の段階でドアを開けられることです。</p>
<p>冬は寒いので冷気は入ってくるし、夏は蒸し暑い風が入り込んできます。</p>
<p>お金を数え、領収書をもらう、４０秒程度の間に、居心地のいい空気が壊され、とても残念な気持ちになります。特に、冬場の冷気は「この暖かい空間のために料金払っているのに！！」という気分になります。しかも、風が強いときはお金を数えたり、領収書をお財布に入れるのがやりにくいのです。</p>
<p>運転手さんにすれば、ドアを開けるレバーと領収書を切る場所などが近く、あくまでルーティンな動きなのでしょう。しかし、接客業であるなら、「客の快適さ」に対して多少なりとも配慮するのがプロというものじゃないかと思います。自分の慣れ親しんだ動作ではなく、お客の動作に合わせてドアを開ける余裕を見せてもらいたいものだと思います。</p>
<p>これもやはりコミュニケーションではないでしょうか？　相手をどう遇するのかということは決して言葉だけではなく、相手のタイミングに合わせるという基礎的な問題にも思われます。</p>
<p>様々な職業にはその職業上、身についた動作とか、考え方とかありますが、それが相手となる客のニーズに合っているわけではないことがあると思います。これは決してタクシーの運転手さんだけの問題ではもちろんありません。</p>
<p>私のような「教える」仕事の場合は、「自分はこの授業を聞いていて、眠らないだろうか？」、「座っているのが苦痛ではないだろうか？」、「身体の細胞が動くような感覚を与えているだろうか？」なんてことを考えて、私は仕事をしています。</p>]]></description>
            <link>http://www.quon.asia/yomimono/business/change-communication/2010/02/26/2232.php</link>
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            <pubDate>Fri, 26 Feb 2010 00:07:51 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>第50回　下町気質</title>
            <description><![CDATA[<p>東京の山手線の駅の中で一番地味な駅、田端が故郷の鈴木有香です。田端の山の手のほうは、昔、芥川龍之介とか室生犀星などの文士たちが住んでいたところでもありますが、坂の下は日暮里あたりから続く下町風なところです。そうはいっても区画整理があったり、マンションが建ったりで、昔風の路地などの情緒が漂う風景はほとんどなくなっています。</p>
<p>そして、私の小学校のときの同級生たちはいい親父になっており、PTAなどにも参加しているようです。また、町内会の青年部に入っている話なども聞くことがあります。メガネ屋さん、鋼屋さん、納豆屋さんなど、家業を継いだ同級生も少なくありません。</p>
<p>ここ３、4年、納豆屋の修ちゃんが年末に築地で買った食糧を分けてくれます。いつももらってばかりで悪いな、どうしようと思っていたら、「そうか、自分の出張のときの地方の名産物をお返しにしよう。」というアイディアが浮かびました。それでさっそく、先週の新潟出張のお土産をもって、16時頃、修ちゃんのお店に入りました。</p>
<p>「これ、新潟のお土産」という前に、修ちゃん、「なんだ、鈴木、今頃遅いぞ。」と一言、そして、「あ、お前、納豆持っていく?」<br />「これから、歯医者に行くから・・・。」と私。<br />「じゃあ、帰りに寄れよ。」という短い会話。</p>
<p>歯医者の帰りがけに寄ると、<br />「まさか、今日、その日に取りに来るとは思わなかったよ。　お前、ほんと、ずうずうしいな。」と言いながら、冷凍室に納豆を取りに行ってくれる修ちゃんでした。</p>
<p>上から目線のぶっきら棒な応対が修ちゃんなのですが、いかにもな下町風のやりとりなので、心が和む私です。</p>
<p>その言葉とは裏腹に、修ちゃんは素敵な人助けをします。去年の夏は、私の保育園からの友人の美恵子ちゃんのお父さんが痴呆症になり、徘徊しだしたとき、修ちゃんは車を出して、いっしょに引き取りにいったり、老人ホームに入所させるときも、お手伝いしたそうです。修ちゃんの親身の世話は今の都会の人には信じられないようです。</p>
<p>「まいったよ、それで、美恵子ちゃんの親戚やら会社の人たちが、俺とあいつの関係を疑いだしちゃってさ！！気持ち悪いったらないよ！」と迷惑顔で話す修ちゃん。</p>
<p>口が悪いけど、人情がある下町気質の修ちゃんがそんな誤解を受けてしまうのも現代社会が病んでいるということなのでしょうか。</p>
<p>他にも同級生のお母さんの入院を手伝ったり、お嫁さんの愚痴を聞いてあげたりと、修ちゃんは困った人に、言葉はきつく、態度は優しく寄り添います。</p>
<p>そして、年末に思い出したかのように私に築地からの食料を分けてくれます。「あ、これね。エーちゃん(元同級生)にもらったからさ、お前にもやるよ。」なんて言うのですが、そんな暖かい気配りが冬の寒さを忘れさせてくれるます。　</p>
<p>風景は変わっても、私たちの世代には、まだわずかに下町気質が継承されていることを修ちゃんの中に確認できることは日常生活の中のささやかな喜びです。<br /></p>]]></description>
            <link>http://www.quon.asia/yomimono/business/change-communication/2010/02/20/2223.php</link>
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            <pubDate>Sat, 20 Feb 2010 04:33:37 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>第49回　みんなが本当に同じに扱われること</title>
            <description><![CDATA[<p>今年初めての即興カニクラブ（<a href="http://kaniclub.com/">http://kaniclub.com/</a>）に参加してきて、大感動状態に浸っている鈴木有香です。カニクラブというのは、日本でも初期にインプロ（即興演劇）を学んだ俳優でもあり、現在は演技指導にも活躍されている吉田敦さんの主宰するワークショップです。ここ3年くらい行けるときに通っています。</p>
<p>日曜日のカニクラブはプロの演劇人を養成する場ではないのですが、そこの参加者全てが相手を快く受け止め、よりよいコミュニケーションの場を提供しようという心に満ち溢れた場でなのです。その場を作り上げているキーパーソンが吉田敦さんであり、一瞬にして彼の素敵なファシリテーター・マインドを魅了された私でした。そして、彼の偉大さが先週さらに確認でき、私も自分がまだ未熟者であることを実感したのです。</p>
<p>その日は目が見えない方が一人参加していたのです。インプロではパントマイムや動作が入るものもあるのですが、その日はそうした活動はできません。それで、敦さんが何をしたかというと、全員にアイマスクをかぶせたのです。もちろんその目の見えない方もお揃いのアイマスクをつけて参加しています。</p>
<p>そう、全員が同じ状態になる！！ということを限りなく追求した設定はもう見事としかいえません。目が見えない人にアイマスクをつけさせるという発想は私にはありませんでした。でも、おなじ小道具を身に着けて参加することがまた、一つの配慮なわけです。</p>
<p>そして、様々な活動が始まりました。視覚が完全にない場合、聴覚や触覚がたよりです。人の声の向きや大きさから、真っ暗な中で私に語られることに気がつく。<br />みんなで、「しりとり」をやっている時、言葉の一つ、一つが語られるとき、私の頭の中には一つ、一つの映像が浮かんできます。視覚があるときは、そんなことは起こったことがありません。<br />そして、言葉のパントマイムのような形で「職業あて」クイズ。さて、以下の文をその人らしく音読してみましょう。だれだと思いますか？</p>
<p>問１「へい、いらっしゃい、いらっしゃい、今日は安いよ！」<br />問２　「ほらおつり、300万円！」<br />問３　　「ギーコ、ギーコ、パッシャ、ポンポンポン・・・（背景の音）」<br />　　　　A「（パシャー、）ヒュー、ヒュー（息を吸い込む音）」<br />　　　　B「ん、ん、これじゃあ、少ないよ。もう一度・・・・・」<br />　　　　　「バシャーン」</p>
<p>回答はあくまで、その場の演技者の意図したものですが・・・・。<br />問１（魚屋）、問２（八百屋）、問３（海女とその夫）でした。</p>
<p>このような活動から、みんなでお話を作る（ただし一人1単語しかいってはいけない）など、複雑な言語的即興演劇になっていきました。<br />だけど、もう、私はこれ以上にないくらい大声をだして笑ってしまいます。本当に意外性とみんなの想像力に感動しているからなんです。</p>
<p>そして、約2時間半後、アイマスクを取ると、心が澄み渡っている感じがしました。何か全てがクリアーな感じ、脳がすっきりリラックスしたような本当に気持ちのよい感じを得ました。</p>
<p>五感のうちの一つを取り去るだけで、他のあらゆる感覚が繊細になっています。</p>
<p>こうした経験ができたのもカニクラブの主宰の敦さんが、「みんなで楽しく！」を本当に追求したこと、あらゆる人々への愛情があるからなのだと思います。</p>
<p>ビジネスでは異なる人々を排除するのではなく、その全員を巻き込むというマネジメント（包括管理、インクルージョン）が重要になっています。本当にそれをやるということは、敦さんが目が「見えないからできない」という発想ではなく、「目が見えない人とそうでない人が同じ状態になり、活動する。」ために真摯に考え、リハーサルをしていたという発想の転換と実行力なのだと思います。</p>
<p>私は教育者としてのさらなる精進について、考えた日曜日でした。</p>]]></description>
            <link>http://www.quon.asia/yomimono/business/change-communication/2010/02/12/2214.php</link>
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            <pubDate>Fri, 12 Feb 2010 22:08:23 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>第48回　省略の美学？誤解？</title>
            <description><![CDATA[<p>出張が増えると体重増加が怖い鈴木有香です。2月の予定は新潟場所、山口場所、神戸場所、そして名古屋場所と巡業が続きます。私は日本語では全くバイリンガルではなく、東京標準の言葉しか使えませんが、地方へいくたび、アクセントやイントネーションの違い、語彙の違い、微妙な文法の違いに興味をもってしまうのは、昔学んだ社会言語学やバイリンガル教育の影響かもしれません。</p>
<p>吉本芸人の影響で、ある種の関西弁はメディアによく登場するのですが、いざ私が真似してみても、ネイティブの耳はごまかせません。まあ、そうですよね。一般に外国語を学んでネイティブ通りに話せるのは9歳から14歳くらいまでにその言語の音を十分に聞いて、微妙な音の区別ができないと、発音ができないのです。かつて米国の国務長官をしていたヘンリー・キッシンジャーも、14歳の頃に米国に移民して来たので、最後まで彼の英語には微妙な外国語アクセントが残っていたそうです。だけど、発音に癖があるからと言って、言葉が通じないわけではありません。</p>
<p>しかし、単語が全く異なったり、その話される状況がわからなければ、日本語だって全くわからないのも現実です。</p>
<p>状況：高校生の息子が部活を追えて、18時半に帰宅した。<br />母「け」<br />息子「く」</p>
<p>さて、何と言っているでしょうか？<br />翻訳すると、<br />母「食べる？」<br />息子「食べる。」<br />ということであると言うのを秋田県や青森県出身者の人に教わりました。</p>
<p>まさに、省略の美学です。俳句を超える短さです。<br />主語も目的語もなく、動詞だけで会話が成立する日本語ですが、さらに動詞が１つのひらがなに置き換えられることが、驚きです。東北恐るべしです。</p>
<p>こうした短い会話が成立する条件は会話する当事者が「言語情報」以外のものをたくさん共有していることです。母は「息子が部活をして、だいたいこの時間にお腹を空かせて帰ってくる」という情報がわかっており、息子も「家で、夕食の準備をするのは母である。」<br />ということがわかっているからなんですね。少なくとも、会話の当事者同士にとって、５W1H的な事実はかなり明白であるのです。</p>
<p>もし、話されている状況や人間関係がわからず、第三者的に会話を聞いていたら、次の会話ではどんなイメージを皆様は持たれるでしょうか。</p>
<p>男の声「（はぁはぁ）、いける？」<br />女の声「（はぁはぁ）、うん、もう少し。」<br />―間―<br />男の声「大丈夫？」<br />女の声「（はぁはぁ・・・んー）、まだ、まだ。」<br />―間―<br />男の声「後、少しだね。」<br />女の声「そう・・・、そこ、そこ！」<br />男の声「やったね！！　二人でゴールに向かおう！」</p>
<p>＜作者の解説＞<br />マラソン大会に参加したカップルがゴール直前2分間に語った会話です。</p>
<p>結局、会話している当事者と共有する情報や状況が少ないと、多くの人は勝手にイメージしてしまいがちです。だから、調停する人、ミディエーターとか本当に難しい仕事だと思います。</p>]]></description>
            <link>http://www.quon.asia/yomimono/business/change-communication/2010/02/05/2203.php</link>
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            <pubDate>Fri, 05 Feb 2010 08:08:22 +0900</pubDate>
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        <item>
            <title>第47回　奇跡の土曜日</title>
            <description><![CDATA[<p>つい最近、生まれて初めてのヒッチハイク（？）を経験した鈴木有香です。それは1月23日土曜日の朝、寒いので駅までバスに乗ろうと思っていたところ、バスが視界に入りました。思わず、100メートルダッシュで、バス停に向かいました。ところが、私がバスのドア前に立った時、ドアは閉まってしまいした。運転手に気がついてもらおうと、ドアをノックしましたが、運転手はあっちの方向をみて、信号が青になるのを確認して、バスを出発させたのです。</p>
<p>「何だよー！」とやや憤りを感じて、「仕方ない歩くかな・・・」と思っていたら、後ろから、車の窓をあけて、「どこまで行くの？」と私に声をかける男性が！！<br />「え、（車の中の人を見て）、田端駅ですけど・・・」と、答えた私。<br />「じゃあ、乗せていってあげるよ。」と男性は言うのです。もちろん、身も知らずの方です。<br />「えっえー！」と、見た目、70歳以上の男性の申し出に対して、返事をする間の2秒間私はこんなことを考えました。</p>
<p>・&nbsp;爺さんだ！<br />・&nbsp;私は別に美女ではない。<br />・&nbsp;ナンパや怪しいことの目的ではないだろう。（火曜サスペンスのイメージよぎる）<br />・&nbsp;これは親切なんだ。この心を拒むのはよくない。<br />・&nbsp;ここはニューヨークじゃない、田端、下町、私の本拠地。<br />・&nbsp;何かあっても、逃げられるだろう。<br />・&nbsp;大丈夫だ。爺さんの心を受け止めよう。何かあっても、逃げる力はあるぞ！</p>
<p>「じゃあ、お願いします。」と私は男性の車に乗りました。<br />「さっきの一部始終、見てたよ。バスもひどいよね。だから、声かけたんだよ。」とお爺さん。</p>
<p>有香の声「ありがとうございます。地獄に仏はこのことですね。」<br />有香の<strong><em>心の声</em></strong>『親切な人の申し出に対し、最悪の状況とか、人を疑うような気持ちを一瞬たりとも持ってしまった自分って、やっぱり人間関係が希薄になり、信頼感の減った都市型社会の影響を受けているんだ。これは悲しいよな。』</p>
<p>浪曲「忠臣蔵」を聞きながら、田端駅で降ろしてもらい、その後、早稲田総研でのミディエーションの研修に向かいました。</p>
<p>今回の研修は、前々から私の研修を見学したいと言っていた八代京子先生がオブザーバーでいらしていました。八代先生というと、異文化コミュニケーション学関係や英語教育関係の分野だと、<span style="FONT-FAMILY: HGｺﾞｼｯｸM; COLOR: #333333; FONT-SIZE: 11pt; mso-hansi-font-family: Arial; mso-bidi-font-family: Arial; mso-ansi-language: EN-US; mso-fareast-language: JA; mso-bidi-language: AR-SA">かなりの大御所です（先生ご本人はこういう表現は大嫌いですが）</span>。でも、本当は80年代初頭からミディエーションを日本に広めたいと考えていた方であり、ミディエーションの理論と実践と教育方法にも深い理解のある方です。</p>
<p>そんな京子ちゃん（研修の時の呼び名）がいるので、せっかくだから受講生の前でミディエーションのモデルをやってもらおうということになりました。（授業の3分前！）当事者役は私とお千代です。<br /><strong><u>二人とも暴れるつもりは十分にあったのですが</u></strong>、あらら・・・・。</p>
<p>ミディエーター京子の薄桃色オーラに絡め取られて、暴れられないのです。<br />だけど、受講生が言っているように、決して強制がない！！<br />合意が形成され、人間関係の肯定的な変容を受講生と共に私は体感していました。</p>
<p>そう、この八代観音の雰囲気を感じ取ってほしい。ここがミディエーションのスタートであり、目指す方向なのだと。言葉じゃない、スキルじゃない、何かとっても大切なものを受講生も私も全員で共有していたように思えます。</p>
<p>八代先生が去った後、ロールプレイの質が今までの研修とは全く異なりました。私も何か魂の交流のようなものを目指して、ワークを変更していました。そして、受講者一人ひとりの意識やコミュニケーションが見える形で変わって行きました。　その日の2つ目の奇跡です。</p>
<p>分析可能なスキルや言語形式の習得も重要ですが、清濁、正誤、相違、全てを受け止め、みんなの幸せを願うような精神性を具現化することが、ミディエーションやADRであるとも置き換えられるのではないでしょうか？　そんなひらめきを得た土曜日でした。</p>]]></description>
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            <pubDate>Fri, 29 Jan 2010 01:56:02 +0900</pubDate>
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        <item>
            <title>第46回　わかって、お願い！！</title>
            <description><![CDATA[<p>今、研修を終えて帰ってきた鈴木有香です。私がやる研修は、「異文化」、「多様性」、「コンフリクト」、「ミディエーション」、「リーダーシップ」などいくつかタイトルはあります。紹介する理論とか概念は多少異なりますが、基本的なところは、「異なりや違いを肯定的に受け止める心を基礎に、人間同士が協力しあえるコミュニケーション力の育成」と要約できるように思えます。</p>
<p><br />だから、単なるコミュニケーション・テクニックを紹介するより、いろいろな体験を教室の中で行いながら、「これって、どんな意味があるのだろう？」、「どんな気持ちが根底にあるだろう？」と受講者同士で話し合って、様々な視点を共有しあう時間を大切にしています。</p>
<p><br />ただーし、「体験」とはと言われると、最近はどんどん「か・ら・だ」の問題に入っていて、空想のボールを投げあったり、ペアでジェスチャーをまねあう鏡のエキササイズ、手裏剣飛ばしなどなど、身体を使う、カロリーを消費するエキササイズが増えていっています。というのも、心や身体は確実につながっていて、「頭」でどうこうできないところが多いので、そういった様々な感覚器、身体を使うことがコミュニケーションではとても重要だからです。</p>
<p><br />そうして、体感をもちつつ、頭脳でもトレーニングという研修なので、正直いって、老化の途上にある私自身、けっこう体力を使っているので、研修では必ずアシスタントと一緒にやっています。そのアシスタント第一号がお千代なんです。色白で、瞳のくりくりしたショートカットのガッツのある謙虚な女性です。</p>
<p><br />そんなお千代から、研修の前日に「有香さん、発熱、インフルエンザかも・・・」という連絡が・・・・。</p>
<p>今回の研修は「エコトノス」という複雑な活動があり、これは経験をつんだ優秀なアシスタントが2名が必要条件なのです。</p>
<p><br />「わかった。気にせず、ゆっくり養生せい！！」とお千代に言って、すぐに、できそうなアシスタント（職場の上司を含む）に電話をかけまくる私。しかし、金曜日の夜に、翌日の予定を聞くなんて・・・・。もちろん、だれも土曜日が、あいている人はいませんでした。<br />そうして、ふと、私は考えました。「ナカオだ！」</p>
<p>「ナカオ」というのは弟の名前です。ちなみに彼は実は高校の教員です。「とりあえず、20名程度の人に指示をする、説明をする、質問する等の基本スキルは職業上できる！しかも、自宅にいるので、これから、深夜にかけて、無理やりリハーサルができる！！」というのが姉の狙いでした。幸い、弟の予定はあいていましたが、「いやいや」感はぬぐえず、しかも、「これは高くつくよ！」と脅される始末！</p>
<p>しかし、背に腹はかえられず、弟を拝み倒しました。そして、深夜のトレーニング開始です。そして、翌日は完璧なアシスタントとして働きました。<br />ただ、高校教員の弟は「いわゆる授業」ではなく、体験を伴いつつ、参加者のディスカッションと通じ、気づきを共有しながら進む授業は、初体験らしく、教授方法そのものに驚いていたようです。</p>
<p>しかも、家庭においては、整理整頓は苦手だし、論文書いているときに、こがした鍋とヤカンは数知れず、屁理屈＆力技で弟をいじめた過去のある姉が、研修場所で、受講生の発言にあわせて、関連する専門の理論を補足している姿を見て、あっけに取られていたようです。</p>
<p>私も「嫌だなー。」こんな姿見られて、後で家で「ゆうちゃん、教室ではかっこいいこと言って、本当はぜんぜんできないジャン！」とか言われるんだろうなー（トホホ）という気分でした。</p>
<p>何が言いたいかというと、人間どんな状況でもオールマイティーではないんですよね。どこかで立派に責務を果たそうとすると、どうしても抜けてしまうところがあって、それが「家庭」だったりするわけです。</p>
<p>ビジネス場面では優秀な人が家庭になると単なる濡れ落ち葉とか粗大ゴミにしか見えなくなるのもうなづけませんか？</p>
<p>同一人物が異なる状況や場面で全く違った顔を持つというのも人間の性なのかもしれません。</p>
<p>頼む！弟よ。私を理解して！！<br /></p>]]></description>
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            <pubDate>Fri, 22 Jan 2010 21:12:39 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>第45回　新年の抱負</title>
            <description><![CDATA[<p>明けましておめでとうございます。<br />今年もよろしくお願いします。<br />2010年が皆様にとって素晴らしい年になりますように！</p>
<p><br />なんとなく、今年は違う角度からの自分を知ることができそうな妙な予感を感じている鈴木有香です。なにかこう、米国生活を終わらせる時に感じたことに似ているのですが、「私がやろう！」と思うことではなく、場や環境みたいなものが「この方向に流れなさい。」と言っているような状況です。</p>
<p>多分、３年までの自分は「こうしたい、だから、今、これをやらなければならない。」、あるいは「こういうことは多分、してはいけない。ここまではやってもいい。」という意識のコントロールが、まだ強くあったと思います。そして、「こうしなければならない！」という意識がなければ、多分、米国での7年間の生活でサバイバルできなかったとは思います。また、私の幼少期の家族状況などを考えても、強く自分の感情をコントロールして、自分を律して行動することのみを背負わされていたようにも思います。</p>
<p>ただ、それで、本当に幸せだったかとか楽しかったかというと、そうじゃなかったのです。<br />どこか木の檻に閉じ込められていたような感じがありました。がむしゃらに、仕事もできたのかもしれませんが、今思うとかなり「追い詰められている」感じです。</p>
<p>「これはまずい！何か自分が責任とか義務と関係なく、楽しいと思うことをやらなきゃ！！」<br />ということで、始めたのが、演劇のトレーニングでした。そして、全く異なる業界の人々との交流、次第に不思議なネットワークができてきました。NLP、プロセスワークの出会いもそのネットワークに関係しています。</p>
<p>そして、去年から、自分が意図しないときに、生まれて初めての経験をするようになりました。</p>
<p>①&nbsp;お酒を飲んで記憶を失う！<br />②&nbsp;友人に自分のためのパーティーをやってもらう！<br />③&nbsp;自分から男性を飲みに誘う！<br />④&nbsp;両親宅にいきなり電話をかけ、友人を連れ込んで宴会をする！<br />⑤&nbsp;自分のことで涙を流す！<br />⑥&nbsp;友人に添い寝をしてもらう！<br />⑦&nbsp;父に初めて「有香はいい子だ、大好きだ。」と心の底から言ってもらった！<br />⑧&nbsp;飲みつぶれて友人宅に押しかけ外泊！</p>
<p>「通常は20歳くらいまでには全ては経験していることだよ。」と友人は言うのですが、本当に全て初めてのことでした！！　<br />この歳になって、初めてのことがたくさんあるというのも嬉しいことです。</p>
<p>新しい感覚が私の身体に広がっていくのです。</p>
<p>これをきっかけに、今年は「自分について、しっかり見つめなおし、自分の感情に対して素直な行動ができるようになりたい。」と思うようになりました。<br />不惑をすぎて、「心の欲するところにしたがいて矩(のり)をこえず。 」という人間になるためのプロセスの中に今、自分はいるのだろうと思います。</p>]]></description>
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            <pubDate>Fri, 08 Jan 2010 05:28:24 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>第44回　ゆかぴーのパーソナル総括</title>
            <description><![CDATA[<p>今年は米国発の非白人大統領の就任演説から、日本の政権変動、経済も激動、マイケル・ジャクソンの死など、大きな変化が押し寄せた年でした。でも、マクロよりミクロな個人レベルで振り返ると、「スピリチャル系の女性とB型男性との交流が広がった」と総括してしまう鈴木有香です。</p>
<p>こういう人物区分は全くアカデミックではないのですが、自分を支えてくれたり、新しい視点を提供してくれたり、自分自身の未知なる部分に気づかせてもらったりと本当に今までなかった感覚を体験させてもらいました。</p>
<p>スピリチャル系の女性たちは、仕事に追われ、仕事だけの顔しか持てなくなっていたような私に論理でない感性の潤いをやさしい笑顔で無償で与えてくれました。</p>
<p>たとえば、マダム久美子のボイス・トレーニングでは閉じ込めていた私の感情を引き出し、声にのせて歌い、自分自身の感情と向かいあう機会を作ってくれました。自己成長や人間関係に悩むと、マダム貞子が「今、こんなことが浮かんだの。」と言ってポジティブなアドバイスをくださるのです。</p>
<p>また、私の表情や身体の動かし方、微妙な声のトーンなどを聞き分けるお千代は、私が一番快適にその瞬間を行動できるように公私ともに的確なサポートをしてくれました。人の重心の位置と感覚が読めるChokoさんには、研修の受講者に適した活動を提供することを教えてもらったり、効果的なロールプレイの方法のヒントをいただきました。</p>
<p>彼女らのポジティブな不思議なエネルギーのおかげで、落ち込む回数が減り、人に少しだけ優しくなれるような感覚がでてきたように思います。</p>
<p>「B型男性」の件ですか？？　これはなんだか、お仕事やワークショップ関連で出会って、「面白いな！」と思う方々がほとんどB型だったという偶然の重なりでした。日本の人口における血液型分布とは明らかに異なっていたのです。お仕事と関係ない付き合いでこんなに普通に男性と話せるようになった自分にも実は驚いているのですけど・・・（といって、研修でしか、私に会っていない方々は想像しづらいかもしれませんが・・・）</p>
<p>小学生の頃から男子はどういうわけか、私に「決闘の挑戦状」を持ってきたり、何かとライバル的な存在でした。しかし、今年は癒してくれる男子、知らない知識を教えてくれる男子、わけのわからない経験をさせてくれた男子、親子ゴッコをしてくれた男子、心霊写真もどき写真作成に協力してくれた男子と私の生活の多方面で男子が登場してきたので、びっくりしています。</p>
<p>そうした私を支えてくれる人間関係というものに感謝と気づきが深まったというのが今年の総括です。武田鉄也さんではありませんが、「『人』という字は支え合っている。」そんな普通のことを実感したのがアメリカから帰国して12年目の今年でした。遅すぎますね！！</p>
<p>それでは、皆さま、よいお年をお迎えください！！！<br /></p>]]></description>
            <link>http://www.quon.asia/yomimono/business/change-communication/2009/12/26/2153.php</link>
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            <pubDate>Sat, 26 Dec 2009 02:03:28 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>第４３回　どんだんず～！</title>
            <description><![CDATA[<p>１２月の秋田場所、福岡場所で、今年の全国巡業が終わった関取の体重にはやや足りない鈴木有香です。その土地、その土地の味とお酒を堪能しつつ、地元の方々の会話の間合いや呼吸に興味を覚えています。</p>
<p>東京下町育ちの私は基本的に早口で声が大きく、言いたいことは腹にためずにいってしまう傾向があります。このテンポは関西の方々には受け入れられているようです。しかしながら、秋田の場合の会話のペースはゆっくりで、何か言葉にならない空気を共有する時間があるように思います。そして、私には正しく発声ができない鼻濁音が響きます。この深い鼻濁音はフランス語に通じるセクシーな余韻があるように思われます。</p>
<p>雪の舞う夜、囲炉裏端で熱燗を傾けながら、様々な話をしていたとき、ゆっくり「ん、だす。」と、しみじみとうなづく音声が私の耳から背骨へと響いていきます。</p>
<p>そんな秋田の様子を東京の大学の授業で話したら、なんと、そのクラスには東北出身者が４名いました。津軽、山形、気仙沼、仙台の出身者たちでした。この学生たちは通常のクラスの授業では、出身がわからないほど、軽妙に東京アクセントで、話しています。<br />しかし、その日の私の秋田の話を聞いたあと、津軽出身の八戸君（仮称）が即興で津軽弁講座を開いてくれたのです。</p>
<p>彼は早速、教室のパソコンで下記のWebページを開き、ネイティブの発音で読み上げました。<a href="http://www.interq.or.jp/www-user/miu7777/">http://www.interq.or.jp/www-user/miu7777/</a><br />そのユニークな音声に魅了された私たちは彼について、リピートしていました。</p>
<p>「わい～どんだんず～なんもはってね～なんぼが貸してけね？」</p>
<p>そして、八戸君の用語と文法の解説が入ります。<br />クラスの学生のお気に入りは「どんたんず～（なんてことだ!）」と「かちゃくちゃね（ごちゃごちゃ）」</p>
<p>そして、会話集をもとに、津軽弁＋気仙沼弁＋山形弁の三人衆でモデル会話が行われました。学生全員が日本語の音の豊かさとビビッドな語彙に興味シンシンです。そして、尊敬の眼差しで級友を見ているのです。そう、東北出身者は軽々と東京方言をベースにした会話を自分の国の言葉に翻訳しているバイリンガルなんですから。</p>
<p>「わー、私もそういう言葉がほしい！」と言ったのが八王子の出身者。<br />「多摩弁というのもあるから、調べてみれば？」と私。</p>
<p>来週は沖縄出身者と八王子出身者のお国自慢大会が見られることでしょう。</p>
<p>言語の豊かさはその多様性にあります。「美しい日本語」、「美しい敬語」などとよく言われますが、言葉の美しさというのは、やはり自分の魂のこもったそれぞれの故郷の言葉ではないでしょうか。それに誇りを持ち、また人々がそれぞれの敬意を持てる雰囲気が今週のクラスにありました。</p>
<p>これも、なんだか秋田の人々が私に与えた感動が東京の教室につながり、東京で大学に通う東北出身者を力づけ、そして他の学生たちが日本文化の多様性に触れていた不思議な親切の循環のように思えました。<br /></p>]]></description>
            <link>http://www.quon.asia/yomimono/business/change-communication/2009/12/19/2146.php</link>
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            <pubDate>Sat, 19 Dec 2009 23:02:20 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>第42回　反クイズ番組論</title>
            <description><![CDATA[<p>制作費も安くヒナ壇に並ぶ芸能人が適当なおしゃべりをしているようなクイズ番組に腹を立てている鈴木有香です。脳の活性化、知識欲、それはそれでいいのですが、そんなに知識量を詰め込んで何になるのでしょうか。私は持っている知識をどのように現実に使うかのほうが興味があります。</p>
<p>「『テン』と読む漢字を１分以内に何個書けますか。」というような問題があって、それに参加している芸能人がワーワー言いながら答えているその表情や反応を視聴者は面白くて見ているのかもしれません。でも、その漢字をたくさん知っていることが果たして「頭のいい」ことなのだろうかと思ってしまいます。厳密にそのようなテストで、その人ができたことは「限られた時間内に正確に知っているものを表出する。」という能力です。記憶と再生力でしかありません。そこに芸能人の出身校とか紹介されていると、社会の中での大学の権威の低下が示されているようにも思います。</p>
<p>たしかに、パソコンもコピー機もなく、本ですら庶民の手に届く値段でなかった時代に知識を記憶するというのは一定の価値があったかも知れませんが、今や電子辞書もある時代に１つの漢字がわからなくても、２，３秒もあれば調べられるレベルの問題です。なぜ、「知っている」と「知らない」だけに分けて、「知らない」ことを馬鹿にするかのようなテレビ番組に人気がでるのかわかりません。</p>
<p>むしろ、「知らない」ことを自覚して、「知らない」ことについて探っていこうとする行動を養ったり、得た知識を自分流にどのように、自分の日常生活に結びつけるかということを考えたほうが自分の生活が豊かになるように思います。</p>
<p>正直言って、記憶力主体の大学受験は苦労した私です。でも、「必殺仕掛け人」を見て、「吉原」に興味を持った小学生有香Pは祖父の「吉原経験談」及び、書籍からある種日本の性風俗についての基本知識を学びました。結果、欧米人がやや偏った日本について語り出せば、平安時代のお稚児さん、戦国時代の小姓の例まで取って説明し、西洋以外の視点があることを伝えることができるようになりました。</p>
<p>そういえば、「ベルサイユのばら」に触発され、フランス国歌「ラ・マルセイエーズ」と「君が代」の歌詞の比較にはまっていたのも小学生の頃でしたが、これも後で、ヨーロッパの人々との話題に困ったときは助かりました。当時、他に嵌っていたのは、家族旅行で会津に行ったときの「白虎隊の話」、北海道での「アイヌの文化」でした。</p>
<p>結局、日本の受験において全く役に立たない知識なのですが、社会人になって、歴史認識だの価値観の異なりなど様々な事例を分析したり、人々と議論するとき、小学校時代から溜め込んだ妙な雑学ネタが私のアカデミック・ライフ及び社交を助けてくれるので、人生、何が得なのか初めから決め付けられないなと思います。</p>
<p>それから、公共の電波はやはり尊い社会的なものなので、テレビの製作者はサンプル数の少ない統計的価値の高くない視聴率とか一時的な収益という指標だけでなく、大人の責任としての番組作りというのをもう一度考えていただきたいと思うのです。</p>]]></description>
            <link>http://www.quon.asia/yomimono/business/change-communication/2009/12/12/2120.php</link>
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            <pubDate>Sat, 12 Dec 2009 00:34:06 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>第41回　開き直れない世代</title>
            <description><![CDATA[<p>去年くらいから若手の劇団員のイケ面青年をアシスタントに研修をしたりしている鈴木有香です。その一人にミッキーがいます。劇団出身者というのは、体育会もびっくりする上下関係で鍛えられているので、礼儀、挨拶などには抜かりがありません。しかも、大工仕事から録音までの様々な仕事ができます。ミッキーは昭和の最後のほうに生まれ、途中、「ゆとり教育」に切り替わった世代なのですが、彼は若手中心の企業研修にいくと、その世代の特徴を私に解説してくれるので、助かります。</p>
<p>このところ、入社２－3年目の対象の研修をいくつかやっていました。去年くらいからこの世代の研修については企業に関係なく、「危機感」を感じています。基本的に素直で指示したことはやります。知的レベルも高い（偏差値の高い大学、院卒）という感じです。しかし、エネルギーがないのです。反応がないのです。</p>
<p>　同世代、あるいは同期の参加者２０名程度に私が発問しても、返事がない。ときどき、うなづく人はいるのですが、それも少数、ほとんど全体に反応がない。同じプログラムで平均年齢が３５歳くらいになると、身体反応はあるし、研修開始１時間もたてば、３人くらい全体に発言する人が出てきて、その刺激を得て、全体の気の循環が始まり、グループ、全体のディスカッションが広がるのですが、そうした気の循環がないのが、２０代前半の参加者です。</p>
<p>　「何か自分からやってしまうと、それについて他からどう思われるのかが心配なんですよ。それに、やったら、それについて責任をとらなきゃいけないでしょ。そう思うから、動けないんですよ。」と、ミッキーが同世代について解説してくれました。</p>
<p>「でもさ、やらないことのリスクって考えないの？」と私。<br />「それもあるけど、やはり責任は取りたくないからと思うのですよ。」とミッキー。<br />「でもさ、同世代じゃない？　研修ごときで押し付け合うような責任ってあるの？」<br />「うーん、そういうのではなくて、何ていうか・・・・。多分、深い意味でお互いが信頼がないのかもしれません。」</p>
<p>　合コン、パーティーなど軽妙な会話はできるけど、それ以上の部分には触れられるのが怖い。相手と異なった意見は全て「自分を否定するもの」と思いがち。一度崩れた人間関係の修復よりは、それを無視してしまうほうが楽だと考えるようです。</p>
<p>　「なんていうか、陰湿ないじめみたいなものが普通にクラスにあるから、次は自分の番にならないようにってしてたりしましたね。それから、途中から、「ゆとり教育」になったものだから、最初から「ゆとり教育」で平成生まれみたいに『僕たち、馬鹿だから・・・』とも開き直れないのですよ。」とミッキーは語る。</p>
<p>でも、こういう世代を作ったのはその前の先輩や親の世代の責任だとは思います。普通に人が人を信頼できる社会はどこにいったのでしょうか？</p>
<p>　それでもミッキーは演劇学校、劇団の生活で生身の人間がぶつかり合う活動や、先輩から問答無用の命令などを受けて、変に熱い昭和世代のコミュニケーションの感覚があるので、私なんかとも付き合ってくれているんだろうなと思います。</p>]]></description>
            <link>http://www.quon.asia/yomimono/business/change-communication/2009/12/05/2119.php</link>
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            <pubDate>Sat, 05 Dec 2009 23:37:33 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>第４０回　意識の壁</title>
            <description><![CDATA[<p>朝、出勤途中の人々が高層ビルのエレベーターを待っている、そんなとき、知っている顔にあなたは気づくことができるでしょうか？<br />先日、IT関連企業の研修に行ったとき、受講生の顔を２つ確認したものの、声をかけそびれた鈴木有香です。一人は猫背気味で視線は下で、もう一人は顔を上げていたけど、意識はどこか遠くにあるような感じで、挨拶する瞬間が見出せませんでした。</p>
<p>実際、人間の視野は180度以上あり、目に入っているものはたくさんあるのですが、どこまでそれが意識されているか、気配をも含めて感じているかは人によります。たとえば、自分が仕事に集中していても、職場に誰か入ってきた気配を感じて、顔を上げると、その動作の変化に入ってきた人も気づき、その人を見る、そして、二人の目があって、挨拶のタイミングが生まれます。つまり、自分の外に対する感覚が広がっていないと、そのタイミングを作り出すことが難しくなります。</p>
<p>常日頃、どのくらい自分の感覚を広げているかの問題なのですが、IT企業の方々は1日中、ノートパソコンのスクリーンのみを凝視している時間が10時間以上ある人が少なくないそうです。すると、視野がスクリーンという狭いところにしか集中していません。それ以外の外的変化が感じられなくなっていきます。その状況で、アフリカのサバンナにいたら、一発で猛獣に食べられてしまうかもしれません。原始から備わった人間の能力の退化です。</p>
<p>しかし、そこのオフィスを見せてもらったとき、そうせざる得ない環境にも驚きました。バレー・コート2面くらいの広いオフィスに机が整然と並べられ、隣の人との間仕切りも、前にいる人の気配を遮断するような本棚もなく、全員がノート・パソコンに向いて仕事をしていました。広い見通しのよい図書室のような感じです。もちろん、仕事だから大きな声は出せません。隣の人がいること、前を歩く人がいるなどを感じると逆に集中ができなくなりそうです。ですから、自分の意識で壁を作り、集中力を高めるという努力をし続けなければならないように見えました。それは、満員電車の中で隣の人を感じないように意識を内向きにしているのと同様な感覚が長時間続くのに似ています。</p>
<p>人間は少なくとも、自分が安心できる最低限の空間が必要です。それが机一面分だとしても、自分が居心地良さを感じる空間を持つことで、安心感を得ます。それを得られない場合は意識で壁を作るしかないかもしれません。しかし、人間は機械ではないので、意識の壁のオン・オフの切り替えがいつでもできるわけではありません。いつの間にか意識の壁のオン状態が普通になり、自己と外部を遮断していくようになります。すると、対人コミュニケーションになったとき、視線、表情、姿勢も相手に向かい合わなくなってきます。</p>
<p>救いは中・高齢者層です。幼少期を含め、ある一定の年齢まで、コンピュータとのコミュニケーションではなく、対人コミュニケーションの量が圧倒的に多かった世代です。そのしっかりと培った対人コミュニケーションの感覚があるので、言葉以外のものを感じたり、曖昧なものに対しての許容力の回復力が現代の携帯世代といわれる20代以下の人よりもあります。こうした中・高齢者がいるうちに、今の若い世代に熱く感情が関わるコミュニケーションの経験を職場でさせることを緊急に考えていかないと、人間の本来持っているコミュニケーション能力がどんどん低下していってしまうのではないかという危惧が、今、私の中にあります。</p>]]></description>
            <link>http://www.quon.asia/yomimono/business/change-communication/2009/11/28/2077.php</link>
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            <pubDate>Sat, 28 Nov 2009 10:58:18 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>第３９回　新型インフルエンザと失恋？！</title>
            <description><![CDATA[<p>実は某大学で大学生のためのスピーチのクラスも担当している鈴木有香です。1年次の必修科目で、「生き生きと3分間自分の意見を語れるようになろう！」という目標のクラスです。その練習の一つに「自分の経験と気持ちを人に伝えよう」ということで「忘れられない思い出」というテーマのスピーチをしました。</p>
<p>今回の大ヒットは「なぜ彼と別れたか」について話した真由美ちゃん（仮名）。ショートパンツにラメ入り黒ストッキングが脚線美を強調しつつ、セミロングの茶髪と付けまつげのフルメイクのキュートな19歳の女の子です。</p>
<p>「あのー、最近　彼と別れたんですよ。彼は27歳で、トラックの運転手だったんですけど・・・。」</p>
<p>開口一発、クラス全員が興味で身を乗り出します。１０代の彼らにとって、２７歳は「年上・・・すぎる」ようです。</p>
<p>真由美ちゃんは、初めて彼氏の家に行ったときの不審な状況をクイズ形式で、聴衆を巻き込みながら、客観的情報を次々と提供していきます。</p>
<p>「まず、玄関に入ると、そこに何があったと思いますか。－間－　乳母車です。『元カノがシングル・マザーで置いていったんだ。』と彼は言いました。私はもちろん好きだったので信じました。」</p>
<p>このパターンを継続させて、テーブルには化粧ポーチ、洗面台には巻き毛用ドライヤー、その引き出しには化粧品と付けまつげ、トイレの棚には生理用品と発見し、それでも、「彼を信じました。」で結んでいきます。見事な喜劇のテクニックです！！</p>
<p>しかし、ある日、真由美ちゃんはテーブルの上にある役所からのプリントを発見して、全てを理解します。それは「妊婦様へ」と書いた役所からの新型インフルエンザを注意するプリントでした。</p>
<p>結局、彼の妻（？）は妊婦で１ヶ月の入院をしていたという事情が種明かしでしたが、真由美ちゃんの話を聞いているときの、男子学生の反応が完璧に二極化していたことに気がつきました。一方は平然と「おーとっ！」みたいに反応をするタイプ、もう一方は話の進展と共に顔に緊張が走り、うつむき加減になる男子。心のうち、男子の妄想はわかりませんが、明らかに同年代の女子のススンだ話に当惑気味です。</p>
<p>私の個人的感想は、スピーチとしては論理の一貫性、観客を巻き込むテクニック、自然な話し方と感情の流れが表現されていて、とても素晴らしいと思いました。その一方で、この手の話題をあっけらかんと大学の授業で語る女性の登場に、自分の価値観が古くなってきていることを感じ、女性学の観点からは、「それも女性の地位の向上なのかな？」と思いました。やはり、江戸時代の武士の娘はこんなことは許されないでしょうから。でも、江戸時代なら不倫というのは「市中引き回し獄門の刑」にもなるんだな・・・。</p>
<p>しかし、真由美ちゃんの元カレは最低だな。あ、こういう経験を若いうちに積む事で男性を見る目を養っているかもしれない。むしろ、こいういうことをしていなかった私の方が成長が止まっているのかも・・・・（冷や汗）。</p>]]></description>
            <link>http://www.quon.asia/yomimono/business/change-communication/2009/11/21/2094.php</link>
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            <pubDate>Sat, 21 Nov 2009 00:43:44 +0900</pubDate>
        </item>
        
        <item>
            <title>第38回　中高年の自己チュウ</title>
            <description><![CDATA[<p>スナックといえば、ベビースター・ラーメン、最近出た濃厚チーズ味にはまっている鈴木有香です。どうしても、時間に追われて、食事する間もなく、電車に乗るとき、直径１cm程度のべビスタを４つ、口に放り込み、乾麺が溶け出す感覚を飴代わりに楽しむ悦びは格別です。まあ、行儀が悪いといえば、悪いですね。</p>
<p>先週、夜間のクラスにいくために、１８時頃山手線に乗りました。夕方のラッシュではありませんが、座席は埋まり、１車両に立っている人は３０－４０人程度の混雑具合です。<br />そんな中で黒縁のメガネに黒いワイシャツとスーツ、灰色のネクタイを身につけた３０代後半の男性と長いストレートの髪をまとめたOL風の女性が座っていました。二人の間の座席には青い寝袋かダウンジャケットを詰めた大きな青い紙袋が２つ鎮座していました。</p>
<p>男女とも疲れているのか、こっくり、こっくりしながら、時折、携帯電話をチェックしています。その前に立っている人は私を含めて６名ほど。誰も何も言わず、静かに立っています。これは東京の知らない人には無関心を装う正しい態度なのかもしれないけど、なんとなく、あえて、世直しのためにコンフリクトを起こすべきか悩んでいる私がいます。</p>
<p>お年寄りの聖地巣鴨駅を過ぎたところで、「お疲れのところ、申し訳ありませんが、この紙袋を荷棚に置くくらいのエネルギーは残っていませんか？」と私は男性に声をかけました。私の声は響くので車両の人々は私に注目しました。</p>
<p>男性は不機嫌そうに「次で降りるから・・」と言ってまた、目を閉じました。<br />論理的には全く噛み合っていない返答です。<br />女性はビックとしたようですが、男性がアクションを起こさないので何もしませんでした。</p>
<p>５秒後、「このような時間に座席に荷物をおいたままというのは、一般常識としてどんなものでしょう？」と私。</p>
<p>すると、女性が居たたまれなくなって、立ち上がり荷物を荷棚に上げました。男性は目をつぶって無視のまま。そして、女性は男性の隣に座り直すと、１つの座席が空きました。この間、女性は無言です。私は座る気はないのですが、その４秒後、女性の前に座っていたグレイの背広を着たメガネのややくたびれた５０代中間管理職的なサラリーマン風の男性が、何事もなかったかのようにそそくさと座りました。</p>
<p>私はこのサラリーマンの行動のほうが「がっかり」しました。席が空いたら、すぐに座りたいほど疲れていたのかもしれません。しかし、自らは行動せずに状況を傍観し、「漁夫の利」だけはしっかり取るのは座席を占有している自己中心的な二人と同じレベルのように思われました。</p>
<p>皮肉交じりに「席を空けてくれて、ありがとう」と女性に言えば、女性の行為が社会的に適切であったことの承認になるでしょう。<br />あるいは私に目礼するなら、少なくとも周囲の人に私の言動が適切であることのサインを見せることになるでしょう。</p>
<p>人を注意したりすることも勇気が要りますが、勇気を持って正しいことをした人には応援のメッセージを何らかの形で示すことが、善行を広げていくには重要ではないでしょうか。</p>
<p>この男女は次の駅大塚では降りず、池袋駅で降りました。男性の返答は誠意のない虚言であることもわかりました。</p>
<p>でも、それ以上に、人々の無関心が怖いと思いました。無関心は社会の道徳心の低下をさらに招くと思いましたし、疲れた中高年男性にはすでに武士道とか任侠心とか男気とか、そういう心がなくなっている一例にも見えました。となれば、次世代の若者が自己チュウと批判する前に、大人の心の治療が必要そうです。</p>]]></description>
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            <pubDate>Sat, 14 Nov 2009 23:48:55 +0900</pubDate>
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