
2010年1月29日 01:56
つい最近、生まれて初めてのヒッチハイク(?)を経験した鈴木有香です。それは1月23日土曜日の朝、寒いので駅までバスに乗ろうと思っていたところ、バスが視界に入りました。思わず、100メートルダッシュで、バス停に向かいました。ところが、私がバスのドア前に立った時、ドアは閉まってしまいした。運転手に気がついてもらおうと、ドアをノックしましたが、運転手はあっちの方向をみて、信号が青になるのを確認して、バスを出発させたのです。
「何だよー!」とやや憤りを感じて、「仕方ない歩くかな・・・」と思っていたら、後ろから、車の窓をあけて、「どこまで行くの?」と私に声をかける男性が!!
「え、(車の中の人を見て)、田端駅ですけど・・・」と、答えた私。
「じゃあ、乗せていってあげるよ。」と男性は言うのです。もちろん、身も知らずの方です。
「えっえー!」と、見た目、70歳以上の男性の申し出に対して、返事をする間の2秒間私はこんなことを考えました。
・ 爺さんだ!
・ 私は別に美女ではない。
・ ナンパや怪しいことの目的ではないだろう。(火曜サスペンスのイメージよぎる)
・ これは親切なんだ。この心を拒むのはよくない。
・ ここはニューヨークじゃない、田端、下町、私の本拠地。
・ 何かあっても、逃げられるだろう。
・ 大丈夫だ。爺さんの心を受け止めよう。何かあっても、逃げる力はあるぞ!
「じゃあ、お願いします。」と私は男性の車に乗りました。
「さっきの一部始終、見てたよ。バスもひどいよね。だから、声かけたんだよ。」とお爺さん。
有香の声「ありがとうございます。地獄に仏はこのことですね。」
有香の心の声『親切な人の申し出に対し、最悪の状況とか、人を疑うような気持ちを一瞬たりとも持ってしまった自分って、やっぱり人間関係が希薄になり、信頼感の減った都市型社会の影響を受けているんだ。これは悲しいよな。』
浪曲「忠臣蔵」を聞きながら、田端駅で降ろしてもらい、その後、早稲田総研でのミディエーションの研修に向かいました。
今回の研修は、前々から私の研修を見学したいと言っていた八代京子先生がオブザーバーでいらしていました。八代先生というと、異文化コミュニケーション学関係や英語教育関係の分野だと、かなりの大御所です(先生ご本人はこういう表現は大嫌いですが)。でも、本当は80年代初頭からミディエーションを日本に広めたいと考えていた方であり、ミディエーションの理論と実践と教育方法にも深い理解のある方です。
そんな京子ちゃん(研修の時の呼び名)がいるので、せっかくだから受講生の前でミディエーションのモデルをやってもらおうということになりました。(授業の3分前!)当事者役は私とお千代です。
二人とも暴れるつもりは十分にあったのですが、あらら・・・・。
ミディエーター京子の薄桃色オーラに絡め取られて、暴れられないのです。
だけど、受講生が言っているように、決して強制がない!!
合意が形成され、人間関係の肯定的な変容を受講生と共に私は体感していました。
そう、この八代観音の雰囲気を感じ取ってほしい。ここがミディエーションのスタートであり、目指す方向なのだと。言葉じゃない、スキルじゃない、何かとっても大切なものを受講生も私も全員で共有していたように思えます。
八代先生が去った後、ロールプレイの質が今までの研修とは全く異なりました。私も何か魂の交流のようなものを目指して、ワークを変更していました。そして、受講者一人ひとりの意識やコミュニケーションが見える形で変わって行きました。 その日の2つ目の奇跡です。
分析可能なスキルや言語形式の習得も重要ですが、清濁、正誤、相違、全てを受け止め、みんなの幸せを願うような精神性を具現化することが、ミディエーションやADRであるとも置き換えられるのではないでしょうか? そんなひらめきを得た土曜日でした。
この記事へのコメント
「全てを受け止め、みんなの幸せを願うような精神性を具現化すること」
なんだか忘れかけていたことを思い出させてもらったような気がしたので、あちこちでこのブログをご紹介させていただきました^ ^
こんにちは。
私も八代先生のオーラを感じた一人ですが、周りから見ていて有香さん、お千代さんが暴れるつもりがあったとは微塵も感じませんでした。後で知ってビックリです。
ロールプレイで”何か温かいモノに包まれて暴れられない!!”という感覚を私も受けたことがあるのですが、あれもオーラだったのでしょうね。
私はオーラは出すものではなく、にじみ出るものかと思っていますので、心の底から”みんなの幸せ”を願う気持ちを大事にして、淡い感じのオーラが出るようになりたいなと思っています。
たしかににじみ出るものですねぇー。
でも、本当に暴れるつもりだったんですよ私。
それから、たしか秋田ですね。ロールプレイで暴れるつもりなんだけど、調停役の人がやはりやわらかくて、なんか攻撃モードが緩和される感じがありました。ただ、こうした訓練はやはり同業者同士だと限界があります。結局、当事者は自分と同業者ではない人なので、訓練の場はできるだけ、異業種の人同士でやるようにすると、よりリアルな練習になりますね。
ごっちゃんお久しぶり! 私はコミュニケーション学の観点からいくと、やはり調停は大きな「愛情」とか「癒し」の精神で、コントロールしようと思うところをはずさないといけないと思います。これは結局、ファシリテーションとか教育についても同じことが言えるとは思います。
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